2011/04/02 - 2011/04/06
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kojikojiさん
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プラハに着いた翌日はいてもたってもいられずに過去の数百数千万の観光客と同じように王の道を通ってヴルタヴァ川を目指します。歩行者の数に対して世界1青信号の時間が短いであろう横断歩道を渡ると旧市街の橋塔とカレル4世の像が出迎えてくれます。橋塔を抜けると何度も何度もガイドブックを読み返したカレル橋が目の前に広がります。大きなサンタンジェロ橋みたいな気もしますが対岸の丘に王宮と聖ヴィート大聖堂の尖塔を望むとプラハに来たぞ?という感激が湧きあがって来ました。個人的に大好きな神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世が1583年に首都をウィーンからプラハに移し、独自の芸術文化をその宮廷に花開かせたその居城です。カレル橋と王宮の眺めに感激するのは世界中一緒の様でいろいろな人に「シャッター押してください。」と頼まれ、お返しに「あなた方も撮りましょう。」とシャッターを押してもらいました。そんな事を繰り返しながら王宮に向かって右手(川上側)の石像を確かめながら橋を渡ります。マラー・ストラナ側の橋塔の下でどこかで見た記憶のあるおじいさんとすれ違いました。誰だっけと思い返してガイドブックに載っている赤いベストを着たおじさんと分かりました。マラー・ストラナは旧市街よりは車の量も多く賑やかな感じがします。聖ミラクーシュ教会は後にして坂の上のプラハ城を目指します。坂道になると妻は寡黙になります。今までの経験で3%を超える坂道に差し掛かると話をしなくなるので勾配が分かり便利です。シュヴァルツェンベルグ宮殿の見事なスグラフィットを見上げながら最後の坂を登りフラッチャニ広場へ。
聖ヴィート教会は午前中は日曜の礼拝で見学が出来ませんでした。更に黄金の小道は改修工事中で立ち入り禁止。今回のプラハ到着が土曜日で日曜から観光と言う事もありプラハカードをネットで購入してホテルに届けてもらいました。そこまでは良かったのですが、使ってみたプラハカードはHPの記載と違って無料だった所が半額だったり交通機関はあまり使わなかったりとあまり役に立たなかったというのが正直な印象でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
カレル橋を渡ったマラー・ストラナから緩い坂道をゆっくり登ってフラチャニ広場に到着しました。坂道が嫌いな妻も道中のマリオネットの店やマニファクトゥーラという玩具のお店を覗きながらだったので気が紛れたようです。
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プラハ城正門から中に入りますが、門柱の上には「闘う巨人像」と呼ばれる2体の像が置かれてあります。現在の物は20世紀初頭に造り替えられたのもですが、オリジナルは1770年に彫刻家のイグナーツ・ブラツェルによって制作されたものです。
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2つの中庭を抜けると聖ヴィート大聖堂のある広場に出ました。このアングルで写真を撮っている人はインフォメーションのある建物の壁に後頭部をぶつけていました。あまりに大きい建物にもかかわらず、距離を置いて写真を撮れないからです。
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第3中庭に入ると「聖ヴィート大聖堂」の西側のファサードが圧倒的な存在感でそびえ立っています。
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見事なゴシック教会ですが1300年頃から増築を初めて完成したのが20世紀に入ってからと言うのが驚きです。西ファサードの中央扉上の半円(ルネット)にはキリストの受難を表現した彫刻が刻まれています。
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正面からの全景は広角16ミリでも撮れないので横に廻ります。
今回のプラハの観光で唯一観光客が多いと感じたのはプラハ城だけで、他の観光地ではほとんどガラガラの状態で見学できました。確かに日本のツアーの予定表を見てもカレル橋とプラハ城の見学くらいで次の都市に移動するようです。 -
尖塔に登ろうと妻に提案しましたが却下されました。今までに行った旅で一緒に登ったのはヴェネツィアのサンマルコ広場の鐘楼だけで、エレベーターの無い塔は興味が無いようです。
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「聖イジーの噴水」は汗ばむほどの暑さの日でしたので涼しげに思えました。聖イジーは英語だと聖ジョージで、日本人には聖ゲオルギウスの名前が馴染みがあるかもしれません。竜退治をした聖人なので、この像の噴水の水口はドラゴンになっています。日本を出る前にプラハの天気予報を調べてはきましたが、北海道と同じくらいの気温と言うのは全く当てはまらず、日中は東京より暑いと言うのが印象でした。
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2011年の春は「黄金小路」は全面的に工事中で見学することが出来ませんでした。インフォメーションでプラハカードの使い方を教えてもらい観光を始めます。ここでプラハ城の撮影のチケットを購入しましたが、団体の観光客はそんなチケットの存在も知らずにフラッシュを焚いて写真を撮っていました。ここではチケットのチェックは無かったので、買わなくても良かったかなと悪い心が芽生えます。でもそのお金が文化財の保護に使われるのなら本望です。
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最後の審判のモザイクは1370年から1372年までの作品で、1961年と2000年に復元されています。人類が裁判にかけられ天国か地獄に到達する運命の日のキリストの姿を描いています。 3つの場面の中央には天使に囲まれた裁判官としてのキリストが描かれています。その下にはチェコの守護聖人である聖ヴァーツラフ、聖アダルベルト、聖ヴィトゥス、聖ジギスムント、聖ルドミラ、聖プロコップの6人の姿が見えます。
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「ヴラディスラフ・ホール」は長さ62メートル、幅16メートル、高さ13メートルの大きさをほこる旧王宮最大の部屋です。完成した16世紀当時はヨーロッパで最大の部屋でした。
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カレル1世の死後に城の建設を引き継いだ王の名から「ヴラディスラフ・ホール」と呼ばれました。このホールの中には柱が1本もなく、幾何学的に連なるアーチの天井が大きな空間を支えています。
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これは16世紀初頭の建築技術としてはかなり優れたもので、後のゴシック建設に大きな影響を与えました。このホールは馬に乗った騎士たちが室内競技を行ったり、戴冠式など国家的行事に使用されました。
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ここのバルコニーからの眺めはとても美しいですが時間があってプラハ城の下に広がる貴族の庭園を見学してからここに来ると景色も違って見えるのではないでしょうか。このバルコニーからボヘミア貴族がハプスブルグ家の代理人を窓外へ投げ出すという「窓外投出事件」がありました。この事件が30年戦争の引き金となり1620年チェコではビーラー.・ホラの戦いが発生しました。
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今回プラハ城を見たいと思ったのは神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世に興味を持っていたからです。ルドルフ2世は1552年に後に神聖ローマ皇帝となるハプスブルク家のマクシミリアン2世の長男としてウィーンで誕生します。ウィーンに生まれたルドルフ2世ですが、スペイン育ちの母の強い要望もあって11歳から19歳くらいまでの間をスペインで過ごしました。
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そして24歳の時に「神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世」として即位。33歳の時に宮廷をウィーンからプラハに移します。そして政治には深く関与せず、文化や科学に対する好奇心を持ち続け、世界中からあらゆるものを収集し驚異的ともいえる一大コレクションを作り上げます。彼の好きな絵画の趣味と自分の好きなものが重なることもあり、楽しみにしていましたがその驚異的な世界をプラハで感じることはできませんでした。
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「全聖人礼拝堂」も意外にシンプルでした。後陣の中2階のような場所から眺めるだけです。元々はロマネスク式礼拝堂があった場所に建築家ペトル・パルレーシュにより建てられたもので、かつて教会にはパリのサント・シャペルを模した素晴らしい装飾が施されていたそうです。1541年の火災以後は当時のものとしては外壁しか残されていません。
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かつて戴冠式で使われてきた王冠のレプリカが置かれてありました。王冠の左右は王笏と宝珠のレプリカです。オリジナルの王冠は、第2次世界大戦中の空襲から守るために王宮に隠されていたそうです。
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プラハ城の中はほとんど街のような体裁で、大聖堂の後ろには聖イジー教会が建っています。白いロマネスクの尖塔と赤茶色のバロック様式のファサードが可愛らしいです。
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暑い日だったので南イタリアの町のバロック協会のある広場の前に立っている気分です。壁の最上部に龍を退治する聖イジー(ゲオルギウス)のレリーフが見えます。
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内陣は異様に細く思えます。ここはコンサートが良く行われているようでこの日も熱心にチケットを売る人の姿が見られました。
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ロマネスクの内陣はとても簡潔で印象に残ります。イジー教会は920年に建造されたプラハ城内で一番古いもので、ヴラディスラフ1世の母親でチェコ最初の殉教者ルドミラ大公妃の遺骸を納めるために建てられました。列聖された聖ルドミラは、ヴラディスラフ1世の子どもである聖ヴァーツラフの祖母にあたる人物です。
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シンプルなフレスコもゴシックやバロックの教会ばかり見た目にはかえって新鮮に見えます。
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現在の教会は1142年以降に再建されたものですが、地下にはチェコの王家であるプシェミスル家歴代王の遺骸が埋葬される墓所がありました。
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右手には見事なクーポラを持った礼拝堂があり、バロック様式の見事な祭壇もあります。今回の旅のお供はSONYのNEX-3で、広角レンズにワイドコンバーターをつけると16ミリになるので、狭い礼拝堂でも祭壇から天井のドームまで全て納められました。
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ロマネスクとバロックの混在した面白い教会でした。イジー通りを東門に向かって黄金の小道に行くとビックリ。全面工事中でフェンスに印刷した小道の写真が張ってあって中には入れません。ここも有料なのですから、わざわざプラハカードを買った意味が薄れていきます。
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一度東門を出た広場からマラー・ストラナの城下を眺めてみます。新緑が芽生え始めたタイミングで綺麗なのと葉が茂っていないので視界を妨げなくて良かったです。滞在した数日で一気に春が加速したように感じました。
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ロレッタ教会とストラホフ修道院まで足を伸ばさなければここから城下の6つの庭園に降りても良かったのですが、下に広がる美しい庭園はまた別の旅行記で紹介します。
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お昼頃になると大聖堂の周りにいた観光客の数がだいぶ減りました。
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2011年の4月の上旬はちょうどイースターの前だったので、町中に猫柳とイースターエッグが飾られていました。プラハ出発前には旧市街広場のヤン・フス像の周りにはイースターエッグのスタンドが立ち並んでいました。そのあとのウィーンでは町中にいくつものマーケットが出来ていました。
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大聖堂が日曜日のミサの関係で観光客が入れなかったので、一度表に出ることにしました。すると第1の中庭にたくさんの人が集まっていました。
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ちょうど1時前だったので衛兵の交代式を見学することにしました。
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しばらく時間があるようだったのでバンドの演奏を楽しみます。
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交代式を見ようと思った時には既に人だかりが出来ていたので良く見えませんでした。窓から演奏している衛兵の姿しか見えません。
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遠目に何となく式典が見えますが近くには行けません。
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仕方が無いので衛兵交代式をしている建物の裏側に廻るとちょうど交代式が終わって衛兵が建物に入ってきました。
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表に出て一度立ち止まったのですが、カメラを構えているうちに出発してしまいました。この制服は映画アマデウスで衣装でオスカーを受賞したピーセックというデザイナーがデザインしたものだそうです。
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ヤロスラフ・ハシェクの風刺小説「兵士シュベイクの冒険」を思い出してしまいました。
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中庭の噴水の近くにある井戸は長い間プラハ城に水をもたらす貴重な役割を担っていました。現在の鳥かごの様な鉄格子は18世紀につけられたものです。
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混雑していた旧王宮を後にします。途端に観光客の数が減ったような気になります。
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プラハではこんなクラシックな車を沢山見掛けました。市内を走ってくれるのですが結構いいお値段でした。
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こっちのクラシックカーは幌付です。
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宮殿の前のシャンデリアのようなガス灯は1860年代のもので、世界一豪華で美しい街灯だと思いました。
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聖ヴィート大聖堂の見学までまだ時間があるのでシュテルンベルグ宮殿(国立美術館)の見学を先にしました。ブリューゲルやグレコやゴヤなどのあまり有名ではない作品ばかりで、往時の秀逸な美術品はウィーンにでも持って行かれたのかと思いました。ルドルフ2世のコレクションの多くはスウェーデンに持っていかれています。
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午後3時頃に戻るとあれほど混んでいた教会の周りは閑散としていました。もうみんなバスに乗ってどこかの国に向かってしまったのでしょう。
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西ファサードの正面左側に入り口から大聖堂の内部の見学に入ります。
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内陣に向かって右手から陽射しが入り、ステンドグラスの淡い影が聖堂を包み込むと無機質な石の肌が柔らかく見えます。
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ヴィート大聖堂が現在ある場所に最初の教会が建てられたのは925年のことで、ボヘミア公のヴァーツラフ1世(聖ヴァーツラフ)によって初期ロマネスク様式のロトンダ(円形建築)が建設されます。聖ヴィートが守護聖人として選ばれたのは、ヴァーツラフが東フランク王ハインリヒ1世から聖遺物である「聖ヴィートの腕」を与えられたからだそうです。
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現在のゴシック様式の大聖堂は1344年に設立され、これよりプラハ司教区は大司教区に格上げされます。カレル1世は新しい大聖堂を即位式を行う教会と一族の地下納骨堂、王国で最も貴重な遺物の保管庫、そして守護聖人ヴァーツラフの最後の休息地であり巡礼地となるよう計画します。
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アール・ヌーヴォー(ゼツェッシオン)のチェコの画家アルフォンス・ムハ(ミュシャ)が身廊の北部の窓を新しく装飾し、聖ヴァーツラフの没後1000年に当たる1929年までに聖ヴィート大聖堂は完成します。完成までには約600年が費やされ、大聖堂の西半分全体がネオ・ゴシック時代に追加されたにもかかわらず、ほとんどの修復にはペトル・パルレーシュのデザインを踏襲したため、全体的によく調和した感じがします。
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大聖堂にはいくつものステンドグラスが奉納されていますが、ムハのデザインしたものは突出した美しさを感じさせます。描かれた人物がある程度の大きさなので、その表情を読み取ることもできます。
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スラブ銀行がスポンサーだったことが分かります。ヨーロッパの数々の教会でステンドグラスを見てきましたが、広告が入ったものは初めて見ました。
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題材は聖キリルと聖メトディウスで、この聖人は兄弟でギリシャのマケドニア地方テッサロニケ出身だそうです。テッサロニキは沢山の優れたビザンチン教会が残っている街で、素晴らしも細工やフレスコ画を見てまわったことがあります。
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2人は優れた教育を受けてビザンチン皇帝ミカエル3世によって大モラビア王国に派遣されてスラブの国々を改宗させたそうです。聖書をスラブ語に翻訳してグラゴリティックという文字を発明したそうです。
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2人はその後ローマへ行き教皇ハドリアヌス2世に謁見しますが、そのことによって一部の聖職者の嫉妬をかったようです。しかし教皇自身から司教の任をうけたそうです。
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その後キリルはローマで客死しますがサンピエトロに埋葬された後にサンクレメンテに移されたそうです。
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メトディウスはモラビアに戻りハンガリー、ブルガリア、ダルマティア(現在のクロアチア辺り。ダルメシアン犬の故郷。)の人々へ布教したそうです。更にボヘミアとポーランドそしてモスクワまで布教したそうです。
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チェコにとっては偉大な聖人の物語と言うわけです。このステンドグラスにはポスターに見るような官能美は感じられないので後年の作品と思われます。
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プラハでのムハはこの大聖堂のステンドグラスと市民会館の市長のホールが素晴らしかったのですが、期待して行ったムハ美術館は正直ガッカリでした。
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ムハのステンドグラスを観終えて、興奮冷めぬまま大聖堂の見学を続けます。
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内陣の右側に聖ヤン・ネポムツキーの墓がありました。王妃の告解の内容を明かさなかったという事でヴァーツラフ4世に殺害されてカレル橋から投げ捨てられたと言うことになっていますが事実は多少違うようです。
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フィッシャー・フォン・エルラーハが手がけたバロック様式の見事な墓です。殉教してカレル橋から投げ捨てられたのは間違いの無い事実のようです。その時5つの星が現れたかどうかは分かりませんが、そんな歴史の話より純銀2トンという事実に魅かれます。
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聖ヤン・ネポムツキーの象徴である5つの星には、聖人の遺体の場所を5つの星が示したとする伝説や、キリストが磔刑で負った5つの傷(聖痕)の数にちなむとする説があります。また「私は沈黙した」を意味するラテン語tacuiの5つの文字に由来するというものもあり、実際に聖人が唇に指をあてた仕草をした像も作られているそうです。
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聖職者や水難からの庇護者として船員や橋の守護聖人としても崇敬されるためか、ベルギーのブリュージュの橋の上にもミケランジェロの聖母子像のある聖母教会にもネポムツキーの像がありました。
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コリンの墓地と王室礼拝堂を見るとポルトガルのアルコバサで似たような石棺を見た記憶がが蘇りました。それは王と王妃の棺で足と足が向かい合わせになって安置されていました。最後の審判の日に起き上がった時に最初にお互いの顔を見合わせられるようにという気持ちに感動を覚えました。こちらは横並びですが、個人的には横並びくらいがちょうどよいと思います。
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個人的にはこれがお気に入りです。ダン・ブラウンが何かの謎解きに使ってくれないでしょうか。
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ムハのステンドグラスととネポムツキーの2トンのお墓と共に有名なヴァーツラフの礼拝堂です。1344年から1364年にかけてペトル・パルレーシュにより建設され、壁の下半分は1300以上もの半貴石が使われてキリストの受難が描かれた絵で美しく飾られています。
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壁の上半分は1506年から1509年にかけて作製された聖ヴァーツラフの生涯を描いた絵で覆われています。壁の中央部分にはペトルの甥のインドリヒ・パルレーシュによって1373年に作製された聖ヴァーツラフのゴシック像も見えます。鍵が7つ付いた小さなドアが礼拝堂の南西の隅にあり、ボヘミアの戴冠式用クラウン・ジュエルの保管庫へとつながっています。
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天井で交差するボールドの繊細さに驚かされます。思い出すのはリスボンのジェロニモス修道院ですが、同じような建築法でもこちらは椰子の木には見えません。
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バラ窓は1925年から1927年にかけてフランティセク・キセラによってデザインされ、聖書の創世記の場面が描かれています。肉眼では遠すぎて確認することはできませんが。
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聖ヴィート大聖堂は中欧の後期ゴシック様式の発展に大きな影響を及ぼし、パルレーシュの一族と工房のメンバーは聖ヴィート大聖堂の建設過程で集団として確立され、中欧の多くの教会や建物を設計しています。ウィーンのシュテファン大聖堂やストラスブール大聖堂やザグレブの聖マルコ教会があげられますが、ネット・ヴォールドの美しさは英国ゴシック教会のようでもあります。
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1時間ほどかけてゆっくり見学が出来て良かったです。
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午後になって日の当たり方が変わったので、午前中と同じような写真を撮ってみます。聖イジーの像の後ろにはフライング・バットレスと呼ばれるゴシック様式特有の飛び梁が美しい姿を見せています。
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中世ヨーロッパの聖堂建築にはもともと雨樋はありませんでした。しかし13世紀に盛んに建設されたゴシック建築の大聖堂は高く勾配の急な屋根を特徴としており、雨水が勢いよく流れ落ちるようになっています。そのために雨水が壁面を濡らして漆喰を侵さぬように、外壁から離れて水を落とす吐水口が必要となります。そしてグロテスクな怪物や動物の姿をしたガーゴイルが装飾として生まれました。
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西側のこの門の辺りが出来上がったのが20世紀と言う事実に驚かされます。ようやく長かったプラハ城周辺の観光が終わりましたが長い一日はまだまだ続きます。
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