隠元禅師を描いた山門左側にある絵はインパクトがあります。興福寺は南京寺、あか寺とも呼ばれています。
- 4.0
- 旅行時期:2024/06(約2年前)
-
-
by Lily-junjunさん(男性)
長崎市 クチコミ:12件
長崎県長崎市にある「興福寺」についての情報を発信していきます。今回、「興福寺」を訪れたのは2024年6月21日です。「興福寺」へのアクセスは、「長崎駅前」から長崎電気軌道3系統「蛍茶屋行」に乗車し、「市役所」電停で下車します。「市役所」電停から「興福寺」まで徒歩5分350mほどです。路面電車の進行方向へ道なりに「桜町通り」を170mほど直進します。「長崎市民会館」を過ぎると「中島川」に架かる「芊原橋」があります。「芊原橋」を渡り右斜めにある道に入ります。130mほど進むと突き当りになり、左右に走る通りが「寺町通り」で、左折し90mほど進むと右手に「興福寺」の「山門」があります。特徴的な朱色の「隠元禅師」が描かれた「山門」を潜り境内に入ります。
【「興福寺」の参拝巡路】
①《山門》⇒②《中島聖堂遺構》⇒③《三江会所門》⇒④《東明燕(庭園)》⑤《大雄宝殿(本堂)》⇒⑥《瑠璃燈と金色の関帝(関羽)像》⇒⑦《媽姐堂》
最初に「興福寺」の歴史を紐解いてみると、「興福寺」は「南京寺」、「あか寺」とも呼ばれ、元和6年(1620年)に、中国の南京地方出身者が、「真円」を開基に迎え「媽姐堂・仏殿」を建てたのがはじまりです。「興福寺」は、わが国最初の唐寺で、かつ「日本黄檗宗」の発祥の地です。江戸時代初期の長崎は中国から渡航してきた貿易商が多く、彼らが出身地別に寺院の建立を求めたそうです。「興福寺」もそのひとつです。また、自分たちがキリスト教徒ではないことの証明と、海の守護神「媽祖」を祀ることを目的に唐寺を建立し、菩提寺としました。第2代住職で「眼鏡橋」を架橋した「黙子如定」は、寛永9年(1632年)に「本堂」である「大雄宝殿」を建立しました。その後火災や暴風で大破しましたが、明治15年(1883年)に再建されました。そして、第3代住職「逸然」は漢画を日本に伝え、のちの画家たちに影響を与えた人物です。「山門」脇に描かれた第4代住職の「隠元禅師」は、インゲン豆や野菜果物、印鑑に木魚、煎茶や普茶料理などを中国から持ち込み、日本文化に多大なる影響を与えたそうです。特筆すべきは、「興福寺」の境内には国指定重要文化財の「大雄宝殿」や「旧唐人屋敷門」、県指定有形文化財の「媽祖堂」や「鐘鼓楼」、「三江会所門」や「山門」などの文化財の宝庫です。
まず、長崎一の大きさを誇る「山門」は、二間三戸八脚の入母屋造単層屋根・総朱丹塗りの豪壮な造りとなっています。「山門」は、当初、承応3年(1654年)に「隠元禅師」が長崎に滞在していたときに、全国より寄せられた寄進により建てられました。しかし、9年後の寛文3年(1663年)3月8日に発生した「長崎大火」で「山門」など全焼しました。現在の「山門」は、元禄3年(1690年)に、日本人工匠の手で再建されたもので和風様式を基調としています。原爆で大破しましたがその後復元しました。「山門」の上部に掛けられている二つの扁額「初登宝地」、「東明山」は「隠元禅師」の筆によるものです。「山門」は、昭和34年(1959年)1月9日に長崎県の有形文化財に指定されました。
次に、「山門」を入り右方向に進むと、長崎市が所有している「中島聖堂遺構大学門」があります。「中島聖堂」は、正保4年(1647年)に儒者の「向井元升」が私財を投じて聖堂、学舎を創設しました。。長年、「中島川」のほとりにあったので「中島聖堂」と呼ばれていました。明治元年(1868年)に廃滅し、昭和34年(1954年)に、「大学門」(杏檀門)と規模を縮小した大成殿を「興福寺」境内に移築・保存し現在に至っています。「大学門」には、中国では縁起ものとなるコウモリの穴がデザインされていました。「中島聖堂遺構大学門」は、昭和35年(1960年)3月22日に長崎県の有形文化財に指定されました。
「中島聖堂遺構大学門」の左隣には、「三江会所門」があります。三江というのは、中国の江南省、浙江省、江西省の3省のことをいいます。三江出身の中国人にとって、「興福寺」は創建以来の菩提寺でした。明治元年(1868年)に「唐人屋敷」の処分が始まり、同地方出身者が明治11年(1879年)に「三江会」を設立し、事務所を「興福寺」内に設置しました。しかし、昭和20年(1945年)の原爆で大破し、撤去されてしまいました。そのため現在では「三江会所門」のみが現存しています。「大雄宝殿」と同様に細部に用いられている純中国式の建築技法を特徴とします。そして、ここでの注目すべきポイントは「豚返し」と「東明燕」です。「三江会所門」入口に設けられた敷居は高く、これは、豚などが門内に入らないよう工夫した「豚返し」と呼ぶ中国の様式で、放し飼いにされていた豚が門内に侵入できないための仕組みです。もちろん、人が出入りできるよう二段式で上部が取り外せるそうです。次に、「三江会所門」を潜るとその先に、手入れが行き届いた見事な小庭園が視界に入ってきます。これが、「東明燕」で、三江会所跡に造成されたものです。江戸時代に造られた黄檗池、竹林など素晴らしい光景が目の前に広がります。「三江会所門」は、昭和35年(1960年)3月28日に長崎県の有形文化財に指定されました。
次が、「大雄宝殿」(本堂)です。「大雄宝殿」は、寛永9年(1632年)に第二住職である「黙子如定」禅師が建立しました。その後、「大雄宝殿」は、大火や天災の惨禍から、幾度もの再建を繰り返してきました。現在の「大雄宝殿」は、明治16年(1883年)に再建したものです。ほとんどが中国工匠による純粋の中国建築で、資材も中国より運送したものだそうです。「大雄宝殿」で否が応でも目を引いたのは、「隠元禅師」筆の「大雄宝殿」と大書した「扁額」です。それと「大雄宝殿」の中国建築様式で、見逃してはならないのが、堂外の前廊にある蛇腹に組まれた「黄檗天井」と呼ばれる舟型天井と文字通り氷を砕いたような文様となっている「氷裂式組子の丸窓」です。氷裂式組子は、明末期を代表する建築様式です。屋根に目をやると魔を威嚇している狛犬の「鬼瓦」と火除けのまじないであるひょうたん型の「瓢瓶」が視界に入ってきます。また、柱や梁に彫られた人物、鳥獣、花などの彫刻も技術の高さが伺え見とれてしまうほど精巧に作られています。ちなみに、「本堂」を「大雄宝殿」と呼ぶのは「釈迦」(大雄)を本尊として祀ることからきているそうです。次に、堂内に目をやると、金色に輝く「関帝像」が安置されています。中国では商業の神として崇拝されているそうです。そして、堂内中央には、高さ2.18メートルの巨大な「瑠璃燈」が吊り下げられています。そして、「大雄宝殿」は、中国南方建築の代表作とされ、明治時代の建築でありながら、戦前より国宝に指定され、平成5年(1993年)1月23日には国の重要文化財に指定されています。ちなみに堂内は撮影禁止です。
最後になりますが、「大雄宝殿」に向かって左手にあるのが「媽祖堂」です。「媽祖」は、「まそ」又は「ぼさ」と読み、中国南部で篤く信仰される航海の神のことで、その媽祖像を祀るのが「媽祖堂」です。長崎にやってくる唐船には守護神である「媽祖」が祀られ、船が長崎に入港し、荷役を終えて出航するまでの間大切な「媽祖」を安置して礼拝するお堂が必要となり、「媽祖堂」を建てたのが始まりだといわれています。「媽祖堂」の建築様式は、和風建築を基調としながらも、「隅屋根の反り」、「黄檗天井の前廊」、「内外装の鮮やかな朱丹塗」などの中国様式が違和感なく溶け込んだ重厚な造りとなっています。ここも堂内は撮影禁止です。
現在時間15時40分です。だいぶ押されてきましたので、次の目的地である「大浦天主堂」にタクシーで向かうことにしました。
01_【「興福寺」の一口メモ】
⑴ 所在地…〒850-0872 長崎県長崎市寺町 4番32号 電話:095-822-1076
⑵ 営業時間… 7:00~17:00 無休
⑶ 入場料…①大人300円 ②中・高生200円 ③小学生100円
02_【「興福寺」へのアクセス】
⑴ 路面電車を利用して
① [長崎駅前]⇒[市役所]≪長崎電気軌道3系統「蛍茶屋行」≫
・路面電車のりば:「JR長崎駅」東口から「新浦上街道」に向かうと歩道橋がありその下にあります。
・2停留所目(「桜町」の次の停留所) 所要時間約4分
・9時から17時の間に1時間平均10~11便
・「市役所」電停で下車し、「興福寺」まで徒歩5分350mほど
→路面電車の進行方向へ道なりに「桜町通り」を170mほど直進します。「長崎市民会館」を過ぎると「中島川」に架かる「芊原橋」があります。「芊原橋」を渡り右斜めにある道に入ります。130mほど進むと突き当りになり、左右に走る通りが「寺町通り」で、左折し90mほど進むと右手に「興福寺」の「山門」があります。
- 施設の満足度
-
4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 長崎駅から長崎電気軌道3系統「蛍茶屋行」で2停留所目、所要時間約4分、「興福寺」まで徒歩5分350mほど
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- 寺町通りではあまりすれ違う人がいませんでしたが、境内には沢山の参拝客がいました。
- 見ごたえ:
- 4.0
- やはり大雄宝殿ですね。中国南方建築の代表作とされ、明治時代の建築でありながら、戦前より国宝に指定されています。
クチコミ投稿日:2024/07/11
いいね!:0票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する