2019/09/13 - 2019/09/22
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エストニア旅行記パート28!タルトゥでは第4編になります。トームキルクの塔、トームの丘、タルトゥ旧市街散策編です。
パート27でトームキリク跡にある博物館を見学後トームキリクの塔へと上っていきます。ここはタルトゥだけでなくエストニア旅行で一番怖かった場所、と言っても治安がじゃなくて階段からの滑落が怖い!階段から転げ落ちると勢い余って外に転がり落ちそうでそなったら死にます。そんなわけで胸の高さくらいしかないフェンスのと塔の廃墟に設置された足場を頼りに上っていきました。さながらRPGの主人公気分です!
実はタルトゥ近辺は森が多く、住宅や教会なども高さがないものは森に紛れてしまうのであまり見晴らしは良くなったです。それでもこの塔を上ったのは冒険気分で面白みがありました。
その後はタルトゥにあるエストニア最高裁判所を眺めながらトームの丘にかかる天使の橋・悪魔の橋を見物して旧市街へ戻ります。タルトゥと言ったら学生の街、その由来となったエストニアの最高学府タルトゥ大学の建物を眺め、タルトゥの有名観光地の一つヤーニ教会を見学します。ヤーニ教会は既に閉館時刻で外だけを見れれば良かったんですが、職員の人が私を見るなりせっかく遠くから来たんだからと入れてくださり解説も必死に英語でしてくださいました。
そんなわけでタルトゥ観光パート4!スタートです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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さてフカマルの捕獲が失敗に終わったので(´・ω・`)、気を取り直して再度大聖堂の塔へと上ります。ちなみに博物館を出て捕獲しに来て、大聖堂の塔の入口に戻るまで3分でした(笑)
大聖堂の塔 建造物
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この入口が塔への入口にあります。ちなみに横にあるビニールハウスみたいな見た目のプレハブ小屋のところでチケットを見せて上ります。先に入った博物館で共通券を買っていましたが、こちらで帰るのかは不明です。
チケット確認の女性の方はタルトゥ大学の学生と話していました。大聖堂の塔 建造物
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冬季は閉鎖の様です。中にはいるとわかりますが、階段だけで昇降する必要がありますし、滑ると危ないところもあるので雪や凍結する中では開放できないのだと思います。
大聖堂の塔 建造物
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塔に関しては割と最近(1980年頃)に整備されて上れるようになった経緯もありレンガは新しく階段もロープがある場所もありました。それでも行き違いは難しいくらい狭く勾配は急です。
大聖堂の塔 建造物
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上ってすぐの場所にエストニア語、英語、ロシア語で警告が出ていました。
これから先の写真でもわかると思いますが、警告が必要だなという様な施設です。大聖堂の塔 建造物
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途中まで上ってきました。パート28の外からの写真で途中に足場が見えていた場所です。まだまだ上っていくわけですが高所恐怖症にはこれでも怖い(´・ω・`)
大聖堂の塔 建造物
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この足場はこんな感じ・・・。正直結構怖さを感じました。まだ新しそうなのでそれなりに信用できそうな足場ではありますが・・・。
大聖堂の塔 建造物
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下を見るとこんな風景が見えます。正直怖いですね。
右手に柵が写っていますが外国の観光地にしてはしっかりとした柵があります。もっとも身を乗り出すことは可能な高さなのでかなりの怖さがありますが。大聖堂の塔 建造物
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正面を見ると中世に壊されてしまった教会に21世紀に上っているという感覚が戻ってくるのでテンションは上がります。下を見ると震えそうになりますけどね。
大聖堂の塔 建造物
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500年近く野ざらしだった本来の内壁はずいぶんと傷みが出ています。ただレンガの色なんかはそんなに色あせていなくて建設当初からこんな色だったのかな、と往年の姿をイメージ出来る気もしました。
大聖堂の塔 建造物
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最上部まで上ってきました。塔の頂上はこの様な展望台になっています。ここは胸の高さくらいまでのフェンスがあったり広いスペースなので恐怖心もなく景色を眺めることが出来ます。
ちなみにこの場所には20世紀初頭から給水塔が造られ、何回か造り直されますが1970年代まで設置されていたそうです・・・。当時は補修工事前、よくこんな所にと正直思いました。大聖堂の塔 建造物
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宗教改革の前はこの上に屋根があったんでしょうね。後に当時の様子が描かれた絵をみるのですが平らな屋根ではなく、奥の博物館と同様に三角屋根だったようです。
大聖堂の塔 建造物
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うーむ、とにかく森が多いのと丘の上にある教会の上部(向かいにある博物館の高さを考えると6階程度?)と言ってもタリンのテレビ塔の様に高さがあるわけではないので景色はいまいちです。
教会そのものを見下ろせるのは良い眺めですけどね。大聖堂の塔 建造物
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塔の屋上から見える観光名所だけでなくトームキリク自体の解説も設置されていました。まあ塔の屋上からもトームキリクの博物館部分が見えるんですけどね。
大きい建物なのと上から全景を見られるところはないのでこの写真でだいたいのイメージがわきます。大聖堂の塔 建造物
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塔は南北にあり今上ってきているのは南側の塔、こうやってみると北側が少し高い様です。
最上部はフェンスが胸の高さより少し高いところくらいまであり安全な作りになっていました。大聖堂の塔 建造物
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森の中にある尖塔はタルトゥカトリック教会の尖塔の様です。エストニアはヨーロッパでは珍しくあまり信仰心の強くない国民性なんですが、それでも一応はプロテスタントが多数を占めます。タルトゥでは唯一のカトリック教会だそうです。
大聖堂の塔 建造物
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タリンのテレビ塔にもありましたが、ここにも近隣の都市や世界各国の都市との距離・方位を書いた表記がありました。ちなみに2つある塔のどちらも書かれている都市は同じでした。
大聖堂の塔 建造物
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東側方面は北京、シドニーで東京はありませんでした。
ちなみにここが観光スポットになったのは1981年の改修後のはずですが、20世紀初めにはここに給水塔があったわけで、よくこんな廃墟同然のところに造ったなと思います。写真で見るとただのタンクではなくレンガ造りのしっかりとした造りだったので・・・。大聖堂の塔 建造物
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タルトゥの観光スポットや見所が解説されているけどいかんせん森が多くてわからないものも多かったです。テレビ塔はたすがに見えましたけど、電波塔という印象で感じるポットと強く感じるものではなかったですね。
大聖堂の塔 建造物
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階段降りていくとこんな感じになっています。脚を踏み外して勢いよく落ちたら下の柵では止まれずそのまま一番下まで落ちてしまいそうな・・・。そしたら死ぬな(´・ω・`)。
大聖堂の塔 建造物
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一回途中まで降りて北側の塔に上ってきました。上でも書きましたがかなり高いところにあるので遠くまで見れるのですが、いかんせん市の中心部以外は森が多くあまりどこに何があるのかわかりません。
大聖堂の塔 建造物
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北側の塔からみた様子ですが基本的には南側の塔とは変わらないです。ただこの写真が明るく取れたので内部の様子も少しわかりやすいです。
奥はタルトゥの郊外でソビエト占領下で都市化された地区です。大聖堂の塔 建造物
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タルトゥの郊外には非常に多くの団地が建ち並んでいます。ロシア帝国下にタルトゥ郊外のラーディに飛行場が造られその後エストニア共和国時代も使われたものがソ連占領下で拡張されバルト地区最大の空軍基地になっていました。その為タルトゥは閉鎖都市だった時代も長いのですが、ラーディ空軍基地の運営に大変多くの要員が必要だったためその職員の住宅が必要だったのです。
この写真でもわかりにくいですが手前に5階建てのフルシチョフカが並んでいてより郊外の奥に12階程度の高層団地が並んでいます。大聖堂の塔 建造物
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森の中に煙突が立っています。タリンにも古い煙突が立ち並んでいましたが市街地だったので森の中に1本というのはここで始めてみました。
かなり古い煙突の様ですが絵が描かれています。大聖堂の塔 建造物
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ロシア帝国時代のトームキリクの様子を描いた絵が展示されていました。まだどの部部分も廃墟のままです。
今居る塔の部分に関してはリヴォニア戦争後スウェーデン統治時代に短くする措置がとられたそうです。大聖堂の塔 建造物
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この写真なんかRPGのダンジョンの様な雰囲気ですが実際の写真です。冷静に考えると幼少期にプレイしたRPGの主人公達はこんなところ跳ねたり飛んだりしていたわけですよね(笑。ゲームの中とは言えすごい話です。
ちなみに写真をよく見ると修復された場所と補強はしているもののリヴォニア戦争より前の部分との違いがよくわかります。大聖堂の塔 建造物
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降りてくる途中に撮影しました。こうやって写真だけをみるとそんなに怖さはないですが、実際の所ファインダーを覗くと周りが見えないこともあってかなりの恐怖心がありました。
しかし中世にこんな大きい教会を山の上に建てたとは本当に感心します。大聖堂の塔 建造物
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降りてきました。実際そんなに長い時間居たわけではなく昇り初めてから出てくるまで25分位なのですが、スリリングで結構長い時間観光をしていた気分になっていました。もう一度行くかと言えばたぶん行かないけど、中世に廃墟になった教会の塔の中を歩いて上ったと考えると満足度は高かったです。景色よりもそちらの満足度のスポットでした。
大聖堂の塔 建造物
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学研都市タルトゥのトームの丘にあるこの建物、何だと思いますか?
答えはエストニア共和国最高裁判所です。エストニアは三権のうち行政府と立法府をタリンに設置していますが、司法はタルトゥに設置されています。この場合南アフリカの様に首都は通例でタリンだけども司法府はタルトゥという扱いなのでしょうか?南アフリカとかオランダとか首都に関してわかりにくい有名な国はいくつかありますが、エストニアはそうではなかったのでタルトゥに最高裁判所があるのは驚きました。大聖堂の塔 建造物
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ブロックを合わせて同じ時期の大聖堂を作るゲーム?が設置されていました。
真ん中が少しずれていますが、宗教改革の前のトームキリクの様子がわかるようになっています。大聖堂の塔 建造物
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1930年代、エストニア共和国として独立していた時代のトームキリクです。19世紀から20世紀にかけてロシア帝国時代には給水塔として北側の塔を利用するようになったと言われています。
その他パート28で紹介した天文台を建設前にはこの塔を天文台として利用しようという試みもあったそうです。大聖堂の塔 建造物
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トームキリクに行く前に通った天使の橋が見える変則十字路にやってきました。変則というのはこの天使の橋のかかっている道路が交差点を境に大きくカーブしているのです。
天使の橋 悪魔の橋 建造物
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その交差点の反対側にはこの橋がかかっています。悪魔の橋と呼ばれるこの橋は1913年にロマノフ王朝成立300周年を祝ってかけられた橋です。当時は悪魔の橋とは言われていなかった(当たり前か)そうですが、それにしても王朝成立300周年を祝う橋としては暗い雰囲気がするのは気のせいでしょうか。この4年後にロマノフ朝は崩壊し翌年エストニア共和国は独立宣言、同年にニコライ2世一家は処刑されるという激動の時代へと突入していきます。
天使の橋 悪魔の橋 建造物
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悪魔の橋へと行きたくてスマホを片手にウロウロ。この建物の左手にある小高い丘が繋がっている道なのですが高さがあるのでここからは上れずもう少し探すことになりました。ちなみにこの写真の右手の建物は最高裁判所なので、この工事中の建築物もそれに附随する何かだと思います。
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悪魔の橋を渡るために少し遠回りをしてきました。ちなみに天使の橋は私が通ってきた道を歩いてトームの丘を散策すれば普通に渡ることになると思いますが、悪魔の橋はわざわざ渡ろうとしないと渡ることはないと思いますし、何より橋の上に来るのがわかりにくいです。まあ社会学部のうらから無理矢理上ってくるのも不可能ではないと思います(この写真でいうと橋の手前右手の丘を駆け上がる形になります)。
橋自体は最高裁判所と社会学部がある交差点から簡単に望めますけどね。天使の橋 悪魔の橋 建造物
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悪魔の橋から見た風景、こちらは北側です。右手がタルトゥ大学社会学部、左手は最高裁判所です。中央に見える交差点が先ほど天使の橋と悪魔の橋を撮影した交差点です。
天使の橋 悪魔の橋 建造物
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上の写真でもわかるとおり橋の直前から急激に道が下っています。そんなわけで悪魔の橋から南側を見ると道路までかなりの高さがあるように見えます。
このあたりがちょうどトームの丘の端になるのでこんな形になってしまっています。天使の橋 悪魔の橋 建造物
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悪魔の橋から戻り天使の橋の下の道を通ってトームの丘から下っていきます。左手には大学や学校が建ち並んでいてある意味もっともタルトゥらしい場所でしょうか。これを下っていくとトーメの丘の前に上る前にいたラエコヤ広場の市庁舎の裏に出ます。
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トームの丘に登る前に昔のタルトゥ大学本館前の様子が描かれていた建物の所に戻ってきました。上るときは気付かなかったですけど、この角度で見るとタルトゥ大学本館とこの絵が同時に見える様になっていました。
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ロシア帝国、エストニア共和国、ソビエト占領下のタルトゥで女優として活躍したアマリー・コンサのレリーフがありました。タルトゥの劇団で長年に渡り様々な作品に出演し1949年に亡くなるまで活躍し続けました。
故郷のタルトゥ郊外ラーディにお墓があるそうです。 -
タルトゥ大学本館です。既に博物館などで過去の写真が出ていたのを見ていますが自分自身で見たのはこれが初めてです。歴史ある建物で中に博物館や100年ほど前まで使われていた懲罰房があり公開されているそうです。
タルトゥ大学 史跡・遺跡
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エストニアの独立運動家で独立直後に首相などを務めたヤーニ・テニソンを記念する広場がタルトゥ大学の側にありました。ロシア帝国ではタルトゥと同じリヴォニアに所属し現在エストニア共和国南部の都市ヴィリヤンディ出身でタルトゥ大学で学びました。
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この像がヤーニ・テニソン氏のものです。テニソンは1940年ソビエト・エストニア相互援助条約によりソビエト勢力下で行われたリーギコグ(国会)選挙でソビエトよりの候補者を排除しようと試みるもソビエト当局に逮捕され、その後の消息は不明ですが1941年夏にタリンで処刑されたとの見方が有力です。墓所も不明のままですがこうしてエストニア国民からは尊敬され続けています。
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フィンランド国旗が掲げられている建物があり名前は「TampereMaja(タンペレの家)」調べてみるとフィンランドの国旗の横の旗はタンペレ市旗でした。タンペレはタルトゥの姉妹都市になっているんですね。
そんなわけで現地ではこの建物はタンペレ市関連の物かと思いましたが旅行記作成にあたり調べてみるとTampereMajaというゲストハウスのようです。 -
タルトゥの有名観光地の一つ、ヤーニ教会です。1200年代にカトリック教会として建てられ宗教改革、リヴォニア戦争を経てプロテスタントの教会になりますが大北方戦争により炎上、その後再建されたものが現在の教会の元になっています。
1944年にはドイツ軍により破壊されてしまいますが、ソビエト占領末期からエストニア独立回復直後に修復されています。聖ヨハネ (ヤーニ)教会 寺院・教会
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既に閉館時間でしたが外にいた職員の人が「遠くから来たのだから入って」と言ってくれたので中を見ることが出来ました。今日はこれからナイトパーティーがあるからまだ準備が必要と話していました(英語でなんとか説明してくれていた為あまり質問も出来ず誤訳あるかも)
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スウェーデン統治時代からの物の様です。「Old good age」ってスウェーデン統治時代を指しているはず・・・。
というか一生懸命英語で話してくれたから言いにくかったけど簡単なロシア語ならわかるって言えば良かったよなあ・・・。 -
歴史ある教会ですが新しいレンガなども使われていて場所によって色は随分と違っています。
聖ヨハネ (ヤーニ)教会 寺院・教会
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上記の様に大北方戦争のあとの再建ですから1720年頃以降の建築だと思います。
街並みもそうですが建築時期とロシア帝国下ではエストランドとリヴォニアという別の州だった地域性の違いでタリンとは少し雰囲気が違って感じました。聖ヨハネ (ヤーニ)教会 寺院・教会
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