2011/04/06 - 2011/04/11
3779位(同エリア6434件中)
kojikojiさん
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- 旅行記1760冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,462,480アクセス
- フォロワー169人
「ベルヴェデーレ宮殿」を後にして「カールス教会」を見学しました。ここも以前来た事はあるのですが入り口の位置が記憶と違ったり…。ただ荘厳なバロック様式の内装と祭壇は記憶の通りでした。今回違ったのは修復用の足場が架かりエレベーターまで設置されていた事です。普通であれば工事用の場所に入れる訳は無いのですが、自由に上まで上がる事が出来ました。更に足場は上に伸びドーム天井の一番上の天から舞い降りる鳩に手が届きそうでした。また、丸窓から望むウィーンの街並みも素晴らしかったです。いつまでこの足場が設置されているのかは分かりませんが、めったに見られない場所からフレスコ画見られますのでお勧めの場所です。
「セセッシオン(分離派会館)」も今回2度目でしたが、こちらはあまりに当時の印象が強かったので記憶と大きな差はありませんでした。ここは妻がどうしても来たかった場所で、仕事の関係でウィーンを訪ねた時に時間が無くてバスで前を通り過ぎただけだった苦い記憶があるようでした。地下のベートヴェン・フリースは2度目でも感動する素晴らしい物でした。残念ながら館内は企画展も含め撮影は出来ますが、ベートーヴェン・フリースだけは撮影できません。日を改めて訪れた「ウィーン・ミュージアム・カールスプラッツ」は2人とも初めてでしたがとても素晴らしい展示品がありました。以前は市立歴史博物館と呼ばれていたので美術書を見てクリムトやシーレを見に行かれる方は大抵の本の所蔵先は旧名になっているのでご注意ください。クリムトの「パラス・アテナ」や恋人だった「エミール・フレーゲ」はここにあります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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「ベルヴェデーレ宮殿」の下宮から表に出て、「ソヴィエト戦勝記念碑」を見学してプリンツ・オイゲン通りを渡ると目の前はフランス大使館です。周囲がバロック様式の建築の中にあでやかなアール・ヌーヴォーの意匠が目を惹きます。
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大使館の裏側の建物には「ウィーン・ミュージアム・カールスプラッツ」の案内が出ていました。ここへも後程行くのですが、ウィーンの町はクリムトとシーレだけで食べていけそうな気がします。
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「カールス教会」は1713年にマリア・テレジアの父である神聖ローマ皇帝カール6世がペストの撲滅を祈願をして建てた教会です。中世のヨーロッパでは発症すると皮膚が黒くなる事から黒死病と呼ばれ恐れられた病気です。「死の勝利」や「死の凱旋」と名付けられる骸骨の馬に乗った骸骨の騎士が村の中を駆け抜ける絵がたくさんの画家によって描かれていますが皆ペストを擬人化したものです。それほど恐れられていたのでしょう。
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大きなドームとローマのトラヤヌス帝記念柱にヒントを得たという両端に2つ巨大な円柱を持つ教会で、円柱には聖カルロ・ボッロメーオがペストを鎮めるという物語のレリーフが刻まれています。また、2本の柱はスペインの国旗にも描かれている「ヘラクレスの柱」(ジブラルタル海峡)を意味しているようです。
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民族衣装を着た一団がやってきたので何か踊りでも始まるのかと期待したらみんなカメラを持っていました。ただの観光客では無いのは明らかですが…。
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今回は右手脇から堂内に入りましたが、以前は正面から入ったような気がしました。
そもそも有料だった記憶もありますんが、記憶が定かではありません。ただ荘厳なバロックスタイルの堂内は鮮明に覚えていました。 -
この教会はハプスブルグ家の宮廷建築家であるフィッシャー・フォン・エルラッハによる設計ですが、内装の彫刻装飾を手掛けていた彫刻家の父の工房で彫刻技巧を学んだ後に父の薦めでイタリアに遊学ます。
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1671年にエルラッハはローマで彫刻家ジャン・ロレンツォ・ベルニーニに弟子入りしてイタリアのバロック様式の彫刻や建築を学びます。 約16年のイタリア修行を終えてオーストリアに帰国した後にエルラッハはハプスブルク宮廷建築家に選出されています。
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バチカンの大聖堂内陣の青銅製大天蓋(バルダッキーノ)は、ウルバヌス8世の命を受けたジャン・ロレンツォ・ベルニーニが設計した傑作ですが、エルラッハの祭壇も光が降り注ぐような設計になっているので天にも昇れそうな気がします。
この祭壇を見ていてベルニーニがサン・ピエトロ大聖堂中心の4つの柱に設置した4つの聖遺物(ロンギヌスの槍の穂、聖女ヘレナの聖十字架の断片、聖ヴェロニカの布、聖アンデレの頭部)を安置する祭壇に似ているように思えました。 -
「新約聖書の「コリント信徒への手紙」にあるパウロの言葉に「11:4 男はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶるなら、自分の頭を侮辱することになります。11:5 女はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶらないなら、その頭を侮辱することになります。それは髪の毛をそり落としたのと同じだからです。11:6 女が頭に物をかぶらないなら、髪の毛を切ってしまいなさい。女にとって髪の毛を切ったり、そり落としたりするのが恥ずかしいことなら、頭に物をかぶるべきです。11:7 男は神の姿と栄光を映す者ですから、頭に物をかぶるべきではありません。」という理由で男性は教会内では帽子を脱ぎます。
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我々が入った際はほとんど訪れる人も無く、それがかえって神聖な雰囲気を醸し出していました。現在は天井ドームの修復工事中で、エレベーターと足場が架けられています。
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工事用のエレベーターは解放されていて(係員がいるような事が書いてありましたがいないので勝手に昇ってしまいましたが。)ドームのきわまで運んでくれます。
天使に囲まれてこのまま昇天しそうになります。上にプラットフォームがあり、更に工事現場の足組み階段でドームの頂上まで登れます。ここは最大10人と表示がありましたが、誰もいないのでそのまま登ります。 -
丸窓がたくさんあるのでドームの内部は非常に明るい印象を受けました。よく見ると丸窓の奥側には通路が設けられているのが分かりました。
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通常であればこんな間近でこの位置でドームを見る事は出来ないので興奮します。この一で地上35メートルの高さになります。フレスコ画はミヒャエル・ロットマイヤーの作品で、ウィーン中心のグラーベンにあるペータース教会のドーム天井のフレスコ画も描いてます。
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下から見上げるとかすかにしか見えませんが1人1人克明に描かれています。右手には父なる神の姿があり、左からはイエスが両手を広げて近づいていくようです。イエスの後ろには磔刑の十字架といばらの冠を持つ天使の姿。ドームのフレスコ画のテーマは「救世主の昇天」を描いていることが分かります。
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聖母が幼子イエスに乳を与え、左右には天使が人々に施しを与えています。右側にはホタテ貝と杖を持つサンティアゴの巡礼者が金貨や銀貨を帽子で受けています。
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修復前がどのような状態だったかは分かりませんが、昨日描き終わったんですと言われても納得しそうな状態です。柱を建てようとしている天使や錨を持ち上げている天使の姿が見えます。錨もキリスト教のシンボルの1つです。
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同じような写真ばかりですが、この足場が払われたら最低でも数十年は見る事の出来ないであろう作品なのでたくさん写真を残しました。
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いったい何人の天使が舞い遊んでいるのでしょう。
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一番上まで登りきるとドームの頂上に手が届きそうです。天井には三位一体の「精霊」を意味する鳩が飛んでいます。
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これも下からでは確認できないかもしれません。カールス教会の高さは72mありますから、1段目のテラスのエレベーターの終わりから30メートルくらいの高さを階段で上ることになります。
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クーポラの最上部はガラス窓になり、光が差し込みます。楕円のドームの周りは一見大理石のようですが、大理石風にペイントしただけのものです。ドイツやオーストリアでは大理石を産出しないのや、重量的な問題からこのような技法が発達したのだと思います。
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地上約70メートルの高さからのウィーンの町並みです。
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妻は「怖いから登らない。」といって階段を登りませんでした。
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丸窓の周りは平面なのですが「トロンプ・ルイユ」と呼ばれる「だまし絵」で立体のように描かれています。聖杯を恐れる悪魔やキリスト教の教義に反する人々が怯えています。
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最上段から下を見下ろすとこんな感じでした。広角の16ミリのレンズを持っていたので幅広く写真が取れましたが、この高さでのレンズの交換は緊張しました。
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いろいろな国の教会ドームに登りましたが、大抵はドームのふちを歩くだけなので中央部から見渡すのは初めてです。
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珍しい経験でしたのでカールス教会には新たな思い出が出来ました。
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祭壇もじっくりと見てみるとイタリアのバロック、ベルニーニの作品と見まごうばかりです。ローマで見てきたサンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会堂コルナロ礼拝堂の「聖テレジアの法悦」を思い出させます。両手を広げるのがペストを治めた聖カルロ・ボッロメーオで、右上には聖ヒエロニムスと左上に聖アウグスティーナの姿が見えます。
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祭壇の上にある大きな丸いガラスの窓は、ヘブライ語の「テトラグラマトン/ヤーウェ」で、神の全能性を象徴し、逆光の光と暖かい金色のトーンを通して、神の愛を象徴しています。
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見事なパイプオルガンも設けられています。
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教会の前には池があり、陽射しの強い汗ばむほどの昼下がりなので近くの大学生が周囲で寛いでいました。
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あのドームの一番上まで登ったと思うと達成感を感じます。教会に入って達成感を感じたのはバチカンのクーポラに登った時以来です。
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この旅の次にウィーンを訪れたクリスマスマーケット巡りでは、この広場に羊やヤギの小屋が置かれ、現在作家のモダンなスタンドが建って大人の雰囲気でした。
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すでにお昼の時間を過ぎていますが、先に「セセッション館(分離派会館)」の見学に行きました。ここの見学は2回目ですが、2度目とは言えこの強烈なインパクトの建物を目の前にすると興奮を禁じえません。ウィーン分離派(セセッション)の展示施設としてヨゼフ・マリア・オルブリッヒの設計により建設されています。ただ、ディティールはその当時の芸術家が担当しています。
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セセッションはウィーンの保守的な芸術団体キュンストラーハウスから独立するために誕生したウィーン分離派の拠点です。ウィーン分離派はグスタフ・クリムトが初代総統を務め、1897年にその周辺の芸術家たちとともに設立しました。創立メンバーには画家カール・モルや、建築家のヨゼフ・ホフマンやヨゼフ・マリア・オルブリヒがいました。
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この建物の設計は建築家ヨゼフ・マリア・オルブリヒにより、1897年から1898年にかけて建設されました。 当初リンク沿いの別の場所で計画されましたが、反対にあってウィーン市から提供されたこの場所に建てられました。
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建物の正面玄関上部には「時代にはその時代にふさわしい芸術を、芸術には芸術にふさわしい自由を」というモットーを掲げた。その言葉を逆手に取られて白い部分をすべてピンク色に塗られてしまったこともあるそうです。オーストリアの50セント硬貨にはセセッション館が描かれています。
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その下のレリーフはゴルゴン3姉妹で、長女「ステンノー(強い女と言う意味)」次女「エウリュアレー(広く彷徨うの意味)」そしてメデゥーサの3人です。ゴルゴンとは日本語にすると「恐ろしいもの」という意味です。蛇の絡まった髪の下には「MALEREI ARCHITEKTUR PLASTIK」の文字が読み取れますが、「絵画・建築・プラスチック」の意味です。
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青銅の扉はグスタフ・クリムトの弟ゲオルク・クリムトの作です。クリムトの末弟は兄たちと同じくウィーンの工芸美術学校に入学し、金属彫刻を専門に学びます。彼の代表作がこの扉で、その後クリムトのデザインのもとに主要作品の額縁も手掛けています。午前中に観てきたベルヴェデーレの「ユディット1」の額縁の金属部分もゲオルグの手によるものです。
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妻は数十年前の最初のウィーン訪問時は仕事の合間の滞在だったので自由行動も無く、時間が無くなってこの建物の前をバスで通り過ぎただけだったそうです。妻にとっては悲しい思い出の1つだったので今回の見学は念願だったそうです。
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2018年の4月にこの黄金の月桂樹の葉が8枚ほど盗まれたそうです。葉の1枚は長さ約60センチもあり、1枚の価値は約1000ユーロもするそうです。
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形を見れば白い四角い箱で構成された建物ですが黄金のドームや細かいディティールが硬さをやわらげていると思います。
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この日はそのままセセッションへ行きました。その後にナッシュマルクトで食事の予定だったのでオットー・ワーグナーのカールスプラッツ駅とカールスプラッツ・ミュージアムは別の日にしました。
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月桂樹のドームやゴルゴン3姉妹のレリーフやこのモザイクの植木鉢からギリシャの文化を強く感じ、皇妃エリザベートの別荘である、ギリシャのコルフ島のガストゥーリのアヒリオンパレスを思い出しました。
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また古代インドの世界観では地球を支えるのは巨大なカメなので、そこから発想を得たのでしょうか。青い地球に台風やハリケーンが巻き起こっているようにも見えます。
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外観の見学が済んだので中に入ることにします。
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妻の念願が叶って嬉しい気分です。クロークに荷物を預けて見学しますが、地下のベートヴェン・フリーズ以外は撮影しても良いと言われました。でも写真を撮りたいのは正にクリムトのベートーヴェン・フリースです。
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まず最初に1階の展示場の見学を始めます。柱の無い広々とした空間とトップライトの天井だけのシンプルな空間です。
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展示物にはあまり興味がありませんでしたが、大きなホールを切り取った淡い色彩のパネルのレイアウトが良かったです。
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ここでも我々以外誰もいなく、贅沢な時間を楽しみます。
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展示されている作品について尋ねようにも係員さんすらいません。
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大日本印刷の「日本の伝統色」の番号指定が出来そうな、上品な色遣いでした。
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1階正面の展示場の見学が終わり上のフロアへ移動します。この扉もゲオルク・クリムトの作品だろうかと思いましたが詳しくは分かりません。
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エントランスホールもデザインをそぎ落としたようですが、こうやって切り取ると絵になります。
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前日に弟のところに娘が生まれたので、義妹に写真を送りましょう。
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建物を見に来ているので展示物はどうでもよい気分です。
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MAMA hilf MIRはドイツ語で「ママは私を助ける。」ですね。
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奥の壁は全面が鏡張りになっているので部屋が2倍に広く見えます。何故か複写機が置かれてありましたが、これも作品なのかは分かりません。
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そして地下の展示室に向かいます。地下には目当てのベートーヴェン・フリーズがありますが撮影禁止です。部屋には日本語のパンフレットも置かれているのでゆっくり時間をかけて見学できました。ここも人が少なかったのが幸いしていました。狭い空間ですから人が多いと感動も薄れてしまいます。写真は絵葉書やパンフレットからの抜粋です。
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ベートーヴェン・フリースはグスタフ・クリムトの全長34メートルにわたる3面の壁画です。この壁画は1902年の第14回ウィーン分離派展示会のために制作され、展示会のテーマであるベートーヴェンをテーマにしています。マックス・クリンガー作のベートーヴェン像を会場のメインに据え、市民社会の理念を音楽によって実現させようとした楽聖を讃える内容でした。
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壁画はベートーヴェンの交響曲第9番をテーマにして、3面に分かれた構成になっています。左の壁には「幸福への憧れ」としてベートーヴェンを示唆していると思える黄金の戦士と彼に寄り添う2人の女性が描かれています。実際は墓室の様な部屋ん壁面の上部に描かれているので視線の高さでは見ることはできません。
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漆喰にカゼイン絵具で描くという近代絵画らしからぬ技法でクリムトの名声を確固させています。展示会の後にコレクターに売られますが、現在はベルヴェデーレ美術館の寄託作品として展示されています。これらの絵はリヒャルト・ワーグナーのによる叙述的解釈によるものとされます。
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部屋の中央にあたる正面は「敵対する力」である怪物テュフォンとゴルゴン3人姉妹たちを中心に、悪や不貞、淫欲などが象徴として表現されています。
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テュフォンはギリシア神話に登場する巨人で、その力は神々の王ゼウスに比肩するほどであり、神話に登場する怪物の中では最大最強の存在とされます。巨体は星々と頭が擦るほどでその腕は伸ばせば世界の果てまでも達します。腿から上は人間と同じ姿ですが、腿から下は巨大な毒蛇がとぐろを巻いた形をしているといわれます。底知れぬ力を持ち、その脚は決して疲れることがなく、肩からは百の蛇の頭が生え、火のように輝く目を持ち、炎を吐きます。またあらゆる種類の声を発することができ、声を発するたびに山々が鳴動したといい、古代の壷絵では鳥の翼を持った姿が描かれています。
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3人の全裸の女性はセセッションのファサードの上部にあったゴルゴン3姉妹だということが分かります。
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そして「肉欲」を表す右上の女性と挑発的な肢体を見せる「淫蕩」、肥え太った「不摂生」の擬人化した女性たち。
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壁画の装飾には金属から真珠母貝にガラスや半貴石が埋め込まれています。特にテュフォンの不気味な目玉や不摂生の女性の頭飾りにはたくさんの素材が使われています。
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正面右側の壁面は「歓喜の歌」で、諸芸術に案内され、純粋な喜びや幸福や愛を見出すことが出来る理想の世界へと導かれます。そして楽園の天使たちの合唱。
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シラーの詩を締めくくる「喜びよ、麗しき神の花火よ。」「この接吻を全世界に。」という一節を体現するこのモチーフは後の「接吻」の原型ともなっています。
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クリムトの没後100年を記念した展覧会が東京で開催され、このベートーヴェン・フリースが複製展示されていました。会場はオリジナルと違って目線の高さに飾られ、展示室にはベートーヴェンの交響曲第9番が流れていて感動しました。
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セセッションも見学者はほとんどいなく、ほぼ貸切り状態で見学出来たのは今回の旅でも恵まれた時間でした。
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脳を満足させた後は胃袋を満足させましょう。「セセッション」の斜め前から「ナッシュマルクト」というウィーンの市場が広がり、入口近くにあったノルド・ゼーというチェーン店で遅い昼食をいただきました。詳しくは市場とオットー・ワーグナーの建築編の旅行記で紹介します。
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翌日もう一度カールスプラッツ周辺へ戻ってきました。前日は時間が無くて寄れなかった「ウィーン・ミュージアム・カールスプラッツ」の見学です。
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以前はこんな名前の美術館があっただろうかと思っていたら、昔は「市立歴史博物館」という名前でした。美術書では古い名前になっているので注意が必要です。
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この美術館ではウィーンの2000年の歴史が判り易く展示されていますが、時間も限られているので気に入ったものだけを見ていきました。「円柱に縛られたキリスト」のテーマは「キリストの鞭打ち」や「柱での鞭打ち刑」などとしても知られ、キリスト教芸術において頻繁に見られる主題です。キリストの受難や生涯の一場面として表現され、「十字架への道ゆき」では4番目の場面に当たります。
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ゴシックのステンドグラスなど中世以降の物をメインに見ていきます。こちらは素朴なタッチが可愛らしい「受胎告知」で、処女マリアに大天使ガブリエルが降り、マリアが聖霊によってキリストを妊娠したことを告げ、またマリアがそれを受け入れる場面です。
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中世の騎士はこんな歌舞いた兜を被っていたのでしょうか。これを見て思ったのはスイスのベルンの旧市街にある11の噴水の1つで、同じような兜をかぶった熊の兵士の噴水がありました。左の兜は赤い獅子が王冠を被っているのでハプスブルグ家に由来するのが分かりますが、2匹の魚に腕を食べられる女性や家の扉の意味は分かりません。
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1852年にエドゥアルド・フィッシャーによって造られた巨大なリンクシュトラーセの模型が目を惹きます。
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シュテファン教会からケルントナー通り、少し広い広場がノイアー・マルクトだと分かります。現在では簡単にググれますが、当時としては画期的なものだったのではないでしょうか。
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ホフブルグ王宮周辺ですが、現在とは多少違いがあります。ブルク公園との間の建物はこの模型が作られた後の建築です。
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「マリア・テレジア(額の装飾画:幼いヨーゼフ2世)」マルティン・ファン・メイテンス
この頃ヨーロッパは理性や合理主義に基づく「啓蒙主義思想」が広まり、人間本位の考え方による社会の変革が行われます。ヨーゼフ2世はこの思想に傾倒して、死刑や農奴制の廃止、病院や孤児院の建設などさまざまな改革を実行します。自由な知識人たちの共感を得ることで、ウィーンをヨーロッパ文化の中心地へと導いた人物です。 -
ヨーゼフ2世はマリア・テレジアの4番目の子供で、ルイ16世の妃となるマリア・アントーニア(マリー・アントワネット)は15番目の子供になります。ひじ掛けの上に置かれた左手が指さすのは王権を表す王冠と王笏です。
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展示の仕方もなかなか面白いです。時間が無かったので先を急ぎましたが、係の人に何か尋ねると待ってましたとばかりに説明をしてくださいます。
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階段の踊り場に鎮座する2メートルを超える巨大なハプスブルグ家の紋章はどこに据え付けられていたものでしょうか。胸の紋章はオーストリア =ハンガリーの皇旗で19世紀後半 ?から1915年まで使われたものです。オーストリアが「ハプスブルク法」を通過させ、ハプスブルク家が持つすべての王朝的な特権を放棄させたのが1919年ですから帝国最後の頃の物でしょう。
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オットー・ワーグナーの 「美術アカデミー記念ホール」の模型です。1898年にヴェンツェル・ホルマンによって造られたものです。素材はカエデ材でブロンズに金メッキした金物も使用されています。見事な模型ですが後日行く予定にしている「アム・シュタインホフ教会」が楽しみになってきました。
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オットー・ワーグナーはウィーン工科大学およびベルリンの王立建築アカデミーとウィーンの美術アカデミーで建築を学びます。1863年には建築家として独立し、国際的な設計競技で成功をおさめ、1879年に皇帝夫妻の銀婚式を記念するリング通りの祝賀パレードのために設計したパビリオンにより、広くその名を知られるようになりました。1894年にはアカデミーの教授に就任し、ヨーゼフ・ホフマンやヨーゼフ・マリア・オルブリヒらを指導し、「ワーグナー派」を結成します。歴史主義から離脱し、近代生活のための建築を追求するモダニズムの基本的な原理を打ち立てて1899年には分離派にも参加します。
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大きな建築だけではなくオットー・ヴァーグナーは家具の設計も行っています。これは「カール・ルエーガー市長の椅子」で1904年に造られ、ローズウッドの材に真珠母貝とアルミニウムを象嵌し、革も使われています。
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若き日のエリザベートとフランツ・ヨーゼフ1世の肖像ですが、この当時はどちらも痩せている印象です。フランツの母であるゾフィーはバイエルン王家であるヴィッテルスバッハ家傍系バイエルン公家の公女で、皇帝にとっては母方の従妹にあたるヘレーネ・イン・バイエルンを結婚相手に考えました。1853年2月にフランツとヘレーネの見合いを兼ねて舞踏会が催される予定でしたが当日の昼にリベーニによる皇帝襲撃事件が起こり、見合いは延期となります。
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満23歳になる皇帝の誕生日の祝賀をするという名目で、母ゾフィーはミュンヘンから妹ルドヴィカと姪を招待します。ウィーンとミュンヘンのほぼ中間に位置する避暑地のバート・イシュルの地で両者の見合いが行われましたが、この時フランツ・ヨーゼフは社交界に慣れさせるためにヘレーネと一緒に連れてこられたその妹のエリーザベートに一目惚れをします。
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それまで自分の言うことにはすべて従っていた息子が自分の選んだヘレーネには目もくれないというこの状況を前にして、母ゾフィーは非常に困惑しました。結局のところゾフィーはフランツ・ヨーゼフに押し切られる形で結婚を了承することになります。
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フランツ・ヨーゼフは欧州各地に革命が流行した1848年に、メッテルニヒ亡命のドサクサの中で弱冠18歳で皇帝に即位しました。翌1849年にはハンガリーでコシュートたちがオーストリア帝国からの独立を求めて蜂起します。これをオーストリアの皇帝軍が鎮圧したことから、フランツ・ヨーゼフはマジャール人たちからか目の仇にされます。
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そして1853年12月にケルントナー門の保塁を散歩中だったフランツ・ヨーゼフは「コシュート万歳!」と叫んで突進してきたハンガリー青年のヤノシュ・リベーニのナイフによって怪我を負わされました。同行中だったアイルランド人のオドンネル武官(左端)と近くを通りかかったヨーゼフ・エッテンライヒという老人(右端)がその青年を取り押さえ暗殺は未遂に終わります。そしてこれを神のご加護と見た弟のマクシミリアン大公は、フランツ・ヨーゼフに教会の建立を提案し、コンテストの結果25歳の若き建築家であるハインリヒ・フェルステルの設計で建てられたのがフォーティーフ教会です。
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豪華なからくり時計も収蔵されていましたが、動いていないと面白みがありません。
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優雅な家具や再現された劇作家の部屋やたくさんの楽器も納められていました。
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ノイアーマルクトの夕暮れの風景です。噴水と広場の形から言って間違えないでしょう。今は駐車場のようになっていますが昔は風情のある広場だったとようです。
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「第1回ウィーン分離派展ポスター」グスタフ・クリムト
ベートーヴェン・フリースの様な上段にはクノッソス宮殿でミノタウロスを退治するテセウスの姿が描かれています。手前にはゴルゴンの盾を持つ女神パラス・アテナの姿があります。テセウスが自分たち分離派で、ミノタウロスが造形芸術家協会のことだと想像できます。このポスターではテセウスの男性器は木の幹で隠されていますが、当初は古典にのっとりイチジクの葉で隠されていましたが、保守派の検閲当局から横やりが入って替えられたそうです。 -
「若い母親」エゴン・シーレ
暗い色で厚く塗られているので重厚な印象があります。シーレの心の深層には母親と子供というテーマがあることを再認識させられます。 -
破天荒な人生を送ってきたシーレですが、家族を作ることという願望も強かったのではないでしょうか。打算的な考えもあったかもしれませんが、シーレは翌年の1915年に結婚しました。
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子供は母親の乳房を探しているようにも見えます。母親はそんな子供を優しく愛しむように見つめています。この絵はクリムトの影響も見られますが、クリムトはこの絵を称賛していたそうです。
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「自画像」エゴン・シーレ
印象的な指のサインが気になる作品です。レオポルド美術館で観た首をかしげる自画像は人差し指と中指の間でV字を作っていましたが、この絵では中指と薬指の間でV字を作っています。キリスト教美術上では描かれるイエスの指には意味があり、人差し指が Ι(ギリシャ文字のイオタ)、中指が C(同シグマ(Σ))、親指と薬指とで Χ(同キー(カイ))、小指が Cを表していますが、シーレの指は何を意味するのでしょう。 -
「ひまわり」エゴン・シーレ
シーレの描く人物でも風景でもない絵を観たのは初めてかもしれません。シーレのひまわりというモチーフの選択は、間違いなくゴッホとクリムトによって描かれた先例に影響されていると感じました。ゴッホのひまわりは1906年にウィーンの美術館で最初に展示されて以来人気があり、クリムトは2つのひまわりを描き、それらは1908年にウィーンで開催された大規模な展覧会で展示されています。 -
「エミーリエ・フレーゲの肖像」グスタフ・クリムト
個人的にはこの作品はクリムトの傑作のだと思いますが、本人は気に入らなかったそうです。描かれたエミーリエは、クリムトの生涯のパートナーともいえる女性で、2人の姉とウィーンでモードサロンを経営する聡明な実業家で、女性をコルセットから解放した「改良服」をデザインしたといわれます。 -
彼女はクリムトの「接吻」のモデルでもありますが、まさにこの時代のウィーンの華やかな先進の文化を象徴するミューズといえます。ただその成功にはクリムトの協力もかなり強かったと思えます。
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細部を見ると上手い下手とか判断出来ないタッチですが、全体を見ると素晴らしいのですから不思議です。子供の頃に尾形光琳や俵屋宗達の作品のディティールを観てドキドキした40年以上前のことを思い出します。
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「ある婦人の肖像」グスタフ・クリムト
非常に上手に描けていますがクリムトらしい面白みがありません。クリムトが描く女性の肖像画は、本物よりも美しい事でモデルとなった女性たちから大人気で、ブルジョワ階級の女性達がこぞって注文していました。 -
1894年の32歳の頃の作品ですが、背景の幾何学的な模様以外はクリムトらしさが感じません。この女性に対しての感情が感じられないというか、興味無かったように思えました。
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「パラス・アテナ」
ベルヴェデーレ宮殿の「ユディット1」と共に好きな女性像です。この前年に分離派を立ち上げてクリムトは初代会長になっています。この絵に描かれた芸術と学術の庇護者である女神パラス・アテナの強い視線は、保守的で古い考え方を変えない芸術家に抵抗しようとした分離派たちの想いが見えます。 -
先に観た「第1回ウィーン分離派展ポスター」と同じ強い意志を感じます。ヘルメットの形や波型の胸当てなどギリシャの甲冑や服装に忠実に描かれています。面白いのが胸のゴルゴンの顔で、保守的な造形芸術家協会をあざ笑うかのようです。
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「黄色いドレスの女性(画家の妻)」マクシミリアン・クルツヴァイル
この作品で知られるマクシミリアン・クルツヴァイルも印象に残る作家です。鮮やかなドレスの女性は、彼のフランス人の妻マルタで、画面中央で両手を広げて座る女性の首を少しかしげることで左右対称の均衡をわずかに崩し、見る人との親密な雰囲気を生みだしています。 -
表に出るとカールス教会が綺麗に見えました。プラハに着いた頃はまだ寒かった中欧の旅ですが、10日も過ぎると汗ばむような日が続いています。
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プラハに続きウィーンでも美術館巡りばかりの予定を組んでしまったのでさすがに食傷気味です。せっかく来たのに飛ばし飛ばしで有名な絵と好きな絵しか見ていないのがもったいない気になります。
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カールス教会を眺めながら広場を渡ると1対の建物が見えてきます。これはオットー・ワーグナーの作品で、彼はシュタットバーン(市営鉄道)の設計責任者でもありました。 シュタットバーンは1900年代に建設されたウィーン市街地を走る市営の鉄道で、そのほとんどが高架式でした。
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オットー・ワーグナーはこの鉄道がウィーンの町の景観に対する大きな貢献となるものと考え、鉄道本体だけでなく、橋梁や36の駅舎のような大規模構造物や、手摺や照明灯、案内板や文字の書体にも細かい注意を払って、鉄道全体として総合デザインという考え方を実現させました。
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1969年の地下鉄の開通にともないヒーツィンク駅とシェーンブルン駅、ケッテンブリュッケンガッセ駅とシュタットパーク駅、ロスアウアー・レンデ駅などのいくつかの古い駅舎が往時のままにリノベートされました。大理石と金色の縁取りで美しいカールス・プラッツ駅の2つのパヴィリオンは、特に念入りに復旧工事が行われました。片方のパビリオンはカールス・プラッツ・カフェとして営業しています。
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正面の向い合わせの片側はオットー・ワーグナーの資料の展示室になっています。91年に来たときはかなり傷んでいましたが、この20年で綺麗に修復されていました。
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裏側には現在も使われている地下鉄の入口があります。20年前は博物館として公開していなかったような記憶があるので、ここに入るのは初めてです。
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駅舎は鉄骨構造になっていて、構造体であるむき出しの鉄骨組にはめ込まれた2センチ厚の大理石版を外装に、そして鉄骨に支持された5センチ厚の石膏プラスター壁を内装として構成されています。相互に向き合った2つの建物にはそれぞれのプラットホームへ降りることができます。
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プラハの市民会館のインテリアを見学した時も感動しましたが、同じ時代のウィーンにも素晴らしい建築がたくさん残っています。20年前に来た時もその多くを見学していますが、今回はほとんどが2度目の訪問になります。2か月の旅の最後のウィーンだったので、手持ちのフィルムも少なく、写真もあまり撮る事が出来ませんでした。
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ここにもひまわり模様がありました。オットー・ワーグナーもウィーンでゴッホのひまわりを観たのかもしれません。
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こんな4枚扉があっても人が出入り出来たのですから、当時の乗降客の数も知れていたのでしょう。
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白漆喰に立体的な装飾が施され、金色の模様が描かれています。左右対称に描かれた模様はエジプトのモチーフも感じさせるようです。駅舎につきものの時計も時間通りに動いていました。
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そして白い壁に金の装飾を見ればオットー・ワーグナーのデザインだとわかってしまうことが凄いです。
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パビリオンの中には巨大な模型がありました。ファサードの部分を見ると「アム・シュタインホフ教会」だということがすぐに分かりました。早くここの見学に行きたいのですが、週末の限られた時間だけ見学が出来るので待つしかありません。
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建物の後ろに繋がっている部分は実際の教会にはありません。
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建築途中だったのか計画変更されたのでしょうか。実際に現地へ行ってみるとこの辺りは松林で、このような車寄せを設ける必要は感じられませんでした。
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先ほど見てきた模型よりもこちらの方が精巧に出来ていたので、新しく造られたのかもしれません。
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特に金属部分の精度は本物を見ているようでした。
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オットー・ワーグナーの設計した駅舎で残っているものをすべて見学したかったのですが、妻にNGを出されていました。公共交通機関のフリーチケットがあったので、朝早くに1人で見に行けばよかったと思いました。
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ここから地下鉄に乗ってカールスプラッツを後にします。左手に現在も使われている地下鉄の入り口があります。
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