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2006.5.:“ドイツ ライン・モーゼル周遊の旅”<br /><br />キリスト教会では1月1日が聖クリストファー(Christopherキリストフォロ)の日になっているという。<br /><br />3世紀半ばごろの半伝説的な殉教者の名前らしいが、ラインとの関係はよく分からない。<br />旅行や交通の守護聖人として、今も尊ばれていると云う。 私共・旅行好きの者にとっては大事な守護聖人である。<br />ライン川の地方を旅すると美術館や大聖堂などによく子供を背負った筋骨たくましい老人の絵や彫刻などをよく見る。<br />それらの由来を知らないままに過ぎてきたが、2006年5月の”ドイツ懐かしの地再訪”と称した旅で、図らずも知ることとなった。ケルンの大聖堂にもこの像がある。<br />その由来とはこうだ。(2006.05.09.) <br /><br />【昔、ラインの岸辺に大変力もちの子供がいた。<br />勇者にあこがれた子供は、或る時、願い適って、偉い領主の家来になる事が出来た。<br />ところが領主はサタンを恐がり、そのサタンに仕えてみると、なんと『十字』の人を恐れているのが分かった。それで、さらに『十字』の人を世界中に求めて彷徨ようが、遂に会う事ができなかった。 <br /><br />やむなく、故郷の村に戻り、旅人を背負ってラインの激流を渡る、渡し守になった。<br />ある嵐の晩、小さな男の子がやって来て、対岸までお願いすると・・・。願いがあまりに切なので、ついに嵐の川を渡ることにして、男の子を背負って、川を渡り始めた。<br /><br />川の中程に達すると、急に男の子がものすごく重くなった。必死に激流を超えて、対岸に辿り着くと、男の子は夜明けの光の中で、『世界の重みを負ってくれたね』と嬉しげに、十字を切って、渡し守を祝福したと云う。<br />男の子は幼児キリストであった。渡し守はキリストを負う者、クリストファーの名を与えられ、遂に『十字』の人に会えた喜びに身を打ち震わせて、立ったまま息絶えてしまったと伝えられている。】<br /><br />XXX<br /><br />このクリストファー伝説はラインの源流から、オランダの河口に至る様々な地方で語り継がれて来たのだと云う。“ラインの守護聖人”として、教会は彼を聖人に列したのだそうだ。<br />クリストファー伝説は「レゲンダ・アウレア」(&quot;LEGENDA AUREA&quot;によると云われているが定かではない。<br />これはジェノヴァ大司教ウォラギネ (Jacobus de Voragine, c. 1230 ? 1298) の手による“聖人伝”集成で、1260?70年頃に編纂されたと考えられています。中世・西ヨーロッパにおいて、最も広く流布した聖人伝であり、1000部を超える写本が残されていると云う。<br /><br />参考写真:ラインの守護聖人・聖クリストファー

≪ラインの守護聖人・聖クリストファー:ケルン大聖堂≫

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2006/05/05 - 2006/05/19

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旅行記グループ ドイツの伝説・民話

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jijidaruma

jijidarumaさん

2006.5.:“ドイツ ライン・モーゼル周遊の旅”

キリスト教会では1月1日が聖クリストファー(Christopherキリストフォロ)の日になっているという。

3世紀半ばごろの半伝説的な殉教者の名前らしいが、ラインとの関係はよく分からない。
旅行や交通の守護聖人として、今も尊ばれていると云う。 私共・旅行好きの者にとっては大事な守護聖人である。
ライン川の地方を旅すると美術館や大聖堂などによく子供を背負った筋骨たくましい老人の絵や彫刻などをよく見る。
それらの由来を知らないままに過ぎてきたが、2006年5月の”ドイツ懐かしの地再訪”と称した旅で、図らずも知ることとなった。ケルンの大聖堂にもこの像がある。
その由来とはこうだ。(2006.05.09.)

【昔、ラインの岸辺に大変力もちの子供がいた。
勇者にあこがれた子供は、或る時、願い適って、偉い領主の家来になる事が出来た。
ところが領主はサタンを恐がり、そのサタンに仕えてみると、なんと『十字』の人を恐れているのが分かった。それで、さらに『十字』の人を世界中に求めて彷徨ようが、遂に会う事ができなかった。 

やむなく、故郷の村に戻り、旅人を背負ってラインの激流を渡る、渡し守になった。
ある嵐の晩、小さな男の子がやって来て、対岸までお願いすると・・・。願いがあまりに切なので、ついに嵐の川を渡ることにして、男の子を背負って、川を渡り始めた。

川の中程に達すると、急に男の子がものすごく重くなった。必死に激流を超えて、対岸に辿り着くと、男の子は夜明けの光の中で、『世界の重みを負ってくれたね』と嬉しげに、十字を切って、渡し守を祝福したと云う。
男の子は幼児キリストであった。渡し守はキリストを負う者、クリストファーの名を与えられ、遂に『十字』の人に会えた喜びに身を打ち震わせて、立ったまま息絶えてしまったと伝えられている。】

XXX

このクリストファー伝説はラインの源流から、オランダの河口に至る様々な地方で語り継がれて来たのだと云う。“ラインの守護聖人”として、教会は彼を聖人に列したのだそうだ。
クリストファー伝説は「レゲンダ・アウレア」("LEGENDA AUREA"によると云われているが定かではない。
これはジェノヴァ大司教ウォラギネ (Jacobus de Voragine, c. 1230 ? 1298) の手による“聖人伝”集成で、1260?70年頃に編纂されたと考えられています。中世・西ヨーロッパにおいて、最も広く流布した聖人伝であり、1000部を超える写本が残されていると云う。

参考写真:ラインの守護聖人・聖クリストファー

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
レンタカー
航空会社
ルフトハンザドイツ航空
旅行の手配内容
個別手配
  • 写真:Herrgottskircheヘルゴット教会の巡礼者の守護聖人のクリストファー<br /><br />リーメンシュナイダーがMarienaltar聖母マリア昇天の祭壇を作った。<br />高さ11m、幅3.7mと大きなもので、それは見事なもので、リーメンシュナイダーの最高傑作と云われるだけのものがある。<br />ローテンブルク近郊のヘルゴット教会の壁面に描かれたHl. Christopherus巡礼者の守護聖人のクリストファーの絵もあった。<br /><br /><br />

    写真:Herrgottskircheヘルゴット教会の巡礼者の守護聖人のクリストファー

    リーメンシュナイダーがMarienaltar聖母マリア昇天の祭壇を作った。
    高さ11m、幅3.7mと大きなもので、それは見事なもので、リーメンシュナイダーの最高傑作と云われるだけのものがある。
    ローテンブルク近郊のヘルゴット教会の壁面に描かれたHl. Christopherus巡礼者の守護聖人のクリストファーの絵もあった。


  • 参考写真:St. Christopher Carrying the Christ Child, by Hieronymus Bosch (c. 1485)<br />*ヒエロニムス・ボスの描く聖クリストファー(クリストフォロス)<br /><br />*Hieronymus Boschヒエロニムス・ボス(1450年頃~1516年)は、ルネサンス期のネーデルラントの画家。<br />聖書に基づく寓話を絵にした作品が多いが、同時期の他の初期フランドル派とは一線を画した、シュルレアリスムを思わせるような幻想的で怪異な作風が特徴であり、それぞれの主題や制作意図も謎に満ちている。<br /><br />その作風は16世紀のPieter Bruegelピーテル・ブリューゲルを始めとする後世の画家に大きな影響を与えた。<br /><br /><br /><br />

    参考写真:St. Christopher Carrying the Christ Child, by Hieronymus Bosch (c. 1485)
    *ヒエロニムス・ボスの描く聖クリストファー(クリストフォロス)

    *Hieronymus Boschヒエロニムス・ボス(1450年頃~1516年)は、ルネサンス期のネーデルラントの画家。
    聖書に基づく寓話を絵にした作品が多いが、同時期の他の初期フランドル派とは一線を画した、シュルレアリスムを思わせるような幻想的で怪異な作風が特徴であり、それぞれの主題や制作意図も謎に満ちている。

    その作風は16世紀のPieter Bruegelピーテル・ブリューゲルを始めとする後世の画家に大きな影響を与えた。



  • 参考写真:ヒエロニムス・ボスの『快楽の園(かいらくのその)』(プラド美術館蔵)<br /><br />ヒエロニムス・ボスの作品で最も有名、かつ最も大がかりな作品なのは<br />*『快楽の園(かいらくのその)』(プラド美術館蔵)である。<br />これは三連祭壇画(3枚のパネルからなる祭壇画)の形式になっている。<br /><br />*『快楽の園(かいらくのその)』、または『悦楽の園(えつらくのその)』は、初期フランドル派の画家ヒエロニムス・ボスが描いた三連祭壇画で、ボスが40歳から60歳の1490年から1510年の20年間のいずれかの時期の作品だと云う。<br /><br />1939年からスペインのマドリードにある「プラド美術館」に所蔵されている。<br />この絵画はボスが画家としての最盛期にあったときに描かれたと云う。<br /><br />この作品のように複雑な寓意に満ち、生き生きとした表現で描かれているボスの作品は他に存在しない。<br /><br />

    参考写真:ヒエロニムス・ボスの『快楽の園(かいらくのその)』(プラド美術館蔵)

    ヒエロニムス・ボスの作品で最も有名、かつ最も大がかりな作品なのは
    *『快楽の園(かいらくのその)』(プラド美術館蔵)である。
    これは三連祭壇画(3枚のパネルからなる祭壇画)の形式になっている。

    *『快楽の園(かいらくのその)』、または『悦楽の園(えつらくのその)』は、初期フランドル派の画家ヒエロニムス・ボスが描いた三連祭壇画で、ボスが40歳から60歳の1490年から1510年の20年間のいずれかの時期の作品だと云う。

    1939年からスペインのマドリードにある「プラド美術館」に所蔵されている。
    この絵画はボスが画家としての最盛期にあったときに描かれたと云う。

    この作品のように複雑な寓意に満ち、生き生きとした表現で描かれているボスの作品は他に存在しない。

  • 参考写真:St. Christopher with Christ Child, Simon Pereyns, 1588, Catedral Metropolitano, Mexico City<br />*サイモン・ペレインスの描く聖クリストファー(クリストフォロス)。<br /><br />*Simon Pereynsサイモン・ペレインス(約1530年~1600年)はフランドル(オランダ)の画家。1558年にポルトガルのリスボン、後にスペインのマドリード、1566年にメキシコに移り、多くの祭壇画(例えば、聖クリストファー)作品を描いて名声を得た。<br />

    参考写真:St. Christopher with Christ Child, Simon Pereyns, 1588, Catedral Metropolitano, Mexico City
    *サイモン・ペレインスの描く聖クリストファー(クリストフォロス)。

    *Simon Pereynsサイモン・ペレインス(約1530年~1600年)はフランドル(オランダ)の画家。1558年にポルトガルのリスボン、後にスペインのマドリード、1566年にメキシコに移り、多くの祭壇画(例えば、聖クリストファー)作品を描いて名声を得た。

  • 参考写真:ペレインスの*メトロポリタン大聖堂の【Altar_der_Vergebung赦しの祭壇】の中心をなす『赦しの聖母』<br /><br />彼の最高の作品は、*メトロポリタン大聖堂の【Altar_der_Vergebung赦しの祭壇】の中心をなす『赦しの聖母』である。<br /><br />*16世紀にアステカ帝国を征服したエルナン・コルテスの命によって、アステカ帝国の神殿である、テンプロ・マヨールの跡地に建設されたメトロポリタン大聖堂である。大聖堂は1573年に建設を開始し、1818年の完成までにおよそ250年の歳月を要した。<br />幅は54.5m、長さは110m、2つの鐘楼、中央のドーム、3つのメインポータル、5つの洞窟、51の金庫、74のアーチ、40の支柱で構成されていて、大聖堂内部には5つの大きな祭壇、16の礼拝堂、聖歌隊の廊下、回廊、首都部屋、城壁で構成されている。<br />かつて罪人が刑執行前にこの場所に連れてこられ、その際にここで赦しを求めたことから、「赦しの祭壇」と名付けられた説がある。<br /><br />   XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX<br /><br />

    参考写真:ペレインスの*メトロポリタン大聖堂の【Altar_der_Vergebung赦しの祭壇】の中心をなす『赦しの聖母』

    彼の最高の作品は、*メトロポリタン大聖堂の【Altar_der_Vergebung赦しの祭壇】の中心をなす『赦しの聖母』である。

    *16世紀にアステカ帝国を征服したエルナン・コルテスの命によって、アステカ帝国の神殿である、テンプロ・マヨールの跡地に建設されたメトロポリタン大聖堂である。大聖堂は1573年に建設を開始し、1818年の完成までにおよそ250年の歳月を要した。
    幅は54.5m、長さは110m、2つの鐘楼、中央のドーム、3つのメインポータル、5つの洞窟、51の金庫、74のアーチ、40の支柱で構成されていて、大聖堂内部には5つの大きな祭壇、16の礼拝堂、聖歌隊の廊下、回廊、首都部屋、城壁で構成されている。
    かつて罪人が刑執行前にこの場所に連れてこられ、その際にここで赦しを求めたことから、「赦しの祭壇」と名付けられた説がある。

       XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX

  • 近年、甲子園に出場した「聖隷クリストファー高校」がある。<br />ここは聖隷学園(せいれいがくえん)という浜松にある中・高・大学を有する学校法人だ。珍しいことに聖クリストファーの名をつけている。<br />その学校の概要でも聖クリストファーの伝説を引用している。<br /><br />また、*芥川龍之介という作家がいるが、彼が以下の伝説を書いていたのを恥ずかしながら最近になって知った。<br /><br />*芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892年~1927年)は、小説家。号は澄江堂主人(ちょうこうどうしゅじん)、俳号は我鬼(がき)。<br />作品:<br />『羅生門』(1915年)、 『鼻』(1916年)、 <br />『戯作三昧』(1917年)、『地獄変』(1918年)、 <br />『奉教人の死』(1918年)、 『杜子春』(1920年)、<br />『藪の中』(1922年)、 『河童』(1927年)、 <br />『歯車』(1927年)。<br /><br />芥川龍之介は、最初の『煙草と悪魔』などキリシタン物を16作品も書き、その中でも傑作と言われたのは、このクリストフォロス伝を翻案した『きりしとほろ上人伝』という小説である。<br />1919年(大正8年)、この作品を雑誌『新小説』誌上に発表した。<br />以下はその引用である。<br />(前述した伝説と芥川流の伝説を読み比べるのも、興味深いことだろう)<br /><br />・・・・・・・・・・・・<br /><br />遠い昔、「しりあ」の国の山中に、「れぷろぼす」という名の心優しい巨人が住んでいた。彼は常々、この世の中で一番強いものに仕えたいと考えていたが、世間知らずで誰が一番強いのかわからない。日ごろ親しくしている樵に尋ねると、「あんちおきやの帝ほど、武勇に富んだ大将もおじゃるまい」と教わる。そこでれぷろぼすは山を下りて都に上り、帝の家来になる。<br /><br />れぷろぼすは強大な肉体を生かし、合戦で敵将を討ち取る大手柄をたて、帝に認められ、大名に取り立てられる。しかし戦勝の祝宴で、琵琶法師の詠う物語を聞く帝が「じゃぼ」(悪魔)という言葉を恐れ、しきりに十字を切るさまを見て、帝王よりも悪魔が強いことを悟り、「それがしはこれよりまかり出で、悪魔の臣下と相成ろうず」と宣言し、怒った帝に投獄される。牢獄の中で呻いていたれぷろぼすは、現れた悪魔に助け出される。悪魔はれぷろぼすを連れてえじっとへ飛び、砂漠に庵を結んで修行する隠者を美女の姿で誘惑しようとする。しかし「業畜、御主『えす・きりしと』の僕に向って無礼あるまじいぞ」の叫びと共に十字架に打たれ、退散してしまう。<br /><br />帝王よりも、悪魔よりも強い「えす・きりしと」の存在を知ったれぷろぼすは、その下僕になりたい旨を隠者に相談するが、かつて悪魔の家来だった者は、枯木にバラの花でも咲かない限り、神の僕になれない掟である。そのうえ無学で教典も読めず、大食いで断食も出来ず、寝坊で徹夜の修行も出来ないと云うれぷろぼすに隠者は困るが、身の丈3丈もある彼を見込み、近隣の大河の渡し守を務めさせることを思いつく。旅人の通行を助ければ、その心根が自然と天主に見出されるだろうという考えからだった。隠者に洗礼を施されたれぷろぼすはこうして「きりしとほろ」と名を改め、大河の渡し守となる。<br /><br />それから三年の間、きりしとほろは大河のほとりに庵を結び、渡し守として旅人の便宜を図っていた。河を渡ろうとする者がいるとその者を肩車し、柳の幹を引き抜いた杖をつき、向こう岸に渡すのである。<br /><br />ある嵐の夜、「河を渡してください」と小屋の戸を叩く者がいた。きりしとほろが外に出ると、一人の幼い少年である。なぜこんな子供が嵐に一人で河を渡ろうとするのか不審に思うが、きりしとほろは少年を肩に乗せ、河に踏み込んだ。<br /><br />すさまじい風雨と濁流に加え、奇怪なことに背負った少年の体が次第に重くなり、あまりの重さに一時を死を覚悟するが、きりしとほろは必死で目ざす岸へと急ぎ、ようやく対岸に、喘ぎ喘ぎよろめき上がった。彼が少年を肩から降ろして「さてさて、おぬしの重さは、はかり知れぬぞ」と息をつくと、少年はにこりと微笑み「さもあろう。おぬしは今夜、世界の苦しみを背負った『えす・きりしと』を、背負いぬいたのだ」と、鈴を振るような声で答えた。<br /><br />その夜を境に、この河のほとりからは巨人の姿が消えた。<br />ただ残ったのは向こう岸に突き立った柳の杖で、その周りには、赤いバラの花が咲き乱れていた。<br /><br />心の貧しい者は、幸いなるかな。天国は彼らのものなり。<br /><br />参考写真:芥川龍之介<br /><br />・・・・・・・・・・<br /><br />     (2026年07月9日Wiki・HP参考、編集追記)<br /><br />

    近年、甲子園に出場した「聖隷クリストファー高校」がある。
    ここは聖隷学園(せいれいがくえん)という浜松にある中・高・大学を有する学校法人だ。珍しいことに聖クリストファーの名をつけている。
    その学校の概要でも聖クリストファーの伝説を引用している。

    また、*芥川龍之介という作家がいるが、彼が以下の伝説を書いていたのを恥ずかしながら最近になって知った。

    *芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892年~1927年)は、小説家。号は澄江堂主人(ちょうこうどうしゅじん)、俳号は我鬼(がき)。
    作品:
    『羅生門』(1915年)、 『鼻』(1916年)、
    『戯作三昧』(1917年)、『地獄変』(1918年)、
    『奉教人の死』(1918年)、 『杜子春』(1920年)、
    『藪の中』(1922年)、 『河童』(1927年)、
    『歯車』(1927年)。

    芥川龍之介は、最初の『煙草と悪魔』などキリシタン物を16作品も書き、その中でも傑作と言われたのは、このクリストフォロス伝を翻案した『きりしとほろ上人伝』という小説である。
    1919年(大正8年)、この作品を雑誌『新小説』誌上に発表した。
    以下はその引用である。
    (前述した伝説と芥川流の伝説を読み比べるのも、興味深いことだろう)

    ・・・・・・・・・・・・

    遠い昔、「しりあ」の国の山中に、「れぷろぼす」という名の心優しい巨人が住んでいた。彼は常々、この世の中で一番強いものに仕えたいと考えていたが、世間知らずで誰が一番強いのかわからない。日ごろ親しくしている樵に尋ねると、「あんちおきやの帝ほど、武勇に富んだ大将もおじゃるまい」と教わる。そこでれぷろぼすは山を下りて都に上り、帝の家来になる。

    れぷろぼすは強大な肉体を生かし、合戦で敵将を討ち取る大手柄をたて、帝に認められ、大名に取り立てられる。しかし戦勝の祝宴で、琵琶法師の詠う物語を聞く帝が「じゃぼ」(悪魔)という言葉を恐れ、しきりに十字を切るさまを見て、帝王よりも悪魔が強いことを悟り、「それがしはこれよりまかり出で、悪魔の臣下と相成ろうず」と宣言し、怒った帝に投獄される。牢獄の中で呻いていたれぷろぼすは、現れた悪魔に助け出される。悪魔はれぷろぼすを連れてえじっとへ飛び、砂漠に庵を結んで修行する隠者を美女の姿で誘惑しようとする。しかし「業畜、御主『えす・きりしと』の僕に向って無礼あるまじいぞ」の叫びと共に十字架に打たれ、退散してしまう。

    帝王よりも、悪魔よりも強い「えす・きりしと」の存在を知ったれぷろぼすは、その下僕になりたい旨を隠者に相談するが、かつて悪魔の家来だった者は、枯木にバラの花でも咲かない限り、神の僕になれない掟である。そのうえ無学で教典も読めず、大食いで断食も出来ず、寝坊で徹夜の修行も出来ないと云うれぷろぼすに隠者は困るが、身の丈3丈もある彼を見込み、近隣の大河の渡し守を務めさせることを思いつく。旅人の通行を助ければ、その心根が自然と天主に見出されるだろうという考えからだった。隠者に洗礼を施されたれぷろぼすはこうして「きりしとほろ」と名を改め、大河の渡し守となる。

    それから三年の間、きりしとほろは大河のほとりに庵を結び、渡し守として旅人の便宜を図っていた。河を渡ろうとする者がいるとその者を肩車し、柳の幹を引き抜いた杖をつき、向こう岸に渡すのである。

    ある嵐の夜、「河を渡してください」と小屋の戸を叩く者がいた。きりしとほろが外に出ると、一人の幼い少年である。なぜこんな子供が嵐に一人で河を渡ろうとするのか不審に思うが、きりしとほろは少年を肩に乗せ、河に踏み込んだ。

    すさまじい風雨と濁流に加え、奇怪なことに背負った少年の体が次第に重くなり、あまりの重さに一時を死を覚悟するが、きりしとほろは必死で目ざす岸へと急ぎ、ようやく対岸に、喘ぎ喘ぎよろめき上がった。彼が少年を肩から降ろして「さてさて、おぬしの重さは、はかり知れぬぞ」と息をつくと、少年はにこりと微笑み「さもあろう。おぬしは今夜、世界の苦しみを背負った『えす・きりしと』を、背負いぬいたのだ」と、鈴を振るような声で答えた。

    その夜を境に、この河のほとりからは巨人の姿が消えた。
    ただ残ったのは向こう岸に突き立った柳の杖で、その周りには、赤いバラの花が咲き乱れていた。

    心の貧しい者は、幸いなるかな。天国は彼らのものなり。

    参考写真:芥川龍之介

    ・・・・・・・・・・

         (2026年07月9日Wiki・HP参考、編集追記)

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この旅行記へのコメント (6)

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  • kamaさん 2023/03/17 11:44:38
    初めまして
    jijidaruma さん、こんばんは。
    ツアー大好き kama と申します。

    この度は私の拙い埼玉道の駅の口コミに
    投票下さりありがとうございます。

    ドイツにお詳しいんですねー。羨ましい。
    ヨーロッパに行った事が無いので
    いつか行ってみたくなりました。

    ジャンアルプの美術館にいらしたことおありでしょうか?
    訪問することが、私の生涯の夢なんです。

    次回もステキな旅を。
    お体お大切に。

    jijidaruma

    jijidarumaさん からの返信 2023/03/17 17:06:30
    Re: 初めまして=>お立寄りとコメントありがとうございました。
    kamaさん、
    今日は。初めまして=>お立寄りとコメントありがとうございました。

    kamaさんの旅行記を拝見して、道の駅巡りのツアーがある事に
    吃驚しました。
    私も千葉や茨城、埼玉地区の道の駅に時々立ち寄ります。
    車で半日ベースのもので、主に地域の気に入ったお煎餅、団子、季節
    の花などを購入しています。気に入ると月一で通うになります。
    加須の【道の駅 童謡のふる里おおとね】にはたまたま故郷の青梅に
    墓参りに出かけた帰途に寄りました。東京でも八王子の滝川でしたか、
    いつもここの横の道を走り青梅に行くのです。

    ドイツ大好き人間ですが、コロナ禍やウクライナ侵略でドイツの旅は
    ここずっとストップしています。
    ジャンアルプの美術館のあるボンは、勤務地だったデュッセルドルフ
    からも近かったのですが、ボンに3度ほど訪れた記憶があるものの、
    この美術館は知りませんでした。多分、私の駐在中は美術館が無かった
    のでしょう。ドイツ感傷旅行と称した定年後の旅も、今まで訪れて
    いなかった地域を主に周遊したので、知らぬまま過ぎました。
    改めて検索してみましたが、駐在後の2007年に完成した美術館でした。

    最近はセピア色の思い出や伝説・民話、日本の小旅行といったものを
    投稿しております。本編も訪れた土地で知った伝説です。
    ボンに近いケルンの伝説がお目にとまったのでしょうね。

    それではまた。ご興味あれば、又お立ち寄りください。
    jijidaruma
  • 旅するうさぎさん 2014/01/29 23:01:27
    旅の守護聖人・聖クリストファー
    jijidarumaさん、こんにちは。はじめまして。
    聖クリストファーの旅行記を拝見しています。

    この聖人は私もチロルで何度か見ました。
    私の場合は、壁絵(家々を飾るフレスコ画)という形で見ました。
    たぶん、これから先の旅でも見るのだと思います。
    幼児キリストを背負った姿なので、とても分かりやすい聖人ですね。
    旅人の守護聖人でもあるので、なんとなく親しみもあります。
    (ちなみに、私が見たのはこんなクリストフォロスさんです。
     http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=32089613 )

    ところで、jijidarumaさんのプロフィールの写真は、ラムザウですね!
    私もいつかラムザウに行ってみたいです。


    旅するうさぎ

    jijidaruma

    jijidarumaさん からの返信 2014/01/30 00:25:57
    旅の守護聖人・聖クリストファー
    旅するうさぎさん

    はじめまして、お立ち寄りとコメントありがとうございました。

    国が変れば、守護聖人の姿も色々ですね。旅行記・写真集を拝見しました。膨大なので、漸く最後の方で聖クリストファーの壁絵を見つけましたよ。
    村中の写真も美しく撮られて素晴しかったです。
    是非今度はドイツの旅の体験されて、壁絵の写真、木組み建築の家並みなどをたくさん撮ってください。

    プロフィールの写真はラムザウです。南ドイツはスイスやオーストリアのように山々や湖水が多く、魅力的です。
    ラムザウには春の旅でベルヒテスガーデンに泊って、こちらにも参りました。この写真はドイツのカレンダーなどに必ず載っていますからよく知っていましたが、この時が初めてです。

    旅行記は趣味人で掲載していますので、こちらではドイツの伝説・民話を載せています。

    どうぞ宜しくお願い致します。


    jijidaruma
  • frau.himmelさん 2013/12/15 11:53:11
    私も聖クリストファーには興味があります
    jijidarumaさん こんにちは。

    聖クリストファーの伝説、拝見させていただきました。
    実は私もこの聖人には前から興味を持っていました。
    2009年に、コッヘムのライヒスブルク城の天守閣に、子供を背負った大きな像が描かれているのを見て、由来を調べたのでした。
    それ以来、ホントにいろんなところで見ます。
    オーストリアのグムンデンの市教区教会の壁絵もすばらしかったです。

    旅の守護聖人、そうですね。私たちにも関係がありますね。
    でも、ライヒスブルクはモーゼル川、グムンデンはドナウ川(?)。
    ライン川には接していないのに、こんなに大きく祀ってあるのだろうか?と不思議に思いました。

    ヘルゴット教会の絵も大きいですね。
    ボスのクリストファーの絵も興味ありました。

    今回も勉強させていただきました。ありがとうございました。

    himmel

    jijidaruma

    jijidarumaさん からの返信 2013/12/15 19:59:32
    私も聖クリストファーには興味があります
    himmelさん こんにちは。

    いつも伝説・民話をお読み頂きありがとうございます。
    聖クリストファーの絵はほんとに何処にも見られますね。
    ライン、ドナウ、モーゼルなど、”旅の守護聖人”と思うと、難得します。
    偶々、ケルンでありましたが、なんでも疑問に思ったら、調べてみると出てくるものですね。
    気になっても、若い時は流してしまい、それ以上に突っ込んでみる事もしませんでした。今頃、歳と共に暇になった所為か、気になると何とか解消しようと思うようになりました(苦笑)。


    コッヘムのライヒスブルク城の天守閣、オーストリアのグムンデンの市教区教会の壁絵も、以前に見たはずですが、情けない事に忘れています。
    今度また見る機会があれば、じっくり記憶に残したいと思います。

    jijidaruma

    追伸:時々、伝説を掲載していますが、目下は今年中にドイツ・ベネルックスの旅のアルバム貼りを終わらせようと、専念しています。持ち帰った旅の資料をアルバムに写真と共に切り貼りして楽しんでいます。
    そんなわけで、そちらの掲載分に目を通すことができません。
    ご容赦ください。

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