2011/04/06 - 2011/04/11
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kojikojiさん
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ウィーンに着いて真っ先に行きたかったのが美術史美術館です。と言うかここにもう一度訪ねるためにウィーンに来たのかもしれません。20年前に夏のウィーンを出発してイタリアを1ヶ月旅して、更にスイスを半月廻った後に戻ってきたウィーンで最後に見学したのがここでした。旅の最後の寂しさを感じながらギャラリーを廻ったのを昨日の事のようによく覚えています。また小学生の時の3年の図工の教科書に載っていたブリューゲルの「雪中の狩人」は自分にとって西洋絵画との初めての出会いだった絵でもあります。ブリューゲルの傑作が集まったこの部屋のソファに座り時間の経つのも忘れて何度も何度も数百人はいるであろう絵の中の人達を眺めた事も忘れられません。今回は妻と一緒ですが、好きな絵や美術品の趣味が同じなのが今回ほど良かったと思うことはありませんでした。前回は1人だったので立ち寄らなかった吹き抜けのゲルントナーの支店のカフェにも立ち寄ることが出来ました。この20年の間に見逃していた絵画についても勉強してきたので、目的の絵画もブリューゲル以外に増えていましたので、再訪したいと思い続けた願いが叶った美術史美術館の見学でした。とはいえ、ウィーン到着日の午後に着いた後に閉館時間までいたのですがいくつかの絵を見逃したことに気が付き、またしばらくしたら再訪しなければならないなと感じました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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市庁舎の裏手にあるホテルを出て、市庁舎を抜けてリンク大通りをぶらぶら歩いて「美術史美術館」へ向かいました。途中にあるギリシャ神殿のような建物は国会議事堂です。建築家デオフィル・フォン・ハンセンによって設計された建物です。
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ギリシャの知恵の女神パラス・アテネの泉の台座にはドナウ川とイン川、エルベ川とヴルタヴァ川を擬人化した像が並びます。ローマのナヴォーナ広場のベルニーニの4大河の噴水(ナイル川とガンジス川、ドナウ川とラプラタ川)へのオマージュを感じます。
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ようやく「美術史美術館」に到着しました。ゆっくり歩きすぎてしまったので閉館まで4時間弱しかありません。
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観光客向けのコンサートのチケット売りはウィーンの風物詩でもありますが暑くて大変そうです。彼は学生でピアノを勉強していると言っていました。同じ学校に日本人の女の子がいると言っていましたが、話し振りから彼がその子に好意を持っているのが感じられました。良い席を勧めてくれて感じも良かったし簡単なコンサートには行きたかったのでチケットを買いました。「ところであなた方は学生ですよね。」と聞かれたので「勿論!」と答えました。別に身分証明の必要はありませんから学生といった方が安くチケットが手に入ります。
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マリア・テレジア像を挟んだ反対側は同じ建築の「自然史博物館」ですが入ったことはありません。この旅の7年後にウィーンのクリスマスマーケットを巡りましたが、この広場の多くのスタンドがオリジナルのアートを扱う作家さんだったりするのでお勧めです。
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妻もパリのギャラリー・ラファイエットで仕事をした帰国の途中にウィーンに来たことがあるらしく、互い数十年ぶりの「美術史美術館」の見学です。
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いろいろな所に引っ掛かりながら到着したので入館がだいぶ遅くなってしまいました。チケット売場のおじさんは「明日も使えるからね。」と券を渡してくれましたが・・・。
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クロークに荷物を預けて身軽になって見学開始です。最初に係員に写真撮影の注意を聞いておきます。「フラッシュを焚かなければ特に注意はないですよ。」とのことでした。
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ここの収蔵品も素晴らしいですが建物も素晴らしいです。正面の階段を上がっていくにつれて気持ちも高ぶってきます。
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階段から天井のムンカーチの「イタリア・ルネッサンス賛歌」までが綺麗におさまりました。この天井画にはティツィアーノやダ・ヴィンチ、ラファエロやミケランジェロ、 ヴェロネーゼといったルネッサンス絵画の巨匠達が描かれています。
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24ミリだとこんな感じです。ソニーのNEX-3はなかなかやります。
素人カメラマンには充分の性能です。 -
プラハでもそうでしたがこの時期中欧は観光客が少ないのかどこへ言っても人が少なくて贅沢な気分で見学が出来ました。
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階段の踊り場から見返した欄間の絵画はクリムトの作品です。左が「ギリシャ」で右側は「エジプト」を擬人化しています。ギリシャはアテネの守護神パレス・アテナ、パルテノンの博物館でも見られるウロコ状の鎧がカッコイイです。
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建物が大きくていろいろな所を見逃さないように捜し回ると首が疲れてしまいます。
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「古代エジプト」は右手のカーブに合わせてトキの姿をしたトト神を肩に乗せ、生命を意味するアンクを持っています。エジプトについての造詣が無ければ描けないと思いました。
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対になるようにビザンチンの衣装を着て聖書を持つ女性像と古代ローマの衣装を着た女性像がああります。ホールを見るだけでも時間がかかってしまいます。
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さあ展示室に入るとティツィアーノやヴェロネーゼやティントレットといったイタリア絵画の部屋が続きます。この美術館の特徴は座る場所が非常に多いということで、それだけ見学するのに時間がかかるということだと思います。
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右翼の一番奥にラファエロの作品がありました。「プラトの聖母(草原の聖母)」ベルヴェデーレの王室コレクションとして長い間所蔵されていたことから「ベルヴェデーレの聖母」としても知られています。
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イチオシ
聖母マリアはブルーの金の縫い取りのあるマントを赤いドレスの上に羽織っています。青は教会を象徴し、赤はキリストの死を、そして聖母により母教会とキリストの犠牲は一体化されます。
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幼子の姿の洗礼者ヨハネが持つ小さな十字を触ろうと前に乗り出す幼子キリストを聖母は支えています。マリアの後ろに咲く芥子の花はキリストの情熱と死と復活を表すアトリビュートです。
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「茨の冠をかぶったイエス・キリスト」はカラヴァッジオの作品で美術史博物館には彼の作品が3点収蔵されています。
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30歳の頃にカラヴァッジオを求めてローマからナポリ、メッシーナからパレルモ、そしてマルタと彼の足跡を訪ねたことがあります。
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「ゴリアテの首を持つダビデ」もカラヴァッジョの作品です。ゴリアテは旧約聖書のサムエル記に登場するペリシテ人の巨人兵士で、サウル王治下のイスラエル王国の兵士と対峙し彼らの神であるヤハウェを嘲ったが、羊飼いの少年であったダビデが投石器から放った石を額に受けて昏倒し、自らの剣で首を刎ねられ絶命しします。ゴリアテの額には石の当たった傷が見えます。
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ローマのボルゲーゼ美術館で観たカラヴァッジョのダビデは悲しそうに目をそむけがちですが、この絵では勝ち誇ったような表情です。ボルゲーゼのゴリアテはカラヴァッジョの自画像とされますが、ウィーンのゴリアテの顔は自画像ではないようです。
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「ロザリオの聖母」もカラヴァッジョの作品です。幼子イエスと聖母マリアと聖ドミニコと民衆が段々のような階層に描かれています。聖母マリアは聖ドミニコと眼差しを交わしていますが、民衆にはイエスとマリアが見えていません。民衆は熱狂的にドミニコにすがるように懇願しています。
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圧倒的な人々の手の動きが素晴らしいです。絵の中から救済を求める人々の声が聞こえてきそうな気がします。3点のカラヴァッジオの中ではこれが一番素晴らしいと思います。
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スペイン絵画の部屋へ移るとディエゴ・ベラスケスの作品のお見合い用の絵画が並んでいます。スペインからわざわざ運ばれてきた絵画です。
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「青いドレスのマルガリ-タ王女」は1656年に描かれた王女8歳の肖像です。背景には「勇気」を象徴する金のライオン像と「節度」を示す大時計が置かれています。
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「白いドレスのマルガリ-タ王女」はその3年前の作品なので、さらに幼さを感じます。ファ―ジンゲールと呼ばれる鯨骨製の下着で大きく膨らませたスカートを着けた5歳の王女の姿です。スペイン・ハプスブルク家とオーストリア・ハプスブルク家は幾重にも近親婚で結ばれてきていますが、マルガリ-タ王女は母親の実弟で11歳年上の神聖ローマ皇帝レオポルト1世と結婚しています。
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「薔薇色のドレスのマルガリ-タ王女」はさらに2年前の3歳の頃の肖像画です。こんな小さな頃からスペイン・ハプスブルグ家のために結婚が決められていたのですね。
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まさにマリア・テレジアの「汝オーストリアよ結婚せよ。」という言葉が思い出されます。
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44歳のフェリペ4世はイサベル・デ・ボルボンの亡くなった後、神聖ローマ皇帝フェルディナント3世の14歳の皇女マリアナ・デ・アウストリアと結婚します。その長女がこの絵のモデルである3歳の頃の姿を描かれたマルガリ-タ王女です。ちなみにマリアナ・デ・アウストリアはフェリペ4世の妹の長女で、息子バルタサール・カルロスの婚約者でもありました。
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「皇太子フェリペ・プロスぺロ」1659年
フェリペ4世と2人目の王妃マリアナ・デ・アウストリアの第3子(マルガリ-タ王女の弟)で、わずか4歳で亡くなっています。この肖像画からも王子が生まれながらに病弱であることが感じられます。また男児が早逝しないように、邪気を払うために女児の服を着せられていたことも分かります。 -
この髪型はクリムトの「フリツッア・リートラーの肖像」のヒントになったといわれる「王女マリア・テレサ」の肖像画です。1652-53年頃
フェリペ4世とイサベル・デ・ボルボンの娘で、フランス王ルイ14世の王妃になります。フェリペ4世の子女の中で唯一現在まで血統が残っており、現在のスペイン王室はマリアの子孫にあたります。 -
ディエゴ・ベラスケスによる「フェリペ4世 (スペイン王)」と「イサベル・デ・ボルボン」の肖像画が並んでいます。夫婦の肖像ですが絵のタッチの違いもあるし、額も揃っていないので一対の絵画として描かれてはいないようです。
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「フェリペ4世 (スペイン王)」
フェリペ4世はスペインとナポリ・シチリアの王でポルトガルの王でもあります。ベラスケスやルーベンスを保護して傑作を数多く描かせ、当代随一の目利きとしてヨーロッパ最高の美術コレクションを築き、後のプラド美術館の礎を築いています。 -
治世の面では国民国家の形成という点で後進国であったイングランドやオランダやフランスに決定的に後れを取ることになり、結果としてポルトガルやオランダは独立し、カタルーニャは大反乱を起こし、フランス・スペイン戦争を終結させたピレネー条約で現在の南仏のルシヨン地方などをフランスに割譲する羽目になるなど、スペインの衰退が決定的となった時期にも重なっています。
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「イサベル・デ・ボルボン」
イサベル・デ・ボルボンはスペイン王フェリペ4世の最初の王妃で、フランス国王アンリ4世の王女です。この作品は1632年にフェリペ4世からウィーンの宮廷へ贈呈されたものです。 -
「聖ミカエル」はムリーリョの作品です。17世紀のスペイン黄金時代美術の歴史を代表する画家で、97年にスペインを周遊した旅で出会い、それ以来好きになった作家でもあります。この旅の後に2018年には再びスペインを周遊し、各地の美術館に収蔵された作品を改めて見直しました。
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ミカエルという名は「神の似姿」や「神に似たる者」という意味で、聖書では「大天使」や「天使長」と記されています。聖書に登場する天使のほとんどは天の使いとして描写されますが、ミカエルは絶え間ない悪魔との戦いの最中にあり、ほとんどの場面で争いや闘い、悪魔たちに立ち向かう存在として描かれ、剣と魂の公正さを測る秤の両方かどちらかを手にしていて、ルネサンス期の絵画では鎧姿で描かれています。
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「バルタサール・カルロス」はフェリペ4世とイサベル・デ・ボルボンの長男です。スペインの皇太子として大切に育てられ、ディエゴ・ベラスケスの描いた肖像画も数多く残っていますが16歳で夭折しています。
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プラド美術館に収蔵されている「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」が有名ですが、先に見た両親の肖像画からも彼らの子供であることが感じられます。
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午後の遅い時間なので2人で貸切り美術館みたいです。
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アントン・フォン・マロンの「マリア・テレジア」は1772年の作品です。1765年に夫のフランツが崩御するとマリア・テレジアはそれ以降は喪服だけをまとって暮らし、しばしば夫の墓所で祈りを捧げたといわれます。
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息子ヨーゼフ2世との共同統治となった時代ですが、急進的な改革姿勢とはしばしば意見が対立し、1772年にマリア・テレジアの反対を受け入れず、第1回ポーランド分割に加わった頃の肖像画です。1780年11月中旬の散歩の後に高熱を発し、約2週間後に崩御し、ハプスブルク家の墓所であるカプツィーナー納骨堂に埋葬されています。今回の旅ではその納骨堂を訪ねる事が出来ました。
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1時間ほどかけて2階の絵画フロアの半分の見学が終わりました。妻も少し疲れてきたようなので休憩することにしました。
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20年前は一気に見学を続けましたが、50歳も目前になると途中で休憩が必要です。吹き抜け部分にあるカフェに入ることにしました。
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ここはケルントナー通りにある「ゲルストナー」の支店ですが、本店も豪華な内装ですが個人的にはこちらの方が好きです。正式名称は「ゲルストナー・ケー・ウントゥ・ケー・ホーフツッカーベッカライ」で、皇妃エリザベートが通っていたこともあり、皇室御用達のケー・ウントゥ・ケー・ホーフツッカーベッカライの名前を冠しています。
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プラハからウィーンに到着して、ホテルに荷物を置いただけでお昼も食べていなかったのでケーキもいただきます。この後のウィーンの1週間では数多くのカフェを巡ることになった最初の店です。
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これはゲルストナーで有名なケーキのエスターハージー・トルテです。
オーストリア=ハンガリー2重帝国時代にブダペストのパティシエによって考案されたクリームケーキの一種です。ほのかに黄みを帯びたバタークリームとビスケットの層が交互に重ねられ、トップ部分はダークチョコレートでエスターハージー家の紋章が施された純白のアイシングで仕上げられています。こんなカフェでも4ユーロとお手ごろです。 -
こちらはマキシミリアン・トルテで、こちらの方が甘さが控えめで美味しかったです。名前のマキシミリアンがどのマキシミリアンに由来するのかは…。
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プラハでも数々のカフェに立ち寄りましたが、ウィーンの文人カフェを訪ねるのも今回の旅のテーマでもありました。これは最後のブダペストまで続きましたが、これほどコーヒーを飲んだ旅はこれが最初で最後でした。コーヒー好きの妻は大喜びでしたが。
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こんな吹き抜けの空間の中でとても贅沢な時間が過せました。
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「皇帝マクシミリアン1世と家族」と「聖家族」は幼子イエスと聖母マリアと養父ヨセフと皇帝の家族を重ね合わせたベルンハルト・ストリゲルによる肖像画です。
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「皇帝マクシミリアン1世と家族」
マクシミリアン1世はハプスブルク家出身のオーストリア大公で神聖ローマ皇帝です。皇帝フリードリヒ3世と皇后エレオノーレの長男で、武勇に秀で立派な体躯に恵まれ、また芸術の保護者であったことから、中世最後の騎士と謳われる人物です。 -
ベルンハルト・ストリゲルはシュヴァーベン派のドイツの肖像画と歴史画の画家であり、メミンゲンで設立された芸術家協会の中で最も重要な人物とされます。彼はメミンゲンで生まれ、皇帝マクシミリアン1世の庇護の下、アウグスブルクやインスブルックやウィーンで作品の制作にあたりました。
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「キリストの母への別れ」1520年 ルーカス・クラーナハ
聖母マリアとキリストの別れは15世紀以降のキリスト教美術で見られる題材の1つです。磔刑の前のイエス・キリストが母である聖母マリアとの別れを描いています。 -
ほとんどの場合は聖母マリアはひざまずいた姿で描かれ、イエスはマリアに諭すように話しかけます。祈るようなマリアの握られた両手と、イエスのゼスチャーのような両手との違いがそう感じさせます。
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「エデンの園」は苦しみも心配もなくエデンの園に住んでいたアダムとイブが蛇の誘惑に負けて知恵の木の実を食べたことにより、神の命にそむくこの行為から2人が楽園を追われる場面です。それ以来人間は苦労して働き、ついには死する運命となります。原罪や楽園追放の場面は初期キリスト教時代から美術に表され、知恵の木の実を食べて羞恥を知ったため裸の身体をかくすアダムとイブの姿が描かれています。
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「ザクセンの3王女」ルーカス・クラーナハ1535年
長女のシビル(ザクセン=ラウエンブルク公妃)と次女のエミリエ(アンスバハ辺境伯夫人)と三女のシドニエ(カーレンベルク公妃)の肖像画です。 -
クラーナハの芸術家としてのキャリアのほとんどをザクセン選帝侯フリードリヒ3世の宮廷画家として費やされます。ドイツ王子と宗教改革派の支配者たちの肖像画でよく知られており、またマルティン・ルターとは非常に近しい友人でした。
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クラーナハはカトリックの伝統的な絵画や、ルター派の教えを説いた絵画を描く方法を模索するなど宗教画を主に描き、同時に神話学や宗教を主題としたヌード作品を多く残し、当時最も成功したドイツ人画家として知られています。澁澤龍彦は「裸婦の中の裸婦」でクラナッハの裸婦を絶賛していますが、服を着ていても何ともいえない妖艶さを感じます。
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同じく渋澤龍彦の著書「幻想の肖像」記されている「ユディット」です。ブダペストの国立美術館にも同じ題材の絵がありましたが、個人的にはこちらの方が素晴らしいと思います。後に上野の西洋美術館で再会できるとは思いませんでした。
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アッシリアの王ネブカドネツァルはメディア王との戦いにおいて自分に協力しなかった諸民族を攻撃するために司令官ホロフェルネスを派遣します。ホロフェルネスは軍勢を率いてユダヤへやってくるとベトリアという町を囲んだ。水源を絶たれたため町の指導者オジアは降伏を決意しますが、ベトリアに住んでいたユディットはオジアと民を励まして神への信頼を訴えます。
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ユディットは自身が着飾ってホロフェルネスのもとに赴くという計略を考え、ホロフェルネスのもとへ向かいます。エルサレム進軍の道案内を申し出た美しいユディットをホロフェルネスは喜んで迎えますが、異邦人の食べ物を決して口にせずに4日待ちます。
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4日目にホロフェルネスは酒宴にユディットを呼び出します。ホロフェルネスは泥酔し、ユディットは眠るホロフェルネスと2人だけで天幕に残されます。ユディットは眠っていたホロフェルネスの剣をとって彼の首を切り落とします。 そして侍女と共に首を携えてベトリアの町へ戻り事の次第を報告します。やがて司令官殺害は包囲軍の知るところになり、ユダヤ人はこの機会を逃さずに出撃し、敗走するアッシリア軍を打ち破ります。
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クラーナハに続いては同じ時代のドイツの画家であるデューラーの作品が続きます。「聖三位一体」はニュルンベルクの商人ランダウアーが養護施設の祭壇のためにデューラーへ注文した「ランダウアー祭壇画」と呼ばれるものです。
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デューラー最後の祭壇画であるこの大作は、最後の審判ののちに出現する神の国において、旧約の人物たち、諸聖人や選ばれた者たちがが聖三位一体(父と子と聖霊)に礼拝するという場面を表しています。
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聖三位一体に最も近い所には翼をつけた頭だけの天使が見えます。 それに続いて受難の道具を持つ天使が描かれ、キリストの右側には旧約聖書の首長や預言者や列王が描かれていています。中でもモーゼとダヴィデ王と洗礼者ヨハネは見て取れます。キリストの左側には聖母マリアと聖バルバラ、聖カタリーナと聖ドロテアに聖アグネスとった聖女がそれぞれのアトリビュートと共に描かれています。 聖母マリアは洗礼者ヨハネと平行する位置に左右対称に描かれています。
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その下の大きな人物像は最後の審判を通過した信徒た達が描かれています。 右側は平信徒のキリスト教集団で左側は聖職者たちが表されています。 聖職者集団の中にいる毛皮の縁飾りのついたコートを着ている白髪の人物がランダウアー本人と言われています。
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そして右下にはADのサインと銘文を持ったデューラーの自画像が描かれています。
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「切った梨を持つ聖母子」デューラーの油彩は黒い背景が人物を強調して素晴らしいと思います。版画もそうですがデューラーの肖像はキッと見開いた力強い視線が特徴ですがこれは子供を慈しむ母の眼差しを感じます。
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この絵はプラハでルドルフ2世によって買い集められた数多くの収蔵品である可能性が高いと言われます。1週間のプラハ滞在ではルドルフ2世の収集したもののほとんどがプラハには残っていないと知りました。ウィーンにはその多くが残されてはいますが、さらにスウェーデンに移されていることを知りました。
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「一万人のキリスト教者の殉教」のデューラーの作品です。題材は120年頃の出来事とされる一万人の殉教者の拷問と処刑の伝説に基づいた、1万人の兵士たちの殉教の場面です。殉教者たちは斬首されたり磔にされ、骨を木鎚で粉砕されています。そして列を成した人々が岩山の上に追い立てられ、深みに突き落とされています。
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この祭壇画はザクセン選帝侯フリードリヒ3世賢明公の委嘱により、ヴィテンベルク城の聖堂の聖遺物室に置かれたといわれます。右下の青い外套を着たターバンの男が冷徹に指揮をする姿は、この作品が描かれた50年ほども前の1453年にコンスタンティノープルを強奪したトルコ人の侵略を描いているようです。
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画面の中央に描かれたふたりの人物は、周囲で起こったいる恐るべき出来事からは切り離されているようで、老齢の男性とともに描かれている男が「アルブレヒト・デューラーによって1508年に制作された」という銘文の付いた棒を持っています。これはデューラー本人の姿だとすぐに分かります。
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典型的なデューラーの肖像画です。版画だと黒目の中に窓が描かれていたりしますが油彩ではそこまで描かれていません。
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「若いヴェネツィア女性の肖像」
額の陰になっていますが女性の頭の上方にデューラーのモノグラムと1505年の年記があり、2度目のイタリア旅行中に描かれた作品だと分かります。 小さな画面の中にブロンドの髪、瞳、唇などを陰影豊かに精緻に描いています。 微妙な変化をつけた温和な色彩には初期ヴェネツィア絵画の影響も見られるが、 旅行中に知り合った女性の人柄や気品までが今も見る人に伝わるようです。 -
「洗礼者聖ヨハネと二人の天使を伴った幼児キリスト」はピーテル・パウル・ルーベンスの作品です。この旅をしたころはボスやブリューゲル以外のベルギーやオランダの絵画にあまり興味が無かったので、ほとんど写真にも残していません。この旅の数年後に3週間かけてベルギーとオランダの美術館をめった旅の後から思えばもっとじっくり鑑賞してくればよかったと思います。
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題材はよくある幼子の姿のイエスと同じような子供の姿をした洗礼者ヨハネです。赤い布に座るのがイエスで、毛皮の上に座るのがヨハネという事が分かります。天使の持つ羊の意味など読み解いていくのが楽しい作品です。
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後にアントワープのルーベンスの家にも行き、旅の前にはかなり勉強もしました。その最中にも美術史美術館のルーベンスの部屋をしっかり観ておかなかったことを後悔しました。
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「窓から外を眺める老人」サミュエル・ファン・ホーホストラーテン
窓越しに外を眺めるあごひげを生やした老人を描いたという不思議な肖像画ですが、そのリアリズムに惹かれます。ファン・ホーホストラーテン独自の画風がもっともよく表れている作品の一つとされます。ホーホストラーテンは「のぞきからくり箱 」の制作にも長けており、箱の穴から覗き込むとオランダ民家のインテリアが立体的に浮かび上がって見えるのぞきからくり箱が残っているそうです。 -
ほとんど誰もいない展示室を妻と2人で別々に見学しているのですが、ふと周りを見渡すと1人になっていることに気が付いて不安になる事があります。
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ルーカス・クラーナハ(子)の作品もありました。
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「女性の肖像画」こちらの絵はパブロ・ピカソがリノカットで版画にしたことで有名な絵です。美術史美術館の絵画の中でもこの絵は非常に平面的に見えたのですが、ピカソも同じようなことを感じたのでしょうか。
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数年後のクリスマスマーケット巡りで、この美術館の前のマーケットでロシア系の女性のスタンドで版画を数枚買う事がありました。「木版画ですか?」と尋ねると「リノカットよ。」と言われてこの絵のことを思い出しました。マーケット巡りをしながらももう一度美術史美術館に入りたかったのですが…。そんなことを妻には言えません。
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他にもクラーナハの作品は数多くありましたが、印象に残った一対の作品でした。
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ルーベンスの部屋からウイングの奥までまだまだたくさんの部屋が続いています。多少の人の気配も感じられました。
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ミッシェル・コクシー の三連祭壇画をはじめ、壁を覆うたくさんの絵画が迫力です。
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ここで絵に囲まれてしばらくボーッと座っていたくなります。まるでテニールス(子)の「レオポルト・ウィルヘルム大公のブリュッセルの画廊」のような画中画の中に迷い込んだみたいです。フランドル絵画には画中画が数多くありますが、画中の絵の中に有名な絵画を見つけるのは楽しいです。
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フェルメールの「絵画芸術」もこの美術館の有名な収蔵品です。フェルメールの現物を見るのはルーブル美術館以来のような気がします。20年前にも見ているのかもしれませんが記憶にありません。というかその当時はあまり興味が持てない作家ではありました。この絵の中にも画中画がありますね。
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描かれているのは2人の人物で画家とそのモデルです。画家の顔は見えませんがフェルメール自身の自画像ではないかとされています。室内にはさまざまなものが描かれていますが、画家のアトリエにしては場違いな印象を与えるものも多いです。
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たとえば白と黒の大理石の床や金のシャンデリアは非常に裕福な家庭の持ち物でですし、当時のネーデルラント連邦共和国の主要な7州が描かれた背景の壁にかけられている大きな地図です。この地図は1636年に版画家で地図製作家のクラース・ヤンス・フィッセルが制作したものとわかるそうです。
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この作品の主題は歴史の女神クリオだとされています。女性がかぶる月桂樹の花冠、右手に持つ名声を意味するバロック・トランペット、左手に持つ書物はおそらく古代ギリシアの歴史家トゥキディデスの「戦史」で、これはルネサンス期のイタリア人美術学者チェーザレ・リーパの寓意画集「イコノロジア」の記述と合致します。作風が違いますが、フェルメールは「信仰の寓意」という絵も描いています。
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ここからは一連のブリューゲルの作品が続きます。「謝肉祭と四旬節の喧嘩」は1559年作ですのでブリューゲル初期の傑作だと思います。
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風刺的寓意画として知られるこの作品はイエスの死からの復活を記念する祝日「復活祭(イースター)」の前の40日間、受難者イエスの死を偲び肉食など食事の節制と祝宴の自粛をおこなう修養期間「四旬節(レント)」と、四旬節に先立ち肉食など禁則事項との告別をおこなう祭事「謝肉祭(カーニバル)」を題材に人間の利己と愚考に満ちた姿を描いているといわれます。
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一般的にはカトリックを「四旬節」とし、プロテスタントを「謝肉祭」として対立の表現したものと解釈されます。絵の左半分が「謝肉祭」で右半分を「四旬節」の行事を行う人々が描かれているそうです。
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オランダの画家でアドリアン・ピーテル・ファン・デ・ヴェーネの「魂の漁」という作品がありますが、川の中ほどで沈むボートを描いた絵があります。1艘のボートはプロテスタント教徒が乗り、無事に助かりますがもう1艘のボートにはカトリック教徒が乗り、金銀財宝を手放さずに溺れていきます。
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この絵はストレートな表現ではないので難解ですが、1人1人を見ていくと画中に吸い込まれてしまいそうになります。一度紛れ込んだら2度と戻れないような恐ろしさを感じます。ヒエロニムス・ボスの「快楽の園」の影響もうかがえます。
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盲目というテーマはブリューゲルの作品に度々登場しますマタイによる福音書第15章14節の「もし盲人が盲人の手引きをするなら、2人とも穴に落ち込むであろう」という言葉にもとづいていますが、ナポリのカポデモンティ美術館で観た絵を思い出させます。また病に侵された乞食たちの病気が克明に描かれ、病名なども読み取れるそうです。
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「子供の遊戯」は自分で数えた訳ではありませんが260人ほどの子供と80種類の遊びが描かれているそうです。まるで絵で見る中世の辞典ですね。
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ブリューゲルの意図は単に子供の遊戯を百科事典的に寄せ集めて示すことではなく、遊戯に打ち込む子供の真剣さと、一見それよりも重要な仕事をしているような大人の真剣さとを同列に並べることにあったと思えます。神の目から見れば子供の遊戯も大人の仕事も重要さでは変わらないということでしょう。
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逆にいえば役所とも思われる大きな建物が子供たちで占められていることは、市政を取り仕切っている大人たちが神の目から見れば子供同然だという暗喩とも考えられます。
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手前から奥に向けて1つ1つ眺めていくと絵の前から動けなくなり、リリパッドの国にでも迷い込んだ錯覚に陥ります。子供なのか大人なのか分からない登場人物を見ていると諸星大二郎の「子供の王国」というコミックを思い出します。
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よく見ると遊戯と呼ぶには残酷なシーンも満載です。この頃からいじめのようなことは行われていたのでしょう。手前の馬乗りのようなゲームは小学校の高学年のころまで遊んだ記憶があります。
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もちろん子供らしいコマ回しや竹馬のような遊びもあり、自分の子供の頃のお正月の風景を思い出させます。
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16世紀の村の生活がそのまま閉じ込められたような絵です。でも、日本も昭和40年代はこんな具合だったし、子供がうんこ好きなのは現在も変わらないと思います。
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「バベルの塔」旧約聖書に出てくる話が題材です。大洪水の後に天にも届くような塔を造り始めた人間に対して怒った神が言葉をバラバラにしてしまい意思の疎通ができなくなって工事が止まってしまったというストーリーです。
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旧約聖書の「創世記」中に登場する巨大な塔で神話の物語とされますが、一部の研究者は紀元前6世紀のバビロンのマルドゥク神殿に築かれたエ・テメン・アン・キのジッグラト(聖塔)の遺跡とする説もあるそうです。
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「創世記」によると神はノアの息子たちに世界の各地を与え、そこに住むよう命じます。しかし人々は新技術を用いて天まで届く塔をつくり始め、人間が各地に散るのを免れようと考えます。神は降臨してこの塔を見て「人間は言葉が同じなため、このようなことを始めた。人々の言語を乱し、通じない違う言葉を話させるようにしよう。」といいます。このため人間たちは混乱し、塔の建設をやめて世界各地へ散らばっていきます。
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建築を指示したニムロデ王の一行も描かれています。「創世記」第10章ではクシュの息子として紹介されていますが、クシュの父はハムでその父はノアです。ダンテの「神曲」ではニムロドは巨人の姿で登場し、地獄の第9圏において裁かれています。彼に下された罰は他人には理解できない無駄話を永遠にしゃべり続けながら、彼には理解できない他人の無駄話を永遠に聞き続けるというものです。これはバベルの塔における言語の混乱という故事に由来しています。
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単なる塔の絵ではなく、描かれた工具のリアリティさや人々の動きなどを見ていると塔の中を迷い歩きたくなる衝動に駆られます。表にいくつも見える建物は働いている人々の住居でしょうか。日本ではビルの建設では下層階から仕上げていきますが、中国では上層階から仕上げていきます。最初に造られた下層階には職工さんが家族と住んでいるからです。そんなことを思い出しました。
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ブリューゲルが描いた「バベルの塔」は2つの作品があり、絵のサイズで1563年に描かれた「大バベル(114×155cm)」、もう1つは1565年に描かれた「小バベル(60×75cm)」です。一般に有名なのはウィーンにある「大バベル」の方で、「小バベル」に小さく描かれている約1400人の人間を身長170cmとして計算すると、塔の高さは510m程度とそうです。後年オランダのロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館で観る事が出来ましたし、東京でも再会できました。
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「十字架を担うキリスト」ブリューゲルはあまり宗教画を描いていませんが、1564年にキリストの死と生誕をテーマにした絵を何点か描いています。これはそのうちの1枚でアントワープの銀行家で美術収集家ニコラース・ヨンゲリングの依頼によって描かれたのではないかといわれています。ヨンゲリングはブリューゲルの絵を16点所有していましたが、そのすべてはハプスブルグ皇帝家に収められています。
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この作品はブリューゲルの描いた最も大きな絵画であり、画中では中央に群衆に囲まれて十字架を担うキリストと、手前の岩の上で悲しみに暮れる聖母マリアの姿が描かれています。残酷な題材でありながら周囲の観衆は日常と変わらない自然な姿で描かれているのは、この時代では処刑などの光景が割と日常的であったのだと思います。
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画面の中央には十字架を担ったキリストが描かれ、キリストは十字架の重みでふらついて膝を折っています。キリストの前には、大八車に乗せられたデュスマスとゲスタスの2人の罪人が描かれています。彼らもキリストとともに公開処刑される運命です。
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処刑場は画面右上に小さく描かれていて人々がぐるりと取り囲んだ円形の広場には、罪人を処刑するための2つの十字架がすでに立てられています。キリストの十字架を立てるための穴が、その傍らに掘られているのが分かります。
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物見の観客たちの中では喧嘩も始まっています。処刑の場面が日常のことであったことを感じさせます。
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画面に右手前には聖母マリアの一行が描かれていますが、彼女たちは背景で進んでいる騒ぎには無関係に、ただひたすら嘆き悲しみ祈りをささげています。
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奇妙な岩山の上に建てられた風車…。聖書の物語で絵画にもよく表されるキリストの磔刑までのシーンですが、ブリューゲルはどのような意図を持ってこの風車を描いたのでしょうか?
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「聖パウロの回心」目から鱗が落ちるの元となったパウロの回心の話は聖パウロがまだサウロと呼ばれていたユダヤ教徒の時代にキリスト教弾圧のためにダマスクスへ向かう道中に、突然天からのキリストの声を聞き馬から落ちる話です。
カラバッジオの作品なども落馬した瞬間に天を仰ぎみている姿ですが、ブリューゲルの手法は違っています。 -
ダマスコへの途上において、「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」と、天からの光とともにイエスの声を聞いたその後に目が見えなくなります。アナニアというキリスト教徒が神のお告げによってサウロのために祈るとサウロの目から鱗のようなものが落ちて目が見えるようになります。
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兵士は鎧と武器を手に持ち、サウロは当時よく見られた青い上着と長い靴下を身に纏っています。ブリューゲル自身は古典的な服装についての知識があったので聖書の場面を当時の服装で表現することもできましたが、あえて描いた当時の衣装で描いています。ブリューゲルが聖書の示唆を制作時の社会に合わせようと考えたと思います。
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絵を観る視線は同行している兵隊と同じであり、前の方で馬から落っこちたやつがいて隊列が停まって、どうしたんだよ?といった気分で眺めている感じになります。これほど画中の人物が背を向けている絵も珍しいと思います。
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「暗い日」も同じくニコラース・ヨンゲリングの注文で1565年にピーデル・ブリューゲルによって製作された作品です。この作品は6つの絵からなる連作月暦画の一つで、2月頃の厳しい冬の様子を描いた作品です。この作品では謝肉祭を祝う様子が描かれています。
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「四旬節」に入る前の食肉などの自粛との告別を行うお祝いである「謝肉祭」ではワッフルを食べるのが当時の伝統で、この絵画の中でもワッフルを食べる少年が描かれています。一方背景の広大な自然と村の風景は、厳しい冬の寒さとどんよりとした暗さを感じさせます。ノスタルジックな雰囲気の色彩はブリューゲルらしい表現だと言えます。
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以前スイスを旅しているときにオランダに住む日本人の奥さんとアメリカ人のご主人の家族と一緒になったことがありました。その時に「日本人のオランダのイメージって青い空と風車とチューリップ畑だけど、そんな季節はほんの一瞬で冬の北海の鉛色に曇った雲と海を1年の半分以上見ているわ。」と聞いたことを思い出しました。
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「聖マルタンの饗宴」は巨大な作品で、この絵はその部分です。2010年の9月にプラドがブリューゲルの大作を発見したというニュースを聞いた覚えがありましたし、その後のベルギーの旅で行った王立美術館でコピーを見る事が出来ました。実際の作品はこの左側に巨大なワイン樽があり、たくさんの人々が群がって酔っぱらっている姿があります。
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タイトルになっている聖マルタンとは西暦4世紀のローマ帝国の兵士マルタンのことです。かつて彼は辺境のガリア地方で働いていましたが、ある冬の寒い日に現在のフランスのアミアンの近辺でそこに住む貧しい者に出会いました。マルタンは自分が着ていたローマ軍の赤いマントを自分のサーベルで2つに裂き、その半分を貧しい者に分け与えました。翌日イエスがその半分の赤いマントを着て現れ、その後マルタンはキリスト教に改宗し、ツールの司教となって布教に尽くしたということです。
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聖マルタン祭は今ではすたれてしまっていますが、ベルギーの一部の地域では、まだ昔ながらに毎年11月11日に聖マルタン祭が祝われているそうです。この日は春から続いた戸外での野良仕事を終えて、これからやってくる冬に備えて、ワインや肉、果物などの備蓄を始める日として親しまれてきました。また9月に収穫したブドウで作った新しいワインを飲んでもいい日として、農民達が大変待ち焦がれた日でもあります。
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「ベツレヘムの嬰児虐殺」ではブリューゲルはベツレヘムに新しい王が生まれたと聞かされたヘロデ大王が、ベツレヘムやその近辺で生まれた2歳以下の男の子をひとり残らず殺してしまえと命じたという「マタイ伝」の逸話を描いています。
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画面前景の右端では馬に乗った騎士の命令によって、兵士たちが扉を開けようと奮闘しています。長い槍を手にした人物が足で蹴破ろうしている一方で、その横には抱えた丸太で扉を壊そうとする男性が描かれ、その後ろでは樽を踏み台にして窓から家屋に侵入しようとする兵士たちが描かれています。
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前景左側では赤い衣装を身にまとい羽根帽子をかぶった身分の高そうな男性が、馬に乗りながら顔をこちらに向けています。この人物がこの場の陣頭指揮をとる最重要人物であるものと考えられます。
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画面の中景では派手な羽根帽子をかぶった伝令が乗った馬を村人らが取り囲んで、行く手を阻み切実な面持ちで何かを訴えかけています。伝令の鎧の胸当てにはハプスブルク家の紋章である双頭の鷲が描かれています。伝令は訴えを受け入れることはできないとでもいうように首をすくめているだけです。
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まるで小動物のように子供を吊るした兵士と許しを懇願する農民たち。足元には殺された子供たちが転がっています。「子供の遊戯」の260人の子供が遊ぶ姿を見た後では胸に詰まるものがあります。
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劇的な情景の廻りにもたくさんの出来事がちりばめられてどこからどこを見ていけばよいのか観賞の仕方に困惑する絵画です。実際の時代の人物の姿ではなく、絵が描かれた時代の衣装なので絵を観た人も感情移入しやすかったのではないかと思います。冬の雪の降った情景というのもベツレヘムではなく、フランドルの小さな村のように思えます。
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「農民の踊り」は一緒に並んでいるので「農民の婚宴」と一対の作品のように思えます。展示している美術館もそれを意識しているように感じます。題材はフランドルの農村におけるケルメスと呼ばれる縁日の様子が描かれているそうです。
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村の道で4人ほどの男女がバグパイプの演奏に合わせてペアになって踊っています。画面の右端には1人の老爺が女性の手を引きながら、踊りに参加するために走り込んできた様子が描かれています。
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画面の左側には居酒屋の前に持ち出されたテーブルが描かれており、その周りには村人の他にバグパイプの演奏者が座り、演奏している太った男性は指をパイプの穴に正確なポジションに添えており、頬を大きく膨らませています。バグパイプは極めて正確に描かれています。ブリューゲルの描く楽器はどれも精緻で、ブリュッセルの楽器博物館で本物のハーディーガーディという楽器を見たときは驚くほどでした。
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「農民の婚宴」を模写している方がいらっしゃいました。子供の頃は模写が好きでいろいろな絵を描いたものです。遠縁に「國華社」で模写をされていた菊川京三さんという絵描きさんがいるのですが、その精度の高さに子供ながら自分には無理だと思ったことがあります。
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この作品はブリューゲルが最晩年に描いた代表作であるとともに、フランドル絵画の特徴の1つである農民を描いた風俗画の先駆けとされる作品とされます。ブリューゲルはブリュッセルに移り住んだ2年後に「穀物の収穫」などのように農村の風景を描いています。ブルーゲルの住んだ家にも数年後に訪ねることが出来ました。
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婚宴の主役は花婿と花嫁であるが、ブリューゲルは宴会の主役をはっきりとは描いていません。「農民の踊り」でも踊っている人物のうち誰が主役なのかが、はっきりとはわかりません。この作品ではテーブルの右手前で客のために給仕をしている男性が花婿であるとされ、当時は花嫁に限って被り物をしなかったため、正面の長い髪の女性が花嫁であるとされます。
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この作品ではテーブルの右手前で客のために給仕をしている男性が花婿であるとされ、当時は花嫁に限って被り物をしなかったため、正面の長い髪の女性が花嫁であるとされます。
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画面手前で2人の農民が運んでいるのはブライと呼ばれるフランドル地方特有のプディングらしいです。画面の右端で黒色の服を身に着けて座っている男性は、村の領主であるといわれている他、扮装して農村の婚宴にやってきたブリューゲル自身であるともいわれています。
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2人のバグパイプ奏者が立っていて、赤い服の男のほうはご馳走に見とれて吹くことを忘れているようです。
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ジョッキにビールを注ぐ若者の姿はキリスト教美術の主題である「カナの婚宴」を想起させます。婚宴の途中の酒注ぎという要素からはたしかに「カナの婚宴」の葡萄酒の寓意が隠されているようですが、この絵の中に描かれる飲み物はやはりビールにしか見えません。
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ビールを注ぐ男の傍らでブライの皿を舐める子どもは親子で「この親にしてこの子あり」またはオランダの諺「瓶は最初に入れた物のにおいがつく」(子どものとき身についたものは変わらない)という意味の寓意との解釈もあるそうです。
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日本ではまず見掛けませんがヨーロッパでは模写の文化が確立されています。大きさを同じにしないとかサインをしないというルールもあるようです。また、贋作についても歴史的に数多く、コローが一生の間に描いた2500点の作品のうち、8700点がアメリカにあるとされ、ヴァン・ダイクは生涯で70点程度の数しか描いていませんが、世に出回っているのは2000点以上あるそうです。
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「雪中の狩人」
この絵を小学校の図工の教科書で初めて見た時の驚きは今でも覚えています。3年生になって配られた新版の横見開きの本でした。初めて西洋絵画に触れた瞬間だったかもしれません。 -
左下に近景の狩人を配置して中心の池にはスケートに興じる村人、右上に遠景の山岳を配して遠近法を巧みに用いていることが分かります。
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子供のころから父に連れられて登山とスキーを始めていたので、湿った雪の重さや濡れた樹木の匂いや、遠い景色の湿度を含んだ空気感などが伝わってくるようでした。
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この絵を見たいと思った10歳の春から願いが叶うまで20年かかりました。1991年に初めてこの絵の前に立ったのは2か月の旅を終えた時で、その時はこの絵の前で涙が止まりませんでした。そして再訪するまでに更に20年かかり、妻と一緒に来ることが出来ました。画中の黒い鳥を見ながらもう一度来る事はあるだろうかと思いました。
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この部屋にたどり着くころにはさらに見学者は減っていました。やはり誰もいないような部屋でマスターピースの絵画を鑑賞できるのは非常に贅沢だと思えます。
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「アイリスのある花束」はヤン・ブリューゲル1世の作品です。ピーテルの息子のヤン・ブリューゲルの作品がいくつかあります。最後は高揚した気持ちを抑えながら幾つかの部屋を廻りました。
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長男のピーテル・ブリューゲル2世は工房の親方として助手を雇い、父の作品のコピーを大量生産しています。父の作品人気に応えるように制作していきました。
弟のヤン・ブリューゲル1世は独自路線の静物画で成功し、ルーベンスと共作もしていました。そしてその後のブリューゲル一族として後に続くのはヤンの子孫ばかりです。 -
ヤンは始め、花や果物といったものを描いていたが、後に風景画で評判を得るようになる。兄のピーテルと比べると、父親の模倣ではなく独自のスタイルを築いた。ヤンは初期の頃の作品は聖書から主題を取り、特に森を描いた風景画を組み合わせたものが多く、そのスタイルには森林画家のギリス・ファン・コーニンクスローの影響が見られます。後期になると純粋な風景画や街の情景や静物画を描くようになっていっきます。 彼の作品は他の画家と共同制作が多く、そういった作品では背景を受け持ったとされます。特に友人でもあったピーテル・パウル・ルーベンスとの共同制作が知られています。
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「木製の瓶に大きな花束」もヤン・ブリューゲルの作品です。
1600年以降は花の絵画は静物画の独立した題材へと発展しました。そのような絵画は16枚にものぼり、珍しい花の種の百科事典的な様相を感じさせ、130種類の異なる花を非常に細部まで巧みに再現してます。 -
400年以上前に描かれた作品ですが、今朝咲いたような匂いたつ生命感を感じさせます。花の種類には詳しくありませんが、春から秋までの花が咲き揃っているようです。
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企画展ではギリシャ神話や聖書に出てくる空想上の動物などの作品を集めた展示がありました。これが意外に自分の趣味に合ってとても面白い物でした。そのいくつかはルドルフ2世が収蔵していたものもありました。
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「グリフィン型のリュトン」
リュトンは角状または鹿や山猫、羊や山羊などの動物の頭部を模した形の杯で、上部に大きな注入孔があり、底部または突端部に小さな流出孔があり、そこをお酒などが通る事に意味がある物です。主に古代ペルシアや古代ギリシャなどで、儀式において注入孔から注ぎ入れた酒などの液体を他の容器に注ぎ分けるのに用いられました。リュトンという語は古代ギリシャ語の「流れる」という意味があります。 -
「グリフィンの形のアクアマニレ」
この像はミサの際の司祭のための手洗い用の水注(すいちゅう)です。 くちばしは注ぎ口の役割を果たし、注ぎ口はハンドルまでアーチ状になった尾になっています。 ニエロ(硫黄、銅、銀、それに通常鉛から成る黒色合金)と銀の象嵌と金メッキの特に豊かな装飾が施された水注は、ルドルフ2世の収蔵品でもあります。 -
これらの金製の製品はクリストフ・ヤムニッツアーの手によるものだと思われます。来歴までは分かりませんが、周辺の展示品を考えるとルドルフ2世の物だったのかもしれません。
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「ラピスラズリの龍のボウル」
宝石細工ではこの当時欧州一を誇ったミラノで造られたものです。モチーフは恐ろしいファンタジーにあふれ、輝くルビーの目を持つドラゴンが喉を開き、その長く曲がった首が膨らみます。前方に伸ばされた翼はボウルの後方に広がります。 ドラゴンの体は浅浮き彫りのラピスラズリつながります。このドラゴンのモチーフはミラノのミセロニ工房の特徴です。抽象的な渦巻装飾と柄の下には悪魔マスクがグロテスクな雰囲気を醸し出します。この作品も皇帝ルドルフ2世の所蔵として有名です。 -
「ゴルゴン」ゴルゴンの描かれた陶器製の壺と小さな胸像です。メデューサとしても有名ですが、目で直接見てしまうと石になってしまうギリシャ神話に出てくる女神です。元々は土着の神だったのでしょうか、ユーモラスな顔をしているものが多いです。今まで見た一番大きいゴルゴン像はコルフ島の博物館に鎮座していたものです。イスタンブールの地下貯水地にも逆さまになった首がありましたが、壺に描かれたものは初めて見ました。
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「タルトオイル」
タルトオイルの音は8の字のループ状に絡み合ったブローパイプとダブルリードによって奏でられます。器具のチューブは金属製で螺旋状に巻かれています。このチューブはドラゴンのボディに巻かれています。 -
この美術館には中世オーストリアの甲冑のコレクションも納められていますが、不気味な怪物の顔を象った兜です。日本の安土時代の様に西洋にも歌舞き者はいたのでしょうか。織田信長とか日本の大名に被ってもらいたい感じがします。
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馬にもこんな兜を被らせていたのですね。これを被れば一角獣になるわけですが、デューラーの描いた犀の絵みたいです。
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これで2階のフロアの見学が終わりました。まだ1階の見学が残っていますが、閉館まで1時間を切っています。
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もうほとんど見学者はいません。先を急ぎます。
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1階にはエジプトの美術品と古代ギリシャ・ローマの美術品が展示してあります。
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全部を見ている時間が無いのでエジプトは通過するだけにしてギリシャ・ローマの物だけ見学します。後にエジプトを旅行する機会があり、その時にこのコーナーを見てこなかったことを後悔することになりました。
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2階の絵画を陳列した部屋よりも建物の内装が素晴らしいので見ごたえがあります。
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「男の奉納像」
ギリシャの記念碑的な彫刻は左足を前にして腕を横にした裸の立っている若者が基本になります。エジプトの石像では左足が前に踏み出されているものは生者とされますが、同じような考えに基づくものでしょうか。この像はキプロス島のピラ(Pyla)アポロンの聖域で発掘され、ほとんどの場合は東洋の習慣に従って服を着ています。 ピラの聖像には様式化された口ひげが特徴で、頭上には葉の広い輪が飾っられています。大きなアーモンドの形をした目と強い鼻と口のやや上向きの角を持つ唇が落ち着いた笑顔の印象を与えます。 -
「テセウスモザイク」
1815年にザルツブルク近くのロイガーのローマの別荘跡で発見されたモザイクは、装飾的なフレーム内で神話の場面を再現しています。ギリシャ神話によればクレタ島のミノス王の娘であるアリアドネは、アテネから到着した若いテセウスに恋をし、テセウスは迷路の奥にいる怪物を退治します。テセウスはアリアドネが持たせていた赤い糸の助けを借りて迷路から無事に戻ります。テセウスはアリアドネと結婚することを約束していたので、彼の船に乗ってアテネに向かいます。しかしテセウスは神々の要請によりアリアドネをナクソス島に残しました。そこでワインの神ディオニソスが置き去りにされて悲嘆しているアリアドネを見つけ、彼女を妻にしました。その場面のすべてがこのモザイクの中に描かれています。 -
床に埋め込まれたモザイクはもうこの建物の一部になっています。ロードス島のグランドマスターの屋敷の中をモザイクを眺めながら歩いたことを思い出します。段々この美術館自体がクノッソス宮殿の迷路のように思えてきました。
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迷路の中央には牛の頭をしたミノタウロスを退治するテセウスの姿があります。黒いラインがクノッソス宮殿の迷路を表し、中央の部屋に延びている右側の赤いラインがアリアドネの持たせた赤い糸です。クレタ島に行ってからもう11年が過ぎていますが、人生の迷路に彷徨っている気分でもあります。
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テセウスとアリアドネの姿ですが、アリアドネもまさかナクソス島に置き去りにされるとは思わなかったことでしょう。
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この1階だけでも半日かけて見学できそうです。最初に入場するときに係員のおじさんが「この券は明日も使えるからね。」といった言葉が頭の中でリフレインします。ウィーンには1週間の滞在ですが、予定が目白押しで翌日来ることはできないことは自分が一番よく分かっています。
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ギリシャ彫刻の胸像が50ほど並んだコーナーも素晴らしかったです。ここもゆっくり見たかった場所です。
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素晴らしいインテリアの中に置かれた陶器も素通りしてしまいました。
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「ミトラス」
大理石のレリーフは雄牛の殺害の場面です。太陽神ミトラスが雄牛を洞窟の中で地面に押しやり天を見上げています。ミトラス神はペルシア風の衣装に身を包んでおり、牡牛の背中に乗りかかって左膝をつきながら、右足で牡牛の後ろ脚を押さえつけています。その左手は牡牛の鼻面をつかみ、右手は牡牛に剣を突き立てています。傷口からあふれる血には犬と蛇が、また牡牛の腹の下ではサソリが牡牛の生殖器に跳びかかって、尾っぽから穂が芽を出します。この場面は新しい宇宙秩序を生み出す光の神の力を象徴すると同時に、死と再生のサイクルを象徴しています。ペルシャの神々から発展した東洋の神秘の教義はローマ帝国で最も崇拝される神の1人になりました。大英博物館に納められた彫刻とほぼ同じ姿に驚きました。 -
これは初めて見ましたが、4面に顔があるスフィンクスです。この像の由来を調べてみましたが全く分かりません。美術館のホームページでかろうじて2世紀のローマ時代のエジプトで造られたもので、女性の顔はポートレートのようにそれぞれ違うこと以外は詳しくは分からないようです。
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「1つの体に4つの顔」なんてスフィンクスがオイディプスに出したなぞなぞのようです。フェキオン山に住むスフィンクスが通りかかる人間に問いかけたという「朝は四本足、昼は二本足、夕は三本足。この生き物は何か?」というなぞなぞは世界的に有名です。
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「ゼウス」
エジプトの生殖能力の神アメンは、ギリシャ人によってゼウスと一緒にアンモンという名前で識別されました。 羊の角を持つ神の仮面は当初は栄養失調の意味を持っていましたが、ローマ帝国では装飾目的でのみ使用されました。 形状と寸法はローマのアウグストゥスフォーラムのホールのアンモンの頭と似ています。 -
「ミューズ」
少し小さめのミューズ像は女性の肩と足首の周りにしか見えない下着であるキトンを、豊かなプリーツのある薄い生地として身に着けてその上にコートを着ています。像の両腕は補足されているのでミューズが手に何を持っていたのかはわかりません。この彫像はローマ時代に作られたものですが、ヘアスタイルとローブの詳細と細部に見られるように、モチーフはおそらく紀元前4世紀の最後の四半期にさかのぼるそうです。 -
「ディオニソス(バッカス)」
ワインと肥沃の神は下げられた右手に飲み器を持ち、 頭の上と体躯を支える木の幹はつるの葉とブドウで飾られています。足元にはディオニソス神の伴侶であるパンサーが座っています。 像はチュニジアから来て1873年にウィーンの世界博覧会に展示され、その後チュニスのカズナダルからフランツ・ヨーゼフ皇帝に与えられました。 -
「コメディマスク」
ひげの渦巻き状のカールと額に深く引き込まれた髪型は、ニューコメディの怒りで際立った老人のマスクの典型です。また幅広の平らな鼻や湾曲した額やしわのある額など、顔のディテールが非常に誇張されていることもこの役割の特徴です。実際に着用されたマスクをモデルとして、装飾として造られた石のマスクだということが分かります。劇で使われるマスクは動物の皮やリネンと石膏から造られました。 -
「サイレンマスク」
劇場では聖歌隊のサテュロス劇でこの種のマスクが使用されていました。尖った耳や欲望のしるしとして反転した鼻、毛むくじゃらのひげと剛毛、または禿げた頭。 これらはディオニュソスの動物の従者を形成した自然の悪魔で、卓越した仮面の神を擬人化したものです。細工された大理石のマスクはおそらくエレガントなローマ人の民家や別荘の装飾に使用されていました。 -
「マスクのレリーフ」
左側には髭を生やしたコミカルで手に負えないディオニソスのマスクがあります。 その間には竪琴や羊飼いの持ち物、小さなエロスが右から飛び込み、マスクの前に立っています。右上隅のディオニソスに由来するタンバリンや二重フルートが見えます。 -
みっちりしたプラハの1週間が終わり、新しくウィーンでの1週間が始まる最初が美術史美術館の見学でした。4時間弱の見学では見落としたり時間が無くて素通りしてしまうものも多くて残念でした。
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前回の20年前は3時間、今回も3時間では少々物足り無さも感じますが、膨大なウィーンの美術品を1週間弱で見るにはある程度の切り捨ても必要でした。ウィーンの後にもブダペスト1週間が続き、連日の美術館の鑑賞で頭の中が沸騰しそうになった旅でした。
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この旅行記へのコメント (2)
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- DHCさん 2011/05/12 15:14:37
- kojikojiさんこんにちは。
- kojikojiさんのブログのお陰で自分も美術館に行った気分になれました、ありがとうございました。
- kojikojiさん からの返信 2011/05/12 22:22:47
- RE: kojikojiさんこんにちは。
- ありがとうございます。
旅行から帰ってきてだいぶ経つのですが、毎日ちょっとづつ作業してもなかなか捗りません。ちょっと挫けつつあったのですがお便りいただき頑張ろうと思いました。この後ブダペストの旅行記に続くのですがこちらの国立美術館も素晴らしく写真も沢山あって是非見て頂きたいと思うのですが・・・。今月中には終わらせたいと思いますのでお時間がありましたらまたお立ち寄りください。
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