2011/04/06 - 2011/04/11
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kojikojiさん
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ウィーンに到着した午後に美術史美術館を見学してそのままミュージアム・クオーターへ行きましたが、時すでに遅く「レオポルド美術館」は閉館した後でした。昼過ぎに「市庁舎」からリンクを歩いて「美術史美術館」をゆっくり見学したら6時を過ぎていましたから。旅行に来る前は計画通りに行動しようとしても、その場その場で感動したり誰かに出会ったりでどんどん計画から逸脱してしまいます。40歳過ぎて自分で計画したスケジュール通りに旅をするのが辛くなり、それまで1ヶ月半くらいの長さの旅が1カ月になり、50歳を前に3週間ぐらいがちょうど良いつもりでしたが…。
翌日の朝一番の「レオポルド美術館」は朝の陽射しが差し込みとても清々しく、夕方に来るのではなくて良かったと思えました。チケットを購入して最初に企画展のアール・ヌーヴォーのアクセサリーを見学しましたが、アール・ヌーヴォーのルネ・ラリックの作品は素晴らしかったです。リスボンの「グルベンキアン美術館」には及びませんが秀作が多かったです。そしてエゴン・シーレの作品を拝見しますが、ここの美術館は写真撮影が自由にできるので良かったです。ベルベデーレ宮殿は現在は撮影可能ですが、この当時はまだ禁止されていました。ウィーンに初めて来た1991年当時はクリムトは好きでしたが、シーレの作品は生々しすぎて正直好きになれませんでした。30代から50代に自分の年齢も変わり、受け入れることが出来るようになりました。改めて見直すと画家の内面の荒々しさまで感じられた気がしました。もちろんこの美術館にも大好きなクリムトの作品も多いのですが。また2階から上にあるウィーン世紀末の美術品は展示の仕方も良く、落ち着いて観賞する事が出来ました。学生の頃に図面を起こした椅子などの現物を目にすることが出来たのは興奮しました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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プラハから到着したウィーンの初日は「美術史美術館」へ一番に向かいました。閉館時間に追われるように表に出て、MQ(ミュージアム・クオーター)に向かいましたが時すでに遅く美術館はすべて閉まっていました。
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ミュージアムクォーターにはバロック建築から近代建築まで様々な様式で建てられた美術館が集まっていますが、その場所にはかつて厩舎があり、1998年から3年の年月と1億5000万ユーロ (20億シリング) をかけて文化芸術区画として開発されましたた。 1991年当時には無かった場所なのでここへ来るのは楽しみにしていました。
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MQ には左側にレオポルト美術館と右側にMUMOK (近代美術館) と中央には芸術展示場のクンストハレ・ウィーン があります。広い広場ではいろいろなイベントが催されますが、のちに来た時に見たクリスマスマーケットは現代的な雰囲気でよかったです。
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この時クンストハレで開かれている展示会のこのポスターが気に入りました。
後で見たらいろいろな所でこの写真を撮っていました。WELTRAUMUはドイツ語で「宇宙」の意味です。ポスターは気に入りましたが、見に行く気は全くありませんでした。 -
翌日はブルク劇場/市庁舎前からトラムに乗って移動しました。2回歩くほどリンクの眺めもいいわけではありません。この日からはウィーンカードの72時間券を使い始めます。
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朝9時にはマリア・テレジア像の前に着いていました。王宮に向かって凄いインパクトです。未だにこの国はマリア・テレジアが支配しているようです。北向きに置かれた像なので、顔に光線が当たるのは午前中だけです。
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マリア・テレジアは社会科見学の子供たちに囲まれていました。朝早いので音楽会のチケット売りもいません。
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このマリア・テレジア像が背を向けている方向にミュージアム・クオーターがあります。
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背中側から眺めたミュージアム・クオーターのクンストハレの建物です。
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20年前にもこの辺りを歩いているのですが、まったく記憶がありません。このバロックスタイルの建物も新しく建てられたのでしょうか?
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建物の中欧を通り抜けると美術館とホールの並ぶ広場に出ますが、この建物の中にもインフォメーションやミュージアムショップが併設されていました。
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「クンストハレ」は現代美術の時代に限っての展示を企画する美術センターで、独自の収集品は所蔵していないそうです。その奥の濃灰色の玄武岩に覆われた石棺のような建物が「mumok近代美術館」です。
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先ほどマリア・テレジアの前で出会った子供たちもミュージアム・クオーターにやってきました。
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そしてこちらが目当ての「レオポルド美術館」です。この美術館の収蔵品はエリザベスとルドルフ・レオポルト夫妻により50年以上にわたり収集された5,000点を超える作品です。オーストリア共和国とオーストリア銀行の協力のもとにレオポルト美術館財団が管理することになりこの美術館は2001年に開館しました。
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収蔵品の中心をなしているのは20世紀前半のオーストリアの美術作品で、この中にはエゴン・シーレやグスタフ・クリムトの主要な絵画やデッサンが含まれ、オーストリアのウィーン分離派やアールヌーヴォーやユーゲントスティル運動から表現主義への流れを見ることができます。
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まずは階段を上って広場を俯瞰してみます。朝早いので人の姿も少なく落ち着いた雰囲気です。
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午前10時になって開館ですが、一番乗りは恥ずかしいので今来たような振りをして5番目にチケットを買いましたが後ろには誰もいません。
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正面にジュエリーの企画展が開かれていたので入ってみました。ドイツのダルムシュタッドのヘッセン美術館のアールヌーボー様式のジュエリーのユニークなコレクションです。
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ヘッセン美術館はルネラリック、ジョルジュフーケ、フィリップウォルファース、ファベルジェ社、ゲオルクイェンセン、ハンスクリスチャンセン、エルンストリーゲルなどの250点を超えるジュエリーが特徴で、世界で最大のコレクションの1つといわれるものです。
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いいなと思うと大抵がルネ・ラリックの作品で、これは「ヘビの花(Schlangenblute)」という題名が付いていました。
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こちらはウツボカズラの中に真珠が組み込まれています。
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日本趣味の濃いかんざしの様なデザインに藤の花があしらわれています。
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ラリックのジュエリーと言うとリスボンの「グルベンキアン美術館」の収蔵品は素晴らしかったのを思い出します。ラリックを目当てで行った訳ではありませんでしたが、ラリックのジュエリー以外に何を見たのか覚えていないほどです。
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とくに昆虫のものが素晴らしかったのを覚えています。2010年だったか日本で展示会がありましたが、その開催期間中にリスボンの美術館を訪れた人が残念な思いをしなかったか心配になりました。特にトンボをモチーフにした作品は大きすぎないかと思うほどでしたが、その完成度は素晴らしかったです。
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ちいさいブローチですが中央にスカラベを置き、コブラとコンドルをあしらったエジプトの秘宝の様なデザインです。
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ジョルジュ・フーケの作品はサラ・ベルナールの肖像画が描かれたブローチで、1895年に作られたものです。ゴールドとエナメル、ダイヤモンドとルビー、サファイアとパールで57 x 40 ミリと小さいものです。
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そしてエゴン・シーレの部屋に入ります。部屋は高い天井と無機質な白いペイントの壁と大きな窓といった簡潔な内装です。そしてシンプルな額に納まったシーレの絵が並びます。
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「首を傾けた自画像」
20年前にウィーンとその世紀末に興味を持って訪れた時に唯一受け入れがたかったのがシーレの絵でした。単純に暗くて陰鬱で猥雑だと思った程度ですが、自分も人生を重ねた後では全く違って見えました。好きなものは好きで嫌いなものは嫌いなんて事では人生乗り越えてはいけません。 -
エゴン・シーレは1890年にオーストリアのニーダーエスターライヒ州トゥルンで生まれ、子どものときは電車が好きで電車の絵を描いて過ごすことが多かったそうです。絵に対する入れ込みが強く、心配した父親がスケッチブックを破り捨てるほどだったそうです。また、中学生ぐらいから妹のゲルティのヌードデッサンを多数残したりしています。
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1906年にシーレはウィーンのクンストゲヴェルベ美術工芸学校に入学しますが、初年度に教員の推薦によって名門美術学校であるウィーン美術アカデミーへ転入することになります。 1907年には若者に対して寛大だったグスタフ・クリムトのもとへ弟子入りします。 1908年にクリムトの協力で最初の個展を開催した後、1909年にアカデミーを退学し、アカデミーに対して不満を持っていた生徒たちとともに芸術集団「ノイ・クンスト・グルッペ」を設立します。
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シーレの作品はもともと斬新でしたが、クリムトの装飾エロティシズムと表現主義的な歪みを取り入れることで、さらに大胆で前衛的になります。
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「喪服姿の女」は恋人だったヴァリがモデルとなっています。1911年にシーレは17歳の少女ヴァルブルガ・ヌージル(ヴァリ)と出会い、ウィーンで同棲し始めます。彼女はシーレの絵画のモデルとして知られていますが、もともとはクリムトのモデルで愛人の1人だったと考えられています。
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「横たわる女」何ともエロチックなポーズですが彼女の視線はそれらを超越して何を注視しているのでしょうか?シーツによって下半身と上半身が分断され余計に誇張されたエロチシズムを感じました。ちょっと寄ってディテールを撮影するのはためらわれました。
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シーレは女性の裸体を多く描き、独特の筆遣いと人体の肉付き、退廃的でメランコリックなムードが特徴的です。恋人や妹だけでなく幼い少女から娼婦まで自分のアトリエへ誘い込みモデルにしたといわれます。またこの作品では女性の性器がシーツで覆われていますが、これは1918年のウィーン分離派の展覧会への出品を考慮して隠されたものであり、もとは女性の性器は露出していたと推測されます。シーレは絵画でタブーとされてきた女性や男性の陰部を大胆に描いたことでも知られますが、こうした展覧会への考慮により、ウィーンにおいて初めて成功をつかむことができました。
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「モルダウ河畔のクルマウ」の他にも数多くの田舎の家の風景画を描いていますが、この題材となった街はシーレの母の故郷であるクルマウで、恋人兼モデルであったヴァリーノイツェルとともに過ごした時期の街を描いています。しかしシーレはこの街で幼い少女たちをモデルにし、卑猥なポーズをとらせたり性的関係を持とうとしたことで罪に問われて街から追い出されてしまいます。またこの後2人で別の街に移り住みますが、そこでも同様の理由で住民から嫌われ追い出されてしまいます。
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シーレの絵を一緒に並んで鑑賞したらちょっと危ない感じがしますが、ほどよい距離に離れて同じ作品を観て、後で感想を述べ合えるのは素敵なことだと思います。オンタイムで他人の違った捉え方も知ることが出来ます。
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オーストリアの表現主義を代表するエゴン・シーレは、表現主義とウィーン分離派の第一人者であるグスタフ・クリムトから多くの影響を受けています。2人の人物を描いたこの「隠者たち」はシーレ本人とクリムトを表現しています。左がシーレ、右がクリムトです。
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1907年に17歳の時にウィーン分離派として活躍するクリムトに弟子入りしていますが、この時クリムトは45歳で、すでにウィーンの美術界の巨匠として名の知れた存在でした。シーレはそんなクリムトを称賛していましたが、どこか反抗的な表情をしているように見えます。
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この作品は生と死をテーマにした作品であり、自分の師を称賛しつつも独自の表現へ進むシーレの内面を映し出すようにも見えます。クリムトが華美で装飾的な表現を好んだのに対し、シーレは退廃的で悲しみを帯びた表現へ向かうこととなりました。この黒い服はグスタフクリムトが実際によく着ていたものだと言われています。
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「隠者たち」の左下に描かれたサインと薔薇の花の組み合わせが気に入りました。
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今までシーレの風景画をあまり見たことがありませんでしたが、今回じっくり見てみると素晴らしいと思えました。「こけらぶきの家」は母の故郷であるクルマウで、恋人であったヴァリーノイツェルとともに過ごした時期の街を描いています。それでもシーレはこの街を題材にした作品を多く残しています。こけらぶきは不均等に並び色もバラバラで、茶色やオレンジや赤といった暖色が採用され、シーレ独特の哀愁が漂うものの温かみのある印象です。
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一番良かったのはこの絵です。中央の少し明るめに描かれた洗濯物が人の生活を連想させます。ただ人は1人も描かれていません。きっと彼にとって風景画と一連の自画像や女性たちの絵は別のものだったのかもしれません。
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後年のクリスマスマーケット巡りの旅でチェスキー・クロムロフの高台から冬の風景を眺めた時に思い出されたのはシーレの一連の風景画でした。
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残念ながら町のどこにも洗濯物は干されていませんでした。
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朝からこの美術館に来ているのは数えるほどの人だけでした。好きなだけ観ていても人に気兼ねなく写真を撮れるのもよかったです。
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「枢機卿と修道女」はクリムトの「接吻」を捩った、まるでパロディのような絵ですがシーレの傑作だと思えます。密会の瞬間を見つかってしまった2人の心の中までは見透かせそうです。
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1枚1枚の自画像にどんな思いを込めて描いたのでしょう。痛々しい心のうちが伝わってくるようで、こちらも息苦しくなってきます。
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レオポルド夫妻のコレクションは本当に素晴らしい質の高い作品ばかりでした。
「ヴァリーの肖像」と「ほおずきの実のある自画像」のこの一対に配された絵が描かれた頃がシーレにとって一番良い時代だったのではないかと思いました。 -
1階のシーレの作品群を堪能したあとは上の階に上がります。このフロアも閑散としていますが、ウィーン工房やセゼッションの作品が並びます。どれも有名なものばかりで次から次に驚きと感動があります。
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ヨーゼフ・フランツ・マリア・ホフマンは、オーストリアの建築家でデザイナーです。ウィーン分離派の中心メンバーの一人で1903年にホフマンとコロマン・モーザーが設立したデザイン工房に参加します。アーツ・アンド・クラフツ運動の影響を受け、家具やファブリックや服飾など生活に関わるものを制作しています。後にブリュッセルで外観を見に行ったストックレー邸はウィーン工房が総力を挙げて制作にあたった作品です。クリムトの描いたストックレ・フリーズの下絵はこの後MAK(応用美術博物館)で見る事が出来ました。
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オットー・ワーグナーのアム・シュタインホーフ教会に行かれる方は特にこのコロマン・モーザーのステンドグラスを良く見て行く事をお薦めします。教会では高い位置にあるのでディティールを見ることが出来ませんが、ここでなら手に取るように裏表を見る事が出来ます。モーザーは建築家のオットー・ワーグナーと関わりが深く、アム・シュタインホーフ教会のステンドグラスや祭壇なども制作しています。
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コロマン・モーザーは19世紀末から20世紀始めにウィーンで活躍したデザイナーで、ウィーン分離派の1人でもあります。愛称はコーロで、美術館の案内にもコーロ・モーザーと書かれてありました。 モーザーやロラーなどの手による分離派展のポスターなどが続きます。
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一番右が有名なロラーの14回分離派展のポスターです。アルフレート・ロラーはオーストリアの舞台美術家で画家でイラストレータでもあります。やはりウィーン分離派の主要なメンバーの1人で、作曲家のグスタフ・マーラーの楽劇の舞台美術家や演出家としても活躍しています。
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ロラーは1897年に結成されたウィーン分離派にコロマン・モーザー、ヨゼフ・マリア・オルブリッヒらと参加します。1899年にウィーンの工芸学校の教授となったイラストレータとして、分離派の展覧会のポスターや分離派の機関誌「ヴェール・サクルム」の表紙も描いています。 1902年の分離派の展覧会の開会式に指揮者として招かれた作曲家のマーラーと知り合い友人となり、1903年2月に宮廷歌劇場(後のウィーン国立歌劇場)で上演された「トリスタンとイゾルデ」の舞台美術を担当し、成功したことによりその後もマーラーの作品の舞台美術の仕事を続けています。
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一番のお気に入りはコロ・モーザーの13回分離派展のポスターです。簡潔な直線と円で女性を表し文字のロゴタイプまでもがその一部になっているように見えます。
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2階の奥の部屋にもエゴン・シーレとクリムトが鎮座していました。下のフロアとどう違うのか良く判りませんでしたが、レオポルド夫妻のコレクションとそれ以外ということなのでしょうか。
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「浮遊」は修道僧の衣装を着た2人の男が、様式化された風景の中を浮遊しているようです。風景は色とりどりではあるが暗い印象の花の咲く陰気な平原のようです。
下にいる男は足で地面に触れているが、上の男は体の全てが浮いているようです。かろうじて生きているような男たちの大きな目はまぶたが半分しか開いておらず、疲れ果てているようです。 -
エゴン・シーレが1908年に描いた「装飾的な背景の前で様式化された花」という作品です。シーレは1918年の第1次世界大戦も終わりに近付いた時にクリムトによる第49回ウィーン分離派展に50点以上の新作を一挙に公開し、作品群は一躍注目を集めます。画家としての大きな一歩を踏み出しますが、妻エーディトが大戦前後に流行していたスペインかぜに罹り、シーレの子供を宿したまま10月28日に亡くなり、シーレも同じ病で10月31日に28歳で亡くなります。
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この作品は18歳の時に描かれていますが、強烈にジャポニズムを感じる絵に思えました。金箔の背景に太湖石のようなものが中央に置かれ、山吹色の花が配されています。
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小さい作品ですが安土桃山時代の金屏風でも見ているような気がしました。
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ベルベデーレ美術館にはクリムトの風景画が数多く収蔵されていますが、ここにも数点の作品が収蔵されていました。クリムトは約50点の風景画を描いたそうで、全作品の1/4にもなるそうです。
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この旅の数年後からヨーロッパのクリスマスマーケット巡りにはまって、5年連続で効率の良いツアーに参加しています。その移動のバスの車窓から12月の景色を眺める度にこの絵を思い出します。
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左側の「アッター湖にて」以外は暗い絵が多かったです。この湖を描いた絵はタッチが印象派っぽくて、睡蓮でも浮かんでいたらモネの絵かと思いそうです。
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1900年から1916年にかけてクリムトは愛人エミリー・フレーゲと共に定期的にアッター湖畔にやってきて、ウィーンの喧騒を離れて静かな生活を送っていたそうです。
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「池の朝」などここにある風景画は全て正方形でした。普通風景画だと横長に描くように思いますが構図的にも無理が感じられました。また風景の中に人が描かれていない点はシーレにも通じるものがあると思いました。
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自分でも意識していないのですが、旅先で撮った写真を家に帰ってから見直すとクリムトの構図に似ているもの見つけることがあります。そういった意味でもたくさんの絵画を観ることは勉強になると思います。
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レオポルド美術館でどうしても観たかったクリムトの作品です。ベルベデーレには「接吻」があり、ウィーンの美術館にはうまい具合にクリムトがバラバラ収蔵されています。その全部を見ようとすると結構な入場料がかかります。
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この作品「生と死」はちょうど末の弟に子供が生まれる連絡を待っている時に観たので余計に印象深いものがありました。まさにフロイトのいうエロス(生の本能)とタナトス(死)が隣り合わせの世界観です。
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ギリシャ神話でタトナスは眠りの神ヒュプノスと双子の兄弟とされ、柔和で優しいヒュプノスに対してタナトスは非情だったので神々にとっても忌むべき者とされます。この絵を観ていてそんなことを思い出しました。
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この絵を観た翌日に姪が生まれました。
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我が家には子供がいないので、死神の方に自分を重ねてしまいそうです。
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「愛の行為(Lovemaking)」というそのままのタイトルの付いた作品です。これもシーレを自身とヴァリーを描いているのでしょうか。
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クリムトのモデルをしていた赤毛のヴァリーに出会ったシーレは、彼女を運命のミューズとして名画を次々と発表していきます。しかし第1次世界大戦で徴兵された彼は絵を描き続くことができる場を求めるために、ヴァリーを捨てて中流階級の令嬢と結婚します。
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彼らの視線に目を合わせているとこちらの精神も不安定になってきそうで怖いです。絶対家には飾りたくない作品です。レオポルド夫妻はどのような思いで購入したのかが知りたくなりました。
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「死と男」ピカソの作品でもアフリカの仮面からインスピレーションを受けた作品がありますが、シーレの作品もドゴン族の仮面から影響を受けているのでしょうか。
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確かに仮面の顔に似ているような気がしますが、シーレとアフリカの仮面についての関係性は分かりません。シーレの自画像の後ろには死んだ後の自分が描かれ、右側の巨大な顔は死神でしょうか。
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同じフロアの奥の部屋には大きな窓があり、前日見学した「美術史美術館」辺りが見渡せホッと一息つけます。
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更に部屋は続き、ウィーン工房の家具や工芸品が並びます。
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とても百年近く前に設計されて造られた作品とは思えません。プラハで見てきたキュビズムの家具よりは欲しいと思えるデザインです。
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ヨーゼフ・ホフマンが1904年から1908年にかけてデザインしたテーブルです。同じ四角形のパンチングメタルを使用したカゴなどのテーブルウェアもデザインしています。
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ヨーゼフ・ホフマンの有名な椅子です。建築家としてのホフマンの仕事ではブリュッセルの「ストックレー邸」が特に有名ですが、これに比肩する優れた最初期の作品に「プルカースドルフのサナトリウム」があります。この建物は白を基調として水平と垂直を強調したデザインで、ストックレー邸よりむしろモダニズム建築に近い合理性を感じさせる建物です。このサナトリウムのために設計された家具のひとつがこのアームチェアです。ウィーン工房にとって最初の大きな仕事となり、建設とともに受注した内装のために設計された椅子です。背もたれの格子柄は同時代の銀製の花器やトレイ等の工芸品にも見受けられるホフマンに特徴的な様式で、球体の装飾は同じサナトリウムの食堂のための椅子にも施されました。肘掛の球体は装飾であると同時に背もたれの角度を変える装置として機能する部材で、背もたれの両脇についたバーのかけ位置をずらすことで5段階に角度が変更可能です。
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トーネットの椅子の図面も学生の頃に原寸図を描いたことがあります。ここを見学して「応用美術館(MAK)」にも行こうと思い、滞在中の予定の収拾が付かなくなり始めました。奥の白い椅子は「プルカースドルフのサナトリウム」のエントランスホールに置かれたもので、コロマン・モーザーが設計したものです。
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来る前は涙を呑んで諦めた場所や美術館も実際に来てしまうと外せなくなります。
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久し振りに学生時代の熱い想いを思い出させるものに会えたような気がしました。
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こんな家具の似合う家に住めたら素敵でしょうね。
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オスカー・ココシュカの「ピエタ」です。今回改めて見直したのがココシュカで、エゴン・シーレも20年前は取っ付き難いと感じましたが、今回はクリムトと同じように素晴らしいと感じました。多少人間的に進歩したのでしょうか?ただ感動する度合いは年齢と共に落ちているように思います。カフカは感動する心があれば人間は衰えないと言いましたが、確実に歳を取っているように感じます。
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またシーレの作品が並ぶ部屋がありました。
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「アナ・ディアス」
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「膝を立てるセルフ・ポートレート」
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このはシーレの母親が住んでいたクルマウ(チェスキー・クルムロフ)の風景でしょうか?この「小さな町」の絵にも誰も描かれていません。何か母親に対する感情の様なものが関係しているのでしょうか?
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ずっと観ているとフンドレットワッサーの色使いにも共通するものがあるように思えてきます。彼の版画に使われている色の原点はシーレだったのでしょうか?30年くらい前に池袋西武のアール・ヴィヴァンという書店でフンドレットワッサーの版画のオリジナルがものすごく安く売りだしていたことがありました。今でもあの時何故買わなかったのだろうと後悔しています。
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「うずくまるふたりの女」はシーレの最晩年の作品です。モデルは愛妻のエディットですね。最晩年の作品はどれをとっても傑作揃いです。
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裸体の作品でもこれぐらいなら受け入れられますが、性器を誇張したような女性像はやっぱり好きではありません。
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これは同じものがベルベデーレの下宮で開かれていたエゴン・シーレ展にもありましたので数点描かれているのでしょうか?一緒にジェームス・ディーンの写真が飾られていたのが印象的でした。
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「愛しあう二人」です。最晩年の28歳の作品です。この作品はシーレ自身と妻のエディットを描いたものですね。こんな幸せそうな2人に突然の死が迫っており、とても悲しい気持ちにさせられる作品です。ベルヴェデーレ宮殿にある最高傑作「家族」と共通するものがあります。
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この時にはもう子供を授かっていたと思うと悲しい気持ちになります。
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2人の表情からはそんなことは感じられず、エディットの表情には希望の様なものを感じます。シーレの絵画の画中の人物の視線を受け止められないことが多いですが、この絵は安心して観ていられます。
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アルフォンス・ヴェルデというキッツビューエルの絵描きさんらしいですが、何とも言えない空気を感じます。何度も訪れたスイスで早朝や夕暮れ前にドキッとするような景色に出会いました。この望遠レンズで切り取ったようなアングルも素晴らしいですが、残念ながら妻はこの絵の前を素通りでした。ああ、スイスに連れて行かなければと思いました。アルプスの景色を知っていたら…。セガンティーニも1枚ありましたが、クリムトと同じ時代の人だったと初めて知りました。
中学生のころだったか父に連れられてセガンティーニ展に行った事があります。サン・モリッツのセガンティーニ美術館で3部作を目の前にして写り行く陽射しが絵の表情を変えてゆくのをずっと見ていたのを思い出しました。約1時間誰も訪れない贅沢な時間でした。 -
アルフォンス・ヴァルデはオーストリアの芸術家で建築家でもありました。
ヴァルデも冬の風景や農業のイメージ、特にスキーやスポーツのシーンで、テンペラや油絵の具で描かれた絵で知られています。 彼の絵画の多くはキッツビューエルの美術館ギャラリーで見ることができるそうです。 -
ヨーロッパのスキー場には若いころ通いましたが、キッツビューエルには行ったことがありません。
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ハンス・クラリクの絵はプラハを旅してきた後でもあり、何とも心魅かれた絵でした。旅の途中でありながら懐かしく思えるとは…。今回の旅はあまりに毎日濃度の濃い観光をしていたのでウィーンに着いたころにはプラハを廻ったのが遠い昔のように思えました。実際の景色はどこなのでしょうか?題名はフロム・マイ・ウィンドウとなっているだけです。
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クラリクはデュッセルドルフの国立美術アカデミーで1925年から1928年まで学びました。1933年3月にドイツ共産党の一員として逮捕され、ベルガームーア強制収容所に収容されます。そこで彼は「Die Moorsoldaten」のドローイングを作成しましす。 1934年12月に彼は妻のリヤ・クラリクと共にオランダを経由してパリに逃れますが、移民ではありましたがフランスのファシストに対する抵抗に積極的でした。そのために彼は反ファシズムのポスターやチラシや拡散紙、そして違法者のための身分証明書まで作成しました。
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ウィーンでよく見掛けるユリウス・マインル(Julius Meinl)の琺瑯看板です。日本もそうですが昔の看板は情緒がありますよね。
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同じく琺瑯看板のあれこれですが、現在でも地方の村とかには残っていたりするのでしょうか。
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吹き抜けからエントランスホールを見下ろします。相変わらず訪れる人も少ないようですが、落ち着いて観賞できるのでありがたい事です。
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お昼をかなり過ぎたところで「レオポルド美術館」の見学がようやく終わりました。妻はもうへとへとのようです。
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朝早くからシーレやクリムトやモーサーにホフマンなど、新しい情報が頭に流れ込んできてショートしてしまいました。
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ミュージアム・クォーターに置かれた「Enzo」という椅子です。2010年に開発され、ポリエチレンから製造されています。1台2,300ユーロで販売もしているようですが、重さは145キロもあります。なので道端に置いてあっても誰も盗まないようです。
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自転車に轢かれないように注意しながら「アルベルティーナ美術館」に向かいます。
毎日美術館のハシゴで頭の中が飽和状態ですが、そんなことは妻には言えません。
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中欧周遊3都市の旅ウィーン(2)20年ぶりの美術史美術館でブリューゲルの雪中の狩人に再会し、ゲルストナーでウ...
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中欧3都市周遊の旅ウィーン(3)ミュージアムクォーターのレオポルド美術館でグスタフ・クリムトとエゴン・シーレ...
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中欧3都市周遊の旅ウィーン(4)アルベルティーナ美術館でデューラーのうさぎを見て、ブルク公園のパルメンハウス...
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中欧3都市周遊の旅ウィーン(5)王宮博物館の宝物に驚いた後は霊廟に参拝し、国立図書館の圧倒的な蔵書にハプスブ...
2011/04/06~
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中欧3都市周遊の旅ウィーン(6)カフェ・ツェントラルとパッサージュ・フライウングからウィーンのカフェ巡りを始...
2011/04/06~
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中欧3都市周遊の旅ウィーン(7)「ロイヤル・オーケストラ/モーツァルト&ストラウス」コンサートの夜。
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中欧3都市周遊の旅ウィーン(8)更地になった南駅跡にショックを受けるもベルヴェデーレ宮殿でクリムトと再会し、...
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中欧3都市周遊の旅ウィーン(9)工事中のカールス教会のドームに上がり、セセッシオンとカールス・プラッツ美術館...
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中欧3都市周遊の旅ウィーン(10)ナッシュマルクトと蚤の市からマジョリカハウスとメダイオンハウス、カフェ・シ...
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中欧3都市周遊の旅ウィーン(13)路線バスに揺られてオットー・ワーグナーの最高傑作であるアム・シュタインホー...
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中欧3都市周遊の旅ウィーン(14)ウィーン市内のフラウイングとシェーンブルン宮殿とアム・ホーフ広場のイースタ...
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中欧3都市周遊の旅ウィーン(12)シェーンブルン宮殿からグロリエッテまで散歩して、動物園と日本庭園とパルメン...
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中欧3都市周遊の旅ウィーン(16)シュテファン大聖堂周辺を歩き、フィルグミュラーで巨大なウインナーシュニッツ...
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中欧3都市周遊の旅ウィーン(11)誰もいないオットー・ワーグナーの郵便貯金局のホールで妻とユーゲントシュティ...
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中欧3都市周遊の旅ウィーン(15)フンデルトヴァッサーの奇抜なヴァッサーハウスとクンストハウスを再訪し、直線...
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