2008/04/17 - 2008/05/01
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jijidarumaさん
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≪ドイツ バイエルン州;バイエルン王国の周遊≫
:アルペン街道・キーム湖・ドナウ、イザール、イン川を巡る:
期間: 2008年4月17日(木)?5月1日(木)15日間の旅
総走行距離1,412km
Chiemseeキームゼー(湖) ・Fraueninseフラウエンインゼル(女島)
;聖母マリア女子修道院・2008.04.23.
≪聖イルメンガルドの聖人承認と現代のDNA鑑定≫
聖イルメンガルド崇拝は1928年、ローマ法王Piusピウス11世により、初めて認められ、1929年7月17日、イルメンガルドは聖人に列せられた。何故、聖人に列せられたのか、興味もあったので帰国後に調べてみた。その結果は面白いものだった。(2008.07.30.)
イルメンガルドは聖母マリア女子修道院の最初の院長でしたが、東フランク王国の王Ludwigルートヴィヒ二世(カール大帝の孫・昨年訪れた世界遺産Lorschロルシュの帝国僧院に墓がある。)の娘としてRegensburgレーゲンスブルクに生まれ、866年7月16日、33歳の若さで死去しました。遺骸は大理石の柩に入れられて、Abtei Frauenwoerth女子修道院聖堂の南西の円柱の下に、葬られた。柩の上の蓋には崇拝(敬意)を表す言葉が書かれていたと云う。
1631年10月17日、ある人がイルメンガルドの”現世の肉体は7月16日に埋葬された。”と書かれた小さな石板を発見した。墓を開けてみると遺骸は現世のままに埋葬されたはずなのに、驚いたことに柩の底には“首のない遺骸”が置かれていただけであった。
(この事は一種の“奇蹟”あるいは首だけが“復活”?!として、イルメンガルド崇拝の再開?あるいは列聖の話に繋がった・・・。)
その日から、600年以上の昔、1004/1010年、イルメンガルド崇拝という事もあってか?Kloster Seeon(ゼーオン僧院)の手により、初めてイルメンガルドの墓が開かれたと云う。(その際、首だけがゼーオンに運ばれたものと思われるが、さてどうだったか!?)その経緯は17世紀に至るまで、ゼーオンやフラウエンインゼルでもイルメンガルド崇拝といったことは公にはならず、何事もなく、忘れられた存在であった。
1922年、列聖の為の手続きの必要から、イルメンガルドの墓を開けることになった。墓を開くのはこれで三回目となる。
それと共に、今までゼーオンの僧院にて保持されてきた、“されこうべの聖遺物”を聖母マリア修道院に戻し、”イルメンガルドのGebeine遺骸”と”Schaedel-Reliquieされこうべの聖遺物”が一致するか? 検証した。しかし、当時の科学ではこのことを明らかにすることはできなかった。
2003年4月27日、”イルメンガルドの遺骸”と、うやうやしくガラスの櫃におさめた“されこうべの聖遺物”を現代の手法・DNA鑑定にかけたところ、その鑑定結果は合致を肯定するものであったそうである・・・。
聖母マリア女子修道院では命日の7月16日を聖女イルメンガルドの記念日として、毎年祭りを催している。
写真は聖母マリア修道院・聖女Irmengardイルメンガルド
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
Schloss Weikertshamシュロス ヴァイケルツハム
D-83512 Wasserburg am Inn 、Schloss Weikertsham11
古城ホテル ?号室(2階全フロアー使用)
Euro 85 : 全1室のみ・?星 (Private Zimmer)
TEL:49(0)8071-51338 FAX:−1407
http://www.schloss-weikertsham.de
【イン川がSchleife(蝶形結びリボン)に弧を描いて流れる半島に中世そのままのWasserburgヴァッサーブルクの町がある。その旧市街の南東、凡そ5kmの所にヴァイケルツハムの古城ホテルが建っている。個人がプライベートの部屋・DZ1室(2階全フロアー使用)を提供している。朝食付きではあるが、夕食を旧市街でとる必要がある。HPで見た感じは面白く、興味深く、旧市街に宿泊するよりもこちらを選んだ。
この城の歴史は16世紀に遡り、当時の貴族領主の居城として、建設された。塔のような4階建ての建物はドイツ中世建築の色濃い、レンガ造りの建物である。17世紀の始め、この小城は大変な費用をかけて、建物の壁面を飾り立てたと云う。その後、18世紀後半になると農家の所有に帰し、壁にはフラスコ画が描かれ、建物内部も昔ながらのものは全て変えられてしまうこととなった。更に年を経るとともに、建物は老朽化し、見る影もないものとなった。
この状況を間じかに見ていて、心を痛めていたMartina Pfeiffer夫人(市内で生活・雑貨の販売をしている)は所有者と60年にわたる賃貸契約を結ぼうとする。最終的には、建物の保護を優先する為、夫人が購入することになる。建築家や記念物保護官との協議の上、現在のルネッサンス風の建物が再建され、今に至っている。】 -
ヴァイケルツハムの古城ホテルの庭にあったカエルの木造
-
Schloss Amerangアメラング城(俯瞰)は“Chiemgauチームガウ地方の宝石”と称される。
旅行7日目・曇り空の下、オーナーのPfeiffer夫人に別れを告げて、ヴァイケルツハム城 を9:20スタートした。
本日の第一の場所は−>L? を南に13km先の Schloss Amerangアメラング城 だ。
この小さな城は16世紀の美しいルネッサンス様式の城です。
騎士の間、礼拝堂なども価値あるもの。まったく角のない、アーケード(回廊)をもった城は4階建で、40もの部屋を持つ、中世後半の古城である。
改装中で城内に入れなかったのは古城好きとしては残念。 -
お城のようなKloster Seeonクロスター ゼーオン僧院
次の目的地はSeeonゼーオンにあるベネディクト派僧院である。−>L?・B30・4L?を16km走るとKlosterseeクロスター湖が見えてくる。湖畔の駐車場の先に、周囲を湖に囲まれ、お城のようなKloster Seeonクロスター ゼーオンがあった。
この僧院の歴史は994年の創建に始まる。1803年の僧院解体令まで、ベネディクト派僧院として文化の中心であった。その後は1986年まで個人の所有になっていたが、1993年Oberbayern行政区によって所有・改修された後、行政区の会議場、文化・教育センターとして利用されている。
特にMozartモーツアルトがこの僧院を訪れた(1767、69、71年と)こと、ここの僧院の為に二つの曲を作曲したことを記念し、毎年、Ostern復活祭の時期に“モーツアルト週間”が催される。様々な演奏家、交響楽団が参集して、演奏するという。今年も3月23日から30日がその1週間でした。
ここには宿泊設備もあるが、原則セミナーの団体客で、個人は受け入れないとのことだ。僧院の礼拝堂を見学し、僧院の裏手に回り、湖を見てみた。小さなリスが散歩していた。
http://www.kloster-seeon.de/ -
≪Chiemseeキーム湖≫
【ミュンヘンから東南90kmの距離にある。面積82平方km、宍道湖とほぼ同じ大きさの湖で、バイエルン最大の湖である。ドイツ的には良く使われる“バイエルンの海”とも称する。キームゼーの北側一帯はリゾート地域となっている。最深73m。湖畔のPrienプリーンはドイツ語学習(2ヶ月間)の思い出の地であり、Fraueninsel女島(770年頃の創立・聖母マリア修道院)、Herreninsel男島(1878年・ルートヴィッヒ二世の宮殿)への定期船の船着場がある。】
ゼーオンから −>L? 6km Seebruckゼーブリュック を経由し、−>L? 8kmで湖の北に位置する小さな村・ Gstadt グシュタッドに11時半、到着した。
Chiemseeキーム湖観光 は本日のメインだ。
グシュタッドからFraueninsel女島に船で渡る。いつもはもう少し西に寄ったPrien側に行くので、この場所は初めてだ。
Herreninsel男島は今までも何度も訪ねたが、“Die Fraueninsel−Kleinod im Chiemsee ・キーム湖の宝石”と呼ばれる、女島は始めて訪れることになる。 -
Fraueninsel女島を船から遠望する。
最初に足を向けたのは島の高台にあるAbtei Frauenwoerth聖母マリア修道院聖堂である。またの名をKloster Frauenchiemseeクロスター・フラウエンキームゼーと称する。
その歴史は772年バイエルン公Tassiloタッシロ三世によって創建された。782年にはザルツブルグ大司教が教会を献納。850年頃の記録に最初の女子修道院院長として聖イルメンガルドIrmengard(Ludwigルートヴィヒ二世の娘・33歳で死去し、聖堂に葬られた。)の名がある。
10世紀の初め、マジャール人(後のハンガリー人)の侵略を受けたため、フランク王国・カロリンガー王朝の支援が途絶えた。10世紀の終わり、ゼーオン僧院(先程まで居た僧院との関係がここで出るとは思いませんでしたが!)が新しく創建されて、ベネディクト派の影響をもろに受ける事となる。その後はバイエルン公の保護のもとに、”王の教会”として、王侯貴族の娘の為の受け入れ先になった。
1803年の僧院解体令により、ここも解体の憂き目にあうが、修道女の居住は引き続いて許され、1838年にバイエルン王ルートヴィヒ一世により、僧院は再建された。現在の建物は11世紀のロマネスク様式のもので、内部は17世紀のゴシック様式が見られる。1961年の調査で、12世紀のフレスコ画の壁画(宗教画)が新たに発見された。アルプスの北、最古の女子修道院として、現在も30名の修道女たちが活動している。
http://frauenwoerth.de -
“Die Fraueninsel−Kleinod im Chiemsee ・キーム湖の宝石”と呼ばれる女島(俯瞰)
聖堂の北西にあって、船上からも島のシンボル(36m高さ)としてよく見えた、玉葱の頭を持ったGlockenturmグロッケンツルム・鐘楼は12世紀に建てられたもので、マジャール人の襲来時には、修道女たちが寺宝をかついで、塔内に避難したと云う。2mもの厚い壁に囲まれた、たいへんがっちりした塔である。また、聖堂そばのTorhalleトルーハーレはバイエルン公タッシロ三世によって建てられた、カロリンガー王朝時代の歴史的な建造物である。1928年になって、ロマネスクの壁画が発見されたと云う。 -
”キーム湖の宝石”と呼ばれる女島の遠望
-
女島の家
美しい風景や良く手入れをされた庭を持ち、フレンドリーな持て成し、燻製にした魚料理で知られるこの島を歩いてみた。周囲1.5kmの島内はゆっくり一周しても30分ほどの時間である。とても魅力的な家々、レストラン・個人の住居・陶芸の工房などを見た。
島は春まだ浅きで、花々は少ない。新緑もまだこれからの感じだが、ある魚料理の店先にリンゴの花が満開でした。花々や木々が活気づく季節に島を訪れるときっと素晴らしいことでしょう。
修道院並びの高台(湖面から8.8mの高さ)には島一番のホテルがある。ホテルの庭には5月柱が立ち、ホテル名に相応しい菩提樹の大木が数本あった。ホテルの雰囲気をとても気にいって、昼食はここに決めた。
<昼食:”Inselhotel Zur Linde・島内ホテル・菩提樹”で。>
この旅、二度目のシュパーゲル(白アスパラ)料理を注文。
メインレストランにはタイル張りの暖炉が備えられていたが、暖炉のある部屋は落ち着く。座った席の窓辺に白地に緑色の入った珍しいアジサイが置かれていたが、夏のシーズンに菩提樹の木陰で、食事をするのもまた、楽しそうだ。 (13〜13:45 Euro 37.2)
http://www.inselhotel-zurlinde.de
14時、Nordsteg北桟橋から船でグシュタッド に5分で戻る。−>L?21km 14:20には懐かしのPrienプリーンに着きました。
このキーム湖畔の町にはドイツ語学学校・Goethe-Institutゲーテ・インスティトゥートがあり、1974年2月から2ヶ月間、授業を受けた町だ。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- blumentalさん 2019/05/06 19:48:15
- フラウエン島の修道院ってとても古かったんですね。
- jijidarumaさん、お邪魔します。
フラウエン島の修道院って、アルプスの北で最古の女子修道院だったんですね。日本でいえば奈良時代の創建、そこまでのものとは知りませんでした。そしてフラウエン島自身、ひとつの小さな村が湖に浮かんでいるような感じの所で魅力的ですね。もう一度こちら方面に旅行する折は、ぜひこの島に立ち寄りたいものです。
ゼーオンやフラウエンインゼルのイルメンガルド崇拝のお話を含む、非常に興味深い旅行記をご紹介くださりありがとうございました。
blumental
- jijidarumaさん からの返信 2019/05/07 01:16:56
- Re: フラウエン島の修道院ってとても古かったんですね。
- blumentalさん、
お立ち寄りの上、ご投票とコメントも頂き恐縮です。
4Traも最初は伝説好きでもあり、そうした話から掲載を始めたものです。「イルメンガルド崇拝」は私にとっては初期の頃のものです。それから「2014年ドイツの春・北方二州を巡る旅に出る」といった旅行記を掲載してきました。
キーム湖はミュンヘン、ザルツブルクの中間にあり、どちらにも電車で1時間ですし、キーム湖から凡そ80km山間に入った町、BerchtesgadenベルヒテスガーデンにはKoenigsseeケーニヒス湖(王の湖)やSalzbergwerk岩塩坑といった人気の場所があります。又キーム湖地域をお訪ねの際はそれらを目的地に入れると楽しいことでしょう。
さて、私より20年ほど後にバイエルンのMurnau am Staffelseeムルナウ(シュタッフェル湖)のGoethe-Institutにてドイツ語学習をされた由、私の会社の先輩もムルナウで学んだと聞き、たいへん楽しい地だったとよく聞かされたことを思い出しました。Oberbayernのこの辺りは湖水地方でもあり、Starnbergersee シュタルンベルグ湖一帯は好きな所で、皇妃エリザベートゆかりのホテルが好ましく、2度宿泊したことがあります。
Goethe-Institutで学ぶ人が少なくなった所為か、財政面を考えたのか、今はこうした観光地に語学校が無くなり、(出来が悪く、不真面目な学生だった私が言うのも可笑しいのですが)ちょっと残念です。
それではまた、立ち寄らせていただきます。
jijidaruma
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