旅行のクチコミと比較サイト フォートラベル

Lily-junjunさんのトラベラーページ

Lily-junjunさんのクチコミ(3ページ)全318件

条件をクリア
エリア
カテゴリ
並び順

  • ホテル
  • ショッピング
  • グルメ・レストラン
  • 交通機関
  • 観光スポット
  • 基本情報
  • ちゃんぽんも皿うどんも予想をしていたものとは違っていました。これが本場の味ですね。

    投稿日 2024年07月11日

    四海樓 長崎市

    総合評価:4.5

    長崎県長崎市松が枝町にある「四海樓」についての情報を発信していきます。今回、「四海樓」を訪れたのは2024年6月21日です。「四海樓」へのアクセスは、「長崎駅前」から路面電車に乗り、「新地中華街」で乗り換え「大浦天主堂」電停で下車します。路面電車を降りると「大浦天主堂下信号」があるので左手に進みます。80mほど進むと右手に5階建ての立派な「四海樓」のビルがあります。
    まず、「四海樓」の歴史とちゃんぽん誕生について紐解いていきたいと思います。「四海樓」の創始者は、明治25年(1892年)に中国福建省福州から長崎に渡ってきた「陳平順」です。この「四海樓」からうまれたのが、「ちゃんぽん」と「皿うどん」です。「陳平順」は、明治32年(1899年)に、明治の初めまであった「唐人屋敷」の入口付近の広馬場に中華菜館兼旅館の「四海樓」を創業しました。そして、「四海樓」で生まれたのが「支那饂飩」で、その名称も「ちゃんぽん」と変わり、長崎で最も親しまれる大衆料理へと発展していきました。「ちゃんぽん」が生まれたきっかけは、「陳平順」が中国から渡航してくる留学生のひどい食生活を見るに見かねて、どうにかしたいと知恵を絞り考案したのが「ちゃんぽん」だそうです。安くてボリュームがあり栄養満点の「ちゃんぽん」は、留学生の食生活向上に役立ったばかりか、たちまち長崎の中華街にひろまっていったそうです。「四海樓」を訪れた有名人は数知れません。「五木寛之」、「永六輔」、「清水崑」、「山崎朋子」、「新珠三千代」、「吉屋信子」など枚挙に遑がありません。そして、昭和31年(1954年)に「常陸宮殿下」、昭和52年(1977年)には「浩宮さま」(今上天皇陛下)も訪れ、ふたりとも「皿うどん」をお代わりされたそうです。
    「四海樓」は、路面電車の「大浦天主堂」電停で降り、「クラバー通り」を進むと公営駐車場の隣にある中国風の立派なビルです。建物の一階には、入場料無料の「ちゃんぽんミュージアム」があります。この「ちゃんぽんミュージアム」には、「四海樓」と「ちゃんぽん」、「皿うどん」の歴史を物語る資料が数多く展示されています。そして、「四海樓」は、稲佐山を背景に長崎港、長崎の市街地が一望できるビルの5階にある展望レストランです。正面入口の階段を上り2階に行くと右手にエレベーターがあります。このエレベーターを使い5階に行く訳ですが、何とエレベーターの階層表示のボタンは漢数字の表記でした。開店とほぼ同時の17時10分頃に行きましたが、運よく並ばずに席につくことができました。そして、ラッキーなことに案内されたテーブルも窓際の眺望が抜群の特等席でした。もちろん注文したのは、元祖であり1番人気の「ちゃんぽん」と「皿うどん」、そして、私は紹興酒のロックを注文しました。店の方の心遣いは素晴らしいもので、何も言わなくても家内とシェアーする「ちゃんぽん」用のボールと「皿うどん」用のお皿を持って来てくれました。最初に「ちゃんぽん」、次に「皿うどん」が運ばれてきました。「ちゃんぽん」と「皿うどん」はイメージしていたものとは全く違っていました。東京で食べる「ちゃんぽん」と「皿うどん」と違い、スープとアンが牛乳のように白濁です。私が撮った写真は、夕陽が差し込んでいるせいで幾分赤みがかって見えますが、本当に牛乳か生クリームで作ったようにスープとアンは、真っ白な色をしていました。そして「ちゃんぽん」には、錦糸卵がたっぷりと載せてありました。家内と顔を見合わせ、これが本場の「ちゃんぽん」と「皿うどん」かとハーモニーしてしまいました。「ちゃんぽん」と「皿うどん」の具材も、肉、魚介類、野菜など豊富に入っていて、これなら栄養のバランスもとれ、明日への活力を生み出してくれるものだと思いました。若干甘めの優しい味だったので、テーブルにある酢と胡椒を加えてみると、全く別物に味変しました。量も結構あったので満腹になりました。帰り間際に会計のところで、牛乳が使っているのか訊いたところ企業秘密だそうです。これからホテルの無料シャトルバスに乗るために、路面電車で「JR長崎駅」へ戻ります。

    01_【「四海樓」の一口メモ】
    ⑴ 所在地…〒850-0921 長崎県長崎市松が枝町4-5  電話:095-822-1296
    ⑵ 営業時間…11:30~15:00(最終入店14:30)、17:00~20:00(最終入店19:30)
    ⑶ 定休日…不定休
    ⑷ ちゃんぽんミュージアム…11:30~20:00 ※見学無料

    02_【「四海樓」へのアクセス】
    ⑴ 路面電車を利用して
    ★乗車経路:[長崎駅前]⇒[新地中華街](乗換)⇒[大浦天主堂]
    ★乗換:≪長崎電気軌道1系統「崇福寺行」≫⇒≪長崎電気軌道5系統「石橋行」≫
    ① [長崎駅前]⇒[新地中華街]まで
    ・路面電車のりば:「JR長崎駅」東口から「新浦上街道」に向かうと歩道橋がありその下にあります。
    ・4停留所目(「出島」の次の停留所) 所要時間約7分 
    ・9時から17時の間に1時間平均17~18便
      ② [新地中華街](乗換)⇒[大浦天主堂]
    ・3停留所目(「大浦海岸通」の次の停留所) 所要時間約7分 
    ・9時から17時の間に1時間平均6~7便
    ・「大浦天主堂」電停で下車し、「四海樓」まで徒歩2分120mほど
    →路面電車を降りると「大浦天主堂下信号」があるので左手に進みます。80mほど進むと右手に五階建ての立派な「四海樓」のビルがあります。
    ⑵ バスを利用して
    [長崎駅前東口]⇒[大浦天主堂下] ≪長崎バス 大浦線[60] 国立長崎病院行)行:長崎バス≫
    ・9停留所目(「メディカルセンター」の次の停留所) 所要時間約13分 
    ・9時から17時の間に1時間平均1便 ★17時のみ5~7便
    ・「大浦天主堂下」バス停で下車し、「四海樓」まで徒歩2分120mほど
    →「大浦天主堂下」バス停で下車し、「大浦天主堂下信号」があるので左手に進みます。80mほど進むと右手に五階建ての立派な「四海樓」のビルがあります。

    旅行時期
    2024年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    一人当たり予算
    5,000円未満
    利用形態
    ディナー
    コストパフォーマンス:
    4.0
    この値段なら非常にリーズナブルだと思います。
    サービス:
    4.0
    何も言わなくても家内とシェアーする「ちゃんぽん」用のボールと「皿うどん」用のお皿を持って来てくれました。
    料理・味:
    4.5
    具材も、肉、魚介類、野菜など豊富に入っていて、これなら栄養のバランスもとれ、明日への活力を生み出してくれるものだと思いました。

  • お薦めの眺望は、旧三菱第2ドッグハウスの二階ベランダから長崎の街、港、稲佐山を一望できる眺めでした。

    投稿日 2024年07月11日

    グラバー園 長崎市

    総合評価:4.0

    長崎県長崎市にある「グラバー園」についての情報を発信していきます。今回、「グラバー園」を訪れたのは2024年6月21日です。「グラバー園」へのアクセスは、路面電車が便利です。「長崎駅前」から路面電車に乗り、「新地中華街」で乗り換え「大浦天主堂」電停で降りると「大浦天主堂下信号」があるので左手に進みます。150mほど進むと「ファミリーマート長崎グラバー通り店」があるので、そこの角を左折し、200mほど坂を上り進むと正面に「大浦天主堂」があります。「大浦天主堂」のところを右折し50mほど進むと左手に「グラバー園」の入口があります。
    「グラバー園」は、南山手の丘に位置し、稲佐山を背景に長崎港を眺望することができます。「グラバー園」には、「大浦天主堂」の近くにある「グラバー園正面入口」と「石橋」方面のグラバースカイロードの垂直エレバーターからの「グラバー園第2ゲート」の二つの入口があります。やはり個人的にお薦めなのは、「大浦天主堂」を見学した後に「グラバー園正面入口」から入園する方法でしょう。「グラバー園正面入口」の坂を上った時、前方に階段が見えました。また、坂と石段があるのかとぞっとしましたが、少し上るだけでその先には動く歩道やエスカレーターがあり、ホッとしました。
    「グラバー園」には、スコットランドの貿易商人である「トーマス・ブレーク・グラバー」の邸宅をはじめ、3棟の国指定重要文化財と長崎市内に点在していた貴重な伝統的建造物が移築復元されています。「国指定重要文化財」は、「旧グラバー住宅」、「旧リンガー住宅」、「旧オルト住宅」の三つですが、残念ながら「旧オルト住宅」は改装中で見学することはできませんでした。次のような順路で「グラバー園」を散策しました。そして、特にお薦めな眺望は、「旧三菱第2ドッグハウス」の二階ベランダから眺める眺望でした、長崎市のランドマークである「稲佐山」を背景に「長崎港」を一望できる絶好のロケーションでした。ちなみに「旧三菱第2ドッグハウス」は「グラバー園」で一番高いところにある建物です。

    【「グラバー園」のお薦め見学ルート】
    ①《旧三菱第2ドッグハウス》⇒②《高島流和砲》⇒③《旧長崎高商 表門衛所》⇒④《旧長崎地方裁判所長官舎(改装工事中)》⇒⑤《旧ウォーカー住宅》⇒⑥《フリーメーソンロッジの石柱》⇒⑦《旧リンガー住宅》⇒⑧《旧オルト住宅(改装工事中)》⇒⑨《旧スティール記念学校》⇒⑩《日本最初期のアスファルト道路》⇒⑪《三浦環銅像》⇒⑫《プッチーニ像》⇒⑬《自由亭喫茶室》⇒⑭《ハートストーン(石畳の中)》⇒⑮《旧グラバー住宅》⇒⑯《ハートストーン(石畳の中)》⇒⑰《日本庭園》⇒⑱《展望台》⇒⑲《ハートストーン(石畳の中)》⇒⑳《長崎伝統芸能館》

    それでは、主だった「グラバー園」の見どころ紹介したいと思います。まず、「旧グラバー住宅」は、スコットランド出身の商人「トーマス・グラバー」が、親子二代に渡り暮らした現存するわが国最古の木造洋風建築です。昭和36年(1961年)6月7日に国の重要文化財に登録されました。また、「旧グラバー住宅」は「明治日本の産業革命遺産」の構成資産にも登録されています。建築年代は文久3年(1863年)で、建築面積は主屋が510.8㎡、附属屋が129.2㎡です。建築構造は木造平屋建て、寄棟造、桟瓦葺、ベランダ付となっています。一見洋風な佇まいの「旧グラバー住宅」ですが、外観には日本瓦と土壁が使われており、和と洋の見事な調和が美しい住宅です。建築当時は住宅のそばに大きな松の木があり、それを囲むように温室があったそうです。
    次の「旧リンガー住宅」は、グラバー商会に勤め、ホーム・リンガー商会を設立した「フレデリック・リンガー」の旧邸です。昭和41年(1966年)6月11日に国の重要文化財に登録されました。建築年代は明治元年(1868年)頃で、建築面積は350.8㎡、建築構造は木造及び石造、平屋建て、寄棟造桟瓦葺となっています。「旧リンガー住宅」は、外壁には天草の砂岩、ベランダの床石にロシアのウラジオストックの御影石、屋根には瓦、そして家の3方がベランダに囲まれたバンガロー風の様式とさまざまな国の文化が見事に入り混じった造りとなっています。残念ながら改装中だった「旧オルト住宅」は、オルト商会を設立し、製茶業を営んでいた「ウィリアム・ジョン・オルト」の旧邸です。昭和47年(1972年)5月15日に国指定重要文化財に登録されました。建築年代は慶応元年(1865年)頃です。建築面積は504.1㎡、木造及び石造、平屋建て、正面車寄付、寄棟造桟瓦葺となっています。「旧オルト住宅」の特徴は、柱間が大きく、柱の装飾がないトスカーナ風の列柱が採用されていることです。ベランダ中央にあるポーチの威厳あるデザインも特徴の一つです。そして、次は、「旧ウォーカー住宅」です。「旧ウォーカー住宅」は、ウォーカー商会を設立した「ロバート・N・ウォーカー」の次男「ロバート二世」の旧邸です。建築年代は明治中期(1890年)頃で、建築面積は112㎡、木造、平屋建てとなっています。昭和49年(1974年)に移築されました。「旧ウォーカー住宅」は、もともとは大浦天主堂横の祈念坂沿いにありましたが、洋風のデザインを残す一部分のみがグラバー園へ移設されました。そして、私が眺望をお薦めした「旧三菱第2ドックハウス」は、明治29年(1896年)に「三菱造船所」(現三菱重工業株式会社長崎造船所)の第2ドックの建設時に建てられた外国人乗組員用の宿舎です。「ドック」は造船所の主要施設で、船の建造や修理を担うところです。建築面積は201㎡、木造、2階建てです。昭和47年(1972年)に移築されました。最後に、ここにも「ハートストーン」がありました「グラバー園」内には3つの「ハートストーン」があります。ハートストーンを触ると恋が叶う、2つ見つけるといいことが起こるなどさまざまなジンクスがあり、「グラバー園観光」のなかでも人気のスポットです。ただし、石畳と同化しているので見つけるのは思った以上に大変です。私は、2つだけしか「ハートストーン」を見つけることができませんでした。一つは、「自由亭」の少し手前に、もう一つは、「日本庭園」へ行く途中に見つけました。
    「グラバー園観光」を後にして、今夜の宿泊先である「ガーデンテラス長崎ホテル&リゾート」へ向かうので、路面電車を乗り継ぎ「JR長崎駅」に戻ります。

    01_【「グラバー園」の一口メモ】
    ⑴ 所在地…〒850-0931 長崎県長崎市南山手町8-1 電話:095-822-8223
    ⑵ 通常開園時間…8:00~18:00(最終入園17:40)
     ※夜間開園期間中は、開園時間が異なるので、ネット等で「夜間開園スケジュール」の確認が必要です。
    ⑶ 休館日…年中無休
    ⑷ 入場料…①一般620円 ②高校生310円 ③小・中学生180円
     ※ 第2ゲートは、カードでの支払いに対応していません。
    02_【「グラバー園」へのアクセス】
    ⑴ 路面電車を利用して
    ★乗車経路:[長崎駅前]⇒[新地中華街](乗換)⇒[大浦天主堂]
    ★乗換:≪長崎電気軌道1系統「崇福寺行」≫⇒≪長崎電気軌道5系統「石橋行」≫
    ① [長崎駅前]⇒[新地中華街]まで
    ・路面電車のりば:「JR長崎駅」東口から「新浦上街道」に向かうと歩道橋がありその下にあります。
    ・4停留所目(「出島」の次の停留所) 所要時間約7分 
    ・9時から17時の間に1時間平均17~18便
      ② [新地中華街](乗換)⇒[大浦天主堂]
    ・3停留所目(「大浦海岸通」の次の停留所) 所要時間約7分 
    ・9時から17時の間に1時間平均6~7便
    ・「大浦天主堂」電停で下車し、「グラバー園」まで徒歩5分400mほど
    →路面電車を降りると「大浦天主堂下信号」があるので左手に進みます。150mほど進むと「ファミリーマート長崎グラバー通り店」があるので、そこの角を左折し、200mほど坂を上り進むと正面に「大浦天主堂」があります。「大浦天主堂」のところを右折し50mほど進むと左手に「グラバー園」の入口があります。
    ⑵ バスを利用して
    [長崎駅前南口]⇒[グラバー園] ≪深堀・恵里・伊王島線[30] 恵里(戸町・末石町・深堀団地・長浜経由)行:長崎バス≫
    ・6停留所目(「メディカルセンター」の次の停留所) 所要時間約9分 
    ・9時から17時の間に1時間平均1便 ★17時のみ4~10便
    ・「グラバー園」バス停で下車し、「グラバー園」まで徒歩6分450mほど
    →「グラバー園」バス停で下車し、バスの進行方向と反対側に進みます。15mほど進むと一つ目の角がありますので右折します(ガソリンスタンドと旧香港上海銀行長崎支店記念館の間の道)。そのまま道なりに100mほど進むと「ファミリーマート長崎グラバー通り店」があるので、そこの角を右折し、200mほど坂を上り進むと正面に「大浦天主堂」があります。「大浦天主堂」のところを右折し50mほど進むと左手に「グラバー園」の入口があります。

    旅行時期
    2024年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    3.0
    路面電車が便利です。「長崎駅前」から路面電車に乗り、「新地中華街」で乗り換え「大浦天主堂」電停で下車します。グラバーまで徒歩5分400mほど

  • 聖堂内のステンドグラスに差し込む木漏れ日は、虹色の光に変わり教会を彩ります。

    投稿日 2024年07月11日

    大浦天主堂 長崎市

    総合評価:4.0

    長崎県長崎市南山手町にある「大浦天主堂」についての情報を発信していきます。今回、「大浦天主堂」を訪れたのは2024年6月21日です。「大浦天主堂」へのアクセスは、「長崎駅前」から路面電車に乗り、「新地中華街」で乗り換え「大浦天主堂」電停で降りると「大浦天主堂下信号」があるので左手に進みます。150mほど進むと「ファミリーマート長崎グラバー通り店」があるので、そこの角を左折し、200mほど坂を上り進むと正面に「大浦天主堂」があります。階段を上ると左手に「大浦天主堂拝観券売り場」があります。
    「大浦天主堂」は、現存する国内最古の教会です。「大浦天主堂」は、なぜ建てられた経緯は、「大浦天主堂」の建立直前の文久2年(1862年)に聖人に列せられた「日本二十六聖人」に捧げられた教会であり、「大浦天主堂」の正面は殉教の地である西坂に向けて建てられています。
    「大浦天主堂」の歴史を紐解いてみると、「大浦天主堂」は文久4年(1864年)末に完成しました。設計を指導したのは、フランス人宣教師の「フューレ」と「プティジャン」の両神父で、施工は天草の「小山秀之進」で、慶応元年(1865年)2月19日に、「大浦天主堂」の献堂式が行われました。。当初はフランス人のための教会としてスタートしました。鋭い尖塔を持つ異国風建物は、「ふらんす寺」と呼ばれて大勢が見物に押しかけたそうです。「大浦天主堂」は、昭和8年(1933年)に国宝となりましたが、原爆による損傷の修復が完了した後、現存する日本最古の教会建築として昭和28年(1953年)に再度国宝に指定されました。また、平成20年(2018年)にユネスコの世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産のひとつです。
    そして、「大浦天主堂」で忘れてはならない画期的な歴史的出来事が、慶応元年(1865年) 3月17日に起こりました。この日に、「大浦天主堂」の門の前にやってきた15人程度の人々の中から、一人の婦人が「ここにおります私どもは、皆あなた様と同じ心でございます。」と「プティジャン神父」に告白し、聖母子像の前に案内すると「サンタ・マリアさまだ」と口々にささやいたそうです。
    では、早速「大浦天主堂」に入っています。教会の入口には階段があり、階段を上ると左手に「大浦天主堂拝観券売り場」があるので、ここでチケットを購入します。そして、また、階段があり上ると左手に「信徒発見記念碑」があります。当日は、「長崎港」に中国の客船が停泊していたので、中国人の観光客が大勢いました。そしてさらに階段を上ると「大浦天主堂」の「聖堂」入口になります。「聖堂」入口前には、「日本之生母 信徒発見記念」と台座に刻まれたマリア様が出迎えてくれます。これより先の「聖堂」内は、残念ながら写真撮影は禁止です。聖堂」内に入り天井を見上げると本格的な「リブ・ヴォールト天井」になっていました。ちなみに「リブ・ヴォールト」とは、ゴシック建築でよく用いられた天井の様式のひとつです。「聖堂」内の両側のステンドグラスに差し込む木漏れ日は、虹色の光に変わり教会をさらに彩り、幻想的な雰囲気を醸し出していました。「聖堂」内では、「大浦天主堂」の歴史などの説明のアナウンスが流れているので、厳かな雰囲気の中、席に座ってゆっくりと説明を聞くことができます。「聖堂」を出て、左手に進むと、かつては「旧羅典神学校」や「旧長崎大司教館」であった建物が、「キリシタン博物館」として生まれ変わり開館しています。長崎のキリシタン関連資料が展示されており、歴史上重要な資料を数多く見ることができます。「大浦天主堂」の後は、今日の最後の目的地である「グラバー園」に向かいます。

    01_【「大浦天主堂」の一口メモ】
    ⑴ 所在地…〒850-0931 長崎県長崎市南山手町5-3 電話:095-823-2628
    ⑵ 内覧時間…8:30~18:00(最終入館17:30)
    ⑶ 拝観料…①大人1,000円 ②中高生400円 ③小学生300円

    02_【「大浦天主堂」へのアクセス】
    ⑴ 路面電車を利用して
    ★乗車経路:[長崎駅前]⇒[新地中華街](乗換)⇒[大浦天主堂]
    ★乗換:≪長崎電気軌道1系統「崇福寺行」≫⇒≪長崎電気軌道5系統「石橋行」≫
    ① [長崎駅前]⇒[新地中華街]まで
    ・路面電車のりば:「JR長崎駅」東口から「新浦上街道」に向かうと歩道橋がありその下にあります。
    ・4停留所目(「出島」の次の停留所) 所要時間約7分 
    ・9時から17時の間に1時間平均17~18便
      ② [新地中華街](乗換)⇒[大浦天主堂]
    ・3停留所目(「大浦海岸通」の次の停留所) 所要時間約7分 
    ・9時から17時の間に1時間平均6~7便
    ・「大浦天主堂」電停で下車し、「大浦天主堂」まで徒歩4分350mほど
    →路面電車を降りると「大浦天主堂下信号」があるので左手に進みます。150mほど進むと「ファミリーマート長崎グラバー通り店」があるので、そこの角を左折し、200mほど坂を上り進むと正面に「大浦天主堂」があります。階段を上ると左手に「大浦天主堂拝観券売り場」があります。

    旅行時期
    2024年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    3.0
    長崎駅から路面電車を乗り継ぎます。「大浦天主堂」電停で下車し、「大浦天主堂」まで徒歩4分350mほどです。
    人混みの少なさ:
    2.5
    観光名所だけあって大勢の観光客でにぎわっています。
    見ごたえ:
    4.0
    「聖堂」内の両側のステンドグラスに差し込む木漏れ日は、虹色の光に変わり教会をさらに彩り、幻想的な雰囲気を醸し出していました。

  • 隠元禅師を描いた山門左側にある絵はインパクトがあります。興福寺は南京寺、あか寺とも呼ばれています。

    投稿日 2024年07月11日

    興福寺 長崎市

    総合評価:4.0

    長崎県長崎市にある「興福寺」についての情報を発信していきます。今回、「興福寺」を訪れたのは2024年6月21日です。「興福寺」へのアクセスは、「長崎駅前」から長崎電気軌道3系統「蛍茶屋行」に乗車し、「市役所」電停で下車します。「市役所」電停から「興福寺」まで徒歩5分350mほどです。路面電車の進行方向へ道なりに「桜町通り」を170mほど直進します。「長崎市民会館」を過ぎると「中島川」に架かる「芊原橋」があります。「芊原橋」を渡り右斜めにある道に入ります。130mほど進むと突き当りになり、左右に走る通りが「寺町通り」で、左折し90mほど進むと右手に「興福寺」の「山門」があります。特徴的な朱色の「隠元禅師」が描かれた「山門」を潜り境内に入ります。

    【「興福寺」の参拝巡路】
    ①《山門》⇒②《中島聖堂遺構》⇒③《三江会所門》⇒④《東明燕(庭園)》⑤《大雄宝殿(本堂)》⇒⑥《瑠璃燈と金色の関帝(関羽)像》⇒⑦《媽姐堂》

    最初に「興福寺」の歴史を紐解いてみると、「興福寺」は「南京寺」、「あか寺」とも呼ばれ、元和6年(1620年)に、中国の南京地方出身者が、「真円」を開基に迎え「媽姐堂・仏殿」を建てたのがはじまりです。「興福寺」は、わが国最初の唐寺で、かつ「日本黄檗宗」の発祥の地です。江戸時代初期の長崎は中国から渡航してきた貿易商が多く、彼らが出身地別に寺院の建立を求めたそうです。「興福寺」もそのひとつです。また、自分たちがキリスト教徒ではないことの証明と、海の守護神「媽祖」を祀ることを目的に唐寺を建立し、菩提寺としました。第2代住職で「眼鏡橋」を架橋した「黙子如定」は、寛永9年(1632年)に「本堂」である「大雄宝殿」を建立しました。その後火災や暴風で大破しましたが、明治15年(1883年)に再建されました。そして、第3代住職「逸然」は漢画を日本に伝え、のちの画家たちに影響を与えた人物です。「山門」脇に描かれた第4代住職の「隠元禅師」は、インゲン豆や野菜果物、印鑑に木魚、煎茶や普茶料理などを中国から持ち込み、日本文化に多大なる影響を与えたそうです。特筆すべきは、「興福寺」の境内には国指定重要文化財の「大雄宝殿」や「旧唐人屋敷門」、県指定有形文化財の「媽祖堂」や「鐘鼓楼」、「三江会所門」や「山門」などの文化財の宝庫です。

    まず、長崎一の大きさを誇る「山門」は、二間三戸八脚の入母屋造単層屋根・総朱丹塗りの豪壮な造りとなっています。「山門」は、当初、承応3年(1654年)に「隠元禅師」が長崎に滞在していたときに、全国より寄せられた寄進により建てられました。しかし、9年後の寛文3年(1663年)3月8日に発生した「長崎大火」で「山門」など全焼しました。現在の「山門」は、元禄3年(1690年)に、日本人工匠の手で再建されたもので和風様式を基調としています。原爆で大破しましたがその後復元しました。「山門」の上部に掛けられている二つの扁額「初登宝地」、「東明山」は「隠元禅師」の筆によるものです。「山門」は、昭和34年(1959年)1月9日に長崎県の有形文化財に指定されました。
    次に、「山門」を入り右方向に進むと、長崎市が所有している「中島聖堂遺構大学門」があります。「中島聖堂」は、正保4年(1647年)に儒者の「向井元升」が私財を投じて聖堂、学舎を創設しました。。長年、「中島川」のほとりにあったので「中島聖堂」と呼ばれていました。明治元年(1868年)に廃滅し、昭和34年(1954年)に、「大学門」(杏檀門)と規模を縮小した大成殿を「興福寺」境内に移築・保存し現在に至っています。「大学門」には、中国では縁起ものとなるコウモリの穴がデザインされていました。「中島聖堂遺構大学門」は、昭和35年(1960年)3月22日に長崎県の有形文化財に指定されました。
    「中島聖堂遺構大学門」の左隣には、「三江会所門」があります。三江というのは、中国の江南省、浙江省、江西省の3省のことをいいます。三江出身の中国人にとって、「興福寺」は創建以来の菩提寺でした。明治元年(1868年)に「唐人屋敷」の処分が始まり、同地方出身者が明治11年(1879年)に「三江会」を設立し、事務所を「興福寺」内に設置しました。しかし、昭和20年(1945年)の原爆で大破し、撤去されてしまいました。そのため現在では「三江会所門」のみが現存しています。「大雄宝殿」と同様に細部に用いられている純中国式の建築技法を特徴とします。そして、ここでの注目すべきポイントは「豚返し」と「東明燕」です。「三江会所門」入口に設けられた敷居は高く、これは、豚などが門内に入らないよう工夫した「豚返し」と呼ぶ中国の様式で、放し飼いにされていた豚が門内に侵入できないための仕組みです。もちろん、人が出入りできるよう二段式で上部が取り外せるそうです。次に、「三江会所門」を潜るとその先に、手入れが行き届いた見事な小庭園が視界に入ってきます。これが、「東明燕」で、三江会所跡に造成されたものです。江戸時代に造られた黄檗池、竹林など素晴らしい光景が目の前に広がります。「三江会所門」は、昭和35年(1960年)3月28日に長崎県の有形文化財に指定されました。
    次が、「大雄宝殿」(本堂)です。「大雄宝殿」は、寛永9年(1632年)に第二住職である「黙子如定」禅師が建立しました。その後、「大雄宝殿」は、大火や天災の惨禍から、幾度もの再建を繰り返してきました。現在の「大雄宝殿」は、明治16年(1883年)に再建したものです。ほとんどが中国工匠による純粋の中国建築で、資材も中国より運送したものだそうです。「大雄宝殿」で否が応でも目を引いたのは、「隠元禅師」筆の「大雄宝殿」と大書した「扁額」です。それと「大雄宝殿」の中国建築様式で、見逃してはならないのが、堂外の前廊にある蛇腹に組まれた「黄檗天井」と呼ばれる舟型天井と文字通り氷を砕いたような文様となっている「氷裂式組子の丸窓」です。氷裂式組子は、明末期を代表する建築様式です。屋根に目をやると魔を威嚇している狛犬の「鬼瓦」と火除けのまじないであるひょうたん型の「瓢瓶」が視界に入ってきます。また、柱や梁に彫られた人物、鳥獣、花などの彫刻も技術の高さが伺え見とれてしまうほど精巧に作られています。ちなみに、「本堂」を「大雄宝殿」と呼ぶのは「釈迦」(大雄)を本尊として祀ることからきているそうです。次に、堂内に目をやると、金色に輝く「関帝像」が安置されています。中国では商業の神として崇拝されているそうです。そして、堂内中央には、高さ2.18メートルの巨大な「瑠璃燈」が吊り下げられています。そして、「大雄宝殿」は、中国南方建築の代表作とされ、明治時代の建築でありながら、戦前より国宝に指定され、平成5年(1993年)1月23日には国の重要文化財に指定されています。ちなみに堂内は撮影禁止です。
    最後になりますが、「大雄宝殿」に向かって左手にあるのが「媽祖堂」です。「媽祖」は、「まそ」又は「ぼさ」と読み、中国南部で篤く信仰される航海の神のことで、その媽祖像を祀るのが「媽祖堂」です。長崎にやってくる唐船には守護神である「媽祖」が祀られ、船が長崎に入港し、荷役を終えて出航するまでの間大切な「媽祖」を安置して礼拝するお堂が必要となり、「媽祖堂」を建てたのが始まりだといわれています。「媽祖堂」の建築様式は、和風建築を基調としながらも、「隅屋根の反り」、「黄檗天井の前廊」、「内外装の鮮やかな朱丹塗」などの中国様式が違和感なく溶け込んだ重厚な造りとなっています。ここも堂内は撮影禁止です。
    現在時間15時40分です。だいぶ押されてきましたので、次の目的地である「大浦天主堂」にタクシーで向かうことにしました。

    01_【「興福寺」の一口メモ】
    ⑴ 所在地…〒850-0872 長崎県長崎市寺町 4番32号 電話:095-822-1076
    ⑵ 営業時間… 7:00~17:00 無休
    ⑶ 入場料…①大人300円 ②中・高生200円 ③小学生100円

    02_【「興福寺」へのアクセス】
    ⑴ 路面電車を利用して
    ① [長崎駅前]⇒[市役所]≪長崎電気軌道3系統「蛍茶屋行」≫
    ・路面電車のりば:「JR長崎駅」東口から「新浦上街道」に向かうと歩道橋がありその下にあります。
    ・2停留所目(「桜町」の次の停留所) 所要時間約4分 
    ・9時から17時の間に1時間平均10~11便
    ・「市役所」電停で下車し、「興福寺」まで徒歩5分350mほど
    →路面電車の進行方向へ道なりに「桜町通り」を170mほど直進します。「長崎市民会館」を過ぎると「中島川」に架かる「芊原橋」があります。「芊原橋」を渡り右斜めにある道に入ります。130mほど進むと突き当りになり、左右に走る通りが「寺町通り」で、左折し90mほど進むと右手に「興福寺」の「山門」があります。

    旅行時期
    2024年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    3.0
    長崎駅から長崎電気軌道3系統「蛍茶屋行」で2停留所目、所要時間約4分、「興福寺」まで徒歩5分350mほど
    人混みの少なさ:
    2.5
    寺町通りではあまりすれ違う人がいませんでしたが、境内には沢山の参拝客がいました。
    見ごたえ:
    4.0
    やはり大雄宝殿ですね。中国南方建築の代表作とされ、明治時代の建築でありながら、戦前より国宝に指定されています。

  • 展示品もさることながら、坂本龍馬のポーズをまねして、記念撮影できる台もあります。

    投稿日 2024年07月11日

    長崎市亀山社中記念館 長崎市

    総合評価:4.0

    長崎県長崎市にある「亀山社中記念館」についての情報を発信していきます。今回、「亀山社中記念館」を訪れたのは2024年6月21日です。
    「風頭公園」や「亀山通り」、「龍馬通り」など人とほとんどすれ違いませんでしたが、「亀山社中記念館」には、かなりの人が来館していました。「坂本龍馬」の人気の根強さを感じました。「亀山社中記念館」は、木の門があります。門を潜り10mほど進むと左手に入口があり、靴を脱いで受付で入館料を払います。
    「亀山社中」の歴史を紐解いてみると、「亀山社中」は日本初の商社とされ、慶応元年 (1865年)に薩摩藩や長崎の豪商「小曽根家」の援助を受け、「坂本龍馬」が中心となって同志20数人により結成組織されました。「亀山社中」は、日本初の「商社兼私設海軍」で、貿易会社と政治組織を兼ね、徳川幕府の倒幕を目的とした活動を行うとともに、「グラバー商会」と銃器の取引を開始し、藩に武器を卸す商業活動や物資の輸送や航海訓練なども行いました。また、険悪だった薩摩藩と長州藩の関係回復の仲介をし、薩長同盟の締結に大きな役割を果たしたと言われています。「亀山社中」の名前の由来は、当時活動の拠点として借りていた民家が、もともと「亀山焼」の職人の住居として使用されていたため、その地名の「亀山」と仲間を意味する「社中」を合わせて「亀山社中」と呼ばれたそうです。その「亀山社中」の遺構として伝わる建物が、当時の姿により近い形で整備され、平成21年(2009年)から一般公開されたのが、「亀山社中記念館」です。「亀山社中記念館」の内部は、10畳、8畳、3畳の部屋と土間に分かれており、隠し部屋と思われる中二階は、はしごを上って中を見学することができます。私もはしごを上ってみましたが、結構な大きさがありました。どことなく殺伐な雰囲気の隠し部屋でした。また、「坂本龍馬」のブーツのレプリカやピストル、書簡の写し、「亀山社中」の志士達の写真などゆかりの品々が展示されています。ちなみに、「亀山社中記念館」の名誉館長は「坂本龍馬」の大ファンである俳優の「武田鉄矢」だそうです。そして、「坂本龍馬」がもたれかかって座っていたと伝えられる柱などが再現されていました。「坂本龍馬」の写真といえばまず、台に腕をかけた写真が思い出されます。写真は日本で初めて商業写真館を開業した「上野彦馬」の撮影スタジオで撮影されたものです。「亀山社中記念館」には、スタジオにあった台のレプリカが設置されていました。ここで家内と交代で、「坂本龍馬」のポーズをまねして、お互いの記念撮影をしました。ちなみに、当時、撮影をするには長時間動いてはいけなかったので、身体を固定するためにこの台を使っていたそうです。また縁側に出ることはできませんでしたが、長崎の街と港が一望できます。次が、「亀山社中記念館」が徒歩1分15mほどのところのポケットパークにある「龍馬のぶーつ像」へ向かいます。

    01_【「長崎市亀山社中記念館」一口メモ】
    ⑴ 所在地…〒850-0802 長崎県長崎市伊良林2丁目7-24 電話:095-823-3400
    ⑵ 営業時間…9:00~17:00(最終入館は16:45)
    ⑶ 休館日…無休
    ⑷ 入館料…①大人310円 ②高校生200円 ③小・中学生150円

    02_【「長崎市亀山社中記念館」へのアクセス】
    ⑴ 路面電車を利用して
    ① [長崎駅前]⇒[新大工町]≪長崎電気軌道3系統「蛍茶屋行」≫
    ・路面電車のりば:「JR長崎駅」東口から「新浦上街道」に向かうと歩道橋がありその下にあります。
    ・4停留所目(「諏訪神社」の次の停留所) 所要時間約10分 
    ・9時から17時の間に1時間平均10~11便
    ・「新大工町」電停で下車し、「元亀山社中記念館」まで徒歩10分600mほど
    ⑵ バスを利用して
    ① [長崎駅前南口]⇒[風頭山]≪矢の平線[70]田上ゆき [大波止:中川町:風頭山:白木経由]:長崎バス≫
    ・バスのりば:「JR長崎駅」東口の「歩道橋」があるので、「歩道橋」を上り「ホテルニュー長崎」方面に向かいます。「大波止め通り」を横切る「歩道橋」を降りるとすぐ先にあります。
    ・14停留所目(「愛宕団地前」の次の停留所) 所要時間約21分 
    ・9時から17時の間に1時間平均1便 ★15時のみ2便
    ・「風頭山」バス停で下車し、「亀山社中記念館」まで徒歩17分850mほど
    ② [長崎駅前東口]⇒[風頭山]≪風頭山線[50] 風頭山ゆき [市役所上:愛宕町経由]:長崎バス≫
    ・17停留所目(「愛宕団地前」の次の停留所) 所要時間約21分 
    ・9時から17時の間に1時間平均1便 ★17時のみ2便
    ・「風頭山」バス停で下車し、「亀山社中記念館」まで徒歩17分850mほど

    旅行時期
    2024年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    3.0
    長崎駅からバスを利用することをお薦めします。「風頭山」バス停で下車し、「亀山社中記念館」まで徒歩17分850mほどです。

  • 坂本龍馬は今でもここ風頭山の山頂から長崎市内を眺めています。素晴らしい眺望でした。

    投稿日 2024年07月11日

    風頭公園 長崎市

    総合評価:4.0

    長崎県長崎市伊良林にある「風頭公園」についての情報を発信していきます。今回、「風頭公園」を訪れたのは2024年6月21日です。「風頭公園」へのアクセスは、「長崎バス」を利用するのが便利です。「JR長崎駅」東口の「歩道橋」があるので、「歩道橋」を上り「ホテルニュー長崎」方面に向かいます。「大波止め通り」を横切る「歩道橋」を降りるとすぐ先に「長崎駅前南口」バス停があります。「風頭山」バス停で下車し、そこから右方向に200mほど進むと4つ目の角があり「風頭公園」、「亀山社中跡」の案内板がありますので、そこを右折し100mほど進むと左手に「風頭公園ハタ揚げ広場」があります。
    「風頭公園」は、長崎港を望む標高151.9mの「風頭山」にあり、長崎名物「ハタ揚げ(凧揚げ)」の名所として有名です。春には、約350本の桜、初夏には約2,500本ものあじさいが咲き誇り、四季折々の花々が楽しめます。春には「風頭公園桜まつり」が行われ、夜はぼんぼりが灯され、ライトアップされ幻想的な雰囲気を醸し出すそうです。私たちが行った日には、まだ、もう少しで散りはじめだと思いますが、あじさいの花がきれいに咲き誇っていました。その美しく咲き誇る姿を見ると疲れが癒されました。
    お目当ての「坂本龍馬之像」は、「風頭公園」の「小広場」にあります。そして、そこには腕組みをしてブーツを履き長崎湾を眺める「坂本龍馬之像」があります。この「坂本龍馬之像」は、平成元年(1989年)に長崎在住の彫刻家である「山崎和國」によって製作され、市民の募金により建てられたそうです。また、この「坂本龍馬之像」は、「坂本龍馬」本人に良く似ていると評判です。「風頭公園」周辺には、「坂本龍馬」の姿をカメラに収めた日本最初の職業写真家「上野彦馬の墓」や「風頭公園ハタ揚げ広場」の先には、「長崎ハタ資料館( 小川ハタ店)」もあります。

    01_【「風頭公園」の一口メモ】
    ① 所在地…〒850-0802 長崎県長崎市伊良林3丁目4-510
    ② 電話:095-821-095-829-1184(長崎市地域整備2課)

    02_【「風頭公園」へのアクセス】
    ⑴ バスを利用して
    ① [長崎駅前南口]⇒[風頭山]≪矢の平線[70]田上ゆき [大波止:中川町:風頭山:白木経由]:長崎バス≫
    ・バスのりば:「JR長崎駅」東口の「歩道橋」があるので、「歩道橋」を上り「ホテルニュー長崎」方面に向かいます。「大波止め通り」を横切る「歩道橋」を降りるとすぐ先にあります。
    ・14停留所目(「愛宕団地前」の次の停留所) 所要時間約21分 
    ・9時から17時の間に1時間平均1便 ★15時のみ2便
    ・「風頭山」バス停で下車し、「風頭山」まで徒歩4分500mほど
     →「風頭山」バス停から右方向に200mほど進むと4つ目の角があり「風頭公園」、「亀山社中跡」の案内板がありますので、そこを右折し100mほど進むと左手に「風頭公園ハタ揚げ広場」があります。
    ⑵ 「JR長崎駅」かもめ口から徒歩40分2700mほど

    旅行時期
    2024年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)

  • 茶碗蒸しと蒸寿しのついたミニ卓袱がお薦めです。まさに、一挙両得で長崎の名物が食べられます。

    投稿日 2024年07月11日

    吉宗 本店 長崎市

    総合評価:4.0

    長崎県長崎市にある「元祖茶碗むし 吉宗浜町本店」についての情報を発信していきます。今回、「元祖茶碗むし 吉宗浜町本店」を訪れたのは2024年6月21日です。
    「元祖茶碗むし 吉宗浜町本店」へのアクセスは、路面電車を利用すると便利です。な「長崎駅前」から長崎電気軌道1系統「崇福寺行」に乗り、「観光通」電停で下車すると横断歩道があります。右手に「ベルナール観光通り商店街」のアケードが見えます。そこを140mほど直進すると三つ目の十字路の右手に「吉宗」のテイクアウト店がありますので、そこを右折し30mほど進むと風情ある店構えの「元祖茶碗むし 吉宗浜町本店」が右手にあります。
    「吉宗」の歴史を紐解いてみると、慶応2年(1866年)に、長崎市万屋町で「吉田宗吉信武」が「吉宗」を屋号に、茶碗むし・蒸寿し専門の店として開業したのが始まりだそうです。また、茶碗むしは、寛政年間京・大阪ではじまり、次第に江戸や長崎に広まっていったとされています。お盆に、茶碗むしだけでなく、酢飯を蒸し、あなごのかば焼き、魚のおぼろ、卵焼きをのせた蒸し寿司を添えた、「吉宗」オリジナルの「夫婦むし」はひと揃いの茶碗むしとして、現在にそのまま受け継がれているそうです。そして、「吉宗本店」は、昭和2年(1927年)に建てられた歴史的建造物ともいえる建物です。当日は、やってもらえませんでしたが、木札を鳴らしご来客を伝える昔ながらの出迎えをするらしいです。
    「元祖茶碗むし 吉宗浜町本店」に着いた時刻は、13時00分頃で、15人ほど並んでいました。順番を記帳する表はなく、ただ並んでいるだけです。20分ほど待ち店内に入れました。店内に入ると歴史と伝統を感じる造りでした。食事は一階と二階があり、一階の席に通されました。女性の店員の方は愛想がよく、とても丁寧な応対でした。事前にメニューは、ネットで調べて注文するものは決めておきました。せっかく長崎に来たのだから茶碗蒸しだけでなく、卓袱も食べたかったので、「ミニ卓袱(小茶碗むし、小蒸寿しセット)8品4,070円」を頼みました。「一の膳」で「お刺身の盛り合わせ」が出てきました。さすが海に近い長崎だけあって、生臭さは全くなく、新鮮そのもので、身もプリプリしていました。次は、「二の膳」です。酢の和え物、角煮、揚げ物、メロン、そして楽しみにしていた名物の「茶碗むし」、「蒸寿し」のセットが出されました。そして、最後のデザートはお汁粉です。温かいと冷たいお汁粉をチョイスできます。全ての料理に舌づつみをうち満足感を得られました。この中で気になったものがありました。揚げ物がとても美味しかったのです。デザートが運ばれてきたときに、店員のかたに訊いてみると長崎名物「ハトシ」だそうです。家内と顔を見合わせ、口を揃えてこれが「ハトシ」といいました。ちなみに、「ハトシ」は、明治時代に清国から長崎に伝わった料理で、エビのすり身を食パンで挟み、それを油で揚げて作る料理で、当初は円卓を囲む卓袱料理のなかの一品となっていると教えてもらいました。お腹も満たされたので、次の目的地である「亀山社中エリア」へ向かいます。

    01_【「元祖茶碗むし 吉宗浜町本店」の一口メモ】
    ⑴ 所在地…〒850-0853 長崎県長崎市浜町8-9  電話:095-821-0001
    ⑵ 営業時間
    ①11時~15時半(14時30分オーダーストップ) ②17時~20時30分(19時30分オーダーストップ)
    ⑶ 定休日…毎週月・火曜(祝日・繁忙期は除く)、1月1日、8月15日、12月31日

    02_【「元祖茶碗むし 吉宗浜町本店」へのアクセス】
    ⑴ 路面電車を利用して
    ① [長崎駅前]⇒[観光通]≪長崎電気軌道1系統「崇福寺行」≫
    ・路面電車のりば:「JR長崎駅」東口から「新浦上街道」に向かうと歩道橋がありその下にあります。
    ・6停留所目(「西浜町」の次の停留所) 所要時間約10分 
    ・9時から17時の間に1時間平均10~11便
    ・「観光通」電停で下車し、「元祖茶碗むし 吉宗浜町本店」まで徒歩3分210mほど
    ⑵ 「JR長崎駅」かもめ口から徒歩24分1700mほど

    旅行時期
    2024年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    一人当たり予算
    10,000円未満
    利用形態
    ランチ
    アクセス:
    3.5
    長崎駅前から長崎電気軌道1系統「崇福寺行」、6停留所目、 所要時間約10分です。
    コストパフォーマンス:
    3.0
    これだけの料理がこの値段ならリーズナブルです。
    サービス:
    4.5
    とても親切な応対をしてくれます。
    雰囲気:
    4.5
    伝統的な建物で、幕末を思い起こします。
    料理・味:
    4.0
    全ての料理に舌づつみをうち満足感を得られました。

  • 水面に映る眼鏡橋の双円は本当の眼鏡のようです。ハート石のチェックも忘れないように!

    投稿日 2024年07月11日

    眼鏡橋 長崎市

    総合評価:4.0

    長崎県長崎市にある「眼鏡橋」についての情報を発信していきます。今回、「眼鏡橋」を訪れたのは2024年6月21日です。「諏訪神社」から「眼鏡橋」に向かいました。徒歩で12分800mほどです。地下道を抜け道路の反対側に出ます。そのまま「国道34号線」(新長崎街道)を直進します。1つ目の信号(表示名「伊勢町」)のところにある「ホンダ薬局」を右折し、750mほど進むと「御菓子司 岩永梅寿軒」があります。そこを右折し50mほど進むと「眼鏡橋」があります。実は、小腹が空いたので「御菓子司 岩永梅寿軒」で洒落たネーミングの「舶来焼」という和菓子を買い求め、店の方もとても親切で店の中で食べさせてもらいました。「舶来焼」は、黄味あんにカステラを練り合わせたオリジナルの「カステラあん」生地でピーナッツ入りの白あんを包み、軽く焼き上げた小さな焼菓子です。
    「眼鏡橋」は、寛永11年(1634年)に、「興福寺」の第2代住職である「黙子如定」禅師が架設したとされています。「眼鏡橋」の河岸には黙子如定禅師像もあります。「眼鏡橋」の名前の由来は、川面に映る影が双円を描き「メガネ」に見えることからこの名前がついたと言われています。「眼鏡橋」は、東京の「日本橋」、山口の「錦帯橋」と並び日本三名橋に数えられます。「眼鏡橋」は、橋長22m、幅3.65m、川面までの高さは5.46mで、本来は車両の通行も可能ですが、石積みに緩みが目立つようになったことから、昭和28年(1953年)に車両の通行を禁止し、今は人道橋として使われています。「眼鏡橋」は、昭和57年(1982年)の長崎大水害で一部崩壊しましたが翌年復元され、昭和35年(1960年)2月9日に国の重要文化財に指定されています。水位が低い時は、階段を使って川縁に降り水際を散策できるようになっています。「眼鏡橋」をはじめとする中島川護岸にある「ハートストーン」は恋愛成就のパワースポットとして注目されています。ハートの上に「I」の文字も見ることができます。修学旅行生も沢山いて「ハートストーン」探しに熱中していました。「ハートストーン」をみつけた時には大きな歓声をあげていました。それと「ハートストーン」以外にも大発見をしました。「中島川」の両岸の石垣の隙間にカニを発見しました。それも一匹だけでなく石垣の隙間の至る所にいました。たくましく生きるカニの姿をみてほっこりした気分になりました。また、長崎の冬の風物詩の「ランタンフェスティバル」の時期には、「眼鏡橋」周辺も提灯で華やかに飾られ、多くの人で賑わうそうです。

    01_【「眼鏡橋」の一口メモ】
    ⑴ 所在地…〒850-0874 長崎県長崎市魚の町と諏訪町の間

    02_【「眼鏡橋」へのアクセス】
    長崎バス「中央公園前」・県営バス「親和銀行前」下車徒歩2分
    ⑴ 路面電車を利用して
    ① [長崎駅前]⇒[市役所]≪長崎電気軌道3系統「蛍茶屋行」≫
    ・路面電車のりば:「JR長崎駅」東口から「新浦上街道」に向かうと歩道橋がありその下にあります。
    ・2停留所目(「桜町」の次の停留所) 所要時間約5分 
    ・9時から17時の間に1時間平均6~7便
    ・「市役所」電停で下車し、「眼鏡橋」まで徒歩4分300m
    ② [長崎駅前]⇒[市役所]≪長崎電気軌道3系統「蛍茶屋行」≫ 
       ⇒★「市役所」電停で乗換
    [市役所]⇒[めがね橋]≪長崎電気軌道5系統「石橋行」≫
    ・路面電車のりば:「JR長崎駅」東口から「新浦上街道」に向かうと歩道橋がありその下にあります。
    ・3停留所目(「桜町」の次の停留所) 所要時間約12分 
    ・9時から17時の間に1時間平均6~7便
    ・「めがね橋」電停で下車し、「眼鏡橋」入口まで徒歩4分300m
    ⑵ 「JR長崎駅」かもめ口から徒歩19分1300m

    旅行時期
    2024年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.0
    長崎電気軌道3系統「蛍茶屋行」で、2停留所目、 所要時間約5分ほどです。
    人混みの少なさ:
    2.0
    修学旅行生がたくさんいました。お目当てはやはりハートストーンのようです。
    見ごたえ:
    4.0
    「眼鏡橋」は、東京の「日本橋」、山口の「錦帯橋」と並び日本三名橋に数えられます。

  • 長く続く石段を上り終えると、長崎市内を臨む素晴らしい眺望が待ち構えています.

    投稿日 2024年07月11日

    諏訪神社 長崎市

    総合評価:4.0

    長崎県長崎市上西山町にある「諏訪神社」についての情報を発信していきます。今回、「諏訪神社」を訪れたのは2024年6月21日です。
    「長崎空港」の「5番バス乗り場」から長崎空港リムジンバスに乗ること約45分で「JR長崎駅」前へ着きました。長崎空港リムジンバスは、座席の予約は不要で、並んだ順に乗車し、運賃は後払い方式です。ただ、長崎は人気の観光地なので、長崎市内に向かう長崎空港リムジンバスは、非常に混雑し一台見送らなければならない場合もあります。当日、私の二人後ろに並んでいた人は、満席のため次のバスになってしまいました。「4番バス乗り場」からも時間はかかりますが、「長崎駅前行き」のバスが出ていますので安心してください。また、全国相互利用交通系ICカード(nimoca、Suica、PASMO、ICOCAなど)なども利用できますので便利です。ICカードを利用する場合は、乗車時(バス入口右側)と降車時(運転手側)にカード読取部に交通系ICカードをタッチします。最初の目的地は、「諏訪神社」です。「諏訪神社」へのアクセスは、「長崎駅前」電停の路面電車の長崎電気軌道3系統「蛍茶屋行」を利用すると便利です。「長崎駅前」電停から乗車して「諏訪神社」電停で下車します。「長崎駅前」寄りに「諏訪神社」へ通じる地下道がありますので、地下道を通り階段を上がると右斜め前に「諏訪神社」の第一の鳥居があります。「諏訪神社」は、「鎮西大社」と称えられ、地元では厄除け、縁結び、海上守護の神社として崇敬され「おすわさん」と親しまれる長崎の総氏神様です。「諏訪神社」の歴史を紐解いてみると、「諏訪神社」は、かつて長崎市内に祀られていた「諏訪神社」、「森崎神社」、「住吉神社」の三社を寛永2年(1625年)に、初代宮司である肥前唐津の「青木賢清」が、長崎奉行の「長谷川権六」に願い出て、西山郷円山(現在の「松森神社」)に造営し、長崎の産土神としたのが始まりです。ちなみに、「産土神」とは、日本の神の区分のひとつで、その者が生まれた土地の守護神を指し、その者を生まれる前から死んだ後まで守護する神とされています。そして、慶安元年(1648年)には徳川幕府より朱印地を得て「社殿」が造営されました。「諏訪神社」は、安政4年(1857年)の火災で、社殿のほとんどを焼失しましたが、孝明天皇の勅命により、明治2年(1869年)に約10年の歳月をかけて以前に勝るとも劣らぬ「社殿」が再建され、さらに、昭和59年(1974年)の「御鎮座360年祭」、平成6年(1994年)の「御鎮座370年祭」を記念して、二度の造営を行い現在の「社殿」が完成しました。毎年10月7~9日の3日間にわたって行われる「諏訪神社」の秋季大祭「長崎くんち」は、龍踊、鯨の潮吹き、太鼓山など豪華絢爛で異国情緒溢れ、長崎独特の文化的伝統を伝える祭として日本三大祭の一つに数えられ、昭和54年(1979年)2月3日に「国の重要無形民俗文化財」に指定されています。「長崎くんち」は、寛永11年(1634年)に、二人の遊女が「諏訪神社神」前に謡曲「小舞」を奉納したのが祭りの始まりと言われています。現在、奉納踊を披露するのは町ごとになっており、7年に一度の当番の町は「踊町」と呼ばれています。

    《「諏訪神社」のお薦め参拝巡路》
    ①《社号碑》⇒②《大灯籠》⇒③《一の鳥居》⇒④《陰陽石(男石)》⇒⑤《二の鳥居》…「松の森通り」…⇒⑥《大正四年石灯籠》⇒⑦《陰陽石(女石)》⇒⑧《四の鳥居》⇒⑨《大正十二年石碑》⇒⑩《まよひ子志らせ石》⇒⑪《大狛犬》⇒⑫《五の鳥居》⇒⑬《福沢諭吉先生之像》⇒⑭《祓戸神社》⇒⑮《大門》⇒⑯《神馬像》⇒⑰《さざれ石》⇒⑱《両性合体石》⇒⑲《拝殿》⇒⑳《止め事成就の狛犬》⇒㉑《こま犬の井戸》⇒㉒《トゲ抜き狛犬》⇒㉓《願掛け狛犬》⇒㉔《酒田恒山顕彰碑》⇒㉕《祖霊社》⇒㉖《高浜虚子句碑》⇒㉗《蛭子神社》⇒㉘《八坂神社》⇒㉙《厳島神社》⇒㉚《玉園稲荷神社》⇒㉛《齋館諏訪荘》⇒㉜《舞殿》⇒㉝《神輿庫》⇒㉞《よか獅子》⇒㉟《猪目(ハートの文様)の石垣》⇒㊱《太鼓楼》⇒㊲《病魔退散大楠》

    では、早速「諏訪神社」に参拝します。「諏訪神社」の「拝殿」に着くまでには、五つの大鳥居を潜り、石段は何段あるか数えませんでしたが、長く続く階段を上らなければなりません。「一の鳥居」の前には、両脇に「大灯籠」と左手に「社号碑」があります。次の「二の鳥居」の手前付近には、「陰陽石」である丸い形をした「男石」があります。分かりにくいので、注意して見つけてください。ちなみに、「諏訪神社」の「陰陽石」の御利益としては、参道を通る時に、男性は「女石」を、女性は「男石」を踏んだあと、「拝殿」前にある「両性合体石」を踏むと縁結びの願いが叶うとされています。「二の鳥居」を潜り、「松の森通り」を渡ると「三の鳥居」の両側に立派な「大正四年石灯籠」があります。さらに進むと「四の鳥居」がありその手前には、六角形の「陰陽石」である「女石」があります。「五の鳥居」付近には、「まよひ子志らせ石」、「大狛犬」、「福沢諭吉先生之像」、「祓戸神社」などがあります。見どころが沢山あるので、確かに長く続く石段ですが疲れを感じませんでした。「五の鳥居」を潜ると「長坂」と呼ばれる「大門」に続く坂があり、最後の石段を上れば、「大門」に到着します。「大門」は、「諏訪神社」の顔というべき門で、「大門」の下の「長坂」は、坂の町長崎を象徴するものだそうです。「大門」の内側から臨める長崎市内の眺望は絶景でした。「大門」を潜ると「拝殿」の左手に、「平和祈念像」の制作者である彫刻家の故「北村西望」の「神馬像」があります。ちなみに、この「神馬像」は故「北村西望」の102歳時の作品だそうです。100歳を過ぎてもなおこのような立派な作品を残せるとは偉大な彫刻家ですよな。そして、「拝殿」の右手には、「さざれ石」があります。ちなみに、「さざれ石」は、国歌「君が代」に「さざれ石の巌となりて」と詠われ、細かい石が長い年月をかけて固結してできた霊石のことです。また、「さざれ石」は私たち国民の一人一人をさしていて、一人の力は微力であるが、国民が力を合わせることで、大きな力(大きな巌)となることを意味しているそうです。そして、「拝殿」に進むと「陰陽石」のひし形の「両性合体石」があります。「拝殿」で参拝を終え、右方向に進むと「大門」の右手の廻廊(西回廊)のところに「本殿前休憩所」がありました。この「本殿前休憩所」の天井を見上げると「天井絵」がありました。この「天井絵」は、長崎美術協会会員75名により描かれたもので、目をなごませてくれました。実は、「西回廊」は、平成3年(1991年)9月に長崎地方を襲った台風17、19号により大門横の回廊(東西の廻廊)は倒壊してしまったそうです。そして、「伊勢神宮」の古材を利用し、平成7 年(1995年)11月に再建されました。「拝殿」と「社務所」の間の道を進んでいくと、私が興味があり、見たかった変わり種の「狛犬」のオンパレードです。「止め事成就の狛犬」、「こま犬の井戸」、「トゲ抜き狛犬」、「願掛け狛犬」と続きます。説明板によると「止め事成就の狛犬」は、昔から、家出の足止め、借金止め、受験のすべり止め、さらに禁酒禁煙などの願い事に、コヨリを狛犬の足に巻き祈願する信仰があったそうです。「止め事成就の狛犬」の右手には、小さな滝が流れている「神池」もありました。「こま犬の井戸」は、江戸時代から高麗犬の井戸と呼ばれ、名水としての評判も高く、どんな旱魃にも枯れることがなかったそうです。この水を飲めば安産に効き目があるともいわれています。また、別名「銭洗い狛犬」とも称され、この水でお金を洗えば倍に増えるとの信仰もあるそうです。私の家内もここぞとばかりにお金を取り出し洗っていました。「願掛け狛犬」は、江戸時代長崎の遊女街に登楼した船員に翌日海が荒れて出航できず、もう一晩泊ってもらうことを願い、遊女が「狛犬」を海の方向に廻して願いを懸けたことに由来するそうです。「狛犬」は廻せるそうですが壊れるんじゃないかと思い挑戦はやめました。「トゲ抜き狛犬」は、すごい顔のこの狛犬は、昔から厄払いの信仰があり、狛犬の口の中に手を触れると心に突き刺さっているトゲを抜いてくれるそうです。「トゲ抜き狛犬」の先には、「齋館諏訪荘」がありました。「諏訪荘」は、大正9年(1920年)に長崎の豪商である「永見寛二」が建築したもので、無節の日本栂材を用い、釘を一本も使用しない大正時代を代表する日本建築です。昭和11年(1936年)から「諏訪荘」の商号により和式旅館として営業を開始し、内外の著名人が多数利用したそうです。ちなみに、天皇皇后両陛下は、皇太子時代に宿泊したそうです。昭和59年(1984年)の廃業に当たり、保存を望む市民の熱意により当神社に移築奉納されたそうです。中を見学できなかったのが心残りです。「本殿」脇の坂を下ると「舞殿」、「神輿庫」があります。「神輿庫」は「東回廊」にあり、平成3年(1991年)9月に長崎地方を襲った台風17、19号により「大門」横の回廊(東西の廻廊)は倒壊してしまったそうです。しかし、「伊勢神宮」の古材を利用し、平成7 年(1995年)11月に再建されました。「神輿庫」には、神輿が3基ありました。「狛犬」のほかにもう一つ見たかったものがあります。それは「猪目(ハートの文様)の石垣」で、「社務所」の先に石垣があり、案内板も出ていたので、すぐに見つけることができました。案内板には、「神さまのいたずら?」と書いてありました。自然の力とはすごいものだと感心しました。「猪目」にふれることで御利益を得ることができるそうです。ちなみに「猪目」とは、形状そのままに「心臓型(ハート型)」とも呼ばれる文様のことだそうです。坂を下って行くと「太鼓楼」があります。「太鼓楼」は、平成の「御大典記念」として多くの氏子崇敬者の募財をもって平成4年(1992年)4月7日に完成しました。「太鼓楼」の中には、胴回り4.25メートルの「大太鼓」があり、朝夕に太鼓の音をもって、氏子地域をお祓いしているそうです。ちなみに、「御大典」とは、譲位の翌日から皇太子殿下が新天皇となられるために一連の儀式のことです。そして、「諏訪神社」の最後は、「病魔退散大楠」です。空高くそびえ立っている大楠で500~600年前のものといわれています。ここで病魔退散を願い、次の目的地の「眼鏡橋」に向かいます。

    01_【「諏訪神社」の一口メモ】
    ⑴ 所在地…〒850-0006 長崎県長崎市上西山町18-15 電話:095-824-0445
    ⑵ 御祭神 ①主祭神 諏訪大神(武神・厄除けの神) ②建御名方神 ③八坂刀売神
          ④相殿神 住吉大神(海上安全・大漁満足の神)

    02_【「諏訪神社」へのアクセス】
    ⑴ 路面電車を利用して
    [長崎駅前]⇒[諏訪神社]≪長崎電気軌道3系統「蛍茶屋行」≫
    ・路面電車のりば:「JR長崎駅」東口から「新浦上街道」に向かうと歩道橋がありその下にあります。
    ・3停留所目(「大波止」の次の停留所) 所要時間約9分 
    ・9時から17時の間に1時間平均6~7便
    ・「諏訪神社」電停で下車し、地下道で神社の参道方面へ出ます。「諏訪神社」入口まで徒歩1分50m
    ⑵ 「JR長崎駅」かもめ口から徒歩24分1600m

    03_【「諏訪神社」の見どころ】
    ⑴ 「本殿」
    安政4年(1857年)の火災で焼失しましたが、明治2年(1869年)に再建され、さらに、昭和57年(1972年)の改修工事では、桧皮から銅板への葺き替えを行いました。
    ⑵ 「祝詞殿」
    「祝詞殿」は、安政4年(1857年)の火災で焼失しましたが、明治2年(1869年)に再建され、昭和57年(1972年)の改修工事で増改築されました。
    ⑶ 「拝殿」
    「拝殿」は、明治2年(1869年)に再建された社殿を残し、それを増築する手法にて昭和58年(1973年)に増改築されました。
    ⑷ 「大門」
    「大門」は、諏訪神社の顔というべき門です。「大門」の下の坂は「長坂」と呼ばれ、坂の町長崎を象徴するものです。
    ⑸ 「太鼓楼」
    「太鼓楼」は、平成の「御大典記念」として多くの氏子崇敬者の募財をもって平成4年(1992年)4月7日に完成しました。「太鼓楼」の中には、胴回り4.25メートルの「大太鼓」があり、朝夕に太鼓の音をもって、氏子地域をお祓いしているそうです。ちなみに、「御大典」とは、譲位の翌日から皇太子殿下が新天皇となられるために一連の儀式のことです。
    ⑹ 「神馬像」(しんめぞう)
    「神馬像」は、「平和祈念像」の作者である彫刻家の故「北村西望」が102歳の時に手がけた作品です。昭和59年(1974年)の「第16回日展」に出品され、昭和天皇の「御在位60年」を記念して昭和60年(1985年)10月に奉納されたものです。「諏訪神社」には、明治3年(1870年)に三菱重工業長崎造船所の前身である長崎製鉄所より創業記念として「神馬像」が奉納されておりましたが、残念ながら大東亜戦争時に国へ供出されてしまいました。
    ⑺ 「枝垂れ桜」
    「枝垂れ桜」は、「長崎しにせ会」(長崎老舗43店の会)の30周年記念に平成元年(1989年)4月に奉納され、4月下旬から5月上旬にかけて花をつけるそうです。
    ⑻ 「さざれ石」
    「さざれ石」は、国歌「君が代」に「さざれ石の巌となりて」と詠われ、細かい石が長い年月をかけて固結してできた霊石のことです。また、「さざれ石」は私たち国民の一人一人をさしていて、一人の力は微力であるが、国民が力を合わせることで、大きな力(大きな巌)となることを意味しているそうです。
    ⑼ 「天井絵」
    「天井絵」は「西回廊」にあり、長崎美術協会会員75名により描かれたものです。実は、「西回廊」は、平成3年(1991年)9月に長崎地方を襲った台風17、19号により大門横の回廊(東西の廻廊)は倒壊してしまったそうです。「伊勢神宮」の古材を利用し、平成7 年(1995年)11月に再建されました。
    ⑽ 「神輿庫」
    「神輿庫」は「東回廊」にあり、やはり、平成3年(1991年)9月に長崎地方を襲った台風17、19号により大門横の回廊(東西の廻廊)は倒壊してしまったそうです。「伊勢神宮」の古材を利用し、平成7 年(1995年)11月に再建されました。「東回廊」に神輿3基を常時展示できる「神輿庫」を設営しました。
    ⑾ 「玉園稲荷神社」
    境内社の「玉園稲荷神社」は、商売、漁業関係の方々など多くの人々から信仰されています。例大祭日は4月9日で、毎月(十二支)「午の日」が祭り日です。
    ⑿ 「かえる岩」
    「玉園稲荷神社」の鎮座当時より本殿の上方にありました。この巨大な岩は、形がかえるに似ているころから「かえる岩」、「どんく岩」と呼ばれ、注連縄を廻して信仰されていました。ところが、昭和57年(1982年)7月23日の長崎大水害の際に、本殿の裏山が崩れて、「かえる岩」も本殿近くまですべり落ちましたが、本殿への土砂をくい止めました。このことから災難除けの「かえる岩」として信仰されているそうです。
    ⒀ 「稲荷神社の抱き大楠」
    「稲荷神社」の大楠は、「玉園稲荷神社」が創建された頃からここに自生ししていました。この玉園稲荷の神と共に生きている大楠を抱くことで稲荷の神の力が授かれるらしいので、手を大きく広げ大楠を抱いて、パワーを授かりましょう。
    ⒁ 「諏訪荘」
    「諏訪荘」は、大正9年(1920年)に長崎の豪商である「永見寛二」が建築したもので、無節の日本栂材を用い、釘を一本も使用しない大正時代を代表する日本建築です。昭和11年(1936年)から「諏訪荘」の商号により和式旅館として営業を開始し、日本三指に数えられました。内外の著名人が多数利用したそうです。ちなみに、天皇皇后両陛下には、皇太子時代に御宿泊されております。昭和59年(1984年)の廃業に当たり、保存を望む市民の熱意により当神社に移築奉納され、現在に至っております。
    ⒂ 「本殿前休憩所」
    「本殿前休憩所」にも天井絵が描かれていました。
    ⒃ 「東照宮」
    末社である「東照宮」は、徳川家歴代将軍を祀っています。かつては。「安禪寺」境内(現在の丸馬場公園一帯)に祀られていましたが、明治22年(1889年)5月に現在の地に遷座しました。
    ⒄ 「陰陽石」
    「陰陽石」は、長く続く参道の石段に配置されています。まず、参道のスタート地点にある「二の鳥居」付近にある丸い石が「男石」、「四の鳥」居付近にある六角形の石が「女石」です。さらに「拝殿」の前にはひし形の石のなかに円形の石がはめ込まれている「両性合体石」があります。「諏訪神社」の御利益としては、参道を通る時に、男性は「女石」を、女性は「男石」を踏んだあと、「拝殿」前にある「両性合体石」を踏むと縁結びの願いが叶うとされています

    旅行時期
    2024年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.0
    長崎電気軌道3系統「蛍茶屋行」で3停留所目(「大波止」の次の停留所) 所要時間約9分
    人混みの少なさ:
    4.0
    中国の客船が寄港していたので、中国の観光客が相当数いました。大混雑でした。
    見ごたえ:
    4.0
    私は、個人的には変わりだねの狛犬をお薦めします。

  • 洋館、西洋庭園と日本庭園の絶妙のハーモニー~バラの開花状況は5-6分咲きでした~

    投稿日 2024年07月11日

    旧古河庭園 王子・十条

    総合評価:4.5

    北区西ケ原にある「旧古河庭園」についての情報を発信していきます。「旧古河庭園」を訪れたのは2023年6月2日です。「旧古河庭園」へのアクセスは、東京メトロ南北線「西ヶ原駅」を利用するのが最短の距離です。東京メトロ南北線「西ヶ原駅」の1番出口を出て左方向に道なりに300mほど直進すると二つ目の信号(表示名「平塚神社前」)があります。横断歩道を渡りさらに150mほど進むと「旧古河庭園」の入場門が右手にあります。
    訪れた当日は、「旧古河庭園」の「2023春のバラフェスティバル」が開催されていて園内は、平日にもかかわらずかなり混雑していました。「旧古河庭園」に入園する前に、その歴史を少し紐解いてみたいと思います。
    「旧古河庭園」は、もと明治時代の元勲「陸奥宗光」の邸宅でした。「陸奥宗光」は、明治時代に外交官・政治家として活躍し、「日英通商航海条約締結」を実現し、「日清戦争」の開戦と講和に関わりました。「陸奥宗光」の次男が「古河市兵衛」の養子となったことから「古河家」の所有になりました。ただし、残念ながらその当時の建物は現存していません。「旧古河庭園」は、武蔵野台地の斜面と低地を活かし、北の丘には「洋館」、斜面には「西洋庭園」、低地には「日本庭園」を配置しているのが特徴です。そして、「洋館」と「洋風庭園」は、イギリス人「ジョサイア・コンドル」博士が設計した石造りの重厚な建築物です。「日本庭園」は、京都の庭師「七代目植治」こと「小川治兵衛」の作庭によるもので、「旧古河庭園」は、見事なバランスのとれた庭園で有名です。ちなみに、イギリス人「ジョサイア・コンドル」は、「旧古河庭園」以外にも、「旧岩崎邸庭園洋館」、「鹿鳴館」、「ニコライ堂」など数々の有名建築を設計し、日本建築界の基礎を築いたことでも知られています。また、「小川治兵衛」は、「山縣有朋」の京都別邸である「無鄰菴」、「平安神宮神苑」、「円山公園」などを作庭しました。「旧古河庭園」の見どころは満載です。現在は国有財産となり、平成18年(2006年)1月26日に文化財保護法により「国の名勝指定」を受けました。「旧古河庭園」は、東京都が国から無償で借受け、昭和31年(1956年)4月30日に一般公開がされるようになってからは、北区を代表する観光スポットになりました。また、「旧古河庭園」には「正門」、「西門」、「裏門」(染井門)の3つの門があります。常に開いているのは、「本郷通り」沿いの「正面門」のみとなっています。今回は、楽しみにしていたバラの咲き誇る「西洋庭園」は、最後に残し、次のような巡路で回ってみることにしました。
    【「旧古河庭園」の見学巡路】
    ①正門⇒②洋館⇒③西門前⇒④広場⇒⑤染井門⇒⑥沢ながれ⇒⑦見晴らし台⇒⑧枯滝⇒⑨心字池⇒⑩茶室⇒⑪書庫⇒⑫大滝⇒⑬船着石⇒⑭二枚橋⇒⑮中島⇒⑯渓谷⇒⑰黒ボク石積み⇒⑱西洋庭園
    これら見どころについては、下記に取りまとめてありますのでご覧いただければ幸いです。

    01_【一口メモ】
    ⑴ 所在地…〒114-0024 東京都北区西ケ原1丁目27-39
    ⑵ 開園時間…9:00~17:00(入園は16:30分まで)
    ⑶ 休園日…年末・年始(12月29日~翌年1月1日まで)
    ⑷ 入園料…①一般150円 ②65歳以上70円(小学生以下及び都内在住・在学の中学生は無料)
    ⑸ 無料入園日…みどりの日(5月4日)、都民の日(10月1日)
    ⑹ 開園年月日…昭和31年(1956年)4月30日
    ⑺ 開園面積…30,780.86㎡
    ⑻ 施設…洋館・茶室(公益財団法人「大谷美術館」の管理)
    《洋館を利用する場合》
    ⑴ 開館時間…10:30~16:30(最終入館 16:00)
    ⑵ 入館料…①一般400円 ②小学生以下無料 ③ガイドツアー一般800円
    ⑶ 喫茶室 12:00~16:30(ラストオーダー16:00)本館1F大食堂

    02_【アクセス】
    ⑴ JR山手線「駒込駅」北口から徒歩10分800m
    ⑵ JR山手線「上中里駅」改札出口から徒歩7分500m
    ⑶ 東京メトロ南北線「西ヶ原駅」1番出口から徒歩6分500m

    03_【「旧古河庭園」の見どころ】
    ⑴ 「洋館」
    「旧古河庭園」の「洋館」は、日本建築の礎を築いたともいわれるイギリス人建築家「ジョサイア・コンドル」による設計で、大正6年(1917年)5月に完成しました。「洋館」の建築様式は、躯体が煉瓦造、外壁は真鶴産の新小松石(安山岩)の野面積で覆われ、屋根は天然スレート葺き、地上2F、地下1Fとなっています。「洋館」は、素朴で重厚な外観はスコットランドの建築や英国の別荘建築に近い形態になっています。また、大正12年(1923年)9月1日に発生した「関東大震災」発生時には、約2千人の避難者を収容した場所としても知られています。戦後は庭園建物ともに「古河家」の手を離れ国有となり、大蔵省の所管となりました。直後は進駐軍に接収され、英国大使館付き駐在武官の独身寮に6年ほど使用されました。接収が解除された昭和27年(1952年)から無人の状態が30年ほど続き荒廃が進み、修復工事は昭和58年(1983年)から6年間の歳月をかけて財団法人「大谷美術館」が東京都の助成金を得て行いました。昭和57年(1972年)には、「東京都の名勝指定」、平成18年(2006年)に「国の名勝指定」を受けています。「洋館」の最大の特徴は、1階がすべて洋室で主に接客のためのものに対し、2階の寝室を除いたすべての部屋が和室ということです。「洋館」の応接室やビリヤード室、書斎などは「大谷美術館」として、平成元年より一般公開を行っています。また、「洋館」内にある喫茶店と茶室では、お茶を飲みながら休憩ができます。ちなみに、「洋館」(大谷美術館)の入館料は400円で、10:00から16:30までの間は、館内の施設を自由に見学できます。事前予約になりますが、見学ガイドツアーもあります。
    ⑵ 「西洋庭園」
    「西洋庭園」は、「ジョサイア・コンドル」の設計で、「西洋庭園」は、左右対称の幾何学模様の刈り込みの「フランス整形式庭園」と石の欄干や石段・水盤など、そして、立体的な「イタリア露壇式庭園」の技法を合わせバラと洋館と調和した絵画的な景観美となっています。「西洋庭園」は、まるで南仏にいるような錯覚にとらわれ、日本にいるのを忘れてしまいそうなプチ外国旅行気分です。「西洋庭園」の何と言っても楽しみは、春と秋の年二回のバラの花の色鮮やかな美の競演です。コロナが収束しつつある「2023バラフェスティバル」では、今まで以上の多くの人々がバラ鑑賞を楽しんでいました。
    ⑶ 「日本庭園」
    「日本庭園」は、京都の庭師「七代目植治」こと「小川治兵衛」の作庭によるもので、見事なバランスのとれた「池泉回遊式庭園」で有名です。「小川治兵衛」は、「旧古河庭園」以外にも「山縣有朋」の京都別邸である「無鄰菴」、「平安神宮神苑」、「円山公園」や南禅寺界隈の財界人の別荘庭園などを作庭しました。この「日本庭園」は、大正8年(1919年)に完成し、「心字池」を中心に「枯滝」、「大滝」、「中島」を配しています。冬のマツの雪吊とこも巻、ソテツの霜除は「日本庭園」の風物詩となっています。「日本庭園」の特徴は、池を中心に回遊する「池泉回遊式庭園」です。水は芝生広場の下あたりの台地が崖になる高低差を利用した十数メートルの高所から落ちる「大滝」から流れ出て「心字池」に入ります。また、「心字池」の南側には日本庭園のシンボルである「雪見灯籠」を配し、「大滝」に向き合う「枯滝」があり、その上は「見晴らし台」となっています。
    ⑷ 「枯滝」
    洲浜と連続した「枯滝」は、水を使わないで山水の景観を表現する「枯山水」の一つの手法で、「心字池」の渓谷の水源を見立てた景観です。「心字池」の洲浜の奥の渓谷に、御影石や青石、五郎太石など「枯滝石組」と呼ばれる手法で造られています。実際に水が流れている大滝の対岸に作られており、水の流れはなくてもあたかも滝の音が聞こえるような演出は、「旧古河庭園」での中でも最も素晴らしいポイントかもしれません。
    ⑸ 「大滝」
    「大滝」は、「心字池」の洲浜の奥の渓谷に、御影石や青石、五郎太石などで造られています。「大滝」は、高低差は10m以上の高所から落ちる滝で、水は「心字池」に流れ込みます。園内のもっとも勾配の急な所をさらに削って断崖とし、濃い樹林でおおって深山の渓谷の趣をだしています。曲折した流れから始まり、数段の小滝となり最後は深い淵に落ちるという凝った造りです。以前は井戸を水源にしていましたが、水源が枯渇し、現在は井戸水と池水の循環でまかなっています。また、「大滝」は、「小川治兵衛」が、特に力を入れた箇所と言われ、「大滝」は、は三段落ちとなっており、理想的な滝の音を実現するためのこだわりを感じることができます。
    ⑹ 「茶室」
    「旧古河庭園」には、茶室が二軒あります。京都でよく見られる手法で、茶室の土留めとして施工された「崩石積」がまず目に留まります。そして「庭門」を潜ると左前方奥の茶庭の中に、一般公開はされていない「上の茶屋」があります。現在、公開されている「茶室」は14坪程度の数寄屋で8畳の部屋と水屋があるだけです。普段は入ることができませんが、春と秋のみ、抹茶を出しており、お茶席利用のかたのみ入室可能です。
    ⑺ 「深山の境」
    「日本庭園」への入口はシイを主体にした濃い植込で、明るい「洋風庭園」とは雰囲気が一変します。さらに奥は、シイ、モチノキ、ムクノキ、カエデなどで構成され、この庭園で一番深い植込になっています。周りは渓谷でえぐられ、「深山幽谷」の観を呈しています。
    ⑻ 「心字池」
    「心」の字に似せて造った池で、「日本庭園」の中心にあります。鞍馬平石や伊予青石などで造られ、「船着石」があります。ここは池を眺めるための要となる所で、正面には「荒磯」、「雪見燈篭」、「枯滝」、「石組」、そして背後には「築山」が見られます。また、船の発着場所を模した「船着石」は、心字池の絶好のビュースポットになっていて写真撮影には最適です。「心字池」には2ヶ所の「中島」があり、大きい方の中島の西方では、護岸石組により「渓谷」を表現しています。五郎太石を敷き詰めた「州浜」は浜辺を表現しています。ここに設置された大型の「雪見灯篭」は、水面を照らすことを目的に設置されています。そして、「雪見灯篭」は、丈が低く笠が大きいことが特徴で、池の周りのどの箇所からも存在感を示せるように大型となっています。
    ⑼ 「黒ボク石積み」
    「黒ボク石積み」は、「西洋式庭園」と「日本庭園」を繋ぐ斜面にあり、石垣状に積み上げられています。「黒ボク石積み」は、富士山の溶岩で、多孔質であり軽く、加工もしやすいので、良い形の庭石の産出が少ない関東エリアで流行しました。「黒ボク」を組み合わせて大きな庭石に見せる技法は江戸の庭師の腕の見せ所でした。「黒ボク」を使うと山肌のごつごつした感じが出るので山の中にいる雰囲気を出す石組として用いられています。
    ⑽ 「崩石積」
    「小川治兵衛」の力作とされる「崩石積」は、石を垂直に積む方法です。京都で発達した伝統的な手法であり、石と石が噛み合って崩れそうで崩れない姿が美しいとされる。一見すると崩れそうですが、関東大震災や東日本大震災でも崩れなかった石積です。

    旅行時期
    2023年06月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.5
    東京メトロ南北線「西ヶ原駅」1番出口から徒歩6分500m
    人混みの少なさ:
    1.0
    庭園内人でごったがえしていました。
    見ごたえ:
    4.5
    バラだけでなく、歴史的な建造物、和と洋の庭園が見ることができます。

  • はるか昔の縄文時代の貝塚が散在している地域ですが、ほとんどの上に住宅が建っているそうです。

    投稿日 2024年07月11日

    西ヶ原貝塚 王子・十条

    総合評価:3.0

    北区西ケ原にある「西ヶ原貝塚」についての情報を発信していきます。「西ヶ原貝塚」を訪れたのは2023年6月2日です。「西ヶ原貝塚」へのアクセスは、東京メトロ南北線「西ヶ原駅」の2番出口を出て右方向(ファミリーマート)へ260mほど直進します。「宝ケアサービス西ヶ原」の角を右折し、90mほど直進すると「北区立飛鳥中学校」へ通じる道が右手にあるので、右折し直進すると「西ヶ原貝塚」の解説板があります。途中には、「貝塚広場」も合わせて見るのがポイントです。
    「西ヶ原貝塚」は、東京都を代表する貝塚の1つで、「大森貝塚」発見の翌年の明治11年(1878年)頃にはすでにその存在が知られていました。これまでに「坪井正五郎博士」をはじめとする多くの研究者によって調査されてきました。「西ヶ原貝塚」は東西約150メートル、南北約180メートル、平面形が馬蹄形を呈するムラ貝塚で大規模なものです。分布の中心は、飛鳥山丘陵の斜面にある「北区立飛鳥中学校」の校庭を中心とするものとみられていますが、今日では宅地化が進み、地表から貝塚の存在を確認することはできない状況です。これまでに行われた発掘調査によって、貝塚の形成は縄文時代の中期後半頃(約4200年前)から始まり、後期後半頃(約3200年前)まで続いていたことがわかっています。
    また、途中にある「貝塚広場」は、平成20年(2007年)から平成21年(2008年)に「東京都立埋蔵文化財調査センター」が調査を実施しました。後期前葉から中葉(約4,200年から3,500年前)の貝層の剥ぎ取り標本が「東京都立埋蔵文化財調査センター」に展示されています。貝種はハマグリやヤマトシジミが多く見受けられるそうです。

    01_【一口メモ】
    所在地 〒114-0024 東京都北区西ケ原3丁目5-12 飛鳥中学校内

    02_【アクセス】
    ⑴ JR京浜東北線「上中里駅」2F改札口から徒歩9分650m 
    ⑵ 東京さくらトラム(都電荒川線)「飛鳥山」出口から徒歩13分1000m
    ⑶ 東京メトロ南北線「西ヶ原駅」2番出口から徒歩5分400m ★最寄駅

    旅行時期
    2023年06月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    東京メトロ南北線「西ヶ原駅」2番出口から徒歩5分400m
    人混みの少なさ:
    3.0
    私以外誰もいませんでした。ゆっくり見ることができました。
    見ごたえ:
    3.0
    当時の様子がよく再現されています。

  • 残念ながら入山禁止の看板があり中へは入れませんでしたが、木々が生い茂り、大自然の中にいるような感じでリラックスできました。

    投稿日 2024年07月11日

    無量寺 王子・十条

    総合評価:3.0

    北区西ケ原1丁目にある「無量寺」についての情報を発信していきます。「無量寺」を訪れたのは2023年6月2日です。「無量寺」へのアクセスは、東京メトロ南北線「西ヶ原駅」を利用するのが最短の距離です。東京メトロ南北線「西ヶ原駅」の1番出口を出て左方向に道なりに300mほど直進すると二つ目の信号(表示名「平塚神社前」)があります。横断歩道を渡り正面にある細い道をさらに50mほど進むと「無量寺」の山門があります。
    「無量寺」の歴史と概要を紐解いてみると、「無量寺」は、真言宗豊山派の寺院です。「無量寺」の創建年代等は不詳ですが、調査によって寺地からは14世紀頃の板碑が多数確認されており、鎌倉期から室町期にかけての創建ではないかといわれています。そして、「新編武蔵国風土記稿」や寺伝等には、慶安元年(1648年)に江戸幕府から八石五斗余の年貢・課役を免除されたことが記載されているそうです。また、元禄14年(1701年)4月に五代将軍「徳川綱吉」の生母「桂昌院」が参詣したことや寺号が九代将軍「徳川家重」の幼名「長福丸」と同じてあるため、これを避けて現在の寺社名である「無量寺」に改めたことが記されているそうです。「江戸六阿弥陀巡礼」の3番目、「豊島八十八ヶ所霊場59番札所」、「上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場3番札所」、「足止め不動」として親しまれています。ちなみに、「足止め不動」と呼ばれるに至ったのは、ある晩、忍び込んだ盗賊が不動明王像の前で急に動けなくなり、翌朝捕まったことから「足止め不動」として信仰されるようになったそうです。「大師堂」の中には「恵心」作「の聖観音像」が安置されており、「雷除けの本尊」としても知られています。
    「無量寺」の「山門」の右手には由緒板が設置されていました。そして、少し進むと左手に「ことぶき地蔵尊」があり、その奥に二つ目の「山門」がありました。ここで残念な事実が発覚しました。「山門」の前に柵があり、「これより山内(境内地)に付壇信徒・お檀家の墓参札所御朱印の方位階の入山はご遠慮願います。写真撮影及び動画SNS投稿並びにそれに準ずるもの厳禁」と書かれた看板が設置されていました。残念ながら「無量寺」の境内には入れませんでしたが、正門から山門につづく参道は、道幅も広く、木々が生い茂り、大自然の中にいるような感じでリラックスできました。

    01_【「無量寺」の一口メモ】
    ⑴ 所在地…〒114-0024 東京都北区西ケ原1丁目34-8 電話:03-3910-2840
    ⑵ 「無量寺」の概要 ①山号…佛寶山 ②院号…西光院 ③宗派…真言宗豊山派 ④御本尊…不動明王

    02_【「無量寺」へのアクセス】
    ⑴ JR山手線「駒込駅」北口から徒歩10分750m
    ⑵ 東京メトロ南北線「西ヶ原駅」1番出口から3分250m

    旅行時期
    2023年06月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    東京メトロ南北線「西ヶ原駅」1番出口から3分250m
    人混みの少なさ:
    3.0
    私以外、観光客らしい夫婦がいました。

  • あの乃木希典将軍夫妻の崇敬した神社としても有名です。

    投稿日 2024年07月10日

    王子稲荷神社 王子・十条

    総合評価:4.0

    北区岸町1丁目にある「王子稲荷神社」についての情報を発信していきます。「王子稲荷神社」を訪れたのは2023年5月31日です。「王子稲荷神社」へのアクセスは、JR京浜東北線「王子駅」北口を出て右方向に高架沿いを道なりに160mほど進みます。最初の十字路の信号がありますのでそれを渡りさらに、290mほど進むと左手に、「いなり幼稚園」があります。「王子稲荷神社」に併設されている「いなり幼稚園」が開園しているウィークデーは、左手前にある急勾配の「王子稲荷の坂」を50mほど上ると右手に「王子稲荷神社」の「石鳥居」があり、そこから「王子稲荷神社」に参拝します。「いなり幼稚園」が休園している日は、「いなり幼稚園」の先に「表門」があるのでそこから参拝します。「表門」を入ると「石鳥居」があり23段の階段が待ち構えています。今回の説明は、「表門」からのルートで説明します。
    最初に、「王子稲荷神社」の歴史と概要を紐解いてみると、「王子稲荷神社」は、東京都北区岸町にある神社で、康平年中(1058年~1065年)に征夷大将軍「源頼義」により「関東稲荷総司」の称号を授かった格式ある神社です。また、「王子稲荷神社」は、関東一帯の稲荷神社のトップにあたる「関八州の稲荷の頭領」や「東国三十三国稲荷総司」と称されています。「王子稲荷神社」は、小田原北条氏についで、徳川将軍家代々の祈願所と定められ、現在の「社殿」は11代将軍「徳川家斉」により新規寄進された由緒あるものです。「王子稲荷神社」には、大晦日に稲荷の使いである狐が、近くの榎の下で身なりを整え、この神社に初詣をするという言い伝えがあるそうです。そして、年末に行われる「王子狐の行列」は風物詩となっています。また、毎年2月の「午の日」に開かれる「凧市」は、たびたび大火にみまわれた江戸庶民たちが「凧は風を切る」として火事除けの縁起をかつぎ、今もなお引き継がれているそうです。そして、昭和9年(1934年)に国の認定重要美術品に指定されている「額面著色鬼女図」や「谷文晁」の板絵著色の「龍図」を所蔵しています。また、境内にある「狐の穴跡」は、落語「王子の狐」の舞台にもなっています。ちなみに、「額面著色鬼女図」は、天保11年(1840年)に江戸の「住吉明徳講」(東京砂糖元売商組合の祖)が「柴田是真」に依頼して、「住吉明徳講」の守護神と崇拝するこの「王子稲荷神社」に奉納した傑作図です。

    それでは、さっそく「王子稲荷神社」を参拝したいと思います。「表門」の左側には、昭和9年(1934年)に国の認定重要美術品に指定されている「額面著色鬼女図」の説明板があります。「表門」をくぐると正面には、「鳥居」と石段があります。その右手前には、弁天様が祀られている末社の「市杵島神社」があります。ちなみに、「市杵島神社」はもともと宗像三女神の市杵島姫神を主祭神とする神社です。「狛犬」が「市杵島神社」にありますが、300年以上前に奉納されたものだそうです。次に、23段の石段をのぼり、境内に入ります。右手に「手水舎」と「社務所」があり、もちろん正面は「拝殿」です。まず、「手水舎」でお清めの儀式を行い、いざ、「拝殿」で参拝するのですが、その時目に入ってくるのが、大きな稲紋が施されている賽銭箱で、下部中央に王子の「王」の字が書かれているのが特徴的です。また、「王子稲荷神社」は、靴を脱いで昇殿し、中でお参りすることができる珍しい神社の一つです。中に入り天井を見上げると鳳凰などさまざまな「天井絵」がありました。なんか得した気分になりました。
    「拝殿」の右横を通り「鳥居」をくぐると、左手に「本宮」があります。実は、この小さな社が昔から続く本来の「王子稲荷」だそうです。「本宮」の右横にある赤い鳥居をくぐってさらに先に進むと、「王子稲荷神社」の末社である「三社合祭社」があります。三社とは、「北村稲荷神社」、「亀山稲荷神社」、「嬉野森稲荷神社」のことです。この末社の左横には、「願掛け石」があります。ちなみに、この「願掛け石」は、願い事を思い浮かべながら石を持ち上げて、軽々と持ち上げられたらその願いはかないやすいし、反対に意外と重いなと感じたら叶えるために努力が必要という言い伝えがあるそうです。また、子供用と思われる小さ目の「願掛け石」も鎮座していました。「願掛け石」の左側には、階段があります。階段を上ると落語「王子の狐」の舞台にもなっている「狐の穴跡」があります。昔はこの穴に狐が住んでいて、人々の信仰の対象になっていたそう。多くの御利益を授かることのできるパワースポットだそうです。そして、最後になりますが、赤坂にある「乃木神社」の境内には、「王子稲荷神社」から勧請された「赤坂王子稲荷神社」があります。「赤坂王子稲荷神社」は、昭和37年(1962年)に創建されました。何故かというと「乃木希典」将軍と静子夫人が 「王子稲荷神社」は月参りするほど「王子稲荷神社」を崇敬していたことが創建の理由だそうです。次は、東京十社のうちの一つである「王子神社」へ向かうので、「王子稲荷の坂」の「鳥居」をくぐり右折し「旧岩槻街道」(都道455号)へ向かいます。

    01_【「王子稲荷神社」の一口メモ】
    ⑴ 所在地…〒114-0021 東京都北区岸町1丁目12-26 電話:03-3907-3032
    ⑵ 御祭神…①宇迦之御魂神 ②宇気母智之神 ③和久産巣日神
    ⑶ 御利益…商売繁盛、火防守護、五穀豊穣
    ⑷ 主な年中行事
    ① 絵馬の公開…1月1~3日と2月の午の日、10:00~16:00に「額面著色鬼女図」絵馬が公開されます。
    ② 凧市…2月午の日、10:00~18:00
    「初午祭」の縁日で、「王子稲荷神社」からは「火防けの凧守」が授与され、境内では凧屋が出店します。
    ③ 大晦日「狐の行列」…12月31日、23:00~0:30
    姉妹社の「装束稲荷神社」から狐のお面や装束を身につけた人々が行列して「王子稲荷神社」へ正月の参拝をするものです。

    02_【「王子稲荷神社」へのアクセス】
    ⑴ JR京浜東北線「王子駅」北口から徒歩6分450m
    ⑵ 東京メトロ南北線「王子駅」6番出口から6分400m
    ⑶ 東京さくらトラム(都電荒川線)「王子駅前」出口から徒歩8分600m

    旅行時期
    2023年05月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.5
    JR京浜東北線「王子駅」北口から徒歩6分450m
    見ごたえ:
    4.0
    王子稲荷神社は、靴を脱いで昇殿し、中でお参りすることができる珍しい神社の一つです。中に入り天井を見上げると鳳凰などさまざまな天井絵があります

  • サクラの時期に橋の上から下を眺めればピンクの雲の絨毯が流れているはずですね。

    投稿日 2024年07月10日

    音無橋 王子・十条

    総合評価:3.0

    北区石神井川に架かる「音無橋」についての情報を発信していきます。「音無橋」を訪れたのは2023年5月31日です。JR京浜東北線「王子駅」北口を出てそのまま「石神井川」沿いを150mほど直進すると左手に「音無橋」があります。
    「音無橋」は、東京都北区のJR京浜東北線「王子駅」からほど近いところにある「石神井川」に架かる長さ約50m、幅員約18m、「3径間鉄筋コンクリート固定アーチ橋」です。あたり一帯は「音無渓谷」と呼ばれ、昭和5年(1930年)に谷で分断された飛鳥山と対岸をつなぐために架けられたのが「音無橋」です。これにより王子町と滝野川町を繋ぎ、交通の便が図られました。そして、昭和5年(1930年)に架けられた「音無橋」の老朽化に伴い昭和63年(1988年)に大改修されたもので,バルコ二ーは改修時に増設されました。関東大震災後の復興事業では、都心部の橋は、景観を重視して美しい橋が多く架けられました。当時の王子町は東京市でないため復興橋梁には含まれていませんが、この付近は,「飛鳥山」の花見や滝野川の紅葉狩りで賑わう工リアなので,真下の「音無川親水公園」との調和を図りながら,その風景を見られることを意図した橋です。ちなみに、「音無川」の異名を持つ「石神井川」ですが、その名は、和歌山県を流れる「熊野川」に注ぐ一支流の「音無川」に由来しているそうです。「音無橋」の素晴らしさを体験できるのは、「音無川親水公園」から眺めることでしょう。また、サクラや紅葉の時期には、橋の上から下を眺めるとピンクや赤の絨毯で埋め尽くされる絶景でしょう。

    【「音無橋」の一口メモ】
    所在地…東京都北区 ①北詰・西詰…北区王子本町1丁目 ②南詰・東詰…北区滝野川2丁目

    【アクセス】
    ⑴ JR京浜東北線「王子駅」北口から徒歩2分150m
    ⑵ 東京メトロ南北線「王子駅」3番出口から3分250m
    ⑶ 東京さくらトラム(都電荒川線)「王子駅前」出口から徒歩5分300m

    旅行時期
    2023年05月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.5
    JR京浜東北線「王子駅」北口から徒歩2分150m
    人混みの少なさ:
    2.5
    サクラの季節ではないのでさほど混雑していませんでした。
    見ごたえ:
    3.0
    音無橋と音無渓谷をセットで見るのがお薦めです。

  • 春にはお花見、夏には水遊びが楽しめます~都会の喧騒を忘れ別世界にいるような感じがしました。

    投稿日 2024年07月10日

    音無親水公園 王子・十条

    総合評価:4.0

    北区王子本町にある「北区立音無親水公園」についての情報を発信していきます。「北区立音無親水公園」を訪れたのは2023年5月31日です。「音無親水公園」へのアクセスは、JR京浜東北線「王子駅」の北口改札口を出て、左方向に進むと「親水公園口」です。川に沿って右方向にそのまま100mほど直進すると、「舟串橋」があります。まず、そこから「音無親水公園」全体を眺めて見学コースを決めるのがベストです。
    「音無親水公園」は、JR京浜東北線・東京メトロ南北線「王子駅」に隣接する公園で、小平市の東部を源にして「隅田川」に注ぐ「石神井川」の旧流路に整備された公園です。「石神井川」は、この一帯付近では、昔から「音無川」と呼ばれ親しまれ、古くからの春の桜、夏の青楓と滝あび、秋の紅葉など四季の行楽の名所、景勝の地でした。戦後の都市化で、石神井川も生活排水などで汚れた川となりました。また、洪水による被害を防ぐ目的で、昭和33年(1958年)9月の「狩野川台風」で一帯の渓谷が破壊されたことを受けて始まった改修工事によって川は「飛鳥山公園」の下に2本のトンネルを掘り、石神井川流路のショートカットが行なわれました。そして、残された旧流路に、「かつての渓流を取り戻したい」という地域住民の要望で「音無親水公園」ができ、現在に至っています。「音無親水公園」は、全国の都市公園の模範たる公園として「日本の都市公園100選」に選ばれています。都内では、「国営昭和記念公園」、「日比谷公園」、「上野公園」、「水元公園」、「代々木公園」が選定されていて、園内には記念碑があります。「音無親水公園」施設区域を流れる水は、ろ過装置による循環水を使用し、夏は子供たちが水遊びも楽しむことができます。「権現の滝」は、神仏習合時代の「王子権現」(現在の「王子神社」)側の河岸段丘から落ちる滝で、「弁天の滝」、「不動の滝」、「稲荷の滝」、「大工の滝」、「見晴らしの滝」、「名主の滝」とともに「王子七滝」に数えられていました。しかし、現存するのは。「名主の滝公園内」の「名主の滝」のみとなってしまいました。
    私は、「舟串橋」の脇にある階段を下りて、「王子駅」に戻るような感じで「水車」がある方向に足を進めました。川の途中には、何箇所か飛び石が設置されているので、直ぐに対岸に渡ることができます。「王子駅」の親水公園口前の橋のところまで行き、Uターンです。「舟串橋」の下を通り、アーチ型の「音無橋」へ向かいます。川のせせらぎを、滝を模した水の落ちる様子を見ると、本当にここが駅に至近距離の都会の真ん中にある公園とは信じることができませんでした。あたかもどこか山奥の渓谷にいるような感じでした。公園内には、ソメイヨシノ21本植樹されているということで、残念ながら桜は咲いていませんが、下から眺める風景を想像しただけでワクワクします。今度は、「飛鳥山公園」の桜に合わせてここへも来てみたいと思います。

    01_【一口メモ】
    ⑴ 所在地…〒114-0022 東京都北区王子本町1丁目1 電話:03-3908-9275 (北区道路公園課)
    ⑵ 利用時間…終日開放、ただし「親水施設区域」は9:00から16:00まで

    02_【アクセス】
    ⑴ JR京浜東北線「王子駅」北口出口から徒歩1分100m
    ⑵ 東京メトロ南北線「王子駅」3番出口から徒歩分m
    ⑶ 東京さくらトラム(都電荒川線)「王子駅前」出口から徒歩3分240m

    03_【「音無親水公園」のポイント】
    ⑴ 流れ・せせらぎ
    「音無親水公園」を流れる「音無川」で水遊びができる場所は100mほどですが、夏には水遊びをする子どもたちでいっぱいになります。川の流れの水は、ろ過装置による循環水を使用しています。
    ⑵ 滝
    かつての「王子七滝」のひとつ「権現の滝」を再現して、流量は毎分1トンだそうです。
    ⑶ 舟串橋
    「舟串橋」は、昭和33年(1958年)の狩野川台風で流され廃橋となった橋を復元したものです。

    旅行時期
    2023年05月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    JR京浜東北線「王子駅」北口出口から徒歩1分100m
    景観:
    4.0
    都会の真ん中に自然が溢れています。
    人混みの少なさ:
    2.5
    親子ずれがたくさんいました。

  • 子供の頃、遊園地で乗った乗り物を思い出しました。子供にも大人にも優しい乗り物です。

    投稿日 2024年07月11日

    飛鳥山公園モノレール (あすかパークレール) 王子・十条

    総合評価:3.5

    「飛鳥山公園」への第一歩は、園内にある「あすかパークレールアスカルゴ」からスタートするのをお薦めします。「飛鳥山公園入口駅」から「飛鳥山山頂駅」まで、わずか2分の乗車時間ですが、家族連れには最適です。また、大人も童心に返って幼き日に遊園地で乗った乗り物の記憶が蘇ってくるはずです。まさに、大人から子供まで楽しむことができます。「アスカルゴ」の「飛鳥山公園入口駅」へのアクセスは、JR京浜東北線「王子駅」中央口の出口を出て、左方向に70mほど直進すると目の前に「アスカルゴ」の「飛鳥山公園入口駅」があります。「あすかパークレール」の山頂駅を降りると、正面には「飛鳥山公園の案内図」があります。ここでどのような巡路で「飛鳥山公園」を見て回るか順番を自分で決めます。やはり、「飛鳥山公園」の歴史を詳しく知りたいので、点在する石碑などを見て回る巡路にしてみました。
    「アスカルゴ」は、平成21年(2009年)7月に、高齢者、障害者、ベビーカー利用者でも気軽に登れる自走式モノレール方式の斜行昇降施設として、「あすかパークレール」が誕生しました。片道2分、眺望抜群のモノレール「アスカルゴ」で山頂へ行くことができます。車両がかたつむりに似ていることから、区民の公募によって「アスカルゴ」という愛称が付けられ、子どもから大人まで人気があります。「飛鳥山公園」は、「飛鳥山」の山頂に位置しています。もちろん山頂までの高さも余りないので下から歩いて行くこともできますが、せっかくなのでこちらの「飛鳥山公園」の名物である「アスカルゴ」に乗って行くのをお薦めします。恥ずかしがらずに、是非チャレンジしてください。
    ① 運転時間…10:00から16:00まで(強風等悪天候の場合は、運転を中止することがあります。)
    ② 乗車料金…無料 ③ 運休日…12月29日から1月3日まで 
    ④ 点検日…毎月第一木曜日(4月のみ第三木曜日)10:00~12:00まで運行停止
    ⑤ 乗降場…王子駅中央口を左折するとすぐにある「飛鳥山公園入口」と山頂に「飛鳥山山頂」があります。
    《あすかパークレールの概要》
    ①形式…自走式モノレール ②延長…レール延長48メートル、傾斜角度24度
    ③定員…16名(いす席6名、立ち席10名) ④走行速度…毎分30メートル(片道約2分)
    ⑤標高差…17.4メートル
    ⑥運行方法…無人運転(押しボタン運転方式)、運転中は管理人が常駐しています。
    ⑦安心安全…防犯カメラ(車内1基、乗り場2基)、インターフォン(車内)
    ⑧バリアフリー…車いす、ベビーカーでの利用ができます。
    《アスカルゴの乗車方法》
    「アスカルゴ」の乗車方法、エレベーターに乗る要領なので、誰でも簡単に操作できます。運転中は管理人が常駐しているので安心です。そして、驚いたことに車内は外見よりずっと広く、定員は、16名で、しかも、車いす、ベビーカーでの利用もできます。地上との標高差17.4メートルを、分速30メートルで2分、傾斜角度24度でゆっくり登っていきます。車窓からは眼下に周辺の景色が広がり、テンションが上がります。それともう一つのポイントは、冷暖房を完備しているということです。

    旅行時期
    2023年05月
    コストパフォーマンス:
    5.0
    わずか2分の乗車時間ですが、運賃は無料です。
    人混みの少なさ:
    3.0
    様々な年代の人が乗車していました。満席でした。
    乗り場へのアクセス:
    4.0
    JR京浜東北線「王子駅」中央口の出口を出て、左方向に70mほど直進すると目の前に「アスカルゴ」の「飛鳥山公園入口駅」があります。

  • "駅から至近距離にあり、人通りも多い場所ですが、木々に囲まれた境内にくるとホッとした気分です~大イチョウと子育てに御利益があります~

    投稿日 2024年07月10日

    王子神社(王子権現) 王子・十条

    総合評価:4.0

    北区王子本町にある「王子神社」についての情報を発信していきます。「王子神社」を訪れたのは2023年5月31日です。「王子神社」へのアクセスは、JR京浜東北線「王子駅」の北口改札口を出て、左方向に進むと「親水公園口」になります。「親水公園口」を左折すると目の前に「本郷通り」があるので、そこを右折します。道なりに坂を160mほど直進すると信号(表示名「音無橋」)があります。そこを右折し、「音無橋」を渡り、150mほど進むと右手に「王子神社」の鳥居が見えます。
    「王子神社」の近辺には、「飛鳥山公園」や「音無親水公園」などがあります。特に、「王子神社」へ行くなら、途中にある「音無親水公園」を先に見ることをお薦めします。
    では、最初に「王子神社」の歴史を紐解いてみたいと思います。「王子神社」の創建は不詳ですが、平安時代の11世紀に「源義家」の奥州征伐のさいに、「王子神社」の社頭にて慰霊祈願を行い、甲冑を納めた故事も伝えられ、古くから聖地として崇められていたと思われます。「王子神社」は、元亨2年(1322年)に、領主「豊島氏」が「紀州熊野三社」より「王子大神」をお迎えして、改めて「若一王子宮」をまつり、熊野にならって景観を整えたといわれます。それ以来、この地は「王子」という地名となり、神社下を流れる「石神井川」もこの付近では特に「音無川」と呼ばれています。後に江戸幕府将軍「徳川家康」は社領200石を寄進し、将軍家祈願所と定め、歴代の将軍も表敬し、八代将軍「徳川吉宗」は元文2年(1737年)に、飛鳥山を寄進し、「王子権現」の名と「飛鳥山の花見」は江戸名所として知られるようになったそうです。ちなみに、「王子神社」は中世に熊野信仰の拠点となった神社です。「王子神社」は、紀州(和歌山県)の「熊野三社権現」(本宮・那智・新宮)の御子神さまの呼称で、世界遺産にも登録された「熊野古道」には多くの「王子神」が祀られていたといわれます。
    では、「王子神社」の「大鳥居」を潜り境内に入ってみたいと思います。「王子神社」の「大鳥居」は都内でも有数の大きさの鳥居です。「高さ」が約8.6mあり、茨城県稲田産の御影石を使った石造りの鳥居です。「大鳥居」は、東京大空襲で焼失した新門の場所に建立され、邪気から境内神域を守っています。
    次に、「大鳥居」を潜るとすぐ左手に、「本社神輿・神輿蔵」があります。平成29年(2017年)に「本社神輿」が奉納されました。台輪は三尺、屋根は王子神社の姿を模した唐破楓で、重量(相棒含む)約550㎏、胴には「王子神社」伝来の「田楽舞」の彫刻がされています。令和元年(2019年)の「例大祭」に天皇陛下御即位を奉祝して初の本社神輿渡御が行われました。「神輿蔵」は、令和元年(2019年)に完成し、神輿が見えるように正面と側面がガラス張りとなっています。正面から「本社神輿・神輿蔵」の全景をカメラに収めたいのですが、正面に立つとガラス張りに自分の姿が写ってしまいますので注意してください。
    さらに、先に続く参道を進むと「本殿」が見えてきます。「本殿」の前には、一対の「狛犬」があります。この「狛犬」は、「阿吽」の形態とともに「子育て狛犬」として建立されています。「本殿」向かって子どもをあやす鞠を持っている右側の「狛犬」が父親で、向かって左側の狛犬が母親で子どもを守っています。ちなみに、「阿吽」は宗教的な像にも取り入れられ、口を開けた「阿形」と口を閉じた「吽形」の一対の像は、神社の狛犬などに見られます。
    「拝殿」で参拝を済ませ、「拝殿」に向かって右側には、昭和14年(1939年)3月に東京都の「天然記念物」に指定された「大イチョウ」があります。「王子神社」の創建当時からあると考えられ、樹齢は600年とも言われています。戦災で社殿を始め、境内の殆どを焼失する中で唯一生き残った貴重な「大イチョウ」です。雄の木ですのでギンナンは生りませんが、秋の紅葉は見事です。
    次は、「拝殿」に向かって左側に進むと末社の「関神社」があります。「関神社」は、全国でも珍しい「髪の祖神」です。「関神社」の歴史を紐解いてみると、関神社」は「関蝉丸神社」の御神徳を敬仰する人たちが「かもじ業者」を中心として、江戸時代に「王子神社」境内に祀ったことがその始まりです。「御祭神」は百人一首でも有名な「蝉丸公」で、姉「逆髪姫」のために髢・鬘を作ったという伝説により、髢、鬘や床山業界の方々の信仰厚い神社です。また「蝉丸公」は琵琶の名手でもあり「音曲諸芸道の祖神」としても崇敬されています。戦災で焼失したものを、髢、鬘、床山、舞踊、演劇などの関係業界の尽力により、昭和34年(1959年)に再建されました。境内には毛髪報恩のための「毛塚」も建立されています。「毛塚」は、毛髪報恩と供養のために昭和36年(1961年)5月24日に建立されました。
    「王子神社」では、天然記念物の大イチョウが圧巻で、全国でも珍しい「髪の祖神」もあります。しかし、何よりも駅から至近距離にあり、人通りも多い場所ですが、木々に囲まれた境内に一歩足を踏み入れると、ホッとした気分になり、心が安らぎました。
    その他、「王子神社」の例大祭「槍祭」も有名です。「王子神社」の例大祭は「槍祭」とも呼ばれ、祭礼に際し「御槍」という古伝の「御守護」が出るためです。後利益は、開運除災・萬願成就と言われています。本祭に行われる神輿の大集合は、宮出し行事のみですが、多くの神輿が次々に鳥居をくぐるさまは圧巻の光景だそうです。また、北区指定無形民俗文化財民俗芸能「王子田楽」を奉納する8月の祭礼や、12月の熊手市なども行われます。

    01_【一口メモ】
    ⑴ 所在地…〒114-0022 東京都北区王子本町1丁目1-12 電話:03-3907-7808
    ⑵ 御祭神
    ①伊邪那岐命 ②伊邪那美命 ③天照大御神 ④速玉之男命 ⑤事解之男命」の五柱で総称して「王子大神」
    ⑶ 御神徳…「初宮」、「七五三」、「学業成就」、「安産」、「子授け」など
    ⑷ 例大祭
    ①「王子神社例大祭」(槍祭)…8月第1日曜日、8:00にみこしの渡御(本祭のみ)、16:00から王子神社田楽舞
    ②熊手市…12月6日、12:00~22:00に開運熊手の頒布

    02_【アクセス】
    ⑴ JR京浜東北線「王子駅」北口出口から徒歩5分350m
    ⑵ 東京メトロ南北線「王子駅」3番出口から徒歩5分350m
    ⑶ 東京さくらトラム(都電荒川線)「王子駅前」出口から徒歩8分600m

    03_【「王子神社」の見どころ】
    ⑴ 「大鳥居」
    「王子神社」の「大鳥居」は都内でも有数の大きさの鳥居です。「高さ」が約8.6mあり、茨城県稲田産の御影石を使った石造りの鳥居です。「大鳥居」は、東京大空襲で焼失した新門の場所に建立され、邪気から境内神域を守っています。
    ⑵ 「狛犬」
    「大鳥居」を潜り、参道を進むと「本殿」が見えてきます。「本殿」の前には、一対の「狛犬」があります。この「狛犬」は、「阿吽」の形態とともに「子育て狛犬」として建立されています。「本殿」向かって子どもをあやす鞠を持っている右側の「狛犬」が父親で、向かって左側の狛犬が母親で子どもを守っています。ちなみに、「阿吽」は宗教的な像にも取り入れられ、口を開けた「阿形」と口を閉じた「吽形」の一対の像は、神社の狛犬などに見られます。
    ⑶ 「本社神輿・神輿蔵」
    「大鳥居」を潜るとすぐ左手に、「本社神輿・神輿蔵」があります。平成29年(2017年)に「本社神輿」が奉納されました。台輪は三尺、屋根は王子神社の姿を模した唐破楓で、重量(相棒含む)約550㎏、胴には「王子神社」伝来の「田楽舞」の彫刻がされています。令和元年(2019年)の「例大祭」に天皇陛下御即位を奉祝して初の本社神輿渡御が行われました。「神輿蔵」は、令和元年(2019年)に完成し、神輿が見えるように正面と側面がガラス張りとなっています。正面から「本社神輿・神輿蔵」の全景をカメラに収めたいのですが、正面に立つとガラス張りに自分の姿が写ってしまいますので注意してください。
    ⑷ 「由緒板」
    境内参道横に由緒板が建立されています。平成25年(2013年)に神社代表総代によって奉納されました。文面は宮司が記述し、北区教育委員会が監修・制作して完成に至りました。また「田楽の碑」の改修も合わせて行われ、神社の伝統を伝えるものとなっております。
    ⑸ 「大イチョウ」
    「拝殿」に向かって右側には、昭和14年(1939年)3月に東京都の「天然記念物」に指定された「大イチョウ」があります。「王子神社」の創建当時からあると考えられ、樹齢は600年とも言われています。戦災で社殿を始め、境内の殆どを焼失する中で唯一生き残った貴重な「大イチョウ」です。雄の木ですのでギンナンは生りませんが、秋の紅葉は見事です。
    ⑹ 「句碑」
    「王子神社」の天然記念物の「大銀杏」の下には石碑が立っています。「暮際もなく 夜にうつる さくらかな 八十三翁 大谷暁山」と刻まれています。石碑の裏には「昭和5年(1930年)8月13日」とあり、往年の「飛鳥山」の桜花の情景を詠んだ、「元王子大谷町長」の句碑ということです。当時の「飛鳥山」は、新しい公園に生まれ変わって整備されましたが、同時に公害のため、桜は見られなくなったそうで、石碑は往事の名所をしのぶものとして立てられたようです。現在、「飛鳥山」は再整備されて昔の面影を取り戻し、桜の名所として親しまれています。
    ⑺ 「例大祭」(槍祭)
    「王子神社」の「例大祭」は「槍祭」とも呼ばれます。これは祭礼に際し「御槍」という古伝の御守護が出るためです。開運除災・萬願成就といわれており、江戸時代の「願懸重宝記」には「神前に小き槍を置て祈念なすに悪事災難をまぬかるる」と出ています。本祭に行われる神輿の大集合は、宮出し行事のみですが、多くの神輿が次々に鳥居をくぐるさまは圧巻で、8月第1日曜日早朝の8:00に「みこしの渡御」(本祭のみ)、16:00から「王子神社田楽舞」が行われます。
    ⑻ 「王子神社田楽舞」
    ちなみに、「田楽」は中世に大流行した芸能で、その後は猿楽や能に押され、現在は各地に民俗芸能としてのみ残存している稀少な芸能です。「王子神社」の「田楽舞」は古式のほぼ全てを有しており、「日本三大田楽」の1つと言われています。戦災で途絶えていたものを昭和58年(1983年)に復興し、昭和62年(1987年)に「北区無形文化財」に指定されました。8月第1日曜日早朝の8:00に「みこしの渡御」(本祭のみ)、16:00から「王子神社田楽舞」が行われます。
    ⑼ 「熊手市」
    「王子神社」の「熊手市」は東京では年内最後の「酉の市」です。露店の縁起物の熊手のほかに、「王子神社」から熊手守りの授与があります。一般的に「酉の市」の多くは11月の「酉の日」に行われますが、「王子神社」では毎年12月6日の開催としています。

    旅行時期
    2023年05月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    JR京浜東北線「王子駅」北口出口から徒歩5分350m
    人混みの少なさ:
    3.0
    平日であまり混雑してはいませんでしたが、次から次へt参拝客が来ました。
    見ごたえ:
    4.0
    本社神輿・神輿蔵は、立派なものでした。

  • お札にせよ、切手にせよ、その芸術性や制作技術の高さが改めて認識できました。

    投稿日 2024年07月10日

    独立行政法人国立印刷局お札と切手の博物館 王子・十条

    総合評価:4.5

    北区王子1丁目にある「お札と切手の博物館」についての情報を発信していきます。「お札と切手の博物館」を訪れたのは2023年5月31日です。「お札と切手の博物館」へのアクセスは、JR京浜東北線「王子駅」の中央口を出て、そのまま右方向に道なりに220mほど進むと「お札と切手の博物館」が右手にあります。
    「お札と切手の博物館」では、1Fと2Fが展示室になっています。まず、入口を入ると左手に「新日本銀行券の紹介」、「スタンホープ印刷機(重要文化財)」、「偽造防止技術の歴史―印刷・製紙技術」の順に展示コーナーがあります。そして1F中央には「Q&Aコーナー・フォトスポット」があります。階段を上り2Fの展示室に進むと、「お札の移り変わり」、「世界のめずらしいお札」、「世界のお札」、「切手の移り変わり」、「世界の切手」、「旅券・官報・諸証券」、「国立印刷局の歴史」、「お札の芸術」の順で展示コーナーが設置されています。
    最初の「新日本銀行券の紹介」コーナーは、令和6年(2024年)7月に発行予定の新日本銀行券について、デザインや偽造防止技術などを紹介するコーナーです。「渋沢栄一肖像」の日本銀行券F10000円見本券(表・裏)、「津田梅子肖像」の日本銀行券F5000円見本券(表・裏) 、「北里柴三郎肖像」の日本銀行券F1000円見本券(表・裏)が展示されていました。
    次の「スタンホープ印刷機」は、江戸時代末期の嘉永3年(1850年)に、長崎の「オランダ商館長」から将軍「徳川家慶」に献上されたものです。当初は、「蕃書調所」で洋書の印刷に使用されていたそうで、近代印刷技術の伝来を象徴する遺物です。「スタンホープ印刷機」は、活版印刷に使用され、1時間に200~300枚の印刷が可能だったそうです。「スタンホープ印刷機」は、平成10年(1998年)6月30日に国の重要文化財に指定されました。
    三番目の「偽造防止技術の歴史~印刷・製紙技術~」のコーナーでは、お札が作られた頃から偽造防止のために紙の製造や印刷をするうえで特殊な方法が使われていました。特に、お札を製造する過程で、原版彫刻技術として現在も使われているのが、「直刻凹版」という製法で、1ミリメートルの間に10本以上の線を彫刻できるほどの精密な技法だそうです。また、偽造防止のためにすかしが施されていますが、明治期に開発された「白黒すかし」は、光にすかすと明暗のグラデーションで絵柄を再現するそうです。これは、現在でもお札の偽造防止技術として用いられ、その精巧さは日本のお札の特徴となっています。ちなみに、この「白黒すかし」が最初に用いられたのは、明治22年(1889年) 発行の「日本銀行兌換銀券1円」です。
    1F最後の「Q&Aコーナー」コーナーでは、お札にまつわる豆知識をクイズ形式で楽しみながら学習できる展示スペースです。 「フォトスポット」は、新一万円券の肖像になった「渋沢栄一」がモデルとなっている東京都北区のキャラクター「しぶさわくん」の画像が撮影画像に現れるARフォトスポットとなっています。一人では、ちょっと撮影するのが恥ずかしい感じがしますね。
    次に、2Fに上がるとまずは、「お札の移り変わり」コーナーです。「お札の移り変わり」コーナーでは、初期の世界のお札、江戸時代の日本のお札、そして近代から現代の日本のお札が展示されています。また、日本のお札が、明治・大正・昭和・平成と時系列順に展示されているのをみると、印刷技術の高度化や社会変化による図柄の変遷を理解することができます。ちなみに、お札が世界で初めて使われたのは中国で10世紀末のことだそうです。遅れること600年して、日本やヨーロッパでもお札が使われるようになったそうです。
    次が、「世界のめずらしいお札」コーナーでは、製のお札、切手大のお札、ハイパーインフレーション時に発行された超高額面のお札など、めずらしいものが展示されています。特に、目を引いた珍しいお札は、お土産用の金箔製のお札ですね。このコーナーを見ると世界はつくづく広く、多種多様ですね。
    そして、「世界のお札」コーナーでは、世界各国の全158種のお札が展示してありました。日本、アメリカ、イギリス、中国、欧州連合の通貨同盟の「主要5か国のお札」とそれ以外に大別して展示してありました。
    そして、次の「切手の移り変わり」コーナーでは、歴代の日本切手と世界の珍しい切手が展示されていました。やはり、面積の小さな面に、精巧なデザインを美しく印刷するという技術には感服しました。私が子供の頃は、気ってブームが真っ盛りでした。学校に行く前に郵便局や切手を販売しているタバコ屋さんに並んで記念切手を買ったものです。それを考えるとSNSの発達により、手紙文化も衰退し、切手を買うために並んでいる列が見られないのは、寂しい気もします。そして、このコーナーで驚いたのは、常識では考えられないようなはがきよりも大きい世界最大の切手、におい付きの切手、紙以外で作られた切手があることでした。
    続いても切手に関するコーナーです。「世界の切手」コーナーでは、世界の各地域や国で発行された切手が展示されています。このコーナーでは、世界地図の上に世界の国々で発行された280点もの切手が展示されています。各国の切手は、それぞれの特徴を表しているので、まるで世界一周の旅に出た気分ですね。
    次が、「旅券・官報・諸証券」コーナーです。「旅券・官報・諸証券」コーナーでは、「国立印刷局」が製造してきた「旅券」(パスポート)、「官報」、「収入印紙」、「国債」の歴史が描かれていました。このコーナーで初めて知ったのですが、「国の公報紙」である「官報」は、土・日・祝日をのぞき毎日発行されているということです。そして、特に感激したことですが、大正12年(1923年)の関東大震災で印刷局の工場設備は全焼したのにもかかわらず、ロウソクの灯りの下で作成した手書きの官報が展示されていたことです。そのほか歴代のパスポートや今ではペーパーレス化された国債証書などが展示されていました。
    次の「国立印刷局の歴史」コーナーでは、国立印刷局の歴史がパネルしてあります。ちなみに、「国立印刷局」は、明治4年(1871年) 7月27日に、「大蔵省紙幣司」として設立され、同年8月に「紙幣寮」と改称されました。主な業務は、紙幣の発行、交換、国立銀行(民間銀行)の認可などだったそうです。
    そして、最後の「お札の芸術」コーナーです。「お札の芸術」コーナーは、お札の図柄の芸術的側面に焦点を当てています。近代的紙幣の製造技術を日本に伝えた「キヨッソーネ」による明治の元勲「木戸孝允」の肖像版画がありました。素晴らしい芸術性を感じました。

    01_【「お札と切手の博物館」の一口メモ】
    ⑴ 所在地…〒114-0002 東京都北区王子1丁目6-1 国立印刷局博物館(お札と切手の博物館)
    ⑵ 電話…03-5390-5194
    ⑶ 開館時間…9:00~17:00
    ⑷ 休館日…月曜日 ※祝日の場合は開館し、翌平日休館となります。
    ⑸ 入場料…無料

    02_【「お札と切手の博物館」へのアクセス】
    ⑴ JR京浜東北線「王子駅」中央口から徒歩3分220m
    ⑵ 東京メトロ南北線「王子駅」1番出口から徒歩2分140m
    ⑶ 東京さくらトラム(都電荒川線)「王子駅前」出口から徒歩3分220m

    03_【「お札と切手の博物館」の見どころ】
    ⑴ 「新日本銀行券の紹介」
    「新日本銀行券の紹介」コーナーは、令和6年(2024年)7月に発行予定の新日本銀行券について、デザインや偽造防止技術などを紹介するコーナーです。「渋沢栄一肖像」の日本銀行券F10000円見本券(表・裏)、「津田梅子肖像」の日本銀行券F5000円見本券(表・裏) 、「北里柴三郎肖像」の日本銀行券F1000円見本券(表・裏)が展示されていました。
    ⑵ 「スタンホープ印刷機」(重要文化財)
    「スタンホープ印刷機」は、江戸時代末期の嘉永3年(1850年)に、長崎の「オランダ商館長」から将軍「徳川家慶」に献上されたものです。当初は、「蕃書調所」で洋書の印刷に使用されていたそうで、近代印刷技術の伝来を象徴する遺物です。「スタンホープ印刷機」は、活版印刷に使用され、1時間に200~300枚の印刷が可能だったそうです。「スタンホープ印刷機」は、平成10年(1998年)6月30日に国の重要文化財に指定されました。
    ⑶ 「偽造防止技術の歴史~印刷・製紙技術~」
    「偽造防止技術の歴史~印刷・製紙技術~」のコーナーでは、お札が作られた頃から偽造防止のために紙の製造や印刷をするうえで特殊な方法が使われていました。特に、お札を製造する過程で、原版彫刻技術として現在も使われているのが、「直刻凹版」という製法で、1ミリメートルの間に10本以上の線を彫刻できるほどの精密な技法だそうです。また、偽造防止のためにすかしが施されていますが、明治期に開発された「白黒すかし」は、光にすかすと明暗のグラデーションで絵柄を再現するそうです。これは、現在でもお札の偽造防止技術として用いられ、その精巧さは日本のお札の特徴となっています。ちなみに、この「白黒すかし」が最初に用いられたのは、明治22年(1889年) 発行の「日本銀行兌換銀券1円」です。
    ⑷ 「Q&Aコーナー・フォトスポット」
    「Q&Aコーナー」コーナーでは、お札にまつわる豆知識をクイズ形式で楽しみながら学習できる展示スペースです。 「フォトスポット」は、新一万円券の肖像になった「渋沢栄一」がモデルとなっている東京都北区のキャラクター「しぶさわくん」の画像が撮影画像に現れるARフォトスポットとなっています。一人では、ちょっと撮影するのが恥ずかしい感じがしますね。
    ⑸ 「お札の移り変わり」
    「お札の移り変わり」コーナーでは、初期の世界のお札、江戸時代の日本のお札、そして近代から現代の日本のお札が展示されています。また、日本のお札が、明治・大正・昭和・平成と時系列順に展示されているのをみると、印刷技術の高度化や社会変化による図柄の変遷を理解することができます。ちなみに、お札が世界で初めて使われたのは中国で10世紀末のことだそうです。遅れること600年して、日本やヨーロッパでもお札が使われるようになったそうです。
    ⑹ 「世界のめずらしいお札」
    「世界のめずらしいお札」コーナーでは、製のお札、切手大のお札、ハイパーインフレーション時に発行された超高額面のお札など、めずらしいものが展示されています。特に、目を引いた珍しいお札は、お土産用の金箔製のお札ですね。このコーナーを見ると世界はつくづく広く、多種多様ですね。
    ⑺ 「世界のお札」
    「世界のお札」コーナーでは、世界各国の全158種のお札が展示してありました。日本、アメリカ、イギリス、中国、欧州連合の通貨同盟の「主要5か国のお札」とそれ以外に大別して展示してありました。
    ⑻ 「切手の移り変わり」
    「切手の移り変わり」コーナーでは、歴代の日本切手と世界の珍しい切手が展示されていました。やはり、面積の小さな面に、精巧なデザインを美しく印刷するという技術には感服しました。私が子供の頃は、気ってブームが真っ盛りでした。学校に行く前に郵便局や切手を販売しているタバコ屋さんに並んで記念切手を買ったものです。それを考えるとSNSの発達により、手紙文化も衰退し、切手を買うために並んでいる列が見られないのは、寂しい気もします。そして、このコーナーで驚いたのは、常識では考えられないようなはがきよりも大きい世界最大の切手、におい付きの切手、紙以外で作られた切手があることでした。
    ⑼ 「世界の切手」
    「世界の切手」コーナーでは、世界の各地域や国で発行された切手が展示されています。このコーナーでは、世界地図の上に世界の国々で発行された280点もの切手が展示されています。各国の切手は、それぞれの特徴を表しているので、まるで世界一周の旅に出た気分ですね。
    ⑽ 「旅券・官報・諸証券」
    「旅券・官報・諸証券」コーナーでは、「国立印刷局」が製造してきた「旅券」(パスポート)、「官報」、「収入印紙」、「国債」の歴史が描かれていました。このコーナーで初めて知ったのですが、「国の公報紙」である「官報」は、土・日・祝日をのぞき毎日発行されているということです。そして、特に感激したことですが、大正12年(1923年)の関東大震災で印刷局の工場設備は全焼したのにもかかわらず、ロウソクの灯りの下で作成した手書きの官報が展示されていたことです。そのほか歴代のパスポートや今ではペーパーレス化された国債証書などが展示されていました。
    ⑾ 「国立印刷局の歴史」
    「国立印刷局の歴史」コーナーでは、国立印刷局の歴史がパネルしてあります。ちなみに、「国立印刷局」は、明治4年(1871年) 7月27日に、「大蔵省紙幣司」として設立され、同年8月に「紙幣寮」と改称されました。主な業務は、紙幣の発行、交換、国立銀行(民間銀行)の認可などだったそうです。
    ⑿ 「お札の芸術」
    「お札の芸術」コーナーは、お札の図柄の芸術的側面に焦点を当てています。近代的紙幣の製造技術を日本に伝えた「キヨッソーネ」による明治の元勲「木戸孝允」の肖像版画がありました。素晴らしい芸術性を感じました。

    旅行時期
    2023年05月
    アクセス:
    4.0
    JR京浜東北線「王子駅」中央口から徒歩3分220m
    コストパフォーマンス:
    5.0
    入場料は無料です。タダでこんなに素晴らしいものが見れるとは思っていませんでした。
    人混みの少なさ:
    2.5
    平日にもかかわらず、混んでいました。やはり新札発行の影響でしょうか?
    展示内容:
    4.5
    展示はコンパクトでしたが、新日本銀行券の紹介、スタンホープ印刷機、、世界のめずらしいお札など興味をそそるものばかりでした。

  • 自然、歴史、文化すべて揃った公園です。子供も楽しく遊べます。~渋沢栄一の偉大さもよく理解できます~

    投稿日 2024年07月11日

    飛鳥山公園 王子・十条

    総合評価:4.5

    「飛鳥山公園」は、さくらをはじめ躑躅、紫陽花など四季の折々の花々が咲き乱れ、私たちの目を楽しませてくれる名所として有名です。しかし、その中でも特にさくらが有名です。まず「飛鳥山公園」の歴史を紐解いてみると、この「さくら」は、八代将軍「徳川吉宗」がこの地を桜の名所に仕立て上げました。当時、江戸幕府は財政難に陥り、早急な財政改革が必要で、江戸幕府創立の時代を理想に、綱紀の粛正、質素倹約、旗本・御家人の救済、農村対策などをはかるとして、娯楽等は制約されていました。その中で、江戸の新しいお花見の名所として誕生した「飛鳥山」は、当時、桜の名所地では禁止されていた「酒宴」や「仮装」が容認されていたため、人々が楽しめる唯一の場所の一つでした。そして、「飛鳥山」は、明治6年(1873年)に、太政官布達によって、「上野」、「芝」、「浅草」、「深川」とともに日本最初の公園の一つに指定されました。
    「あすかパークレール」の山頂駅を降りると、正面には「飛鳥山公園の案内図」があります。ここでどのような巡路で「飛鳥山公園」を見て回るか順番を自分で決めます。やはり、「飛鳥山公園」の歴史を詳しく知りたいので、点在する石碑などを見て回る巡路にしてみました。「飛鳥山公園」は、東京一低い山「飛鳥山」の山頂に位置する公園です。その根拠となるのが、「飛鳥山公共基準点」です。平成18年(2006年)に、北区が実際に測量したところ、今まで、東京都で一番低い山と言われていた港区の「愛宕山(標高25.7m)」よりも低いと確認されたそうです。その標高は25.4mと30cmほど「愛宕山」よりも低くなっています。それを示すのが「飛鳥山公共基準点」で、「飛鳥山公園の案内図」のちょうど裏あたりに、「飛鳥山公共基準点」のモニュメントが設置されています。「飛鳥山」は、「愛宕山」より低いので、北区では「東京都内で一番低い山であることを確認した」として、国土地理院へ地形図への記載を申請したのですが、残念ながら今のところ承認されていません。
    「飛鳥山公共基準点」をまっすぐ進むと左手に「明治維新百年植樹記念碑」があります。明治維新百年を記念し、都区内のさまざまな公園で植樹が行われました。「飛鳥山公園」には、この活動の記念として「明治維新百年植樹記念碑」が、昭和43年(1968年)に建立されました。
    「明治維新百年植樹記念碑」の先の道は二又に分かれています。右方向に進むと「櫻の賦の碑」があります。「櫻の賦の碑」は、「佐久間象山」が50歳(万延元年:1860年)の作である「桜の賦」の遺墨をもとに門弟「勝海舟」の意により、作製されました。「櫻の賦の碑」は、「北沢正誠」の文で書は「日下部鳴鶴」です。そして、碑には、明治14年(1878年)11月15日と刻まれています。「佐久間象山」は、松代藩士の幕末の兵学者、朱子学者、思想家で、後に西洋の学問を学び進歩的考えをとなえ、明治維新前後の日本に大きな影響を与えたのがこの「桜の賦」です。「佐久間象山」は、西洋の兵学、蘭学を学び江戸に塾を開き、「勝海舟」、「吉田松陰」、「坂本竜馬」など多くの人材を輩出した。「徳川慶喜」に公武合体と開国を説きました。残念ながら「佐久間象山」は、尊皇攘夷論者によって京都で刺され、元治元年(1864年)7月11日54歳でその生涯を閉じました。また、「櫻の賦の碑」の下には、「佐久間象山」が暗殺された時に着けていた血染めの「挿袋」(今でいうポシェット)が「挿袋石室」に埋蔵されています。ちなみに、賦とは、古代中国の韻文における文体の一つことです。
    「櫻の賦の碑」の次が「飛鳥舞台」です。「櫻の賦の碑」から来た道を戻ると「飛鳥舞台」があります。「飛鳥舞台」の北側のすぐそばには「多目的広場」もあります。「飛鳥舞台」は、能舞台をイメージしたヒノキ造りの野外ステージです。観客席は階段状になっていて、見やすく、座りやすく工夫されています。「飛鳥舞台」の中央には、一本松が植えられ、いかにも能舞台らしい雰囲気を醸し出しています。そして、「飛鳥舞台」は、北区に申請すれば、誰でも利用することができます。
    「飛鳥舞台」の次は、「水上赤鳥の歌碑」です。「飛鳥舞台」を下り「多目的広場」へ向かう途中に左手に階段があるので、それを上ると階段がまたあります。その階段を上り右方向に道なりに進んでいくと、左手に「水上赤鳥の歌碑」があります。「水上赤鳥の歌碑」は、「水上赤鳥」が、「飛鳥山公園」について詠んだ歌の碑で、昭和54年(1979年)11月に「ぬはり社友」によって建立されました。「水上赤鳥の歌碑」には、「そのかみの山をおほひし花ふぶきまぼりしにしてあがる噴水 赤鳥」と刻まれています。
    「水上赤鳥の歌碑」の次は、「水上赤鳥の歌碑」です。「水上赤鳥の歌碑」を進むと左手に「聖観音菩薩像」があります。「聖観音菩薩像」は、彫刻家「赤堀信平」の作で、世界平和と人類の幸福を願って製作され、昭和51年(1976年)6年に北区に寄贈されました。彫刻家「赤堀信平」は、明治32年(1899年)に福島県で生まれ、東京美術学校(現東京芸大)を卒業後に「朝倉文夫」に師事し、木彫,ブロンズを制作,肖像彫刻などにすぐれた作品を残しました。
    「聖観音菩薩像」の次は、「飛鳥山碑」です。「聖観音菩薩像」を進むとすぐ左手に、江戸時代には飛鳥山のランドマークとなった「飛鳥山碑」があります。「飛鳥山碑」は、八代将軍「徳川吉宗」による飛鳥山における事績を顕彰するため、元文2年(1737年)に、王子権現社別当金輪寺の住職の「宥衛」によって建立された碑です。享保5年(1720年)から享保6年(1721年)にかけて、「飛鳥山」に桜が植えられ、享保18年(1733年)には桜が根付いて花を開かせるようになり、水茶屋が10ヶ所建てられ、江戸市民の行楽の場となりました。大正8年(大正9年)3月に、「東京都指定有形文化財」になりました。ちなみに、「飛鳥山碑」は、「高さ」が218.5cm、「幅」が215cm、「厚さ」が34.5cmで、元享年間に豊島氏が王子権現を勧請したことが記されています。続いて、王子、飛鳥山、音無川の地名の由来や、土地の人々が王子権現を祀り続けてきたことが記されています。そして、最後に、吉宗が飛鳥山に花木の植樹を行い、王子権現社に寄進した経緯などが記されています。
    「飛鳥山碑」の次は、「明治三十七八年戦役記念碑」です。「明治三十七八年戦役記念碑」は、「飛鳥山碑」のすぐ先の左手にあります。「明治三十七八年戦役記念碑」は、明治37年(1904年)から明治38年(1905年)の日露戦争の戦役に当時の北豊島郡内から出征した約2000人の軍人に対し、明治39年(1906年)に建立された記念碑です。ちなみに、「日露戦争」は通称で、当時の政府は公式には「明治三十七八年戦役」という言葉を使っていました。そして、北区は、陸軍の後方支援施設が集中していたそうです。
    次は、「都電・蒸気機関車の展示」です。「都電・蒸気機関車の展示」は「明治三十七八年戦役記念碑」を少し行ったところに「飛鳥山公園児童エリア」が広がっていて、「児童エリア」入口前に、引退した「都電」や「蒸気機関車」設置され、展示車両にも乗ることができます。「都電6080号」は昭和53年(1978年)4月まで「飛鳥山公園」横の「荒川線」(都電さくらトラム)を走っていた車両で、木造の車内がノスタルジックな車両です。令和2年(2020年)11月に再塗装を施し、リニューアルしました。そして、きれいに保存された車内は、木造の床や椅子に温かみがあって、まるで当時にタイムスリップしたよう錯覚にとらわれます。車両の先頭と後方には運転台があり、ハンドルを触って遊ぶことができます。「都電6080号」の隣にあるのが、「蒸気機関車D51853号機」で存在感があり、ひときわ目立っていました。「蒸気機関車D51853号機」は、昭和18年(1943年)に製造され、昭和48年(1972年)6月まで煙を吹き出し、走っていた車両です。操縦席には、たくさんの機器があり、本物の機関車の運転士になった気分にもなります。窓から顔を出し、下を見下ろすと驚くほどの高さがあり、蒸気機関車のスケールの大きさを体感できます。動輪や主連棒、空気圧縮機など、蒸気機関車の仕組みを間近で見ることができます。いずれにしても、新幹線や在来線、貨物列車などの列車が見えるスポットもあり、鉄道ファンにもたまらない公園です。飛鳥山公園の「展望ひろば」の「さくら亭」横の展望デッキより新幹線(東北新幹線、山形新幹線、秋田新幹線、上越新幹線、北陸新幹線)を見ることができます。
    次は、「船津翁の碑」です。「都電・蒸気機関車の展示」の反対側の「飛鳥山展望ひろば」の右手には、明治政府の農業政策、特に農作物栽培法の技術的発展と普及に貢献した「船津傳次平」について書かれた顕彰碑があります。「船津傳次平」は、天保3年(1832年)10月群馬県勢多郡富士見村に生まれ、近世三老農のうち最もすぐれた人です。「船津傳次平」は実験と学理をもととし農蚕業の改良を唱え、足跡全国に及び近世日本の農事を刷新しました。ちなみに、近世三老農とは、群馬県の「船津伝次平」、奈良県の「中村直三」、香川県の「奈良専二」の3人のことです。「船津翁の碑」の篆額は、「小松宮彰仁親王」、文は「品川弥二郎」で、書は「小野鷲堂」によるものです。「横井時敬」等の提唱によって全国からよせられた寄付金で明治33年12月に建てられました。さらに驚くことにこの碑は翁の郷里赤城山麓を向いて建っています。
    「都電・蒸気機関車の展示」の次は、「平和の女神像」です。「蒸気機関車D51853号機」の脇にある小路を直進すると右手に「平和の女神像」があります。「平和の女神像」は、長崎市「平和記念像」の作者として有名な北村西望氏の作品です。この像は、日本と中国の国交正常化を記念し、人類の理想である平和と幸福を願って、北区民有志を中心とした「日中友好・世界平和祈念“平和の女神像”建立の会」と北区、北区議会、北区自治会連合会、区内企業、関係団体等によって 昭和49年(1974年)に建立されました。ちなみに、彫刻家「北村西望」は、明治17年(1884年)に長崎県生まれました。大正元年(1912年)に年東京美術学校(現在の東京芸術大学)彫刻科を首席で卒業後し、北区西ヶ原のアトリエで数々の名作を製作しました。昭和56年(1981年)に「飛鳥山公園」のある北区名誉区民になりました。
    「平和の女神像」の次は、「旧渋沢庭園」です。「平和の女神像」の小道を更に進むと左手の「旧渋沢庭園」の中に「晩香廬」と「青淵文庫」が見えてきます。「渋沢栄一」は、日本の近代経済社会の基礎を築いた人物で、埼玉県の農家に生まれ、幕末の20代のころ武士となり、明治維新後は大蔵省の官僚、実業家として活躍しました。「飛鳥山邸」は、かつて「渋沢栄一」の本邸だった場所です。戦災で主屋などは消失し、現在では、大正時代に建てられた「青淵文庫」と「晩香廬」が残り、「国の重要文化財」に指定されています。「渋沢栄一」は、明治維新後、「知識なくして興隆なし」という理念で、新聞、雑誌を印刷する洋紙の国産化が急務だと考え、明治5年(1872年)に「抄紙会社」(後の王子製紙、現・王子ホールディングス)を王子に創立しました。そして、「渋沢栄一」は工場を眼下にする「飛鳥山」に、まずは明治12年(1879年)に、別荘を構え、内外の賓客を招く館として活用、さらに飛鳥山をこよなく愛したことから、明治34年から亡くなる昭和6年までは家族と過ごす日常の生活の場にもしたのです。ちなみに、「渋沢栄一」は、昭和6年(1931年)11月11日に老衰(満91歳)で亡くなり、墓所は谷中霊園(台東区)にあります。
    その他、「飛鳥山の狛犬」、「飛鳥山1号墳」(飛鳥山古墳群)、「飛鳥の小径」など見どころ満載の公園です。そして、飛鳥山公園児童エリア側には、「紙の博物館」、「北区飛鳥山博物館」、「渋沢史料館」3つの博物館が並んでいますので、ゆっくり鑑賞すると一日がかりになると思います。

    01_【一口メモ】
    ⑴ 所在地…〒114-0002 東京都北区王子1丁目1-3

    02_【アクセス】
    ⑴ JR京浜東北線「王子駅」中央口か南口出口から徒歩1分70m(あすかパークレールまで)
    ⑵ 東京さくらトラム(都電荒川線)「王子駅前」出口から徒歩2分130m(あすかパークレールまで)
    ⑶ 東京メトロ南北線「王子駅」1番出口から徒歩2分140m(あすかパークレールまで)
    ⑷ 東京さくらトラム(都電荒川線)「飛鳥山」出口から徒歩4分350m(あすかパークレールまで)

    旅行時期
    2023年05月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    JR京浜東北線「王子駅」中央口か南口出口から徒歩1分70m(あすかパークレールまで)
    人混みの少なさ:
    3.0
    平日なので混雑はしていませんでした。
    見ごたえ:
    4.5
    飛鳥山公園の中には、いろいろな史跡、博物館が点在して、見どころ満載です。

  • 公園の向こう側には、レンガ造りの赤煉瓦酒造工場があります。歴史を感じさせる建物です。

    投稿日 2024年07月11日

    醸造試験所跡地公園 王子・十条

    総合評価:4.0

    「醸造試験所跡地公園」へのアクセスは、JR京浜東北線「王子駅」の北口改札口を出て、左方向に進むと「親水公園口」になります。「親水公園口」を左折すると目の前に「本郷通り」があるので、そこを右折します。道なりに坂を160mほど直進すると信号(表示名「音無橋」)があります。横断歩道を渡り左折し、直ぐの角を右折し、そのまま道なりに20mほど進むと「醸造試験所跡地公園」があります。今回は、その右手奥にある「赤煉瓦酒造工場(旧醸造試験所第一工場)」にスポットを当てて説明します。
    「旧醸造試験所第一工場」は、国による醸造技術の研究・発展を目指し、明治37年(1904年)5月に創設された「大蔵省醸造試験所」の「清酒醸造試験工場」として設立されました。何故、大蔵省の管轄になったのかというと大蔵省は酒税とも密接な関わりを持つことからだそうです。「大蔵省醸造試験所」の「清酒醸造試験工場」がここに設置された理由は、幕末に「滝野川大鳳製造徐」が置かれた敷地の一部で、水利が良く、王子停車場(現在のJR王子駅)も近いという理由だからそうです。設計は、明治の3大建築家の1人である「妻木頼黄」です。この建物は、通称「赤煉瓦酒造工場」といい、ドイツのビール工場を手本に設計された明治期の貴重な煉瓦造り建造物であるとともに、産業遺産としても貴重とされています。一部3階建、地下階に貯蔵室を持つ煉瓦造りで、外観を化粧レンガ小口積みとし、外壁上部はレンガを櫛形に並べたロンバルド帯風の意匠となっています。平成26年(2013年)12月に、建築学上貴重であり、歴史的価値が高いことから文化財審議会で審議の上、「国の重要文化財」に指定されました。「赤煉瓦酒造工場(旧醸造試験所第一工場)」は、10月下旬から11月上旬、「東京文化財ウィーク」の期間中は、内部が特別公開されますが、それ以外は、個人向けの一般公開はされていません。更に敷地内にも入ることができず、場の北側に隣接する「醸造試験所跡地公園」から、敷地のフェンス越しに、建物の外観を見ることになります。団体による見学はできるそうですが、人数制限があり、原則として10名以上25名以内の団体で、平日9:00~17:00の観覧(観覧時間は約1時間)が可能だそうです。ちなみに観覧料は、1団体あたり6,000円です。かなりハードルの高い条件ですよね。また、内部を見学できる施設は、「ボイラー室」、「原料処理室」、「廊下」、「旧麹室」の四箇所にあるそうです。中に入れなくても「醸造試験所跡地公園」から建物の全景を見るだけでも素晴らしい施設と分かるはずです。

    01_【一口メモ】
    所在地…〒114-0023 東京都北区滝野川2丁目45-9

    02_【アクセス】
    ⑴ JR京浜東北線「王子駅」北出口から徒歩7分500m
    ⑵ 東京さくらトラム(都電荒川線)「王子駅前」出口から徒歩9分650m
    ⑶ 東京メトロ南北線「王子駅」3番出口から徒歩7分500m
    ⑷ 東京さくらトラム(都電荒川線)「飛鳥山」出口から徒歩5分400m

    旅行時期
    2023年06月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.0
    JR京浜東北線「王子駅」北出口から徒歩7分500m
    人混みの少なさ:
    4.0
    公園には、親子ずれが楽しそうに遊んでいる姿が見受けられました。
    見ごたえ:
    4.0
    清酒醸造試験工場は、平成26年(2013年)12月に、建築学上貴重であり、歴史的価値が高いことから国の重要文化財に指定されました。

Lily-junjunさん

Lily-junjunさん 写真

0国・地域渡航

12都道府県訪問

写真 | QA掲示板 | 行ってきます | 掲示版 クリップ

Lily-junjunさんにとって旅行とは

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

大好きな理由

行ってみたい場所

現在0の国と地域に訪問しています

拡大ボタンを押すと地図が
動かせます。

現在12都道府県に訪問しています