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「シュテファン大聖堂」はウィーンの観光でリンクシュトラーゼの中を歩いていれば何度も出会う位置にあります。今回のウィーン滞在では1週間ほどの滞在でリンク内をいろいろ歩く機会が毎日のようにありました。旅行前は広いと思っていたリンクが意外に小さくて、面白い通りが沢山あることに気付かされました。そしてあても無く歩いているようでいつも戻ってきてしまうのがこの大聖堂の辺りでした。今回2度目のウィーンでしたが、今回も堂内をちゃんと見学することがありませんでした。塔に登るのは階段の嫌いな妻からNGでしたし、地下のカタコンベもNGにされてしまいました。教会を細かく見るよりは周辺のグラーベン通りのお店を見て歩きたかったようです。ここまで10日間ほどは妻の要望はあまり予定に反映していなかったので合わせることにしました。ウィーンではほとんど買い物はしませんでしたが、デメルなどのショップを見るのは楽しいですし、夕方以降のウインドウ・ショッピングも楽しいものでした。ウィーンでの食事では妻から「ウインナーシュニッツエルを食べたい。」ということがあったので、フィルグミュラーという有名なお店を考えていました。本店に行ってみると「1週間先まで予約がいっぱいなんですよ。」とウンザリ気味の顔、「この少し先に支店があって、料理は同じだし空いているのでいかがですか。」と案内されました。行ってみると比較的すいていてメニューも同じだったのでこちらで食事をしました。名物のカツレツは直径40センチくらいあって驚きました。2人で食べられるかと心配でしたが、薄くてサクサクで美味しいのであっという間にいただいてしまいました。もちろん2人でシェアしましたが。最後に妻の念願が叶えられてよかったです。最終日はメイドリング駅からブダペストに向かったのですが、入線が直前で変わったこともあり、ミュンヘン行きの列車に間違えて乗ってしまいました。妻に「この列車じゃないよ。」と注意されたのですが、完全い思い違いをして聞き入れませんでした。幸い5分ほどでウィーン西駅に停まったのですぐに降りて事無きを得ました。西駅にも20年前の思い出がたくさんあったのですが、内装や薄暗さは変わってしまい、きれいな駅に変わっていました。おかげでお昼用の買い物もできて、2時間遅れましたが予定道理ブダペストに向かいました。

中欧3都市周遊の旅ウィーン(16)シュテファン大聖堂周辺を歩き、フィルグミュラーで巨大なウインナーシュニッツエルを食べる。

5いいね!

2011/04/06 - 2011/04/11

3960位(同エリア6057件中)

kojikoji

kojikojiさん

「シュテファン大聖堂」はウィーンの観光でリンクシュトラーゼの中を歩いていれば何度も出会う位置にあります。今回のウィーン滞在では1週間ほどの滞在でリンク内をいろいろ歩く機会が毎日のようにありました。旅行前は広いと思っていたリンクが意外に小さくて、面白い通りが沢山あることに気付かされました。そしてあても無く歩いているようでいつも戻ってきてしまうのがこの大聖堂の辺りでした。今回2度目のウィーンでしたが、今回も堂内をちゃんと見学することがありませんでした。塔に登るのは階段の嫌いな妻からNGでしたし、地下のカタコンベもNGにされてしまいました。教会を細かく見るよりは周辺のグラーベン通りのお店を見て歩きたかったようです。ここまで10日間ほどは妻の要望はあまり予定に反映していなかったので合わせることにしました。ウィーンではほとんど買い物はしませんでしたが、デメルなどのショップを見るのは楽しいですし、夕方以降のウインドウ・ショッピングも楽しいものでした。ウィーンでの食事では妻から「ウインナーシュニッツエルを食べたい。」ということがあったので、フィルグミュラーという有名なお店を考えていました。本店に行ってみると「1週間先まで予約がいっぱいなんですよ。」とウンザリ気味の顔、「この少し先に支店があって、料理は同じだし空いているのでいかがですか。」と案内されました。行ってみると比較的すいていてメニューも同じだったのでこちらで食事をしました。名物のカツレツは直径40センチくらいあって驚きました。2人で食べられるかと心配でしたが、薄くてサクサクで美味しいのであっという間にいただいてしまいました。もちろん2人でシェアしましたが。最後に妻の念願が叶えられてよかったです。最終日はメイドリング駅からブダペストに向かったのですが、入線が直前で変わったこともあり、ミュンヘン行きの列車に間違えて乗ってしまいました。妻に「この列車じゃないよ。」と注意されたのですが、完全い思い違いをして聞き入れませんでした。幸い5分ほどでウィーン西駅に停まったのですぐに降りて事無きを得ました。西駅にも20年前の思い出がたくさんあったのですが、内装や薄暗さは変わってしまい、きれいな駅に変わっていました。おかげでお昼用の買い物もできて、2時間遅れましたが予定道理ブダペストに向かいました。

旅行の満足度
5.0
観光
4.5
ホテル
4.5
グルメ
4.5
ショッピング
4.5
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
25万円 - 30万円
交通手段
鉄道 高速・路線バス 徒歩
航空会社
アエロフロート・ロシア航空
旅行の手配内容
個別手配

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  • 「応用美術博物館MOK」を見学した後は「シュテファン大聖堂」に向かって歩きました。改めてリンクシュトラーゼの内側が思っていたより狭い事に気づかされます。そして観光エリアから一歩離れると普通のウィーンの生活が垣間見られした。

    「応用美術博物館MOK」を見学した後は「シュテファン大聖堂」に向かって歩きました。改めてリンクシュトラーゼの内側が思っていたより狭い事に気づかされます。そして観光エリアから一歩離れると普通のウィーンの生活が垣間見られした。

  • ナッシュ・マルクトのような観光客の来る市場ではない個人商店の八百屋さんや商店が並んでいます。この旅をしていたころはヨーロッパの春先の味覚であるアスパラガス、特に白いアスパラガスのおいしさを知りませんでした。その後の旅のベルギーやオランダでは城アスパラガスを食べまくっていましたが。

    ナッシュ・マルクトのような観光客の来る市場ではない個人商店の八百屋さんや商店が並んでいます。この旅をしていたころはヨーロッパの春先の味覚であるアスパラガス、特に白いアスパラガスのおいしさを知りませんでした。その後の旅のベルギーやオランダでは城アスパラガスを食べまくっていましたが。

  • 普通の通りの店先にもイースターの飾りが並んでいました。

    普通の通りの店先にもイースターの飾りが並んでいました。

  • ウィーン市内にはガイドブックに掲載されるような有名なカフェやお菓子屋さんがたくさんありますが、それ以外の小さな通りにもたくさんのお菓子屋さんがありました。

    ウィーン市内にはガイドブックに掲載されるような有名なカフェやお菓子屋さんがたくさんありますが、それ以外の小さな通りにもたくさんのお菓子屋さんがありました。

  • 有名店ではこんな量り売りはしませんが、かえって面白い写真が取れました。

    有名店ではこんな量り売りはしませんが、かえって面白い写真が取れました。

  • 可愛らしいけど結構良い値段が付いています。

    可愛らしいけど結構良い値段が付いています。

  • 普段はオーソドックスなトリフなどを売っているのでしょうか?この時期はイースターを前にしてウィーン中が盛り上がっています。

    普段はオーソドックスなトリフなどを売っているのでしょうか?この時期はイースターを前にしてウィーン中が盛り上がっています。

  • こんな出来あがりを見てしまうとパーツを買って、自分でアレンジしてみたくなります。子供は喜ぶでしょうが、トータルにしたら結構高いものになりそうです。

    こんな出来あがりを見てしまうとパーツを買って、自分でアレンジしてみたくなります。子供は喜ぶでしょうが、トータルにしたら結構高いものになりそうです。

  • イースターバニーもこれだけのニンジンに囲まれたら本望でしょう。

    イースターバニーもこれだけのニンジンに囲まれたら本望でしょう。

  • また別のチョコレート屋さんはこんな細工物ばかりが並んでいました。センスが良いとは思いませんが、見ている分には面白いです。

    また別のチョコレート屋さんはこんな細工物ばかりが並んでいました。センスが良いとは思いませんが、見ている分には面白いです。

  • お菓子にしてはちょっとコントラストがはっきりしていると言うか、綺麗だけど食べたい気持にはなりませんね。昔こんな色の油粘土で遊んだ記憶があります。

    お菓子にしてはちょっとコントラストがはっきりしていると言うか、綺麗だけど食べたい気持にはなりませんね。昔こんな色の油粘土で遊んだ記憶があります。

  • 横道をぶらついていたら急に人の多い所に出ました。何だろうと思ったら有名なフィグルミュラーの本店でした。

    横道をぶらついていたら急に人の多い所に出ました。何だろうと思ったら有名なフィグルミュラーの本店でした。

  • 夕食には早い時間でしたが店内は満員でテーブルには巨大なシュニツェルが並んでいます。ガイドブックなどに顔写真が載っているおじさんに(満員でてんてこ舞いの忙しさでしたが)予約を取れないか尋ねてみましたが…。「今日も明日も明後日も満席です。」とのこと。

    夕食には早い時間でしたが店内は満員でテーブルには巨大なシュニツェルが並んでいます。ガイドブックなどに顔写真が載っているおじさんに(満員でてんてこ舞いの忙しさでしたが)予約を取れないか尋ねてみましたが…。「今日も明日も明後日も満席です。」とのこと。

  • 店内は狭いテーブルで空いた椅子も無いほどの混雑な上に全員がウインナーシュニッツェルを食べているので、見ているだけで胸焼けしそうでした。「近くに支店もあって、そちらの方が空いているし、予約無しでも入れますよ。」との事だったのでもう少しお腹が空いたら出直そうと思いました。

    店内は狭いテーブルで空いた椅子も無いほどの混雑な上に全員がウインナーシュニッツェルを食べているので、見ているだけで胸焼けしそうでした。「近くに支店もあって、そちらの方が空いているし、予約無しでも入れますよ。」との事だったのでもう少しお腹が空いたら出直そうと思いました。

  • フィルグミュラーの場所で自分たちがどこにいるか分かったので、シュテファン大聖堂までやってきました。ファサードが工事中なのが少々残念ですが、考えようによればこの教会を建て始めて以来工事をしていない期間の方が短いのかもしれません。

    フィルグミュラーの場所で自分たちがどこにいるか分かったので、シュテファン大聖堂までやってきました。ファサードが工事中なのが少々残念ですが、考えようによればこの教会を建て始めて以来工事をしていない期間の方が短いのかもしれません。

  • ヨーロッパのいろいろな都市で観光用の馬車を観る機会は多いですが、まだ乗ったことがありません。そういえばヴェネツィアにも5回ほど行っていますが、ゴンドラに乗ったこともありません。

    ヨーロッパのいろいろな都市で観光用の馬車を観る機会は多いですが、まだ乗ったことがありません。そういえばヴェネツィアにも5回ほど行っていますが、ゴンドラに乗ったこともありません。

  • 何度もシュテファン教会には来ていますが、いつもミサのタイミングで訪れてしまい後ろの方から祭壇を眺めるだけで終わりです。今回こそはちゃんと見学をと思っていたのですが、妻の反対で地下のカタコンベには行けず、塔にも登りませんでした。

    何度もシュテファン教会には来ていますが、いつもミサのタイミングで訪れてしまい後ろの方から祭壇を眺めるだけで終わりです。今回こそはちゃんと見学をと思っていたのですが、妻の反対で地下のカタコンベには行けず、塔にも登りませんでした。

  • ウィーンで最初に作られたバロック様式の祭壇で、中央に聖シュテファンの処刑を描いたという祭壇画がありますが、かなり遠いので確認できません。外陣のゴシック様式のリブ・ヴォールトは柱の少ない高い天井の強度を増すために木が枝葉を広げたように伸ばされ、網状や星状に延びていてとても優美です。

    ウィーンで最初に作られたバロック様式の祭壇で、中央に聖シュテファンの処刑を描いたという祭壇画がありますが、かなり遠いので確認できません。外陣のゴシック様式のリブ・ヴォールトは柱の少ない高い天井の強度を増すために木が枝葉を広げたように伸ばされ、網状や星状に延びていてとても優美です。

  • ハプスブルク家の歴代君主の墓所であるほかにモーツァルトとコンスタンツェ・ウェーバーの結婚式が行われたくらいの知識しかありません。

    ハプスブルク家の歴代君主の墓所であるほかにモーツァルトとコンスタンツェ・ウェーバーの結婚式が行われたくらいの知識しかありません。

  • シュテファン大聖堂の前にはハンス・ホライン設計のハース・ハウスです。1990年の建築当初は景観を壊すと言われ、初めてウィーンを訪れた1991年では違和感も感じました。それから20年も過ぎれば全く気にもならなくなりました。

    シュテファン大聖堂の前にはハンス・ホライン設計のハース・ハウスです。1990年の建築当初は景観を壊すと言われ、初めてウィーンを訪れた1991年では違和感も感じました。それから20年も過ぎれば全く気にもならなくなりました。

  • ケルントナー通りも休日は午後から賑わっています。

    ケルントナー通りも休日は午後から賑わっています。

  • アンカー時計はアンカーホーフの2つの建物を結ぶ空中回廊に設置されている仕掛け時計で、ユーゲントシュティールの画家フランツ・マッチュが設計しました。マッチュはクリムトの友人でクリムトの弟のエルンストと共に芸術家商会を設立しています。

    アンカー時計はアンカーホーフの2つの建物を結ぶ空中回廊に設置されている仕掛け時計で、ユーゲントシュティールの画家フランツ・マッチュが設計しました。マッチュはクリムトの友人でクリムトの弟のエルンストと共に芸術家商会を設立しています。

  • この時計は1912年から1914年にかけて制作され、時報を告げるごとにウィーンと関係の深い歴史的人物を模した人形が現れます。人形たちは12時間で1周して正午には全ての人形たちによるパレードが見られます。アドヴェント(クリスマス)の期間中は毎日17時と18時にクリスマス音楽が流れるそうです。

    この時計は1912年から1914年にかけて制作され、時報を告げるごとにウィーンと関係の深い歴史的人物を模した人形が現れます。人形たちは12時間で1周して正午には全ての人形たちによるパレードが見られます。アドヴェント(クリスマス)の期間中は毎日17時と18時にクリスマス音楽が流れるそうです。

  • 日が落ちたウィーンの町も美しいので毎晩のように散歩しました。

    日が落ちたウィーンの町も美しいので毎晩のように散歩しました。

  • 日中は通り過ぎてしまうような建物もライトアップされることで美しさが際立ってきます。

    日中は通り過ぎてしまうような建物もライトアップされることで美しさが際立ってきます。

  • シュテファン大聖堂を中心にグラーベンとケルントナー通りは賑わっていますが、それ以外の通りは人も少なくて良い雰囲気です。

    シュテファン大聖堂を中心にグラーベンとケルントナー通りは賑わっていますが、それ以外の通りは人も少なくて良い雰囲気です。

  • グラーベンとコールマルクトの当たる建物はいつも混雑しています。

    グラーベンとコールマルクトの当たる建物はいつも混雑しています。

  • 有名なコーヒーメーカーでもあるユリウス・マインルの高級スーパーはウィーン中でも店舗はここだけだそうです。1階と地下がスーパーになっています。

    有名なコーヒーメーカーでもあるユリウス・マインルの高級スーパーはウィーン中でも店舗はここだけだそうです。1階と地下がスーパーになっています。

  • レオポルド美術館にも収蔵されている琺瑯看板と同じロゴが見えます。ウィーンにコーヒーがもたらされたのは1683年のトルコ帝国のウイーンの包囲の時なので、赤い帽子はトルコ帽に由来するのでしょう。

    レオポルド美術館にも収蔵されている琺瑯看板と同じロゴが見えます。ウィーンにコーヒーがもたらされたのは1683年のトルコ帝国のウイーンの包囲の時なので、赤い帽子はトルコ帽に由来するのでしょう。

  • コーヒー王と呼ばれるユリウス・マインルの奥さんはウィーンに声楽の留学で滞在していた日本人の田中路子さんという方です。結婚時に路子21歳マインル57歳と年齢の離れた2人でしたがマインル氏とは1930年から1941年11年間の結婚生活を楽しく暮らしたそうです。彼女の名前を冠したミチコ・ティー言う名の商品もあります。

    コーヒー王と呼ばれるユリウス・マインルの奥さんはウィーンに声楽の留学で滞在していた日本人の田中路子さんという方です。結婚時に路子21歳マインル57歳と年齢の離れた2人でしたがマインル氏とは1930年から1941年11年間の結婚生活を楽しく暮らしたそうです。彼女の名前を冠したミチコ・ティー言う名の商品もあります。

  • スーパーの建物の角にはイタリアン・ジェラートを扱うコーナーがあります。二兎でにぎわっているのはこのお店のせいです。

    スーパーの建物の角にはイタリアン・ジェラートを扱うコーナーがあります。二兎でにぎわっているのはこのお店のせいです。

  • ここを通るたびにおねだりされてジェラートを食べていた気がします。旅行中の妻はほとんど現金を持っていないので仕方ありません。

    ここを通るたびにおねだりされてジェラートを食べていた気がします。旅行中の妻はほとんど現金を持っていないので仕方ありません。

  • アイスを食べながらグラーベンをぶらぶら散歩いてみます。

    アイスを食べながらグラーベンをぶらぶら散歩いてみます。

  • グラーベンから見える聖ペーター教会の創立は9世紀にまで遡り、ウィーンで2番目に古い教会といわれています。現在の建物は18世紀にハプスブルク家によって改築されたバロック様式のものです。

    グラーベンから見える聖ペーター教会の創立は9世紀にまで遡り、ウィーンで2番目に古い教会といわれています。現在の建物は18世紀にハプスブルク家によって改築されたバロック様式のものです。

  • シンプルなバロック様式の外装からは想像がつかないほど内部は豪華です。これぞまさにバロックといった絢爛豪華な内装で、ドーム天井のフレスコ画は先日行ったカールす教会と同じミヒャエル・ロットマイヤーの作品です。

    シンプルなバロック様式の外装からは想像がつかないほど内部は豪華です。これぞまさにバロックといった絢爛豪華な内装で、ドーム天井のフレスコ画は先日行ったカールす教会と同じミヒャエル・ロットマイヤーの作品です。

  • この教会には有名なパイプオルガンがあり、毎晩1時間ほどオルガンコンサートが行われますが、お酒も入っているしジェラートも食べながらなので立ち寄りませんでした。

    この教会には有名なパイプオルガンがあり、毎晩1時間ほどオルガンコンサートが行われますが、お酒も入っているしジェラートも食べながらなので立ち寄りませんでした。

  • グラーベンはローマ時代の堀があった場所にバーベンベルク時代の12世紀の終わりに埋められ現在の通りとなったわけです。その中ほどにペスト記念碑がそびえています。当時のペストは高い伝染率病と高い致死率で、皮膚が黒くなって死亡することから黒死病と呼ばれていました。元々ネズミに流行する伝染病で、その感染したネズミの血を吸ったノミが、人間の血を吸う時に感染し、ヨーロッパでは14世紀から100年に1回ぐらいは流行していました。 この記念柱は1679年にウィーンに猛威を振るったペストの終息を記念して、マリア・テレジアの祖父である皇帝レオポルド1世によって建てられました。当時は暫定的に木で作られた記念柱でしたが、その後1683年に大理石にするというプランが出され、フィッシャー・フォン・エアラッハ等を始め色々な人が関わり、最終的に当初の木製の物から14年間かかった1693年に現在の姿になりました。

    グラーベンはローマ時代の堀があった場所にバーベンベルク時代の12世紀の終わりに埋められ現在の通りとなったわけです。その中ほどにペスト記念碑がそびえています。当時のペストは高い伝染率病と高い致死率で、皮膚が黒くなって死亡することから黒死病と呼ばれていました。元々ネズミに流行する伝染病で、その感染したネズミの血を吸ったノミが、人間の血を吸う時に感染し、ヨーロッパでは14世紀から100年に1回ぐらいは流行していました。 この記念柱は1679年にウィーンに猛威を振るったペストの終息を記念して、マリア・テレジアの祖父である皇帝レオポルド1世によって建てられました。当時は暫定的に木で作られた記念柱でしたが、その後1683年に大理石にするというプランが出され、フィッシャー・フォン・エアラッハ等を始め色々な人が関わり、最終的に当初の木製の物から14年間かかった1693年に現在の姿になりました。

  • 皇帝レオポルド1世がひざまずき、神に敬意と感謝を表しています。 記念柱の最上部に見られる三位一体(神様、イエス・キリスト、鳩)に続き下3か所の角には、双頭の鷲の神聖ローマ帝国とハンガリーとボヘミアの紋章を見ることができます。 <br />  ローマ・カトリック教会ではペストの守護聖人として聖母マリアや聖セバスティアヌスや聖ロクスや聖クリストフォロスなどで表現されますが、この記念柱にはペストの守護神は誰もいません。代わりにレオポルド1世が登場しているわけです。 <br />その下には天使が老婆を突き落としているシーンが見られ、この老婆がペストを表します。

    皇帝レオポルド1世がひざまずき、神に敬意と感謝を表しています。 記念柱の最上部に見られる三位一体(神様、イエス・キリスト、鳩)に続き下3か所の角には、双頭の鷲の神聖ローマ帝国とハンガリーとボヘミアの紋章を見ることができます。
    ローマ・カトリック教会ではペストの守護聖人として聖母マリアや聖セバスティアヌスや聖ロクスや聖クリストフォロスなどで表現されますが、この記念柱にはペストの守護神は誰もいません。代わりにレオポルド1世が登場しているわけです。
    その下には天使が老婆を突き落としているシーンが見られ、この老婆がペストを表します。

  • 近くに綺麗なパッサージュがありました。お店の入り口はありませんが、きれいなウインドウが並んでいるので夜間のウインドウショッピングにはもってこいです。

    近くに綺麗なパッサージュがありました。お店の入り口はありませんが、きれいなウインドウが並んでいるので夜間のウインドウショッピングにはもってこいです。

  • ウインドウショッピングはお金もかからないで楽しい気分にしてくれます。ここでもイースターをモチーフにした商品が並んでいます。

    ウインドウショッピングはお金もかからないで楽しい気分にしてくれます。ここでもイースターをモチーフにした商品が並んでいます。

  • アウガルテンの陶器のフィギュアも可愛らしいです。ディアンドルという女性の民族衣装は市庁舎前の広場で開催されているシュタイヤマルク・フェストでたくさんの女性が着ているのを見ていたので目に留まりました。

    アウガルテンの陶器のフィギュアも可愛らしいです。ディアンドルという女性の民族衣装は市庁舎前の広場で開催されているシュタイヤマルク・フェストでたくさんの女性が着ているのを見ていたので目に留まりました。

  • アウガルテンのウインドウの生きているような騎馬隊です。この辺りに戻ってくるのは午後7時過ぎになるのでいつもお店は閉まっています。まあ小さなフィギュアで20万円ほどするのでこんな騎馬像を買い揃えたら破産しそうです。

    アウガルテンのウインドウの生きているような騎馬隊です。この辺りに戻ってくるのは午後7時過ぎになるのでいつもお店は閉まっています。まあ小さなフィギュアで20万円ほどするのでこんな騎馬像を買い揃えたら破産しそうです。

  • ドイツのエルツ地方のザイフェン村の伝統工芸品であるタバコを吸う人形も売っていました。この後のクリスマスマーケット巡りの旅では毎年のようにお目にかかりますが、まだ買うに至っていません。

    ドイツのエルツ地方のザイフェン村の伝統工芸品であるタバコを吸う人形も売っていました。この後のクリスマスマーケット巡りの旅では毎年のようにお目にかかりますが、まだ買うに至っていません。

  • 高級商店街のイースターエッグは細かい手書きの1点もののようです。

    高級商店街のイースターエッグは細かい手書きの1点もののようです。

  • グラーベンからケルントナー通りまで戻ってきました。昔は古い洋服店E. Braun&Coだった所がH&Mになっていました。昔のままの内装が往時の華やかさを感じさせますが時代の流れなのでしょう。お客はほとんどが地元の女性のようでした。妻は洋服を見ていましたが、ユーゲントシュティール建築の内装は素晴らしかったです。

    グラーベンからケルントナー通りまで戻ってきました。昔は古い洋服店E. Braun&Coだった所がH&Mになっていました。昔のままの内装が往時の華やかさを感じさせますが時代の流れなのでしょう。お客はほとんどが地元の女性のようでした。妻は洋服を見ていましたが、ユーゲントシュティール建築の内装は素晴らしかったです。

  • オーストリア公ルドルフ4世の命によって建造された「シュテファン大聖堂」は1359年に65年がかりで南塔が完成しています。136.7メートルの高さをもち、教会の塔としては161メートルのウルム大聖堂と157メートルのケルン大聖堂についで世界で3番目の高さがあるそうです。 塔の上にいくにつれ4角形から8角形にそして12本の小尖塔が囲んでいます塔の頂上には金色の双頭の鷲が二重十字(司教の十字)を持っているそうです

    オーストリア公ルドルフ4世の命によって建造された「シュテファン大聖堂」は1359年に65年がかりで南塔が完成しています。136.7メートルの高さをもち、教会の塔としては161メートルのウルム大聖堂と157メートルのケルン大聖堂についで世界で3番目の高さがあるそうです。 塔の上にいくにつれ4角形から8角形にそして12本の小尖塔が囲んでいます塔の頂上には金色の双頭の鷲が二重十字(司教の十字)を持っているそうです

  • H&Mには行きながら近隣のオットー・ワーグナーの「アンカーハウス」やアドルフ・ロースの設計した「アメリカンバー」を見て来なかったのは失敗でした。

    H&Mには行きながら近隣のオットー・ワーグナーの「アンカーハウス」やアドルフ・ロースの設計した「アメリカンバー」を見て来なかったのは失敗でした。

  • 大きな花束を抱えて足早に去っていく男性は何を急いでいるのでしょう?ヨーロッパでは24時間開いている花屋も多く、夫婦や恋人同士が喧嘩すると男性が花を贈ることが多く、夜間でも一定の需要があるそうです。

    大きな花束を抱えて足早に去っていく男性は何を急いでいるのでしょう?ヨーロッパでは24時間開いている花屋も多く、夫婦や恋人同士が喧嘩すると男性が花を贈ることが多く、夜間でも一定の需要があるそうです。

  • ケルントナー通りをオペラ座に向かって下る途中にマルタ十字を掲げた騎士団教会がありました。ウィーンとマルタ騎士団の関係は古く、13世紀の初頭にバーベンベルク家のレオポルド6世がこの騎士団をウィーンに呼び寄せたのが始まりだと言われています。その後13世紀半ばに現在の場所に最初の騎士団教会が建てられ、現在の建物は14世紀に建設されたものです。

    ケルントナー通りをオペラ座に向かって下る途中にマルタ十字を掲げた騎士団教会がありました。ウィーンとマルタ騎士団の関係は古く、13世紀の初頭にバーベンベルク家のレオポルド6世がこの騎士団をウィーンに呼び寄せたのが始まりだと言われています。その後13世紀半ばに現在の場所に最初の騎士団教会が建てられ、現在の建物は14世紀に建設されたものです。

  • 街中で何件か見掛けたホットドック屋さんはアメリカンダイナーっぽいデザインが良いです。残念ながら見掛ける時は必ず食事後だったので食べませんでしたがピッツアもケバブも美味しそうでした。

    街中で何件か見掛けたホットドック屋さんはアメリカンダイナーっぽいデザインが良いです。残念ながら見掛ける時は必ず食事後だったので食べませんでしたがピッツアもケバブも美味しそうでした。

  • ケルントナー通りをリンクシュトラーゼまで進むと「ウィーン国立歌劇場」が見えてきました。チケット代が高いことで有名な劇場ですが、外部に巨大なモニターが設置され、オンタイムで劇場の舞台を見る事が出来ます。当然音も流れているので臨場感満載です。

    ケルントナー通りをリンクシュトラーゼまで進むと「ウィーン国立歌劇場」が見えてきました。チケット代が高いことで有名な劇場ですが、外部に巨大なモニターが設置され、オンタイムで劇場の舞台を見る事が出来ます。当然音も流れているので臨場感満載です。

  • その隣はホテルザッハーです。ホテルは1876年エドゥアルト・ザッハーにより家具付きの貸家として建てられます。彼の死後に未亡人のアンナ・ザッハーが支配人となって、彼女の指揮の下にホテルは貴族や外交官が宿泊するような世界の最高の格式あるホテルの一つとなります。

    その隣はホテルザッハーです。ホテルは1876年エドゥアルト・ザッハーにより家具付きの貸家として建てられます。彼の死後に未亡人のアンナ・ザッハーが支配人となって、彼女の指揮の下にホテルは貴族や外交官が宿泊するような世界の最高の格式あるホテルの一つとなります。

  • このホテルで有名なのはやはりザッハトルテで、1832年に料理人の一人だったフランツ・ザッハーが考案しました。飽食した貴族たちのために新しいデザートを作れという要望に応えたものでした。レシピは門外不出とされましたが、3代目のエドマンド・ザッハーのときにホテル・ザッハーが財政難に陥ったのをきっかけに、資金援助をしたウィーンの王室ご用達のケーキ店「デメル」が代償としてザッハトルテの販売権を得ます。この際に「元祖ザッハトルテ」の文字をケーキの上にホワイトチョコレートで描く権利も譲渡したとも言われ、後には裁判にもなっています。

    このホテルで有名なのはやはりザッハトルテで、1832年に料理人の一人だったフランツ・ザッハーが考案しました。飽食した貴族たちのために新しいデザートを作れという要望に応えたものでした。レシピは門外不出とされましたが、3代目のエドマンド・ザッハーのときにホテル・ザッハーが財政難に陥ったのをきっかけに、資金援助をしたウィーンの王室ご用達のケーキ店「デメル」が代償としてザッハトルテの販売権を得ます。この際に「元祖ザッハトルテ」の文字をケーキの上にホワイトチョコレートで描く権利も譲渡したとも言われ、後には裁判にもなっています。

  • ウィーンのホテルザッハーではカフェがいつも混んでいることもありトルテを買ったことしかありませんが、ザルツブルグではカフェでザルツブルガー・ノッケレンという有名なメレンゲのお菓子をいただいたことがあります。イタリアのボルツァーノにもカフェがあって、思わず買い物してしまったことがあります。

    ウィーンのホテルザッハーではカフェがいつも混んでいることもありトルテを買ったことしかありませんが、ザルツブルグではカフェでザルツブルガー・ノッケレンという有名なメレンゲのお菓子をいただいたことがあります。イタリアのボルツァーノにもカフェがあって、思わず買い物してしまったことがあります。

  • この日の演目は「アンナ・ボレーナ」でした。イタリア語よりは英語のアン・ブーリンの方が通りが良いです。16世紀のイングランド国王ヘンリー8世とその2番目の妃アン・ブーリン並びに3番目の妃ジェーン・シーモアの史実に基づく物語です。<br />

    この日の演目は「アンナ・ボレーナ」でした。イタリア語よりは英語のアン・ブーリンの方が通りが良いです。16世紀のイングランド国王ヘンリー8世とその2番目の妃アン・ブーリン並びに3番目の妃ジェーン・シーモアの史実に基づく物語です。

  • アン・ブーリンの生涯は「不倫略奪婚」の一言に尽きるでしょう。石田純一のただの不倫とはわけが違い、この不倫は世界の歴史を変えたと言っても過言ではありません。不倫相手はイギリス国王ヘンリー8世で、アンは自分が王妃になるためにヘンリーを操りキャサリン・オブ・アラゴンを離縁させようとします。離婚を認めようとしないカトリック教会に腹を立てた国王は英国国教会を設立し英国はカトリック教会から離脱してしまいます。これが後の清教徒革命の布石となります。

    アン・ブーリンの生涯は「不倫略奪婚」の一言に尽きるでしょう。石田純一のただの不倫とはわけが違い、この不倫は世界の歴史を変えたと言っても過言ではありません。不倫相手はイギリス国王ヘンリー8世で、アンは自分が王妃になるためにヘンリーを操りキャサリン・オブ・アラゴンを離縁させようとします。離婚を認めようとしないカトリック教会に腹を立てた国王は英国国教会を設立し英国はカトリック教会から離脱してしまいます。これが後の清教徒革命の布石となります。

  • ついに王妃となったアンですが強い世継ぎを望んだヘンリーの願いに応えられず、やっと生まれた子供も女の子でした。やがてはヘンリーから疎まれてその心はジェーン・シーモアに移ってしまいます。アンが邪魔になったヘンリーの策略によりあらぬ罪を着せられてアンは29歳の若さで断頭台に消えるのです。不倫で奪った愛は不倫によって奪われ、男を手玉に取ったつもりが策に溺れて自滅する、そんな悲しい女性の生涯です。

    ついに王妃となったアンですが強い世継ぎを望んだヘンリーの願いに応えられず、やっと生まれた子供も女の子でした。やがてはヘンリーから疎まれてその心はジェーン・シーモアに移ってしまいます。アンが邪魔になったヘンリーの策略によりあらぬ罪を着せられてアンは29歳の若さで断頭台に消えるのです。不倫で奪った愛は不倫によって奪われ、男を手玉に取ったつもりが策に溺れて自滅する、そんな悲しい女性の生涯です。

  • オペラ座の1階のショップには歌劇場に由来するショップが入っていました。マダム・バタフライは日本人にとっては「蝶々夫人」の方が馴染みがありますね。長崎を舞台に没落藩士令嬢の蝶々さんとアメリカ海軍士官ピンカートンとの恋愛の悲劇を描くジャコモ・プッチーニのオペラです。

    オペラ座の1階のショップには歌劇場に由来するショップが入っていました。マダム・バタフライは日本人にとっては「蝶々夫人」の方が馴染みがありますね。長崎を舞台に没落藩士令嬢の蝶々さんとアメリカ海軍士官ピンカートンとの恋愛の悲劇を描くジャコモ・プッチーニのオペラです。

  • 翌日はガエターノ・ドニゼッティが作曲した「愛の妙薬」でした。ボルドー産の赤ワインを「秘薬」として高価な金額で買わされたネモリーノが秘薬で酔っ払って気が大きくなり…。なんてスペインのバスク地方の小さな村を舞台にした物語です。

    翌日はガエターノ・ドニゼッティが作曲した「愛の妙薬」でした。ボルドー産の赤ワインを「秘薬」として高価な金額で買わされたネモリーノが秘薬で酔っ払って気が大きくなり…。なんてスペインのバスク地方の小さな村を舞台にした物語です。

  • パブリックビューイングにはたくさんの人が集い、真剣なまなざしで画面を見ています。

    パブリックビューイングにはたくさんの人が集い、真剣なまなざしで画面を見ています。

  • プラハの夜は肌寒かったですが、ウィーンに来るまでの1週間ほどで気持ち良い気候になりました。

    プラハの夜は肌寒かったですが、ウィーンに来るまでの1週間ほどで気持ち良い気候になりました。

  • リンクシュトラーゼまで出てオペラ座の全景を眺めておきます。フランツ・ヨーゼフ1世の治世に行われた城壁の撤去とリング通りの建設を中心としたウィーン都市大改造計画の一環として、ウィーン市庁舎とブルク劇場とともに建設された「ウィーン帝立・王立宮廷歌劇場」が前身となります。

    リンクシュトラーゼまで出てオペラ座の全景を眺めておきます。フランツ・ヨーゼフ1世の治世に行われた城壁の撤去とリング通りの建設を中心としたウィーン都市大改造計画の一環として、ウィーン市庁舎とブルク劇場とともに建設された「ウィーン帝立・王立宮廷歌劇場」が前身となります。

  • 1863年に着工し1869年に完成し、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の上演でこけら落しを行いますが、建築的には「ありふれたリバイバル建築」と酷評され、設計したニルは自殺し、ジッカルツブルクは憤死しています。

    1863年に着工し1869年に完成し、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の上演でこけら落しを行いますが、建築的には「ありふれたリバイバル建築」と酷評され、設計したニルは自殺し、ジッカルツブルクは憤死しています。

  • 劇場の表にまで大型モニターから流れる音楽を聴くことが出来ました。

    劇場の表にまで大型モニターから流れる音楽を聴くことが出来ました。

  • ちょっと中を覗いてみたい気もしましたが、厚かましいので表の扉から覗くだけにしました。第2次世界大戦中の1945年3月12日に連合軍の爆撃により舞台が破壊され、建物は火災に見舞われます。モーリツ・フォン・シュヴァイエのフレスコ画のあるホワイエと正面階段などは被災を免れたそうです。東京大空襲とほぼ同じ時に被災した建物がこうやって現役で残っていることに驚きます。

    ちょっと中を覗いてみたい気もしましたが、厚かましいので表の扉から覗くだけにしました。第2次世界大戦中の1945年3月12日に連合軍の爆撃により舞台が破壊され、建物は火災に見舞われます。モーリツ・フォン・シュヴァイエのフレスコ画のあるホワイエと正面階段などは被災を免れたそうです。東京大空襲とほぼ同じ時に被災した建物がこうやって現役で残っていることに驚きます。

  • ウィーンに来て数日で一挙に春が加速したようです。枯れ枝に見えた木々も緑に生きづいてきました。今日も元気にリンクシュトラーゼの中を歩きます。

    ウィーンに来て数日で一挙に春が加速したようです。枯れ枝に見えた木々も緑に生きづいてきました。今日も元気にリンクシュトラーゼの中を歩きます。

  • コールマルクトと王宮のミヒャエル門の前に建つ「ロースハウス」です。「装飾は罪悪」と言い切ったアドルフ・ロースでしたが、意匠の無い3階以上を見た人は「まゆ毛の無い建物」と笑ったそうです。また皇帝フランツ・ヨーゼフはこの建物を嫌い、見るのも嫌だったらしく、ミヒャエル門を使わなくなったと言う逸話も残っているそうです。

    コールマルクトと王宮のミヒャエル門の前に建つ「ロースハウス」です。「装飾は罪悪」と言い切ったアドルフ・ロースでしたが、意匠の無い3階以上を見た人は「まゆ毛の無い建物」と笑ったそうです。また皇帝フランツ・ヨーゼフはこの建物を嫌い、見るのも嫌だったらしく、ミヒャエル門を使わなくなったと言う逸話も残っているそうです。

  • コールマルクトを北に進むと同じくアドルフ・ロース設計の「マンツ書店」があり、隣には皇室御用の「デメル」があります。

    コールマルクトを北に進むと同じくアドルフ・ロース設計の「マンツ書店」があり、隣には皇室御用の「デメル」があります。

  • 「デメル」のウインドウは蝋細工のディスプレイかと思いましたが本物のチョコレート細工でした。

    「デメル」のウインドウは蝋細工のディスプレイかと思いましたが本物のチョコレート細工でした。

  • ここでもイースターエッグとイースターバニーとニワトリがモチーフになっていました。

    ここでもイースターエッグとイースターバニーとニワトリがモチーフになっていました。

  • 「デメル」は1786年にヴュルテンベルク出身の砂糖菓子職人ルートヴィヒ・デーネが、ブルク劇場の楽屋口の向かいに開いた店が始まりで、当時のウィーンでは物珍しかったアイスクリームを売り出して注目を集めたそうです。

    「デメル」は1786年にヴュルテンベルク出身の砂糖菓子職人ルートヴィヒ・デーネが、ブルク劇場の楽屋口の向かいに開いた店が始まりで、当時のウィーンでは物珍しかったアイスクリームを売り出して注目を集めたそうです。

  • ルートヴィヒの息子アウグストは政界への参加を志し、店の職人長であるクリストフ・デメルに店を譲り渡します。19世紀のウィーン宮廷では晩餐会や舞踏会の席ではデメルの菓子職人が駆り出され、当時のウィーンの上流階級の女性たちはデメルの菓子を好み、皇妃エリーザベトなども足繁く店に通ったそうです。1888年にブルク劇場が取り壊された後、デメルは現在の所在地であるコールマルクト14番地に店を移しています。

    ルートヴィヒの息子アウグストは政界への参加を志し、店の職人長であるクリストフ・デメルに店を譲り渡します。19世紀のウィーン宮廷では晩餐会や舞踏会の席ではデメルの菓子職人が駆り出され、当時のウィーンの上流階級の女性たちはデメルの菓子を好み、皇妃エリーザベトなども足繁く店に通ったそうです。1888年にブルク劇場が取り壊された後、デメルは現在の所在地であるコールマルクト14番地に店を移しています。

  • 1930年代に経営の傾いたホテル・ザッハーへの援助の見返りとして、デメルは料理人フランツ・ザッハーの孫であるエドマンド・ザッハーから、ザッハトルテのレシピと「本物」を冠したザッハトルテを売り出す権利を買い取ります。秘伝のはずのザッハトルテのレシピが料理書に掲載される事件が起き、「甘い七年戦争」と呼ばれる7年以上にわたる法廷闘争が始まります。

    1930年代に経営の傾いたホテル・ザッハーへの援助の見返りとして、デメルは料理人フランツ・ザッハーの孫であるエドマンド・ザッハーから、ザッハトルテのレシピと「本物」を冠したザッハトルテを売り出す権利を買い取ります。秘伝のはずのザッハトルテのレシピが料理書に掲載される事件が起き、「甘い七年戦争」と呼ばれる7年以上にわたる法廷闘争が始まります。

  • そして一番奥には厨房の大きなガラスで仕切られ、パティシエがチョコレート細工の作業中でした。ウインドウに飾られたイースターのチョコレートもここで造られています。

    そして一番奥には厨房の大きなガラスで仕切られ、パティシエがチョコレート細工の作業中でした。ウインドウに飾られたイースターのチョコレートもここで造られています。

  • プラハからウィーンとカフェ巡りばかりして、2週間で数年分のケーキを食べた気分なので、この店では名物の「すみれの砂糖漬け」だけを買い求めました。

    プラハからウィーンとカフェ巡りばかりして、2週間で数年分のケーキを食べた気分なので、この店では名物の「すみれの砂糖漬け」だけを買い求めました。

  • 今回の旅で何度目のシュテファン大聖堂でしょうか。今日は素通りして先に進みます。

    今回の旅で何度目のシュテファン大聖堂でしょうか。今日は素通りして先に進みます。

  • 「フィルグミュラー」の本店はこの日も満員状態でしたが、比較的空いていて予約の必要も無い支店へやってきました。

    「フィルグミュラー」の本店はこの日も満員状態でしたが、比較的空いていて予約の必要も無い支店へやってきました。

  • 本店は古い通りに雑多な賑わいが合ってよかったですが、こちらの店は上品でおしゃれなレストランといった雰囲気です。

    本店は古い通りに雑多な賑わいが合ってよかったですが、こちらの店は上品でおしゃれなレストランといった雰囲気です。

  • やはりこの店のおすすめ料理は四角く囲んだウィンナーシュニッツェルのようです。税サービス別で13.9ユーロとお手軽な値段でした。付け合わせのサラダも3.8ユーロ。

    やはりこの店のおすすめ料理は四角く囲んだウィンナーシュニッツェルのようです。税サービス別で13.9ユーロとお手軽な値段でした。付け合わせのサラダも3.8ユーロ。

  • 少し早い時間に行ったので店内にお客はまばらです。入り口を入って右側にグルッと廻った通り沿いの席に座りました。妻の頭の中が後ろの鏡に浮かび上がったのかと思ったらポスターでした。

    少し早い時間に行ったので店内にお客はまばらです。入り口を入って右側にグルッと廻った通り沿いの席に座りました。妻の頭の中が後ろの鏡に浮かび上がったのかと思ったらポスターでした。

  • 妻の念願だったウィーンでウインナーシュニッツエルを食べるという念願が叶いました。厚さ数ミリの子牛の肉をシュニッツェル用の小さなハンマーで叩き、塩を振り掛けます。 小麦粉をまぶしてとき卵につけて、ゼンメルのパン粉をまんべんなくつけて160℃~170℃のラードでフライパンで揚げます。家でも妻が作ってくれる料理です。

    妻の念願だったウィーンでウインナーシュニッツエルを食べるという念願が叶いました。厚さ数ミリの子牛の肉をシュニッツェル用の小さなハンマーで叩き、塩を振り掛けます。 小麦粉をまぶしてとき卵につけて、ゼンメルのパン粉をまんべんなくつけて160℃~170℃のラードでフライパンで揚げます。家でも妻が作ってくれる料理です。

  • この料理の有名な伝説として語り継がれているのは、フランツ・ヨーゼフ1世の統治時代の1848年の3月革命時から1849年においてのイタリアのサンタ・ルチアやノヴァーラの戦いで大活躍して有名になるラデツキー将軍がミラノ風カツレツのレシピを持ち帰ったとされます。

    この料理の有名な伝説として語り継がれているのは、フランツ・ヨーゼフ1世の統治時代の1848年の3月革命時から1849年においてのイタリアのサンタ・ルチアやノヴァーラの戦いで大活躍して有名になるラデツキー将軍がミラノ風カツレツのレシピを持ち帰ったとされます。

  • こちらはミートパイで内臓や血を使った物ですが、癖も無くて美味しかったです。

    こちらはミートパイで内臓や血を使った物ですが、癖も無くて美味しかったです。

  • これだけの量なので2人で食べるには十分な量です。シュニッツェルを2枚だと途中で飽きてしまいますからね。

    これだけの量なので2人で食べるには十分な量です。シュニッツェルを2枚だと途中で飽きてしまいますからね。

  • ミラノでもミラノ風カツレツは食べていますが、周りにはフライドポテトが盛り付けられてこれほど大きくはありませんでした。イギリスのブライトンでドーバー海峡のヒラメのフライを注文したら、これくらいの大きさでお皿が見えなかったことがあります。その時以来のインパクトがありました。

    ミラノでもミラノ風カツレツは食べていますが、周りにはフライドポテトが盛り付けられてこれほど大きくはありませんでした。イギリスのブライトンでドーバー海峡のヒラメのフライを注文したら、これくらいの大きさでお皿が見えなかったことがあります。その時以来のインパクトがありました。

  • 狭い本店よりはゆっくり食事が出来たのでこちらの店でよかったと思います。

    狭い本店よりはゆっくり食事が出来たのでこちらの店でよかったと思います。

  • この7年後にもう一度ウィーンに行く機会があり、その際にはウィーン最古のレストラン「グリーヒェンバイスル」でウインナーシュニツッェルを食べる機会がありました。味の違いまでは比べられませんが、この時のインパクトは大きかったです。

    この7年後にもう一度ウィーンに行く機会があり、その際にはウィーン最古のレストラン「グリーヒェンバイスル」でウインナーシュニツッェルを食べる機会がありました。味の違いまでは比べられませんが、この時のインパクトは大きかったです。

  • 週末の日曜日は全くと言って良いほどシュテファン周辺の店は休みです。観光客も少ないのでフィアカーの馬たちも暇を持て余しています。

    週末の日曜日は全くと言って良いほどシュテファン周辺の店は休みです。観光客も少ないのでフィアカーの馬たちも暇を持て余しています。

  • 良く見ると馬の帽子はそれぞれ違いがあるようです。

    良く見ると馬の帽子はそれぞれ違いがあるようです。

  • フィアカーという言葉はもともとフランス語に由来するもので、パリのサン・フィアクル通りを往来する辻馬車に起源するそうです。1720年になってそれまでウィーンでヤンシュキー馬車と呼ばれていた辻馬車が「フィアカー」と改称されます。

    フィアカーという言葉はもともとフランス語に由来するもので、パリのサン・フィアクル通りを往来する辻馬車に起源するそうです。1720年になってそれまでウィーンでヤンシュキー馬車と呼ばれていた辻馬車が「フィアカー」と改称されます。

  • 19世紀の後半には1000台もの馬車が運行され、愛された理由の一つが御者たちがプライバシーの秘密厳守したことだそうです。貴族の紳士たちも安心してフィアカーを愛人との密会の場に利用したそうです。歴史上最も知られる御者はヨーゼフ・ブラートフィッシュという人で、彼はルドルフ皇太子のお気に入りで1889年に皇太子と愛人のマリー・ヴェツェラがマイヤーリンクへ向かったときも御者を務めています。その後2人はマイヤーリンクで心中をして亡くなりました。

    19世紀の後半には1000台もの馬車が運行され、愛された理由の一つが御者たちがプライバシーの秘密厳守したことだそうです。貴族の紳士たちも安心してフィアカーを愛人との密会の場に利用したそうです。歴史上最も知られる御者はヨーゼフ・ブラートフィッシュという人で、彼はルドルフ皇太子のお気に入りで1889年に皇太子と愛人のマリー・ヴェツェラがマイヤーリンクへ向かったときも御者を務めています。その後2人はマイヤーリンクで心中をして亡くなりました。

  • シュテファン大聖堂の内部についてはあまり詳しい説明がないのですが、一番有名なのが左側に見える説教壇です。その精緻な石の加工技術には驚かされます。

    シュテファン大聖堂の内部についてはあまり詳しい説明がないのですが、一番有名なのが左側に見える説教壇です。その精緻な石の加工技術には驚かされます。

  • 日曜日の夕方は西側の窓から柔らかい日差しが差し込んでいました。一番堂内が明るく見える時間帯かもしれません。

    日曜日の夕方は西側の窓から柔らかい日差しが差し込んでいました。一番堂内が明るく見える時間帯かもしれません。

  • プラハの1週間とウィーンの1週間の旅の無事のお礼と次のブダペストの1週間の旅の無事をお祈りしました。

    プラハの1週間とウィーンの1週間の旅の無事のお礼と次のブダペストの1週間の旅の無事をお祈りしました。

  • いつか塔に登ってウィーンの街を俯瞰してみたいものです。

    いつか塔に登ってウィーンの街を俯瞰してみたいものです。

  • ホテルへの帰り道に少し寄り道して「エンゲル薬局」の前を通ってみました。

    ホテルへの帰り道に少し寄り道して「エンゲル薬局」の前を通ってみました。

  • 日曜日なのでお店は休みです。シャッターが下りているのが残念です。ENGEL APOTHKEは天使の薬局という意味です。赤いAの文字ははオーストリアの薬局の印で、ギリシャ神話に登場する医学の守護神エースクラップ(Aeskulap)のイニシャルです。お店は休みですが、連絡しておけば真ん中のシャッターの中ほどに小さな扉があり、薬を受け取れるようになっています。

    日曜日なのでお店は休みです。シャッターが下りているのが残念です。ENGEL APOTHKEは天使の薬局という意味です。赤いAの文字ははオーストリアの薬局の印で、ギリシャ神話に登場する医学の守護神エースクラップ(Aeskulap)のイニシャルです。お店は休みですが、連絡しておけば真ん中のシャッターの中ほどに小さな扉があり、薬を受け取れるようになっています。

  • この薬局はセバスチャン・ゴッツが最初のオーナーで1587年に別の場所で開業し、市内を転々とした後にこの場所に移ります。1902年に薬局が入っていた当時の建物が取り壊されて、今日に見られる ユーゲントシュティール様式で新しく建てられました。

    この薬局はセバスチャン・ゴッツが最初のオーナーで1587年に別の場所で開業し、市内を転々とした後にこの場所に移ります。1902年に薬局が入っていた当時の建物が取り壊されて、今日に見られる ユーゲントシュティール様式で新しく建てられました。

  • 印象的な天使は大理石のモザイクで造られており、これはオスカー・ラスケの作品になります。ラスケはオーストリアの建築家で画家で、彼の父も建築家でした。 ウィーンのアカデミーでオットー・ワーグナーのもとで学んでいます。

    印象的な天使は大理石のモザイクで造られており、これはオスカー・ラスケの作品になります。ラスケはオーストリアの建築家で画家で、彼の父も建築家でした。 ウィーンのアカデミーでオットー・ワーグナーのもとで学んでいます。

  • 医学の守護神エースクラップ(Aeskulap)のイニシャルと彼の飼い蛇、彼の娘であり薬学の象徴でもあったヒュゲイアの杯とで構成されたユニークなモザイクです。

    医学の守護神エースクラップ(Aeskulap)のイニシャルと彼の飼い蛇、彼の娘であり薬学の象徴でもあったヒュゲイアの杯とで構成されたユニークなモザイクです。

  • この時はもうウィーンでやり残した事は無いと思えるほどの充実感でしたが、帰ってから本や資料を読み返すとぽろぽろいろいろな物が抜けていたのに気付きました。

    この時はもうウィーンでやり残した事は無いと思えるほどの充実感でしたが、帰ってから本や資料を読み返すとぽろぽろいろいろな物が抜けていたのに気付きました。

  • アムホーフの近くにあった地下の公共トイレの脇に建つ通風孔です。デザインはオットー・ワーグナーの郵便貯金局の通風孔と全く同じデザインです。こんなトイレの通風孔もオットー・ワーグナーが手掛けたのでしょうか?

    アムホーフの近くにあった地下の公共トイレの脇に建つ通風孔です。デザインはオットー・ワーグナーの郵便貯金局の通風孔と全く同じデザインです。こんなトイレの通風孔もオットー・ワーグナーが手掛けたのでしょうか?

  • ウィーンの1週間も終わりましたが、最終地のブダペストへの移動の日がやってきました。プラハから到着したメイドリンク駅までは地下鉄を乗り継いでやってきました。

    ウィーンの1週間も終わりましたが、最終地のブダペストへの移動の日がやってきました。プラハから到着したメイドリンク駅までは地下鉄を乗り継いでやってきました。

  • チケットはプラハから到着した日に買っておきましたので列車を待つだけです。座席の予約は必要ないと言われていましたが、念のためもう一度カウンターで尋ねましたが答えは一緒でした。

    チケットはプラハから到着した日に買っておきましたので列車を待つだけです。座席の予約は必要ないと言われていましたが、念のためもう一度カウンターで尋ねましたが答えは一緒でした。

  • 駅構内の地下にある小さなパン屋さんですが、店の中にオーブンがあってパンを焼いているのに驚きました。日本の消防法と保健所の規制では絶対にできないことです。

    駅構内の地下にある小さなパン屋さんですが、店の中にオーブンがあってパンを焼いているのに驚きました。日本の消防法と保健所の規制では絶対にできないことです。

  • そんなことに驚いているうちに妻は自分だけデニッシュを買っていたようです。ほんの1時間前にホテルで朝ご飯を食べたばかりなのですが。

    そんなことに驚いているうちに妻は自分だけデニッシュを買っていたようです。ほんの1時間前にホテルで朝ご飯を食べたばかりなのですが。

  • 時間の少し前にホームに上がりましたが、ミュンヘンからの列車は少し遅れているようで、構内の放送で入線するホームが変わったと案内がありました。

    時間の少し前にホームに上がりましたが、ミュンヘンからの列車は少し遅れているようで、構内の放送で入線するホームが変わったと案内がありました。

  • 調子に乗って写真なんて撮っている場合では無かったのですが。

    調子に乗って写真なんて撮っている場合では無かったのですが。

  • そこまで確認していながら、到着した列車に表示されていたブダペストの文字に勘違いをして列車に乗ってしまいました。トランク3個と自由席で頭が一杯で乗ってしまったのが間違えでした。

    そこまで確認していながら、到着した列車に表示されていたブダペストの文字に勘違いをして列車に乗ってしまいました。トランク3個と自由席で頭が一杯で乗ってしまったのが間違えでした。

  • 出発時間前に発車したところで気付きましたが、列車の行き先はミュンヘンです。妻が横で「この電車じゃないよ。ホームが違うよ。」と言っている言葉も耳に入りませんでした。

    出発時間前に発車したところで気付きましたが、列車の行き先はミュンヘンです。妻が横で「この電車じゃないよ。ホームが違うよ。」と言っている言葉も耳に入りませんでした。

  • 妻が後ろから「列車の番号が違うよ。」と言っているのも聞かずに乗ってしまい反省です。次の駅がウィーン西駅だったのは不幸中の幸いで、15分ほどで列車を降りることができました。

    妻が後ろから「列車の番号が違うよ。」と言っているのも聞かずに乗ってしまい反省です。次の駅がウィーン西駅だったのは不幸中の幸いで、15分ほどで列車を降りることができました。

  • 次のブダペスト行きの列車までは2時間ほどあります。仕方ないので交代で荷物の番をしながら駅構内を見てまわりました。

    次のブダペスト行きの列車までは2時間ほどあります。仕方ないので交代で荷物の番をしながら駅構内を見てまわりました。

  • 20年前の2か月のオーストリアとイタリアとスイスの旅ではウィーン西駅はウィーン南駅と共に思い出が詰まったところです。昔は薄暗くて少しいかがわしい雰囲気がありましたが、綺麗に改装されていました。広い空間と2階のホームへ行くエスカレーターの位置に名残が感じられましたが、大きなパタパタ式の出発と到着を知らせる表示板は無くなっていました。

    20年前の2か月のオーストリアとイタリアとスイスの旅ではウィーン西駅はウィーン南駅と共に思い出が詰まったところです。昔は薄暗くて少しいかがわしい雰囲気がありましたが、綺麗に改装されていました。広い空間と2階のホームへ行くエスカレーターの位置に名残が感じられましたが、大きなパタパタ式の出発と到着を知らせる表示板は無くなっていました。

  • 最初に南駅でその日の晩のヴェネツィア行きのクシェットの予約をして、ユーレイルパスにサインをしました。その足で西駅に移動して近郊のメルクまで列車で移動しました。メルク修道院を見学してドナウ川クルーズでウィーン迄戻って夜行列車に乗ったことを思い出しました。

    最初に南駅でその日の晩のヴェネツィア行きのクシェットの予約をして、ユーレイルパスにサインをしました。その足で西駅に移動して近郊のメルクまで列車で移動しました。メルク修道院を見学してドナウ川クルーズでウィーン迄戻って夜行列車に乗ったことを思い出しました。

  • そして2か月後にチューリッヒから戻ってきたときに到着したのもこの西駅でした。旅の終わりに1人でいるのが寂しくなって、誰か日本人の個人旅行者がいないかなと夜遅くに駅まで来たこともありました。そこでユーレイルパスの使い方が分からないで困っていた大学生が2か月前の自分のように思えました。

    そして2か月後にチューリッヒから戻ってきたときに到着したのもこの西駅でした。旅の終わりに1人でいるのが寂しくなって、誰か日本人の個人旅行者がいないかなと夜遅くに駅まで来たこともありました。そこでユーレイルパスの使い方が分からないで困っていた大学生が2か月前の自分のように思えました。

  • 結果としてお昼の出発になったので列車内で食べるお弁当を買いました。<br />妻はお気に入りのノルド・ゼーでお寿司を購入したようです。

    結果としてお昼の出発になったので列車内で食べるお弁当を買いました。
    妻はお気に入りのノルド・ゼーでお寿司を購入したようです。

  • お寿司は食べたくなかったのでツェニエフスキーでオープンサンドを買う事にしました。1個1ユーロなのでお手軽な値段でとても美しいカナッペを数十種類の中から選べます。

    お寿司は食べたくなかったのでツェニエフスキーでオープンサンドを買う事にしました。1個1ユーロなのでお手軽な値段でとても美しいカナッペを数十種類の中から選べます。

  • そしてこんなピッタリサイズのパッケージに入れてくれます。ビールやワインもお供に買えます。

    そしてこんなピッタリサイズのパッケージに入れてくれます。ビールやワインもお供に買えます。

  • スパークリングワインの小瓶を1本と一緒で締めて9ユーロなので高い感じはしませんでした。

    スパークリングワインの小瓶を1本と一緒で締めて9ユーロなので高い感じはしませんでした。

  • こんなお店が日本にもできないかなと思って写真を残しておきました。

    こんなお店が日本にもできないかなと思って写真を残しておきました。

  • 一応ノルドゼーも覗いてみました。

    一応ノルドゼーも覗いてみました。

  • 時間通りに着いた列車に乗り込んでブダペストに向かいます。楽しかったウィーンの旅もこれでおしまいです。

    時間通りに着いた列車に乗り込んでブダペストに向かいます。楽しかったウィーンの旅もこれでおしまいです。

  • ちゃんと列車の番号と出発駅と到着駅を確認します。

    ちゃんと列車の番号と出発駅と到着駅を確認します。

  • 最後に記念写真。

    最後に記念写真。

  • 先ほど乗車したマイドリンク駅に向かいます。

    先ほど乗車したマイドリンク駅に向かいます。

  • 予定から1時間50分ほど遅れてブダペストへ出発です。ここから銘ドリンク駅の間に車掌さんが来なくてよかったのと、座席の予約をしていなくてよかったです。

    予定から1時間50分ほど遅れてブダペストへ出発です。ここから銘ドリンク駅の間に車掌さんが来なくてよかったのと、座席の予約をしていなくてよかったです。

  • すぐ隣が荷物置き場だったのでよかったです。全部我が家の荷物ですが、車内はずっとガラガラでした。

    すぐ隣が荷物置き場だったのでよかったです。全部我が家の荷物ですが、車内はずっとガラガラでした。

  • しばらくウィーンの景色を眺めて郊外に出たところでお昼にします。東京駅を出て新横浜を過ぎたらお弁当を出す感じでしょうか。<br />ちょうどお腹の空いた所で美しい田園風景を眺めながらワインを飲んでの昼食は贅沢な時間です。

    しばらくウィーンの景色を眺めて郊外に出たところでお昼にします。東京駅を出て新横浜を過ぎたらお弁当を出す感じでしょうか。
    ちょうどお腹の空いた所で美しい田園風景を眺めながらワインを飲んでの昼食は贅沢な時間です。

  • 少し硬めのパンの上にたっぷりパテが乗っているので思ったよりお腹がいっぱいになります。これで1個120円くらいなのは安いです。

    少し硬めのパンの上にたっぷりパテが乗っているので思ったよりお腹がいっぱいになります。これで1個120円くらいなのは安いです。

  • 妻から太巻きが回ってきました。

    妻から太巻きが回ってきました。

  • こちらはお寿司と魚のスープのようです。

    こちらはお寿司と魚のスープのようです。

  • ブダペストに着く前にはデニッシュも食べていました。

    ブダペストに着く前にはデニッシュも食べていました。

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