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諏訪神社

寺・神社・教会

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長く続く石段を上り終えると、長崎市内を臨む素晴らしい眺望が待ち構えています.

  • 4.0
  • 旅行時期:2024/06(約2年前)
Lily-junjunさん

by Lily-junjunさん(男性)

長崎市 クチコミ:12件

長崎県長崎市上西山町にある「諏訪神社」についての情報を発信していきます。今回、「諏訪神社」を訪れたのは2024年6月21日です。
「長崎空港」の「5番バス乗り場」から長崎空港リムジンバスに乗ること約45分で「JR長崎駅」前へ着きました。長崎空港リムジンバスは、座席の予約は不要で、並んだ順に乗車し、運賃は後払い方式です。ただ、長崎は人気の観光地なので、長崎市内に向かう長崎空港リムジンバスは、非常に混雑し一台見送らなければならない場合もあります。当日、私の二人後ろに並んでいた人は、満席のため次のバスになってしまいました。「4番バス乗り場」からも時間はかかりますが、「長崎駅前行き」のバスが出ていますので安心してください。また、全国相互利用交通系ICカード(nimoca、Suica、PASMO、ICOCAなど)なども利用できますので便利です。ICカードを利用する場合は、乗車時(バス入口右側)と降車時(運転手側)にカード読取部に交通系ICカードをタッチします。最初の目的地は、「諏訪神社」です。「諏訪神社」へのアクセスは、「長崎駅前」電停の路面電車の長崎電気軌道3系統「蛍茶屋行」を利用すると便利です。「長崎駅前」電停から乗車して「諏訪神社」電停で下車します。「長崎駅前」寄りに「諏訪神社」へ通じる地下道がありますので、地下道を通り階段を上がると右斜め前に「諏訪神社」の第一の鳥居があります。「諏訪神社」は、「鎮西大社」と称えられ、地元では厄除け、縁結び、海上守護の神社として崇敬され「おすわさん」と親しまれる長崎の総氏神様です。「諏訪神社」の歴史を紐解いてみると、「諏訪神社」は、かつて長崎市内に祀られていた「諏訪神社」、「森崎神社」、「住吉神社」の三社を寛永2年(1625年)に、初代宮司である肥前唐津の「青木賢清」が、長崎奉行の「長谷川権六」に願い出て、西山郷円山(現在の「松森神社」)に造営し、長崎の産土神としたのが始まりです。ちなみに、「産土神」とは、日本の神の区分のひとつで、その者が生まれた土地の守護神を指し、その者を生まれる前から死んだ後まで守護する神とされています。そして、慶安元年(1648年)には徳川幕府より朱印地を得て「社殿」が造営されました。「諏訪神社」は、安政4年(1857年)の火災で、社殿のほとんどを焼失しましたが、孝明天皇の勅命により、明治2年(1869年)に約10年の歳月をかけて以前に勝るとも劣らぬ「社殿」が再建され、さらに、昭和59年(1974年)の「御鎮座360年祭」、平成6年(1994年)の「御鎮座370年祭」を記念して、二度の造営を行い現在の「社殿」が完成しました。毎年10月7~9日の3日間にわたって行われる「諏訪神社」の秋季大祭「長崎くんち」は、龍踊、鯨の潮吹き、太鼓山など豪華絢爛で異国情緒溢れ、長崎独特の文化的伝統を伝える祭として日本三大祭の一つに数えられ、昭和54年(1979年)2月3日に「国の重要無形民俗文化財」に指定されています。「長崎くんち」は、寛永11年(1634年)に、二人の遊女が「諏訪神社神」前に謡曲「小舞」を奉納したのが祭りの始まりと言われています。現在、奉納踊を披露するのは町ごとになっており、7年に一度の当番の町は「踊町」と呼ばれています。

《「諏訪神社」のお薦め参拝巡路》
①《社号碑》⇒②《大灯籠》⇒③《一の鳥居》⇒④《陰陽石(男石)》⇒⑤《二の鳥居》…「松の森通り」…⇒⑥《大正四年石灯籠》⇒⑦《陰陽石(女石)》⇒⑧《四の鳥居》⇒⑨《大正十二年石碑》⇒⑩《まよひ子志らせ石》⇒⑪《大狛犬》⇒⑫《五の鳥居》⇒⑬《福沢諭吉先生之像》⇒⑭《祓戸神社》⇒⑮《大門》⇒⑯《神馬像》⇒⑰《さざれ石》⇒⑱《両性合体石》⇒⑲《拝殿》⇒⑳《止め事成就の狛犬》⇒㉑《こま犬の井戸》⇒㉒《トゲ抜き狛犬》⇒㉓《願掛け狛犬》⇒㉔《酒田恒山顕彰碑》⇒㉕《祖霊社》⇒㉖《高浜虚子句碑》⇒㉗《蛭子神社》⇒㉘《八坂神社》⇒㉙《厳島神社》⇒㉚《玉園稲荷神社》⇒㉛《齋館諏訪荘》⇒㉜《舞殿》⇒㉝《神輿庫》⇒㉞《よか獅子》⇒㉟《猪目(ハートの文様)の石垣》⇒㊱《太鼓楼》⇒㊲《病魔退散大楠》

では、早速「諏訪神社」に参拝します。「諏訪神社」の「拝殿」に着くまでには、五つの大鳥居を潜り、石段は何段あるか数えませんでしたが、長く続く階段を上らなければなりません。「一の鳥居」の前には、両脇に「大灯籠」と左手に「社号碑」があります。次の「二の鳥居」の手前付近には、「陰陽石」である丸い形をした「男石」があります。分かりにくいので、注意して見つけてください。ちなみに、「諏訪神社」の「陰陽石」の御利益としては、参道を通る時に、男性は「女石」を、女性は「男石」を踏んだあと、「拝殿」前にある「両性合体石」を踏むと縁結びの願いが叶うとされています。「二の鳥居」を潜り、「松の森通り」を渡ると「三の鳥居」の両側に立派な「大正四年石灯籠」があります。さらに進むと「四の鳥居」がありその手前には、六角形の「陰陽石」である「女石」があります。「五の鳥居」付近には、「まよひ子志らせ石」、「大狛犬」、「福沢諭吉先生之像」、「祓戸神社」などがあります。見どころが沢山あるので、確かに長く続く石段ですが疲れを感じませんでした。「五の鳥居」を潜ると「長坂」と呼ばれる「大門」に続く坂があり、最後の石段を上れば、「大門」に到着します。「大門」は、「諏訪神社」の顔というべき門で、「大門」の下の「長坂」は、坂の町長崎を象徴するものだそうです。「大門」の内側から臨める長崎市内の眺望は絶景でした。「大門」を潜ると「拝殿」の左手に、「平和祈念像」の制作者である彫刻家の故「北村西望」の「神馬像」があります。ちなみに、この「神馬像」は故「北村西望」の102歳時の作品だそうです。100歳を過ぎてもなおこのような立派な作品を残せるとは偉大な彫刻家ですよな。そして、「拝殿」の右手には、「さざれ石」があります。ちなみに、「さざれ石」は、国歌「君が代」に「さざれ石の巌となりて」と詠われ、細かい石が長い年月をかけて固結してできた霊石のことです。また、「さざれ石」は私たち国民の一人一人をさしていて、一人の力は微力であるが、国民が力を合わせることで、大きな力(大きな巌)となることを意味しているそうです。そして、「拝殿」に進むと「陰陽石」のひし形の「両性合体石」があります。「拝殿」で参拝を終え、右方向に進むと「大門」の右手の廻廊(西回廊)のところに「本殿前休憩所」がありました。この「本殿前休憩所」の天井を見上げると「天井絵」がありました。この「天井絵」は、長崎美術協会会員75名により描かれたもので、目をなごませてくれました。実は、「西回廊」は、平成3年(1991年)9月に長崎地方を襲った台風17、19号により大門横の回廊(東西の廻廊)は倒壊してしまったそうです。そして、「伊勢神宮」の古材を利用し、平成7 年(1995年)11月に再建されました。「拝殿」と「社務所」の間の道を進んでいくと、私が興味があり、見たかった変わり種の「狛犬」のオンパレードです。「止め事成就の狛犬」、「こま犬の井戸」、「トゲ抜き狛犬」、「願掛け狛犬」と続きます。説明板によると「止め事成就の狛犬」は、昔から、家出の足止め、借金止め、受験のすべり止め、さらに禁酒禁煙などの願い事に、コヨリを狛犬の足に巻き祈願する信仰があったそうです。「止め事成就の狛犬」の右手には、小さな滝が流れている「神池」もありました。「こま犬の井戸」は、江戸時代から高麗犬の井戸と呼ばれ、名水としての評判も高く、どんな旱魃にも枯れることがなかったそうです。この水を飲めば安産に効き目があるともいわれています。また、別名「銭洗い狛犬」とも称され、この水でお金を洗えば倍に増えるとの信仰もあるそうです。私の家内もここぞとばかりにお金を取り出し洗っていました。「願掛け狛犬」は、江戸時代長崎の遊女街に登楼した船員に翌日海が荒れて出航できず、もう一晩泊ってもらうことを願い、遊女が「狛犬」を海の方向に廻して願いを懸けたことに由来するそうです。「狛犬」は廻せるそうですが壊れるんじゃないかと思い挑戦はやめました。「トゲ抜き狛犬」は、すごい顔のこの狛犬は、昔から厄払いの信仰があり、狛犬の口の中に手を触れると心に突き刺さっているトゲを抜いてくれるそうです。「トゲ抜き狛犬」の先には、「齋館諏訪荘」がありました。「諏訪荘」は、大正9年(1920年)に長崎の豪商である「永見寛二」が建築したもので、無節の日本栂材を用い、釘を一本も使用しない大正時代を代表する日本建築です。昭和11年(1936年)から「諏訪荘」の商号により和式旅館として営業を開始し、内外の著名人が多数利用したそうです。ちなみに、天皇皇后両陛下は、皇太子時代に宿泊したそうです。昭和59年(1984年)の廃業に当たり、保存を望む市民の熱意により当神社に移築奉納されたそうです。中を見学できなかったのが心残りです。「本殿」脇の坂を下ると「舞殿」、「神輿庫」があります。「神輿庫」は「東回廊」にあり、平成3年(1991年)9月に長崎地方を襲った台風17、19号により「大門」横の回廊(東西の廻廊)は倒壊してしまったそうです。しかし、「伊勢神宮」の古材を利用し、平成7 年(1995年)11月に再建されました。「神輿庫」には、神輿が3基ありました。「狛犬」のほかにもう一つ見たかったものがあります。それは「猪目(ハートの文様)の石垣」で、「社務所」の先に石垣があり、案内板も出ていたので、すぐに見つけることができました。案内板には、「神さまのいたずら?」と書いてありました。自然の力とはすごいものだと感心しました。「猪目」にふれることで御利益を得ることができるそうです。ちなみに「猪目」とは、形状そのままに「心臓型(ハート型)」とも呼ばれる文様のことだそうです。坂を下って行くと「太鼓楼」があります。「太鼓楼」は、平成の「御大典記念」として多くの氏子崇敬者の募財をもって平成4年(1992年)4月7日に完成しました。「太鼓楼」の中には、胴回り4.25メートルの「大太鼓」があり、朝夕に太鼓の音をもって、氏子地域をお祓いしているそうです。ちなみに、「御大典」とは、譲位の翌日から皇太子殿下が新天皇となられるために一連の儀式のことです。そして、「諏訪神社」の最後は、「病魔退散大楠」です。空高くそびえ立っている大楠で500~600年前のものといわれています。ここで病魔退散を願い、次の目的地の「眼鏡橋」に向かいます。

01_【「諏訪神社」の一口メモ】
⑴ 所在地…〒850-0006 長崎県長崎市上西山町18-15 電話:095-824-0445
⑵ 御祭神 ①主祭神 諏訪大神(武神・厄除けの神) ②建御名方神 ③八坂刀売神
      ④相殿神 住吉大神(海上安全・大漁満足の神)

02_【「諏訪神社」へのアクセス】
⑴ 路面電車を利用して
[長崎駅前]⇒[諏訪神社]≪長崎電気軌道3系統「蛍茶屋行」≫
・路面電車のりば:「JR長崎駅」東口から「新浦上街道」に向かうと歩道橋がありその下にあります。
・3停留所目(「大波止」の次の停留所) 所要時間約9分 
・9時から17時の間に1時間平均6~7便
・「諏訪神社」電停で下車し、地下道で神社の参道方面へ出ます。「諏訪神社」入口まで徒歩1分50m
⑵ 「JR長崎駅」かもめ口から徒歩24分1600m

03_【「諏訪神社」の見どころ】
⑴ 「本殿」
安政4年(1857年)の火災で焼失しましたが、明治2年(1869年)に再建され、さらに、昭和57年(1972年)の改修工事では、桧皮から銅板への葺き替えを行いました。
⑵ 「祝詞殿」
「祝詞殿」は、安政4年(1857年)の火災で焼失しましたが、明治2年(1869年)に再建され、昭和57年(1972年)の改修工事で増改築されました。
⑶ 「拝殿」
「拝殿」は、明治2年(1869年)に再建された社殿を残し、それを増築する手法にて昭和58年(1973年)に増改築されました。
⑷ 「大門」
「大門」は、諏訪神社の顔というべき門です。「大門」の下の坂は「長坂」と呼ばれ、坂の町長崎を象徴するものです。
⑸ 「太鼓楼」
「太鼓楼」は、平成の「御大典記念」として多くの氏子崇敬者の募財をもって平成4年(1992年)4月7日に完成しました。「太鼓楼」の中には、胴回り4.25メートルの「大太鼓」があり、朝夕に太鼓の音をもって、氏子地域をお祓いしているそうです。ちなみに、「御大典」とは、譲位の翌日から皇太子殿下が新天皇となられるために一連の儀式のことです。
⑹ 「神馬像」(しんめぞう)
「神馬像」は、「平和祈念像」の作者である彫刻家の故「北村西望」が102歳の時に手がけた作品です。昭和59年(1974年)の「第16回日展」に出品され、昭和天皇の「御在位60年」を記念して昭和60年(1985年)10月に奉納されたものです。「諏訪神社」には、明治3年(1870年)に三菱重工業長崎造船所の前身である長崎製鉄所より創業記念として「神馬像」が奉納されておりましたが、残念ながら大東亜戦争時に国へ供出されてしまいました。
⑺ 「枝垂れ桜」
「枝垂れ桜」は、「長崎しにせ会」(長崎老舗43店の会)の30周年記念に平成元年(1989年)4月に奉納され、4月下旬から5月上旬にかけて花をつけるそうです。
⑻ 「さざれ石」
「さざれ石」は、国歌「君が代」に「さざれ石の巌となりて」と詠われ、細かい石が長い年月をかけて固結してできた霊石のことです。また、「さざれ石」は私たち国民の一人一人をさしていて、一人の力は微力であるが、国民が力を合わせることで、大きな力(大きな巌)となることを意味しているそうです。
⑼ 「天井絵」
「天井絵」は「西回廊」にあり、長崎美術協会会員75名により描かれたものです。実は、「西回廊」は、平成3年(1991年)9月に長崎地方を襲った台風17、19号により大門横の回廊(東西の廻廊)は倒壊してしまったそうです。「伊勢神宮」の古材を利用し、平成7 年(1995年)11月に再建されました。
⑽ 「神輿庫」
「神輿庫」は「東回廊」にあり、やはり、平成3年(1991年)9月に長崎地方を襲った台風17、19号により大門横の回廊(東西の廻廊)は倒壊してしまったそうです。「伊勢神宮」の古材を利用し、平成7 年(1995年)11月に再建されました。「東回廊」に神輿3基を常時展示できる「神輿庫」を設営しました。
⑾ 「玉園稲荷神社」
境内社の「玉園稲荷神社」は、商売、漁業関係の方々など多くの人々から信仰されています。例大祭日は4月9日で、毎月(十二支)「午の日」が祭り日です。
⑿ 「かえる岩」
「玉園稲荷神社」の鎮座当時より本殿の上方にありました。この巨大な岩は、形がかえるに似ているころから「かえる岩」、「どんく岩」と呼ばれ、注連縄を廻して信仰されていました。ところが、昭和57年(1982年)7月23日の長崎大水害の際に、本殿の裏山が崩れて、「かえる岩」も本殿近くまですべり落ちましたが、本殿への土砂をくい止めました。このことから災難除けの「かえる岩」として信仰されているそうです。
⒀ 「稲荷神社の抱き大楠」
「稲荷神社」の大楠は、「玉園稲荷神社」が創建された頃からここに自生ししていました。この玉園稲荷の神と共に生きている大楠を抱くことで稲荷の神の力が授かれるらしいので、手を大きく広げ大楠を抱いて、パワーを授かりましょう。
⒁ 「諏訪荘」
「諏訪荘」は、大正9年(1920年)に長崎の豪商である「永見寛二」が建築したもので、無節の日本栂材を用い、釘を一本も使用しない大正時代を代表する日本建築です。昭和11年(1936年)から「諏訪荘」の商号により和式旅館として営業を開始し、日本三指に数えられました。内外の著名人が多数利用したそうです。ちなみに、天皇皇后両陛下には、皇太子時代に御宿泊されております。昭和59年(1984年)の廃業に当たり、保存を望む市民の熱意により当神社に移築奉納され、現在に至っております。
⒂ 「本殿前休憩所」
「本殿前休憩所」にも天井絵が描かれていました。
⒃ 「東照宮」
末社である「東照宮」は、徳川家歴代将軍を祀っています。かつては。「安禪寺」境内(現在の丸馬場公園一帯)に祀られていましたが、明治22年(1889年)5月に現在の地に遷座しました。
⒄ 「陰陽石」
「陰陽石」は、長く続く参道の石段に配置されています。まず、参道のスタート地点にある「二の鳥居」付近にある丸い石が「男石」、「四の鳥」居付近にある六角形の石が「女石」です。さらに「拝殿」の前にはひし形の石のなかに円形の石がはめ込まれている「両性合体石」があります。「諏訪神社」の御利益としては、参道を通る時に、男性は「女石」を、女性は「男石」を踏んだあと、「拝殿」前にある「両性合体石」を踏むと縁結びの願いが叶うとされています

施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
カップル・夫婦(シニア)
アクセス:
4.0
長崎電気軌道3系統「蛍茶屋行」で3停留所目(「大波止」の次の停留所) 所要時間約9分
人混みの少なさ:
4.0
中国の客船が寄港していたので、中国の観光客が相当数いました。大混雑でした。
見ごたえ:
4.0
私は、個人的には変わりだねの狛犬をお薦めします。

クチコミ投稿日:2024/07/11

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