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今回のプラハの旅で一番印象に残った建物と言えば市民会館(オベツニードゥーム)でした。プラハ到着の翌日に初めて入ったカフェの「カヴァールナ・オベツニー・ドゥーム」の圧倒的な空間と装飾の中でコーヒーを飲みながら念願のプラハに来た!と実感しました。朝一番の時間だったので他にお客さんも無く、妻と2人で貸し切りの時間を楽しめました。そしてその夜にはチェコ料理を食べようと、地下の「ブルゼニュスカ・レスタウラツェ」にも行きました。<br />美味しい料理と有名なチェコのビールを楽しんでいると、アコーディオンの演奏が始まって気分も盛り上がります。この店のインテリアも素晴らしかったですし、お値段も手ごろでよかったです。そして、市民会館のガイドツアーで見学したスメタナホールやムハの装飾で飾りつくされた市長の間などのアール・ヌーヴォーのデザインには心震えました。ツアーのチケットは大きなコインで、ツアーの最後に案内される地下の「アメリカン・バー」ではそのコインで1ドリンクが飲めるという粋なものでした。結果的にはこの市民会館にあるレストランやカフェやバーを全部制覇することが出来ました。息も詰まるようなアール・ヌーヴォーの装飾で覆い尽くされた建物は、ただ見学するだけの死んだ建物では無く現在も生き続けている生気を感じました。<br />そしてこんな素晴らしい建物を持ち続けているプラハという都市に敬意の念を感じました。

中欧3都市周遊の旅プラハ(2)市民会館(オベツニードゥーム)のカフェに寄り、ガイドツアーで見学したスメタナホールやムハのデザインに感動する。

15いいね!

2011/04/02 - 2011/04/06

1546位(同エリア4527件中)

kojikoji

kojikojiさん

今回のプラハの旅で一番印象に残った建物と言えば市民会館(オベツニードゥーム)でした。プラハ到着の翌日に初めて入ったカフェの「カヴァールナ・オベツニー・ドゥーム」の圧倒的な空間と装飾の中でコーヒーを飲みながら念願のプラハに来た!と実感しました。朝一番の時間だったので他にお客さんも無く、妻と2人で貸し切りの時間を楽しめました。そしてその夜にはチェコ料理を食べようと、地下の「ブルゼニュスカ・レスタウラツェ」にも行きました。
美味しい料理と有名なチェコのビールを楽しんでいると、アコーディオンの演奏が始まって気分も盛り上がります。この店のインテリアも素晴らしかったですし、お値段も手ごろでよかったです。そして、市民会館のガイドツアーで見学したスメタナホールやムハの装飾で飾りつくされた市長の間などのアール・ヌーヴォーのデザインには心震えました。ツアーのチケットは大きなコインで、ツアーの最後に案内される地下の「アメリカン・バー」ではそのコインで1ドリンクが飲めるという粋なものでした。結果的にはこの市民会館にあるレストランやカフェやバーを全部制覇することが出来ました。息も詰まるようなアール・ヌーヴォーの装飾で覆い尽くされた建物は、ただ見学するだけの死んだ建物では無く現在も生き続けている生気を感じました。
そしてこんな素晴らしい建物を持ち続けているプラハという都市に敬意の念を感じました。

旅行の満足度
5.0
観光
4.5
ホテル
4.5
グルメ
4.5
ショッピング
4.5
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
25万円 - 30万円
交通手段
鉄道 高速・路線バス 徒歩
航空会社
アエロフロート・ロシア航空
旅行の手配内容
個別手配
  • プラハ2日目の朝は中央駅近くの987デザインホテルからブラブラ歩いて市内観光を始めます。クラシックな路面電車に心惹かれます。プラハに行きたいと思ってから30年近く経っての訪問なので感慨深いものがあります。

    プラハ2日目の朝は中央駅近くの987デザインホテルからブラブラ歩いて市内観光を始めます。クラシックな路面電車に心惹かれます。プラハに行きたいと思ってから30年近く経っての訪問なので感慨深いものがあります。

  • 何となく覚えていた通りに歩いたら大きな広場に出ました。右側にはキングスコートホテルの入った美しいアール・ヌーボーの建物が見えました。

    何となく覚えていた通りに歩いたら大きな広場に出ました。右側にはキングスコートホテルの入った美しいアール・ヌーボーの建物が見えました。

  • そしてその左側には目的の「市民会館」の建物が望めます。プラハ最初の観光はここからスタートしたいと思っていました。

    そしてその左側には目的の「市民会館」の建物が望めます。プラハ最初の観光はここからスタートしたいと思っていました。

  • もともとこの場所に王宮がありましたが、20世紀初頭にその王宮は破壊されたそうで、1902年に市当局が建築計画を計画し1912年にこの市民会館が完成します。

    もともとこの場所に王宮がありましたが、20世紀初頭にその王宮は破壊されたそうで、1902年に市当局が建築計画を計画し1912年にこの市民会館が完成します。

  • プラハ初日は8時に朝食済ませブラブラと市民会館のある広場まで散歩します。天気も良く空は澄み渡り清々しい朝です。

    プラハ初日は8時に朝食済ませブラブラと市民会館のある広場まで散歩します。天気も良く空は澄み渡り清々しい朝です。

  • 朝早いので周囲には誰もいませんでした。建物の上部に朝陽が当たってモザイクが蹴られてしまったのが残念です。

    朝早いので周囲には誰もいませんでした。建物の上部に朝陽が当たってモザイクが蹴られてしまったのが残念です。

  • ガイドツアーの時間にもなっていないので、正面のホール側の入り口はまだ閉まっています。ガイドツアーは曜日と時間が決まってるので後で予約することとします。

    ガイドツアーの時間にもなっていないので、正面のホール側の入り口はまだ閉まっています。ガイドツアーは曜日と時間が決まってるので後で予約することとします。

  • 「カヴァールナ・オベツニー・ドゥーム」は開店していますがまだお客は誰もいません。奥にいたお客かと思った人たちは店のスタッフでした。

    「カヴァールナ・オベツニー・ドゥーム」は開店していますがまだお客は誰もいません。奥にいたお客かと思った人たちは店のスタッフでした。

  • 声を掛けると「お好きな席にどうぞ。」と応えてくれたので、真ん中あたりの窓側の席にしました。

    声を掛けると「お好きな席にどうぞ。」と応えてくれたので、真ん中あたりの窓側の席にしました。

  • お好きな席にどうぞと言われ真中あたりの窓側の席に座ります。店の方に断わって写真を撮らせてもらいました。まあ、他にお客さんはいませんでした。

    お好きな席にどうぞと言われ真中あたりの窓側の席に座ります。店の方に断わって写真を撮らせてもらいました。まあ、他にお客さんはいませんでした。

  • 朝食はホテルで食べて済んでいるのでコーヒーだけ注文しました。ここのメニューの表紙はムハの絵が描かれた優雅なものです。メニューは店のホームページでも確認出来ました。昨日はアエロフロートの機内でゆっくり横になって眠れたのでツイッター妻はまだ元気です。もちろんプラハに来たという高揚感もあったようですが。

    朝食はホテルで食べて済んでいるのでコーヒーだけ注文しました。ここのメニューの表紙はムハの絵が描かれた優雅なものです。メニューは店のホームページでも確認出来ました。昨日はアエロフロートの機内でゆっくり横になって眠れたのでツイッター妻はまだ元気です。もちろんプラハに来たという高揚感もあったようですが。

  • 余談ですが市民会館のトイレは非常に綺麗です。トイレまでもがアール・ヌーヴォーのデザインで統一されています。美しい白いタイル貼りに波型のブルーのラインがアクセントに入ったタイルは、ウィーンにあるオットー・ワーグナーのカイザーバードの水門監視所を思い出しました。真鍮の照明などから海や船を想像させるデザインでした。

    余談ですが市民会館のトイレは非常に綺麗です。トイレまでもがアール・ヌーヴォーのデザインで統一されています。美しい白いタイル貼りに波型のブルーのラインがアクセントに入ったタイルは、ウィーンにあるオットー・ワーグナーのカイザーバードの水門監視所を思い出しました。真鍮の照明などから海や船を想像させるデザインでした。

  • 日本だったらチェーン店の安いコーヒーの値段で優雅な時間を過ごせました。普段は家でコーヒーは飲みませんが、今回のプラハとウィーンとブダペストの3週間の旅では1年分を飲んだような気分でした。この店でコーヒー1杯58コルナで約300円でした。

    日本だったらチェーン店の安いコーヒーの値段で優雅な時間を過ごせました。普段は家でコーヒーは飲みませんが、今回のプラハとウィーンとブダペストの3週間の旅では1年分を飲んだような気分でした。この店でコーヒー1杯58コルナで約300円でした。

  • 初日はこのカフェに入っただけでしたが、地下のレストランや市民会館のインテリアが素晴らしいであろうことは想像できました。

    初日はこのカフェに入っただけでしたが、地下のレストランや市民会館のインテリアが素晴らしいであろうことは想像できました。

  • 後日の夜に入った同じ市民会館の地下にある「プルゼニュスカー レスタウラツェ」です。チェコと言えば国民1人当たりのビールの消費が世界1の国です。まずは大きなジョッキで生ビールを注文しました。ピルスナー・ウルケル(チェコ語でプルゼニュスキー・プラズドロイ)1リットルのジョッキで乾杯です。<br />

    後日の夜に入った同じ市民会館の地下にある「プルゼニュスカー レスタウラツェ」です。チェコと言えば国民1人当たりのビールの消費が世界1の国です。まずは大きなジョッキで生ビールを注文しました。ピルスナー・ウルケル(チェコ語でプルゼニュスキー・プラズドロイ)1リットルのジョッキで乾杯です。

  • 生ビールの前にベヘロフカというチェコのリキュールもいただきました。1杯99コルナ。ベヘロフカは100%自然原料で化学保存料や人工着色料など使っていなく、そのレシピは秘伝とされ現在もたった2人しかその成分を知らないそうです。味は薬草の香りが鼻に抜けて口当たりは甘いです。

    生ビールの前にベヘロフカというチェコのリキュールもいただきました。1杯99コルナ。ベヘロフカは100%自然原料で化学保存料や人工着色料など使っていなく、そのレシピは秘伝とされ現在もたった2人しかその成分を知らないそうです。味は薬草の香りが鼻に抜けて口当たりは甘いです。

  • この店のデザインはスラブ地方のモチーフで飾られたビール貯蔵室という建築家のアイデアで統一されています。その完成度の高さには驚かされます。

    この店のデザインはスラブ地方のモチーフで飾られたビール貯蔵室という建築家のアイデアで統一されています。その完成度の高さには驚かされます。

  • 壁の絵を眺めていたら「銀座ライオン」のモザイクを思い出しました。チェコではビアホールを「ポスホダ」と呼ぶそうです。

    壁の絵を眺めていたら「銀座ライオン」のモザイクを思い出しました。チェコではビアホールを「ポスホダ」と呼ぶそうです。

  • このレストランだけがこの建物の中でクロークがないので、お客はテーブルの横にあるハンガーにコートを掛けるようになっていました。

    このレストランだけがこの建物の中でクロークがないので、お客はテーブルの横にあるハンガーにコートを掛けるようになっていました。

  • まずはトマトと刻んだオニオンのビネガー仕立てのサラダです。これは我が家の定番料理なので家でも食べる事が出来ます。

    まずはトマトと刻んだオニオンのビネガー仕立てのサラダです。これは我が家の定番料理なので家でも食べる事が出来ます。

  • こちらはキュウリの千切りの冷たいスープ仕立てのサラダです。こちらもビネガーが聞いていて食欲が湧いてきます。

    こちらはキュウリの千切りの冷たいスープ仕立てのサラダです。こちらもビネガーが聞いていて食欲が湧いてきます。

  • チェコの主食といえばクネードリキで、フワフワのパンはソースと一緒に食べます。こちらは中欧の国でよく食べられるグラーシュです。

    チェコの主食といえばクネードリキで、フワフワのパンはソースと一緒に食べます。こちらは中欧の国でよく食べられるグラーシュです。

  • これはチェコでポピュラーなカマンベールチーズのフライ(スマジェニー・シール)<br />にポテト添え。スメタナと呼ばれる発酵乳を付けていただきます。日本ではサワークリームと混同されますが、スメタナとサワークリームは製法も違います。

    これはチェコでポピュラーなカマンベールチーズのフライ(スマジェニー・シール)
    にポテト添え。スメタナと呼ばれる発酵乳を付けていただきます。日本ではサワークリームと混同されますが、スメタナとサワークリームは製法も違います。

  • 美味しい料理に大満足です。この日のお昼は美術館のカフェでサンドイッチ程度だったのでお腹がペコペコです。

    美味しい料理に大満足です。この日のお昼は美術館のカフェでサンドイッチ程度だったのでお腹がペコペコです。

  • レストランの奥の方から回ってきた流しのアコーディオンのおじさんです。ポスタボではアコーディオンの演奏がポピュラーなようで、いくつかの店でも出会えました。

    レストランの奥の方から回ってきた流しのアコーディオンのおじさんです。ポスタボではアコーディオンの演奏がポピュラーなようで、いくつかの店でも出会えました。

  • 日本の曲も含めて3曲くらい演奏してくれたので、500円くらいのチップをはずみました。楽しい時間が過ごせました。

    日本の曲も含めて3曲くらい演奏してくれたので、500円くらいのチップをはずみました。楽しい時間が過ごせました。

  • 料金は988コルナにチップを入れて1,100コルナ支払ったので、約5,500円くらいの楽しいディナーでした。

    料金は988コルナにチップを入れて1,100コルナ支払ったので、約5,500円くらいの楽しいディナーでした。

  • 「プルゼニュスカー レスタウラツェ」の隣には「アメリカン・バー」があります。ここには市民会館の見学の跡に来ることが出来ました。

    「プルゼニュスカー レスタウラツェ」の隣には「アメリカン・バー」があります。ここには市民会館の見学の跡に来ることが出来ました。

  • 地下にあるレストランとバーの前には美しいホールがあり、美しいデザインで装飾されています。

    地下にあるレストランとバーの前には美しいホールがあり、美しいデザインで装飾されています。

  • 地下のホールは床の波模様と水色のタイルから海底にいるような雰囲気ですが、階段はエレベーターを中心にコの字に囲んでいます。階段の壁と地下の床には、ユニークな色や形や模様のタイルで覆われています。ラコ(RAKO)というタイル会社のもので、プラハ市内の他のインペリアルホテルでも同社のタイルが装飾に使われています。

    地下のホールは床の波模様と水色のタイルから海底にいるような雰囲気ですが、階段はエレベーターを中心にコの字に囲んでいます。階段の壁と地下の床には、ユニークな色や形や模様のタイルで覆われています。ラコ(RAKO)というタイル会社のもので、プラハ市内の他のインペリアルホテルでも同社のタイルが装飾に使われています。

  • 壁にはこのような装飾タイルが嵌め込まれてあります。ブドウの葉とブドウの実は地下のレストランを想像させるのでしょうか?テントウムシの意味までは読み取れませんでした。中央のゴブレットはワインを入れるための物ですが、その形はローマン・バロックの典型的な形です。

    壁にはこのような装飾タイルが嵌め込まれてあります。ブドウの葉とブドウの実は地下のレストランを想像させるのでしょうか?テントウムシの意味までは読み取れませんでした。中央のゴブレットはワインを入れるための物ですが、その形はローマン・バロックの典型的な形です。

  • 腰壁のタイルやレリーフを読み解いて歩いていたら妻に置いて行かれました。

    腰壁のタイルやレリーフを読み解いて歩いていたら妻に置いて行かれました。

  • プラハの大聖堂と花が咲き乱れるタイル画はジャポニスムの影響を感じます。

    プラハの大聖堂と花が咲き乱れるタイル画はジャポニスムの影響を感じます。

  • この当時のエレベーターは建物に合わせて特注だったのだろうと想像できます。

    この当時のエレベーターは建物に合わせて特注だったのだろうと想像できます。

  • どこを見てもデザインが施されていないところを見つける事が出来ません。

    どこを見てもデザインが施されていないところを見つける事が出来ません。

  • 最高級の大理石に見事な加工が施され、100年を経ても古臭さも感じさせません。

    最高級の大理石に見事な加工が施され、100年を経ても古臭さも感じさせません。

  • 翌々日に市民会館のガイドツアーに参加する予定なので時間を確認しておきます。

    翌々日に市民会館のガイドツアーに参加する予定なので時間を確認しておきます。

  • 日曜日の夜なので、コンサートか何かが開催されていました。

    日曜日の夜なので、コンサートか何かが開催されていました。

  • 晩御飯を食べてすっかり時間が遅くなってしまったので、このままホテルに戻る事にしました。

    晩御飯を食べてすっかり時間が遅くなってしまったので、このままホテルに戻る事にしました。

  • 朝はお客が誰もいなかった「カヴァールナ・オベツニー・ドゥーム」はかなり賑わっていました。

    朝はお客が誰もいなかった「カヴァールナ・オベツニー・ドゥーム」はかなり賑わっていました。

  • 翌々日の夕方5時前に再び市民会館を訪れました。2人で540コルナですが、プラハカードを利用したので15%の割引がありました。館内の写真撮影には別料金が必要でしたが、写真を取らないという選択はありませんでした。

    翌々日の夕方5時前に再び市民会館を訪れました。2人で540コルナですが、プラハカードを利用したので15%の割引がありました。館内の写真撮影には別料金が必要でしたが、写真を取らないという選択はありませんでした。

  • 地元に武蔵野音大があるということもあり、「のだめカンタービレ」の映画は旅行前に観ておきましたが、何だかなという印象しか残りませんでした。

    地元に武蔵野音大があるということもあり、「のだめカンタービレ」の映画は旅行前に観ておきましたが、何だかなという印象しか残りませんでした。

  • もちろんこの市民会館の見学に来たのは美しいアール・ヌーヴォーの建築と、ムハの手による室内装飾や絵画を観るためです。

    もちろんこの市民会館の見学に来たのは美しいアール・ヌーヴォーの建築と、ムハの手による室内装飾や絵画を観るためです。

  • ツアーの開始時間までエントランスのホールの写真を撮ったりして待ちます。参加者は30人くらいでしたが、写真の撮影をされる方はほとんどいませんでした。

    ツアーの開始時間までエントランスのホールの写真を撮ったりして待ちます。参加者は30人くらいでしたが、写真の撮影をされる方はほとんどいませんでした。

  • 1階のカフェ・レストランと地下のレストランにはすでに入っていましたが、使用されている内装の素材の豪華さに圧倒されます。

    1階のカフェ・レストランと地下のレストランにはすでに入っていましたが、使用されている内装の素材の豪華さに圧倒されます。

  • 左右のスケルトンになったエレベーターも豪華です。

    左右のスケルトンになったエレベーターも豪華です。

  • 内装はアール・ヌーヴォーの柔らかいディティールですが、照明器具はシャープな真鍮素材でアール・デコのデザインのようです。

    内装はアール・ヌーヴォーの柔らかいディティールですが、照明器具はシャープな真鍮素材でアール・デコのデザインのようです。

  • クロークは1912年の設立当時のまま残されているのが驚きですが、100年前の物がそのまま使われていることに感動します。

    クロークは1912年の設立当時のまま残されているのが驚きですが、100年前の物がそのまま使われていることに感動します。

  • この先にスメタナホールがあると思うとドキドキしてきます。この市民会館では1918年10月28日にチェコスロヴァキア共和国としての独立宣言が行われ、また1989年11月には共産党と民主党との協定がはじめて公式に行われました場所でもあります。

    この先にスメタナホールがあると思うとドキドキしてきます。この市民会館では1918年10月28日にチェコスロヴァキア共和国としての独立宣言が行われ、また1989年11月には共産党と民主党との協定がはじめて公式に行われました場所でもあります。

  • 反響や音漏れを考えたら通常はガラス素材を使わないと思うのですが、スメタナホールの正面のエントランスは軽やかなガラスを多用したデザインでした。

    反響や音漏れを考えたら通常はガラス素材を使わないと思うのですが、スメタナホールの正面のエントランスは軽やかなガラスを多用したデザインでした。

  • ドアの引手のデザインも凝っていて、真鍮もピカピカに磨かれてあります。

    ドアの引手のデザインも凝っていて、真鍮もピカピカに磨かれてあります。

  • 毎日のように街のどこかでコンサートが開かれて音楽が楽しめるプラハですが、最も大きなイベントと言えば「プラハの春」音楽祭です。1946年から毎年春にプラハで催行される世界的な音楽祭で、スメタナの命日である5月12日に音楽祭のオープニング・コンサートがこのホールで行われています。

    毎日のように街のどこかでコンサートが開かれて音楽が楽しめるプラハですが、最も大きなイベントと言えば「プラハの春」音楽祭です。1946年から毎年春にプラハで催行される世界的な音楽祭で、スメタナの命日である5月12日に音楽祭のオープニング・コンサートがこのホールで行われています。

  • オープニング・コンサートでは「第2の国歌」ともいわれるスメタナの「我が祖国」が演奏されるのが習わしで、プラハ市長はもちろんチェコの大統領も訪れるとても大事なイベントです。ステージ上には4814本の世界1のパイプオルガンが置かれています。ステージ横には右側にプラハ市長、左側にはチェコ大統領のためのボックス席があります。

    オープニング・コンサートでは「第2の国歌」ともいわれるスメタナの「我が祖国」が演奏されるのが習わしで、プラハ市長はもちろんチェコの大統領も訪れるとても大事なイベントです。ステージ上には4814本の世界1のパイプオルガンが置かれています。ステージ横には右側にプラハ市長、左側にはチェコ大統領のためのボックス席があります。

  • エントランスのガラス扉の内側には分厚いカーテンが設置されていました。これで音響の効果を補っているのでしょう。巨大なアーチ型の天井は鉄骨で組まれ、大きく開けられた開口部にはステンドグラスが設けられ、ホール全体に光が注がれています。

    エントランスのガラス扉の内側には分厚いカーテンが設置されていました。これで音響の効果を補っているのでしょう。巨大なアーチ型の天井は鉄骨で組まれ、大きく開けられた開口部にはステンドグラスが設けられ、ホール全体に光が注がれています。

  • スメタナホールでは着座してガイドさんの説明を受けました。約30人の参加者で英語による説明ですが、日本語の出力した5ページほどの説明書を借りられるので内容を理解することが出来ました。逆に建築用語やデザイン用語は仕事柄よく使うのですぐに理解できました。ホールを出てカフェの見学に移ります。

    スメタナホールでは着座してガイドさんの説明を受けました。約30人の参加者で英語による説明ですが、日本語の出力した5ページほどの説明書を借りられるので内容を理解することが出来ました。逆に建築用語やデザイン用語は仕事柄よく使うのですぐに理解できました。ホールを出てカフェの見学に移ります。

  • カフェのインテリアは主にバロック様式(またはネオ・バロック)ですが、漆喰装飾の上に施された金彩や照明器具にはアール・ヌーヴォーの意匠を見て取れます。

    カフェのインテリアは主にバロック様式(またはネオ・バロック)ですが、漆喰装飾の上に施された金彩や照明器具にはアール・ヌーヴォーの意匠を見て取れます。

  • 大きな大理石天板のカウンターの背面には漆喰で出来た花飾りの女性のレリーフが見えます。左右の扉は厨房への出入り口だったそうですが今はコンダクター・サロンとなっているそうです。白い漆喰に対し木部は明るいメープル材で造られ、上品で軽やかな雰囲気を出しています。

    大きな大理石天板のカウンターの背面には漆喰で出来た花飾りの女性のレリーフが見えます。左右の扉は厨房への出入り口だったそうですが今はコンダクター・サロンとなっているそうです。白い漆喰に対し木部は明るいメープル材で造られ、上品で軽やかな雰囲気を出しています。

  • テーブル・ソファ・ガラスキャビネット・カウンターの一部と照明器具はオリジナルだそうです。テーブルも真鍮の脚の部分がオリジナルだと説明がありました。カフェを抜けたスルヴァーツコ・サロンはとても小さな部屋ですが名前の通りモラヴィア地方の一地域「スロヴァーツコ」の民族模様がモチーフになっています。壁の模様やタペストリーの刺繍、麻や皮で出来た装飾にそれを見る事が出来ます。

    テーブル・ソファ・ガラスキャビネット・カウンターの一部と照明器具はオリジナルだそうです。テーブルも真鍮の脚の部分がオリジナルだと説明がありました。カフェを抜けたスルヴァーツコ・サロンはとても小さな部屋ですが名前の通りモラヴィア地方の一地域「スロヴァーツコ」の民族模様がモチーフになっています。壁の模様やタペストリーの刺繍、麻や皮で出来た装飾にそれを見る事が出来ます。

  • レースのような天井のデザインが美しいです。

    レースのような天井のデザインが美しいです。

  • スロヴァーツコ・サロン全体はブルジョアの住居スタイルの影響を受けているとの説明もありました。

    スロヴァーツコ・サロン全体はブルジョアの住居スタイルの影響を受けているとの説明もありました。

  • 面白かったのが水槽で、現在は使われていませんがカタツムリが付いた1909年製のアール・ヌーヴォーのデザインです。いかにも澁澤龍彦の好みそうなデザインですが、ここには訪れてはいなさそうです。

    面白かったのが水槽で、現在は使われていませんがカタツムリが付いた1909年製のアール・ヌーヴォーのデザインです。いかにも澁澤龍彦の好みそうなデザインですが、ここには訪れてはいなさそうです。

  • ポジェナ・ニェムツォヴァーの小サロン。女性らしいインテリアだと思ったら名前はチェコの女性作家から来ているそうです。<br />

    ポジェナ・ニェムツォヴァーの小サロン。女性らしいインテリアだと思ったら名前はチェコの女性作家から来ているそうです。

  • オズヴァルト・ポリーフカの提案で造られた噴水はカラフルなガラスモザイクと陶製の水盤部分は優雅なフォルムです。ニッチの女性が像がポジェナ・ニェムツォヴァーだそうです。(複製品)

    オズヴァルト・ポリーフカの提案で造られた噴水はカラフルなガラスモザイクと陶製の水盤部分は優雅なフォルムです。ニッチの女性が像がポジェナ・ニェムツォヴァーだそうです。(複製品)

  • 窓の下にはセントラルヒーティングの暖房器具が仕込まれていますが、そのカバーのブロンズ製のカバーの意匠も見事です。

    窓の下にはセントラルヒーティングの暖房器具が仕込まれていますが、そのカバーのブロンズ製のカバーの意匠も見事です。

  • 続いてはオリエンタル・サロン(以前の名称はセルビア・サロン)に移動します。アール・ヌーヴォーの意匠とオリエンタルな模様が調和した美しい部屋です。

    続いてはオリエンタル・サロン(以前の名称はセルビア・サロン)に移動します。アール・ヌーヴォーの意匠とオリエンタルな模様が調和した美しい部屋です。

  • 主にチェスやカードなどのゲームを楽しむための部屋だったそうです。市民会館の出来た20世紀初頭は東方への関心が流行していたためイスラムーアナトリアの美術を手本にしたそうです。

    主にチェスやカードなどのゲームを楽しむための部屋だったそうです。市民会館の出来た20世紀初頭は東方への関心が流行していたためイスラムーアナトリアの美術を手本にしたそうです。

  • 壁面の弧を描いたデザインはトネリコの木を使い、小アジアを彷彿させるようなトルコ石の青や赤を使用した意匠が美しいです。

    壁面の弧を描いたデザインはトネリコの木を使い、小アジアを彷彿させるようなトルコ石の青や赤を使用した意匠が美しいです。

  • 壁面の下部はどんす張りと呼ばれる布地を張り包んだパネルは嵌め込まれてあります。キリムのデザインも連想させますが、バリ島のトゥガナン村のグリンシンというイカットのデザインにもよく似ています。

    壁面の下部はどんす張りと呼ばれる布地を張り包んだパネルは嵌め込まれてあります。キリムのデザインも連想させますが、バリ島のトゥガナン村のグリンシンというイカットのデザインにもよく似ています。

  • 象嵌細工の美しいネストテーブルはゲーム用のものだそうで、1912年当時のレイアウトがそのまま残されているそうです。

    象嵌細工の美しいネストテーブルはゲーム用のものだそうで、1912年当時のレイアウトがそのまま残されているそうです。

  • このボックス席の美しさは言葉になりません。プラハの町は石造りの重厚な建築ばかりですが、内部は美しい肌目の木々で覆われたインテリアになっています。

    このボックス席の美しさは言葉になりません。プラハの町は石造りの重厚な建築ばかりですが、内部は美しい肌目の木々で覆われたインテリアになっています。

  • クッションカバーの刺繍やパイピングに当時の優雅さを感じます。

    クッションカバーの刺繍やパイピングに当時の優雅さを感じます。

  • グレーグル・ホールへ続く扉です。扉自体はシンプルですが、壁の意匠に高さを合わせた上部の意匠が美しいです。グリットの部分は空調が仕込まれているのかもしれません。

    グレーグル・ホールへ続く扉です。扉自体はシンプルですが、壁の意匠に高さを合わせた上部の意匠が美しいです。グリットの部分は空調が仕込まれているのかもしれません。

  • こちらの窓の下には美しい象眼が施された飾り台が設けられています。

    こちらの窓の下には美しい象眼が施された飾り台が設けられています。

  • 個人的にはここの部屋が一番好きです。と言うか人が住むとしたらこれ以上デコラーティブでは息が詰まるでしょう。

    個人的にはここの部屋が一番好きです。と言うか人が住むとしたらこれ以上デコラーティブでは息が詰まるでしょう。

  • グレーグル・ホールはチェコ青年団の創設者の1人で「国民新聞」を興したユーリ・グレーグル博士に因んだそうです。

    グレーグル・ホールはチェコ青年団の創設者の1人で「国民新聞」を興したユーリ・グレーグル博士に因んだそうです。

  • 主な装飾は壁と天井のフランチシェク・ジェニーシェクの絵画です。

    主な装飾は壁と天井のフランチシェク・ジェニーシェクの絵画です。

  • タペストリーなどは往時の写真から造られたレプリカだそうです。

    タペストリーなどは往時の写真から造られたレプリカだそうです。

  • シャンデリアはフランチシェク・クシジークの作品です。電気技術者で発明家で起業家でもあったクシジークは「チェコのエジソン」でと呼ばれ、チェコの電力の推進者で電気照明の開発に大きく貢献しアーク灯の設計と改良で知られた人物でもあります。

    シャンデリアはフランチシェク・クシジークの作品です。電気技術者で発明家で起業家でもあったクシジークは「チェコのエジソン」でと呼ばれ、チェコの電力の推進者で電気照明の開発に大きく貢献しアーク灯の設計と改良で知られた人物でもあります。

  • 壁面の色大理石のパターンも素敵です。

    壁面の色大理石のパターンも素敵です。

  • フランチシェク・ジェニーシェクによる壁の絵画は生命の誕生から死に至るまでの過程を描いています。これは中央の絵で「慈悲の歌」「戦争の歌」「弔いの歌」と表された3連の中の「戦争の歌」の絵です。

    フランチシェク・ジェニーシェクによる壁の絵画は生命の誕生から死に至るまでの過程を描いています。これは中央の絵で「慈悲の歌」「戦争の歌」「弔いの歌」と表された3連の中の「戦争の歌」の絵です。

  • 天井の絵画も同じジェニーシェクの作品で「生命・詩・死」を表すうちの「詩」の絵です。

    天井の絵画も同じジェニーシェクの作品で「生命・詩・死」を表すうちの「詩」の絵です。

  • エジプト風の真鍮製の扉のハンドルがカッコいいです。アール・ヌーヴォーからアール・デコへの過渡期のようなものを感じます。

    エジプト風の真鍮製の扉のハンドルがカッコいいです。アール・ヌーヴォーからアール・デコへの過渡期のようなものを感じます。

  • バラツキー・ホールへの壁は大きくガラス張りで、隣の部屋の雰囲気が感じられる軽やかなデザインです。

    バラツキー・ホールへの壁は大きくガラス張りで、隣の部屋の雰囲気が感じられる軽やかなデザインです。

  • バラツキー・ホールの名はチェコの歴史学者で政治家でもあったフランチシェク・バラツキーから来ています。

    バラツキー・ホールの名はチェコの歴史学者で政治家でもあったフランチシェク・バラツキーから来ています。

  • 壁や天井の絵画はヤン・プレイスレルの作品で天井画は「少女と飛翔する鳥たち」という題名です。

    壁や天井の絵画はヤン・プレイスレルの作品で天井画は「少女と飛翔する鳥たち」という題名です。

  • 壁面は人造大理石と大きな鏡、シャンデリアはクシジーク社製です。

    壁面は人造大理石と大きな鏡、シャンデリアはクシジーク社製です。

  • そして市長ホールに入ります。ちょうど市民会館の正面玄関の2階にあたる部分で、装飾のすべてがアルフォンス・ムハ(ミュシャ)によるものです。

    そして市長ホールに入ります。ちょうど市民会館の正面玄関の2階にあたる部分で、装飾のすべてがアルフォンス・ムハ(ミュシャ)によるものです。

  • 緞帳のような厚さのあるカーテンの孔雀の意匠もムハです。

    緞帳のような厚さのあるカーテンの孔雀の意匠もムハです。

  • 念願の市民会館の市長ホールにやってきました。今回のプラハ訪問はムハの作品い触れる目的もありました。残念だったのはモラフスキー・クロムロフ城に収蔵されていた「スラブ叙事詩(スラブ・エピック)」がプラハに移される過渡期で、観る事が出来なかったことです。この10枚の巨大な絵画とは後に東京で出会えました。

    念願の市民会館の市長ホールにやってきました。今回のプラハ訪問はムハの作品い触れる目的もありました。残念だったのはモラフスキー・クロムロフ城に収蔵されていた「スラブ叙事詩(スラブ・エピック)」がプラハに移される過渡期で、観る事が出来なかったことです。この10枚の巨大な絵画とは後に東京で出会えました。

  • 窓からは市民会館の象徴的な街燈が見えるので、丁度建物の角まで来たのだと分かります。ステンドグラスのデザインもムハによるものです。

    窓からは市民会館の象徴的な街燈が見えるので、丁度建物の角まで来たのだと分かります。ステンドグラスのデザインもムハによるものです。

  • 8角形の部屋の市民会館の正面にあたる大きな窓の左右はソファが設けられています。そしてそれぞれムハの絵が嵌め込まれています。

    8角形の部屋の市民会館の正面にあたる大きな窓の左右はソファが設けられています。そしてそれぞれムハの絵が嵌め込まれています。

  • ソファベンチの壁の部分にはムハの絵が嵌め込まれています。

    ソファベンチの壁の部分にはムハの絵が嵌め込まれています。

  • 小さい作品ですが、スラブ・エピックに通じるような民族性を感じさせます。

    小さい作品ですが、スラブ・エピックに通じるような民族性を感じさせます。

  • この部屋が市民会館の中で造形美術的にもっとも印象的な内装を持つ部屋です。

    この部屋が市民会館の中で造形美術的にもっとも印象的な内装を持つ部屋です。

  • 壁から天井にかけてはチェコの国民の根底にある伝統や歴史を彷彿とさせるスラブ民族の団結がテーマになった作品で覆われています。

    壁から天井にかけてはチェコの国民の根底にある伝統や歴史を彷彿とさせるスラブ民族の団結がテーマになった作品で覆われています。

  • 「スラブの団結」と題された絵はスラブ民族の人々の営みが円形に描かれて中央には翼を広げて人々を守る鷲が描かれています。題材からもスラブ・エピックに繋がる後期の題材だと感じられます。<br />

    「スラブの団結」と題された絵はスラブ民族の人々の営みが円形に描かれて中央には翼を広げて人々を守る鷲が描かれています。題材からもスラブ・エピックに繋がる後期の題材だと感じられます。

  • 右側のソファスペースを俯瞰してみます。小さなニッチ(壁龕)のようなスペースを上手に納めています。

    右側のソファスペースを俯瞰してみます。小さなニッチ(壁龕)のようなスペースを上手に納めています。

  • 同じデザインの左側のソファスペース。

    同じデザインの左側のソファスペース。

  • 緞帳のようなカーテンで仕切られるとこの部屋が小さな劇場のように思えてみます。

    緞帳のようなカーテンで仕切られるとこの部屋が小さな劇場のように思えてみます。

  • 小さいホールですが、非常に天井が高いので広く感じます。

    小さいホールですが、非常に天井が高いので広く感じます。

  • 妻の着ている洋服がカーテンに溶け込んで保護色のようです。

    妻の着ている洋服がカーテンに溶け込んで保護色のようです。

  • 市民会館正面の窓も部屋の中側から見るとステンドグラスに覆われているのが良く分かります。

    市民会館正面の窓も部屋の中側から見るとステンドグラスに覆われているのが良く分かります。

  • 3面の壁面は左から「犠牲(過去)」「自身の力(未来)」「男らしさ(現代)」を表します。チェコ民族の歩んだ暗い歴史とこれから訪れるであろう明るい未来を夢見て描かれたとされます。

    3面の壁面は左から「犠牲(過去)」「自身の力(未来)」「男らしさ(現代)」を表します。チェコ民族の歩んだ暗い歴史とこれから訪れるであろう明るい未来を夢見て描かれたとされます。

  • 中央の「自身の力(未来)」には確かに希望を感じさせます。

    中央の「自身の力(未来)」には確かに希望を感じさせます。

  • 右側の「男らしさ(現代)」ムハの生きていた時代ですからまだまだ厳しい時代だったのでしょう。

    右側の「男らしさ(現代)」ムハの生きていた時代ですからまだまだ厳しい時代だったのでしょう。

  • 今回の旅ではスラブ叙事詩を見る事が叶いませんでしたが、市民会館の見学が出来て大満足です。

    今回の旅ではスラブ叙事詩を見る事が叶いませんでしたが、市民会館の見学が出来て大満足です。

  • 正直サラベルナールなどに代表されるポスターにはあまり興味が無く、スラブ叙事詩を始めとする市民会館のこの一連の絵が観たかったのです。ですのでムハ美術館にはあまり感動はしませんでした。

    正直サラベルナールなどに代表されるポスターにはあまり興味が無く、スラブ叙事詩を始めとする市民会館のこの一連の絵が観たかったのです。ですのでムハ美術館にはあまり感動はしませんでした。

  • 左側の絵「犠牲(過去)」この絵が一番スラブ叙事詩を感じさせました。

    左側の絵「犠牲(過去)」この絵が一番スラブ叙事詩を感じさせました。

  • 天井のドームは8角形に分かれ、それぞれにチェコの歴史上の重要人物が描かれています。「プシェミスロヴェツの女王エリシカ=母性的叡智を表します。」

    天井のドームは8角形に分かれ、それぞれにチェコの歴史上の重要人物が描かれています。「プシェミスロヴェツの女王エリシカ=母性的叡智を表します。」

  • 「ヤン・ジシュカ=戦いに臨む勇者」隻眼であったため、隻眼のジシュカと呼ばれた人物です(晩年には全盲となった)。はじめ没落したボヘミアの小貴族でしたが、智勇兼備の人物であったため、傭兵となって次第に頭角を現わします。当時のプラハでは教会の腐敗を批判する宗教改革者ヤン・フスが活動しており、ジシュカはその思想に心酔して、1415年にフスが異端の罪で火刑にされると、フスの信奉者(フス派)を率いてカトリック派を攻撃します。ヴァーツラフ4世の死後にジギスムントがボヘミア王に即位するとこれに反抗してフス戦争を引き起こします。

    「ヤン・ジシュカ=戦いに臨む勇者」隻眼であったため、隻眼のジシュカと呼ばれた人物です(晩年には全盲となった)。はじめ没落したボヘミアの小貴族でしたが、智勇兼備の人物であったため、傭兵となって次第に頭角を現わします。当時のプラハでは教会の腐敗を批判する宗教改革者ヤン・フスが活動しており、ジシュカはその思想に心酔して、1415年にフスが異端の罪で火刑にされると、フスの信奉者(フス派)を率いてカトリック派を攻撃します。ヴァーツラフ4世の死後にジギスムントがボヘミア王に即位するとこれに反抗してフス戦争を引き起こします。

  • 「ヤン・アモス・コメンスキー=忠誠」コメニウスは現代の学校教育のしくみを構想した人物で、多くの国でみられる同一年齢・同時入学・同一学年・同一内容・同時卒業といったしくみは、彼の構想に発するものだそうです。また、コメニウスは女子にも男子同様の能力がある、それどころかしばしば男子よりも優れた能力があると主張し、女子教育の必要性を説いた人物でもあります。こうした学校のありかたを通じ、人びとがすべての知識を共有することによって、戦争が終わりヨーロッパが1つになると考えました。

    「ヤン・アモス・コメンスキー=忠誠」コメニウスは現代の学校教育のしくみを構想した人物で、多くの国でみられる同一年齢・同時入学・同一学年・同一内容・同時卒業といったしくみは、彼の構想に発するものだそうです。また、コメニウスは女子にも男子同様の能力がある、それどころかしばしば男子よりも優れた能力があると主張し、女子教育の必要性を説いた人物でもあります。こうした学校のありかたを通じ、人びとがすべての知識を共有することによって、戦争が終わりヨーロッパが1つになると考えました。

  • 「ベルンシュテインのヴォイチェフ=力強さ」

    「ベルンシュテインのヴォイチェフ=力強さ」

  • 「ホツコ人(南西ボヘミアの国境を守っていた俗にドック・ヘッドと呼ばれた民族)=番人」

    「ホツコ人(南西ボヘミアの国境を守っていた俗にドック・ヘッドと呼ばれた民族)=番人」

  • 「ドゥパーのヤン・ロハーチ=厳格さ」ジシュカの傭兵団の一員で、精悍な顔立ちと髭が印象的な壮年の傭兵で、堅い守りに定評のある謹厳実直な人物とされますが思わぬ酒癖の悪さを発揮することもあったそうです。

    「ドゥパーのヤン・ロハーチ=厳格さ」ジシュカの傭兵団の一員で、精悍な顔立ちと髭が印象的な壮年の傭兵で、堅い守りに定評のある謹厳実直な人物とされますが思わぬ酒癖の悪さを発揮することもあったそうです。

  • 「ボジェブラトのイジー=独立」イジーはボヘミアの貴族ヴィクトリン・ス・クンシュタート・ア・ポジェブラトの息子として生まれ、父はフス戦争を起こしたフス派のうち、穏健派であるウトラキストの指導者の1人でした。摂政となったイジーは現在で言うヨーロッパ連合のような統一体を結成するという急進的な提案によって、ローマと和解しようとしますが、結果的には失敗に終わります。

    「ボジェブラトのイジー=独立」イジーはボヘミアの貴族ヴィクトリン・ス・クンシュタート・ア・ポジェブラトの息子として生まれ、父はフス戦争を起こしたフス派のうち、穏健派であるウトラキストの指導者の1人でした。摂政となったイジーは現在で言うヨーロッパ連合のような統一体を結成するという急進的な提案によって、ローマと和解しようとしますが、結果的には失敗に終わります。

  • 「ヤン・フス=正義」ボヘミア王の支持のもとで反教権的な言説を説き、贖宥状を批判し、聖書だけを信仰の根拠とし、プロテスタント運動の先駆者となります。カトリック教会はフスを1411年に破門し、コンスタンツ公会議によって有罪とされ、その後に世俗の勢力に引き渡され、杭にかけられて火刑に処されます。<br />

    「ヤン・フス=正義」ボヘミア王の支持のもとで反教権的な言説を説き、贖宥状を批判し、聖書だけを信仰の根拠とし、プロテスタント運動の先駆者となります。カトリック教会はフスを1411年に破門し、コンスタンツ公会議によって有罪とされ、その後に世俗の勢力に引き渡され、杭にかけられて火刑に処されます。

  • 8枚の絵を観ていくだけで「フス戦争」についてもっと勉強しなければならないなと思いました。「乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカ」でも読んでみるかと思いながら未読に終わっています。

    8枚の絵を観ていくだけで「フス戦争」についてもっと勉強しなければならないなと思いました。「乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカ」でも読んでみるかと思いながら未読に終わっています。

  • ここでの説明の最後に中央で手を叩いてくださいと言われました。順番にみんなで手を叩くと良い反響音が返って来ました。京都のお寺でもよくありますが竜の天井画の下で手を叩くと龍が鳴くと言われるものと同じです。

    ここでの説明の最後に中央で手を叩いてくださいと言われました。順番にみんなで手を叩くと良い反響音が返って来ました。京都のお寺でもよくありますが竜の天井画の下で手を叩くと龍が鳴くと言われるものと同じです。

  • ガイドツアーが先のリーグル・ホールに移って、誰もいなくなった市長ホールにしばらく残りました。以外に移動が厳しくないツアーでよかったです。

    ガイドツアーが先のリーグル・ホールに移って、誰もいなくなった市長ホールにしばらく残りました。以外に移動が厳しくないツアーでよかったです。

  • 最後にホールの絵画を目に焼き付けておきます。スラブ叙事詩は後に日本の美術館で観る事が出来ましたが、ここの絵画がどこかへ移動することはありません。

    最後にホールの絵画を目に焼き付けておきます。スラブ叙事詩は後に日本の美術館で観る事が出来ましたが、ここの絵画がどこかへ移動することはありません。

  • 「リーグル・ホール」に移動しました。チェコの熱烈な愛国者で政治家で新聞記者であったフランチシェク・ラジスラフ・リーグルの名前を冠するホールです。<br />この部屋の漆喰装飾も見事でした。

    「リーグル・ホール」に移動しました。チェコの熱烈な愛国者で政治家で新聞記者であったフランチシェク・ラジスラフ・リーグルの名前を冠するホールです。
    この部屋の漆喰装飾も見事でした。

  • この部屋には大きな絵画が2枚かけられ、「チェコの春」という題材のこの絵画はマックス・シェヴァビンスキーの作品です。

    この部屋には大きな絵画が2枚かけられ、「チェコの春」という題材のこの絵画はマックス・シェヴァビンスキーの作品です。

  • 左の絵には左からスヴァトブラク・チェフ、ヤン・ネルダ、ヤロスラフ・ヴルフリツキー、ポジェナ・ニェムツォヴァー、ユリウス・ゼイェル。

    左の絵には左からスヴァトブラク・チェフ、ヤン・ネルダ、ヤロスラフ・ヴルフリツキー、ポジェナ・ニェムツォヴァー、ユリウス・ゼイェル。

  • 右の絵の左から彫刻家のヨゼフ・ヴァーツラフ・ミスルベク、2人の画家ミラコーシュ・アレシュとヨゼフ・マーネス、そして作曲家のベジドフ・スメタナとアントニーン・ドヴォジャーク。それぞれが生きた時代はバラバラで世界的に見てもスメタナとドヴォジャークが一緒に描かれている絵はここだけだそうです。

    右の絵の左から彫刻家のヨゼフ・ヴァーツラフ・ミスルベク、2人の画家ミラコーシュ・アレシュとヨゼフ・マーネス、そして作曲家のベジドフ・スメタナとアントニーン・ドヴォジャーク。それぞれが生きた時代はバラバラで世界的に見てもスメタナとドヴォジャークが一緒に描かれている絵はここだけだそうです。

  • 「スラトコフスキー・ホール」への入り口の扉です。ガイドツアーはここまで進んでいました。

    「スラトコフスキー・ホール」への入り口の扉です。ガイドツアーはここまで進んでいました。

  • スラトコフスキー・ホール。新聞記者で政治家だったカレル・スラトコフスキーに因んだホールで、シンプルな造りなのでよくコンサートで使われているとの説明がありました。

    スラトコフスキー・ホール。新聞記者で政治家だったカレル・スラトコフスキーに因んだホールで、シンプルな造りなのでよくコンサートで使われているとの説明がありました。

  • 実際にこの日も椅子が並んでいました。市民会館のコンサートも注意しないとスメタナホールだと思っていたらこちらだったと言う事もあるそうです。

    実際にこの日も椅子が並んでいました。市民会館のコンサートも注意しないとスメタナホールだと思っていたらこちらだったと言う事もあるそうです。

  • チケットを買うともらえるジュトンです。説明では記念に持ち帰っても良いですが、地下のアメリカンバーで飲み物1杯飲むことができます。

    チケットを買うともらえるジュトンです。説明では記念に持ち帰っても良いですが、地下のアメリカンバーで飲み物1杯飲むことができます。

  • この他にも見学コースに含まれないホールやビリヤード場ワインバーやレストランもあるそうです。

    この他にも見学コースに含まれないホールやビリヤード場ワインバーやレストランもあるそうです。

  • 最後に地下のレストランの見学ですが、昨晩行ったレストランの隣の部屋でした。サルのレリーフが可愛らしいです。

    最後に地下のレストランの見学ですが、昨晩行ったレストランの隣の部屋でした。サルのレリーフが可愛らしいです。

  • 壁のタイルも綺麗で19世紀末から20世紀初頭はこんな素晴らしい物を世界中で造っていたのだと改めて考えさせられます。こういった時代を超えても残っていく建築がたくさんあるプラハという町は素晴らしいと思います。

    壁のタイルも綺麗で19世紀末から20世紀初頭はこんな素晴らしい物を世界中で造っていたのだと改めて考えさせられます。こういった時代を超えても残っていく建築がたくさんあるプラハという町は素晴らしいと思います。

  • 飲み屋なのでワインを連想させるブドウがモチーフなのでしょう。典型的なアール・ヌーヴォーのデザインです。

    飲み屋なのでワインを連想させるブドウがモチーフなのでしょう。典型的なアール・ヌーヴォーのデザインです。

  • このタイルの釉薬はハンガリーのジョルナイのエオシン釉のような鈍い輝きがありました。

    このタイルの釉薬はハンガリーのジョルナイのエオシン釉のような鈍い輝きがありました。

  • ここでツアーは終わりで日本語のリーフレットと撮影許可証を返却します。<br />とても分かりやすい英語の案内でした。

    ここでツアーは終わりで日本語のリーフレットと撮影許可証を返却します。
    とても分かりやすい英語の案内でした。

  • 最後にツアーに参加したほぼ全員でアメリカンバーで乾杯しました。と言っても半分の人はコーヒーを飲んでいましたが。我々はこれから食事なので食前酒がわりにカクテルを注文しました。アルコール類もメニューは限られますがOKです。ピナコラーダとウォッカトニックみたいなもので乾杯。

    最後にツアーに参加したほぼ全員でアメリカンバーで乾杯しました。と言っても半分の人はコーヒーを飲んでいましたが。我々はこれから食事なので食前酒がわりにカクテルを注文しました。アルコール類もメニューは限られますがOKです。ピナコラーダとウォッカトニックみたいなもので乾杯。

  • このアメリカンバーはオーストリア・ハンガリ帝国支配下の1912年に公の場としてはチェコで初めて女性がエスコートされずに入る事が出来た店だそうです。<br />うちの場合はそんなことお構いなしですが、最後に市民会館の余韻を楽しみました。<br />残念なのはインフォメーションセンターに戻らず、後で買おうと思っていた本などを買いそびれたことです。

    このアメリカンバーはオーストリア・ハンガリ帝国支配下の1912年に公の場としてはチェコで初めて女性がエスコートされずに入る事が出来た店だそうです。
    うちの場合はそんなことお構いなしですが、最後に市民会館の余韻を楽しみました。
    残念なのはインフォメーションセンターに戻らず、後で買おうと思っていた本などを買いそびれたことです。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • わんぱく大将さん 2011/04/29 06:35:54
    チェコに3回行けども
    kojikojiさん

    今晩は。現地時間で23:23
    旅行記拝見させていただきました。  実は私も2004年あたりに、年に3回、チェコに行ってるのですが、それも市民会館の近くにも泊まっているのですが、コンサートのみ行っただけで、今回初めて、中をじっくりと拝ませていただきました。 いいですね。 それとkojikojiさんの切り取り方と重なって、さらに良く。

    私が夕食に入った所も、女の子がアコ―ディオンをひいて下さってて。
    そちらの”横森しょうぞうさん”もいい味だして。  なんか、東欧とか、中欧に合いますね、この楽器は。
    まだ、私は昨年11月にこの4トラに登録したばかりなので、旅行記は殆どないも同じなのですが、みなさんのチェコ記を拝見するたびに自分のも早くUPしたいと思いつつ、他の旅行記が先に。  今は、他のトラベラーさんので、楽しませていただいています。有難うございました。

     大将

    kojikoji

    kojikojiさん からの返信 2011/04/29 18:49:16
    RE: チェコに3回行けども
    >大将さん
    >
    初めてプラハに行きたいと思って実現するのに20年以上かかりました。
    そのため今回の旅は気合を入れすぎたように思います。また震災の後ということもあり当初の3週間を少し短くしたのも影響したようです。
    実質プラハには3.5日しか滞在できませんでしたがやっぱり1週間は必要だったなと後悔しています。この後まだまだプラハの旅の写真をアップしていきますのでお時間がありましたらごらんになってください。またその後ウィーンとブダペストと続きますが写真が多いのと素晴らしい旅だったので
    出来上がるまでどれくらいかかるのか心配になっています。

    kojikoji

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