mom Kさんへのコメント一覧(13ページ)全290件
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思い出のWroclawのあの駅舎
10年も前、わたしもWroclawのあの素敵な駅舎に出会いました。駅前のホテルに泊まりオレンジ色の駅舎を撮り、夕方の構内、カフェから行き交う人を眺め、バスで木造教会へ行くため朝早く構内を通り抜けました。
ポーランド、たくさんの親切に支えられ、ひとつも嫌な思い出がない国です。
市場を見ると真の豊かさが伝わってきますね。
ホワイトアスパラに釘付けです。
寒い季節にはスープ、わたしも何度もいただきました。
近いうちに再訪されるのですね、
内緒でかもですが^_^ -
Thank you too!
おはようございます、旅に恋するウミガメさん。朝のルーティンを終え、ようやく机に向かっています。パバロッティを聴いています。同じ時代に生きていてほんとによかったと思える人の一人です。旅に恋するウミガメさんもお好きですか。
あの時、ほんとは、大野の名物「しょうゆかつ丼」を目指していたんです。だから、「○○食堂」で、できるだけローカルなお店を求めて、扉の前に立って、張り紙に揺らいでしまったんです。実は、亭主殿に相談してのコレ。
美味しさで言ったら、あのコップのお水にはかなわない。唸りますよ。飛行機に乗っても駆けつける価値あり。日本海側の町の人も車で汲みに行くそうですよ。福井は、どこもお水は美味しいのに。お米を2キロ持ち帰りました。ああ、ペットボトル持参すべきだった。不覚。 -
今庄 いい所ですね
Kazukoさんの語りにどんどん引き込まれて
「あぁ こんな町があるんだ」
と、しみじみ思い入ってしまいました。コミュニティの長い歴史で培われた品格の様なもの、悟りの様なものを感じました。
軒下の籠の中身は「干し数の子?」と瞬時に思いついたんですけど、数の子=北海道のイメージが強すぎて、でも考えてみれば日本の周りは何処でも漁れる様な気がして、やっぱり干し数の子かなぁ‥
と思っています。Re: 今庄 いい所ですね
そうです、Dr。「品格」とはピタリ表現をなさってくださいました。その土地で生まれ、育ち、家を守り生きていく人々の自負というか誇りというか、ご自身で気づかない揺るぎない自信のようなものが、身体から自然とあふれ出ている。根無し草のような私には眩しい。
そういう人々の姿が町を創っているのですね。これは、洋の東西にかかわらないように私は思うんです。そのお相伴にあずかりたくて、最近は選んでそんな町を歩いています。あの出会った中学生たちには、都会なんぞに絶対行ってほしくない。ここは、すごいんだぞ。練り上げた町だぞって、100年たったら、もっと輝くぞって。
日本海の福井ですが、タラではないとわかりましたが、数の子の自信がなかった。形状、質感は、見た限り数の子そっくり。それほど、黄色くありません。あのように干すんですね。
はい、子供のころから「てんぷら」と思っていました。なんでもご存じ師匠!
雪の降るころ、川端旅館さんに泊まりに行こうと思っています。2023年06月24日08時54分 返信する -
臥龍山荘
mom Kさん おはようございます。
臥龍山荘、聞いたことある名前だな、と思って拝見したら、思い出しました。
初めて四国に行ったとき、車で回りましたが、この風雅な建物は川のほとりにあって、
車でそろそろ狭い坂を走り、行ったところです。
Kさんの琴線に触れたのでしょうね、文学者が書くような素敵な文章で綴られ、雰囲気を伝えています。
西洋の美意識とは真逆な感覚、高度な文化だなぁ、と感心いたしました。
pedaruRe: 臥龍山荘
pedaruさん、おはようございます。遠い日に行かれていたのですね。お人が少なかったのではありませんか。今回は、時折おすなおすなの盛況ぶりで、驚きました。帰りの石段で、少し先を一人の女性が転びかけました。私と同じ方向なので、自然とどちらからともなく挨拶。北海道からの一人旅の方でした。
私には衝撃的な出会い、その興奮が冷めなくて、翌年建築家の友人をせっついての再訪。その時も二人だけの独占鑑賞。「ここでお能をねえ~」畳を上げれば、能舞台。床下にその響きをよくするために甕が敷き詰められていると聞いて。
京都からの選りすぐりの職人、伊予の杣人、近在の腕ある大工衆、石工衆が、ここに集まったのですよ!施主のように名を残さない彼らの一世一代の意気込みも見えるようで。もうこのような建物は、二度と生まれない時代になりました。
pedaruさん、共有共感してくださって、とてもうれしいです。2023年06月04日06時27分 返信する -
Selamat malam
Selamat malam。
はじめましてhiroshi_kakogawaと申します。私の些末な台湾旅行記に「いいね」を
頂き有難うございました。
貴方のマレーシア旅行記を懐かしく楽しく拝見させて頂きました。貴方の旅行記で
お父上の事が書かれていましたが私の父も海軍でしたのでマラッカにも寄っています。終戦時はミャンマー(ビルマ)で軍の責任者でしたので2年間帰国出来ず大変だった事
を聞いています。でもあの過酷なシベリア送りにならなくて良かったと思います。
私は台湾が戒厳令を布いている時から台湾へ通い台北の師範大学で華語を1年間、
TLIで台湾語(福建語)を1年間学び妻も台南市で娶った程の台湾好きです。
留学していた関係で商用で台湾へは行きましたが赴任したのはナント旅行記にも
投稿しているマレーシア(Seremban)でした。下記は私のマレーシア旅行記です。https://4travel.jp/travelogue/10927757
それでは今後ともどうぞ宜しくお願い致します。Re: Selamat malam
Selamat pagi~ hiroshi_kakogawaさん。ご自分のことをこんなにもお話しくださっていいのかしらと思い、うれしいです、ありがたいです。
今よりもっともっと台湾らしさが溢れていた頃のことをよくご存じなのですね。私の初訪台は、1980年代です。日本語を話す年代の人がまだ多くいて、日本人女一人旅ということもあるのか、親切の連続で申し訳なくなるほどでした。それが、私の台湾観の根っこです。
父が晩年足が不自由に成りだしたころ、「お父さん、もう一度行きたいとこはどこ?」と尋ねたら、即台湾でした。彼は仕事がらみでの渡航だけで、私のフラフラ世界旅が全く理解できず、「そんなに(旅が)いいか?」と揶揄していた人。
「お父さん、リハビリ頑張ろ。今より5キロ体重減できたら、私が台湾連れてってあげる。」と繰り返しているうちにあちらへ。遺品の文箱には、日本への留学生だった人からの手紙が数通入っていました。父との交友が見えるよい手紙でした。それを持って、桃園にある大学を尋ねたら、すでに退職され、日本へ移住された後でした。2023年06月04日07時05分 返信する -
何度も届いておりますが
不快だなんてとんでもありません。その反対で、お便りいただいて大変うれしく思いさっそく返信したのですが(この返信はごらんいただいてますか?)なかなかうまくゆかず何度も
「送信」をクリックしてしまいました。メールボックスへ送るのはどうすればよいのでしょう?送り方がわかりません。6月から会員同士の交信はできなくなると書いてありました。普通のメールで話しましょう。メアドを書きますので試してみてください。
lu1969na@yahoo.co.jpです2023年05月28日21時21分返信するRE: 何度も届いておりますが
> 不快だなんてとんでもありません。その反対で、お便りいただいて大変うれしく思いさっそく返信したのですが(この返信はごらんいただいてますか?)なかなかうまくゆかず何度も 「送信」をクリックしてしまいました。メールボックスへ送るのはどうすればよいのでしょう?送り方がわかりません。6月から会員同士の交信はできなくなると書いてありました。2023年05月29日17時13分 返信する -
大好きなペナン島、E&O思い出します
KLから夜行列車で、ペナン島には朝につきましたね。初めてのマレーシアの土地に、見るものすべてが新鮮で、うれしくて、楽しくて。 E&Oホテルの真っ白な姿に、幸せを感じました! あれから、E&Oも変わったのですね。館内の写真や、朝ごはんの写真みて時間の流れを感じました。ありがとうございます。



