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かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅<br />期間:2011年05月13日(金)〜05月27日(金)15日間の旅・5月20日(金)<br /><br /><br />≪伝説;クリープシュタイン城の貞淑なる妻Die Sage von der treuen Frau von Kriebstein≫<br /><br />この旅では嬉しい事にSchloesserland-Sachsenザクセンの古城群を巡る機会を得た。<br />ザクセンの古城群は、好みとしてはとりわけMuldeムルデ川沿いの古城群が魅力的である。<br />この為に、古城ホテルBurg Gnandsteinグナンドシュタイン城に2泊して、一帯を走った。<br />中でもザクセン州で最も美しい城と称され、後期ゴシック様式の宝石とも称される古城Burg Kriebsteinクリープシュタイン城は周辺の森に囲まれ、魅力満点な姿を見せる。<br /><br />さて、この城のRittersaal騎士の広間に一枚の絵が架かっている。“Die treue Frau von Kriebstein”・・・クリープシュタインの貞淑なる妻・・・とでも訳せばよいのか?!<br />因みにこの絵はフランス人Nicolas Guibalという画家が1767年頃に描いたものだそうだ。<br /><br />写真はZschopau (Freiberger Muldeフライベルガー・ムルデ川の支流である)上流3kmの険しい崖の上に立っている難攻不落と思われるBurg Kriebsteinクリープシュタイン城<br />

≪古城伝説:クリープシュタイン城の貞淑なる妻Die Sage von der treuen Frau von Kriebstein≫

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2011/05/13 - 2011/05/27

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旅行記グループ ドイツの伝説・民話

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jijidaruma

jijidarumaさん

かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅
期間:2011年05月13日(金)〜05月27日(金)15日間の旅・5月20日(金)


≪伝説;クリープシュタイン城の貞淑なる妻Die Sage von der treuen Frau von Kriebstein≫

この旅では嬉しい事にSchloesserland-Sachsenザクセンの古城群を巡る機会を得た。
ザクセンの古城群は、好みとしてはとりわけMuldeムルデ川沿いの古城群が魅力的である。
この為に、古城ホテルBurg Gnandsteinグナンドシュタイン城に2泊して、一帯を走った。
中でもザクセン州で最も美しい城と称され、後期ゴシック様式の宝石とも称される古城Burg Kriebsteinクリープシュタイン城は周辺の森に囲まれ、魅力満点な姿を見せる。

さて、この城のRittersaal騎士の広間に一枚の絵が架かっている。“Die treue Frau von Kriebstein”・・・クリープシュタインの貞淑なる妻・・・とでも訳せばよいのか?!
因みにこの絵はフランス人Nicolas Guibalという画家が1767年頃に描いたものだそうだ。

写真はZschopau (Freiberger Muldeフライベルガー・ムルデ川の支流である)上流3kmの険しい崖の上に立っている難攻不落と思われるBurg Kriebsteinクリープシュタイン城

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
レンタカー
航空会社
ルフトハンザドイツ航空 ANA
旅行の手配内容
個別手配
  • <その話は知恵や機智に富んだ、勇気ある城主夫人の話である。><br /><br />Zschopau (Freiberger Muldeフライベルガー・ムルデ川の支流である)上流3kmの険しい崖の上に立っている難攻不落と思われるクリープシュタイン城にRitter Dietrich von Beerwaldeベールバルデの騎士ディートリヒが住んでいました。<br /><br />それは1415年の事でした。冬が終わり、Fastnachtファストナハト(懺悔の火曜日・謝肉祭)が訪れた日、Doebelnデベルンの武装した兵士たちによりクリープシュタイン城は突然攻撃された。シュタウピッツの騎士とその兵は一気に城内への突破口を作り、あっという間にクリープシュタイン城内の兵たちを制圧してしまった。<br />ベールバルデの騎士ディートリヒはやむなく城外に逃げ、シュタウピッツの騎士に復讐する事を誓った。<br />ベールバルデの忠実な騎士の幾人かはマイセン辺境伯フリードリヒ(好戦公と称された=後にフリードリヒ1世 ザクセン選帝侯となる)のもとに急行し、辺境伯にシュタウピッツの騎士の平和条約違反を訴えた。<br /><br />マイセン辺境伯はこの訴えを尤もな事とし、この条約違反を咎めて、騎士シュタウピッツに城の正式な城主である騎士ディートリッヒに、奪った城を即座に返還するよう命じた。<br />所が、騎士シュタウピッツは難攻不落のクリープシュタイン城を頼みにして、急ぎ城の守備を固めた。<br />マイセンからの最後の命令が届くと、その命令は騎士シュタウピッツが厳しい裁判を逃れるためには、3日以内に城を退去する事だというものでした。<br />この命令に対し、騎士シュタウピッツが返したのは“突き当って私の頭を割りたければ、フリードリヒ辺境伯自身がこちらに来て城を攻撃しろ!”という生意気な返事だった。<br />フリードリヒ辺境伯は多くのフライベルクの市民が属する軍を率いてやってきて、城を包囲した。そして1週間が経過 し、1ヶ月が過ぎていった。<br />それでも城兵たちは意気盛んに、胸壁からシュタウピッツの騎士の旗を振った。<br />城内の困窮した様子を少しも見せる事がなかったのだが、城内の蓄えは底をつき、包囲網の中で、城兵たちは飢餓に瀕していた。城将の騎士シュタウピッツ自身が発熱して病床に伏していたのだ。もう持ち堪える事は無理であった。<br /><br /><br />写真はフランス人Nicolas Guibalという画家が1767年頃に描いたもの

    <その話は知恵や機智に富んだ、勇気ある城主夫人の話である。>

    Zschopau (Freiberger Muldeフライベルガー・ムルデ川の支流である)上流3kmの険しい崖の上に立っている難攻不落と思われるクリープシュタイン城にRitter Dietrich von Beerwaldeベールバルデの騎士ディートリヒが住んでいました。

    それは1415年の事でした。冬が終わり、Fastnachtファストナハト(懺悔の火曜日・謝肉祭)が訪れた日、Doebelnデベルンの武装した兵士たちによりクリープシュタイン城は突然攻撃された。シュタウピッツの騎士とその兵は一気に城内への突破口を作り、あっという間にクリープシュタイン城内の兵たちを制圧してしまった。
    ベールバルデの騎士ディートリヒはやむなく城外に逃げ、シュタウピッツの騎士に復讐する事を誓った。
    ベールバルデの忠実な騎士の幾人かはマイセン辺境伯フリードリヒ(好戦公と称された=後にフリードリヒ1世 ザクセン選帝侯となる)のもとに急行し、辺境伯にシュタウピッツの騎士の平和条約違反を訴えた。

    マイセン辺境伯はこの訴えを尤もな事とし、この条約違反を咎めて、騎士シュタウピッツに城の正式な城主である騎士ディートリッヒに、奪った城を即座に返還するよう命じた。
    所が、騎士シュタウピッツは難攻不落のクリープシュタイン城を頼みにして、急ぎ城の守備を固めた。
    マイセンからの最後の命令が届くと、その命令は騎士シュタウピッツが厳しい裁判を逃れるためには、3日以内に城を退去する事だというものでした。
    この命令に対し、騎士シュタウピッツが返したのは“突き当って私の頭を割りたければ、フリードリヒ辺境伯自身がこちらに来て城を攻撃しろ!”という生意気な返事だった。
    フリードリヒ辺境伯は多くのフライベルクの市民が属する軍を率いてやってきて、城を包囲した。そして1週間が経過 し、1ヶ月が過ぎていった。
    それでも城兵たちは意気盛んに、胸壁からシュタウピッツの騎士の旗を振った。
    城内の困窮した様子を少しも見せる事がなかったのだが、城内の蓄えは底をつき、包囲網の中で、城兵たちは飢餓に瀕していた。城将の騎士シュタウピッツ自身が発熱して病床に伏していたのだ。もう持ち堪える事は無理であった。


    写真はフランス人Nicolas Guibalという画家が1767年頃に描いたもの

  • フリードリヒ辺境伯はそんな風には思っていなかったが、騎士シュタウピッツは城の包囲を解くことを望んでいた。城からの使者が送られ、やつれ顔した騎士シュタウピッツはフリードリヒ辺境伯の前に立ち、頭を垂れて、城の引き渡し・降伏を申し出た。<br />更に辺境伯が驚いたことに、もう一つの申し出があった。騎士シュタウピッツの妻がその姿を現し、彼女が申し出を述べたのだ。これには攻囲軍の兵士たちも驚いた。<br />彼女は切々と辺境伯に、城内の兵たちの妻や家族の釈放と助命を懇願した。<br />そして、辺境伯はシュタウピッツの妻の願いを承諾し、彼女たちが最も好んだ(愛した)品を背中に背負って運び去る事を許した。<br /><br />翌朝、城門は早々と開かれ、城内の妻たちが大きな籠を背負い、喘ぎながら、ぞくぞくと城門から出てくるのを攻囲軍は唖然として、息を呑んで見守った。<br /><br />馬上のフリードリヒ辺境伯もその奇妙な光景に、戸惑いながらも見ていたが、その列の中に死人のような青白い顔をした騎士シュタウピッツが、その妻の担ぐ籠に入っているのを認めて、辺境伯は驚愕した。<br /><br />フリードリヒ辺境伯は、自らの敵が妻の貞淑な支えで、その死と破滅から脱出するのを見たときには、暴力的な怒りを感じたものの、それでもなお、フリードリヒ辺境伯は自らの約束を守った。<br />城主の妻が窮地から脱出していくのを止めはしなかったし、城兵たちも解放したのである。<br /><br />(2011.07.02.訳・編集)<br /><br />写真はマイセン辺境伯フリードリヒ(好戦公)

    フリードリヒ辺境伯はそんな風には思っていなかったが、騎士シュタウピッツは城の包囲を解くことを望んでいた。城からの使者が送られ、やつれ顔した騎士シュタウピッツはフリードリヒ辺境伯の前に立ち、頭を垂れて、城の引き渡し・降伏を申し出た。
    更に辺境伯が驚いたことに、もう一つの申し出があった。騎士シュタウピッツの妻がその姿を現し、彼女が申し出を述べたのだ。これには攻囲軍の兵士たちも驚いた。
    彼女は切々と辺境伯に、城内の兵たちの妻や家族の釈放と助命を懇願した。
    そして、辺境伯はシュタウピッツの妻の願いを承諾し、彼女たちが最も好んだ(愛した)品を背中に背負って運び去る事を許した。

    翌朝、城門は早々と開かれ、城内の妻たちが大きな籠を背負い、喘ぎながら、ぞくぞくと城門から出てくるのを攻囲軍は唖然として、息を呑んで見守った。

    馬上のフリードリヒ辺境伯もその奇妙な光景に、戸惑いながらも見ていたが、その列の中に死人のような青白い顔をした騎士シュタウピッツが、その妻の担ぐ籠に入っているのを認めて、辺境伯は驚愕した。

    フリードリヒ辺境伯は、自らの敵が妻の貞淑な支えで、その死と破滅から脱出するのを見たときには、暴力的な怒りを感じたものの、それでもなお、フリードリヒ辺境伯は自らの約束を守った。
    城主の妻が窮地から脱出していくのを止めはしなかったし、城兵たちも解放したのである。

    (2011.07.02.訳・編集)

    写真はマイセン辺境伯フリードリヒ(好戦公)

  • (追記)<br /><br />最初は城内で見た絵が発端でした。武将の前を美しい女性が髭の伸び放題な、汚れた男の人を背負っている絵で、題名を読んでも、何のことやら分かりません。<br />Die Sageザーゲとは“伝説・言い伝え”を意味しているのは知っていたので、この城にまつわる伝説だと思い、博物館の小冊子を購入して帰りました。短い文章で概略は読みましたが、まだ今一つでした。詳細を読みたく思って、調べてみました。前述したものはそれを意訳したものですが、そこで初めてこの伝説が理解できました。<br />伝説の城主夫人は知恵もあり、好戦王とも呼ばれたマイセンの辺境伯(選帝侯)に臆せず、懇願した様子は勇気あるものと思えました。<br />そして、何が起こったかを理解した後も、フリードリヒ辺境伯が自らの約束を守った事もまた、見事なものだったと思ったものです。<br /><br />この時代の女性はその夫と共に苦労し、その人生を築き上げてきたわけで、文字通り、”生死を共にしていた”と云うことでしょう。だからこそ、知恵も絞り、最善の対応をとる事が出来た。この場合、受けて立った好戦王・マイセン辺境伯も見事な対応をしたと言え、この伝説は両者が揃ってこそ、成り立つ話でしょう。<br />当時の女性は現代の私共が思う以上に、社会的にも発言力(知性に裏付けられた)があったように、このケースでも感じられる。<br />長い籠城生活の後でありながら、絵の城主夫人は容色も衰えず、輝いて見え、”喘ぎながら”と書きましたが、絵はそのようにも見えず、“火事場の馬鹿力“以上の力で背負った・・・一種、神がかり的な姿に見える。<br /><br />日本の武士道は潔さが尊ばれ、兵や家族の助命には城主が腹を切る事で終息するが、この伝説では女房の背に担がれて退去する、この場合、騎士道とはどういうものなのか?分からない所です。あれほど騎士シュタウピッツは傲慢であった対応をしたわけですから、勝算もあったことでしょう。しかし、籠城後は覇気が見られなくなりました。<br />そのぶん城主夫人の知恵と勇気が映えるので、こうした伝説が長く残ったのでしょうか。城を退去した後の事が分からないのが、ちょっぴり残念でもある。<br /><br />写真はかつての古城の絵

    (追記)

    最初は城内で見た絵が発端でした。武将の前を美しい女性が髭の伸び放題な、汚れた男の人を背負っている絵で、題名を読んでも、何のことやら分かりません。
    Die Sageザーゲとは“伝説・言い伝え”を意味しているのは知っていたので、この城にまつわる伝説だと思い、博物館の小冊子を購入して帰りました。短い文章で概略は読みましたが、まだ今一つでした。詳細を読みたく思って、調べてみました。前述したものはそれを意訳したものですが、そこで初めてこの伝説が理解できました。
    伝説の城主夫人は知恵もあり、好戦王とも呼ばれたマイセンの辺境伯(選帝侯)に臆せず、懇願した様子は勇気あるものと思えました。
    そして、何が起こったかを理解した後も、フリードリヒ辺境伯が自らの約束を守った事もまた、見事なものだったと思ったものです。

    この時代の女性はその夫と共に苦労し、その人生を築き上げてきたわけで、文字通り、”生死を共にしていた”と云うことでしょう。だからこそ、知恵も絞り、最善の対応をとる事が出来た。この場合、受けて立った好戦王・マイセン辺境伯も見事な対応をしたと言え、この伝説は両者が揃ってこそ、成り立つ話でしょう。
    当時の女性は現代の私共が思う以上に、社会的にも発言力(知性に裏付けられた)があったように、このケースでも感じられる。
    長い籠城生活の後でありながら、絵の城主夫人は容色も衰えず、輝いて見え、”喘ぎながら”と書きましたが、絵はそのようにも見えず、“火事場の馬鹿力“以上の力で背負った・・・一種、神がかり的な姿に見える。

    日本の武士道は潔さが尊ばれ、兵や家族の助命には城主が腹を切る事で終息するが、この伝説では女房の背に担がれて退去する、この場合、騎士道とはどういうものなのか?分からない所です。あれほど騎士シュタウピッツは傲慢であった対応をしたわけですから、勝算もあったことでしょう。しかし、籠城後は覇気が見られなくなりました。
    そのぶん城主夫人の知恵と勇気が映えるので、こうした伝説が長く残ったのでしょうか。城を退去した後の事が分からないのが、ちょっぴり残念でもある。

    写真はかつての古城の絵

  • (尚、この伝説とよく似た話がある。<br /><br />WuerzburgヴュルツブルクからアウトバーンのA81で100kmほど南下すると、A6と交差するあたりにWeinsbergヴァインスベルクの町が右手に見える。アウトバーンを走りながらも、この城址Burg Weinsbergヴァインスベルク城(Burg Weibertreuヴァイバートロイ城)が遠望できる。いつも走りながら見るだけであったが、2012年の春の旅では古城街道沿いの町として訪れる事にした。<br /><br />この城の攻防で、グリム兄弟のドイツの伝説集にも採録された「ヴァインスベルクの貞淑なる女房達」の伝説が残っている。<br /><br /><br />写真はBurg Weinsbergヴァインスベルク城と周辺の葡萄畑<br />

    (尚、この伝説とよく似た話がある。

    WuerzburgヴュルツブルクからアウトバーンのA81で100kmほど南下すると、A6と交差するあたりにWeinsbergヴァインスベルクの町が右手に見える。アウトバーンを走りながらも、この城址Burg Weinsbergヴァインスベルク城(Burg Weibertreuヴァイバートロイ城)が遠望できる。いつも走りながら見るだけであったが、2012年の春の旅では古城街道沿いの町として訪れる事にした。

    この城の攻防で、グリム兄弟のドイツの伝説集にも採録された「ヴァインスベルクの貞淑なる女房達」の伝説が残っている。


    写真はBurg Weinsbergヴァインスベルク城と周辺の葡萄畑

  • この二つの伝説の不思議な事はザクセンのクリープシュタイン城の話が1415年の出来ごと、ヴァインスベルク城の話は1140年と凡そ300年近い年代の差がある。また、東のザクセンと南西部のヴュルテンベルクという、遠く離れた場所であったにも拘わらず、同じような機知に富んだ城主夫人と女房達のエピソードが生じた面白さを感じたのです。)<br /><br />写真はBurg Weinsbergヴァインスベルク城の伝説を語る絵

    この二つの伝説の不思議な事はザクセンのクリープシュタイン城の話が1415年の出来ごと、ヴァインスベルク城の話は1140年と凡そ300年近い年代の差がある。また、東のザクセンと南西部のヴュルテンベルクという、遠く離れた場所であったにも拘わらず、同じような機知に富んだ城主夫人と女房達のエピソードが生じた面白さを感じたのです。)

    写真はBurg Weinsbergヴァインスベルク城の伝説を語る絵

  • <Schloesserland-Sachsenザクセンの古城群を巡る><br /><br />ザクセンの古城群は、好みとしてはとりわけMuldeムルデ川沿いの古城群が<br />魅力的である。<br />この為に、Burg Gnandsteinグナンドシュタイン城に2泊して、一帯を走った。<br />Schloss Rochlitzロッホリツ城、Burg Kriebstein クリープシュタイン城、Schloss Nossenノッセン城、Schloss Colditzコルディッツ城、Burg Gnandsteinグナンドシュタイン城の5つの古城をこの日は見て回った。(ノッセン城の後に、計画で入れていた、もう一つの城Burg Mildenstein ミルデンシュタイン城は時間的に無理が生じ、今回見送りにした。)<br /><br />Schloss Rochlitzロッホリツ城からB7で12km (Gerngawalde) からは村道を走っていく。クリープシュタイン城の駐車場とあったので、そこに駐車し、矢印に沿って、森の中を行った。中々、城に至らず、標識に書かれていた距離の3倍ぐらい(多分3km!)歩いてしまった。ドイツ人的には森林浴をしながらの散歩は好ましいのであろうが、私共には不要な事で、疲れただけであった。<br />帰り道に分かった事だが、駐車場に入らずにそのまま直進すると、下り坂に至る。坂の中ほどにクリープシュタイン城があり、そこから50m下に駐車場があった。そんな事でBurg Kriebsteinには11:40の到着になってしまった。<br />汗もかき、足も疲れたので、見物前に腹ごしらえをすることにした。城内にあったレストラン “腹を空かせた塔“で昼食にした。<br /><br />写真は秋のBurg Kriebsteinクリープシュタイン城<br />

    <Schloesserland-Sachsenザクセンの古城群を巡る>

    ザクセンの古城群は、好みとしてはとりわけMuldeムルデ川沿いの古城群が
    魅力的である。
    この為に、Burg Gnandsteinグナンドシュタイン城に2泊して、一帯を走った。
    Schloss Rochlitzロッホリツ城、Burg Kriebstein クリープシュタイン城、Schloss Nossenノッセン城、Schloss Colditzコルディッツ城、Burg Gnandsteinグナンドシュタイン城の5つの古城をこの日は見て回った。(ノッセン城の後に、計画で入れていた、もう一つの城Burg Mildenstein ミルデンシュタイン城は時間的に無理が生じ、今回見送りにした。)

    Schloss Rochlitzロッホリツ城からB7で12km (Gerngawalde) からは村道を走っていく。クリープシュタイン城の駐車場とあったので、そこに駐車し、矢印に沿って、森の中を行った。中々、城に至らず、標識に書かれていた距離の3倍ぐらい(多分3km!)歩いてしまった。ドイツ人的には森林浴をしながらの散歩は好ましいのであろうが、私共には不要な事で、疲れただけであった。
    帰り道に分かった事だが、駐車場に入らずにそのまま直進すると、下り坂に至る。坂の中ほどにクリープシュタイン城があり、そこから50m下に駐車場があった。そんな事でBurg Kriebsteinには11:40の到着になってしまった。
    汗もかき、足も疲れたので、見物前に腹ごしらえをすることにした。城内にあったレストラン “腹を空かせた塔“で昼食にした。

    写真は秋のBurg Kriebsteinクリープシュタイン城

  • <Burg Kriebsteinクリープシュタイン城><br />  <br />入場料・撮影料Euro15.5、 12:20〜13:15<br />D-09648 Kriebstein 、Kriebstein<br />http://www.burg-kriebstein.de/<br /><br />ザクセン州で最も美しい城と称されているクリープシュタイン城はヴァルトハイムのZschopau (Freiberger Muldeの支流である)上流3kmの険しい崖の上に立っている。<br />後期ゴシック様式の宝石とも称される古城は周辺の森に囲まれ、魅力満点な姿を見せる。城郭の中心に高さ45mの居住塔があり、これを囲むようにして各棟があるのは大変珍しい。従って、他の城に見るような独立した天守閣は無い。<br /><br />オリジナル家具、色彩ゆたかな木の天井、暖炉、肖像画の数々、ゴシック様式の広間、騎士の広間、宝物庫、礼拝堂、祭壇、クリープシュタインの間に見られる宗教画のシーンなど、見るべきものは多い。ロッホリツ城よりも入場料が倍したのもうなずける。<br /><br />改修中に居住塔の煙突の中から、隠されていた宝石類が発見された事を知っていたので、博物館の係員に聞くと、彼は博物館の出入り口に鍵をかけてから、私共を別室のGrosser Festsaal大宴会場の広間に案内し、部屋の鍵を開けて、室内にあるゴブランのかかった壁を指して、あそこにあった!と言った。<br /><br /><br />写真は城門入口

    <Burg Kriebsteinクリープシュタイン城>
      
    入場料・撮影料Euro15.5、 12:20〜13:15
    D-09648 Kriebstein 、Kriebstein
    http://www.burg-kriebstein.de/

    ザクセン州で最も美しい城と称されているクリープシュタイン城はヴァルトハイムのZschopau (Freiberger Muldeの支流である)上流3kmの険しい崖の上に立っている。
    後期ゴシック様式の宝石とも称される古城は周辺の森に囲まれ、魅力満点な姿を見せる。城郭の中心に高さ45mの居住塔があり、これを囲むようにして各棟があるのは大変珍しい。従って、他の城に見るような独立した天守閣は無い。

    オリジナル家具、色彩ゆたかな木の天井、暖炉、肖像画の数々、ゴシック様式の広間、騎士の広間、宝物庫、礼拝堂、祭壇、クリープシュタインの間に見られる宗教画のシーンなど、見るべきものは多い。ロッホリツ城よりも入場料が倍したのもうなずける。

    改修中に居住塔の煙突の中から、隠されていた宝石類が発見された事を知っていたので、博物館の係員に聞くと、彼は博物館の出入り口に鍵をかけてから、私共を別室のGrosser Festsaal大宴会場の広間に案内し、部屋の鍵を開けて、室内にあるゴブランのかかった壁を指して、あそこにあった!と言った。


    写真は城門入口

  • <クリープシュタイン城の歴史><br /><br />今から600年以上前、この城の最初の支配者・居住者になったのはDietrich von Beerwaldeベールバルデ家のディートリヒ (1384~1408年) であった。<br />1423年頃、ディートリヒは美しい宗教画が描かれていることで知られるKriebsteinzimmer クリープシュタインの間を完成させている。<br />15世紀の宝物庫に描かれた壁画も幻想的なものと云われ、1410年の礼拝堂にはマリア様の絵が描かれている。<br /><br />1986年、居住塔の煙突の中に宝石類が隠されていたのが発見され、現在は宝物庫に展示されている。城には博物館(1945年)があり、1993年以来、ザクセン自由州が所有している。<br /><br />写真は城内のGrosser Festsaal大宴会場の広間・・・ゴブランのかかった壁の中に隠された宝物が見つかったと云う。

    <クリープシュタイン城の歴史>

    今から600年以上前、この城の最初の支配者・居住者になったのはDietrich von Beerwaldeベールバルデ家のディートリヒ (1384~1408年) であった。
    1423年頃、ディートリヒは美しい宗教画が描かれていることで知られるKriebsteinzimmer クリープシュタインの間を完成させている。
    15世紀の宝物庫に描かれた壁画も幻想的なものと云われ、1410年の礼拝堂にはマリア様の絵が描かれている。

    1986年、居住塔の煙突の中に宝石類が隠されていたのが発見され、現在は宝物庫に展示されている。城には博物館(1945年)があり、1993年以来、ザクセン自由州が所有している。

    写真は城内のGrosser Festsaal大宴会場の広間・・・ゴブランのかかった壁の中に隠された宝物が見つかったと云う。

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