2012/05/23 - 2012/05/23
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jijidarumaさん
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『Die Sage:Katzensteiner Schatz猫の塔の宝物伝説』
(伝説が真実になるとき!・・・偶然にカッツェンシュタイン城の宝物が発見された)
・・・・・
Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅
期間 :2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間
5月23日(水); 晴、26℃、99km
騎士たちの古城群の中でも“真珠”と謳われているBurg Katzensteinカッツェンシュタイン城はロマンチック街道のネルトリンゲンから南西27kmにある。
海抜538mの高台にある城、Hohenstaufenホーエンシュタウフェン朝の城郭内には1000年頃に建てられたロマネスク様式のBergfried天守閣、17世紀のPalasパレスが残る。
天守閣は高さ18m・厚さ3mのものだが、“Katzenturm猫の塔”の異名がある。この猫の塔にはかつての緊急時の避難塔としての役割を持っていた、高さ約8mの所に出入口がみてとれる。
写真はカッツェンシュタイン城:俯瞰
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
イチオシ
言い伝えによるとKloster Neresheimネレスハイム僧院の建設者であったHerzog Tassilo III von Bayernバイエルン家のタシロ3世(カール大帝の従兄弟)が777年に建てたと云われている。
史実は1099年、Herren von Cazzenstein(Katzenstein) カッツェンシュタインの騎士が、初めてこの地に築城した。1648年の30年戦争の終わり頃、仏軍とスウェーデン軍の攻撃で、再建の道が閉ざされてしまうほど、破壊されたと云う。
その後、1669年、Graf Friedrich Wilhelm Ernst zu Oettingen-Baldernエッティンゲン・バルデルン家のエルンスト伯により、再建された。
以降、1939年までの270年の長い間、エッティンゲン・バルデルン家、エッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵家の分家が居城とした。
写真はカッツェンシュタイン城:財宝の守護・幽霊バルドリアン -
2008年、Michael ミヒャエル& Roswitha Walterロスヴィータ・ヴァルター夫妻が所有し、古城ホテルや博物館をオープンした。
古城には宝物伝説がつきもだが、この古城にもあった。
【Die Sage vom Katzensteiner Schatz猫の塔の宝物伝説】
カッツェンシュタイン城の伝説によれば、猫の塔(天守閣)内に宝物・・・金や宝石がいっぱいに詰まった12の長持ちが埋蔵されたと云う。
その宝物はBurggeist城の幽霊Baldrianバルドリアンが今も守っているそうだ。
*幽霊Baldrianバルドリアンについてだが、Baldrバルドルは北欧神話の“光の神”で、強い、勇猛の意味があると云う事だが、それと幽霊の名前とどう関わるのか不明だが、エッティンゲン・バルデルン家がカッツェンシュタイン城を長く居城としていた事から、おそらく守護神に相応しい名として、その名を採ったのだろう。
写真はカッツェンシュタイン城:幽霊バルドリアンの名前は光の神Baldrバルドル(1902年)らしい。 -
オーナーのMichael Walterミヒャエル・ヴァルター氏に頂いたカッツェンシュタイン城の説明小冊子には、この伝説が短く、こう書いてある。;
1737年の5月、一人の修道僧が2人の公証人を同伴し、埋蔵された宝物を掘り起こそうと、カッツェンシュタイン城にやって来たと云う。
所が、公証人たちは何者かが大声で呼び掛けたので、怖がって帰ってしまった。
一人残された修道僧はそれでも宝物探しを断念しがたく、更に丸天井の地下蔵や牢獄の場所を探した。
それで、この様子を見ていた城の幽霊バルドリアンは、直ちに修道僧を招かれざる客として、ひどく痛めつけたのだそうだ。
修道僧は宝物を発見できないまま、ほうほうの体で逃げ帰ったと云う。
この宝物伝説はヨーロッパではよく知られた話だと、J.G.Mollモール氏が書き残している。
(2012年8月27日;訳・編集)
XXX
写真はカッツェンシュタイン城:1830年のリトグラフィー -
さて、実は本日(2021年6月26日)、以下のyoutubeのニュースを見つけた。
隠されていた財宝が現実に発見されたとは!
大変な驚きで関連の新聞ニュースも調べてみた。
以下はそれらを意訳したものだが、参考に転載した。
【Schatzfund auf Burg Katzensteinカッツェンシュタイン城で宝物発見】
(2015/02/27:Suedwestrundfunk=SWR南西ドイツ放送Landesschau Baden-Wuerttembergバーデン・ヴュルテンベルク州からお送りする番組)
https://www.youtube.com/watch?v=jvwZq_eKLSM
あなた自身、4つの壁を改装していたら、突然宝物に出くわす?
・・・なんて考えますか!
その思ってもみなかったことが、中世のカッツェンシュタイン城の所有者であるWalterヴァルター夫妻に起こりました。
・・・・・
写真はカッツェンシュタイン城:俯瞰(右上にたつ高さ18m・厚さ3mのBergfried天守閣は“Katzenturm猫の塔”の異名がある。中央に四角いテラス、左右に博物館、レストラン棟、手前の城壁に宿泊棟・レストラン棟・事務所を配置している) -
以下は様々に新聞等で報道されたものである。:
【Schatz宝物】 HP・ Stauferburg Katzenstein
https://www.burgkatzenstein.de/de/node/2#
2015年2月11日、カッツェンシュタイン城の城内で、清掃作業中に「Schatz宝物」を発見しました!
壁に囲まれた二重窓枠の中に、ブリキ製の缶に入った約250個の宝石などが隠されていたのです。この予期せぬ、突然の発見は2015年3月1日からカッツェンシュタイン城で展示され、見る事が出来る。
・・・・・
写真はカッツェンシュタイン城:中世祭り・騎士の乗馬試合 -
【カッツェンシュタイン城の宝物の発見・・・伝説は真実だった】
Schatzfund auf Burg Katzenstein:Sage mit wahrem Kern
23. Februar 2015 Heidenheimer Zeitung
(2015年2月23日発行:ハイデンハイム新聞・・・Heidenheim an der Brenzハイデンハイム・アンデア・ブレンツの人口5万人の町にある地域新聞 )
Ueberraschung auf Burg Katzenstein am Rand der Schwaebischen Alb:
シュヴェービッシュ・アルプ東端のカッツェンシュタイン城で驚くべきことが:
城の壁に作られた窓枠を掃除している時に、二重窓の内部の平面石が緩んでしまい、その下に空洞ができた。空洞の中を見ると、5つのブリキ製の缶が隠されていた。驚いたことに5つの缶には合計250個の宝石などが入っていた。
それらは(金・銀の)鎖、ブローチ、指輪、コイン、時計などがあったのです。
写真はカッツェンシュタイン城:城主夫人ロスヴィータ・ヴァルター夫人が子供たちに財宝発見の御話しをする。 -
この発見は最大に見積もって、15,000ユーロ(@132=198万円)の価値がある可能性が高い。
どの時代から、そして誰によって隠されていたのか、まだはっきりしていません。カッツェンシュタイン城には何世代にもわたって、城に隠された宝物伝説がありました。
城主Michael Walterミヒャエル・ヴァルター氏と彼の妻ロスヴィータ夫人は、宝物が「たいへん美しい品」であるとハイデンハイム新聞に強調していた。
カッツェンシュタイン城は中世の市(中世祭り)、美食、ホテル、地域の博物館で知られており、1939年から一般公開されている。
現在、歴史的記念物の権威者が、宝物が隠されていた城の持ち主で、発見者とも言えるヴァルター氏が宝物を所有する事が可能かを調査中である。
写真はカッツェンシュタイン城:城主Michael Walterミヒャエル・ヴァルター氏は財宝発見者となった。 -
【カッツェンシュタイン城の宝物の発見・・・伝説が真実になるとき! 】
Wenn eine Legende zur Wahrheit wird!
Bild Zeitungビルト 新聞 :21.02.2015 - 00:02 Uhr(2015年2月21日2時)
Von ROBIN MUEHLEBACHロビン・ミューレバッハ氏よりの記事
(1952年にAxel Springerアクセル・シュプリンガーが創刊したドイツのタブロイドの日刊新聞。発行部数は約311万部(2010年2月)。
ヨーロッパで1番売れている新聞で、世界でも6番目:Wiki)
写真はカッツェンシュタイン城:財宝発見の場所は二重窓 -
ミヒャエル・ヴァルター氏(62歳)と彼の妻ロスヴィータ夫人は、彼らの古城カッツェンシュタイン城の金の宝物で、宝石の100余の貴重な作品を見つける
シュトゥットガルト・ディシンゲン「伝説が真実になるとき!」
ディシンゲン(東アルプ地方)の人々は何世紀にもわたってカッツェンシュタイン城に宝物があると思っていた。つまり豊かな騎士と裕福な伯爵がここに住んでいたからだ。
写真はカッツェンシュタイン城:財宝が入っていたブリキ製の缶 -
イチオシ
今や城の主は金の山を発見してしまった。
それでバーデン・ヴュルテンベルク州の州都シュトゥットガルトの州首脳はカッツェンシュタイン城の宝物について調べたいと考えている。
ミヒャエル・ヴァルター氏(62歳)と彼の妻ロスヴィータ夫人(59歳)は宝物類を手にしている。100余の指輪、ブレスレット、首飾り、ブローチ、イヤリング。その推定価値は10,000から15,000ユーロと試算されているそうだ。
写真はカッツェンシュタイン城:二重窓の内部の平面石が緩んで、その下に空洞があった。 -
城主が言うには:「私は窓の棚をきれいにしたかった。石片が動いた。私はそれを引き出すと、穴の中に5つの古いブリキ製の缶を発見しました。」心臓がドキドキした。
城主夫人は笑う:「私は夫が興奮して飛び込んで来て、叫んだとき、私はオフィスに座っていました。「財宝だ!こっちに来い。これが何なのか?お前に見せなくては。」慎重に、二人は缶を開け、大きく目をみはりました。
写真はカッツェンシュタイン城:空洞内からブリキ製の缶が発見された。 -
これらの財宝はどこから来たのか?
城主のヴァルター氏:「私はこれらの財宝の元所有者は以前の城主カボガ・ロカテリ伯爵と思う。伯爵が第二次世界大戦中にここに財宝を隠したのではないかと思います。
1945年、ナチス親衛隊 (SS)がカッツェンシュタイン城に侵入し、伯爵とその家族を投獄したことがあった。
写真はカッツェンシュタイン城:発見された財宝 -
カッツェンシュタイン城は916年前の1099年にCazzensteinカゼンシュタインの領主により築城された。
1354年にエッティンゲン伯の所有になり、1648年、三十年戦争の終わりに、城はフランス軍により焼き払われた。エッティンゲン・バルデルン伯のヴィルヘルムは、1669年から城を改装し、彼の居城とした。
写真はカッツェンシュタイン城:発見された財宝 -
1939年以来、カッツェンシュタイン城は個人所有になっていたが、6年前に現在の所有者に90万ユーロで購入された。
ヴァルター夫妻はカッツェンシュタイン城で、ホテルとレストラン、それに博物館を経営している。
写真はカッツェンシュタイン城:発見された財宝 -
財宝は直ぐに没収されるのか?
写真はカッツェンシュタイン城:発見された財宝をきれいにみがく。 -
当局のスポークスマンであるロベルト・ハム氏(42歳)の話によると:「古い財宝は歴史的記念物の保護当局に報告されている。私たちはこの発見が一般的な関心事ですむのか、または歴史的な保存価値があるかどうかをチェックする。」
写真はカッツェンシュタイン城:発見された財宝 -
城主ヴァルター氏はその対応の為に弁護士を雇った。
写真はカッツェンシュタイン城:発見された財宝 -
*以上は南西ドイツ放送:バーデン・ヴュルテンベルク州からお送りする番組の画面をカメラで撮った。
・・・・・・・・・・・・・・・・
写真はカッツェンシュタイン城:発見された財宝 -
追記すれば、以下に似た話(抜粋)がある。
≪古城伝説:Die Sage von der treuen Frau von Kriebsteinクリープシュタイン城の貞淑なる妻≫
https://4travel.jp/travelogue/10868161
かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅
期間:2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間
5月20日(金)
写真はBurg Kriebsteinクリープシュタイン城:Zschopau チョッパウ(チェコ語、Freiberger Muldeフライベルガー・ムルデ川の支流)上流3kmの険しい崖の上に立っている難攻不落と思われるクリープシュタイン城。
ここにも財宝伝説があり、そしてカッツェンシュタイン城と同様に発見された。 -
写真はBurg Kriebsteinクリープシュタイン城:
古城伝説:Die Sage von der treuen Frau von Kriebsteinクリープシュタイン城の貞淑なる妻の絵 -
【Schatz von Kriebsteinクリープシュタイン城の財宝】(Wiki)
1986年、Burg Kriebsteinクリープシュタイン城でクリープシュタインの宝物が発見された。
ハインリヒ・フォン・レーンドルフ伯はソ連軍から彼の財宝を守るため、第二次世界大戦の終わりに東プロイセンの居城シュタイノールト城からクリープシュタイン城にレーンドルフ伯の貴重な財産の一部を移動させた。
写真はBurg Kriebsteinクリープシュタイン城:出入り口 -
イチオシ
クリープシュタイン城の改修中に居住塔の煙突の中から、隠されていた宝石類が発見された事(25年前)を城の歴史を読んで知っていたので、博物館の係員に聞いてみた。
彼は博物館の出入り口に鍵をかけてから、私共を別室のGrosser Festsaal大祝典の間に案内し、部屋の鍵を開けて、室内にあるゴブランのかかった壁を指して、あそこにあった!と言った。
写真はBurg Kriebsteinクリープシュタイン城:財宝発見の場所 -
さて、クリーブシュタイン城の宝物は1986年10月、城の管理者ベルント・ヴィッパート氏により居住塔の既に使用していなかった暖炉の中に、宝物555個が隠されていたのが発見され、現在は宝物庫に展示されている。
城には博物館(1945年開館)があり、1993年以来、ザクセン自由州が所有している。
写真はクリープシュタイン城:円天井のフレスコ画 -
(発見された財宝については下記のような背景があった)
第二次世界大戦の終わりに、ソ連軍にレーンドルフ家の貴重な財産を奪われないように、ハインリヒ・フォン・レーンドルフ伯は東プロイセンの居城シュタイノールト城から彼の貴重な財産の一部を輸送し、ザクセンのクリープシュタイン城に保管した。その一部は暖炉の中で壁に囲まれていた。
写真はBurg Kriebsteinクリープシュタイン城:円天井の財宝展示室 -
レーンドルフ伯爵は1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件に関与した為、1944年9月4日に処刑された。
そしてナチス政府は反逆者レーンドルフ家の財産を収用してしまった。
戦後、移動可能な財産のほとんどは賠償金としてソ連に持っていかれた。
写真はクリープシュタイン城の発見された財宝 -
ただ、暖炉の中に隠されていた銀、磁器、金、大きなタペストリーなどはそのまま発見されることなく、そのまま40年以上の時が過ぎた。
1995年から、発見された財宝はクリープシュタイン城の博物館で、円天井の間に展示されている。
写真はクリープシュタイン城の発見された財宝 -
それはまた、「ヒトラーに対する抵抗運動の英雄」であったハインリヒ・フォン・レーンドルフ伯の最初で唯一の記念碑となった。
写真はクリープシュタイン城の発見された財宝 -
・・・・・・・・
前述の背景もあり、1992年、レーンドルフ伯の未亡人ゴットリーブ・レーンドルフ・シュタイノールト伯妃は、役所に対し財産に関する照会をするべく、クリープシュタイン城の宝物やその他の旧家族所有の財産の返還申請を行った。
2010年2月、未亡人ゴットリーブ・レーンドルフ・シュタイノールト伯妃は563品目を授与された。
この内556品目はクリープシュタイン城の財宝であったものでした。
さらにその内133品目はクリープシュタイン城の博物館に残された。
写真はクリープシュタイン城の発見された財宝 -
財宝の残る423品目だけでなく、ドレスデン美術館からも古い絵画やヨハン・ハインリヒ・ゼドラー制作(1731~1754年全68巻)ドイツの百科事典(大きく完全なユニバーサル・レキシコン・アレル・ヴィッセンシャーフテン・ウント・キュンステ)27巻が、かつてのレーンドルフ伯家の居城シュタイノールト城で展示される予定だ。
写真はクリープシュタイン城の発見された財宝 -
2009年11月、「ポーランド・ドイツ文化保存記念碑保護財団」がシュタイノールト城を買い取った。城は大規模な改修措置の後、それは集会所として使用されると云う。
・・・・・
写真はクリープシュタイン城の発見された財宝 -
≪1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件関係者リストにその名前があるHeinrich Graf von Lehndorff-Steinortハインリヒ・フォン・レーンドルフ・シュタイノールト伯爵とは?≫
ハインリヒ・マンフレッド・アハスヴェルス・アドルフ・ゲオルクはレーンドルフ・シュタイノールト伯爵でした(1909年6月22日ハノーファー生まれ、1944年9月4日)ベルリン・プレッツェンゼー刑務所で刑死)
彼はAttentat vom 20. Juli 1944、1944年7月20日のドイツ総統アドルフ・ヒトラー暗殺未遂とナチ党政権に対するクーデター未遂事件に関与したドイツ人将校の一人である。
ハインリヒ・フォン・レーンドルフ伯は1944年9月3日に人民裁判所で死刑判決を受け、翌4日に絞首刑に処せられた。
写真はベルリン・Gedenkstaette Ploetzensee プレッツェンゼー顕彰記念碑 -
彼はナチス政権(国家社会主義)による他の犠牲者(追記:例えば、ヒトラー暗殺未遂事件に関与し、処刑された一人の
弁護士Adam von Trott zu Solzアダム・フォン・トロット・ツー・ゾルツ(ハン・ミュンデンの章で書いた)、
法律家Helmuth James Graf von Moltkeヘルムート・イェームス・フォン・モルトケ伯爵、
ドイツ陸軍国内予備軍参謀長参謀大佐・暗殺実行者Claus Schenk Graf von Stauffenbergクラウス・シェンク・フォン・シュタウフェンベルク伯爵の兄であった法律家Berthold Schenk Graf von Stauffenbergベルトルト・シェンク・フォン・シュタウフェンベルク伯爵)と共に、
かつてのベルリン・プレッツェンゼー刑務所の場所に立つプレッツェンゼー記念館に、「ヒトラーに対する抵抗運動の英雄」の名を顕彰されている。
写真はハインリヒ・フォン・レーンドルフ伯:Gedenkstein im Park von Schloss Steinortシュタイノールト城の庭園に立っている顕彰碑 -
(注)
①ハインリヒ伯はプロイセン騎兵大将であったHeinrich Graf von Lehndorffハインリッヒ・フォン・レーンドルフ伯の孫でした。
②Die Liste der Personen des 20. Juli 1944、 1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件関係者リストにその名前がある。
③Schloss Steinortシュタイノールト城は16世紀の初めから1945年まで、東プロイセン(現在はポーランド領)の貴族レーンドルフ家の居城でした。
・・・・・
写真は東プロイセン・レーンドルフ伯の居城Schloss Steinortシュタイノールト城:レーンドルフ伯の貴重な財産の一部はクリープシュタイン城に移動させた。 -
≪Der Schatz von Burg Gnandsteinグナンドシュタイン城の財宝伝説≫
https://4travel.jp/travelogue/10869256
かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅
期間:2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間
5月19日(木)~21日(土)
前述の【古城伝説:クリープシュタイン城の貞淑なる妻】では、蛇足として1986年、居住塔の煙突の中に宝石類が隠されていたのが発見され、現在は宝物庫に展示されていると書いております。
中世からの古城にはこうした隠された宝物の話が良く残されていますが、次の伝説は私共が2泊したザクセンの古城ホテルBurg Gnandsteinグナンドシュタイン城で知ったお話です。
写真はBurg Gnandsteinグナンドシュタイン城 -
グナンドシュタイン城の城主がイタリアの旅で偶然入手した古文書には、「グナンドシュタイン城の何処かに、大きな鉄の金具付きの長持ちがあり、その中に宝物が隠されている」と、読む事が出来た。
写真はグナンドシュタイン城:俯瞰 -
イチオシ
古文書にはさらに、「もし工事中に偶然に小さな鉄の箱を発見したら、そこに入っている9つの矢印(多分、財宝の在り処を示す)と、施錠を解く大きな鍵を取り出し、直ちに財宝の入っている長持ちを見つけることだ」と書かれていた。
「全ての矢印の部分を正確に同じ位置に置き、鍵のかかり(先端)が示す正しい方向に置けば、壁の中にある大きな長持ちを見つける事が出来る」とあった。
(尚、城主たちはいろいろとやってみた。詳細は長いのでここでは略した。ご興味あれば4traをご参照ください)
大きな鉄の金具付きの長持ちは結局、今もなおグナンドシュタイン城の何処かに、その昔に隠されたままの場所にあり、財宝は発見されていないと云う。
写真は古城ホテル グナンドシュタイン城:ザクセン州で中世の騎士の城として、最も保存状態が良い城である。 -
写真はグナンドシュタイン城:天守閣から中庭を見下す。
博物館と付随した天守閣155段・33mの塔に登り、上から中庭を見下ろすと人も小さく見える。まだ明るい古城の周辺の眺望に満足し、疲れもすっ飛びました。
私共はこの日、最後の入館者だったが、守衛さんは親切に説明を付け加えて、私共が塔から下りてくるまで、ゆっくりと待ってくれた。 -
写真はグナンドシュタイン城:博物館の展示・・・マイセンなどの陶磁器などは勿論隠された財宝の一部ではない。
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写真はグナンドシュタイン城:博物館の展示・・マイセンなどの陶磁器などは勿論隠された財宝の一部ではない。
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古城好きの私はドイツ各地を巡りながら時々、こうした伝説話に出会う。
それをあーだ、こうーだと調べて、興味あれば原文を訳して、納得する作業をするのだが、これほど楽しい事はない。
財宝探しも時代を経て、発見されることも、発見の機会を得られず関係者も諦めてしまうことも、ドイツの旅でこんな事を知るのが実に楽しいのだ。
(2021年6月29日訳・加筆)
写真はグナンドシュタイン城:レストランで頂いた夕食のメニューも洒落ている。
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