2011/04/02 - 2011/04/06
3594位(同エリア4365件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1553冊
- クチコミ1158件
- Q&A回答73件
- 2,927,752アクセス
- フォロワー158人
プラハを彷徨い歩いて印象の強かった建物や場所はおのおの別の旅行記で紹介していますがそれ以外の全体の街歩きをまとめました。到着が少し早かったのでウィーンへの移動前日からヤン・フス像のある旧市街広場がイースターマーケットの建設が始まりました。今年のイースターは4月25日で地元の方に聞くとマーケットは9日から開催との事でした。移動先のウィーンではちょうどマーケット真っ盛りで楽しかっただけにプラハのマーケットを見る事が出来なくて残念でした。更にイースターエッグはプラハの露店で買えたのですが先々のウィーンとブダペストで買い足そうと5個入りを2パックと大きなグースのエッグを2個しか買いませんでした。ところが先々の都市ではプラハの5個の値段で1個しか買えないくらい高かった!しかも自分の好みに合うものはプラハで売っていたチェコ各地のデザインが一番素敵でした。またいつかイースター前のプラハに行ってエッグをゲットしたいものです。
街歩きでは二十数年前に一度計画を立てたプラハ旅行で泊りたいと思っていたヴァーツラフ通りのホテル・エウロペに行けた事と幾つかの興味深い建物を見られたのが良かったです。偶然の発見ではありましたが切手を買いに入った中央郵便局の建物は素晴らしいものでした。(撮影禁止だったのが残念ですが。)また期待していた国立博物館がシステムトラブルで数日間閉館していて見られなかったこと、キュビズム建築の集中しているヴィシェフラド辺りまで足を伸ばせなかったのが残念です。まあプラハの街を4日程で見切れる訳がありません。何か残しておかないと再訪することも無いのでこれで良かったのだと自分を納得させています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 徒歩
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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プラハ到着の翌日は時差のせいもあって朝早くに目覚めました。朝食をとって8時にホテルを出ても開いているのはカフェくらいでした。市民会館の1階のカフェで一休みした後は火薬塔から散歩を始めます。
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ゴシック様式の見事な塔です。この塔は1475年に造られ戴冠式の行列が街に入る際に 通った旧市街への入り口です。以前は銃の火薬庫として使われていたことから火薬塔と呼ばれるそうです。この下を通り抜けると思うとプラハの旧市街が始まるので心も高揚します。
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ツェレトゥナー通りは朝早いので店も開いていませんが、ウィンドウショッピングと建物を交互に眺めるので観光客にとっては忙しい通りです。
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火薬塔の辺りは車が行きかいましたが、この辺りは地元の人がパラパラ歩いている程度で観光客の姿もまだありません。
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通りの建物の上に聖母教会の尖塔が見えてきたので、旧市街広場が近いことが分かります。
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旧市街広場に到着しました。写真で見るのと実際にその場に立つのとでは大違いで、建物の形状が違う上に散らばっていてどちらを向いて良いのか迷います。
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旧市街広場の中心に立つのが15世紀にプラハで宗教改革を行ったプロテスタントの指導者であるヤン・フスの像です。この像は彼の500周忌にあたる1915年に、チェコの彫刻家ラディスラフ・シャロウンによって制作されました。
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ヤン・フスの傍にはフス派の戦士をはじめ、追放されたプロテスタントの人々やチェコのナショナリズム復活のシンボルである女性像が並んでいます。チェコ独立後の1918年にはヤン・フスの生前の言葉が刻まれた碑文も追加されたそうです。
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数日後にこの広場はイースターエッグを売るマーケットに変わりました。そして8年後のクリスマスに来たときは美しいマーケットに変わっていました。
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振り返ると旧市庁舎の塔がそびえています。塔の向こうから飛行機雲が伸びてきます。
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塔や出窓の礼拝堂からなるプラハのゴシック様式最古の複合建築で、壁の装飾は14世紀後半のものです。15世紀に造られた天文時計は午前9時から午後11時の間の毎時丁度に、仕掛け時計で12人のキリストの使徒が現れます。2段目の部分は暦板で、1865年ヨゼフ・マーネスによる黄道十二宮のシンボルが描かれています。市庁舎東側のネオゴシック様式の部分は 1945年8月5日の空襲で破壊されましたが、修復されずそのまま残っ ています。
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澁澤龍彦は「ヨーロッパの乳房」の今と昔のプラハの項に時計について記述しています。彼にとってのプラハの思い出は空港で荷物が出てこなかったことから始まる社会主義国家の批判とストラホフ修道院の博物標本と時計についての記述がほとんどです。
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毎正時のからくり時計の動く時以外は見上げる人もありません。ウィーンやベルンにも天文時計はありますが、ドイツ語圏のものはとても美しいのにイタリアやマルタに行くと途端に装飾性が失われるのは何故でしょう。
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ドゥーム・ウ・ミヌテ「一分の家」は、スグラフィットで装飾された天文時計から左に5件目の家で、15世紀初頭の後期ゴシック様式の家をルネサンス様式に改築しています。作家のフランツ?カフカが6才から12才頃までの7年間ここに両親と住んでいたことでも有名です。「スグラフィット」と呼ばれる16世紀ルネサンス期のイタリアで流行した掻き落とし技法による壁の装飾が見事です。
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この辺りは朝が遅いのかゴミ収集車が仕事中です。カフェの椅子もまだ昨夜の疲れが残っているのか居眠りしているように見えます。
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そうかと思うとパン屋はどこの町でも早起きです。このパン屋は夜遅くまで営業しながら朝早くから店開きしています。
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本当はこのセクシーな看板を右から来て左手に曲がらなければいけないのに王の道を外れて迷宮に迷い込んでしまいました。この当時は有名な看板でしたが、8年後に再訪したらなくなっていました。
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シュヴェイクのイラストが描かれた店は何件か見掛けました。シュヴェイクはチェコのユーモア作家で風刺作家のヤロスラフ・ハシェクの「兵士シュヴェイクの冒険」の登場人物で、プラハ市内にはハシェクが通ったウ・カリハという店がありますが、少し離れているので行く機会がありませんでした。
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石畳をカツッカツッと走る音が聞こえたのでカメラを構えて待っていると、想像通り馬車がやってきました。これから出勤なのでしょうかプラハで見た最初の馬車です。
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更にブラブラ歩いているとようやくヴルタヴァ川に出ました。川沿いに進みスメタナ博物館の前まで行ってみます。気持ちはもはやカレル橋に飛んでいるので先に進みます。
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旧市街の橋塔に出ましたが、あまりの巨大さにビックリしました。浦沢直樹の「MONSTER」のアニメのオープニングでこの塔が出てくるので感慨深いものがありました。残念ながらDr,Tenmaはいませんね。
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カレル4世の銅像が塔のたもとに建っていました。カレル4世は神聖ローマ帝国の皇帝の都としてのプラハを大々的に建設すると共に商工業を育成し、さらにボヘミアの地位向上をめざします。王子時代に建設された聖ヴィート大聖堂には「聖ヴァーツラフの王冠」が納められ、その王冠の下でボヘミア、モラヴィア、シレジア、ラウジッツが統合されると定めたボヘミア王冠領でも有名で、現在のチェコ共和国の国章にも描かれています。
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カレル4世は中世後期のローマ皇帝の中でもきわめて個性的な統治を行った支配者でしたが、その治世については歴史的評価が分かれています。 金印勅書に関しても国王選挙の際に対立王が出現する事態を回避して帝国に秩序と平穏をもたらしたとして評価する評価と、神聖ローマ帝国における領邦分裂体制の固定を促してしまったと見なす評価に分かれます。
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カレル橋はカレル4世の治世下の1357年に建設が始まり、1402年に完成します。建築家ペトル・パルレーの設計により、1841年まではプラハ旧市街とその周囲をつなぐ唯一の橋だったそうです。そのことにより西欧と東欧の交易ルートとしてプラハが重要な地位を占めるようになります。
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橋の欄干には左右に15体ずつで合計30体の彫刻が並んでいます。その多くはバロック様式で、最も古い「十字架像」は1361年の文書に登場します。
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このキリストの磔刑には見慣れないヘブライ語の金文字が輝いていますが、これは十字架を嘲笑ったユダヤ人から徴収した罰金で造ったからだそうです。
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遠くプラハ城までもが見渡せました。ここまで来て初めてプラハの町の全体像が見えた気がしました。
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初めてここを訪れた観光客は誰もが記念写真を撮りたくなるようで、何人もの人にシャッターを押してと頼まれました。そしてそのお返しにシャッターを押してくれます。観光地で感じる妙な一体感があります。
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聖ネポムツキーが投げ込まれた場所をあらわす十字架は、2009年に出来たものだそうです。
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ネポムクの聖ヨハネは聖ヤン・ネポムツキーと呼ばれ、殉教の背景には当時のボヘミア王ヴァーツラフ4世とカトリック教会との対立があります。空席となっていた修道院長の人選をめぐる大司教ヤン・イェンシュテインとヴァーツラフ4世の対立に巻き込まれたとする説や、司祭として知りえた王妃の告解の内容を王に明かすことを拒んだからとする説などがあり、王を怒らせた聖ヨハネは拷問を受けて1393年3月20日に落命し、その遺体はカレル橋の上から投げ捨てられます。
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地元では逆さに吊るされた聖ネポムツキーに触ると良い事があると言うジンクスがあるそうでピカピカに輝いています。詳しく知らない観光客は光っている所を触っていますが、光っている一番上の部分(橋の上に逆さ吊になった姿)を触るのが正しいようです。
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聖ネポムツキーのアトリビュートは十字架や棕櫚の枝を手にし、頭上に5つの星が輝く人物として描かれます。5つの星には聖人の遺体の場所を5つの星が示したとする伝説や、キリストが磔刑で負った5つの聖痕の数にちなむとする説があるそうです。また「私は沈黙した」を意味するラテン語tacuiの5つの文字に由来するというものもあり、実際に聖人が唇に指をあてた仕草をした像も作られています。水難からの庇護者として船員や橋の守護聖人としても崇敬されています。
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午前10時を過ぎても太陽は高く上がらないので、歩く人々の長い影が見えます。シルエットはたくさん見えますが、歩いている人の数はそう多くありませんでした。
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カレル橋の上に立つ像の一つ一つを見ていきたいところですが、その多くの聖人の由来も分からないので眺める程度で通り過ぎました。橋の長さは515メートルあるので詳しく見ていたら1時間くらいかかりそうです。
後で調べてみると「聖ウィンケンティウスと聖プロコプ(1712年ブロコフ作)」
ウインケンティウスはドミニコ派の司祭。また、聖プロコプはベネディクト派の修道院を創設した人物で1053年に亡くなった聖人でした。 -
英語のサイトですが、その像の一つ一つについて詳しく紹介されているものがありました。ちょっと詳しすぎるほどですが、興味のある方には参考になると思います。
https://statues.vanderkrogt.net/object.php?webpage=ST&record=czpr023 -
ヴルタヴァ川の中州のカンパ島の運河では船にも乗れるようでした。カンパ島へ降りる階段は、映画「ミッション・インポシブル」のシリーズ1のワンシーンで使用されたのですが見るのを忘れました。
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マラー・ストラナ側の橋塔にたどり着きました。こちら側の橋塔は2本あり、1本は旧市街側と同じゴシック様式の塔で、もう1本はロマネスク様式です。
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カレル橋の上では演奏をする人も多く見かけますが、その中でも有名なおじいさんが出勤途中でした。猿のぬいぐるみを置いた木琴のようなっ楽器で演奏してCDを売っています。
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マラー・ストラナの迷路のような通りを歩き、プラハ城を目指します。橋を渡りきると目指すお城が見えなくなるので迷子になりそうです。
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モステッカー通りに入るとお土産屋が続き、その中の1軒がマニファクトゥーラです。この日はプラハ城や周辺を歩き回るので買い物は後日とします。ちょうど1週間後くらいに弟のところに娘が生まれるのでお土産にしようと思っています。
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通りを抜けるとトラム乗り場のある広場と聖ミラクーシュ教会が見えました。プラハで最も有名なバロック建築の一つで、旧市街広場にも同名の教会があるので混同されますが別の教会です。ここはまた後日見学に来る予定なので先を急ぎます。
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ムーア人の彫像が方で建物の軒を支えています。聖ミラクーシュ教会を過ぎると
だんだんと坂道になってきます。 -
そして各国の大使館が続き、イタリア大使館のバロック様式の建物は小さいながらも素晴らしかったです。
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普通の家の入口の上部の装飾も素敵で、元々は屋号や看板の意味があったのではないでしょうか。通りを見て目的地に向かいながら各家々のデザインを見ていると歩くのがどんどん遅くなります。
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「ウ・ビーエーホ・ヤブルカ」という陶器で出来た建物を売る店にも通りがかりました。こうやって沢山並んでいると素敵ですが、1個2個では家に持ち帰っても寂しいので買いませんでした。
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隣はマリオネティという店で、最初に入ったマリオネット店です。この後3日間で
何件の店に入ったでしょうか。どの店もありきたりなお土産以外に各店独自のマリオネットを置いています。店の人が造っていたり作家さんの物を置いていて、気さくに操り方も教えてくれます。基本は右手で足を操り左手で手を操るだけですが真似をしても上手く操れません。 -
フラッチャニ広場には観光客を当て込んだクラシックカーがピカピカに磨かれてスタンバイしています。ここまでずっと上り坂だったので、この車でドライブしたい気分です。「プラハ・グランド(Praga Grand)」は、プラハ社が製造した高級車で4気筒エンジンを搭載した最初のグランドの生産は1912年にボヘミア王国で始まりました。チェコスロバキア共和国でのオーストリア・ハンガリーの解散後も続けられます。
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こちらは幌付きの車です。オープンカーで走ったら気持ちよさそうなプラハの春です。シュコダ・オートというチェコの自動車メーカーは書籍商のヴァーツラフ・クレメントと機械工のヴァーツラフ・ラウリンが自転車メーカーのラウリン&クレメント社として創業されました。この車は1901年に同社初の自動車「ラウリン&クレメント(Laurin&Klement)」です。
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プラハ城の見学の後は「プラハ国立美術館」に立ち寄りました。シュテルンベルク宮殿の名の通り元々は宮殿だった建物がそのまま美術館になっています。
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美術館はこの当時館内が撮影禁止だったと記憶しています。ミュージアムショップを覗いていたら大好きなフォレストガラスが売っていてびっくりしました。古代ローマから中世にかけて作られたガラス器で、不純物の多いガラスを使っているので緑色の風合いが気に入っています。それのコピー品ですが、精度の高いので数点買い求めました。この後まだ旅が3週間もあるので迷いましたが、他で見る事はありませんでした。その後のヨーロッパの旅でも見る事はなく、唯一チェスキー・クロムロフで見つけたときは各時代取り混ぜて8個も買ってしまいました。
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宮殿の中には美しい中庭があり、その一部がカフェになっていたので軽く食事することにしました。気が付いたらお昼をだいぶ回っていました。
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「カフェ・デ・ナショナルギャラリーCafe der Nationalgalerie」という美術館のカフェそのままの名前です。
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目の前にはライオンの像が置かれてあります。
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ホテルで朝ご飯をしっかり食べていましたが、午前中だけでもかなりの距離を歩いたのでお腹はペコペコです。まずは冷たいビールでのどを潤しでコンソメスープを飲むとホッとしました。
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何か朝ご飯みたいなランチになってしまいましたが、元気になったので午後の予定も無事にこなせました。
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城下庭園に向かう途中の階段にあったお店のイースターの飾りがきれいでした。
ここは陶器で出来たエッグを売っていました。店によって皆違うデザインなのでこれだと思ったらそこで買っておかないと後でわざわざ買うために戻ってこなければなりません。 -
この先に英国大使館があり、近くにはチャーチルの像があるのですが、この時は見落としてしまい、7年後に見つける事が出来ました。
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城下の庭園とヴァレンシュタイン庭園を見学した後にマラー・ストランスカまで出てきました。
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3月11日の東日本大震災の4週間後のプラハでしたが、すでの震災の寄付のためのコンサートがいくつも開かれていました。後で訪れたウィーンやブダペストでも開かれていましたが、日本ではあまり紹介されていませんでした。10月に行ったフランス旅行でも寄付や献灯などを見掛けましたが、「震災おめでとう」などと言える隣国は9年経った2020年でもオリンピックに対して侮辱的なことを国を挙げて行っているのを見聞きすると絶対に分かり合えないなと思います。
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ヴルタヴァ川の河畔に出ました。夕方なので旧市街の建物の夕日が当たって、カレル橋も綺麗に望めました。ちょうどカフカ博物館の裏側です。
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カフカ博物館の前を通ると二組のカップルが噴水の前で写真を撮っていました。立小便噴水の手前に立って同じポーズをしていました。デイヴィッド・チェルニーによる作品で、「放尿する男たち(Two Peeing Guys)」です。夕暮れの陽射しに伸びた自分の影が面白いので合わせて1枚写真だけ撮って、博物館には入りませんでした。
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日が落ちかけるとまた違った顔を見せてくれるプラハの町です。石畳がきれいに輝いていました。
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あまりに狭い路地なので上下に信号がついています。ロレッタ教会へ行く途中にもありましたからプラハではポピュラーな信号なのでしょうか?そう考えると全部でいくつあるのだろう?とか一晩中信号は切り替わっているのだろうか考えると眠れなくなりそうです。アムステルダムには世界一狭い路地がありますが、プラハの方が狭いと思います。
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ここにもプラハ・グランドが停車しています。1時間で6,000円ほどなので4人くらいなら割り勘で乗っても楽しいでしょうね。ただ、車の由来を知っていた方が古き良きプラハを感じられるでしょう。
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マラー・ストラナの橋塔へ戻ってきました。朝は反対側の麺に朝日が当たっていましたが、一日歩き続けてきたので日が暮れそうです。
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ヴルタヴァ川のクルーズはプラハ最後の夜に予定しています。ちょうど週末の土曜日が妻の誕生日でした。
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人が少ない時期だったからかもしれませんが、カレル橋は夕方の方が情緒があるように思います。
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旧市街まで戻ってきました。この日初めてカレル橋を往復しましたが、この後の1週間の滞在で何度も行き来することになりました。
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旧市街広場に戻ってくると、朝ここを通ってから10時間も経っていました。
さすがに初日から飛ばしすぎで、これでは3週間体がもちそうもありません。 -
午前中は逆光でしたが夕方になると美しい姿を見せるティーン教会でした。
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ヤン・フス像から市民会館まで戻って、地下のプルゼヌスカ・レスタウラツェというレストランで夕ご飯を食べてプラハ2日目がようやく終わりました。
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翌日は中央駅でウィーン行きの列車の切符を買ってから中央郵便局に向かいました。ホテルの部屋から良く見えるこの尖塔は地図には何も載っていませんでしたが、この後期ゴシック様式の塔は聖ヘンリー教会と聖クンフタ教会の一部でした。その高さは65.7 メートルでプラハで最も高い自立型の鐘楼です。塔の屋根裏にある10個の青銅製の鐘は塔の内部で美しく反響するように設計されています。
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中央郵便局の館内は素晴らしい内装ですが、残念ながら内部は撮影禁止でした。
切手を買う場合は入口を入った右側に並ぶ発券機で8番を押して番号券を取って、後は自分の番号が来たら窓口に行けば切手は買えました。切手を買ってヴァーツラフ広場まで出ました。 -
ロンドンのジャズ・ロックバンドBLURT(ブラート)はサクソフォニストのテッド・ミルトンが結成したバンドですが、20数年前にロンドンのヴァージンレコードで買ったTシャツがこのポスターと同じデザインだった気がして写真を撮りました。
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ヴァーツラフ広場は広場と呼ぶには細長すぎる、広い中央分離帯のような感じがしました。古いプラハ市電も保存されていました。
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そして広場に面して建つ黄色い建物はグランドホテル・エヴロパです。プラハに行ってみたいと思ったのは20代の初めの頃で、その時にプラハに行ったら泊まってみたいと思ったのがこのホテルでした。まだソヴィエト連邦や東ヨーロッパや鉄のカーテンなんて言葉が普通に使われていたころでした。
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そのホテルの前は古いトラムを再利用したカフェがありましたが、営業していませんでした。
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ヴァーツラフ広場の先には宮殿のような国立博物館の建物が見えました。閑散とした雰囲気ですが、7年後のクリスマス時期に再訪したら美しい通りになっていました。
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グランドホテル・エヴロパは1872年にネオルネッサンス様式で建てられ、1905年に現在のアール・ヌーヴォーのデザインで再建されました。2つの建物に分かれて1つは通りに面したファサードと1つは中庭を挟んだ裏側にあります。当時は非常に有名で豪華でモダンなホテルでしたが、1951年に国有化された後は華やかさは失われたようで、2つ★のホテルになっていました。
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立派な扉が残されていました。多分100年くらいの時を過ごしているのだと思います。隣のカフェはまだオープンしていなかったので、近くのキュビズムの建物などの見学を先にすることにします。
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扉を入るとホテルのフロントがあり、ちょっと場末っぽいカウンターにおばさんがいたのでパンフレットを貰いました。値段は1泊数千円という安さでしたが、往時は立派なホテルだったことはうかがい知れました。
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一つ一つじっくり見て行きたいデザインの素晴らしい建物が沢山あります。これは「アダモヴァ薬局」の建物で、1911年から1912年にかけて建てられました。建築家はエミル・クラリーチェク で、ファサードのデザインを手掛けています。
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この地域の自治体は建物の建設と同時に、周辺の壁や舗装道路の是正も要求したようで、エミル・クラリチェクは芝生の庭と「キュービストランプ」を備えた花壇を設置することを提案しました。このランプは歩行者道路の石畳の中ほどにポツンと残されています。
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チェコのキュービズムは、主にパリに滞在したチェコの芸術家によって触発されました。そして帰国した彼らは1910年代から1920年代を通して主にプラハで活躍してきました。チェコのキュービズムはフランス人とは一線を画し、建築家のホホール、ゴチャール、多才な才能を開花させたヤナークなどの活躍により世界的に有名でユニークなものになりました。
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同じユングマン広場には「アドリア宮殿」が建っています。キュビズム様式というよりもアールデコ様式のイメージを強く感じる建物なので1920年代に建てられたと思いました。元々この場所に有った3階建ての宮殿をイタリアの保険会社Riunione Adriatica di Sicurt?・が買取り、古い宮殿を取り壊して1923年から1924年にかけて建設したそうです。
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設計したヤナークはゴチャールが「チェコスロバキア義勇軍銀行」で取り入れた半円形を使ったロンド・キュビズムを踏襲したそうです。
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半円や三角形や菱形などの幾何学パターンが繰り返される(ロンド)のが特徴です。フランスのロワール渓谷のシャンボール城の屋上に林立する小さな塔も幾何学模様の黒いスレートがきれいだったことを思い出します。
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立方体や三角や半円が多用された素晴らしいデザインです。ただこの建物がプラハにおけるキュビズム建築最後の建物だそうです。そしてウィーンへ向かう列車の中で「チェコスロバキア義勇軍銀行」を見に行くのを忘れたことに気が付きました。
滞在したホテルから一番近いキュビズム建築だったので、後回しにしたのが失敗でした。 -
「アドリア宮殿」の中は商業施設になっているので見学することが出来ました。真鍮を多用した繊細なデザインはプラハでなければアールデコと断定できそうです。
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エントランスホールの幾何学模様の床が魔法陣のようにも見えます。思わず「エロイムエッサイム、我は求め訴えたり」と悪魔くんで覚えた呪文を唱えました。これは18世紀から19世紀のフランスで流布した魔法書に記された悪魔を呼び出すために黒い雌鶏を引き裂いて唱える呪文(Eloim, Essaim, frugativi et appelavi.)に由来します。
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外部も素晴らしいですが内部も素晴らしいです。トップライトになっているのは長い冬でも表にいるように感じられるように考えられているのでしょうか?
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元々はこの奥にイタリアの保険会社が入っていたのでしょう。時計の上に会社名が記されてあります。現在もオフィスとして使われているようなので、見学はここまでとします。
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プラハの町の中に点在するキュビズム建築を捜し求め彷徨するのが楽しくなってきました。
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「アドリア宮殿」からユングマン通りに入ると立派な建物が並んでいます。この日はホテルに市内地図を忘れてきてしまったので、半分あてずっぽうに街を歩いています。
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「ミノール劇場」の奥に「新市街市庁舎」が見えてきました。この劇場でも人形劇を見ることが出来るようですが、ミーハーな我が家は国立劇場で「ドン・ジョバンニ」を観る予定にしています。
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Tocena Zmazlinaはソフトクリームという意味ですが、アイスを買えっていう抗議運動のようです。とうとう我が家にも「プラハの春」がやってきたと感じました。
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1991年の三陽商会のコマーシャルが20年経っても忘れる事が出来ません。ちょうどヨーロッパを2か月旅して帰国したときに放送されていました。ヨーロッパの街頭のワイヤーにたくさんの人がぶら下がり、クリムゾン・キングの「ムーン・チャイルド」が流れていました。
https://www.youtube.com/watch?v=jIMatuDN4_0
そんな街頭のワイヤーの照明の交換はどうするのだろうと思っていましたが、この日その謎が解けました。 -
ヴォディチコヴァ通りにはルツェルナ館とウ・ノヴァック館という建物があり、中でつながってパッサージュになっています。パッサージュとはアーケード付きのショッピング街のことで、19世紀のパリで盛んに造られますがプラハにもたくさん残されています。
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ルツェルナ館は7階建てのアール・デコ様式の建物で1921年に完成したものです。ガラスのドーム型の天井からぶら下がっているのは逆さ吊りの馬に乗った人間の像です。なんともアバンギャルドなこの像は、ディビッド・チェルニーの作です。
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馬に乗っているのはヴァーツラフ広場に騎馬像が飾ってあった聖ヴァーツラフで、馬が逆さになっているのは反体制的芸術表現なのだそうです。馬が口から舌を出しています。
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2階は美しいカフェになっていて、ここもトップライトからの光が注がれています。この後行きたいカフェがあるのでここは我慢します。
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奥には映画館もありました。時間があったら1960年代に興ったチェコ・ヌーヴェルヴァーグや、チェコ・アニメーション映画なんか見てみたいものです。
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ヴァーツラフ通りのホテル・エヴロパに戻るとカフェはオープンにていました。他にお客もいなく窓際の席で優雅な時間を過します。
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最初にプラハに来たいと思ってから20年が経ってしまいましたが、その当時もこんな退廃的な雰囲気だったのだろうかと思いを馳せてしまいます。
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そして目の前には頬杖えをついてアンニュイな雰囲気を醸し出す妻が座っています。
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カフェモカはこんな具合に出てきました。何となくウィーンの影響を感じさせます。
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ホイップクリームがたくさん乗ったのはウインナーコーヒーです。こんな贅沢な時間がほんの数百円で手に入ります。この後にウィーンでは1週間カフェに入り浸りでしたが、プラハのカフェの安さが偲ばれました。
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前日に見学してきた市民会館を思い出させるような品の良いインテリアです。
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部屋を広く見せるためのミラーの使い方も上手ですが、尺角ほどのサイズのミラーが金物で止められていました。かなり古い物のようだったので、昔の内装が大切に使われているのだなと思いました。
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天井の装飾は市民会館のセルビア・ルームのようなオリエンタルな雰囲気が感じられます。2018年にプラハを再訪したときはこのホテルは閉鎖されて改装工事中でした。このインテリアが残されていればよいなと願いました。
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カフェで休憩できたのでヴァーツラフ広場に出て、国立博物館に向かいました。
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この日は小雨が降る天気でしたが、3週間の旅で1日だけだったので気持ちよいくらいでした。ただ、少々肌寒くは感じました。
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先ほどパッサージュで見てきた天井から吊り下げられたヴァーツラフの騎馬像はこれをもとにして造られたものです。
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ヴァーツラフ広場はチェコ民主化の歴史を語る上で欠かせない場所でもあります。1968年にチェコの自由化路線を弾圧するために侵攻してきたソヴィエト軍を中心とするワルシャワ条約機構軍ヴァーツラフ広場に戦車を乗り入れ、「プラハの春」は挫折しました。それに抗議し、1969年1月に学生ヤン・パラフが聖ヴァーツラフの騎馬像の前で焼身自殺をはかります。
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その事件から20年後の1989年に100万人に上るプラハ市民がこの広場に集まり、無血の民主化を果たしますが、これが新しい時代の幕開けとなる「ビロード革命」です。この革命は1か月後のルーマニア革命のように大きな流血に至る事態は起こらなかったことから、軽く柔らかなビロード(ベルベット)の生地にたとえて名付けられました。
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ラジオ・フリー・ヨーロッパが一時置かれていた建物は国立博物館の新館となっていました。展示物にはあまり興味が湧かなかったので見学はパスしました。
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そして国立博物館に到着しました。映画のミッションインポッシブルで見たあの美しい階段ホールが見たかったのですが、残念ながらシステムエラーのための2日間の臨時の休館でした。行き場の無い観光客がたくさん雨宿りしていました。ホールだけでも開放してくれればと思いましたが、ここでもプラハカードは使えず・・・。
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広場の一角にある十字架は1969年1月民主化運動「プラハの春」がソ連の軍事介入で弾圧されたことに抗議して焼身自殺した大学生ヤン・パラフの慰霊碑です。少し離れた場所には1か月後に同じように焼身自殺した大学生ヤン・ザイーツの慰霊碑もあります。
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プラハ国立博物館は1848年に開館した自然や文化や歴史に関する展示が行われている博物館で、当初はシュテルンベルク宮殿にありましたが、手狭となったためヴァーツラフ広場へと移転しました。
建築家ヨゼフ・シュルツによって1891年に建設されたネオルネサンス様式の建物が美しいです。 -
中に入る事が出来ないのでしばらくテラスで雨宿りしました。
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雨が降っていても見学に支障のないムハ美術館にも行きました。プラハと言えばムハ(ミュシャ)を見ないわけにはいかず、市民会館の市長のホールと大聖堂のモザイクはすでに見ていました。本当はスラブ叙事詩を見たかったのですが、モラフスキー・クロムロフ城からプラハに移動するタイミングだったので公開していなかったのが残念でした。
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日本でミュシャというと価値があるのかないのか分からないリトグラフの展示即売会というのが1980年代にたくさんありました。一度見に行ったことがあるのですが、会場の最後には広い契約のためのスペースがあり、若い人が高額のローンを組まされていました。何故か誰にも声もかけられずに帰ってきた記憶があります。ここに展示してあるものはもちろんオリジナルですが、そんな展示会のことを思い出しました。
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良かったのはパリ時代のサラ・ベルナールを描いた「ジスモンダ」と「ロレンザッチオ」と「メディア」ト「ハムレット」とプラハ時代の「ヒヤシンス姫」と「モラヴィア教員合唱団」くらいで、心に残ったのはスラブ叙事詩を彷彿させる題材の「星」に描かれた老婆の姿でした。
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プラハっぽくないパッサージュを通り抜けて旧市街でお昼を食べることにしました。
モスクワの地下鉄駅をちょっと思い出しましたが、この後7年後に行くことが出来ました。 -
ツェレトゥナー通りからちょっと中に入った「頤和園飯店」のランチセットを頂くことにしました。まだプラハについて数日ですが、中華が食べたくなりました。まずはチェスケー・ブジェヨビツェの「ブドヴァイゼル・ブドヴァル」の生ビールです。ブドヴァイゼルでの綴りはBudweiserで、英語読みするとバドワイザーになります。
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ヨーロッパについて3日目にして中華となりました。普段は1週間から10日目頃から和食とまではいかなくても中華が食べたくなるのは事実ですが、今日は寒いし雨が降っていたので酸辛湯が飲みたくなりました。こんな時は妻と2人気が合います。
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地下の吹き抜けに面したテラス席で熱々の酸辣湯をいただきます。ヨーロッパを旅していて中華料理を食べる時は必ずこのスープを注文してしまいます。
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そしてもう一つ必ず注文するのはレモンチキンです。ヨーロッパの中華レストランではこれもほぼ100%の確立でメニューに載っています。日本でもたまに食べたくなりますが、メニューで見る事はありません。
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こちらも同じチキンの油淋鶏です。クリスピーなチキンとスパイシーなソースがとてもおいしくてご飯が進みます。
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ティーン教会の前には普通の建物が建っているので、ファサードからダイレクトに堂内に入るのではなく、こんなトンネルを潜って進みます。
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絢爛豪華な教会内部はバロック様式の装飾で飾られていますが、内装は1679年に火災に見舞われた後に造り直されたものです。主祭壇に描かれた「聖母被昇天」「聖三位一体」の絵画(カレル・シュレーター(Karel ?・kr?・ta)作)をはじめ、皇帝ルドルフ2世のお気に入りの天文学者「ティコ・ブラーエの墓」など多くの見どころがあります。ティーン教会のオルガンは1673年に作られたプラハ最古のものと言われます。
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食後は旧市街広場に出ます。客待ちの馬車も寒そうです。
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旧市街広場には馬車が停まっていますが、天気が悪いのでお客さんも少ないようです。
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旧市街広場もこの時は何も催しがありませんでしたが、数日後にはイースターのマーケットが準備されました。そして後年になってクリスマスマーケット巡りで立ち寄った時はそれは美しい広場に変わっていました。
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広場の片隅にある「聖ミラクーシュ教会」に参拝することにします。プラハには同じ名前の教会がもう一つ、カレル橋を渡ったマラー・ストラナ地区にもあります。
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この教会では夜になるとコンサートを行っています。街中でコンサートのチケット販売の人に声を掛けられますが、音楽鑑賞にはあまり興味のない2人なのでチケットを買うことはありませんでした。
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聖ミクラーシュ教会は12世紀に創設されますがその後何度も増改築が繰り返され、1685年には火災により大きな被害を受けます。1735年に入りバロック建築の第一人者キリアーン・ディーツェンホーファーによってバロック様式の教会へと建て替えれました。
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教会の外観を飾る数々の彫刻は、カレル橋の彫像の多くを手掛けたアントニー・ブラウンが手がけています。当初この教会はカトリック教会として使用されていましたが後に正教会となり、現在はチェコのフス派の教会として使用されています。
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教会内の内装はパリの「サン・ルイ・デ・ザンヴァリッド教会」に影響を受けて装飾されました。ベルナルド・スピネッティが手掛けたスタッコ細工やウィーン生まれのヨハン・ルーカス・クラッカーによる壁面のフレスコ画などが見事です。
その中でもダミアン・アサムによって描かれた教会ドーム天井の「聖ミクラーシュの祝祭」と「聖ベネディクトゥス」のフレスコ画が美しいです。 -
とても大きな教会なのでここでコンサートを聞いたら素晴らしいと思いました。
日中の観光以外にもクルーズやコンサートなどを考えるとプラハに1週間くらいの滞在ではとても足りないと思いました。この教会は入場料は不要なので寄付の代わりに絵葉書を購入しました。 -
ヤン・フス像が置かれただけの旧市街広場は本当に閑散としています。ただクリスマスマーケットなどを考えるとこういった広場は必要なのだと思います。ヨーロッパにおいてはアゴラなどのように古代ギリシアの時代から都市に計画的に配置された広場から始まり、教会や宮殿や市場などの前に一定の空地を確保しました。政治的に重要な儀式を行ったり、コミュニティの中心機能を持たせた名残を感じます。
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この時の旅では旧市庁舎の内部の見学はしませんでしたが、クリスマスマーケットで訪れたときには塔の上まで登る事が出来ました。その時に見た眼下に広がる旧市街広場の美しさは忘れる事が出来ません。
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旧市街広場からはカレル橋を渡って、もう一つの「聖ミラクーシュ教会」に参拝することにしました。
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初日にカレル橋を渡った時に見落としていた聖フランシスコ・ザビエルの写真も撮っておきます。チェコではスヴァティー・フランティシェク・ザヴェルスキーと呼ばれるそうです。フェルディナンド・ブロコフ、チェエック・ヴォスミークという彫刻家による作品です。
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小雨の中カレル橋を渡り聖ミラクーシュ教会に到着しました。雨に濡れた石畳はつるつる滑るので歩きずらいです。以前に旅したリスボンの坂道で何度も転んだのを思い出しました。
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マラー・ストラナの聖ミラクーシュ教会はアルプス以北で最も価値あるバロック建築のひとつと呼ばれます。直径20メートルのドームや49メートルの堂内の天井までの高さはプラハ最大です。
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かつてプラハで権限を持っていたのがフランシスコ・ザビエルらが創設したイエズス会でした。修道士たちはボヘミアの地に壮大な教会を建設する願いを叶えるため、バロック建築の巨匠クリシュトフ・ディーンツェンホファーを雇い入れます。
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彼の死後は息子キリアン・イグナツがその仕事が引き継ぎ、アーチ天井や教会の最も魅力的な巨大なドームを設計しました。
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内陣とクーポラまでソニーのNEX-3の広角レンズは簡単にカバーしてしまいます。ここまでカバーしてくれると写真を撮っていても楽しいです。
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典型的なバロック様式の柱の連続が美しいです。
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プラハの教会は内部を写真で撮っても良いところが多かったです。禁止だったのはティーン教会とストラホフ修道院の教会部分くらいです。後は入場料と別に撮影費がかかる場合もありますが、気兼ねなく撮影が出来るので良かったです。
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ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト本人が弾いた巨大なパイプオルガンがある事でもこの教会は有名です。この教会でもコンサートが開催されているようでした。
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高価な色大理石と黄金の彫刻で覆われた説教壇から教えを受けたら天国へ行ける気になりそうです。
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鐘楼の上まで上ることができて、マラー・ストラナの甍の波や塔の街並みとカレル橋を望む絶景を楽しむことができるようですが、雨が強くなってきていたので諦めました。
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これだけ街中を歩いているにも関わらず、プラハのトラムには1度も乗る機会がありませんでした。
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ペトシーンの丘の庭園を見学してカレル橋へ戻ります。今回はまだ塔に登っていないのでマラー・ストラナの橋塔に立ち寄りました。ネットではプラハ・カードで無料と書いてありましたが、現在は火薬塔も含め全部50%割引にしかなりませんでした。当然エレベーターは無いので、妻は表にあったカフェで一休みしています。
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塔を登る途中の階にはいろいろな物が陳列してありましたがこれが一番面白かったです。プラハに住んでいた伝説の錬金術師エドワード・ケリーの姿のようです。エドワード・ケリーはボヘミアの王であったルドルフ2世と公式に謁見を度々行った後、彼に取り入りこの地の貴族がパトロンとなります。錬金術研究から派生したアルコールの蒸留技術によって、ウイスキーをはじめジン、ラム、テキーラなどの蒸留酒が今日楽しめているわけです。薬草を使ったアブサンは錬金術の最大の成果とも言われており、チェコは今でもアブサンの産地として有名です。
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カレル橋のマラーストラナ側の端には中央にゴシック門を挟んで2つの橋塔が建っています。向かって左側の低い塔は、カレル橋建設前に洪水で崩壊したユディット橋の一部だったもので13世紀以前に建設されました。
向かって右側の高い橋塔は1464年に建設されたもので、建築家ペトル・パルレーシュによって建てられた旧市街側の橋塔を模して造られたものです。どちらの塔も16世紀末に修復され新たな装飾が加えられています。 -
カレル橋の反対側からはプラハ城を眺める事が出来ます。近いようで結構歩いていたのだと思いました。「プラハは魅力的な街なので興奮してどんどん歩いてしまう危険な街だ。」と妻はこぼしていました。
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聖ミラクーシュへ伸びるモステッカー通りも人が少ないですね。この時のプラハは観光客が少なくて、街を貸切りしている気分でした。
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橋塔はほとんど通過するだけなので完全に貸切り状態です。
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こうやって眺めているとカレル橋を渡った反対側の橋塔にも登ってみたくなります。
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トランペットの演奏が始まりました。「近くで見てて良い?」と聞くとニッコリ笑って「どうぞ。」
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トランペットの演奏は聖ミラクーシュ教会の塔の上から引き継いでカレル橋の反対側の橋塔へ向かって続いていきます。
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塔から塔へ伝達されていくのを目の当たりに見ると昔も同じような方法が使われていたのだろうと想像できます。「上手いね。」と褒めると「そんなことないよ。」と謙遜していました。今回の旅で感じたチェコの人に共通した印象でした。
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カレル橋を渡って旧市街に戻ってきました。あまり興味が無いのですが、せっかくプラハまで来たので「スメタナ博物館」にも立ち寄りました。持参したアイポッドにスメタナの「わが祖国」とドヴォジャークの「新世界より」を入れてきていました。
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ムハ(ミュシャ)はスメタナの「わが祖国」を聞いたことから20点の絵画から成る連作「スラヴ叙事詩」の構想を得たと言われます。残念ながらこの旅では「スラヴ叙事詩」を見る事が出来ませんでしたが、後年東京で20枚全てを観る事が出来ました。
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「スメタナ博物館」の内部の撮影は別料金だったので館内の写真は撮りませんでしたが、展示室の前にあった鉢植えが見事だったので1枚撮らせて貰いました。
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同じく階段の壁面にあったステンドグラスも素敵だったので1枚。音楽に造詣のある方であれば興味深いものだと思いますが、館内の陳列品に撮りたいと思うものは特にありませんでした。
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スメタナは1824年3月2日に生まれ、1884年5月12日に亡くなっているので、彼へのリスペクトだと感じました。
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この博物館のテラスの辺りがヴルタヴァ川(モルダウ川)の段差が生じている場所です。対岸には船が行き来するためのロック(閘門)があります。
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スメタナ博物館のテラスからの眺めはとても美しく、特にカレル橋とプラハ城は絵になります。
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王の道と呼ばれるカルロヴァ通りを旧市庁舎広場へ戻ります。途中マリオネット劇場がありますが、今回は聖ミラクーシュ教会の先の国立マリオネット劇場で観劇しました。
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演目はどこも同じで「ドン・ジョバンニ」でした。初演は作曲を依頼したプラハのエステート劇場(スタヴォフスケー劇場)で、モーツァルト自身の指揮で行われています。あとは「フィガロの結婚」も人気のある演目のようです。
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チェコの伝統的なお菓子トゥルデルニーク屋さんです。
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小麦粉を薄く伸ばした生地を丸いパイプに巻きつけて、シナモンやザラメの上を転がした後オーブンの上で回転させながら焼いていきます。焼きあがったら円柱から抜き取って出来上がり。
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焼きたてのお菓子はバームクーフェンのようなパンのような素朴な味です。
カレル橋を渡ってここに来るまでに、妻はジェラートに始まり買い喰い状態です。
ちなみにお金は1コルナも持っていません。離れて歩いていても欲しい物を見つけると走って戻ってきます。 -
チェコはボヘミアン・ガーネットが有名なので、旧市街広場の近くの店を覗いてみました。私の語学力では詳細を聞くことは出来ないので、日本人の方がいたお店にしました。大きいガーネットが入っているのもは大抵アフリカ産だったりするそうです。ボヘミア産は小さくて色が濃い物だそうです。
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値段は元々お手頃ですが4点買うつもりでしたので、当然値段交渉してかなり負けてもらいました。免税と値引きを考えるとさらにお買い得でした。妻は自分が欲しいと言っても買ってもらえないので、私の母を引き合いに出して「お義母さんだったらこれが似合うと思うよ。私はこっちかな?」と切り出してきます。
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1807年にヨゼフ・ベヘルによって作られたベヘロフカは、チェコの定番の蒸留酒として有名です。昔は免税店でお酒を買っても日本国内より安かったのですが、現在は価格が逆転しているので、ワインやその土地にしかないリキュールを買うことが多くなりました。
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翌朝パリ通りへ行こうと旧市街広場を通ると何やら工事が始まっていました。聞いてみるとヴェリコノセ(イースター)マーケットを造っているとのことでした。2011年の復活祭は4月25日なので4月9日から5月1日までがマーケット期間だそうです。6日にはウィーンに移動なのでどうしようと思っていると。
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ちゃんと露店が出ていました。1軒しか出ていないので値段の比較が出来なかったのですが、今までの経験では後にして後悔することばかりなので取り合えず絵変わりの赤ベースの卵と青ベースの卵を5個づつとグースの大きな卵の2個セットを買いました。
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全部で600フォリント(3,000円ほど)でした。次に行ったウィーンやブダペストのマーケットで買い足そうと思いましたが大失敗でした。結果はプラハが一番気に入ったものが多くて、一番安く手に入る場所でした。大体他の都市の3分の1の値段でしたから。
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「黄金の井戸」いう建物の女性像はリブシェと言う娘の彫刻が置かれてあります。
井戸に落ちたリブシェを引揚げた男は井戸から黄金を見つけて大金持ちになりました。その夢枕に立ったリブシェは「私のお蔭で大金持ちになったのにあなたは私の墓も造らない。」と言い、そのお告げからこの像が造られるとそれ以来娘は現れなくなったと言う話が残っているそうです。 -
その後マニファクトゥーラでお買い物です。ここでポムラースカという柳を編込んだムチを買い忘れました。イースターマンデーの午前中にこのムチで女の子を叩くとその女の子は健康になるそうです。そしてお返しにイースターエッグやお菓子を貰えるそうです。
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チェコの木製玩具は世界的にも有名で日本にも入ってきていますが、現地価格は信じられないくらい安いです。
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表にもこんな風見がありました。ちなみにマニファクトゥーラの店は市内に数軒あり、買い物をすると割引券をくれます。14%割り引きなのでウィーンへ移動する日に中央駅の店で使いました。
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ここの店のイースターエッグはチェコ各地から集められています。パンフレットには木製玩具やエッグや陶器がどこで造られたものなのか詳しく説明されています。
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プラハと言えばカフカですね。チェコ語でカラスと言う意味だそうです。街中のお土産屋はムハ(ミュシャ)かカフカグッズで溢れています。このイラストはキース・ヘリングが描いたのではないかと思えるほど雰囲気が似ていました。
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通りがかりの店の欄間は鯉でした。この店は元々何屋だったのでしょうか?キリスト教の「24日は肉を食べてはいけない」という決まりから、チェコのクリスマスでは「鯉」を食べるそうです。なので、鯉料理の店だったのか鯉を扱う魚屋だったのか勝手に想像します。
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プラハ2日目の朝に男の子を脇に乗せてすれ違った馬車と再会しました。
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プラハの御者さんは正装していてかっこよかったです。
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旧市庁舎のホールは結婚式場として地元の人にも人気があるそうです。ちょうど式の終わったカップルが出てきたところでしたが絵になります。
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何度もこの時計の下を通りましたが、1週間の滞在でからくり時計を見る事が出来たのは1度だけでした。
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旧市街広場に面した印象的なタウンハウスは聖母マリアの家としても知られるStorchHouseです。 19世紀の終わりにネオゴシック様式で建てられ、ゴシック様式の出窓と美しいフレスコ画のファサードのおかげで隣接する建物から際立っています。 モチーフの中には聖ヴァーツラフの姿もあります。
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ツェレトナー通りを歩いていて感じたのはチェコ雑貨のクオリティーの高さと安さです。西欧では無くなりつつある手作り感や手の掛け方に驚きました。
今回は隅々の店を覗く時間が取れませんでしたが、近い将来にもう一度来なくてはならないなと思いました。 -
今回「シュペイブルとフルヴィーネク」の親子のマリオネットを買いました。大中小がありましたが、何とかトランクに入る中くらいのものにしました。大きさ的にも一番可愛かったですが、木製の造りの良いものが両方で6,000円程度でした。
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左側の大きいのがお父さんのシュペイブルで、右側の小さいのが息子のフルヴィーネクです。彼らの生みの親はヨゼフ・スクパでイジー・トルンカの美術の師匠に当たります。「シュペイブルとフルヴィーネク」のお話はトルンカによって人形アニメになっています。彼らについては
http://www.roboraion.cz/articles/11-2013/Josef-Skupa/
に詳しく紹介されています。 -
カシュパーレクはチェコの喜劇の道化の人形で、19世紀半ばまでさかのぼる事が出来ます。名前の由来についてはドイツ語のKasperlからKasparekになったとされます。チェコの人形劇の中でカシュパーレクは勇気がありながら臆病で卑怯で怠惰で欲張りなどの間でゆれるとても矛盾した人格の小さい初老の男のキャラクターとして表されました。人形は非常にリアルに作られ、いつも利口でライバルをトリックに陥れ、正直さで一般の同情を受けました。彼のおせっかいな姿勢は一般聴衆の姿勢を反映しており、コメディーヒーローの中では最も庶民的だったので民族復興運動の中でヒーローとして担ぎ出されました。
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プラハの人形は作家物やこんなチェコっぽいのも沢山あるのですが、見ているうちに頭が混乱してきます。大抵の店で作家物が20,000円から100,000円くらいで、現金だと10%くらいは割り引いてくれますが、買うには至りませんでした。
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この旅の途中のウィーンに着いた頃に弟のところに娘が生まれました。毎日LINEで連絡は取っていたので、ヤキモキしながら旅をしていました。そのヤキモキは買い物で発散されたのですが、マニファクトゥーラで買い物したこれらのおもちゃは全部その娘の遊び相手になりました。
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プラハは小さい街なのでほとんどトラムにも乗りませんでしたが、最後の晩はディナークルーズなので船着場近くまで地下鉄で移動しました。
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ホテル近くの中央駅から博物館駅で乗り換えてマーネス橋の近くまで出ます。
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絵葉書になって売っているくらいプラハの地下鉄駅は美しいです。
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地下鉄の車内もイタリアやスペインなどに比べると異常なほど静かなで、国民性がうかがい知れました。
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駅によってホームの色使いも違います。
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基本はアルミ製のパネルが壁に嵌め込まれただけですが、そのデザイン性の高さには驚きます。
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楽しかったプラハの旅もそろそろ終わりが近づいてきました。
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そして誰もいない地下鉄のプラットホームです。日本の地下鉄に比べると世界には美しいデザインのものが多いです。長年夢見ていたのがモスクワの地下鉄駅の制覇ですが、7年後に叶いました。
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日本と比べると非常に早いエスカレータです。長さも最大で100メートルもあるそうです。今回の旅で最高に面白かったのはブダペストの地下鉄のエスカレータで、その早さは遊園地のアトラクション並みでした。
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ヴルタヴァ川に近い公園に出ると桜の花が満開でした。
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毎年靖国神社の屋台で迎える花見は、今年に限りプラハとなりました。
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2011 プラハ・ウィーン・ブダペスト中欧の旅
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