2005/04/21 - 2005/05/05
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jijidarumaさん
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2005.4.21〜5.05.北ドイツ周遊:4.28.
ドイツ人の心の故郷というべき“Teutoburger Waldトイトブルグの森”は、東ヴェストファーレンの緑の背骨にあたり、デュッセルドルフを州都とするノルトライン・ヴェストファーレン州の北部にあたる。北のミンデンと南のザウアーランド、西のミュンスターラントと東のヴェーザー川の間に位置していて、景色、文化、歴史の点で魅力ある地域です。
2005年4月27日、MindenミンデンでB65をB482に乗り換え、LahdeラーデでWeserヴェーザー川の対岸に渡ると(凡そ15km)、本日の宿泊先、古城ホテルRomantik Hotel Schloss Petershagenロマンチックホテル・ペータースハーゲンの案内版が、村の入口に見えてきます。ちょうど行程の半分を過ぎたわけだ。
古城ホテルSchloss Petershagenペータースハーゲン城は1306年頃から、ヴェーザー川畔にミンデンの領主司教のレジデンスとして建てられたもので、15室のプチホテルであるが、礼拝堂、テニス場、スイミングプールも備えて、会社や家族の祝い、会議に対応できるようになっている。
ホテルのパンフレットに曰く、『100年の眠りから覚めた、あの“いばら姫”のように、このホテルも凡そ700年の歴史を経過した、1967年に中世の色合いを残しつつ、新しく生まれ変わり、ロマンチックで、情趣豊かな、ホテルとレストランをオープンした。』とある。ドイツサッカーの皇帝と呼ばれるベッケンバウアーも、州の要人もこのホテルの長期滞在の常連客とか。
1982年に宿泊した時にはなかったが、ホテルはレストランをヴェーザー川に面して、新たに増築していた。それは明るく、広々としたガラス張りのレストランで、雰囲気も良く、ヴェーザー川の流れを見ながら、食事を楽しめるのだ。
4月28日、チェックアウトの際にレセプションのご婦人に、『23年前に泊まり、年金生活後の楽しみに、旅の途中で、再び、此処にやってきた。大変気に入ったホテルなので、又来たいものだ。』と申し上げたら、『また、20年後では私もいませんよ!!』と、言われてしまった。
ペータースハーゲンを8:45に出発し、来た道を戻る。B65のRintelnリンテルンでB238にはいり、ハンザ都市Lemgoレンゴーを経由して、青い空、菜の花の黄色のジュータン、遠くに見えるレンガ色の屋根といった風景を楽しみながら、Detmoldデトモルドに10:30到着する。
“Teutoburger Waldトイトブルグの森”は、遠い昔の紀元9年、ローマ軍団とドイツ人の祖、ゲルマンの部族が三日間にわたり、壮絶な戦いをした場所である。
当時は暗く、深い森だったそうです。グローテンブルグの丘の麓に発展したDetmoldデトモルドの町を通り抜け、丘(標高368m)に向かって車を走らせると、頂上に大きな駐車場があり、レストラン・ホテルが建っている。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
4月27日、城門をくぐり、城の中庭で車を停める。塔の螺旋階段を上がって、二階のレセプションに。この階段は荷物を持って上がるには大変なので、人手を頼む。
天蓋つきの18号室は、更に一階上がった部屋で、緑の庭園とレストランの屋根越しに、ヴェーザー川が見える。庭にはマロニエや菩提樹の大木が茂り、歴史を感じさせる。
食事までの時間を小さな村に出て、散策してみる。ホテルの人が『何もありませんよ!!』と言っていたが、その村通りには、小さな村役場、裁判所のような木組みの家、パン屋、教会、時計屋など、城以外に見るべきものは何も有りませんでした!! -
4月27日19:00に予約済みの夕食はRestaurant im Schloss 。
まだ明るい日差しを受けている、窓際の席に案内されて、スタートする。年配のご夫婦など、3組のお客たち、レストランが広く思えます。若いウエーターがきびきびと、かつ、にこやかにオーダーを聞きに来る。
その若い子に、『23年前にこのホテルに家族で泊まり、レストランで食事をしたのですよ!』『それは、それは!私はその時、まだ1歳でした。懐かしい事でしょう。この新しいレストランも、ホテルに入ったときには出来ていましたよ。』と、嬉しそうに受け応えをしてくれました。
いつもの様にドライシェリーと、ガス抜きのミネラル・ウォターを頼んで、メニューを検討する。此処の料理は地域のフレッシュな野菜、肉を利用した郷土色豊かなもので、評判も高い・・・ドイツ500選のレストランに選ばれ、仏料理ガイドブックのゴー・ミョーでは13点を得ていると聞いているので、楽しみである。
スープ・肉料理・デザート3品のコースをお願いし、ワインは旅初めてのフランケンワインの白---辛口2003年Wuerzburger Stein、 Silvaner Kabinett Trocken(Qmp;28.50Euro)---と決めた。
シェフのご挨拶はパテ、オレンジの小片にサクランボのソースをかけたもの、レタスを添えて出てきました。
一品目にポアレと茸のスープが。ドイツのパンは何時も美味しいので、ついつい手が出る。
メインは地鶏の胸肉を焼いたものに、リソットとグリーンアスパラを添えた料理で、大変美味しく、量も適当で、評判の高いのが分かりました。
デザートはバニラアイスです。苺のスライス、キンカンの甘煮、チョコレート・スティックと珍しいホオズキが添えられていました。
夕食代は(112.50Euro)、とても満足した夕食でした。 -
≪トイトブルク森の戦いSchlacht im Teutoburger Wald≫
紀元9年、ローマ軍が分け入った「トイトブルクの森」は、道も細く、辺りは沼沢地であった。さらに、天候は激しい嵐となっており、行軍するローマ軍の隊形は乱れ、組織的な行動ができなくなっていた。ヘルマンはローマ軍との正面衝突を避けて、軍を森の中に兵を潜めると共にローマ軍へのゲリラ戦を仕掛けた。このような待ち伏せ攻撃は連日、繰り返し行われた。それでもローマ軍は一歩も引かなかったが、雨とともに続く襲撃によって一方的に殺戮され、およそ2万人のローマ軍兵士が死亡、敵将ウァルスは自決した。
この敗北を聞いた皇帝アウグストゥスは、「ウァルスよ、我が軍団を返せ!」と叫んだといわれている。
当時のローマ軍は国境線防衛に必要な数以上の常備軍を備えておらず、ウァルスの敗北はライン方面の軍団が消滅したことを意味した。このためウァルスの軍団の後背地にあたるガリアはゲルマン人侵攻の恐怖に包まれたといわれ、アウグストゥスは暴動が起こらないように戒厳令を実施した上で、各属州総督の任期を延長した。
ゲルマンの勝利の影響:
この結果、アウグストゥスの構想であったエルベ川をリーメス(Limesはローマ帝国時代の防砦(軍団を置いた)システムであり、ローマ帝国領の境界線を示すものでもあった。現在もこのリーメス遺跡はドイツに残り、世界遺産になっている。)とする計画は頓挫した。
ライン川をリーメスとし、それ以東のゲルマニアへと領土を拡大しようとする意図も失われた。尚、この境界はロマンス語とゲルマン語の分岐点となり、後にはフランスとドイツの国境ともなった。
この戦いにおけるゲルマン民族の勝利は、19世紀にドイツ民族主義の誇りとして象徴的に使われた。 (Wikから抜粋・加筆)
2009年、戦闘2000周年を迎えたドイツでは戦場跡で記念式典が行われたそうです。 -
【ゲルマンの英雄へルマンの記念碑:Hermannsdenkmalヘルマンデンクマル】
紀元後9年、ゲルマン民族の存亡をかけた戦いはウァルスの戦い(Varusschlacht)と称され、ローマの3軍団を全滅させたゲルマンの英雄は、ヘルマンと言い、まだ30代の若さでした。この戦いの勝利はライン川右側のローマ人による支配を終わらせました。
へルマンの記念碑は高さ30mの釣鐘形をした台座の上に、青銅のヘルマン像(20mの身長)が立っている。下から見上げると、威風堂々とした姿で、トイトブルグの森を睥睨しています。台座の上部は展望台になっていて、二人で螺旋階段を登ってみました。
そこからは、春の訪れを見せている眼下一帯の田園風景やトイトブルグの森が美しい広がりを見せている。
この像は1838〜1875年にドイツ人の建築家バンデルにより作られ、私財をつぎ込んで完成させたものと言われている。
1840年代からドイツに吹き荒れたナショナリズムが如何に勢いのあったものだったか、想像できます。ナポレオン戦争に勝ち、1871年皇帝ヴィルヘルム1世によるドイツ帝国(ドイツ国民の神聖ローマ帝国を第一帝国とすると、これは第二帝国となる。そして、よく言われるヒトラーの第三帝国に繋がります。)が成立して、ドイツが統一された事へのドイツ民族の思い入れを、この像に見ることが出来る。
ヘルマンの像は翼のついた兜をかぶり、左手に盾、右に7mの剣を持って、その剣を天に高々とかかげている。 -
剣には【“Deutsche Einigkeit、meine Staerke;meine Staerke、Deutschlands Macht:ドイツの統一は我が強さ、我が強さはドイツの力”】と刻まれている。
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