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興福寺

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興福寺 クチコミ・アクセス・周辺情報

長崎市 観光 満足度ランキング 32位

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中国僧真円開基の黄檗寺院。本堂大雄宝殿は国の重要文化財。異国情緒に満ちた寺域は県の史跡。別名「あか寺」。

ピックアップ クチコミ

  • 満足度の高いクチコミ

    隠元禅師を描いた山門左側にある絵はインパクトがあります。興福寺は南京寺、あか寺とも呼ばれています。

    4.0

    長崎県長崎市にある「興福寺」についての情報を発信していきます。今回、「興福寺」を訪れたのは2024年6月21日です。「興福...  続きを読む寺」へのアクセスは、「長崎駅前」から長崎電気軌道3系統「蛍茶屋行」に乗車し、「市役所」電停で下車します。「市役所」電停から「興福寺」まで徒歩5分350mほどです。路面電車の進行方向へ道なりに「桜町通り」を170mほど直進します。「長崎市民会館」を過ぎると「中島川」に架かる「芊原橋」があります。「芊原橋」を渡り右斜めにある道に入ります。130mほど進むと突き当りになり、左右に走る通りが「寺町通り」で、左折し90mほど進むと右手に「興福寺」の「山門」があります。特徴的な朱色の「隠元禅師」が描かれた「山門」を潜り境内に入ります。 【「興福寺」の参拝巡路】 ①《山門》⇒②《中島聖堂遺構》⇒③《三江会所門》⇒④《東明燕(庭園)》⑤《大雄宝殿(本堂)》⇒⑥《瑠璃燈と金色の関帝(関羽)像》⇒⑦《媽姐堂》 最初に「興福寺」の歴史を紐解いてみると、「興福寺」は「南京寺」、「あか寺」とも呼ばれ、元和6年(1620年)に、中国の南京地方出身者が、「真円」を開基に迎え「媽姐堂・仏殿」を建てたのがはじまりです。「興福寺」は、わが国最初の唐寺で、かつ「日本黄檗宗」の発祥の地です。江戸時代初期の長崎は中国から渡航してきた貿易商が多く、彼らが出身地別に寺院の建立を求めたそうです。「興福寺」もそのひとつです。また、自分たちがキリスト教徒ではないことの証明と、海の守護神「媽祖」を祀ることを目的に唐寺を建立し、菩提寺としました。第2代住職で「眼鏡橋」を架橋した「黙子如定」は、寛永9年(1632年)に「本堂」である「大雄宝殿」を建立しました。その後火災や暴風で大破しましたが、明治15年(1883年)に再建されました。そして、第3代住職「逸然」は漢画を日本に伝え、のちの画家たちに影響を与えた人物です。「山門」脇に描かれた第4代住職の「隠元禅師」は、インゲン豆や野菜果物、印鑑に木魚、煎茶や普茶料理などを中国から持ち込み、日本文化に多大なる影響を与えたそうです。特筆すべきは、「興福寺」の境内には国指定重要文化財の「大雄宝殿」や「旧唐人屋敷門」、県指定有形文化財の「媽祖堂」や「鐘鼓楼」、「三江会所門」や「山門」などの文化財の宝庫です。 まず、長崎一の大きさを誇る「山門」は、二間三戸八脚の入母屋造単層屋根・総朱丹塗りの豪壮な造りとなっています。「山門」は、当初、承応3年(1654年)に「隠元禅師」が長崎に滞在していたときに、全国より寄せられた寄進により建てられました。しかし、9年後の寛文3年(1663年)3月8日に発生した「長崎大火」で「山門」など全焼しました。現在の「山門」は、元禄3年(1690年)に、日本人工匠の手で再建されたもので和風様式を基調としています。原爆で大破しましたがその後復元しました。「山門」の上部に掛けられている二つの扁額「初登宝地」、「東明山」は「隠元禅師」の筆によるものです。「山門」は、昭和34年(1959年)1月9日に長崎県の有形文化財に指定されました。 次に、「山門」を入り右方向に進むと、長崎市が所有している「中島聖堂遺構大学門」があります。「中島聖堂」は、正保4年(1647年)に儒者の「向井元升」が私財を投じて聖堂、学舎を創設しました。。長年、「中島川」のほとりにあったので「中島聖堂」と呼ばれていました。明治元年(1868年)に廃滅し、昭和34年(1954年)に、「大学門」(杏檀門)と規模を縮小した大成殿を「興福寺」境内に移築・保存し現在に至っています。「大学門」には、中国では縁起ものとなるコウモリの穴がデザインされていました。「中島聖堂遺構大学門」は、昭和35年(1960年)3月22日に長崎県の有形文化財に指定されました。 「中島聖堂遺構大学門」の左隣には、「三江会所門」があります。三江というのは、中国の江南省、浙江省、江西省の3省のことをいいます。三江出身の中国人にとって、「興福寺」は創建以来の菩提寺でした。明治元年(1868年)に「唐人屋敷」の処分が始まり、同地方出身者が明治11年(1879年)に「三江会」を設立し、事務所を「興福寺」内に設置しました。しかし、昭和20年(1945年)の原爆で大破し、撤去されてしまいました。そのため現在では「三江会所門」のみが現存しています。「大雄宝殿」と同様に細部に用いられている純中国式の建築技法を特徴とします。そして、ここでの注目すべきポイントは「豚返し」と「東明燕」です。「三江会所門」入口に設けられた敷居は高く、これは、豚などが門内に入らないよう工夫した「豚返し」と呼ぶ中国の様式で、放し飼いにされていた豚が門内に侵入できないための仕組みです。もちろん、人が出入りできるよう二段式で上部が取り外せるそうです。次に、「三江会所門」を潜るとその先に、手入れが行き届いた見事な小庭園が視界に入ってきます。これが、「東明燕」で、三江会所跡に造成されたものです。江戸時代に造られた黄檗池、竹林など素晴らしい光景が目の前に広がります。「三江会所門」は、昭和35年(1960年)3月28日に長崎県の有形文化財に指定されました。 次が、「大雄宝殿」(本堂)です。「大雄宝殿」は、寛永9年(1632年)に第二住職である「黙子如定」禅師が建立しました。その後、「大雄宝殿」は、大火や天災の惨禍から、幾度もの再建を繰り返してきました。現在の「大雄宝殿」は、明治16年(1883年)に再建したものです。ほとんどが中国工匠による純粋の中国建築で、資材も中国より運送したものだそうです。「大雄宝殿」で否が応でも目を引いたのは、「隠元禅師」筆の「大雄宝殿」と大書した「扁額」です。それと「大雄宝殿」の中国建築様式で、見逃してはならないのが、堂外の前廊にある蛇腹に組まれた「黄檗天井」と呼ばれる舟型天井と文字通り氷を砕いたような文様となっている「氷裂式組子の丸窓」です。氷裂式組子は、明末期を代表する建築様式です。屋根に目をやると魔を威嚇している狛犬の「鬼瓦」と火除けのまじないであるひょうたん型の「瓢瓶」が視界に入ってきます。また、柱や梁に彫られた人物、鳥獣、花などの彫刻も技術の高さが伺え見とれてしまうほど精巧に作られています。ちなみに、「本堂」を「大雄宝殿」と呼ぶのは「釈迦」(大雄)を本尊として祀ることからきているそうです。次に、堂内に目をやると、金色に輝く「関帝像」が安置されています。中国では商業の神として崇拝されているそうです。そして、堂内中央には、高さ2.18メートルの巨大な「瑠璃燈」が吊り下げられています。そして、「大雄宝殿」は、中国南方建築の代表作とされ、明治時代の建築でありながら、戦前より国宝に指定され、平成5年(1993年)1月23日には国の重要文化財に指定されています。ちなみに堂内は撮影禁止です。 最後になりますが、「大雄宝殿」に向かって左手にあるのが「媽祖堂」です。「媽祖」は、「まそ」又は「ぼさ」と読み、中国南部で篤く信仰される航海の神のことで、その媽祖像を祀るのが「媽祖堂」です。長崎にやってくる唐船には守護神である「媽祖」が祀られ、船が長崎に入港し、荷役を終えて出航するまでの間大切な「媽祖」を安置して礼拝するお堂が必要となり、「媽祖堂」を建てたのが始まりだといわれています。「媽祖堂」の建築様式は、和風建築を基調としながらも、「隅屋根の反り」、「黄檗天井の前廊」、「内外装の鮮やかな朱丹塗」などの中国様式が違和感なく溶け込んだ重厚な造りとなっています。ここも堂内は撮影禁止です。 現在時間15時40分です。だいぶ押されてきましたので、次の目的地である「大浦天主堂」にタクシーで向かうことにしました。 01_【「興福寺」の一口メモ】 ⑴ 所在地…〒850-0872 長崎県長崎市寺町 4番32号 電話:095-822-1076 ⑵ 営業時間… 7:00~17:00 無休 ⑶ 入場料…①大人300円 ②中・高生200円 ③小学生100円 02_【「興福寺」へのアクセス】 ⑴ 路面電車を利用して ① [長崎駅前]⇒[市役所]≪長崎電気軌道3系統「蛍茶屋行」≫ ・路面電車のりば:「JR長崎駅」東口から「新浦上街道」に向かうと歩道橋がありその下にあります。 ・2停留所目(「桜町」の次の停留所) 所要時間約4分  ・9時から17時の間に1時間平均10~11便 ・「市役所」電停で下車し、「興福寺」まで徒歩5分350mほど →路面電車の進行方向へ道なりに「桜町通り」を170mほど直進します。「長崎市民会館」を過ぎると「中島川」に架かる「芊原橋」があります。「芊原橋」を渡り右斜めにある道に入ります。130mほど進むと突き当りになり、左右に走る通りが「寺町通り」で、左折し90mほど進むと右手に「興福寺」の「山門」があります。   閉じる

クチコミ・評判

3.47

(80件のクチコミ)
アクセス:
3.48
長崎駅から長崎電気軌道3系統「蛍茶屋行」で2停留所目、所要時間約4分、「興福寺」まで徒歩5分350mほど by Lily-junjunさん
人混みの少なさ:
3.94
寺町通りではあまりすれ違う人がいませんでしたが、境内には沢山の参拝客がいました。 by Lily-junjunさん
バリアフリー:
3.08
見ごたえ:
4.00
やはり大雄宝殿ですね。中国南方建築の代表作とされ、明治時代の建築でありながら、戦前より国宝に指定されています。 by Lily-junjunさん

1~20件(全80件中)

  • 見どころの多い寺です

    • 4.5
    • 旅行時期:2024/05(約2年前)
    • 0

    1876年に隠元禅師が開祖となった日本最初の黄檗禅宗の唐寺です。市役所電停から徒歩8分ほどの高台にあります。1690年に再...  続きを読む建された総朱丹塗りの山門は長崎で一番大きいと言われています。本堂は大雄宝殿で国重要文化財です。二層瓦屋根で下の屋根は反り上っています。上の屋根に瓢箪が飾られているのは火災予防だと住職さんが教えてくれました。大雄宝殿の丸窓は氷裂式組子で美しいです。航海の守護神を祀る媽祖堂や鐘鼓楼、移築された旧唐人屋敷門など見どころの多い寺です。堂内の床は石で唐寺の特徴を見ることができます。長い線香や赤い蝋燭など、中国寺を思い出し懐かしかったです。  閉じる

    投稿日:2025/02/01

  • 2023年6月5日で紫陽花が綺麗でした。

    • 4.0
    • 旅行時期:2023/06(約3年前)
    • 0

    長崎市にある興福寺です。
    敷地内にはいくつかの建物があり、本堂大雄宝殿は国の重要文化財に指定されています。
    期間限定で...  続きを読む沢山の紫陽花が飾られており、2023年6月5日でほぼ満開でとても綺麗でした。 拝観料は300円でした。  閉じる

    投稿日:2023/06/05

  • 1624年に創建されました

    • 3.5
    • 旅行時期:2023/03(約3年前)
    • 0

    長崎にある4福寺の一つで、唐寺としては最も古い寺だそうです。
    お寺が密集している、寺町通りの一角にあり、静かな佇まいの中...  続きを読むでお参りできます。
    国の指定重要文化財が本堂と唐人屋敷門の、2つもあります。
    中国の商人が長崎と行き来を始めた頃に、中国人がこの地に住まいを作ったのが最初です。  閉じる

    投稿日:2023/05/09

  • 海の守護神「媽祖様」

    • 4.0
    • 旅行時期:2023/03(約3年前)
    • 0

    風頭山の山麓に寺院が建つ寺町通りの中ほどにある黄檗宗の唐寺
    海の守護神「媽祖様」を祀る
    最近 媽祖信仰に興味を持ち 日...  続きを読む本の中の媽祖様に会いたくて訪れました
    長崎旅行中 中華を身に感じて 触れられる機会がたくさんあります
    訪れた時 寺院の中は私たちだけだったので 道内の仏像もゆっくりと拝見できました  閉じる

    投稿日:2023/05/05

  • 中国僧の・・・

    • 4.0
    • 旅行時期:2023/03(約3年前)
    • 0

    江戸時代初頭の1624年に、中国僧の真円により創建された「唐寺」で、長崎四福寺の一山に数えられます。伽藍は、国指定重要文化...  続きを読む財「大雄宝殿」を始めとして、「山門」・「媽姐堂」・「鐘鼓楼」とすべてが黄檗美術の絢爛豪華な造りで何時も感動しています。  閉じる

    投稿日:2023/04/09

  • 寺町通りに面しています。

    • 3.0
    • 旅行時期:2023/02(約3年前)
    • 0

    寺町通りに面しています。
    境内は広かったです。よく管理されて、とても気持ちよくお参りすることができました。境内には国指定...  続きを読むの重要文化財「旧唐人屋敷門」がありました。このお寺は、わが国最初の黄檗禅宗の唐寺なのだそうです。  閉じる

    投稿日:2023/05/09

  • 長崎のランタンフェスティバル会場の一つになっていました。他の会場からは少し離れたところにあるせいか、ここは観光客の姿もまば...  続きを読むらで、とても静かな雰囲気が漂っていました。お寺の中なので、全体的に落ち着いた装飾で他の会場とはちょっと違います。歴史ある黄檗宗のお寺なのでお寺自体も古くて見ごたえがあるので、訪れる価値ありです。  閉じる

    投稿日:2023/03/03

  • とても雰囲気のいいお寺。

    • 4.5
    • 旅行時期:2023/01(約3年前)
    • 0

    とても雰囲気のいいお寺です。ランタン祭りの時期限定の御朱印もいただけましたが、一般的な御朱印帳にはぎりぎりおさまらないサイ...  続きを読むズ(タテ長)。そういうのもご愛嬌…。メインのお堂以外にもいくつかお堂があり、そのどれもが時代や、建築デザインがすこしずつ違っていたのが面白かったです。また訪れたいです。  閉じる

    投稿日:2023/02/17

  • 唐寺

    • 3.5
    • 旅行時期:2022/12(約3年前)
    • 0

    興福寺は、長崎市の中心部そば、寺町通り沿いにある寺院です。
    建物の形や色遣いに、中国の影響を感じます。入口の門から必見。...  続きを読む
    門を入ったところに、隠元禅師の像が立っていました。
    敷地はさほど広くはありませんが、南国風の植物が植っていたりして面白かったです。
      閉じる

    投稿日:2022/12/25

  • 3回目の長崎。今回はマイナースポットへ。

    • 4.0
    • 旅行時期:2022/12(約3年前)
    • 1

    長崎の興福寺は黄檗宗のお寺です。日本にいんげん豆やお茶を伝えた隠元禅師が日本で最初に入ったお寺です。寺院ではありますが、中...  続きを読む国の影響を多分に受けています。宇治にある黄檗宗萬福寺とすごく似ていますが、長崎の方が先なので似てて当たり前ですね。宇治ではかいぱんでしたが、こちらでは魚板。食事を知らせるために叩かれていたようです。建物も魅力的で氷裂式組子の丸窓や蛇腹の黄檗天井、吉祥の桃花の扉、中国から遥々やってきたという瑠璃燈、屋根の上の瓢瓶。見どころが沢山ありました。境内には1輪だけお茶の花も咲いていました。マイナースポットではありますが、長崎と中国の文化のつながりを感じられます。  閉じる

    投稿日:2022/12/10

  • 隠元和尚ゆかりのお寺

    • 3.5
    • 旅行時期:2022/12(約3年前)
    • 0

    寺町通りの中でもひときわ大きなお寺です。拝観料は300円で、少しですがお土産も販売しています。境内は広く、隠元和尚ゆかりの...  続きを読むお寺との案内がありました。中でお茶をいただけるスペースがありました。大きな門や社があり、見ごたえがあります。  閉じる

    投稿日:2022/12/07

  • 和風な佇まい

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/11(約3年前)
    • 0

    長崎三福寺(興福寺、福済寺、崇福寺)の1つで、国内最初の黄檗禅宗の唐寺で、別名「あか寺」。同じ朱色を基調とした黄檗禅宗の唐...  続きを読む寺にもかかわらず、純中国風な崇福寺とは対照的に、崇福寺ほど赤々としていない和風な佇まい。本堂大雄宝殿は国の重要文化財。異国情緒に満ちた寺域は県の史跡になっているようだ。  閉じる

    投稿日:2023/01/07

  • 紫陽花が綺麗でした。

    • 4.5
    • 旅行時期:2022/05(約4年前)
    • 0

    長崎市にある興福寺です。
    本堂大雄宝殿は国の重要文化財に指定されています。
    唐寺で異国情緒が漂うお寺でもあります。期間...  続きを読む限定で沢山の紫陽花が飾られており、2022年5月30日で4~5部咲きでしたがとても綺麗でした。  閉じる

    投稿日:2022/05/31

  • 隠元和尚が創建したお寺

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/05(約4年前)
    • 0

    今回は長崎に教会巡りにやってきたのですが、なんとお寺も最古とか歴史的に興味深いところが沢山あって、雨の中頑張っていってきま...  続きを読むした。入り口に隠元和尚の姿が描かれていて、やっぱり他のお寺とは全然違いました。  閉じる

    投稿日:2022/05/26

  • 日本最初の唐寺

    • 4.5
    • 旅行時期:2022/04(約4年前)
    • 0

    江戸時代はオランダはもちろん隣国の清との交易も盛んでした。この寺は奈良の興福寺とは関係がなく、福建州の真円によりもたさられ...  続きを読むた日本最初の唐式の寺です。眼鏡橋も含め鎖国期とは思えないほど日中の結びつきが深く当時の文化が広く受け入れられたことを示します。ただ急こう配な坂の上にありアクセスは不便です  閉じる

    投稿日:2022/05/04

  • 長崎らしいお寺です

    • 4.0
    • 旅行時期:2022/03(約4年前)
    • 0

    オランダの人などのなかわたしをしていた唐人たちの守り神としての唐寺で、テーマパークのように本格的ですが、歴史があり、お寺自...  続きを読む体に風格がありました。建築様式など細かいところが、日本のお寺とは、やはり、違います。  閉じる

    投稿日:2022/05/09

  • いわゆる唐寺です。

    • 4.5
    • 旅行時期:2022/03(約4年前)
    • 0

    長崎観光で福の名のつく寺の一つで、そのむかり、唐からの人々が建てた唐寺です。唐寺としては最も古いそうです。入館料が必要にな...  続きを読むりますが、見る価値はとてもあります。国指定重要文化財の本堂と屋敷門があり、とても凝った作りです。  閉じる

    投稿日:2022/05/09

  • 日本最初の唐寺

    • 4.0
    • 旅行時期:2021/11(約4年前)
    • 0

    長崎三福寺のひとつで唐寺
    黄檗宗の開祖隠元隆ゆかりの寺院で長崎の興福寺に招かれて長崎に来た
    初めは3年という約束の元...  続きを読む 来日したが 皆の願いがあり、京都宇治の黄檗宗大本山を開祖し、日本にいることを決意してくれて 日本に骨をうめた「隠元隆」
    唐寺らしい 洒落た建物も見どころ   閉じる

    投稿日:2023/03/06

  • 長崎は中国からの来航者が・・・

    • 4.0
    • 旅行時期:2021/11(約4年前)
    • 0

    江戸時代初期の長崎は中国からの来航者が圧倒的に多く、市民の6人に1人は中国人というほどで、出身地別に寺を建立したのが興福寺...  続きを読むをはじめとする崇福寺、福済寺などの長崎唐寺の始まりだったようです。キリスト教禁令が厳しくなり、仏教徒であることを誇示するために唐寺が建てられたと感じられました。  閉じる

    投稿日:2021/12/04

  • 国内最初の唐寺

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/09(約4年前)
    • 0

    崇福寺の後に行ったせいか同じ唐寺でもホッと落ち着ける感じがしました。
    崇福寺ほど赤々としていないせいかもしれません。
    ...  続きを読む道路に面した門はあまり唐寺といった感じがしません。普通の日本の仏教寺に見えます。
    中に入るとそこそこ赤いですが、その赤がベンガラの赤なので落ち着いています。
      閉じる

    投稿日:2021/09/25

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基本情報(地図・住所・アクセス)

施設名
興福寺
住所
  • 長崎県長崎市寺町4-32
電話番号
095-822-1076
アクセス
長崎駅 路面電車 5分
市民会館下車 徒歩 5分
予算
【料金】 大人: 300円 高校生: 200円 中学生: 200円 小学生: 100円
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 寺・神社・教会
登録者
たびたび さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

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