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Lily-junjunさんのクチコミ(2ページ)全318件

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  • 見たこともないスケール大きい花火が漆黒の日本海と夜空に打ちあがるシーンは感動的でした。

    投稿日 2024年08月13日

    ぎおん柏崎まつり 海の大花火大会 柏崎・鯨波海岸

    総合評価:5.0

    新潟県新潟市にある「ぎおん柏崎まつり海の大花火大会」についての情報を発信していきます。今回、「ぎおん柏崎まつり海の大花火大会」を訪れたのは2024年7月26日です。
    新潟県には、「越後三大花火」という夏を代表する一大花火イベントがあります。まず、先陣を切って開催されるのが、7月26日に行われる海の花火として知られる「ぎおん柏崎まつり海の大花火大会」です。次に8月2日・3日に行われ、川の花火として知られる「長岡まつり大花火大会」で、信濃川の両岸を観覧席として開催されます。「長岡まつり大花火大会」は、日本屈指の花火大会で、新潟の花火といったら誰もが「長岡まつり大花火大会」と答えるでしょう。そして、最後が9月13日・14日に行われ、山の花火として知られる「片貝まつり浅原神社秋季例大祭」の花火で、別名「花火祭り」と呼ばれています。ちなみに、片貝は三尺玉発祥の地であり、この片貝まつりで打ち上がる「正四尺玉」は世界最大の打ち上げ花火としてギネスブックにも掲載されています。
    今回、その「越後三大花火」の中で、「ぎおん柏崎まつり海の大花火大会」の花火を見に行ってきました。「ぎおん柏崎まつり海の大花火大会」の花火を見て大変感動しました。「ぎおん柏崎まつり海の大花火大会」は、花火そのもののスケールもさることながら、海というロケーションを最大限利用して活かしていることです。日本海そのものが、夜空、海中に咲く花火のキャンバスになっています。聞いたところによると、柏崎のように、あれだけのスペースを使った花火大会は日本中どこに行ってもないということです。私の住んでいる東京にも全国的に有名な「隅田川の花火」もあります。「ぎおん柏崎まつり海の大花火大会」の花火を見るまで日本一かと思っていましたが、認識が一気に変わりました。確かに「隅田川の花火」は、建物も密集しているので、おそらく花火の大きさに制限があるので仕方がないでしょう。「ぎおん柏崎まつり海の大花火大会」の花火を見たら、残りの「越後三大花火」も観たくなりました。結構お金もかかるので、来年は「長岡まつり大花火大会」、再来年は「片貝まつり浅原神社秋季例大祭」の花火を観に行こうと考えています。
    「ぎおん柏崎まつり海の大花火大会」は、「T-LIFEホールディング」のツアー「指定観覧席:らくらくイス・テーブル席」に申し込みました。新幹線やホテルの手配は自分たちでしなければなりません。集合場所は、JR「新潟駅」南口にあるバス乗り場です。JR「新潟駅」南口からバスに乗り込むと私たち家族を含め10名程度しかいませんでした。スカスカの状態です。バスは14時00分に出発し、最初に「ビックスワン無料駐車場」に停まりました。ここからは大勢の観覧客が乗車してきました。それから「栄パーキング上り売店前」、「長岡インター」でも観覧客が乗車し、いつのまにかバスの座席は満席になっていました。そして、目的地である「ぎおん柏崎まつり海の大花火大会」のバス専用の駐車場に、16時30分ごろに到着しました。広大なバス専用の駐車場です。添乗員の話によると、到着して時点では私たちのバス以外に1台しか駐車していませんでしたが、200台以上のバスで駐車場が満杯になるそうです。車内で有料観覧席の「イス・テーブル席」IDカードとお弁当の引換券が配られました。紛失してしまうと入場できなくなりますので注意してくださいという指示が添乗員からありました。駐車場から「ぎおん柏崎まつり海の大花火大会」の会場まで歩いて15分ほどでした。有料観覧席の入場ゲートは、個人と団体に分かれていて、そこからの入場です。ちなみに、有料観覧席は、「イス・テーブル席」(36000円)、「マス席」(30000円)、「階段席」(13000円)、「ベンチ席」(14000円)の四種類です。私は正座が苦手なので助かりました。食事をしながら花火を十分楽しむことができました。ただし、太陽が沈むと辺り一帯は真っ暗になりテーブルの上に何があるか分からなくなるので、食事は明るいうちに済ませた方がいいですね。花火が打ちあがるまで2時間30分以上あるので、会場の外にある「セブンイレブン 柏崎西港町店」に飲み物とデザートを買いに行きました。そこで目の前には愕然とするような光景が広がっていました。店内の入場制限をしていて、50から60人の観覧客が並んでいました。ここしかないので仕方なく並んで飲み物等を購入しました。「イス・テーブル席」に戻り、お弁当の引換券を持って、お弁当引換所に向かいました。私が、お弁当引換所へ行ったときには誰も並んでいませんでしたが、バスが到着するにつれて、長い時は30分以上も並ばなければならないそうです。お弁当は三種類ありましたが、一番量の少ない「かしわざき花火弁当」(1500円)を事前に注文しておきました。「かしわざき花火弁当」は、柏崎名物の鯛めし、鮭の米麹焼きや越後醤油の海老艶煮、菜の花、柿、柏崎伝統野菜に認定される節なり胡瓜など柏崎を感じられる種類豊富な食材が入っている花火限定の弁当です。
    会場にある「夕陽のドーム」では、イベントが次から次へと開催され、色々なジャンルの歌声があたりに響いていました。時間を潰したつもりでしたが、花火の打ち上げまで1時間ほどありました。しかし、ここで信じられない光景を目にすることができました。それは、夕陽が雲のまにまに沈むのを見ることができたことです。当日は曇り空だったので、残念ながら地平線の彼方に沈むのを見ることができませんでしたが、なんとなく得した気分になりました。
    アナウンスがありいよいよ開演です。開演に先立ち花火大火の開始の前のイベントである「日本海太鼓」の演奏です。荒々しい太鼓の音色が日本海に響き渡り、五臓六腑にも共鳴を感じました。「ぎおん柏崎まつり海の大花火大会」は、海の柏崎ならではの海の広さを利用した幅600メートルの「ワイドスターマイン」、「海中空スターマイン」、「尺玉100発一斉打上」、そして、柏崎でしか見られない「怒涛の尺玉300連発」など、豪華絢爛な花火が目白押しです。
    さて、いよいよ始まります。最初は、日本海の美しい夕日と紺碧の空をバックに繰り広げるオープニング・スターマインから始まります。次が、「海中空スターマイン」です。花火が海に向かって曲線を描きながら打ち込まれ、海面で花が咲き、美しい半円を描きます。これこそまさに海の柏崎である由縁でしょう。私も最初疑問に思ったのですが、海に打ち込んだら導火線の火が消えてしまうのではないかと心配になりました。実は、花火の火薬は燃えているのではなく、化学反応で爆発しています。酸素を含んだ薬品と炭素とが結合して燃焼現象を起こします。この化学反応によって、海の中に投げ入れても火が消えないのです。海に打ち込まれた花火は、海中に沈んだ後、花火の中に入っている空気によって海面に浮かんできます。その海面に浮かんできた時に開かせるように打ち上げからの時間を調整しているそうです。次が、花火の王様である「三尺玉特大花火」です。会場入り口付近に記念撮影スポットがあり、一番大きい「三尺玉」の実物大見本も展示してありました。「三尺玉」は、重さ約200kgあり、高さ600メートルの上空にて直径600メートルの大輪の花を咲かせます。「三尺玉」の会場に轟く大音響、爆風などを感じることができました。次が、「ワイドスターマイン」です。日本海に突き出る600メートルの堤防をワイドに使って打ち上げます。花火の滝が広範囲に渡って流れ落ちます。次が、「尺玉100発一斉打上」の連発です。開花すると直径300mの尺玉100発が、幅1500メートルにわたり一斉に打ちあがりしかも2回連続で打ち上がるという贅沢な光景を演出してくれます。最後の感動のフィナーレは、「怒涛の尺玉300連発」です。柏崎の海をふんだんに使い、300発の鮮やかな花火が、約6分間打ち上がり続けます。感動と驚愕のうちに1時間30分に及ぶ花火もあっというまに終わってしまいました。
    帰りはこれまた大変でした。会場からバスの駐車場まで人の波が続き30分近くかかりました。全員揃ったところで出発です。駐車場から途中の経由地を経て、JR「新潟駅」南口へ戻ります。バスの駐車場からもなかなか出られません。出口から高速のインターまでまた大渋滞で、結局JR「新潟駅」南口へ着いたのは、深夜1時15分でした。そして、今夜の宿泊施設である「ANAクラウンプラザホテル新潟」へ着いたのは1時30分過ぎでした。美しい花火を十分堪能できましたが、疲れたというのも本音です。

    01_【「ぎおん柏崎まつり海の大花火大会」の一口メモ】
    ⑴ 開催日…令和6(2024)年7月26日(金曜日) ※開催日は、毎年7月26日です。
    ⑵ 開催時間…19:30から21:10
    ⑶ 会場…柏崎市中央海岸・みなとまち海浜公園一帯
    ⑷ 打ち上げ数…約1万6000発

    02_【「ぎおん柏崎まつり海の大花火大会」へのアクセス】
    JR「柏崎駅」から徒歩25分 ※2024年はシャトルバスの運行なし

    旅行時期
    2024年07月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    1.5
    JR「柏崎駅」から徒歩25分 ※2024年はシャトルバスの運行なし
    人混みの少なさ:
    1.5
    来場者はかなりいました。有料席がキチンと設けてあるので見やすがった。
    催し物の規模:
    4.5
    会場内で色々なイベントが行われていました。
    雰囲気:
    5.0
    海に沈む太陽も見ることができました。花火は最高です。

  • 観光などいろいろな情報をゲットできるだけでなく、親切丁寧な応対をしてくれました。お土産もアドバイスしてくれました。

    投稿日 2024年08月13日

    新潟駅万代口観光案内センター 新潟市

    総合評価:4.0

    新潟県新潟市にある「新潟市観光案内センター」についての情報を発信していきます。今回、「新潟市観光案内センター」に立ち寄ったのは2024年7月26日です。「新潟市観光案内センター」は、JR「新潟駅」の2階の在来東改札前にあります。新幹線の改札口からは左方向に進むとすぐ右手にあります。
    今回は、「ぎおん柏崎まつり海の大花火大会」が主目的だったので、新潟観光は全く考えていませんでした。行きの花火大会会場へのバスと帰りの新幹線の時間がそれぞれ3~4時間あったので、思案に暮れていたところ運よく、新幹線の改札口からすぐ左手のところに「新潟市観光案内センター」を発見しました。とにかく、初めての新潟旅行なので、地理感もゼロでどこへ行ったらいいのか見当もつきませんでした。3~4時間の予定で観光したいと相談したところ、とても親切に丁寧に説明してくれました。また、観光スポットのパンフレットも充実していて豊富にありました。実は、「新潟市観光案内センター」の隣にお土産センターがあり、翌日、お土産を買おうと思い行きましたが、種類がたくさんあり何を買っていいのか分からなくなったので、再度「新潟市観光案内センター」のスタッフの方に相談しました。お土産センターの右手入口のところにある「アン・ブルボン」の「シュガーバター」、「GATEAU HA NA BI」の「夏花火パイ」そしてやはり越後といったら「笹団子」だそうです。それともう一つ耳寄りな情報も教えてくれました。それは、新幹線の改札口の左手にある奥のお土産屋で美味しい湯がた枝豆を販売しているということです。残念ながら売り切れで在庫がありませんでした。
    ちなみに、「新潟市観光案内センター」は、2024年3月1日にリニューアルオープンしたばかりの出来立てのピカピカです。清潔感溢れる内装も魅力です。内装には新潟県産スギ材や新潟漆器を使用しているそうです。3台の大型LEDビジョンを設置し新潟の観光魅力を上映していました。また、窓口業務としては、当日の新潟市内宿泊予約、観光案内、交通案内、各種観光パンフレットの提供、にいがた食の陣「うまさぎっしり湊町券」の換券、手荷物配送サービスの「新潟駅から手ぶらで観光」などを行っています。

    01_【「新潟市観光案内センター」の一口メモ】
    ⑴ 所在地…〒950-0086 新潟県新潟市中央区花園1丁目1-1 JR新潟駅 2階 電話:025-241-7914
    ⑵ 営業時間…9:00~19:00
    ⑶ 休館日…年末年始

    旅行時期
    2024年07月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    5.0
    JR「新潟駅」の2階の在来東改札前にあります。新幹線の改札口からは左方向に進むとすぐ右手にあります。
    人混みの少なさ:
    4.0
    結構観光客が情報収集に来ていました。
    見ごたえ:
    4.0
    観光パンフレット、観光地図などは沢山ありました。観光案内所のスタッフも親切丁寧に説明してくれました。

  • 朝食のビュッフェは、地産地消の食材を活かした名物やB級グルメも堪能できます。何と言っても三種のコシヒカリの食べ比べですね。自分なりにアレンジに挑戦してください!

    投稿日 2024年08月07日

    ANAクラウンプラザホテル新潟 新潟市

    総合評価:4.0

    新潟県新潟市にある「ANAクラウンプラザホテル新潟」についての情報を発信していきます。今回、「ANAクラウンプラザホテル新潟」に宿泊したのは2024年7月26日です。
    JR「新潟駅」から「ANAクラウンプラザホテル新潟」へのアクセスは、新幹線の改札口を出て左方向に進むとすぐ右手に「新潟市観光案内センター」があります。そこを右折し少し進むと左手に降り口がありますので降りると「万代広場」方面に出ます。「ロイヤルホスト」、「ローソン新潟花園一丁目店」の先の横断歩道を渡り、道なりに670mほど進むと右手に「ANAクラウンプラザホテル新潟」があります。駅前の「東大通り」を利用してもいいのですが、途中に歩道橋があるので、前者のルートを利用する方が賢明です。
    「ぎおん柏崎まつり海の大花火大会」を観覧した後、JR「新潟駅」に着いたのは、深夜の1時15分過ぎです。この時間帯だとほとんどタクシーはなく、徒歩10分ほどなので歩いてホテルに行くことにしました。「ANAクラウンプラザホテル新潟」に着いたのは、1時30分頃になってしまいました。ホテルに帰ってシャワーを浴び、寝るだけでした。客室は、10階にある角部屋の1001室ですツインの部屋なのでエクストラベットが1つ用意されていました。家内と娘は、寝心地のよさそうなSIMMONS製ベッドで睡眠をとりました。部屋の大きさはまあまあの広さです。アメニティ・備品等も一通り完備されていました。シャワーを浴び、エクストラベットにはいるとあっという間に眠りに陥りました。
    朝食は、1Fの「ブレックファストビュッフェ」で朝の6:00から10:00までです。普段は早めに朝食を済ませ観光に向かいますが、寝たのが遅かったので9:00過ぎに朝食会場へ行きました。朝食は楽しみにしていたものが三つあります。まず、新潟県の北部にある岩船地域で育てられた良質の県産ポークをじっくり熟成させた「黄金豚のハムステーキ」です。「シェフコーナー」で目の前で焼いてくれます。当日は、女性のシェフが調理してくれました。「黄金豚のハムステーキ」は、やわらかく、かみしめると一層旨みが出てきました。二つ目は、米どころ新潟の三種のお米の食べ比べができるということです。三種のお米とは、「魚沼産コシヒカリ」、「佐渡産コシヒカリ」、「岩船産コシヒカリ」です。ただ食べ比べでは芸がないので、三種のお米をお椀に盛り付け、まず、「タレカツ丼」にして食べました。どの銘柄のお米も甘みが半端ではありませんでした。もちろんカツもあっさり揚げてあり、サクサクとした食感でした。それと新潟ではカレーがB級グルメらしくホテル自慢の自家製カレーをかけ三種のお米を堪能しました。昔ながらの素朴な味わいのカレーでした。三つ目は、人気の「とろけるヤスダヨーグルト」です。できたての生乳で作られているので、少々固めの食感で、濃厚な味わいを楽しむことができました。その他、郷土料理「のっぺ」や「栃尾揚げ」をはじめ、地産地消にこだわった日本料理を味わうことができます。旅行に行くとたいていの場合は洋食中心ですが、今日は和食で地元新潟の味を堪能することができました。お腹も一杯になったところで、新幹線の時間まで新潟市内の観光へ向かいます。

    01_【「ANAクラウンプラザホテル新潟」の一口メモ】
    ⑴ 所在地…〒950-8531 新潟市中央区万代5-11-20  TEL:025-245-3333
    ⑵ チェックイン…2:00pm チェックアウト…11:00am

    02_【「ANAクラウンプラザホテル新潟」へのアクセス】
    ⑴ 徒歩で
    JR「新潟駅」万代口から徒歩11分750mほど
    ⑵ バスを利用して
    「新潟駅バスターミナル」の6番、7番、8番バス停から発車しているいずれかのバスに乗車に「万代シテイ」停留所下車、徒歩3分240mほど

    旅行時期
    2024年07月

  • 文明の近代化は紙の作成です。紙の文化とその重要性が理解できます。

    投稿日 2024年07月13日

    紙の博物館 王子・十条

    総合評価:4.0

    「紙の博物館」へのアクセスは、JR京浜東北線「王子駅」中央口の出口を出て、「本郷通り」を左方向に500mほど直進すると三つ目の信号のところに「飛鳥山公園」へ通じる階段が左手にあります。その階段を上ると右手に「紙の博物館」があります。
    飛鳥山公園児童エリア側には、3つの博物館が並んでいて、その一つが「紙の博物館」です。「紙の博物館」は、昭和25年(1950年)6月8日に、東京都北区「王子」に設立されました。「王子」は、「渋沢栄一」により明治初期に近代的な製紙工場のさきがけとなった「抄紙会社」(後の王子製紙王子工場)が設立された地で、「洋紙発祥の地」として知られています。「紙の博物館」では、日本の伝統的な「和紙」、近代日本の発展を支えた「洋紙」の両面から紙の歴史・文化・産業を学ぶことができます。
    では、早速「紙の博物館」へ入館します。出入口は2Fにあります。入口から少し進むと右側に展示室「紙と産業」があります。ここでは、主に洋紙にまつわる展示を見ることができます。2Fは「受付」、「エントランスホール」、「展示室~紙と産業」、「産業遺産コレクションの機械」、「ミュージアムショップ」があります。「展示室~紙と産業」では、日本の近代製紙産業の歴史をはじめ、紙の原料と製造工程、多様な種類・用途、製紙業界の取り組みなど、私たちが日常的に使用している洋紙についてのコーナーになっています。紙を抄く機械・抄紙機の誕生と原料が木材になったことで、大量生産が可能になり、製紙産業が発展していったそうです。続いて、階段を利用して、3Fへ移動します。3Fは、「展示室~紙の教室」、「映像コーナー」、「クイズコーナー」で構成されています。紙について体感的に学ぶことができる展示室「紙の教室」があります。いろいろな紙にさわったり、クイズに挑戦したり、体験的に紙を学ぶことができます。例えば、紙の原料となるパルプが入った筒を、ハンドルを回すことで、ひっくり返したり、戻したりして、紙の作り方とリサイクルの仕組みを体験しながら学べます。他にも、原料の違う紙を実際に触り比べて、楮・綿・竹など原料による紙の違いを体感したり、パソコンのクイズで紙について学習したり、楽しく学べる工夫が凝らされています。次に、階段を利用して、4Fへ移動します。4Fは、「展示室和紙と文化」、「和紙文化コレクション」、「企画展示室」、「展望コーナー」で構成されています。「展示室和紙と文化」では、紙の誕生と伝播、和紙の歴史や製造工程、今も各地に残る和紙の産地や、多彩な種類と用途など、古くから日本文化を支えてきた和紙について紹介しています。木製の「百万塔」の中に収められた「陀羅尼」は、現存する年代のわかる最古の印刷物だそうで、無垢浄光陀羅尼経と呼ばれる経典の一部が印刷されているそうです。最後に、エレベーターで1Fへ降ります。1Fは近代製紙産業に関する「記念碑コーナー」、「産業遺産コレクション記念碑」、「イベントホール」、「図書室」になっています。現在開催中の企画展は、ミニ展示「紙博のあゆみ」で、2023年5月30日(火)から7月2日(日)まで行われる予定で、内容としては、「紙の博物館」の創立記念日6月8日にあわせて、「紙の博物館」のあゆみと重要収蔵品が数点展示してありました。そして、最後に、土日に開催される「紙すき教室」では、牛乳パックを再生した原料を使って、オリジナルはがきを作ることができます。「紙すき教室」は、これを目当てに訪れる来館者も多い人気のイベントです。参加費とかはかかりませんが、入館料は必要です。
    これで本日の散策は終了です。やはり博物館が3つあり、じっくり見たので結構な時間がかかりました。しかし、色々なことが学べました。番外編の二箇所はあまり観光客が訪れないところです。特に、「飛鳥山の狛犬」はほとんどの人が知らない穴場のポイントです。よくは見えませんが、見つけたときの喜びは何とも言えませんでした。見ることのできる場所は、記載してありますので是非挑戦してみてください。
    01_【「紙の博物館」一口メモ】
    ⑴ 入館料…一般400円、小中高200円 ※お得な3つの博物館「三館共通券」、団体割引あり
    ⑵ 開館時間…10:00〜17:00(入館は16:30まで)
    ⑶ 休館日…月曜日(国民の祝日・振替休日と重なる場合は開館)、国民の祝日・振替休日直後の平日
    年末年始、臨時休館日
    ⑷ 住所… 〒114-0002 東京都北区王子1丁目1-3 電話:03-3916-2320

    02_【アクセス】
    ⑴ JR京浜東北線「王子駅」中央口か南口出口から徒歩7分500m
    ⑵ 東京さくらトラム(都電荒川線)「王子駅前」出口から徒歩8分600m
    ⑶ 東京メトロ南北線「王子駅」1番出口から徒歩8分600m
    ⑷ 東京さくらトラム(都電荒川線)「飛鳥山」出口から徒歩2分160m

    旅行時期
    2023年06月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.0
    JR京浜東北線「王子駅」中央口か南口出口から徒歩7分500m

  • 北区の歴史を知るならここです。象徴展示と14のテーマ展示で北区周辺の歴史が分かります。

    投稿日 2024年07月13日

    北区飛鳥山博物館 王子・十条

    総合評価:4.0

    「北区飛鳥山博物館」へのアクセスは、JR京浜東北線「王子駅」中央口の出口を出て、「本郷通り」を左方向に500mほど直進すると三つ目の信号のところに「飛鳥山公園」へ通じる階段が左手にあります。その階段を上ると右手に「紙の博物館」があり、その隣に「北区飛鳥山博物館」があります。「北区飛鳥山博物館」のエントランスホールが2Fにあります。それでは、入館してみます。2Fにある入り口ホールから階段を降りると、「常設展示」があります。「北区飛鳥山博物館」の「常設展示」は、ひとつの象徴展示と14のテーマ展示から構成されています。「象徴展示」は豊島郡衙の正倉で北区や近隣地域の考古、歴史、民俗や自然等が1つに取りまとめられています。「14のテーマ展示」は、「大地のおいたち」、「最古の狩人」、「縄文人のくらし」、「弥生人のムラ」、「古墳時代の夜明け」、「豪族と民の時代」、「律令社会と豊島郡衙」、「水と大地の支配者たち」、「名所王子・滝野川・飛鳥山」、「将軍御膳所 金輪寺(旧飛鳥山劇場・映像展示))、「日光御成道の風景」、「荒川と共に生きるくらし」、「東京近郊の野菜と種苗」、「地図にみる北区の近現代」、「荒川の生態系」となっています。
    改めて2Fへ階段を利用して上ります。2Fは、「企画展」のコーナーで、年に2回、春と秋ごとにテーマを変えて企画展が開催されているほか、夏休みには子ども向けの企画展も開催されています。現在行われているのが、スポット展示の「ASUKAYAMAセレクション25」とパネル展示の「おがけさまで25周年 北区飛鳥山博物館の歩んできた道、歩む道」です。「ASUKAYAMAセレクション25」は、会期が5月27日(土)から6月25日(日)まで、入場は10::00~17:00となっています。「おがけさまで25周年 北区飛鳥山博物館の歩んできた道、歩む道」は、会期が、5月27日(土)から12月27日(水)まで、入場は10::00~17:00となっています。いずれも観覧無料です。次が、3階の「飛鳥山アートギャラリー」です。3階の「飛鳥山アートギャラリー」では、第1展示室では北区ゆかりの画家「大野五郎」の油絵、第2展示室では北区在住の人間国宝「奥山峰石」の鍛金工芸作品が、それぞれ定期的に作品を入れ替えながら展示されています。飛鳥山アートギャラリーへの入場は無料です。
    ちなみに、画家の「大野五郎」は、明治43年に東京府北豊島郡岩淵町(現在の北区岩淵町)に生まれ、若くして画壇を牽引した人物です。展示作品は、北区に寄贈された数多くの油彩画から、大作・小品をまじえて展示してありました。「奥山峰石」は、平成30年(2018年)の秋に日本伝統工芸への貢献により「名誉都民」として選定され、その鍛金工芸作品を展示しています。

    01_【「北区飛鳥山博物館」一口メモ】
    ⑴ 観覧料…①一般300円 ②65歳以上150円 ③小中高100円 
    ※お得な3つの博物館「三館共通券」、団体割引あり
    ⑵ 開館時間…10:00〜17:00(常設展示室観覧券の発行は16:30まで)
    ⑶ 休館日…月曜日(国民の祝日・振替休日と重なる場合は開館)月曜日が開館の場合、その直後の平日)
    年末年始
    ⑷ 〒114-0002 東京都北区王子1丁目1-3 電話:03-3916-1133

    01_【「紙の博物館」一口メモ】
    ⑴ 入館料…一般400円、小中高200円 ※お得な3つの博物館「三館共通券」、団体割引あり
    ⑵ 開館時間…10:00〜17:00(入館は16:30まで)
    ⑶ 休館日…月曜日(国民の祝日・振替休日と重なる場合は開館)、国民の祝日・振替休日直後の平日
    02_【アクセス】
    ⑴ JR京浜東北線「王子駅」中央口か南口出口から徒歩7分500m
    ⑵ 東京さくらトラム(都電荒川線)「王子駅前」出口から徒歩8分600m
    ⑶ 東京メトロ南北線「王子駅」1番出口から徒歩8分600m
    ⑷ 東京さくらトラム(都電荒川線)「飛鳥山」出口から徒歩2分160m

    旅行時期
    2023年06月
    利用した際の同行者
    一人旅
    コストパフォーマンス:
    4.0
    お得な3つの博物館「三館共通券」を買うことをお薦めします。

  • 3つのテーマ「ふれる」「たどる」「知る」で「渋沢栄一」の生涯の貢献度を理解できます。

    投稿日 2024年07月13日

    渋沢史料館 王子・十条

    総合評価:4.0

    「渋沢史料館」へのアクセスは、JR京浜東北線「王子駅」中央口の出口を出て、「本郷通り」を左方向に500mほど直進すると三つ目の信号のところに「飛鳥山公園」へ通じる階段が左手にあります。その階段を上ると右手に「紙の博物館」があり、その隣に「北区飛鳥山博物館」、さらに奥に「渋沢史料館」があります。「渋沢史料館」は、「渋沢栄一」の活動を広く紹介する博物館として、昭和57年(1982年)に開館しました。かつて「渋沢栄一」が住んでいた旧渋沢邸跡地に建てられました。「渋沢栄一」一の生涯と事績に関する資料を収蔵・展示し、関連イベントなども随時開催。「旧渋沢庭園」に残る大正期の2棟の建築「晩香廬」「青淵文庫」の内部公開も行っています。「渋沢史料館」は、 鉄筋コンクリート造り、地上2階、地下1階建てす。「旧渋沢庭園」にある「晩香廬」は、 木造瓦葺き平屋建て、そして、「青淵文庫」は煉瓦及び鉄筋コンクリート造、2階建てになっています。これらの場所はいずれも民間外交の場として、第18代アメリカ大統領をつとめた「ユリシーズ・グラント」や中国の「蒋介石」など、 多くの人々が招かれた場所です。「渋沢史料館」は、令和2年(2020年)に22年ぶりに展示、内装などをリニューアルし、飛鳥山にあった、「渋沢栄一」の邸宅・飛鳥山邸の変遷をパノラマの景色で堪能できるコーナーや画像で飛鳥山邸を体験する「渋沢栄一さんぽ」、そして、関連図書を閲覧できる「青淵書屋」などが設置されました。「常設展示」では、3つのテーマ「ふれる」「たどる」「知る」で、「渋沢栄一」の生涯をひも解きます。「渋沢栄一にふれる」では、「渋沢栄一」がかつて暮らした曖依村荘での日常、思い、言葉にふれると言う面から「渋沢栄一」がどのような人物であるかを理解できます。「渋沢栄一をたどる」では、「渋沢栄一」の91年の生涯を、年齢ごとのユニットで展示してあります。各年齢のユニットには、それぞれ引き出しが付いて、引き出しの中には、渋沢栄一に関する情報がたくさん詰まっています。1段目には、「渋沢栄一」の主な活動を月ごとに紹介しています。2段目には、ユニット壁面や展示資料の関連資料のほか、付属情報や補足などがあります。「渋沢栄一を知る」では、「渋沢栄」一が携わったさまざまな事業や活動、そして多くの人々との交流に関連するコーナーです。「日本の資本主義の父」と呼ばれる「渋沢栄一」の偉業は目を見張るものばかりで、明治維新後に、約500の企業を設立・育成し、約600の社会公共事業や不平等条約の改善など、民間外交にも尽力した数多くの企業の黎明期にかかわった実績を理解することができました。次に「北区飛鳥山博物館」へ向かいます。

    旅行時期
    2023年06月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.0
    JR京浜東北線「王子駅」中央口か南口出口から徒歩7分500m
    コストパフォーマンス:
    4.0
    入館料は博物館「三館共通券」を買うことをお薦めします。
    人混みの少なさ:
    2.5
    さほど混雑はしていませんでした。
    展示内容:
    4.0
    渋沢栄一をよく理解できるような展示レイアウトでした。

  • 「晩香廬」は、「渋沢栄一」の喜寿を祝って現在の清水建設が贈った洋風茶室です。

    投稿日 2024年07月13日

    晩香廬(国指定重要文化財) 王子・十条

    総合評価:4.0

    「飛鳥山公園」への第一歩は、無料で乗車できる「あすかパークレール:アスカルゴ」からスタートするのをお薦めします。「飛鳥山公園入口駅」から「飛鳥山山頂駅」まで、わずか2分の乗車時間です。「アスカルゴ」の「飛鳥山公園入口駅」へのアクセスは、JR京浜東北線「王子駅」中央口の出口を出て、左方向に70mほど直進すると目の前に「アスカルゴ」の「飛鳥山公園入口駅」があります。
    「あすかパークレール」の山頂駅を降りると、正面には「飛鳥山公園の案内図」があります。正面には「飛鳥山公園の案内図」があります。「飛鳥山公園の案内図」の右側にある小道をみちなりに7分500mほど進むと、「飛鳥山公園児童エリア」になります。「飛鳥山公園児童エリア」を抜けると「北区飛鳥山博物館」があり、その先にある「渋沢資料館」があります。その先を左折すると「旧渋沢庭園」で「晩香廬」はその中にあります。
    玄関部分をよく見ると、壁がなく向こうの木々が見えます。淡い光と緑をふんだんに採り入れる設計で一面「嵌め殺しのガラス窓」になっています。ちなみに、「はめ殺し」とは、一般的に開閉することができない窓のことをいいます。主に採光の目的のため、玄関のドア枠や階段ホールの天井窓などに設けられています。「晩香廬」は、「晩香廬」は、「渋沢栄一」の喜寿を祝って現在の清水建設が贈った洋風茶室です。大正6年(1917年)に完成し、丈夫な栗材を用いて丹念に作られ、暖炉・薪入れ・火鉢などの調度品、机・椅子などの家具にも、設計者の細やかな心遣いが見られます。「晩香廬」は、内外の賓客を迎えるレセプション・ルームとして使用されました。「ばんこうろ」の名は、「バンガロー」をもじったとも言われます。

    01_【一口メモ】
    ⑴ 所在地…〒114-0002 東京都北区王子1丁目1-3 飛鳥山公園

    02_【アクセス】
    ⑴ JR京浜東北線「王子駅」中央口か南口出口から徒歩8分600m
    ⑵ 東京さくらトラム(都電荒川線)「王子駅前」出口から徒歩9分700m
    ⑶ 東京メトロ南北線「王子駅」1番出口から徒歩9分700m
    ⑷ 東京さくらトラム(都電荒川線)「飛鳥山」出口から徒歩5分350m

    旅行時期
    2023年06月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.0
    JR京浜東北線「王子駅」中央口か南口出口から徒歩8分600m
    人混みの少なさ:
    2.5
    青淵文庫同様に混雑していました。ただ、外からしか見学できないので、人の圧迫感は感じません。
    見ごたえ:
    4.0
    嵌め殺しのガラス窓から向こう側の風景が見えます。

  • 青淵文庫は、渋沢栄一の書庫として、また接客の場としても使用されたそうです。

    投稿日 2024年07月13日

    青淵文庫(国指定重要文化財) 王子・十条

    総合評価:4.0

    「飛鳥山公園」への第一歩は、無料で乗車できる「あすかパークレール:アスカルゴ」からスタートするのをお薦めします。「飛鳥山公園入口駅」から「飛鳥山山頂駅」まで、わずか2分の乗車時間です。「アスカルゴ」の「飛鳥山公園入口駅」へのアクセスは、JR京浜東北線「王子駅」中央口の出口を出て、左方向に70mほど直進すると目の前に「アスカルゴ」の「飛鳥山公園入口駅」があります。
    「あすかパークレール」の山頂駅を降りると、正面には「飛鳥山公園の案内図」があります。正面には「飛鳥山公園の案内図」があります。「飛鳥山公園の案内図」の右側にある小道をみちなりに7分500mほど進むと、「飛鳥山公園児童エリア」になります。「飛鳥山公園児童エリア」を抜けると「北区飛鳥山博物館」があり、その先にある「渋沢資料館」があります。その先を左折すると「旧渋沢庭園」で,「旧渋沢庭園」の入口を入ると、「青淵文庫」があります。「青淵文庫」は、「渋沢栄一」の80歳のお祝いと、男爵から子爵に昇格した祝いを兼ねて「竜門社」(渋沢栄一記念財団の前身)が寄贈した鉄筋コンクリートの建物です。大正14年(1925年)に完成し、「渋沢栄一」の書庫として、また接客の場としても使用されました。渋沢家の家紋「丸に違い柏」に因んだ柏の葉や、「寿」、竜門社の「竜」の字をデザインしたステンドグラスやタイルが非常に美しい洋館です。当初収蔵されていた「論語」をはじめ、多くの漢籍は渋沢家から「東京都立日比谷図書館」に寄贈され、現在は「東京都立中央図書館」に所蔵されています。なお、「青淵文庫」を見学するには入場料は無料ですが、「渋沢資料館」の入場券が必要となります。「青淵文庫」に向かって左側に「青淵文庫 露台・まぐさ」があります。「旧渋沢庭園」の入口を入ると、先に「青淵文庫 露台・まぐさ」がありますが、やはり「青淵文庫」を見学した後に見ると分かりやすいと思います。説明文によると「露台基礎」は、「青淵文庫」が創建時に那智黒石が敷つめられたテラス部分の基礎の一部だそうです。建築方法は、コンクリートを打った上に煉瓦を積み基礎とし、煉瓦の上には、露台の縁石として御影石を敷き並べられていました。平成14年(2002年)の修理で、露台の基礎は、補強のため鉄筋コン クリート造に改められた。また、「まぐさ」は露台下部の堀削中に土の中より出土したものです。「まぐさ」は、扉や窓の開口部の上部の間柱の間に横に付けられる補強材のことです。発見された「まぐさ」は、形状、寸法から「控室」(台所北側)出入口の「まぐさ」であることが判明したそうです。

    01_【一口メモ】
    ⑴ 所在地…〒114-0002 東京都北区王子1丁目1-3 飛鳥山公園

    02_【アクセス】
    ⑴ JR京浜東北線「王子駅」中央口か南口出口から徒歩8分600m
    ⑵ 東京さくらトラム(都電荒川線)「王子駅前」出口から徒歩9分700m
    ⑶ 東京メトロ南北線「王子駅」1番出口から徒歩9分700m
    ⑷ 東京さくらトラム(都電荒川線)「飛鳥山」出口から徒歩5分350m

    旅行時期
    2023年06月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.0
    JR京浜東北線「王子駅」中央口か南口出口から徒歩8分600m
    コストパフォーマンス:
    4.5
    渋沢史料館と合わせて300円なのでリーズナブルです。
    人混みの少なさ:
    2.5
    飛鳥山公園では人気のスポットなので、混雑していました。
    展示内容:
    4.0
    展示品より装飾関係がお薦めです。ステンドグラスとタイルに注目してください。

  • デパートあるいは銀行本店の入口を思わせる重厚な建築物です。

    投稿日 2024年07月12日

    博物館動物園駅跡 上野・御徒町

    総合評価:3.0

    「旧博物館動物園駅」のへのアクセスは、JR「上野駅」公園口を出てそのまま直進します。すると「動物園前交番」があり、その先を右に曲がります。すると正面に「東京国立博物館」が見えます。「大噴水」(竹の台噴水)の横を通り、「東京国立博物館」への信号がありますのでそれを渡ります。渡ったら左方向に道沿いを260m進むと信号があり、「旧博物館動物園駅」が右手にあります。
    「旧博物館動物園駅」は、昭和8年 (1933年)12月に「日暮里駅」と「上野公園駅」 (現在の京成上野駅)の中間の駅として開業しました。私は一度も「旧博物館動物園駅」を利用したことはありませんが、その前を通るたびにデパートあるいは銀行本店の入口を思わせる重厚な建築物と思っていました。JR「上野駅」の「正面玄関口」に勝るとも劣らない立派なものです。それもそのはず「旧博物館動物園駅」は、皇室で代々引き継がれてきた「世伝御料地」という特別な土地に建てられたものです。駅舎の建設には御前会議での天皇陛下の勅許を得る必要があったそうです。このような立派な建築物は未来永劫に残していくべきですよね。余計な心配無用でした。2018年(平成30年)には、鉄道施設としては初めて「東京都選定歴史的建造物」に選定されたからです。

    【一口メモ】
    所在地 〒110-0007 東京都台東区上野公園13

    【アクセス】
    ⑴ JR「上野駅」公園口から徒歩9分750m
    ⑵ 京成電鉄「京成上野駅」池の端出口から徒歩13分1.1km
    ⑶ 東京メトロ銀座線・日比谷線「上野」駅(7番出口)から12分1.0km

    旅行時期
    2024年03月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.0
    JR「上野駅」公園口から徒歩9分750m
    人混みの少なさ:
    4.0
    通行人はいますが、観光客はいませんでした。
    見ごたえ:
    3.0
    古き良き時代の頑健な建物です。

  • 子供たちにとっては、ここは娯楽室であるとともに、知識の泉です。

    投稿日 2024年07月12日

    国際子ども図書館 上野・御徒町

    総合評価:4.0

    「国際子ども図書館」のへのアクセスは、JR「上野駅」公園口を出てそのまま直進します。すると「動物園前交番」があり、その先を右に曲がります。「大噴水(竹の台噴水)」の脇を通り「東京国立博物館」の前の信号を渡り左方向に250m進みます。一つ目の信号を渡り右方向に100m進むと左手に「国際子ども図書館」があります。
    今回、「国際子ども図書館」へ立ち寄ったのは、世界的な建築家である「安藤忠雄」の設計による「アーチ棟」を見学するためです。「国際子ども図書館」は、「レンガ棟」と「アーチ棟」の二つの建物からできています。「国際子ども図書館」の歴史を紐解いてみると「レンガ棟」は、1906年(明治39年)に「帝国図書館」として建てられ、「旧帝国図書館」の建物の外観や内装を保存して、再利用しています。そして2000年(平成12年)、装いも新たに国立初の児童書専門図書館として開館いたしました。「アーチ棟」は、2015年(平成27年)に完成しました。
    「国際子ども図書館」にどのような施設があるかと言えば、「レンガ棟」には、1階に①「こどものへや」、②「世界を知るへや」、③「おはなしのへや」、④「休憩・飲食・授乳スペース」、⑤カ「フェテリア」、⑥「テラス席」があり、2階に①「児童書ギャラリー」、②「調べものの部屋」そして3階には、①「本のミュージアム」、②「ホール」、③「ラウンジ」があります。「アーチ棟」には、①「児童書研究資料室」、②「研修室1」、③「研修室2」があります。建物に目を移すと、「レンガ棟」は明治期を代表するルネッサンス様式の洋風建築のひとつです。「アーチ棟」の南側は、透明性そして解放感のある、全面ガラス張りのカーテンウォールが特色の一つとなっています。
    では、「国際子ども図書館」へは行ってみます。受付が二箇所あります。係員が二名いて、一人がアルコール消毒、もう一人が検温です。受付の係員に、写真撮影できる範囲について尋ねると、「展示室」は全て撮影禁止だという返事が返ってきました。少々がっかりしましたが、重要建築物保存のためと思いあきらめました。室内は天井も高く、「旧帝国図書館」を保存、活用しているので建物全体に威厳と格式があります。通路の突き当りに、「子どものへや」があります。「円形の本棚」と「円形のテーブル」があり、天井全体にLED照明を配置しているので、自分の影がどこかに行ってしまいました。次に「世界を知るへや」です。目を落とすと床全体に「寄木細工」が施され、天井は純白で「鏝絵」と呼ばれる繊細な漆喰装飾がしてありました。次に、カフェテリアのあるベランダにでることができたので、「安藤忠雄」設計による「アーチ棟」をじっくり見てから写真を撮りました。「レンガ棟」と「アーチ棟」のレトロとモダンが融合しているのがよく分かります。
    次は、2Fです。まず、「児童書ギャラリー」へ入りました。「本のエレベーター」がありました。また、部屋の真ん中にあるオリエントを思わせるような四本の漆喰化粧柱には、植物の竹を使った「竹小舞」と呼ばれる日本の伝統的な工法が施されています。豪華絢爛な造りになっています。次が、「調べものの部屋」です。ここには、なんと10000冊もの本があり、誰でも入り調べることができるそうです。
    次は、3Fです。階段で上がったので、有名な「おすとあく」という大きな欅のドアを発見しました。また、3Fの階段付近には、シャンデリアや大きな窓など「旧帝国図書館」を思わせる場所があるので必見です。そして「企画展」をみて、「エディキュール」がある「本のミュージアム」へ行きました。そして、最後に「ホール」を見て帰りました。
    「国際子ども図書館」は、本好きな子供にとってはたまらない場所です。今の時代、ケータイやゲームをやる子どもが沢山いますが、たまにはこういう場所で紙の文化を学ぶのも良いことではないでしょうか。もちろん、大人も読む本はたくさんあるし、何より新旧の建築様式を見ることができるのも素晴らしいことでしょう。

    01_【「国際子ども図書館」の一口メモ】
    ⑴ 所在地 〒110-0007 東京都台東区上野公園12-49 電話:03-3827-2053
    ⑵ 開館時間…9:30-17:00
    ⑶ 休館日…月曜日、国民の祝日(5月5日のこどもの日は開館)、年末年始、第3水曜日(資料整理休館日)

    02_【「国際子ども図書館」へのアクセス】
    ⑴ JR「上野駅」公園口から徒歩9分750m
    ⑵ 京成電鉄「京成上野駅」池の端出口から徒歩14分1.1km
    ⑶ 東京メトロ 日比谷線・銀座線「上野駅」7番出口から徒歩15分1.1km

    03_【「国際子ども図書館」の見どころ】
    ⑴ 「子どものへや」(「レンガ棟」1F)
    「子どものへや」は、おもに小学生以下の子どもを対象とした展示室です。子供たちに広く親しまれてきた絵本や読み物、理解を深める知識の本を約1万冊も取り揃えています。また、季節や時事に合わせ、さまざまなテーマで小展示を行っています。特に目をひくのが、「円形の本棚」と同じく「円形のテーブル」です。また、天井全体にLED照明を配置して、部屋のどこにいても影ができにくいような工夫をしています。子供たちが本を見やすく、目が悪くならないように配意しているのですね。
    ⑵ 「世界を知るへや」(「レンガ棟」1F)
    「世界を知るへや」は、世界の国や地域の地理、歴史、文化等を紹介する本など子どもたちが世界に興味や関心を持ち、国際理解を深めることを目的とした本と、外国語の本が約2,000冊あります。ちなみに、「旧帝国図書館」時代には、貴賓室、VIPルームとして使用されていました。天井には、「鏝絵」と呼ばれる繊細な漆喰装飾が、また、床には「寄木細工」が施されていて部屋の重厚感を高めています。
    ⑶ 「児童書ギャラリー」(「レンガ棟」2F)
    「児童書ギャラリー」には、明治以降の日本の児童文学史、絵本史を概観できる展示室で、資料を直接手に取って読むことができます。室内にあるパソコンでは、「絵本ギャラリー」をはじめとする電子展示会や「国立国会図書館デジタルコレクション」が見ることができます。ちなみに、「旧帝国図書館」時代には、「特別閲覧室」として利用されていました。よく考えたもので、壁の向こうにある書庫には、本のエレベーターが設置されていて、本を閲覧室まで運ぶために使われていました。そして、この部屋では、その「取り出し口」の跡を見ることができます。また、部屋の真ん中にあるオリエントを思わせるような四本の漆喰化粧柱には、植物の竹を使った「竹小舞」と呼ばれる日本の伝統的な工法が施されています。「竹小舞」は、漆喰の下地には、細く裂いた竹を一周ぐるりと貼り、その上から麻を被せる工法です。
    ⑷ 「調べものの部屋」(「レンガ棟」2F)
    「調べものの部屋」は、中高生向けの資料室です。調査やレポート作成に役立つ資料を中心に約10,000冊を自分で書架から出して自由に利用させる仕組みになっています。自習席はありませんが、誰でも自由に入室できます。
    ⑸ 「大階段」
    「大階段」は、「旧帝国図書館」の設立当初からあるまさに色々な人々を見てきた「国際子ども図書館」の歴史そのものです。1階から3階までの吹き抜けになっていて、天井までの高さは20mあります。「大階段」の手すりも当時のものです。ただし、現在の安全基準を満たすため、内側にガラスのついたてが新設されています。そして吹き抜けの天井の「シャンデリア」も明治時代から使われているものです
    ⑹ 「ケヤキの大きな扉」
    3階にある「ケヤキの大きな扉」も100年以上も前のものです。そしてドアについている真鍮のプレートには、ひらがなで「おすとあく」と書かれています。設立当時は、まだまだ引き戸が一般的でしたので、間違えないようにこのように開け方の取扱説明書が取り付けられていました。
    ⑺ 「本のミュージアム」(「レンガ棟」3F)
    「本のミュージアム」では、子どもの本に関する展示会を開催します。ちなみに、「旧帝国図書館」時代には、本を読む閲覧室でした。「本のミュージアム」の奥には、「エディキュール」があります。「エディキュール」とは、小さな「神殿」という意味です。当時、「エディキュール」は書庫の入口でした。2本のコリント式の柱に挟まれた両開きの扉が二つあり、右側は書庫へと通じる扉、左側はかつて分電盤の設置場所でした。現在はその跡地として、館内で唯一、レンガ棟建物の構造体に使われている100年以上前の赤レンガを見ることができます。
    ⑻ 「ホール」(「レンガ棟」3F)
    「ホール」は、図書館の歴史や魅力を紹介する展示コーナーで、天井までの高さが10mあります。音響効果がたかいため、子どもを対象とした音楽会などのイベントなどを開催しています。

    旅行時期
    2024年03月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.0
    JR「上野駅」公園口から徒歩9分750m
    コストパフォーマンス:
    5.0
    入館無料です。
    人混みの少なさ:
    3.0
    子供ずれの家族が何組かいました。
    展示内容:
    4.0
    子供の喜びそうな展示内容です。

  • 黒田清輝の集大成であるいつまでも色あせない不朽の名作ここにあります。

    投稿日 2024年07月12日

    黒田記念館 上野・御徒町

    総合評価:4.5

    「黒田記念館」のへのアクセスは、JR「上野駅」公園口を出てそのまま直進します。すると「動物園前交番」があり、その先を右に曲がります。「大噴水(竹の台噴水)」の脇を通り「東京国立博物館」の前の信号を渡り左方向に250m進みます。一つ目の信号を渡り右方向に進むと左手に「黒田記念館」があります。「黒田記念館」に入る前に、目についたのが外壁です。縦方向にひっかき傷のようなものをつけているタイルです。これは、「スクラッチタイル」と呼ばれ、「黒田記念館」を建設していた当時に流行っていたタイルで、「フランク・ロイド・ライト」が「旧帝国ホテル」に採用して一時流行になったものです。また、建物の二階部分には、ギリシャの神殿を思わせる柱がありました。「イオニア式オーダーの列柱」で、六本並んでいました。さて中に入りと思います。「黒田記念館」の入口は、「アーチ型」になっていて、「アーチ型の入口上部」には、アールヌーヴォー風の装飾が施されており、「黒田記念館」の文字が刻まれています。また、入口の両側にはやはりアールヌーヴォー風の装飾が施された壺が置かれていました。展示スペースは二階にあります。今日はついていることに、「特別室」の開室日でした。「黒田清輝」の不朽の名作である「智・感・情」、「舞妓」、「読書」そして「湖畔」を見ることができます。入口の所に係員がいたので、どこまで写真撮影することができるか確認したところ、「特に、今回の展示では撮影できないものはないので自由に撮影して構わない。」という返事が返ってきました。自分の耳を疑いましたが、再度確認したところ大丈夫ということでした。入場無料に加えて歴史に残る名画の写真撮影もオーケーです。心がワクワクしてきました。
    ここで、「黒田記念館」の歴史を紐解いてみると、日本近代洋画の父ともいわれる「黒田清輝」が、大正13年(1924年)に没する際、遺産の一部を美術の奨励事業に役立てるよう遺言しました。これをうけて昭和3年(1928年)に竣工したのが「黒田記念館」です。館内には、遺族の方々から寄贈された遺作を展示する「黒田記念室」が設けられました。「黒田記念館」の設計は「岡田信一郎」が担当しました。「旧歌舞伎座」や「明治生命館」などを手がけました。黒田清輝氏と同じ東京美術学校で教授を務めたそうです。
    「黒田記念室」には、30件近い絵画が飾られ、「特別室」には、代表作四点が飾られていました。「黒田記念館」は、飾ってある絵画の件数は、他の美術館と比べると少ないかもしれませんが、混雑することなく、自分のペースで心ゆくまで鑑賞できる美術館でした。

    01_【一口メモ】
    ⑴ 所在地…〒110-8712 東京都台東区上野公園13-9 電話:03-5777-8600
    ⑵ 開館時間…9:30~17:00 入館は閉館の30分前まで
    ⑶ 月曜日(祝日・休日の場合は開館、翌火曜日休館)、年末年始

    02_【アクセス】
    ⑴ JR「上野駅」公園口から徒歩8分700m
    ⑵ 京成電鉄「京成上野駅」正面口から徒歩13分1.1m
    ⑶ 東京メトロ 日比谷線・銀座線「上野駅」7番出口から徒歩14分1.0km

    旅行時期
    2024年03月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.0
    JR「上野駅」公園口から徒歩8分700m
    コストパフォーマンス:
    5.0
    入館料は無料です。
    人混みの少なさ:
    3.5
    比較的空いていました。
    展示内容:
    4.5
    イオニア式オーダーの列柱、「黒田清輝」の代表作である「智・感・情」、「舞妓」、「読書」そして記念切手の画で有名な「湖畔」

  • 奏楽堂に足を踏み入れるとパイプオルガンの調べが聞こえてくるようです。

    投稿日 2024年07月12日

    台東区立旧東京音楽学校奏楽堂 上野・御徒町

    総合評価:4.0

    「旧東京音楽学校奏楽堂」へのアクセスは、JR「上野駅」公園口を出てそのまま直進します。「国立西洋美術館」を右折し140mほど直進すると右手に「国立科学博物館」があります。シロナガスクジラのオブジェの前に道路がありますので、左折し、「国立博物館」の前を通り350m直進すると、二つ目の信号の手前の左手の森の中に「旧東京音楽学校奏楽堂」があります。「旧東京音楽学校奏楽堂」を見学するには、開館日が原則として、日曜日、火曜日そして水曜日の週三日しかないので注意が必要です。ただし、木曜日、金曜日、土曜日はホールの使用がなければ開館しますので、ホームページで事前に調べておくことがポイントです。
    まずは、正門を入ると「永遠」という石碑があります。どういう意味なのでしょうか、近くに解説板がありません。後から気づいたことですが、「常設展会場4」に奏楽堂の移築・復原に尽力した関係者たちが都議会議長室で署名した「色紙」が展示してありました。色紙には「奏楽堂は永遠である」と記されていました。おそらくそこに由来するのではないかと思います。次が朝倉文夫作による「瀧廉太郎」像です。優しい眼差しで、こちらに視線を送るようにして腰かけています。
    次に、正面入口から入る前に上を見上げてください。屋根の下に「モニュメント」があります。左側には西洋楽器の「竪琴」、中央に「火焔太鼓」、右側には和楽器の「笙の笛」が配置されています。いわゆる和洋折衷で、和楽と洋楽をうまく融合させていこうという装飾です。
    では、入館します。受付で写真撮影していけない場所を確認すると、常設展の「1番、2番そして5番」は撮影できないということでした。それ以外は、撮影可能という回答がありました。
    早速「常設展」の見学です。私が、見たかったのは、「ブリュートナーピアノ」、「パイプオルガン」などです。「パイプオルガン」も実際に奏でることができました。最初、鍵盤を押したのですが何も音が出ませんでした。よく見ると左側に解説書があり、左隣のレバーを手前に引くと音が出ました。何とも言えない神聖な音色で、非常に満足しました。
    次は2階の「奏楽堂」です。「奏楽堂」は、明治の半ばにオープンした日本初の最古の音楽ホールです。日比谷公会堂が完成する1929年まで、本邦唯一のクラシック音楽のホールでした。このホールにおいて定期演奏会が始まったのは1898年(明治31年)で、第1回では、玄関横にある銅像の滝廉太郎がバッハの曲をピアノ独奏したそうです。「奏楽堂」は音響に対する工夫がされていて、上を見上げるとヴォールト型(カマボコ型)の丸天井になっています。これは音響効果を高め、客席の熱気を通気口へ逃がすように作られています。壁の四隅もアールになっていて、これも音響を良くする工夫のひとつだそうです。「旧東京音楽学校奏楽堂」の見どころ等は、下に箇条書きにしてあるので、参考にしていただければ幸いです。是非、自分自身でパイプオルガンを演奏してみてはどうですか。

    01_【一口メモ】
    ⑴ 所在地 〒110-0007 東京都台東区上野公園8-43  TEL:03-3824-1988
    ⑵ 公開日 日・火・水曜日 ※木・金・土曜日はホールの使用がなければ公開いたします。
    ⑶ 公開時間 午前9時30分から午後4時30分まで(最終入場は午後4時まで)
    ⑷ 休館日 ①  月曜日(月曜日が祝休日にあたる場合は翌平日) 
    ②  年末年始(12月29日から1月3日まで) ③  特別整理期間 
    ⑸ 入館料 ①  一般 300円 ② 小・中・高校生 100円

    02_【アクセス】
    ⑴ JR「上野駅」公園口から徒歩7分600m
    ⑵ 京成電鉄「京成上野駅」正面口から徒歩12分1.0km
    ⑶ 東京メトロ銀座線・日比谷線「上野」駅(7番出口)から12分1.0km

    03_【「旧東京音楽学校奏楽堂」の見どころ】
    ⑴ 「瀧廉太郎像」
    まず、「旧東京音楽学校奏楽堂」に入る前に見ておかなければならないのは、玄関横にある「瀧廉太郎像」です。「瀧廉太郎」と言って思い出す名曲は、中学校の教科書に載っていて、みんなで歌った「荒城の月」ですね。いまでも自然と口ずさんでしまいます。「瀧廉太郎像」と「東洋のロダン」と呼ばれた彫塑家の「朝倉文夫」は同じ大分県の出身で、高等小学校の同窓生だったそうです。東京音楽学校の学生だった「瀧 廉太郎」は、この奏楽堂でピアノの演奏を披露しました。「朝倉文夫」は、11歳頃の廉太郎の面影を土台に、この像を製作したといいます。また、「瀧廉太郎像」は、一階の展示室の窓際に展示されていて「瀧廉太郎像」の後姿を見ながら解説板を読むことができます。
    ⑵ 屋根のモニュメント
    「瀧廉太郎像」を見た次は、「旧東京音楽学校奏楽堂」に入る前に更に注目すべきものがもう一つあります。それは、屋根の正面にある西洋楽器と和楽器が描かれている装飾です。左側には西洋楽器の「竪琴」、右側には和楽器の「笙の笛」が配置されています。いわゆる和洋折衷ですよね。これには西洋の音楽を吸収し、日本の伝統的な音楽も受け継ぎながら、新しい音楽を作っていこうとすることが意図されているそうです。
    ⑵ 常設展示(1階資料展示室)
    ① 「本居長世」の音楽資料
    「本居長世」は、誰もが一度は聞いたことのある「赤い靴」、「七つの子」、「青い眼の人形」など童謡や芸術歌曲、歌劇、器楽曲を数多く創作した作曲家です。「旧東京音楽学校奏楽堂」では、長世自らが記した楽譜のほか、写真や遺愛品など貴重な音楽資料を所蔵しています。
    ② 「ブリュートナーピアノ」
    ブリュートナー製の「ピアノ」は、日本調律師協会によってこのほど修復され、1987年に上野高校から寄贈されたものです。「ブリュートナー」はスタインウェイやベヒシュタイン等と並ぶ歴史あるピアノメーカーです。この1923年製ブリュートナー「ピアノ」には高音部にアリコート(共鳴弦)と呼ばれる4本目の弦が張られており、大きな特徴となっています。
    ③ 「奏楽堂の壁の模型」
    音楽ホールの壁には、外からの音を遮るために藁が詰められています。その藁束が詰まっている様子を具体化している展示物です。
    ④ 「パイプオルガンの模型」
    「パイプオルガンの模型」は、実際に音を出すことができます。
    ⑶ 「パイプオルガン」について
    舞台正面のステージに設置されている大きな「パイプオルガン」は、その存在感は輝きを放ち、誰もが自然と目を奪われます。「パイプオルガン」を見るといつも疑問に思うことなのですが、手鍵盤や足鍵盤が複数あってもどうしてあんなすばらしい演奏ができるのかということです。たった一つの手鍵盤でさえ私は弾くのがやっとですよ。そして、この「パイプオルガン」は、大正9年(1920年)に音楽愛好家の徳川頼貞侯がイギリスから購入し、昭和3年(1928年)に東京音楽学校へ寄贈したものです。パイプの数は1,379本あります。現在では珍しい空気式アクション機構(ニューマティックアクション)を有し、コンサート用としては日本最古のパイプオルガンです。現在でも、100年以上の歴史がある古いものですが、修理を重ね、今もその演奏を聴くことができます。
    ① メーカー…アボット・スミス社(イギリス) ② 演奏台…3段手鍵盤、足鍵盤 
    ③ ストップ数…26ストップ [ストップリスト] ④ パイプ数…1,379本
    ⑶ ブリュートナー製の「ピアノ」
    目を見張るのは「パイプオルガン」だけではありません。ブリュートナー製の「ピアノ」もあります。この「ピアノ」は、日本調律師協会によってこのほど修復され、1987年に上野高校から寄贈されたものです。「ブリュートナー」はスタインウェイやベヒシュタイン等と並ぶ歴史あるピアノメーカーです。この1923年製ブリュートナー「ピアノ」には高音部にアリコート(共鳴弦)と呼ばれる4本目の弦が張られており、大きな特徴となっています。
    ⑷ 「奏楽堂」
    「奏楽堂」は、明治の半ばにオープンした日本初の最古の音楽ホールです。日比谷公会堂が完成する1929年まで、本邦唯一のクラシック音楽のホールでした。このホールにおいて定期演奏会が始まったのは1898年(明治31年)で、第1回では、玄関横にある銅像の滝廉太郎がバッハの曲をピアノ独奏したそうです。これで玄関横にある「瀧廉太郎像」があった理由が何となく分かったような気がします。また、1903年(明治36年)には、ピアノ伴奏であったが東京音楽学校歌劇研究会と東京帝国大学ワグネル会による、日本人による初のオペラが上演されました。「奏楽堂」の建物自体に目をやるとホール中央には大きな「シャンデリア」があり、天井にも透かし彫りの装飾が施されていました。ヴォールト型(カマボコ型)の丸天井は、音響効果を高め、客席の熱気を通気口へ逃がすように作られています。壁の四隅もアールになっていて、これも音響を良くする工夫のひとつだそうです。また、音楽ホールの壁には、外からの音を遮るために藁が詰められています。移築の際にはこうした工夫も受け継がれました。古い建材もできるだけそのまま使用しています。年代ものの窓ガラスにはところどころに歪みや気泡がります。
    その他の見どころとしては、「正面入り口」、「展示室4」、「展示室5」、「階段」、「客席中央通路からの眺め」、「客席前列」、「ホワイエの天井と梁」などがあります。

    旅行時期
    2024年03月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.0
    JR「上野駅」公園口から徒歩7分600m
    人混みの少なさ:
    4.0
    平日なので空いていました。ゆっくり鑑賞することができました。
    見ごたえ:
    4.0
    建築様式にも注意を払ってください。

  • どこを見回しても世界の名画や彫刻像ばかりで時間を忘れ見入ってしまします。

    投稿日 2024年07月12日

    国立西洋美術館 上野・御徒町

    総合評価:5.0

    「国立西洋美術館」は、JR「上野駅」の公園口から出ると右手前方すぐのとこにあります。
    ★Ⅰ_「国立西洋美術館」
    まずは、「国立西洋美術館」前にある庭園アートの鑑賞です。「国立西洋美術館」内を鑑賞する前に、是非見ていただきたいのが、「前庭」にある彫刻です。「前庭」には、彫刻作品が屋外展示されています。彫刻作品はそれぞれ圧倒的な迫力と存在感があります。「前庭」では、「オーギュスト・ロダン」の作品が5点、「アントワーヌ・ブールデル」の作品が1点、合計で6つの彫刻作品が飾られていて、しかも入場料を払わなくても、じっくりと鑑賞することができます。鑑賞した後はチケットの購入です。当日、そんなに混んでいなかったので、チケット売り場ですぐにチケットを購入できました。正面入口を入り「常設展」へ向かいました。「常設展」の入口は、正面入口をまっすぐ10mほど進むと右手にあります。
    「常設展」の最初にある空間は、「ル・コルビュジエ」によって名付けられた「19世紀ホール」と呼ばれている空間で、この建物の中心にあるホールです。ここには、「常設展」の受付と「ロダン」の彫刻そして「国立西洋美術館」の模型があります。上を見上げると、屋上の明かり取り窓まで吹き抜けとなった開放感のあるホールです。そして、何よりもさすが「ル・コルビュジエ」だと感心したのは、1階から2階へは、彫刻作品と吹き抜けを眺めながら上れるように、階段ではなく傾斜のゆるいスロープが設置されていることです。
    次に、「常設展」の受付へ進みます。ここで先ほど購入したチケットを提示します。受付入口で係の人に写真撮影について質問したところ、収蔵作品を展示している「常設展」では、私的使用、非営利目的に限って撮影可能ですという返事が返ってきました。ただし、「撮影NGマーク」が付いているものはもちろん撮影できません。それと美術品の劣化を防ぐためフラッシュ等の光を発するもの、人の鑑賞の妨げになる三脚等は使えませんのでその点は気を付けてください。
    「19世紀ホール」からスロープを上って2階へといくと、「19世紀ホール」にある吹き抜けを囲むような回廊状の展示空間が広がっています。要は、吹き抜けの周りを回るようにして美術作品を鑑賞するような造りになっています。「本館2階」では、14世紀から18世紀までの絵画が展示されています。順路に沿って、「14世紀」を代表する「ルネサンス美術」、「17世紀」に花咲いた「バロック美術」、そして「18世紀」の「ロココ美術」などへと、美術史を合理的にそして時代を追うように観覧することができます。巡路にそって進んでいくと展示作品を観ながらも気になるのは、右手前方にある部分的に天井が低くなっている展示スペースです。ここにも「ル・コルビュジエ」の設計のこだわりがあります。建物の設計時に、「ル・コルビュジエ」考案の「モデュロール」と呼ばれる寸法を採用しており、人体にとって感覚的に心地良い空間が生まれています。次に、「本館」から「新館」に進みます。「新館展示室」には、松方コレクションを代表する「クロード・モネ」の「睡蓮」をはじめ、19世紀から20世紀の絵画が展示されています。そして、19世紀から20世紀の写実主義や印象派の絵画が展示されています。やはりここでのお気に入りは「クロード・モネ」の「睡蓮」です。鑑賞に疲れたら休憩するスペースも充実しています。中庭を眺めて休憩するには、「新館2階」の休憩所や「新館1階」の彫刻展示スペース、「本館1階」の「カフェすいれん」があります。ただし、「カフェすいれん」に入らなかったのですが、他の国立の施設に比べて値段が高かったので、小腹は外で満たすことにしました。ここで注意点です。「国立西洋美術館」は一度外に出ると再入場はできません。十分に芸術作品を堪能することができました。ここに収蔵されている芸術作品は展示替えを頻繁に行っているので、何回来ても何回観ても飽きることはありません。

    01_【一口メモ】
    ⑴ 所在地 〒〒110-0007 東京都台東区上野公園7-7 電話:050-5541-8600
    ⑵ 開室時間
     常設展及び企画展…9:30~17:30 金曜・土曜日…9:30~20:00 ※入室は閉室の30分前まで
    ⑶ 休館日…毎週月曜日
    ※ ただし、月曜日が祝日又は祝日の振替休日となる場合は開館し、翌平日が休館
    ※ 年末年始(2022年12月30日〜2023年1月1日)
    ⑷ 常設展観覧料
    ① 一般5…00円 ② 大学生…250円
    ※ 高校生以下及び18歳未満、65歳以上、心身に障害のある方及び付添者1名は無料
      ※ 企画展は別料金となりますが、企画展の観覧券で常設展も観ることができます。。

    02_【アクセス】
    ⑴ JR「上野駅」公園口から徒歩1分30m
    ⑵ 京成電鉄「京成上野駅」正面口から徒歩7分500m
    ⑶ 東京メトロ日比谷線・銀座線「上野駅」6番出口から徒歩6分450m

    03_【「国立西洋美術館」の見どころ】
    ⑴ 「国立西洋美術館」の建物の外観
    「国立西洋美術館」の建築様式は、「ピロティ」(高床)構造となっています。従来の建物は、石やレンガを   積み上げて壁を造ることで建物を支えていましたが、この「国立西洋美術館」は鉄筋コンクリート製の柱と床板で建物を支えています。1階の入り口付近まで歩いていくと、屋外に立ついくつかの柱があります。まさにこれが「ピロティ」です。
    そして、「国立西洋美術館」の正面の「本館外壁」には緑色の玉石が埋め込まれたパネルが使用されていま   す。遠くから見るとまさにグリーンウォールで公園内の緑や紅葉の時期でも周囲に溶け込むような調和が感じられ、また、近づいてみることで玉石が敷き詰められているのが確認できます。
    ⑵ 「国立西洋美術館」の「前庭」にある彫刻
    「国立西洋美術館」内を鑑賞する前に目を向けていただきたいのが、「前庭」にある彫刻です。「前庭」には、彫刻作品が屋外展示されています。彫刻作品はそれぞれ圧倒的な迫力と存在感があります。「上野動物園」、「国立科学博物館」などへ行く家族ずれやカップルも足を止めて作品に魅入っています。「前庭」では、「オーギュスト・ロダン」の作品を中心に、下記の6つの彫刻作品が飾られています。入場料を払わなくても、「前庭」にある彫刻はじっくりと鑑賞することができます。
    ①「オーギュスト・ロダン」の「考える人」   ②「オーギュスト・ロダン」の「地獄の門」
    ③「オーギュスト・ロダン」の「カレーの市民」 ④「オーギュスト・ロダン」の「アダム」
    ⑤「オーギュスト・ロダン」の「エヴァ」   ⑥「アントワーヌ・ブールデル」の「弓を引くヘラクレス」
    ちなみに、「オーギュスト・ロダン」の「考える人」は、「地獄の門」の中央扉の上で、地獄の様子を眺めながら思案する詩人の姿として創られたそうです。その後「地獄の門」から切り離され「考える人」となりました。
    ⑶ 「19世紀ホール」
    「常設展」の最初にある空間は、「ル・コルビュジエ」によって名付けられた「19世紀ホール」と呼ばれている空間で、この建物の中心にあるホールです。「本館」はここを中心にしてぐるりと回って看取する巡路になっています。ここには、「常設展」の受付と「ロダン」の彫刻そして「国立西洋美術館」の模型があります。上を見上げると、屋上の明かり取り窓まで吹き抜けとなった開放感のあるホールです。そして、何よりもさすが「ル・コルビュジエ」だと感心したのは、1階から2階へは、彫刻作品と吹き抜けを眺めながら上れるように、階段ではなく傾斜のゆるいスロープが設置されていることです。広いスペースにわずかの展示物しかありませんが、全く違った角度で見ると全てが新しく思えます。これは、「ル・コルビュジエ」は移動の合間に移り変わる景色の感覚を得るための「建築的プロムナード」を提唱して、人の移動を重視してきたからこそです。
    ⑷ 「2階展示室」~14〜18世紀の絵画が時代を追って並ぶ~
    「19世紀ホール」からスロープを上って2階へといくと、「19世紀ホール」にある吹き抜けを囲むような回廊状の展示空間が広がっています。要は、吹き抜けの周りを回るようにして美術作品を鑑賞するような造りになっています。そして、このホールから2階へとつながる巻き貝のような螺旋状の構造こそ、「ル・コルビュジエ」が長年かけて練り上げていた「無限成長美術館」の思想を体現したものです。先見の明のある「ル・コルビュジエ」は、コレクションの増加に対して土地の広さが許す限り、螺旋を増やして美術館を大きくしていく「無限成長美術館」を構想していたそうです。また、下記の二つの特色もあります。
    ① 14世紀の作品から順番に展示
    「本館2階」では、14世紀から18世紀までの絵画が展示されています。順路に沿って、「14世紀」を代表する「ルネサンス美術」、「17世紀」に花咲いた「バロック美術」、そして「18世紀」の「ロココ美術」などへと、美術史を合理的にそして時代を追うように観覧することができます。有名な作品からあまり知られていないが魅力的な作品ばかり、全て素晴らしい絵画です。私が特に感銘を受けたのは、「アンドレアス・リッツォス」作による 「三連祭壇画:キリスト磔刑」です。絵の現実を捉えた描写もさることながら、絵画と言うと一般的に四角の額に飾られるものですが、日本の屏風を思わせるような額でこんなスタイルもあるかと驚きました。
    ② 「本館2階」の天井は高さが微妙に違う~部分的に低い~
    「19世紀ホール」からスロープを上って2階へといく訳ですが、巡路にそって進んでいくと展示作品を観ながらも気になるのは、右手前方にある部分的に天井が低くなっている展示スペースです。ここにも「ル・コルビュジエ」の設計のこだわりがあります。建物の設計時に、「ル・コルビュジエ」考案の「モデュロール」と呼ばれる寸法を採用しており、人体にとって感覚的に心地良い空間が生まれています。
    ちなみに「モデュロール」とは、「モデュロール」(modulor)はフランス語で寸法を意味する「モデュール(module)」と「黄金比(section d’or)」を組み合わせた造語です。人間に沿った建築を目指して、ル・コルビュジエが人体の寸法をもとに尺度を考案しました。
    ⑸ 「新館展示室」~19世紀から20世紀の絵画が展示~
    「常設展」を観覧する際には、2階の通路を使って「本館」から「新館」へ移動します。「新館」の設計は、「本館」建築にかかわった日本人で、「ル・コルビュジエ」の弟子である「前川國男」の事務所が担当しました。「新館」は「本館」の隣に、中庭を囲むような形で建てられ、昭和54年(1979年)に完成し、ちょうどその年は「国立西洋美術館」の設立20周年という記念すべき年と重なりました。
    「新館展示室」には、松方コレクションを代表する「クロード・モネ」の「睡蓮」をはじめ、19世紀から20世紀の絵画が展示されています。そして、19世紀から20世紀の写実主義や印象派の絵画が展示されています。やはりここでのお気に入りは「クロード・モネ」の「睡蓮」です。パソコンのマウスパッドもいまだに「睡蓮」を使っています。ちなみに、「クロード・モネ 」は50歳を過ぎて自宅で庭園づくりをしながら、池の睡蓮をモチーフとして繰り返し描き続けたそうです。睡蓮は、天候や時間帯によって表情が変わるので、数多く残された1点1点の絵画も雰囲気が異なるそうです。そして新館2階の奥(常設展9)には、印象派を代表する画家である「クロード・モネ」の「睡蓮」、「舟遊び」、「セーヌ河の朝」、「陽を浴びるポプラ並木」など作品が展示されています。

    旅行時期
    2024年03月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    JR「上野駅」公園口から徒歩1分30m
    コストパフォーマンス:
    5.0
    この入場料で世界の美術作品を堪能できるのは素晴らしいことです。
    人混みの少なさ:
    2.0
    外国人の観光客や修学旅行生の姿が目立ちます。
    展示内容:
    5.0
    充実した展示内容で表現に困ります。素晴らしい作品ばかりです。

  • まる一日いても飽きない過去現在未来の出会いがたくさんあります。

    投稿日 2024年07月12日

    国立科学博物館 上野・御徒町

    総合評価:5.0

    「国立科学博物館」へのアクセスは、JR「上野駅」公園口を出てそのまま直進します。「国立西洋美術館」を右折し140mほど直進すると右手に「国立科学博物館」の「常設展」と「特別展」の入場口があります。
    「国立科学博物館」は、明治10年 (1877年)に創立されました。国立として唯一の自然史、科学技術史に関する総合科学博物館で、2万5000点以上の展示物を誇ります。とにかく、広くて見どころ満載です。「日本館」と「地球館」に分かれていて、ゆっくり展示品を一つ一つ見ていったらとてもではないですが、「日本館」だけでも一日かかってしまいます。
    ★Ⅰ_「日本館」
    まずは、「日本館」を見学します。入場口から入ると目に入ってくるのが、どっしりと構えた「D51-231号機」蒸気機関車とかわいらしいフクロウが二匹体を寄せ合って「大型鋳造地球儀」の中にいるオブジェです。そして、正面入り口から「チケット売り場」です。私は65歳以上なので、別の入口から免許証をガードマンに確認してもらい館内に入場しました。入場口付近には、「コインロッカー」、「ミュージアムショップ」、「ラウンジ」があります。そこを更に進むと「日本館」へ通じる階段があります。その階段の所に「フーコーの振り子」がありました。大きな銀色をした玉が天井から吊るされ大きな円の軌道を描いています。階段を上ると、館内の中央部分は吹き抜けになっています。天井は「ドーム型」で、白い壁と「ステンドグラス」で彩られ、まるで海外のカテドラルのようです。吹き抜けの中央に立ち上を見上げてみるのもいいですし、階を上がるごとに踊り場で見るとまた違った形の白亜の殿堂が見られます。しかし、ベストアングルは、吹き抜けの中央から写真を撮ることですね。
    最初に1F南翼の「自然をみる技」の展示室に入りました。展示室の入口正面には、圧倒的な存在感のある風貌で「トロートン天体望遠鏡」が展示されていました。迫力満点の天体望遠鏡で、明治初期にイギリスから輸入されたそうです。また、天を知ることによって暦を作成するための江戸時代の天球儀、地球儀、望遠鏡も様々なものが展示されていました。また、地震を予知するための時代ごとの地震計も遠い昔からあったんだなあと感心しました。時計にしてもしかり、初期のものから現代のものに至るまで展示されていました。また、アナログですが、江戸時代に旅人が使用していた「旅先で時間を計る携帯用日時計」もありました。
    次は、2F南翼の「生き物たちの日本列島」の展示室です。入口付近に大きな熊がいたのが印象的です。このフロアは、いろいろな生き物のはく製のオンパレードです。でもこれは全て生きていたものをはく製にしたんですよね。この展示室は、約170万年前から続く氷期と間氷期の繰り返しの中で、氷期に陸化した海峡を渡って大陸から日本列島に移りすんだ生き物たちが、長年に渡り日本列島の変化に富んだ気候や複雑な地形などの自然環境に適応しつつ独自の分化を遂げました進化の歴史のようなものですね。
    次は、2F北翼の「生き物たちの日本列島」の展示室です。この展示コーナーには、骨を読むというものがあり、それぞれの時代の日本人の頭がい骨や人の骨格が展示されていました。面白かったのは当時の人々の生活をジオラマにしてあるので興味深く見ることができました。ここの展示コーナーは何と言っても実物の忠犬ハチ公の剥製と日本人の模型があるということです。そして、面白い工夫がされた「現代人」の撮影スポットがありました。これは自分自身が展示品に変身できるコーナーです。カップルが「現代人」の撮影スポットの中に入りお互いの写真を撮っていました。
    次は、3F北翼の「日本列島の生い立ち」の展示室です。ここでは見るのを楽しみにしていた「フタバスズキリュウの復元骨格」にいきなり出会いました。みごとな復元骨格で、こんな巨大な生物が海に棲んでいたなんて信じられませんよね。それと巨大なアンモナイトの化石もありました。味噌汁にしたら何人前になるのかとその前でしばし想像してみました。
    次は、3F南翼の「日本列島の素顔」の展示室です。日本列島は、長年にわたる地殻運動によってめまぐるしく変化し、複雑な地質と山岳に富む地形が造られました。また、四季の変化が明瞭で、季節風と海流の影響を強く受けています。この様な中で多様な生き物が生まれました。ここにも動植物の様々な種類のはく製や標本がありました。また、興味深かったのは、「日本列島」を断面化し地震を誘発し、地殻変動を起こす各プレートの大きな断面模型があったことです。それを見るとやはり日本は地震の巣窟だということがよく理解できました。それと地殻変動によりできた日本の鉱物や日本に落下した隕石の展示室もあり、こんな大きなものがよくも人に当たらなかったものだと感心しました。
    最後は、地下1階にある全球型映像施設「シアター36○」です。ここも入場無料です。少しの待ち時間で入ることができました。映像が始まる最初の部分だけ浮揚感があるので、乗り物酔いをする私にとっては、余り気分のいいものではありませんでしたが、少しすると慣れ、いつのまにか深海についていました。臨場感あふれる設備です。
    見学の合間にラウンジの「くじらカフェ」で昼食を取りました。品数は多くはりませんが、「上野精養軒」がやっているらしく、スパゲティのボロネーゼを食べましたが、ソースの味は本格的でした。値段もリーズナブルですし、何より大衆的で入りやすい「くじらカフェ」でした。その後「ミュージアムショップ」にはどんなものがあるか見に行きましたが、驚くほどお土産の品数が豊富でした。
    ★Ⅱ_「地球館」
    次は、別棟の「地球館」です。今回は、「国立科学博物館」のお薦めの見学コースと言うことで、①:「地球館1F【地球史ナビゲーター】」⇒②:「地球館3F【大地を駆ける生命】」⇒③:「地球館2F【科学と技術の歩み】」⇒④:「地球館B3F【自然のしくみを知る】」⇒⑤:「地球館B2F【地球環境の変動と生物の進化】」⇒⑥:「地球館B1F【地球環境の変動と生物の進化】」⇒⑦:「屋上(ハーブガーデン)」そして最後は、お腹が空いたのでレストラン⑧:「ムーセイオン」で食事を取りました。
    最初は、地球館1Fの「地球史ナビゲーター」です。ここで、「地球館」全体の概略を事前に学びます。「地球史ナビゲーター」は、3つの巨大なスクリーンに囲まれたシアターのようなものです。この巨大なスクリーンには入るなり圧倒されましたが、これから「地球館」の各フロアで見ていく内容が凝縮されていのでじっくり見ることにしました。スクリーンの中央には、「ティラノザウルス」の骨格標本が展示されていてこれまた驚きの連続です。「ティラノザウルス」以外にも気象衛星「ひまわり1号」も展示されていました。まさに、太古と現代がこの空間には同居しています。その周りには、46億年前の「カンポデルシエロ隕石」がそのままの姿で展示されています。「海洋生物の多様性」では、世界最大の生き物「シロナガスクジラ」の骨格模型も見ることができました。「陸上生物の多様性」では、ほかの植物に寄生する「しめ殺しの木」が印象的でした。また、「ダイオウイカ」の標本にも圧倒されました。
    次は、エスカレータを利用して地球館3Fの「大地を駆ける生命」へ向かいました。この階には子供から大人まで楽しむことができる「歩いてみよう!コンパス」、「ジャイアントパンダ」の剥製そして1905年に奈良県での捕獲例を最後に絶滅してしまった「ニホンオオカミ」の貴重な剥製などがありました。
    次は、下の階の地球館2Fの「科学と技術の歩み」です。ここには、体験型展示の一つである「観測ステーション」など見るだけではなく、実際に自分自身の体を使って科学技術を体験できるフロアです。また、地震が起こった際に震源を特定する「体験展示コーナー」もあります。そして、地球館2Fの展示では何と言っても「はやぶさ」の調査で一躍有名になった小惑星イトカワで採取された微粒子を顕微鏡で観察できると言うことでしょう。それともう一つ、「万年時計」です。この万年時計は、江戸時代のからくり技師「田中久重」によるもで、このような技術こそが後の日本が世界に誇る精密機器に応用されたのでしょうね。
    次は、エスカレータで一番下の階の地球館B3Fの「自然のしくみを知る」へいきます。ここでは、広大な宇宙や神秘的な生命、それを構成する物質と、これらを支配する法則を学ぶことができます。ノーベル賞を受賞した科学者等の展示もあります。ここでは、やはり「アポロ11号」と「アポロ17号」が持ち帰った貴重な「月の石」でしょうね。また、ノーベル賞を受賞した科学者等の展示を見てこんなに沢山の優秀な人材を日本が輩出したことは誇りに思えました。
    次は、地球館B2FとB1Fの「地球環境の変動と生物の進化」です。ここでの一番の見どころである宙吊りの大きな復元骨格があります。こちらは実は恐竜ではなく、クジラの仲間である哺乳類の「バシロサウルス」と、海生トカゲである爬虫類の「ティロサウルス」だそうです。そして、最後は、何と言っても「ティラノサウルス」の復元骨格でしょう。ここに展示されているシチュエーションは「ティラノサウルス」が「トリケラトプス」を狩ろうと狙っているというシーン」を再現しています。まさに、ジュラシックパークそのものの恐竜ワールドが再現されています。
    屋上のハーブガーデンは、ハーブの展示はもちろんのことスカイデッキになっていて、疲れた体を癒すことのできる空間になっています。また、スカイツリー、上野の杜そして高層ビル群もここから眺めることができます。ベンチとテーブルが沢山あるので親子ずれがお弁当を食べている微笑ましい光景も見ることができました。
    こ最後は、レストラン「ムーセイオン」です。こでは、子供が大喜びしそうな、火山ライスと恐竜の足跡ハンバークの乗っている「ジュラ紀ハンバーグプレート」、肉食恐竜が肉にかぶりつく「ダイナソープレート」などがあります。私は、「オムハヤシライス」を食べました。さすが、「精養軒」だけあってハヤシライスのソースは老舗の味そのものです。それとここでの最大のお薦めは、地球館1Fに展示される「シロナガスクジラ」の実物大の標本や「恐竜」の骨格標本も眺められます。窓越しからみる風景は迫力満点です。頭も心もお腹も一杯になったところで帰途につきます。何回か足を運ばないとその良さが分からないのでまた近いうち訪れたいと思います。

    01_【「国立科学博物館」の一口メモ】
    ⑴ 所在地…〒110-8718 東京都台東区上野公園 7-20
    ⑵ 電話(お問い合わせ)…ハローダイヤル:050-5541-8600
    ⑶ 開館時間 ① 通常…9:00 ~17:00(入館は16:30 まで)
           ② 金曜日・土曜日…9:00 ~20:00(入館は19:30 まで)
    ⑷ 休館日…毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は火曜日)、年末年始(12月28日~1月1日)
    ⑸ 入館料…常設展示 ①一般・大学生…630円 ②高校生(高等専門学校生含む)以下…無料
               ③65歳以上の方…無料
    02_【「国立科学博物館」へのアクセス】
    ①JR「上野駅」公園口から徒歩4分300m
    ②京成電鉄「京成上野駅」正面口から徒歩10分
    ③東京メトロ銀座線・日比谷線「上野」駅(7番出口)から徒歩10分

    旅行時期
    2024年03月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    JR「上野駅」公園口から徒歩4分300m
    コストパフォーマンス:
    5.0
    リーズナブルの一言に尽きます。
    人混みの少なさ:
    2.0
    修学旅行生で館内は熱気を帯びていました。
    展示内容:
    5.0
    東京国立博物館もそうですが、これだけの展示品の修理と保存は大変だと思いました。

  • 日本の歴史と風土に育まれた文化や芸術作品、考古資料などが多数あり、アジアの芸術作品も展示されています。

    投稿日 2024年07月12日

    東京国立博物館 上野・御徒町

    総合評価:5.0

    「東京国立博物館」へのアクセス、JR「上野駅」公園口を出てそのまま直進します。「国立西洋美術館」を右手に見ながら220mほど進むと「動物園前交番」があるので、その先を右に曲がります。この時点で正面に「東京国立博物館」が見えます。「大噴水(竹の台噴水)」の脇を通り「東京国立博物館」の前の信号を渡ると右手に、「東京国立博物館」のチケット売場があります。
    最初に、「東京国立博物館」の歴史と概要を紐解いてみると、「東京国立博物館」は明治5年(1872年)3月10日に、文部省博物局が湯島聖堂大成殿において最初の博覧会を開催したのを契機に開館した150年の歴史を誇る「博物館」です。「博物館」は開館後間もなく、現在の千代田区内幸町一丁目、帝国ホテル、みずほ銀行本店、NTT東日本などがある一帯の内山下町に移転しました。当初「ジョサイア・コンドル」が設計し、明治15年(1882年)に開館した「旧本館」は大正12年(1923年)の関東大震災で大きな被害を受けました。その後、昭和13年(1938年)に昭和天皇の即位を記念して開館したのが現在の「本館」です。その後、明治15年(1882年)に上野公園に移り、現在に至っています。その150年の歴史の中で受け継がれてきた収蔵品は約12万件といわれ、「国宝」が89件、「重要文化財」が650件(2024年4月現在)保存され、「総合文化展」では、常時3,000件を展示しています。年間約300回もの展示替えを実施しているため、何度見に行っても新しい発見があり、満足が得られる博物館であることは間違いありません。「東京国立博物館」の展示館は、「本館」、「平成館」、「東洋館」、「法隆寺宝物館」、「表慶館」、「黒田記念館」の全部で6館あります。「本館」では日本美術を、「平成館」では日本の考古を、「東洋館」では東洋美術、「法隆寺宝物館」では法隆寺献納宝物を展示しています。その他に、特別展、催し物の会場となる「表慶館」、そして、「東京国立博物館」の正門に向かって左方向に進むと、敷地外に洋画家「黒田清輝」の作品を展示する「黒田記念館」があります。
    それと「東京国立博物館」の前庭や庭園には、野外展示、記念碑、茶室等も多数あり、「本館」、「平成館」などに負けないくらい、こちらも見どころ満載です。私は、全体の地理感覚を掴むために外周にある野外展から見て回りました。それから「本館」、「平成館」、「東洋館」、「法隆寺宝物館」の順で、それぞれの館を鑑賞しました。見学順路については、次の通りになっています。

    ★Ⅰ_【東京国立博物館での見学順路】
    1_《「野外展示、記念碑、茶室等」の見学巡路》
    ①《エドワード・ジェンナー像》⇒②《朝鮮の石像》⇒③《中国の石像(獅子像)》⇒④《五重塔》⇒⑤《第二回内国勧業博覧会の碑》⇒⑥《町田久成の碑》⇒⑦《春草廬》⇒⑧《転合庵》⇒⑨《六窓庵》⇒⑩《有馬家墓石群》⇒⑪《応挙館》⇒⑫《九条館》⇒⑬《森鴎外総長室跡》⇒⑭《東京国立博物館 町田久成初代館長像》⇒⑮《阿吽のライオン像》⇒⑯《黒田家の江戸屋敷鬼瓦》⇒⑰《黒門》⇒⑱《旧十輪院宝蔵》
    2_《「本館」の見学順路》
    「本館」の1階は「ジャンル別展示」と「企画展示」、2Fは縄文時代から江戸時代まで、時代を追って展示する「日本美術の流れ」となっています。私は、1Fから見学したので次のようなコースになりました。
    ≪1F≫ ★「11…」の数字は展示ブースの番号です。
    ①《11…彫刻》⇒②《12…漆工》⇒③《13-1…金工》⇒④《13-2…刀剣》⇒⑤《13-3…陶磁》⇒⑥《14…特集(おひなさま)》⇒⑦《15…歴史の記録》⇒⑧《16…アイヌと琉球》⇒⑨《17…保存と修理》⇒2Fへ
    ≪2F≫
    ⑩《1-1…日本美術のあけぼの―縄文・弥生・古墳》⇒⑪《1-2…仏教の興隆―飛鳥・奈良》⇒⑫《2…国宝室》⇒⑬《3-1…仏教の美術-平安~室町》⇒⑭《3-2…宮廷の美術―平安~室町》⇒⑮《3-3…禅と水墨画―鎌倉~室町》⇒⑯《4…茶の美術》⇒⑰《5・6…武士の装い―平安~江戸》⇒⑱《7…屛風と襖絵―安土桃山~江戸》⇒⑲《8-1…暮らしの調度―安土桃山・江戸》⇒⑳《8-2…書画の展開―安土桃山~江戸》⇒㉑《9…能と歌舞伎》⇒㉒《10…浮世絵と衣装―江戸》
    3_《「平成館」の見学順路》
    「平成館」は、2Fは全て特別展専用の展示室で、1Fには、日本の考古の「通史展示」と「テーマ別展示」があり、旧石器時代から江戸時代までの日本の歴史を垣間見ることができます。何よりも歴史の教科書で見た埴輪、土偶などが目の前に所狭しと並べられています
    ≪日本の考古(通史展示)≫
    ①《1…氷河期の日本列島に暮らした人びと》⇒②《2…自然環境の変化と定住生活》⇒③《3…大陸との交流と稲作のはじまり》⇒④《4…政治的社会の成熟》⇒⑤《5…ヤマト(倭)王権の成立》⇒⑥《6…巨大古墳の時代》⇒⑦《7…地方豪族の台頭》⇒⑧《8…終末期の古墳》⇒⑨《9…律令国家の幕開け》⇒⑩《10…祈りのかたち》⇒⑪《11…中世のあの世とこの世》⇒⑫《12…江戸から掘り出されたモノ》
    ≪日本の考古(テーマ展示)≫
    ①《1…重要文化財》⇒②《2…縄文時代の祈りの道具・土偶》⇒③《3…縄文時代の装身具と祈りの道具》⇒④《4…縄文時代の暮らしの道具》⇒⑤《5…弥生時代の暮らしの道具》⇒⑥《6…弥生時代の装身具と祭りの道具》⇒⑦《7…弥生時代の祭りの道具》⇒⑧《8…続縄文文化》⇒⑨《9…須恵器の展開》⇒⑩《10…紀年銘鏡と伝世鏡》⇒⑪《11…古墳発見の石製模造品》⇒⑫《12…古墳時代前期の甲府盆地》⇒⑬《13…古墳時代の祭祀》⇒⑭《14…玉生産の展開》⇒⑮《15…古墳文化の地域性》⇒⑯《16…常総地域の古墳文化》⇒⑰《17…古墳時代の漁具》⇒⑱《18…新沢千塚126号墳》⇒⑲《19…銘文大刀と古墳時代の社会》⇒⑳《20…江田船山古墳》⇒㉑《21…形象埴輪の展開》⇒㉒《22…埴輪と古墳祭祀》⇒㉓《23…古代の貨幣》⇒㉔《24…古代の墓誌》⇒㉕《25…古代の施釉陶器》⇒㉖《26…古代寺院出土の遺宝》⇒㉗《27…経塚》⇒㉘《28…古代中世の灯火》⇒㉙《29…経塚に埋納された経典》⇒㉚《掘り出された江戸の金貨》⇒㉛《大名屋敷のうつわ》
    4_《「東洋館」の見学順路》
    「東洋館」は、中国、朝鮮半島、東南アジア、西域、インド、エジプトなどの美術と工芸、考古遺物を展示してあります。
    ①《1…中国の仏像(1F)》⇒②《2…オアシス: 旅の案内所(2F)》⇒③《3…インド・ガンダーラの彫刻(2F)》⇒④《4…中国文明のはじまり(2F)》⇒⑤《5…①中国の青銅器 ②中国 ③墳墓の世界 ④中国の陶磁 ⑤中国の染織(3F)》⇒⑥《6…オアシ:アジアの占い体験(3F)》⇒⑦《7…中国の石刻画芸術(4F)》⇒⑧《8…①中国の絵画 ②中国の書跡 ③中国文人の書斎(4F)》⇒⑨《9…中国の漆工(5F)》⇒⑩《9…中国の漆工(5F)》⇒⑪《10…朝鮮の磨製石器と金属器(5F)》⇒⑫《11…クメールの彫刻(B1F)》⇒⑬《12…①東南アジアの金銅像 ②インド・東南アジアの考古 ②東南アジアの陶磁(B1F)》⇒⑭《13…①アジアの染織 ②インドの細密画 ③アジアの民族文化(B1F)》
    5_《「法隆寺宝物館」の見学順路》
    「法隆寺宝物館」には、明治11年(1878年)に奈良「法隆寺」から皇室に献納され、戦後国に移管された宝物300件あまりを収蔵・展示しています。
    ≪1F≫
    ①《1…灌頂幡》⇒②《2…金銅仏、光背、押出仏》⇒③《3…伎楽面(金・土のみの通年展示)》⇒中2Fへ
    ≪中2F≫
    ①《国宝「聖徳太子絵伝」のグラフィックパネル》⇒②《国宝「聖徳太子絵伝」の8K映像》⇒③《伎楽面と伎楽装束(復元模造)》⇒2Fへ
    ≪2F≫
    ①《1…木・漆工-香木・計量器》⇒②《2…金工》⇒③《3…書跡》⇒④《4…染織》

    ★Ⅱ_【「野外展示、記念碑、茶室等」の見学】
    それでは、早速「東京国立博物館」に入ってみます。まず、チケットを購入します。チケット売場は、「正門」の右側にあり、自動券売機と受付タイプの2種類で、総合文化展観覧料は、一般が1,000円、大学生が500円で高校生以下及び満18歳未満、満70歳以上は、総合文化展について無料です。私は、満70歳以上なので、免許証を入口で提示して入りました。最初に「野外展示、記念碑、茶室等」を見て回ります。
    01_「エドワード・ジェンナー像」
    入口を出てすぐに右方向に進むと、その奥に「エドワード・ジェンナー像」があります。「エドワード・ジェンナー」は、イギリス人の医師で、牛の乳搾りの女性は、天然痘が流行してもかからないというこの経験則をきっかけに、長年研究を続けた「牛痘ワクチン」を、初めてジェンナー家の使用人の8歳の息子に対して治験し、その効果が確認されたのが1796年のことです。明治29年(1896年)種痘の発明100年を記念して、「大日本私立衛生協会」が制作を依頼したもので、「高村光雲」の弟子「米原雲海」の作品です。台座にはめ込まれた銘板には、漢字で「善那」と書かれています。
    02_「朝鮮の石像」
    「エドワード・ジェンナー像」の次は、「朝鮮の石像」です。入口まで戻り、「本館」の方に進むと、「朝鮮の石像」があります。「朝鮮の石像」は、正門に最も近いところに設置された朝鮮時代の王や両班(貴族)の墓を守る羊や文官の石像です。
    03_「中国の石像」
    「朝鮮の石像」の次は、「中国の石像」です。「東洋館」の玄関の両脇に設置された「中国の獅子像」は、正門に最も近いところに設置された「朝鮮の石像」とともに、日本で最初に合板を生産した「新田愛祐」から寄贈された作品です。
    04_「五重塔」
    「中国の石像」の次は、「五重塔」です。「東洋館」と「本館」の間の道を進むと、「庭園」入口の門があります。門を入るとすぐ右手の小高い丘の上に「五重塔」があります。「五重塔」は、高さ5.7mの銅製の塔で、最上部の相輪には龍が絡み付き、垂木、斗拱の組み物の細部まで入念に作られています。基壇部分には第5代将軍「徳川綱吉」が法隆寺に奉納した旨の銘文「大和国法隆寺元禄元年十二月日常憲院徳川綱吉」が線刻されています。
    05_「第二回内国勧業博覧会の碑」
    「五重塔」の次は、「第二回内国勧業博覧会の碑」です。「五重塔」の前で道が二又に分かれますので、右方向に進むとすぐに「第二回内国勧業博覧会の碑」があります。明治政府は勧業政策の一環として「博覧会」を開催し、その第1回から第3回の会場が上野公園でした。明治10年(1877年)の「第一回博覧会」では、「本館」北側のバルコニーのあたりに、日本で初めて「美術館」の煉瓦造りの建物が建てられました。この「美術館」の前面に「ジョサイア・コンドル」による設計の「博物館旧本館」が建てられ、明治14年(1891年)の「第二回内国勧業博覧会」で使用されました。
    06_「町田久成の碑」
    「第二回内国勧業博覧会の碑」の次は、「町田久成の碑」です。「五重塔」の前の二又を今度は左方向に進むと「町田久成の碑」が右手に、「春草廬」が左手にあります。「町田久成の碑」は、初代博物局長(館長)である「町田久成」の顕彰碑です。「町田久成」は天保9年(1838年)に、薩摩(現在の鹿児島県)に生まれました。19歳で江戸に出て学び、慶応元年(1865年)に渡英し、大英博物館などを訪れ日本での博物館創設を志し、帰国後初代博物局長として日本の博物館の基礎を築きました。文化財調査や保護を提唱し、自らの財産を投げうって書や古美術品を買い求め文化財の散逸を防ぐことにも尽力したそうです。
    07_「春草廬」
    「町田久成の碑」の道を挟んで反対側にあるのが、「春草廬」です。「春草廬」は、「河村瑞賢」が江戸時代の貞享~元禄の頃(17世紀後半)に、摂津淀川改修工事の際に建てた休憩所です。その後大阪へ、さらに「原三渓」によって横浜の「三渓園」に移され、昭和12年(1937年)に埼玉県所沢市にある「松永安左エ門(耳庵)」の「柳瀬荘」内に移築されました。昭和23年(1948年)に「柳瀬荘」が「東京国立博物館」に寄贈しました。そして、昭和34年(1959年)に「春草廬」は現在の位置に移されました。入母屋の妻に掲げられた「春草廬」の扁額は、能書家として知られる曼殊院の「良尚法親王」の筆で、「原三渓」が「松永安左エ門(耳庵)」に贈ったものです。木造平屋建て、「春草廬」は、入母屋造、茅葺き、座敷は5畳と3畳からなります。
    08_「転合庵」
    「春草廬」の次は、「転合庵」です。「春草廬」を進むと突き当たりますので、左方向に進むと、左手に「転合庵」の案内板があるので、左折するとすぐに「転合庵」があります。「転合庵」は、「小堀遠州」が「桂宮」から茶入「於大名」を賜ったときに、その披露のために京都の伏見の六地蔵に建てた茶室だそうです。明治11年(1878年)に、京都の大原の「寂光院」にあった「転合庵」を「渡辺清」が譲り受け、東京麻布区霞町に移築しました。その後、「三原繁吉」へと所蔵者が変わっています。「三原繁吉」は茶入「於大名」も入手したそうです。その後、「塩原又策」を経て、妻の「塩原千代」から昭和38年(1963年)に茶入「於大名」とともに「東京国立博物館」に寄贈されました。ちなみに、「茶入」とは 濃茶用の抹茶を入れておく陶器製の容器のことです。
    09_《六窓庵》
    「転合庵」の次は、「六窓庵」です。「転合庵」から庭園の池沿いの道を右方向に進むと「六窓庵」があります。「六窓庵」は、慶安年間に「金森宗和」によって、奈良の「興福寺慈眼院」に建てられたものです。もとは「興福寺大乗院」内にあり、現在は「奈良国立博物館」に移された「八窓庵」、「東大寺塔頭四聖房」の「隠岐録」とともに「大和の三茶室」といわれました。明治8年(1875年)に博物館が購入しました。解体輸送中に伊豆で船が難破しましたが、幸い材は流失をまぬがれて明治10年(1877年)に「東京国立博物館」に移築されました。
    10_「有馬家の墓石」
    「六窓庵」の次は、「有馬家墓石群」です。「六窓庵」を出て右手奥に見える「応挙館」へ行く途中の右手にあります。「有馬家の墓石」は、一見するとただの石碑にしか思えず、見過ごしがちなので注意してください。「東京国立博物館」は寛永寺の境内であった土地に建てられたもので、庭園も寛永寺の一部でした。当時の面影を今に伝えるものはわずかしかありませんが、そのひとつが、越前丸岡藩主「有馬家の墓石」だそうです。記録によると明治15年(1882年)から明治19年(1886年)にかけて、公園として整備するために博物館敷地内の墓所が整理されたとあります。しかし、なぜ「有馬家墓石群」の墓石だけがここに残されたのかはわかっていないそうです。
    11_「応挙館」
    「有馬家墓石群」の次は、左手奥にある「応挙館」です。「応挙館」は、尾張国の天台宗の寺院である「明眼院」の書院として寛保2年(1742年)に建てられたものです。後に東京品川の「益田孝」邸内に移築されました。そして、昭和8年(1933年)に「東京国立博物館」に寄贈され、現在の位置に移されました。室内に描かれている墨画は、天明4年(1784年)に、「円山応挙」が「明眼院」に眼病で滞留していた際に揮亳したものだそうです。松竹梅を描いた床張付が残されています。墨画は保存上の理由から収蔵庫で保管されていますが、平成19年(2007年)に、最新のデジタル画像処理技術と印刷技術を駆使した複製の障壁画が設置され、「円山応挙」揮毫当時の絵画空間が「応挙館」に再現されました。建築様式は、木造平屋建て、入母屋造、瓦葺き、間口15m、奥行き9m、2室、廻り廊下を巡らしています。
    12_「九条館」
    「応挙館」の次は、「応挙館」の裏手にある「九条館」です。「九条館」は、もと京都御所内の九条邸にあったものを東京赤坂の九条邸に移した建物で、当主の居室として使われていました。昭和9年(1934年)に九条家から寄贈され、現在の位置に移築されました。床張付、襖などには狩野派による楼閣山水図が描かれており、欄間にはカリンの一枚板に藤花菱が透かし彫りされています。建築様式は、木造平屋建て、瓦葺き、寄棟造、間口15m、奥行き10m、2室、廻り廊下を巡らしています。
    13_「森鴎外総長室跡」と「町田久成初代館長像」
    「九条館」の次は、「平成館」の池の前にある「森鴎外総長室跡」です。「九条館」から「本館」と「平成館」の間の道を抜けると「平成館」が右手にあります。池がありその一番手前にあるのが「森鴎外総長室跡」の説明板です。そのすぐそばには、「町田久成初代館長像」もあります。「町田久成初代館長像」は、庭園内の「町田久成の碑」の項目で説明したので割愛させていただきます。「平成館」とその前庭の一帯は、明治15年(1882年)に「博物館」が上野に移転してから、展示棟に付属する事務棟の建物が多く建てられました。この付近には「帝室博物館」を統括する「総長の居室」があり、「森林太郎」(鴎外)は大正6年(1917年)から大正11年(1922年)に死去するまで、「総長」としてここで執務しました。
    14_「阿吽のライオン像」
    「平成館」から正門方面へ向かうと右手に「表慶館」があり、正面入口の両側にみどりの「阿吽のライオン像」が鎮座しています。右側が「阿」、左側が「吽」のライオン像です。日本に生息せず想像上の生きものであったライオンは、明治35年(1902年)に「上野動物園」に初めて来たそうです。ちなみに、「阿吽」は、金剛力士像や狛犬にも見られる仏教用語の真言で「万物の始まりと終わりを象徴するもの」とされているそうです。また、「阿吽のライオン像」の製作者は、日本の近代彫刻の先駆者の「大熊氏廣」と「沼田一雅」によるものです。
    15_「黒田家の江戸屋敷鬼瓦」と「黒門」
    「表慶館」から「法隆寺宝物館」へ向かう途中に、「黒田家の江戸屋敷鬼瓦」と「黒門」があります。「表慶館」から正門方面へ進むと右手に道路沿いの道がありますので、そこを右折するとすぐに「黒田家の江戸屋敷鬼瓦」と「黒門」があります。「黒田家の江戸屋敷鬼瓦」は、千代田区霞が関にあった筑前福岡藩「黒田家」の江戸屋敷の鬼瓦で、複雑な雲文の意匠が特徴です。「黒門」の手前の脇に置かれています。「黒門」は、「旧因州池田屋敷表門」です。旧丸の内大名小路(現在の丸の内3丁目)にあった「鳥取藩池田家江戸上屋敷」の「正門」です。明治時代、当時の「東宮御所正門」として移されたのち、高松宮邸に引き継がれ、さらに昭和29年(1954年)に「東京国立博物館」に移築されました。屋根は入母屋造左右に向唐破風屋根の番所を備え、大名屋敷表門では東京大学の「赤門」と並び称されるものです。「黒門」は、土・日・祝・休日および1月2日・3日の10時00分~16時00分に開放しています。
    16_「旧十輪院宝蔵」
    「野外展示、記念碑、茶室等」の最後が「旧十輪院宝蔵」です。「黒門」の次はから「旧十輪院宝蔵」です。「黒門」から「法隆寺宝物館」の方へ向かうと、「旧十輪院宝蔵」は、「法隆寺宝物館」を回りこむように進むと右手奥にあります。少々分かりにくいかもしれません。「旧十輪院宝蔵」は、奈良の「元興寺」の別院であった「十輪院」にあった経蔵です。明治15年(1882年)5月に「東京国立博物館」に移築されたものです。鎌倉時代に造られた一間四方の小さな校倉で、内部壁面には大般若経にゆかりの菩薩や十六善神が描かれています。

    ★Ⅲ_【「本館」の見学】
    「野外展示、記念碑、茶室等」を見た後は、いよいよ「本館」の見学です。「本館」のエントランスに入ると目の前にCMやドラマの撮影にも使われている大理石でできた「大階段」があります。右手には、「ジャンル別展示」の入口があります。ここから見学開始です。
    01_《11…彫刻》
    スタート地点の1階の展示ブース(11室)には、平安時代から鎌倉時代に作られた「彫刻」の仏像や神像が展示されています。展示ブース(11室)に入ったとたんに、厳かな気分になりました。説明文によると江戸時代以前の日本の彫刻は、寺院や神社に安置された仏像、神像、肖像で占められ、日本古来の神祇信仰は自然をご神体としてあがめるアニミズムだったそうです。ちなみに、アニミズムとは、人間以外の生物を含む、木や石など、すべての物のなかに魂が宿っているという思想や信仰のことだそうです。ラテン語で霊魂を意味する「アニマ(anima)」からつくられた用語で、世界各地のさまざまな民族の宗教や風習に見られるそうです。しかし、仏教の伝来以降、仏像の影響を受けて神像がつくられるようになったそうです。その中でも目を引いたのが、14世紀頃の南北朝時代に作られた「千手観音菩薩坐像」です。実に成功にできていて、菩薩像は非常に柔和な表情をしています。この千本の手で人々に幸せをもたらすのですよね。
    02_《漆工》
    次の展示ブース(12室)では、平安時代から江戸時代に作られた「漆工」が展示されています。このブースでは、日本独自の技である漆芸妓法の「蒔絵」を取り上げています。蒔絵の歴史、魅力や漆芸の美しさに触れられる空間です。その中でも目を引いたのが、重要文化財に指定されている16世紀頃の室町~安土桃山時代に作られた「初瀬山蒔絵硯箱」と18世紀頃の江戸時代に作られた「桜蒔絵硯箱」です。どちらも素晴らしい手の込んだ作品です。
    03_《金工》
    次の展示ブース(13室)は、部屋が三つに分割されています。手前の展示ブース(13室)では、古代から近世に至る日本の金属工芸品である「金工」が展示されています。仏具や釜、鏡、七宝、金具、置物などに使われた「金工作品」をジャンルと古代・中世・近世という時代の流れのなかで、系統立ててある見やすい展示になっています。「金工」とは、金属を使って加工して作られた工芸品のことです。今回の展示では、多彩な色面により文様や図柄を表す七宝技法の作品でした。その中でも目を引いたのが、18世紀頃の江戸時代に作られた「七宝桜花形透彫把手」で、まるでブローチのように見えました。表面のガラス釉薬が若干色褪せていましたが、完成した当時の色合いを思い浮かべると、桜の花が満開に咲き誇っているような感じです。
    04_《刀剣》
    二つ目の展示ブース(13室)には、平安時代から江戸時代までの日本の「名刀」が展示してあります。墨田区の「刀剣美術館」にも行きましたが、展示されている数は、「東京国立美術館」の方が多いというのが印象です。重要文化財に指定されている作品が多く、どれもこれも素晴らしいものばかりでした。このブースでは、老若男女を問わず外国人の観光客が目を皿のようにして魅入っていました。
    05_《陶磁》
    三つ目の展示ブース(13室)には、平安時代から江戸時代までの「陶磁」の歴史を勉強することができます。古代・中世、茶陶、京焼、伊万里と時代の流れに従いながら産地や様式で分類して展示してありました。特に、伊万里焼き京焼など色鮮やかな作品が多く、日本の陶芸の技術の高さを知ることができます。その中でも目を引いたのが、17世紀頃の江戸時代に作られた「野々村仁清」作で、「仁清」印がある「色絵牡丹図水指」です。
    06_《おひなさまと日本の人形》
    次の展示ブース(14室)では、3月3日の桃の節句にちなみ、恒例となった雛飾りの展示がされていました。ここで雛飾りの源流といわれるが「天児」(あまがつ)と「這子」(ほうこ)ということを初めて知りました。「天児」と「這子」の歴史は遠く平安時代に遡り、小児の祓いの人形だったそうです。嵯峨人形や御所人形などが、煌びやかに並んでいました。
    07_《歴史の記録》
    次の展示ブース(15室)では、「東京国立博物館」に所蔵されている歴史資料が展示されています。他の展示ブースに比べると少し地味な展示ですが、江戸時代から明治時代の歴史の一幕を垣間見ることができます。その中でも特に目を引いたのが、文久元年に徳川幕府から派遣された修好使一行の写真です。この当時の船でヨーロッパまで行くのは並大抵のことではなかったでしょうね。
    08_《アイヌと琉球 アイヌの飾りと琉球の工芸》
    次の展示ブース(16室)では、日本列島の南北に位置するアイヌと琉球の独自の文化に関する展示がされています。その中でも特に目を引いたのが、19世紀頃のアイヌの衣装で樹皮から作られた「アットゥシ」、(樹皮衣)と19世紀頃の琉球の衣装である「ドゥジン紺地松皮菱唐花模様錦」(胴衣)です。どちらも多くの人が足を止めて見ていました。そのほか、釣具のほか弓などもあり、狩猟、漁獲、植物採集、交易などをしていたアイヌの人々の暮らしぶり感じられました。
    09_《保存と修理》
    次の展示ブース(17室)では、「東京国立博物館」が文化財の保存と公開を両立させるため、保存修復事業を継続的に行っている「修理と保存」のコーナーです。「保存と修理」の展示コーナーでは、文化財が修理、保存されている様子や、修復に使用される材料・道具などが展示されています。「東京国立博物館」では、展示や収蔵の環境整備、状態調査と分析、傷んだ作品への修理といった3つのテーマで取り組んでいるそうです。私たちが、ゆっくり鑑賞できるのも、修理と保存が継続的に行われているからですね。
    10_《近代の美術》
    次の展示ブース(18室)では、明治時代から大正時代の絵画や彫刻、工芸を中心に、昭和にかけての作品が展示してある「近代の美術」です。展示ブースに入ると目の前に二頭の木彫りの彫刻の「牝牡鹿」が目に入ってきます。この作品は、動物彫刻を得意とした「森川杜園」の晩年の大作です。特に目を引いたのが、彫刻「牝牡鹿」の後ろにある、鋭い眼差しで、今にも大空に羽ばたこうとしている「鈴木長吉」作による「鷲置物」です。この「鷲置物」は国の重要文化財に指定されています。
    11_《「押出仏ができるまで」と「みどりのライオン 体験コーナー」》
    次の展示ブース(19室)には、二つの展示コーナーがあります。「押出仏ができるまで」と「みどりのライオン体験コーナー」です。「押出仏ができるまで」は、6工程に分けて、「押出仏」の素材とそれがどのような作業を経て制作されるかを再現したものです。「みどりのライオン体験コーナー」の名前の由来は「表慶館」のライオン像をマスコットにした教育普及スペースで、作品の制作工程や技法がわかる「トーハクで○○ができるまで」や、e国宝がさらに使いやすくなった「トーハクで国宝をさぐろう」、3Dの作品画像を自由に動かせる「トーハクをまわそう」などの体験コーナーがあります。
    ≪2階の「日本美術の流れ」へ≫
    ★次は、「ジャンル別展示」を鑑賞した後は、エントランスホールの「大階段」をのぼると左手奥に「日本美術の流れ」の入口があるのでそこから入ります。
    12_《日本美術のあけぼの―縄文・弥生・古墳》
    最初の展示ブース(1室-1)である「日本美術のあけぼの―縄文・弥生・古墳」があります。ここでは、主に、仏教文化が定着する以前の「縄文・弥生・古墳時代」を代表する作品が展示してあります。「縄文時代」は土器や土偶、「弥生時代」は土器や銅鐸、「古墳時代」は埴輪や銅鏡などを展示してあります。その中でも目を引いたのが、「縄文時代」では縄文時代(後期)の前2000~前1000年に作られたと推定される「壺形土器」、「弥生時代」では弥生時代(後期)の1~3世紀作られたと推定される「袈裟襷文銅鐸」、そして、「古墳時代」では、茨城県行方市の大日塚古墳出土の6世紀頃に作られ、重要文化財にも指定されている「埴輪 猿」です。
    13_《仏教の興隆―飛鳥・奈良》
    次の展示ブース(1室-2)「仏教の興隆―飛鳥・奈良」では、日本仏教黎明期の「彫刻」、「書跡」、「典籍」、「工芸」などが展示されています。6世紀半ばの「欽明天皇」の時代には、百済から釈迦金銅仏、経論、幡がもたらされ、しばらくして百済から仏教寺院や仏教美術に関わるさまざまな技術者が来日したそうです。その中でも目を引いたのが、入口を入るとでんと構えている「聖観音菩薩立像(模造)」です。この像は、昭和時代に作られたもので、原品は、7~8世紀の飛鳥~奈良時代のものと推定されます。また、8世紀の奈良時代の作で、国宝に指定されている「興福寺鎮壇具 延金」も目を引きました。ちなみに、「鎮壇」とは、堂塔を築く際に、その土地の神々を鎮)め、建物の末永い無事を祈念して行う祭事で、この時に地中に埋める品々を「鎮壇具」といいます「。興福寺」の鎮壇具は、明治7年(1874年)10月に、中金堂の基壇中から発見されました。「中金堂」の創建時である8世紀前半のものです。
    14_《国宝室》
    次の展示ブース(2室)には、数々の国宝が展示されています。その中でも興味深いのは、治世の参考となる文章を各種の典籍から選集した全50巻からなる「群書治要」です。さしずめ帝王学に相当するのでしょうか。「群書治要」は、唐の「太宗皇帝」が深い学識を具えた名臣「魏徴」や「虞世南」らに編集させたもので、日本へは奈良時代にもたらされ、帝王学の古典として尊重され、複数の写本によって現在まで伝えられてきたそうです。
    15_《仏教の美術-平安~室町》
    次は、「仏教の美術―平安~室町」の展示ブース(3室-1)で、平安から室町時代の仏教文化の影響を受けた絵画、書、彫刻、工芸などが展示されています。仏教美術は日本美術を代表するジャンルの一つで、その内容は多岐にわたり、それぞれの時代ごとに特色ある作品が生み出されました。その中でも特に目を引いたのは、12世紀頃の平安時代の作である重要文化財に指定されている「阿弥陀聖衆来迎図」や13世紀頃の鎌倉時代の作である重要美術品に指定されている「紙胎漆塗彩絵華籠」です。
    16_《宮廷の美術―平安~室町》
    次の「宮廷の美術―平安~室町」の展示ブース(3室-2)では、平安から室町時代の宮廷貴族の美術といった感じの展示が多く見られます。その中でも特に目を引いたのが、14世紀頃の鎌倉時代に作られ、重要文化財に指定されている「為家本時代不同歌合絵」です。
    17_《禅と水墨画―鎌倉~室町》
    次の「禅と水墨画―鎌倉~室町」の展示ブース(3室-3)では、鎌倉時代に中国から禅宗が入ってくるとともに、「絵画」では、中国宋・元の絵画の影響を受けて水墨画が成立しました。また、中国禅僧の書がもたらされ、「墨蹟」が生まれ、個性豊かな墨蹟や水墨画を楽しむことができます。その中でも特に目を引いたのが、14世紀頃の鎌倉時代に作られ、重要文化財に指定されている「松下達磨図」です。
    18_《茶の美術》
    次の「茶の美術」の展示ブース(4室)では、日本独自の文化として進化した「茶の湯」のなかで生まれた美術が展示されています。「茶の湯」は、もともと平安時代末期に禅宗とともに中国から伝わった抹茶を飲む風習が「茶の湯」進化したものです。美しい質感の釜や水指など、侘びさびがあり、どれもこれも目を引くものばかりです。その中でも特に目を引いたのが、16世紀頃の室町時代に作られた「車軸釜」です。
    19_《武士の装い―平安~江戸》
    次の「武士の装い―平安~江戸」の展示ブース(室5と6室)では、平安時代から江戸時代の武士が用いた、甲冑、刀剣、弓馬具、装束などが展示されています。最近話題になった刀剣女子や鎧や刀剣好きにはたまらない展示ブースです。目を引いたのは、入口を入るとすぐ正面には、15世紀頃の室町時代に作られ、重要文化財に指定されている「樫鳥糸肩赤威胴丸」があります。中に誰かがいるような感じで、立派ですがちょっと不気味です。先に進むと15世紀頃の室町時代に作られ、重要文化財に指定されている「黒韋包金桐紋糸巻太刀」、同じく16世紀頃の安土桃山時代に作られ、重要文化財に指定されている「朱漆金蛭巻大小」の刀剣もありました。まさに刀剣ワールドです。
    20_《屛風と襖絵―安土桃山~江戸》
    次の「屏風と襖絵―安土桃山~江戸」の展示ブース(7室)では、安土桃山時代から江戸時代の屛風、襖絵が展示されています。本来、室内を仕切ることにより場を作り出し、空間を演出する機能をもつ屏風や襖には、権力を象徴し、場を荘厳するなどの目的のために、絵が描かれたり、書が揮毫されたりしたそうです。また、生活に欠かせない家具・調度品としての役割もあったそうです。
    21_《暮らしの調度―安土桃山・江戸》
    次の「暮らしの調度―安土桃山・江戸」の展示ブース(8室)では、安土桃山から江戸時代の生活に密着した調度が展示してあり、当時の人々の暮らしぶりが伺えます。漆塗りで仕上げた器類や、金粉で文様を描く蒔絵と同じ技法を用いた器などもあり、その技術の高さには、目を見張るものがありました。目を引いたのが、17世紀頃の江戸時代に作られた「色絵花卉文六角壺」と19世紀頃の江戸時代に作られた「吉野山蒔絵棚」でした。どれもこれも眺めているだけでうっとりするほど美しい調度品が数多く展示されています。
    22_《書画の展開―安土桃山~江戸》
    次の「書画の展開―安土桃山~江戸」の展示ブース(8室)では、安土桃山から江戸時代の作品を展示しています。絵画においては、狩野派を中心に、琳派、南画派、円山派、四条派などの絵師による作品が展示してあります。書は、江戸時代初期の「三筆」(「近衛信尹」、「本阿弥光悦」、「松花堂昭乗」)が新しい書風を打ち立て、黄檗の三筆らがもたらした中国書法が、江戸時代中期以降、唐様の書として流行しました。
    23_《能と歌舞伎》
    次の「能と歌舞伎 能「高砂」に見る面・装束」の展示ブース(9室)では、能や歌舞伎といった伝統芸能に使用されている衣装や面などが展示されています。テレビモニターの前には多くの外国の観光客が魅入っていました。
    24_《浮世絵と衣装―江戸(衣装)》
    次の「浮世絵と衣装―江戸(衣装)」の展示ブース(10室)では、江戸時代の小袖、振袖、打掛のほか、帯や櫛、笄、簪など、町方の女性たちのトータルファッションを展示してあり、当時の人々の生活風景を読み取ることができます。ちなみに、小袖は、かつては下着として着用されていましたが、室町時代に表着として使用されるようになったそうです。
    25_《浮世絵と衣装―江戸(浮世絵)》
    「本館」最後の「浮世絵と衣装―江戸(浮世絵)」の展示ブース(10室)では、桜の名所である隅田川や上野、浅草、吉原、飛鳥山、御殿山などのお花見の様子を描いた作品が展示されていました。

    ★Ⅳ_【「平成館」の見学】
    「本館」の次は、連絡通路でつながっている「平成館」へ向かいます。「平成館」は平成11年(1999年)に、現在の上皇陛下のご成婚を記念して開館した展示施設です。場所は本館正面から見て左奥に位置にあります。「本館」と「平成館」は、直接繋がっているので、展示を見て回る際には簡単に移動できて便利です。1階は「考古展示室」、「企画展示室」、「講堂」、「ラウンジ」(休憩スペース)などがあり、2階はすべて特別展専用の展示室になっています。そして、「平成館」の2階の展示室で行われる特別展は常に話題になって多くの人が訪れます。しかし、特別展が注目されがちですが、1階の「考古展示室」に展示されている旧石器時代から江戸時代までの日本の歴史を辿ることのできる考古遺物も貴重なものばかりで、土偶や埴輪など教科書で見たことのあるようなものの実物がずらっと並んでいます。土偶や埴輪は発見された場所や作られた年代により顔や形が異なるので、見比べるとさらに考古遺物に興味が湧いてきます。そして、「土偶」を実際に手に取り持ち上げたり、「銅鐸」を鳴らしたりできるコーナーもあるため、親子連れでも十分楽しめます。私も「銅鐸」を鳴らしましたが、結構大きな音が周囲に鳴り響き、日本人や外国人の観光客に注目され恥ずかしい思いをしました。さらに進むと、「埴輪コーナー」になります。ここでは、人や馬など多彩な形状をした埴輪が並んでおり、中には亀の甲羅のような「陶棺」も展示されていました。「平成館」1階の「考古展示室」は、「通史展示」と「テーマ展示」に分かれています。最初に「テーマ展示」、次に「考古展示室」を見て回りました。それぞれの展示室の作品は、同じようなものが多数ありました。素晴らしいものばかりですが、一つ一つ丁寧に見ると時間がかかってしまうので、どうしようかと考えていたところ、展示室の中央に各時代の代表的なもので、国の重要文化財に指定されている作品を発見しました。周囲にある時代やテーマごとに分かれている各展示品は、早足で見て、中央の作品にスポットライトをあてて見ることにしました。
    01_「埴輪 盛装女子」
    「テーマ展示」の入口を入ると、まず、6世紀頃の古墳時代に作られた「埴輪 盛装女子」があります。「埴輪 盛装女子」は、群馬県伊勢崎市豊城町の横塚から出土したもので、国の重要文化財に指定されています。この「埴輪 盛装女子」は、女子埴輪の代表的な作品で、全身を華やかに着飾り、女性らしい表情がとても印象的でした。
    02_「遮光器土偶」
    「埴輪 盛装女子」を先に進むと「遮光器土偶」がありました。「土偶」は、祈りの道具の代表であり、その多くは、妊娠した女性を表わした例が多く、子孫繁栄や豊饒を祈るために作られたと考えられています。その中でも特に印象に残ったのは、前1000年から前400年年の縄文時代の晩期に作られた「遮光器土偶」です。「遮光器土偶」は、青森県つがる市木造亀ヶ岡から出土したもので、妊婦特有のふくよかさが端的に表現されている感じがしました。
    03_「扁平鈕式銅鐸」と「ならしてみよう」コーナー
    「遮光器土偶」の次は、「扁平鈕式銅鐸」と「ならしてみよう」コーナーです。「扁平鈕式銅鐸」は、前2世紀~前1世紀の弥生時代の中期に作られたもので、讃岐の国(現在の香川県)から出土したものです。銅鐸は、ほとんどが近畿地方で発見されています。「銅鐸」や「銅矛、銅剣、銅戈」などは、祭器で豊作や集落の繁栄を祈るために使われたものだそうです。目を細めて見ると魚、鳥、イノシシが描かれていました。ライトの加減もあるかもしれませんが光輝いていました。
    04_「銀象嵌銘大刀」と「石人」
    「扁平鈕式銅鐸」と「ならしてみよう」コーナーの次は、「銀象嵌銘大刀」と「石人」です。「銀象嵌銘大刀」は、銘文と鳥・魚・馬形文様を施した大きな刀で、日本古代史上の第一級史料(資料)だそうです。5~6世紀頃の古墳時代に作られたもので、熊本県和水町にある「江田船山古墳」から出土したものです。こんな大きな刀をよく振り回せるものだと感心しました。「石人」は、九州の古墳文化の独特なもので、6世紀頃の古墳時代に作られてもので、福岡県八女市の「岩戸山古墳」から出土したものです。
    05_「経塚~56億7000万年のタイムカプセル~」
    「銀象嵌銘大刀」と「石人」の次は「経塚~56億7000万年のタイムカプセル~」です。「経塚」は、「末法思想」の影響の下で平安時代に造営されるようになりました。そして、「経塚」からは、経典を保護する経筒やその外容器をはじめ、副納された当時の工芸品が埋納されています。展示されている「経塚」から発見された「経筒」は、平安時代の康和5年(1103年)のもので、山梨県甲州市勝沼町勝沼柏尾白山平にある「柏尾山経塚」から出土しました。ちなみに、「末法思想」とは、仏教の予言に基づく思想のことで、日本では平安時代中期から流行した仏教の歴史観です。「釈迦」の死後,2000年を経ると「末法」の世となり、「仏法」が衰えて世の中が乱みだれるという思想で,日本では永承7年(1052年)から末法の時代が始まると考えられるようになったそうです。
    06_「火熨斗」
    「経塚~56億7000万年のタイムカプセル~」の次は「火熨斗」です。「火熨斗」は、5世紀頃の古墳時代中期に作られたもので、奈良県橿原市にある「新沢千塚126号墳」から出土したものです。「火熨斗」は、現代のアイロンに相当するもので、炭火を入れて、熱により布類のしわ伸ばしや仕上げに用いるものです。ちなみに、「新沢千塚126号墳」から朝鮮半島由来の金製や銀製の装身具をはじめ、西アジア起源のガラス碗などが多数出土したそうです。
    07_「秋草文壺」
    「秋草文壺」は、12世紀頃の平安時代に「日本三大古窯」の一つにも数えられている「渥美窯」で作られたもので「国宝」に指定されています。「秋草文壺」は、神奈川県川崎市幸区の南加瀬で、昭和17年(1942年)に農道工事中に偶然に出土したものです。「秋草文壺」の中には、火葬された人骨がわずかに残されており骨臓器と考えられているそうです。ちなみに、「渥美窯」は、愛知県渥美半島(田原市の大部分及び豊橋市の一部)に分布している古窯群です。
    08_その他私が気になった展示品
    ①「模造旋帯文石」…岡山県倉敷市、弥生時代・3世紀
    ②「石製合子」、京都府八幡市西車塚古墳出土、古墳時代・4世紀
    ③「鶏形埴輪」…群馬県伊勢崎市 赤堀茶臼山古墳出土、古墳時代・5世紀
    ④「金銅装眉庇付冑」…福井県永平寺町二本松山古墳出土、古墳時代・5世紀
    ⑤「画文帯仏獣鏡」…岡山県倉敷市王墓山古墳出土、古墳時代・6世紀
    ⑥「陶棺」…岡山県美作市野狀出土、古墳(飛鳥)時代・7世紀
    ⑦「瓦塔」…東京都東村山市多摩湖町出土、奈良時代・8世紀
    ⑧「し尾」…大阪府柏原市鳥坂寺出土、平安時代・12世紀
    ⑨「白楽獅子香炉」…常慶作、東京都上野公園東京国立博物館内出土、江戸時代・17世紀
    ⑩「掘り出された江戸の金貨」…慶長小判、慶長丁銀、寛永通宝

    ★Ⅳ_【「東洋館」の見学】
    「平成館」の次は、「東洋館」です。「東洋館」は、「東京国立博物館」の正門から入ると右手にあります。そして、「東洋館」の正面玄関の両脇に設置された二匹の「中国の獅子像」が出迎えてくれます。玄関を入ると、エントランスホールの正面に受付そして右手に「ミュージアムショップ」があります。「東洋館」には、中国、朝鮮半島、東南アジア、西域、インド、エジプトなどの美術、工芸などの芸術品と考古遺物が展示してあります。まず、「ミュージアムショップ」の奥にある1階 1室の「中国の仏像」からスタートです。 01_「中国の仏像」
    「中国の仏像」の展示室では、中国彫刻の最盛期である南北朝時代から唐時代の仏像を中心に展示してあります。その中で、特に目を引いたのは、中国陝西省西安にある「宝慶寺」の石仏群です。「宝慶寺」の石仏群は、どれもこれも重要文化財ばかりで、その作風は石灰岩の一材を堀だし、仏像を浮彫で表現した龕形式と呼ばれるものです。これほどたくさんの龕形式の彫刻群を見ることができるのは、「東洋館」だけだそうです。説明板でそれぞれの仏像の成り立ちや歴史を読むと大変勉強になります。その他、唐時代の長安3年(703年)に作られた「宝慶寺石仏群」の「十一面観音龕」も見ごたえがありました。
    02_「インド・ガンダーラ・西アジア・エジプト」
    次は、2階にあがると「インド・ガンダーラ・西アジア・エジプト」の展示室の3室になります。「インド・ガンダーラ・西アジア・エジプト」の展示室は、「インド・ガンダーラの彫刻」、「西域の美術」、「西アジア・エジプトの美術」が展示されています。ちなみに、今回展示はありませんでしたが、展示室の3室の前に2室があるそうです。最初2室が分からなかったので、係の人に聞いてみると、2室は企画展示等があるときだけ展示スペースとして使うそうです。まず、3-1室の「インド・ガンダーラの彫刻」
    ①「インド・ガンダーラの彫刻」
    「インド・ガンダーラの彫刻」では、パキスタン北西部の「ガンダーラ」と古代インドの仏教美術が展示してあります。北インドでは「クシャーン朝」(1~3世紀)で仏教美術が隆盛しました。そして、1世紀頃にガンダーラ、マトゥラーにおいて相次いで仏像の制作が始まったそうです。ガンダーラの仏像はギリシャ彫刻の影響を受けているため、彫りが深く写実的なものとなっていました。このなかでも特に目を引いたのが、2~3世紀の「クシャーン朝」の時代につくられた「如来坐像」です。次が3-2室の「西域の美術」です。
    ②「西域の美術」
    「西域の美術」では、20世紀初頭にシルクロードを探検した大谷探検隊の将来品を中心に展示してあります。
    ホータン、クムトラ石窟等の出土品など、大谷探検隊の将来品を中心に展示してありました。その中でもホータンで発見された「如来像頭部」、クチャのクムトラ石窟で発見された「菩薩像頭部」、敦煌莫高窟蔵経洞で発見された「二菩薩立像」などが目を引く展示でした。ちなみに、「将来品」とは、将来にわたり保存し,活用を図る必要性・可能性の観点から,保管・管理していくものだそうです。次が3-3室の「西アジア・エジプトの美術」です。
    ③「西アジア・エジプトの美術」
    「西アジア・エジプトの美術」では、人類最古の文明始まりの地として知られるエジプトと西アジアの古代美術が展示してあります。ここでは大きなインパクトのあるものを発見しました。それは、エジプトのテーベで出土され、前945年~前730年頃の第3中間期(第22王朝)時代に作られた「パシェリエンプタハのミイラ」です。「パシェリエンプタハのミイラ」は、明治37年(1904年)に当時のエジプト考古庁長官から「東京国立博物館」の前身である「帝室博物館」に寄贈されたものだそうです。その他、前23世紀頃の古王国時代(第6王朝)に作られた「イニ像浮彫」です。「イニ像浮彫」は、「イニ」という貴族の墓の浮彫で、元は彩色があったそうです。「イニ」は、「神の印璽官」で、王ペピ1世とメルエンラーに仕え、対外遠征などで大きな業績をあげたそうです。私の思い違いかもしれませんが、「イニ像浮彫」は何かの教科書で見たような気がしました。
    03_中国文明のはじまり
    次は、3階へあがります。3階の4室では「中国文明のはじまり」、5室では「中国の青銅器」、「中国 墳墓の世界」、「中国の陶磁」、「中国の染織」が展示され、一連の中国文明の発展の過程を土器、玉器、出土文字資料、青銅器などで理解します。「中国文明のはじまり」で特に印象に残ったのは、前2600~前2300年頃に作られた「彩陶短頸壺」です。中国では今から1万年以上前の時代に土器の存在が確認されていますが、その時代の土器は、模様や装飾があまりないものでした。紀元前5000年頃になると彩色を施した「彩陶土器」が登場しました。その代表的な「彩陶土器」がこの「彩陶短頸壺」です。
    04_中国の青銅器
    「中国文明のはじまり」の展示室を抜けると、「中国の青銅器」、「中国 墳墓の世界」、「中国の陶磁」、「中国の染織」の展示コーナーです。「中国の青銅器」では、古代から唐時代にかけて中国の青銅器がどのように変遷したかが理解できます。そして、先祖の祭礼に用いた容器や楽器のほか、武器や馬具を展示してありました。「中国の青銅器」で特に目を引いたのは、前13~前11世紀頃の殷時代に作られた「饕餮文瓿」です。よく見てみると絵柄や文様が描かれ、とても精巧に、しかも堅固に作られているような感じでした。
    05_中国 墳墓の世界
    「中国 墳墓の世界」では、戦国時代以降、中国文明が成熟していくに従い、王侯貴族は土を丘のように盛った墳墓を造り、その地下には死者が死後の世界でも生前以上に豊かに過ごせるようにと、生活を支える家財の模型や人形などを大量に埋葬するようになりました。「中国 墳墓の世界」で特に目を引いたのが、1世紀~ 2世紀頃の後漢時代に作られた「加彩舞人・楽人」です。死後の世界でも死者が楽しく過ごせるように一緒に埋葬したものでしょう。その他に7世紀~8世紀頃の唐時代に作られた色鮮やかな「三彩駱駝」、同じ時代に作られた墓門を守る獣の「三彩鎮墓獣」や同じく墓を守る「三彩官人」が印象に残りました。
    06_中国の陶磁
    次が同じ5室にある「中国の陶磁」の展示室です。「中国の陶磁」では、中国唐時代から清時代までの約1300 年の間に作られた様々な陶磁器が展示されています。そんな中でひときわ目を引いたのが、12世紀~13世紀頃の南宋時代に作られた「青磁輪花鉢」です。マリンブルーのような色合いの花鉢で文様も手の込んだ様子が伺えます。
    07_中国の染織
    次は同じ5室にある「中国の染織」の展示室です。「中国の染織」では、各時代の特色ある䞺絲(綴織)を展示してあります。
    08_中国の石刻画芸術
    次は、4階7室にある「中国の石刻画芸術」の展示室へ向かいます。4階には8室もありここでは「中国の絵画」、「中国の書跡」、「中国文人の書斎」が展示されています。「中国の石刻画芸術」の展示室には、主に中国山東省の石刻画が展示されています。1世紀~2世紀頃の後漢時代には、中国山東省や河南省南部等では墓の上に祠を、そして、地下には棺などを置く部屋である墓室を石で作ったそうです。その壁や柱、梁などには彫刻が施されていました。石に彫られた絵などの説明文がイラストを交えてあったので理解しやすかったです。その説明文によると祠や墓室の壁、柱、梁などの表面には、先祖を祭るために当時の世界観、故事、生活の様子などを彫刻したということです。
    09_中国の絵画
    次は、隣の8室の「中国の絵画」の展示室に進みます。「中国の絵画」には、日本の文化の発展にも多大な影響を与えてきた宋・元時代の絵画が展示されています。中でも目を引いたのが、嘉靖30年(1551年)の明時代に描かれた「四万山水図軸」です。4幅それぞれの画面の上部に、数字の「万」から始まる題が書かれているため、、「四万山水」といわれています。松葉やさざなみの非常に緻密なタッチに圧倒されてしまいました。
    10_中国の書跡
    次も同じ8室にある「中国の書跡」です。「中国の書跡」には、古璽・古印を収録した中国古銅印譜と明・清時代以降の篆刻家らの刻印を収録した中国近人印譜が展示されています。現在も書道で使われている篆書、隷書、草書、行書、楷書などの書体は、時代の流れとともに考案され変化し、新たな書体へと進化して現在の形になりました。作品を見ると均整のとれた字体の素晴らしさが分かります。
    11_中国文人の書斎
    同じく8室にある「中国文人の書斎」です。「中国文人の書斎」は、多彩な書体や中国の書画芸術から生まれた「文人の書斎」を復元した空間です。中国における宋時代以降の文化は、文人や学者の書斎を中心として育まれてきたといえます。明時代以降、文人の文化は富裕な商人層にも浸透し、筆墨硯紙はもとより、書画を鑑賞する空間そのものにも洗練された趣味が求められたそうです。次は、5階へあがります。
    12_中国の漆工
    5階の9室は、「中国の漆工」の展示室です。「中国の漆工」の歴史は、古く新石器時代までさかのぼります。ここの展示室では、「中国の漆工」の多種多様な伝統的な技法が理解できます。説明文によるとその装飾技法として、塗り重ねた漆を彫刻する彫漆、貝殻を成形して器体に貼付する螺鈿、漆器に文様を彫って金箔を充填する鎗金、文様部に色漆を施して線彫りの輪郭をほどこす存星などがあるそうです。そんな中で特に気になったのは、15世紀頃の明時代に作られた「花鳥鎗金長方形箱」と延祐2年(1315年)の元時代に作られた「孔雀鎗金経箱」です。箱の表面にデザインされている螺鈿の柄が非常にきめ細やかに描かれていました。
    13_清時代の工芸
    「中国の漆工」の同じ展示室には「清時代の工芸」があります。清時代に作られた玉器、ガラス、竹工、犀角など、さまざまな材質、技法の工芸品が展示されています。その中でも特に目を引いたのが19世紀頃の清時代に作られた「翡翠香炉」です。その清らかな色合いには心を洗われます。
    14_「朝鮮の磨製石器と金属器」
    「清時代の工芸」を奥に進むと、10室には朝鮮半島の美術、工芸、考古資料が展示されています。ここでは、「朝鮮の磨製石器と金属器」、「朝鮮時代の美術」、「朝鮮の仏教美術」、「朝鮮の陶磁」、「朝鮮の王たちの興亡」が展示されています。「朝鮮の磨製石器と金属器」には、朝鮮半島の青銅器時代及び初期鉄器の作品を中心に、朝鮮半島の考古資料が展示されています。そのなかでも目を引いたのが、前3世紀~前1世紀頃の初期鉄器~原三国時代に作られた「獣文飾板」です。重要美術品に指定され韓国の慶州で出土したものです。
    15_朝鮮の王たちの興亡
    次は、同じ展示室にある「朝鮮の王たちの興亡」の展示です。「朝鮮の王たちの興亡」には、朝鮮半島の三国時代に、各地の有力者が覇を競った様を装身具、武器、馬具など王たちの権威を示す金銅製の作品が展示されています。その中でも特に目を引いたのは、5世紀頃の三国時代(加耶)の「金製冠」です。王が被るのにふさわしい作品だと思います。
    16_朝鮮の陶磁
    次は、同じ展示室にある「朝鮮の陶磁」の展示です。「朝鮮の陶磁」には、製陶技術が発達した原三国時代から白磁などの多様な陶磁器が焼かれた朝鮮時代までの展示があります。特に、朝鮮半島では原三国時代に楽浪の影響を受けて製陶技術が発達しました。そして、ここでは原三国時代から統一新羅時代までの土器のほか、には中国の影響のもとに青磁の生産が始まり、挑戦時代には、粉青沙器、白磁などの生成の歴史の流れを知ることができます。その中でも特に目を引いたのは、15 世紀~16世紀頃の朝鮮時代に作られた「粉青鉄絵魚文瓶」です。「粉青鉄絵魚文瓶」は、韓国忠清南道公州鶴峯里から出土しました。
    17_朝鮮の仏教美術
    次は、同じ展示室にある「朝鮮の仏教美術」の展示です。「朝鮮の仏教美術」には、三国時代から統一新羅、高麗時代の瓦、仏像、金工品などが展示されています。その中でも特に目を引いたのは、7世紀頃の三国時代に作られた柔和な表情の「菩薩半跏像」と強面でインパクトのある6~7世紀頃の三国時代(高句麗)に作られた「鬼面文軒丸瓦」です。
    18_朝鮮時代の美術
    次は、同じ展示室にある最後の「朝鮮の仏教美術」の展示です。朝鮮王朝時代の両班(貴族)階級の人々の生活文化に関するものが展示されていました。ちなみに、「両班」は「やんばん」と読みます。そして、「両班」の男性は、書斎を社交の場としていたそうです。一方、女性の部屋には華やかな装飾が施された調度品が置かれていたといわれています。「朝鮮の仏教美術」には、屏風、絵画、書跡などが展示されていました。その中でも特に目を引いたのは、19世紀~20世紀頃の朝鮮時代に作られた、文房を飾る「筆筒」です。
    19_クメールの彫刻
    次は、エレベーターを利用して地下1階に降ります。地下1階の 11室に展示されているのが

    旅行時期
    2024年03月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    JR「上野駅」公園口から徒歩6分450m
    コストパフォーマンス:
    4.0
    多岐にわたる展示物を見られてこの値段は、リーズナブルです。

  • 最後の最後で長崎発祥の名物料理であるトルコライスを食べることができました。

    投稿日 2024年07月12日

    長崎空港 大村・波佐見・長崎空港

    総合評価:4.0

    長崎県長崎空港にある「蜂の家」についての情報を発信していきます。今回、「蜂の家」を訪れたのは2024年6月21日です。「長崎県営バスターミナル」は、長崎駅のロータリー正面にある赤茶のビルで歩道橋を渡ってすぐのところにあります。「長崎県営バスターミナル」の4番のりばから長崎空港行きのリムジンバスがでます。17:35発のリムジンバスに乗り「長崎空港」に着いたのが、18:20頃でした。「長崎空港」では、夕食を食べ、お土産を買いました。何を食べるか迷ったあげくに、「蜂の家」で食べることにしました。「蜂の家」は、長崎県佐世保市で74年の歴史ある老舗です。「蜂の家」の看板メニューは、「欧風カレー」、「佐世保名物レモンステーキ」などです。また、デザートでは「女王シュークリー」ムが人気あるそうです。私は、長崎のトルコライス発祥の店「つるちゃん」で食べることができなかったので「トルコライス」を、家内は「東郷平八郎」がイギリス留学中に好んで食べたと言われる「海軍さんのビーフシチュー」を頼みました。入口を入るとすぐ正面にある販売機で食券を買い求め、好きな席に座り待っていると番号がアナウンスされ、頼んだ料理を取に行くというシステムです。水もセルフサービスです。番号がアナウンスされ、食事を取り行き、自席に戻りディナーの開始です。「トルコライス」も「ちゃんぽん」と同様に味も盛り付けも違いました。付け合せのスパゲティがナポリタンでなくミートソースでした。しかし、「トルコライス」にかかったいつも食べるソースとはコクがあり、まろやかでした。家内の食べた「海軍さんのビーフシチュー」は、じっくりと牛肉と野菜を煮込んであるので肉がほろほろで、濃厚で深みのある味わいだったそうです。これで、「吉宗」での茶碗蒸しと蒸寿司、「四海樓」でのちゃんぽんと皿うどん、そして、今食べている「トルコライス」と、長崎の人々に愛された大衆料理を食べることができて大満足です。これで、1泊2日という強行スケジュールでしたが、満足して東京に帰ることができます。やはり、長崎市内を観光するなら最低でも2泊3日が必要ですね。

    【「蜂の家」の一口メモ】
    ⑴ 所在地…〒856-0816 長崎県大村市箕島町593 長崎空港1F 電話:0957-47-7688
    ⑵ 営業時間…11:00~20:00 (LO19:30)
    ⑶ お土産メニュー…女王シュークリーム、カレーパン、お土産用カレー、ドレッシングなど

    旅行時期
    2024年06月
    アクセス:
    3.0
    長崎空港1Fにあります。

  • 悲惨な歴史の事実を知りそしてキリスト教の歴史を知ることができました。

    投稿日 2024年07月12日

    日本二十六聖人殉教地 長崎市

    総合評価:4.0

    長崎県長崎市西坂町にある「日本二十六聖人殉教記念碑」と「日本二十六聖人記念館」についての情報を発信していきます。今回、「日本二十六聖人殉教記念碑」と「日本二十六聖人記念館」を訪れたのは2024年月日です。
    最終の目的地である「日本二十六聖人殉教記念碑」、「日本二十六聖人記念館」へ「大浦天主堂」前からタクシーで向かいました。「日本二十六聖人殉教記念碑」は、「JR長崎駅」東側にある「NHK長崎放送局」横の坂道を180mほど上ると左手に小高い丘があります。そして、「西坂公園」の出入口がそこにあり、そこから入ると「日本二十六聖人殉教記念碑」が正面に見えてきます。「日本二十六聖人記念館」は、「日本二十六聖人殉教記念碑」裏側にあります。「西坂公園」の小高い丘で、慶長2年(1597)年2月5日に京阪地方へ伝導していたフランシスコ会宣教師6人と日本人信徒20人が処刑されました。ちなみに、「豊臣秀吉」の命によって、京都と大阪で捕らえられ歩いて長崎まで護送されたフランシスコ会の宣教師6人、イエズス会のパウロ三木ら3人、信徒17人が磔形に処せられたそうです。よく「日本二十六聖人殉教記念碑」を見ると3人の子供も見受けられました。なんと痛ましいことですね。この「日本二十六聖人殉教記念碑」は、岩手県出身の彫刻家「舟越保武」が制作した二十六聖人のブロンズ像が花崗岩の台座に設置されものです。そして、ブロンズの十字架の縦木の部分に、詩編117とマルコ福音書8章34節が刻まれています。長崎県は昭和31年(1956年) 4月6日に史跡に指定しました。「日本二十六聖人記念館」は、昭和37年(1962)に建築家の「今井兼次」の設計に建設されました。「日本二十六聖人記念館」では、「聖フランシスコ・ザビエル」の渡来から明治時代までの日本のキリスト教の歴史、日本と南ヨーロッパとの出会いから生まれたキリシタン文化、二十六聖人をはじめとした殉教者のメッセージを紹介しています。『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』や、踏み絵と同型の16世紀の「ピエタ」、潜伏キリシタンゆかりの絵画「雪のサンタ・マリア」やステンドグラスなどの貴重な展示資料と約3,000冊の専門図書があり、2階には建築家の「今井兼次」が手がけた特別展示室「栄光の間」があります。私も入ってみましたが、すごく厳かで神聖な雰囲気に包まれている場所でした。私も日本の記念館等でこれだけのキリスト教関連の施設は初めての経験です。時間のないなか訪れて、貴重な体験ができ良かったと思いました。

    01_【「日本二十六聖人殉教記念碑」と「日本二十六聖人記念館」の一口メモ】
    ⑴ 所在地
    ①「日本二十六聖人殉教記念碑」…〒850-0051 長崎県長崎市西坂町4 西坂公園
     ②「日本二十六聖人記念館」…〒850-0051 長崎県長崎市西坂町7-8 電話:095-822-6000
      ア 営業時間…9:00~17:00 イ 入館料…大人500円、中・高校生300円、小学生150円
      ウ 休日…12月31日~1月2日

    02_【「日本二十六聖人殉教記念碑」と「日本二十六聖人記念館」へのアクセス】
    「JR長崎駅」東口から徒歩8分150mほど

    03_【「日本二十六聖人殉教記念碑」の名簿】
    殉教者の順序は慶長2年(1597年)の「ルイス・フロイス」 の記録によるそうです。レリーフも、この順序に従い、殉教者は、右から左へ並んでいます。
    ①聖フランシスコ ②聖コスメ竹屋 ③聖ペトロ助四郎 ④聖ミカエル小崎 ⑤聖ディエゴ喜斉
    ⑥聖パウロ三木 ⑦聖パウロ茨木 ⑧聖ヨハネ五島 ⑨聖ルドビコ茨木 ⑩聖アントニオ
    ⑪聖ペトロ・バプチスタ ⑫聖マルチノ・デ・ラ・アセンシオン(スペイン)
    ⑬聖フィリッポ・デ・ヘスス(メキシコ) ⑭聖ゴンザロ・ガルシア(インド)
    ⑮聖フランシスコ・ブランコ(スペイン) ⑯聖フランシスコ・デ・サン・ミゲル(スペイ ン)
    ⑰聖マチアス ⑱聖レオン烏丸 ⑲聖ボナベントウラ ⑳聖トマス小崎 ㉑聖ヨアキム榊原
    ㉒聖フランシスコ医師 ㉓聖トマス談義者 ㉔聖ヨハネ絹屋 ㉕聖ガブリエル ㉖聖パウロ鈴木

    旅行時期
    2024年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    3.5
    「JR長崎駅」東口から徒歩8分150mほど

  • 忘れてはいけない原爆の爪痕が至る所に残されています。

    投稿日 2024年07月12日

    浦上天主堂 長崎市

    総合評価:4.0

    長崎県長崎市本尾町にある「浦上天主堂」についての情報を発信していきます。今回、「浦上天主堂」を訪れたのは2024年6月21日です。「浦上天主堂」へのアクセスは、長崎県営バスの中にある県営バスターミナルの「長崎駅前」バス停から「一本木(長崎県)寺井田方面行」に乗り、「浦上天主堂前] バス停で下車します。徒歩2分140mほど「浦上天主堂」に着きます。
    「JR武雄温泉駅」から13:58発の「JR西九州新幹線 かもめ29号 長崎行」に乗り、「JR長崎駅」にとんぼ返りしました。「長崎空港」行きのバスが、17:35なので、残された時間は約3時間です。これからもう一つの有名な天主堂である「浦上天主堂」へ行き、それと「日本二十六聖人殉教記念碑」、「日本二十六聖人記念館」を見学し、帰途につきます。時間が押し迫ったので、タクシーでの移動となりました。「JR長崎駅」からタクシーに乗ること7~8分で「浦上天主堂」に着きました。タクシーでは、乗り入れることができないので、手前で降り坂を上って行きました。坂を半分ほど上ると右手に「聖母子像」さらに進むと左手に原爆で無残に破壊された「旧浦上天主堂の遺構」がありました。その先に大きくそびえ立つのが「浦上天主堂」です。「浦上天主堂」に向かって右手の植え込みには、「信仰の礎碑」と「拷問石」が置かれていました。そして、「浦上天主堂」の入口の右手には、昭和56年(1981年)2月25日に来日した「教皇ヨハネ・パウロ二世」の像もありました。「浦上天主堂」の正面入口から聖堂の中に入ります。残念ながら聖堂の中は撮影禁止です。それと「大浦天主堂」と違い、祭壇まで行くことができませんでした。また、「浦上天主堂」は大きいので、写真1枚に収まりませんでした。
    「浦上天主堂」の歴史を紐解いてみると、「浦上天主堂」は、明治28年(1895年)に「フレノ神父」の設計による教会の建設が開始され、大正3年(1914年)に双塔の高さが約26mある東洋一のレンガ造りのロマネスク様式大聖堂として献堂式が行われました。昭和20年(1945年)に投下された原爆により建物は破壊され、周囲には被爆遺構の石像などが置かれ、当時の悲惨な状況を今に伝えています。また、境内には熱線で黒く焼け焦げ鼻や頭部を欠いた聖人の石像、また外壁や石垣には天使の像や破壊を免れた像が飾られていますが、「浦上天主堂」の外観正面の入口にも原爆遺構である「悲しみの聖母」、「使徒聖ヨハネ」像があります。これは「旧浦上天主堂」を設計した「フレノ神父」が自ら彫刻したもので、中央の「十字架のキリスト」像は原爆で破損したため複製したもので、旧天主堂の面影を残している部分です。

    01_【「浦上天主堂」の一口メモ】
    ⑴ 所在地…〒852-8112 長崎県長崎市本尾町1-79  電話:095-844-1777
    ⑵ 内覧時間… 9:00~17:00 ※年内無休
    ⑶ 拝観料・入館料…無料(※献金箱への寄付)

    02_【「浦上天主堂」へのアクセス】
    ⑴ 路面電車を利用して
    ① [長崎駅前]⇒[平和公園]≪長崎電気軌道1、3系統「赤迫行」≫
    ・路面電車のりば:「JR長崎駅」東口から「新浦上街道」に向かうと歩道橋がありその下にあります。
    ・8停留所目(「にしはまのまち原爆資料館」の次の停留所) 所要時間約12分 
    ・9時から17時の間に1時間平均17~18便
    ・「平和公園」電停で下車し、「浦上天主堂」まで徒歩9分600mほど
    ⑵ バスを利用して
    ① [長崎駅前]⇒[浦上天主堂前]≪長崎バス:江平線「下大橋(江平高部経由)行」≫
    ・バスのりば:「JR長崎駅」東口から「新浦上街道」に向かうと歩道橋を渡り「県営バスセンター」の中
    ・10停留所目(「医学部前」の次の停留所) 所要時間約11分 
    ・9時から17時の間に1時間平均1~2便
    ・「平和公園」電停で下車し、「浦上天主堂」まで徒歩2分140mほど
    ② [長崎駅前]⇒[浦上天主堂前]≪長崎県営バス:一本木(長崎県)寺井田方面行」≫
    ・バスのりば:「JR長崎駅」東口から「新浦上街道」に向かうと歩道橋を渡り「県営バスセンター」の中
    ・10停留所目(「平和町」の次の停留所) 所要時間約12分 
    ・9時から17時の間に1時間平均2便
    ・「浦上天主堂前」電停で下車し、「浦上天主堂」まで徒歩2分140mほど

    旅行時期
    2024年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    3.0
    長崎前駅から長崎電気軌道1、3系統「赤迫行」に乗り、「平和公園」電停で下車し、「浦上天主堂」まで徒歩9分600mほど
    人混みの少なさ:
    3.0
    大浦天主堂同様、観光客はかなりいました。

  • まさに竜宮城です。乙姫様が二階部分から現れてきそうです。東京駅と楼門が点と線で結びつきました。

    投稿日 2024年07月12日

    武雄温泉楼門 武雄・多久

    総合評価:4.0

    佐賀県武雄市武雄町にある「武雄温泉楼門」についての情報を発信していきます。今回、「武雄温泉楼門」を訪れたのは2024年6月21日です。「武雄温泉楼門」へのアクセスは、バスの本数が限られ、待ち時間を考慮すると徒歩で行った方が賢明で、時間を有効活用できます。「JR武雄温泉駅」北口から「武雄温泉楼門までは、徒歩15分1000mほどです。「JR武雄温泉駅」の北口を出て、左折し「県道24号」を600mほど道なりに直進すると二つ目の信号(表示名:「武雄温泉入口」)がありますので、そこを右折し400mほど進むと「武雄温泉楼門」が見えてきます。
    「ガーデンテラス長崎ホテル&リゾート」を10:00発の無料シャトルバスに乗り「JR長崎駅」へ向かいました。途中、木々の間から垣間見える長崎市街や長崎港の眺めは心安らぐものでした。10:20頃に「JR長崎駅」の西口へ到着しました。西口にあるコインロッカーに荷物を入れ、「西九州新幹線」の改札へ向かいました。「西九州新幹線」は、「長崎駅」と「武雄温泉駅」を結ぶ延長約66キロの路線で、日本の全ての新幹線の中で走行距離が最も短い新幹線です。本日の最初の目的地は、「武雄温泉」にある「辰野金吾」が設計した「楼門」です。「長崎」を10:44発の「JR西九州新幹線 かもめ22号 武雄温泉行」に乗ること約30分で終点の「JR武雄温泉駅」に着きました。当たり前のことですが、全員下車し、ほとんどの人が同じホームの反対側の「特急列車リレー号博多行き」に乗り換えていました。「武雄温泉楼門」へのバスもありましたが、11:35発で約20分もの待ち時間なので、徒歩で「武雄温泉楼門」へ向かうことにしました。
    「楼門」は、「武雄温泉」の入口に立つ「竜宮城」を思わせるような朱塗りの門で、「武雄温泉」のシンボルとなっています。「楼門」は、「天平式楼門」と呼ばれ、釘を一本も使っていない独創的な建築物です。この門は、赤レンガの「東京駅」を設計した佐賀県唐津市出身の「辰野金吾」によるもので、大正4年(1915年) 4月12日に竣工しました。「楼門」とその奥にある「武雄温泉新館」は、平成17年(2005年)7月22日に国指定重要文化財に指定されています。「楼門」は,入母屋造本瓦葺の木造二重門で,竜宮門形式です。平成25年(2013年)には保存修理が行われ、建造当時の色鮮やかな朱色が復元されました。また、2階部分の天井の四隅には「子」、「卯」、「午、「酉」の彫り絵が描かれています。これは干支の十二支のうちの4つで、方角でいえば「東西南北」にあたるそうです。なぜ、干支の十二支のうちの4つだけかというと、実は、設計者である「辰野金吾」の思いによるものです。それは、平成24年(2012年)に復原された「東京駅」の南北ドームの天井には、「巳」や「辰」など8つの干支のレリーフがあり、「なぜ、8つだけだったのか」、長い間、謎のベールに包まれていましたが、「楼門」の4つの干支と「東京駅」の8つの干支を合わせると十二支が揃うことが分かり話題になりました。私たち夫婦は参加できませんでしたが、毎週火曜日を除く毎日に、ガイドの案内付き「楼門干支見学会」が実施されています。見学時間は、9:00~10:00で、見学の受付9:30までとなっています。見学会を実施する期間は令和7年3月31日(月)まです。料金は、文化財保護協力費として大人500円、子ども250円で、お得なことに元湯入浴券が付いています。元湯は大人450円、小人220円なので実質的に大人50円、小人30円ということになります。
    「楼門」を潜ると左手に大衆浴場があり、入浴券の自動券売機で入泉券を購入し入浴するシステムになっています。大衆浴場の「元湯」と「蓬莱湯」、貸し切りの「殿様湯」と「家老湯」などがあります。そして、正面には、「武雄温泉新館」があり、ここで「武雄温泉」の歴史を学ぶことができます。ちなみに、「武雄温泉」の起源は、今から1,300年ほど前、「神功皇后」が朝鮮出兵から帰る際に、矛の柄でついて温泉を出したことからと言われています。源泉の温度は約52度、泉質はアルカリ性単純温泉で、効能は疲労回復だそうです。かつては、「宮本武蔵」、「シーボルト」など多くの著名人が入ったそうです。昨日の長崎市内でのハードなスケジュールで疲労困憊で温泉に入りたかったのですが、残された時間はわずかなので、ランチを食べるため「楼門」のすぐ前にある湯豆腐で有名な「佐嘉平川屋 武雄温泉本店」へ向かいました。

    01_【「武雄温泉楼門」の一口メモ】
    ⑴ 所在地…〒843-0022 佐賀県武雄市武雄町大字武雄7427-1  電話:0954-23-2001
    ⑵ 問い合わせ先…武雄温泉株式会社 TEL:0954-23-2001

    02_【「武雄温泉楼門」へのアクセス】
    ⑴ 「JR武雄温泉駅」から徒歩15分1000mほど
    ⑵ ①[武雄温泉駅南口]⇒[武雄温泉入口] ≪祐徳線(肥前鹿島駅前/祐徳神社前方面):祐徳バス≫
    ・7停留所目(「中央公園」の次の停留所) 所要時間約12分 
    ・9時から17時の間に1時間平均1便 ★10時、14時、16時はなし
    ・「武雄温泉入口」バス停で下車し、「武雄温泉楼門」まで徒歩7分450mほど
    →「武雄温泉入口」バス停で下車し、バスの進行方向と反対方向に80mほど進むと、一つ目の信号(表示名:「武雄温泉入口」)がありますので、そこを肥大折し400mほど進むと「武雄温泉楼門」が見えてきます。
    ②[武雄温泉駅南口]⇒[武雄温泉入口] ≪嬉野本線:武雄温泉-嬉野-彼杵(たけお競輪場方面):JR九州バス≫
    ・2停留所目(「中央公園」の次の停留所) 所要時間約4分 
    ・9時から17時の間に1時間平均1便 ★10時、14時、16時はなし
    ・「武雄温泉入口」バス停で下車し、「武雄温泉楼門」まで徒歩7分450mほど
    →「武雄温泉入口」バス停で下車し、バスの進行方向と反対方向に80mほど進むと、一つ目の信号(表示名:「武雄温泉入口」)がありますので、そこを肥大折し400mほど進むと「武雄温泉楼門」が見えてきます。

    旅行時期
    2024年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    人混みの少なさ:
    3.0
    平日なのでさほど混雑はしていませんでした。
    見ごたえ:
    4.0
    辰野金吾の設計だけあって、独創的な建築物です。

  • 駅の構内に設けられたこれほどハイセンスな待合スペースを見たことがありません。

    投稿日 2024年07月12日

    武雄温泉駅 武雄・多久

    総合評価:4.5

    佐賀県武雄市武雄町にある「JR武雄温泉駅」についての情報を発信していきます。今回、「JR武雄温泉駅」を訪れたのは2024年6月21日です。
    「JR長崎駅」から初めて「西九州新幹線かもめ」に乗車し「JR武雄温泉駅」まで行きました。恥ずかしい話ですが、自分の無知にはあきれ返りました。実は、「西九州新幹線かもめ」は「JR福岡駅」まで開通していると思っているからです。恥ずかしかったのは、「JR武雄温泉駅」に着いたとき沢山の人が降りるので、周囲の人に聞こえるような大きな声で家内に「武雄温泉」は人気があるんだねと言ってしまったことです。新幹線を降りて初めて気が付いてのですが、同じホームの反対側に列車が停車していて、ほとんどの人が乗りこむ姿を見ました。「JR武雄温泉駅」は、「西九州新幹線かもめ」と「JR福岡駅」を結ぶ在来線特急「リレーかもめ」との乗換駅でした。「JR武雄温泉駅」は、「西九州新幹線かもめ」の開業に合わせて、令和4年(2022年)9月23日にリニューアルされました。駅舎は2階建てで、「武雄温泉」のシンボルである「楼門」をイメージして建造されたそうで、上部が「楼門」の木組み、下部が白色の漆喰の壁なっています。残念ながら見逃してしまったのですが、新幹線改札口に入って見上げると、天井は、木目調の「格天井」になっていて、「楼門」と同じ「子」、「卯」、「午、「酉」の干支が描かれているそうです。新幹線と在来特急の乗換駅そして格子天井の干支の絵などを見逃したのは痛恨の極みです。
    新幹線改札口を出て驚きました。「武雄 旅 書店」という名前のとおり「旅」をコンセプトにした本屋がありました。「武雄 旅 書店」には、旅に関する本や西九州のライフスタイルに関する本、西九州をコンセプトにした食や物産品などを販売しているだけでなく、列車の待ち時間の合間に利用できる「カフェ&バー」もありました。図書館のように周りの壁の棚には、沢山の書物が置かれ、西九州を知るなどの9つのテーマを設けてあり、より一層西九州の魅力を知ることができます。また、カフェでは、「オリジナルブレンドコーヒー」や佐賀県の特産品である「嬉野茶」と武雄市特産のレモングラスを使った「レモン緑茶」、「地酒」や「地ビール」、武雄焼や有田焼の器が購入できます。お薦めは地元で人気のパン屋の「Haru pan」のパンと「宮地ハム」のハムを使ったサンドイッチだそうです。
    それだけなく、在来線の改札を出てすぐ正面には、「武雄温泉駅観光案内所」があります。入口には暖簾が掛っていてまるで銭湯のような感じで、奥にはお風呂のタイルを利用したような観光案内所のレセプションデスクがありました。また、内装ばかりでなく、さすが温泉の待ちであると感じたのは、風呂桶などを活用して商品を並べるなどしていました。「武雄温泉駅観光案内所」では、観光案内、お土産販売、手荷物一時預かり、レンタサイクルなどのサービスいます。「武雄 旅 書店」と同様に、在来線待合スペースがあり、中央のビッグテーブルには「武雄焼」の作品を展示してありました。また、「武雄温泉駅観光案内所」の右奥には、、駅弁グランプリで優勝した地元武雄の「カイロ堂」があります。ここでの一番人気は、「佐賀牛すき焼き弁当」で、すぐに売り切れてしまうそうです。
    駅の構内だけでなく、外に出てみると温泉街らしいものを発見しました。「武雄 旅 書店」から外を見ると何やら白い煙のようなものがもくもく上がっていました。何かと思い「武雄温泉駅南口広場」に出てみると温泉の湯気が吹き上げているスポットもありました。

    【「武雄温泉駅観光案内所」と「武雄 旅 書店」の一口メモ】
    ⑴ 所在地…〒843-0024 佐賀県武雄市武雄町大字富岡294 JR武雄温泉駅構内 電話:0954-22-2542
    ⑵ 営業時間
    ① 武雄温泉駅観光案内所…8:30~19:00 ② 武雄 旅 書店…8:00~20:00
    ⑶ 休業日 12月31日~1月2日

    旅行時期
    2024年06月
    施設の快適度:
    4.5
    「武雄温泉」のシンボルである「楼門」をイメージして建造されたそうです。

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