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“北バイエルン;フランケン地方とオーバープファルツ地方を巡る旅(旅行記)  <br />:フランケンワイン、ボックスボイテル街道、古城街道;フランケン・シュヴァイツの<br />古城群、陶磁器・ガラス街道、マイン、ペグニッツ、ナーブ、レグニッツ川を巡る: <br /><br />2009年4月17日(金)〜5月1日(金)15日間の旅:4月22日(水)<br /><br />KulmbachクルムバッハはOberfrankenオーバーフランケン地方の中心にある人口27千人の小都市である。バイロイトの北西凡そ25km、白マイン川沿いに位置し、その町を見下ろす高台にプラッセンブルグ城があって、世界最大の錫人形コレクションを誇る錫人形博物館が名高い。また世界で最強のビール醸造と炭火焼ソーセージ(子牛肉を多めに混ぜた良質の豚挽肉からできているもの)で知られている。<br /><br />その城にまつわる伝説を聞いた。<br /><br />写真はプラッセンブルグ城の俯瞰

伝説:恋は盲目・徘徊する白い女Die weisse Frau・ クルムバッハ・プラッセンブルク城

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2009/04/17 - 2009/05/01

4位(同エリア12件中)

旅行記グループ ドイツの伝説・民話

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jijidaruma

jijidarumaさん

“北バイエルン;フランケン地方とオーバープファルツ地方を巡る旅(旅行記)  
:フランケンワイン、ボックスボイテル街道、古城街道;フランケン・シュヴァイツの
古城群、陶磁器・ガラス街道、マイン、ペグニッツ、ナーブ、レグニッツ川を巡る:

2009年4月17日(金)〜5月1日(金)15日間の旅:4月22日(水)

KulmbachクルムバッハはOberfrankenオーバーフランケン地方の中心にある人口27千人の小都市である。バイロイトの北西凡そ25km、白マイン川沿いに位置し、その町を見下ろす高台にプラッセンブルグ城があって、世界最大の錫人形コレクションを誇る錫人形博物館が名高い。また世界で最強のビール醸造と炭火焼ソーセージ(子牛肉を多めに混ぜた良質の豚挽肉からできているもの)で知られている。

その城にまつわる伝説を聞いた。

写真はプラッセンブルグ城の俯瞰

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
レンタカー
航空会社
ルフトハンザドイツ航空 ANA
旅行の手配内容
個別手配
  • 「Die weisse Frau白い女」伝説<br /><br />オーラミュンデ家最後のプラッセンブルグ城主・オットー6世が1340年に亡くなると、後には若い妻クニグンデと、幼い二人の子供が残された。寡婦となった王妃クニグンデは、夫の死後もプラッセンブルグ城に住み、クルムバッハの町を見下ろしながら、再婚をしようと考えた。美形であったニュルンベルク城主アルブレヒト伯に恋をし、再婚を申し込んだところ、アルブレヒト伯はこれに対して、「2対の目が結婚を妨げている」と応えた。「その障害がなくなれば、結婚も可能だ」とも・・・。<br /><br />王妃クニグンデは「2対の目」とは前夫との間に生まれた3歳の息子と2歳の娘のことに違いないと思いこみ、直ちに子供2人を殺害してしまう事にした。そして、彼女の子供達の頭に針を突き刺して、殺してしまった。<br />王妃クニグンデはニュルンベルクへ行き、「2人の子供は病気で亡くなった。妨げる者はもういない。」・・・とアルブレヒト伯に告げた。しかしアルブレヒト伯は「妨げているのは自分の両親で、親の反対を押し切ってまで結婚するつもりはない。」と王妃クニグンデの申し出を断った。<br /><br />この思ってもみない話に王妃クニグンデは絶望し、良心の呵責に苛まれて、ローマへの巡礼に旅立ち、発心して、そこに修道院を建設し、自らその女子修道院に入ったものの、間もなくして亡くなったという。<br /><br />写真は大きな駐車場から色を見上げて:城には徒歩でも行けるが急勾配のため、乗合小型バスを利用した。

    「Die weisse Frau白い女」伝説

    オーラミュンデ家最後のプラッセンブルグ城主・オットー6世が1340年に亡くなると、後には若い妻クニグンデと、幼い二人の子供が残された。寡婦となった王妃クニグンデは、夫の死後もプラッセンブルグ城に住み、クルムバッハの町を見下ろしながら、再婚をしようと考えた。美形であったニュルンベルク城主アルブレヒト伯に恋をし、再婚を申し込んだところ、アルブレヒト伯はこれに対して、「2対の目が結婚を妨げている」と応えた。「その障害がなくなれば、結婚も可能だ」とも・・・。

    王妃クニグンデは「2対の目」とは前夫との間に生まれた3歳の息子と2歳の娘のことに違いないと思いこみ、直ちに子供2人を殺害してしまう事にした。そして、彼女の子供達の頭に針を突き刺して、殺してしまった。
    王妃クニグンデはニュルンベルクへ行き、「2人の子供は病気で亡くなった。妨げる者はもういない。」・・・とアルブレヒト伯に告げた。しかしアルブレヒト伯は「妨げているのは自分の両親で、親の反対を押し切ってまで結婚するつもりはない。」と王妃クニグンデの申し出を断った。

    この思ってもみない話に王妃クニグンデは絶望し、良心の呵責に苛まれて、ローマへの巡礼に旅立ち、発心して、そこに修道院を建設し、自らその女子修道院に入ったものの、間もなくして亡くなったという。

    写真は大きな駐車場から色を見上げて:城には徒歩でも行けるが急勾配のため、乗合小型バスを利用した。

  • 王妃クニグンデの死後、悔恨のあまり、その魂は自ら子供を殺めたプラッセンブルク城に舞い戻り、城の中を歩き回ったと云われています。しかも、ホーエンツォレルン家・アルブレヒト伯の子孫の前に、“白い女・白い服の女”として、王妃の亡霊が出現すると云う。<br />それは亡霊を見る人にとって、最後の時間が近いという事を、或いは、不幸の訪れを予示すように現われてくると云います。<br />この「白い女」の亡霊譚はその後もプラッセンブルク城の伝説として語り継がれました。<br /><br />写真はSchlossgeistお城の幽霊の戯画

    王妃クニグンデの死後、悔恨のあまり、その魂は自ら子供を殺めたプラッセンブルク城に舞い戻り、城の中を歩き回ったと云われています。しかも、ホーエンツォレルン家・アルブレヒト伯の子孫の前に、“白い女・白い服の女”として、王妃の亡霊が出現すると云う。
    それは亡霊を見る人にとって、最後の時間が近いという事を、或いは、不幸の訪れを予示すように現われてくると云います。
    この「白い女」の亡霊譚はその後もプラッセンブルク城の伝説として語り継がれました。

    写真はSchlossgeistお城の幽霊の戯画

  • *この話には後日譚がある。ある夜、ブランデンブルク辺境伯時代のある城主が、城内で白い女に遭遇し、亡霊に斬りつけた。<br />翌朝、城主がその場に行ってみると、現場の中庭に家来が一人、斬られて死んでいた。<br />この家来は城主の傲慢さをいさめようと、白い女に扮して驚かせ、城主が怯えたところで、語り諭そうと考えたのだと云う。<br />この他にプラッセンブルク城の記録には白い女が複数回現れたと記録されているそうだ。<br /><br /><br />写真は炭火焼ソーセージの店:実に美味い味だった。

    *この話には後日譚がある。ある夜、ブランデンブルク辺境伯時代のある城主が、城内で白い女に遭遇し、亡霊に斬りつけた。
    翌朝、城主がその場に行ってみると、現場の中庭に家来が一人、斬られて死んでいた。
    この家来は城主の傲慢さをいさめようと、白い女に扮して驚かせ、城主が怯えたところで、語り諭そうと考えたのだと云う。
    この他にプラッセンブルク城の記録には白い女が複数回現れたと記録されているそうだ。


    写真は炭火焼ソーセージの店:実に美味い味だった。

  • プラッセンブルク城の中庭

    プラッセンブルク城の中庭

  • 錫人形博物館の一場面<br /><br />クルムバッハは第二次辺境伯戦争では戦火を受け、破壊されてしまったが、1553年11月26日をDer Conraditagコンラードの日と称している。(即ち、Bundesstaedische Krieg= 第二次辺境伯戦争) その時の戦いを、19,500体の錫人形で表現している。左手に山上の要塞が見え、城下の町は城壁に囲まれ、守備軍の旗が並ぶ。手前から右手にかけては、攻城軍が(ニュルンベルグ、バンベルグ、ヴュルツブルクの同盟軍など)軍旗をはためかせて、今にも戦闘が開始されようとする緊張感が伝わる。各軍団の色彩も鮮やかで美しい。この長い戦いの1日は“クルムバッハの暗黒の日”として、語り継がれていると云う。

    錫人形博物館の一場面

    クルムバッハは第二次辺境伯戦争では戦火を受け、破壊されてしまったが、1553年11月26日をDer Conraditagコンラードの日と称している。(即ち、Bundesstaedische Krieg= 第二次辺境伯戦争) その時の戦いを、19,500体の錫人形で表現している。左手に山上の要塞が見え、城下の町は城壁に囲まれ、守備軍の旗が並ぶ。手前から右手にかけては、攻城軍が(ニュルンベルグ、バンベルグ、ヴュルツブルクの同盟軍など)軍旗をはためかせて、今にも戦闘が開始されようとする緊張感が伝わる。各軍団の色彩も鮮やかで美しい。この長い戦いの1日は“クルムバッハの暗黒の日”として、語り継がれていると云う。

  • 錫人形博物館の一場面

    錫人形博物館の一場面

  • 錫人形博物館の一場面<br /><br />オーストリア継承戦争(1740〜48年;つまり第一次・第二次シュレージェン戦争)に於ける、Schlacht bei Kesselsdorfケッセルスドルフの戦いは1745年12月14~15日に行われた会戦である。プロイセン軍とオーストリア軍とザクセン軍の連合軍が、エルベ川に注ぐ、小さな谷川に沿って戦ったもので、プロイセン軍が勝利した。冬季の小川とそのまわりの湿地は凍りついた状況で、凄まじい戦闘が行われたと云う。厳冬の戦いを錫人形で表現している様子も見応えあるもので、様々な人形が戦いの事細かなシーンを見せていた。<br />兵員の動員は3万X 3.1万と互角であったが、戦いの後は死傷者5千X 5千 + 捕虜となったものは1万人を数えたと云う。ザクセン軍は兵士の半数を失い、戦闘能力を喪失した為、首都Dresdenをプロイセンのフリードリヒ大王に明け渡した。シュレージェン割譲を承認するドレスデン条約が結ばれ、第二次シュレージェン戦争は終結となった。<br />

    錫人形博物館の一場面

    オーストリア継承戦争(1740〜48年;つまり第一次・第二次シュレージェン戦争)に於ける、Schlacht bei Kesselsdorfケッセルスドルフの戦いは1745年12月14~15日に行われた会戦である。プロイセン軍とオーストリア軍とザクセン軍の連合軍が、エルベ川に注ぐ、小さな谷川に沿って戦ったもので、プロイセン軍が勝利した。冬季の小川とそのまわりの湿地は凍りついた状況で、凄まじい戦闘が行われたと云う。厳冬の戦いを錫人形で表現している様子も見応えあるもので、様々な人形が戦いの事細かなシーンを見せていた。
    兵員の動員は3万X 3.1万と互角であったが、戦いの後は死傷者5千X 5千 + 捕虜となったものは1万人を数えたと云う。ザクセン軍は兵士の半数を失い、戦闘能力を喪失した為、首都Dresdenをプロイセンのフリードリヒ大王に明け渡した。シュレージェン割譲を承認するドレスデン条約が結ばれ、第二次シュレージェン戦争は終結となった。

  • プラッセンブルク城の城下町

    プラッセンブルク城の城下町

  • マルクト広場の南角にロココ様式のファサードをもった、ラートハウス(市庁舎)がある。<br />緑の尖塔には鐘がつき、薄黄色の壁に白で柱を枠取りした建物は1752年に建てられた。以前の旧市庁舎は16世紀のものだったが、第二次辺境伯戦争で破壊された。

    マルクト広場の南角にロココ様式のファサードをもった、ラートハウス(市庁舎)がある。
    緑の尖塔には鐘がつき、薄黄色の壁に白で柱を枠取りした建物は1752年に建てられた。以前の旧市庁舎は16世紀のものだったが、第二次辺境伯戦争で破壊された。

  • マルクト広場の中央には13世紀のLuitpoldbrunnenルイトポルドの泉が要塞をバックに立つ。

    マルクト広場の中央には13世紀のLuitpoldbrunnenルイトポルドの泉が要塞をバックに立つ。

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  • utamiumiuさん 2014/01/17 00:35:27
    たくさんの票をありがとうございます。
    ジジダルマさん
    いっぱいいっぱい票を入れて下さってありがとうございます。
    暮れからお正月にかけて叔母や両親の世話に追われて自分の旅行記のアップも他の方の旅行記も見る余裕がありませんでした。
    今もまだ続いていますが一時期よりはマシになりました。

    この後の旅行記も楽しみにしています。

    jijidaruma

    jijidarumaさん からの返信 2014/01/17 12:22:56
    RE: たくさんの票をありがとうございます。
    Utaさん

    ご多忙の所、コメント恐縮です。
    ここでは伝説話が主で旅行記は付記に過ぎませんが、お読みいただければ幸いです。

    jijidaruma

  • frau.himmelさん 2014/01/16 21:59:53
    ヴァイセ・フラウ
    jijidarumaさん こんばんは。
    いつも旅行記を見ていただいてありがとうございます。

    私も2012年でしたか、クルムバッハを訪れました。
    その日は、バンベルクのホテルから日帰りで、クローナッハとクルムバッハの城に行くつもりでした。
    クローナッハのローゼンベルク要塞では暗闇ツアーに参加したものの、クルムバッハでは足が疲れてブラッセンベルク城まで登るのは諦めました。
    マルクト広場で、お城を眺めながら名物のクルムバッハビールを飲んだだけでした。

    ヴァイセ・フラウ伝説、どこかで聞いたことがあると思いましたら、ベルリンの王宮にも白い婦人の亡霊が出るという伝説があるのです。
    たしかあそこもホーエンツォレルン家の居城だったような・・。
    ベルリンの由来は知りませんが、クルムバッハの白い婦人はちょっと人道的に(亡霊に人道はないですか・笑)酷い伝説ですね。

    jijidaruma

    jijidarumaさん からの返信 2014/01/17 00:16:40
    ヴァイセ・フラウ
    himmelさん こんばんは、コメントありがとうございました。

    私もこの時はクローナッハからクルムバッハの城に行きました。
    下から安い乗合馬車がありましたので、私共はこれに乗って上がりました。城には登られなかったとの事、残念ですね。
    地ビールは普通より度数が高いのが名物と聞きますが、お味はどうだったのでしょう。車ですので、こうした時はこの町に泊らない限り、飲めないのが残念です。
    そう言えば、クローナッハのローゼンベルク要塞では私共二人だけでガイドして頂きました。女性ガイドの方でしたが、手抜きなしで、なかなか面白かったです。
    ただ、要塞の中の貴重なものは確かバイエルンの王が城内から全て持って行ってしまった為、残ったものにたいしたものが無く、建物内の見物はなかったですね。暗い要塞内のツアーだけが人気なのだそうです。

    ヴァイセ・フラウ伝説はベルリンの王宮にもある由、それは私も知りませんでした。ともあれ、珍しく大人の、酷い伝説ですが、日本にもありそうです。


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