2011/05/13 - 2011/05/27
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jijidarumaさん
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かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅
期間:2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間の旅・5月19日(木)
①≪短気は一生の悔いに;メルゼブルクのカラス伝説≫
(Die Merseburger Rabensage)
http://4travel.jp/travelogue/10864938
②≪伝説:断崖絶壁から身を投げた乙女・Sage vom Jungfernsprung≫
http://4travel.jp/travelogue/10866185
と順次、ご紹介してきました。
トロタ家にからむ伝説の人物として、プファルツ選帝侯に仕え、Burg Berwartsteinベルバルトシュタイン城とBurg Grafendahnグラーフェンダン城の二つの城主であった騎士Hans von Trothaハンス・フォン・トロタ(1450~1503年)はどういう人物であったのか?
また、ハンス・フォン・トロタは民間伝説に“Hans Trappハンス・トラップあるいはHans Trottハンス・トロット”として登場する人物だと云うお話を書いてみたいと思います。
ここまで書いてきたように、ハンスの紋章はトロタ家一族の“カラスに指輪”である。
写真はトロタ一族の紋章Wappen_von_Trotha-Trott_zu_Solz
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
ドイツワイン街道を走ると、その終着点にSchweigen-Rechtenbachシュヴァイゲン・レヒテンバッハというワイン村があり、ちょうど独仏国境にある。
その町に“Weintorワインの門”が立っているが、仏側から見た門の壁には威圧するかのような大きな鷲の姿がある。そこにはナチスの象徴であるHakenkreuz(?)ハーケンクロイツが付いていたと云うが、今は無い。
http://www.weintor.de
三十数年前の昔に訪れた頃は勿論、フランスとの国境線が引かれ、厳重とは言わないまでも、国境は管理されていた。2010年の秋に訪れた際は、周辺がきれいになり、隣町に行くような形で、国境を越えた。
写真はワインの門 -
*Das Deutsche Weintor, offen nach beiden Seiten: zur Pfalz und zum Elsass.(ドイツワインの門はどちらの側にも門を開いている。その一つはプファルツであり、もう一方はエルザス(アルザス)である。)
こう言われたように独仏の国境沿いの町々はお互いに近い。
写真は国境一帯の景観 -
その仏側北アルザスの隣町WissembourgヴィッサンブールはかつてWeissenburgヴァイセンブルク(ドイツ語読み)と呼んだ。14〜17世紀の間は帝国自由都市でした。
現在の人口は8,000人と少ない、アルザスの田舎町である。
ヴィッサンブールからLauterラウター川を越え、ドイツ領を北西に20km行った山中に、ハンスのBurg Berwartsteinベルバルトシュタイン城がある。
写真はKloster Weissenburgヴァイセンブルク僧院(現在のWeissenburg-St-Pierre-et-St-Paul) -
【騎士Hans von Trothaハンス・フォン・トロタはどんな騎士だったのか?】
騎士ハンス・フォン・トロタはKurfuerst von der Pfalzプファルツ選帝侯Philipp IIフィリップ2世(在位1476〜1508年;Pfalzgraf bei Rheinライン宮中伯は神聖ローマ帝国の諸侯。ドイツ西部のライン地方を支配した。また、選帝侯の1人として国王選出権その他の特権を有した。選帝侯である場合にはプファルツ選帝侯とも呼ばれる。)に仕え、たいへん実行力に富み、勇敢で、不屈な精神をもった2mの身長があった騎士だったと云う。
写真は鞭打ちじいさん -
北アルザスの隣町にあるKloster Weissenburgヴァイセンブルク僧院とプファルツ選帝侯は長年にわたり、敵対関係にあり、ハンス・フォン・トロタの活躍が際立っていた。
選帝侯は1480年、ハンスの外交・軍事での功績を賞して、プファルツの元帥に任じ、更にヴァイセンブルク僧院に近いBurg Berwartsteinベルバルトシュタイン城を与えた。
ハンス・フォン・トロタはそれ以来、Hans Trappハンス・トラップあるいはHans Trott (Hanns von Drot)ハンス・トロットとか呼ばれるようになった。
ハンスはベルバルトシュタイン城の要塞化を図り、城郭の拡大と強化を行った。同時に敵対したヴァイセンブルク僧院長をハンスの全エネルギーを傾け、力を持ってやりこめた。 そして十年の間、その地の支配権を握ったと云う。
写真は鞭打ちじいさん -
いずれにせよ、この争いは選帝侯・ハンス側と僧院長側との間でエスカレートし、僧院長ハインリヒはローマ教皇に対して訴える事となった。これは功をそうし、選帝侯とハンスはローマ教会から破門されてしまう。
さらにKaiser Maximilian I神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世(在位:1493〜1519年)は騎士ハンスに対し、帝国外追放の処分を下した。
1499年、ローマ教皇は宗教裁判にハンスを召喚し、その信仰を問う事となった。ハンスはローマへの旅を拒否し、その代わりに思い切った、分かりやすい手紙を教皇Alexander VIアレクサンデル6世(在位1492〜1503年)*あてに書き、ハンス自らの信仰について述べた。
しかし教皇はハンスの申し立てを認めず、信仰上、ハンスは不道徳であるのは明白だとした。
*アレクサンデル6世(1431年1月1日 〜1503年8月18日)は15世紀のローマ教皇。イタリアのボルジア出身であったので、ボルジア教皇とも云う。アレクサンデル6世はローマカトリック史上最悪の教皇、カトリック教会の権威を失墜させた張本人という評価から、バランスのとれた政治家という評価まで様々な評価が行われている。
皇帝マクシミリアン1世によって帝国国外追放処分になり、ローマ教皇からは破門されているにも拘わらず、選帝侯Philipp IIフィリップ2世(在位1476〜1508年)はハンスの外交手腕を評価していたので、彼をフランス王国に派遣し、同地でもハンスはフランスの名誉勲章Chevalierシュヴァリエ( 騎士、勲爵士)を得ている。
1503年10月26日にハンスは無敗のまま、屈服することなく、死去した。
その2年後、ドイツのSpeyerシュパイアー大司教により、教会の破門が解かれている。
写真はストラスブールの対岸に位置するバーデンワインの名醸地オルテナウ地方のStrohpelz藁を被った男 -
ハンス・フォン・トロタはベルバルトシュタイン城から、ほど近いSt. Anna Kapelle聖アンナ礼拝堂に埋葬された。
その礼拝堂内で今もハンスの墓碑を見る事が出来る。
1545年、ハンスの死去と共にベルバルトシュタイン城は義理の息子Friedrich von Fleckensteinフレッケンシュタイン家のフリードリヒに与えられた。
互いに分かれて戦いを繰り返したハンスは広い地域で、その剛腕さ、厳しさを示してきた。
ハンスは敵対する者には好戦的で、厳しい政治を行ったようである。
この事もあって、ハンスはDer Schwarze Ritter黒騎士(悪魔の騎士?)ハンス・トラップの名で、現在もこの地方の人々に広く知られている。
言う事を聞かない腕白な子供に対して、両親たちが“脅し”にハンスの名を乱用・悪用したと云う。つまり、子供たちを恐れさせる人物になったと云うのである。
写真は聖ニコラウスのお伴としてのハンス -
≪ハンス・トラップ伝説Hans Trapp≫
15世紀の歴史上、実在した人物Hans Trappハンス・トラップ(ハンス・フォン・トロタ)は今日、クリスマス時期に登場するSt.Nikolaus聖ニコラウスや、Christkindelクリストキンドル(幼子イエス)のお供として登場する。
その役割は良い子供たちへの贈物を持参して、それらを配ってくれる嬉しい存在である。その逆に、日本のナマハゲのように悪い子にはお仕置きをする人物だと云う。その悪い子には訓戒を与え、子供が改心したのを認めると、そこで始めて贈物を与えたという。
特に騎士ハンス・フォン・トロタが活躍したフランスのアルザス地方でハンス・トラップは有名な従者として、一般にその名が広く知られている。
あくまで強き騎士の名を借りて、聖ニコラウスと共にかつての伝統的な、古い時代の儀式を、形を変えながら、復活させているようである。
人々を驚かすような怖い姿、恐ろしい行動などは、当時の共同体が悪い霊から村を守るという必要な役割であったように思える。
だからこそ、騎士ハンスのように当時の人たちに強烈な印象を与えた人物、強い影響力のある名が必要とされたのでしょう。
写真はAllgaeuアルゴイ地方の Klausenクラウゼン -
調べてみると、お供、従者と云われる者は姿や恰好は変っていても、その役割は同じで、ヨーロッパ各地に存在していた。
アルザスで登場する“Pere Fouettard鞭打ちじいさん”は悪い子を木の枝でたたいてお仕置きをする黒ずくめの人物だと云われている。
この種の人物にはアルザス・Colmarコルマールの対岸にあるバーデンワインの名醸地KaiserstuhlカイザーシュトゥールではGlockenschellemann グロッケンシェレマン(Cowbellカウベルを持った男)が現れ、ストラスブールの対岸に位置するバーデンワインの名醸地オルテナウ地方にもStrohpelzシュトローペルツ藁を被った男が現れる。
写真はハンガリーのKrampusクランプス -
南ドイツにKnecht Ruprechtクネヒト(従者)・ルプレヒトがいる。ルプレヒトは鞭と袋を持って登場するので、黒いサンタとも呼ばれている。
ドイツ各地で従者ルプレヒトに相当するHans Ruprechtハンス・ルプレヒトや、Rumpknechtルンプクネヒト、Ruppknecht、 Knecht Nikolas、Nickel、Pelznickel am Mittelrheinなど、さまざまな名で呼ばれる存在がある。
北ドイツのPelzebock ペルツボック、ライン地方ではHans Muffハンス・ムフ、Allgaeuアルゴイ地方の Klausenクラウゼン、北西ドイツのBelsnickel(Pelzenickelと同じか?)。
ドイツのバイエルン、オーストリア、ハンガリーではKrampusクランプスと呼ばれる恐ろしい魔物姿で現れる。オランダやベルギーのZwarte Piet(Schwarze Peter/Petrus)ズワルテ・ピート 、スイスではSchmutzliシュムッツリが・・・と様々な名で登場する。
http://www.burgberwartstein.de/index.html
http://de.wikipedia.org/wiki/Hans_von_Trotha
MUSEE ALSACIENアルザス博物館
http://www.geocities.jp/kunschthafe/index.html
写真はトロタ家の紋章、“カラスに指輪”である。
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