2023/03/26 - 2023/03/30
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mom Kさん
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2003年の秋 この国に降り立った。近隣国には、ずいぶん旅をしている。なのにマレーシアは、全く視野に入っていなかった。
皮肉なことに、イメージさえない地に着任することになった。空港からタクシーでKLに向かう時、夕暮れが始まった。突然の土砂降りの雨。むき出しの大地に無秩序な建築群、市内に入っても空中高速道路。歩いている人、歩いてみたい通りは、全く見えない。寂しかった。
そのことが、たくさんの出会いと幸運をもたらせてくれたと思う。今も思いは深まるばかり。
カンポン サヤ
やがて日本からのマレーシア観光バブル現象が始まる。人気と認知度が急上昇。air asiaが就航し、メジャーな航空会社が、毎日彼の国に向かって飛んでいる。
今では、誰もがツインタワーを知っている。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 交通手段
- 鉄道 タクシー 徒歩
- 航空会社
- ANA スクート
-
あの頃帰国するたびに、ホームドクターは、
「今回、いつ、バングラディッシュに戻るの?」と聞く。バングラディッシュの話題さえしたことがなかったのに。・・マレーシアの国名は、それほど日本人には認知されていなかった。
ほぼ4年ぶり。
トランジット、チャンギ国際空港の片隅に給湯器発見。さすが中華圏。 -
KLセントラルエリアで、定宿だった「HOTEL KLセントラル」。経営者が変わったことは、前回、すぐに分かった。フロントの応対が変わった。雑な空気。ガードマンのネパールからのメンバーもいなくなった。40代ぐらいの目元の柔らかい男性と言葉を交わすようになっていた。夫人と小学生の男の子二人をお国においての出稼ぎ。出入りするたびに「マーム・・・」と控えめな声音で挨拶してくれていた。彼はいなくなった。13年お付き合いのホテルを変えることにした。
ブリックフィールドには、セントラル駅改築工事と合わせているかのように小さなホテルが急増。町食堂が並んでいた地区。いつの間にか古い中国系のお店が消えていった。店頭に並ぶおかずを選んで持ち帰れる人気のお店は、真っ先になくなった。もう18年・・・長い周辺工事が着工し始めた頃。
しかし、このエリアは今の私のフットワークに最適。新たに選んだのは、Easy hotel
この地区にふさわしい、インド系ホテル。 -
scoot機内食の貧弱さに驚いた。それも配膳を忘れられていたので、到着直前に催促したほど。成田では危機一髪、シンガポーリアン乗客の機転で搭乗できた。もう乗るまい。
hotelにチェックインするなり、軒続きのインド系レストランへ。迷わずテタレとクィティアオを注文。とにかく無事に着いた。
ただいま午後7時(日本時間8時) -
朝食は隣のレストラン。午前中だけ、館内ロビーから入店可能。
朝食メニュー6種。男女ビジネス客が多い感じかな。ドアマン兼ポーターの若者は、陽気なインド系。いつも身体が跳ねている。清掃の男女コンビが、とりわけ好感。
マレー用コンセントを忘れていた。フロントで尋ねたら、デポジットは不要で、チェックアウトの時返却でいいよ、と手渡してくれた。 -
先ずミッドバレーへコミューターで向かう。両替のためと、トランクとVINCCIのサンダル購入が目的。切符窓口に行くと、台湾のeasy cardのようなシステム乗車になっていた。KLの変化の激しさに毎回戸惑う。風景もごっそり変わる。
-
今宵は、マラッカ料理。仕出し屋さんからラマダン中日替わりで届くという。テントの下にケイタリングのしつらえで、冷たいジュースと温かいテタレのタンクは、中央のテーブルにあり、「自由にお飲みください」。水のペットボトルは、お弁当のそば。アダンの合図に、食事の順は、まずは、お菓子かららしい。組み合わせ色々。一度、ラマダン明けの食事に普通のおうちに招待された時、ご馳走の山も大変なモノだったが、広い続き部屋に甘い物や甘い飲み物のオンパレードに、目で満腹になったのを思い出す。
コロナ以前は、このお菓子もきっと各テーブルに華やかに積み上げられていたことだろう。 -
わあ、フィッシュの夜でうれしい!マレーでは、こんな場合も大抵チキンだから。
さすが、マラッカ食の日。鯵です。お味も抜群。おそらく篤志家の提供。インド映画「聖者の食卓」を思い出していた。「誰でもどうぞ」スタイル。 -
10時を過ぎ、子供たちと彼女を家に送り届けた後は、彼の車で私の友人宅へ移動。
-
前夜から準備をしてくれていたご馳走が次から次へと。彼が、私の来馬を友人ザイナに連絡したからだ。
私の好物ばかりだけど、すでに満腹。
♀「あなたの好きなラクサよ。私が作ったから、美味しいはず。チリは少ないから。お隣のお皿は、これも大好きなロティボム。」
彼女は、私の好物、揚州チャーハンタイプも作る。夫はDr.マハティール似で、初対面の時、ドキッ。私との会話は、ザイナ独占だが、無口な彼の存在そのものが雄弁。そっとかけられる言葉のタイミングと内容は、全部覚えている。 -
メイドのスーさんが、黙って私にこれを差し出した。インドネシア人。男の子一人と旦那様を母国においての出稼ぎ。英語を話さないけれど、彼女のそばにいると、なんでも伝わる感じがして、台所で一緒にいることが多かった。静かで無駄のない動き、痩せた全身から慎み深さが伝わった。彼女は4年間でちっとも変わっていなかった。初めて彼女に抱きついた。
彼女の貴重なお金を使わせてしまった。翌朝ホテルで、ズシリと重い、餡子餅を手に。 -
ホテルにもどったのが、午前2時。
三日目の朝、ペトロナスコンサートホールへ行ってみる。今週は、何もプログラムなし。残念。
ショッピングセンター上階レストラン街の「マダム クワン」確認。絶品の高級ナシレマが進化したようです。
職場のスタッフ一押しナシレマは、ここ。日本から来た家族や知人を案内しては好評だったレストラン。 -
私の日常御用達は、”ダトークラマ マーケット”
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このたわしは、来るたびに調達する品。昔は、60セントかRM.1だった。もう四角のタイプを見なくなって久しい。
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ロティのお店もラマダン中は、早朝のみかもしれない。夜明け前に訪れるべきだった。
足元は、土埃やウエットエリアだけれど、調理台や総菜棚は、ピカピカ光っている。
誰もいない。よくロティの手さばきに見とれていた。やっぱりロティボムは、ここが一番美味しい。 -
いつもの食堂は閉まっていた。隣の持ち帰りになっているお店で、ミーゴレンを包んでもらう。5リンギット紙幣を渡したら、お札3枚にコインが返ってきた。50円ほどなのに温かくズシリ。
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あの頃日曜日ごと、買い出しとお昼ご飯。灼熱の中、歩いて15分。
店頭にミシン一台設置のテーラーで、日本から持ってくる生地で、よくバジュをオーダーしたもの。どれくらい払ったかなあ。スカート部分が多かったから、RM.10紙幣一枚だったような。今も日本で真夏の愛用服。 -
開店休業、お客さんも私だけ?。
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通路で、お二人作業中。
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これは、マレーの調味料玉ねぎというかにんにくというか。
「日本から来ました。日本には、これがないのです。私は、とても好きなんです。写真、撮らせてもらっていいですか。」片言マレー語で伝えると、にっこり笑って手を止めてしまい、ポーズ。 -
形見の時計に電池を入れてもらい、ベルトを取り換える。合わせて、RM.50。
戦争の合間にスケッチしていた絵も父の遺品整理で見つけていた。マレー半島の昔の景色のような気がする。 -
あら、果物屋のおじさんが、変わっている。
「今日は、彼はお休みですか。」と尋ねた。
今まで、このお店は、彼しか立っていなかった。
♂「こんな身体の人のこと?」とマッチョなポーズで、尋ね返してくれる。
「そうです。」
♂「彼は、コロナにかかって、亡くなったよ。注射をしてねえ。・・・」
2019年9月訪問時に、あまりに若返った容貌に、「どうしたの?とても若くなってるじゃない。」と、声掛けたら、彼「ジムに通ってるんだ。」と、肩の筋肉を自慢そうに見せてくれたのに・・・。
♂「アンティ、今日のパパイヤいいよう。」「マンゴスチンは、まだだよ。」と、彼から、いつも大きな声がかかっていた。私のマレー語の先生だった。・・・ -
ラマダン中の市場。
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駅に戻る。vincciで買ったばかりのサンダルを彼に自慢したかった。
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ホテルに帰ろう。
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ベッドで、ミーゴレンの包みを広げる。
お昼寝。 -
日が暮れて、目が覚める。まだモノレールに乗っていなかった。
ブキビンタンは、どうなってる。
駅周辺は、相変わらずのにぎわいだけど、スンガイワンは、日本の地方のローカルショッピング街の雰囲気。ところどころ閉店。 -
共和堂さんで、休憩。
店前を通る人さえまばら。あの頃のにぎわいを?思い出す。 -
私の来馬が知れ渡り、当時の上司から連絡が入り、一人出かけることにする。
住んでいたコンドミニアムもお目当てなので、早めにホテルを出る。 -
通勤路にある郵便局は健在。
切手を購入。日本まで60セントだったのが、90セントに。国内料金は、30セント変わらず。 -
早朝の通勤時、この前庭を掃いていた女性と挨拶しあうようになった。半年ぐらいそれが続き、ある朝呼び止められた。クリスマスにぜひ家にというのだ。突然の招待に戸惑い、曖昧な返事をした。話したこともない。彼女はモスリム。なぜクリスマスなんだろう。お誘いは続いた。結局、私のコンドミニアムにお茶に来てもらい、初めて自己紹介しあった。慎ましい彼女の熱心さに惹かれて、招待を受けることにした。一間のアパートの床に小さな折り畳みテーブル。その上にいっぱいのご馳走。さらにキッチンからつぎつぎと運び込まれる。
地方に巡査の夫と男の子を置いてきていると、話してくれた。旦那様のお給料では、子供を上の学校には無理だからと、少し恥ずかしげに話す。朝出合う時は、ユニホームだろうか、トドゥンからバジュまで、いつも真っ白。目の大きな、肌も美しい若いお母さんだった。田舎の人の素朴さが、感じられ、案の定KL人でないと知って、なんだかうれしかった。 -
その建物を曲がると、我が家が見える。茶色の▲屋根。大きな木だったのに、切られて、低くなっていた。(右端1本の大木)
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ガードマン氏に以前の住民と伝えて、入れてもらう。
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土日の早朝、よく泳いだものだ。たいてい人はいなかった。たまにインド系の住民を見かけたが、子供達の姿は滅多に見なかった。毎日プール掃除が行われ、木々に囲まれながら、落ち葉もなかった。
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私の部屋。
バスルーム付き主寝室のキングサイズベッド。リビングとダイニングがL字につながって、バルコニーからツインタワーが見える。主寝室と対角の位置に、もう一つの部屋にクィーンサイズベッド。玄関脇、小さなベッドと棚のみは、おそらくメイド部屋。キッチンの横にもう一つのシャワールームがあり、そこにつながっての小さなベランダは洗濯機と物干し場。 -
植民地時代の旧セントラル駅に存在していたマジエスティックホテルのデザインと似ていて、廊下(建物の中から空が見え、個別の部屋への短いアプローチ通路)に一目惚れした。高層階のコンドミニアム群が目立つ中、低層なのも珍しかった。
新聞の日曜版不動産広告の中から職場スタッフが見つけてくれた。私の条件は、「徒歩で職場に行けるところ」
それが、日本人が全く住んでいないエリアな上、この素敵な、今後建てられない建物デザインだったという幸運。
当時日本の駐在員人気、郊外高層高級住宅家賃のおそらく3分の一以下。しかもKLCCから二つ目の駅、タクシーでも300円かからない。エッヘンだ。 -
1年後九州から赴任してきた男性も、同じコンドミニアムを希望した。休日は、時々二人で日曜市場ランチ。お料理上手で、「ぼくは、マレー料理より日本料理」と言って、お手製弁当持参。
Nさん、あなたの茄子の味噌和えは絶品です。レシピを教えてもらったけれど、私はあなたのお味にまだたどり着けないんです。
ここが、彼の部屋。家主が違っていて、モダンなインテリアだった。
今回も?帰ったら、「あなたの部屋も、お元気でしたよ。」とメールしよう。 -
ガードマン24時間警備体制。
-
以前は、インド系屈強大男、若者メンバーだった。
今回、小柄、穏やかネパール人メンバー。
あんなにも水も空気も清浄なお国からここへ赴任のお気持ちは?
母国の山々の美しさを少し語ってくれた。
「ありがとうございました。私の部屋に会えました。」 -
かつての職場に向かう出勤道へ。
-
もう一度振り返る。ここで、夕方、後ろからバイクできた引ったくりに合い、鍵入りバッグはあっという間に。
セキュリティメンバーのいる門まで20メートル。
彼らの心配と手配と思いやり。今では、良い思い出。 -
職場は、敷地内の移動で立派な建物になっていた。ゲストブックにサインするとは思わなかった。上司自ら高級車でホテルまで送ってくれた。
ブリックフィールドで遅めのランチを調達。 -
クイティアオ屋台発見。
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卵入り注文。赤い汁の貝入り。もやしは少しでRM.8
あまりにも美味しかったので、夕方戻ってみたら、道端テーブルも屋台キッチンも見事にたたまれていた。そのピカピカ磨きに人気店と判明。 -
モノレール始発セントラル駅を見上げている私。何してる?
-
ガード下青空マッサージ屋さん。今回は、若いがっしりスポーツマンタイプのマレー系。
聞くと、KL人。初めてのタイプ。中華系のおばちゃんかおじちゃんと相場が決まっていたんだけどな。
笑顔の腕っぷしの強そうな男性。「ここは、頭で、ここは、耳だから、ここは、どこだったったけ。」と話しかければ、♂「肝臓だよ。」と教えてくれた。お酒を飲んでないのに、そのあたり疲れているらしい。 -
いよいよ明日は、KLを出る。
ザイナさんが持たせてくれたご馳走の袋の底に、これも入っていた。彼女が選ぶのは、極上。あの夜のスイカも、満腹と思いながら、もう一切れと手を伸ばしていた。
これはあと二日ぐらい待って、いただこう。 -
早朝目が覚め、出発の支度も終え、ホテル周りをお散歩。ガード下にインド系屋台。モスリムではないらしいし、通勤のお客さんが立ち止まっていく。
-
そう、軒下食堂のおじちゃんたち、この小さいエプロンがお約束みたいで、なんとなくチャーミング。
-
この界隈、屋台もレストランもほとんど男性が働き手。
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昔ながらのコンビニ。
そうだ、今回チョーキットを歩いていない。
まだ時間は、たっぷり。行かなくっちゃ。 -
モノレールは、通勤の始まる時間帯。
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チョーキット駅周辺はまだ静か。ラマダン中だから一層かもしれない。この場所で、靴の修理屋さんがいつも座っていた。彼は、ビニールのサンダルもバイクで乗り付けたままのシートも修理する。お国はどこか聞いてはいないけれど、私はインドネシアからの出稼ぎとみていた。
KLの道路工事は止むことがない。私は華奢なvincciサンダルで、歩いて通勤していた。だから靴は傷む。ここによく通っていた。かかとを取り替えたって、RM10払った記憶がない。いくら物価の低いマレーシアにしても首都KLです。チョーキットでも安価すぎると気づいてきた。たいてい支払いはRM,5紙幣以下だったから。 -
持ち場を離れられない彼なら喜んでくれるかもと、一度屋台の飲み物を私の分と一緒に持参した。ちょうどラマダンの時だった。まだ日が高い。「あとで、いただくね。」と言って、道具箱の隅に引っ掛けてくれた。ああ、もう少し後に来ればよかったと、私は、後悔した。氷が解けてしまう・・・。
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彼は、お国に帰っただろうか。今は70代・・・。
KLに来れば、会いに行った。私のことを覚えていてほしかった。無口な人で誰とも修理以外の話をしていない。丁寧な態度と柔和な顔つきは忘れられない。 -
市場に向かう。路上店が消えている。屋根のあるところに来ても、開いているお店も少なく、活気もない。
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あの建物が、KL一巨大市場。
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北側メイン入り口は、果物屋さんが並ぶ。溌剌フルーツたちだ。他ではあまり見かけないものも多い。旬もわかる。
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第一、新鮮でお安い。魚、肉類、野菜の勢いが違う。周りには、乾物、穀物その他の専門店。
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私が、バスやタクシーでこのエリアに通ってるとわかり、職場のローカルたちに「気を付けてください。」と再三言われていた。彼女たちの多くは、足を踏み入れたことはないという。
間口半間ほどのお菓子屋さんが連なる小路。店頭で作りながら、売られている。
大抵三つRM.1。このお値段は、とても美味しかったから、よく覚えている。 -
朝や昼は、安全。私は、バジュクロンにマレーのアンティの顔をして通っていた。
鍵は、服装の中。小額紙幣とたっぷりコインだけを持っていた。5 -
モノレール「チョーキット」駅
-
駅ホームから見える。
-
クアラルンプール名の語源、クラン川をモノレール車中から見下ろす。次が終点。
-
ポロの競技場だろうか。使われているのをみたことがないのに、この芝生の手入れ。
周りは、変貌し続けているのに、変わらないあの建物は、なんだろう。20年来思ってる。 -
最後の朝食、テタレのみ注文。
-
前がエレベーターで、KLセントラルにつながるビルへ。
2代目KL定宿、あなたに決定しました。 -
えっ!あれ?ポー玉!?
なああああるほどーーーーー。 -
マレー鉄道上階レストランホーカーが美しくなっていた。新幹線ができたためかもしれないなあ。
どれを”駅弁”にしようかなあ。
ヨーロッパ系の旅人ハンサム青年は、ワンタンミーをお持ち帰り。 -
初新幹線。これから、向かうというのに。ペナンクイティアオ片手。
-
うわあおーーーーーーーー!
3日間で4回は、これ一筋。
でも、ダントツのお味。しかもたっぷりでRM.11。
ペナンでは、これ以上だと信じてる。
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この旅行記へのコメント (6)
-
- hiroshi_kakogawaさん 2023/06/03 21:59:54
- Selamat malam
- Selamat malam。
はじめましてhiroshi_kakogawaと申します。私の些末な台湾旅行記に「いいね」を
頂き有難うございました。
貴方のマレーシア旅行記を懐かしく楽しく拝見させて頂きました。貴方の旅行記で
お父上の事が書かれていましたが私の父も海軍でしたのでマラッカにも寄っています。終戦時はミャンマー(ビルマ)で軍の責任者でしたので2年間帰国出来ず大変だった事
を聞いています。でもあの過酷なシベリア送りにならなくて良かったと思います。
私は台湾が戒厳令を布いている時から台湾へ通い台北の師範大学で華語を1年間、
TLIで台湾語(福建語)を1年間学び妻も台南市で娶った程の台湾好きです。
留学していた関係で商用で台湾へは行きましたが赴任したのはナント旅行記にも
投稿しているマレーシア(Seremban)でした。下記は私のマレーシア旅行記です。https://4travel.jp/travelogue/10927757
それでは今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
- mom Kさん からの返信 2023/06/04 07:05:49
- Re: Selamat malam
- Selamat pagi~ hiroshi_kakogawaさん。ご自分のことをこんなにもお話しくださっていいのかしらと思い、うれしいです、ありがたいです。
今よりもっともっと台湾らしさが溢れていた頃のことをよくご存じなのですね。私の初訪台は、1980年代です。日本語を話す年代の人がまだ多くいて、日本人女一人旅ということもあるのか、親切の連続で申し訳なくなるほどでした。それが、私の台湾観の根っこです。
父が晩年足が不自由に成りだしたころ、「お父さん、もう一度行きたいとこはどこ?」と尋ねたら、即台湾でした。彼は仕事がらみでの渡航だけで、私のフラフラ世界旅が全く理解できず、「そんなに(旅が)いいか?」と揶揄していた人。
「お父さん、リハビリ頑張ろ。今より5キロ体重減できたら、私が台湾連れてってあげる。」と繰り返しているうちにあちらへ。遺品の文箱には、日本への留学生だった人からの手紙が数通入っていました。父との交友が見えるよい手紙でした。それを持って、桃園にある大学を尋ねたら、すでに退職され、日本へ移住された後でした。
-
- gachinさん 2023/04/07 13:47:40
- マレーシア。。。
- mom Kさん こんにちは。
やはり、何か通ずるものを感じずにはいられません。まさに今、一度断念したマレーシアへの旅をまた計画しようと模索している最中です。
とは言え、こんな風にその地の音や匂いまで感じられそうな濃い旅はできませんが。
ラマダンの時期で良かったのか残念だったのか、会えなかった人たちは残念でしたね。
思い出は変わらず心の中に残り続けるし、また新しい出会いもあったことだし。
素敵な旅行記をありがとうございます。
gachin。
- mom Kさん からの返信 2023/04/07 21:47:43
- Re: マレーシア。。。
- gachinさん、スラマ マラム(こんばんは)!こういうのを「相寄る魂」と教えてもらったことがあります。
本サイトを通じて、gachinさんとのように、心で会話ができる方が増えました。幸せなことです。
マレーシアは、初めてですか。私は仕事だったので、KLでしたが、町にはそれほど愛着はなく、週末は、マラッカやクランに街歩きに行っていました。郊外電車で、歩きの楽しめる町を探した日々です。
今回の旅行記にUPしたのも、よく歩いたスポットのみ。KLでよく紹介されるところは、一切登場していません。お察しのように、私的”としたのは、あまりに個人的すぎると思ってです。なのに、みなさんの共感や反応が今までになく、多く、はやく、うれしい戸惑いです。
マレーシアが初めてで、これから何回もという国でもないと思われたら、KL日程より、マラッカとペナンにその時間を投入されたほうが、よいと思います。
東マレーシアも素敵でしたが、マレーの空気に慣れた方が楽しめると思います。
gachinさんの釧路ゲストハウス滞在記を再度拝見。私もあの街に、三度目はもっと長く滞在したいと思っています。米町公園に近いエリアのゲストハウスというので、昨年12月のホテル泊と半分ずつもいいなと。
旅に求め、味わう感覚が似ているような気が勝手にしています。
ジュンパラギ(またね)!
-
- エフサさん 2023/04/06 22:21:29
- クアラルンプールで仕事をされていたんですね
- 残念ながらワシには未到の地。この旅行記が神様のお告げの様に思えてきました。
「もたもたしてないで さっさと行っちまえ」
って言っている様な気がしました。
マレーシアはASEANの中では一番印象が良い国。きっとマハティールさんのお陰かもしれません。治安も良さそう。
と言うのも安倍さんの時に在外公館をジャンジャン増やしている最中、ジョホールバルだけは廃止になって、その分シェムリアップに新設したりしてたんで
「あぁ、きっと治安がいい街なんだな」
と思いました。リタイアしたら終の住処にしようかな、なんて考えた事もありましたっけ。
初の国産自動車でプルトン・サガと言う三菱ミラージュのノックダウン方式の車は今はどうなったんだろう。EVに移行しつつあるのだろうか。
マハティールさんが日本の柔らかくて美味しいパンに感激してクアラルンプール にもパン屋さんを作りましたよね。何て言う店だったっけか。
あと、ウクライナ上空で起きたマレーシア航空の悲劇とか、
ツインタワーの韓国製側が傾いて、日本側から救いの架け橋を渡して事なきを得たとか。
こうして思い起こすと結構マレーシアには関心があった様な気がします。
来週パスポート作りに行ってきます。今決めました。
- mom Kさん からの返信 2023/04/07 06:59:10
- Re: クアラルンプールで仕事をされていたんですね
- スラマ パギ! Dr、エフサ。
今回は、外聞を押し込めてupしたデギル(わがままの意)な日記。あなた様の本お便りで、これでよかったんだと思えました。ほんとにうれしいです。ありがたいです、人生へのエール。
うーん、赴任前にDrに個人授業を受けるべきだった。です。
一年ぐらい住んでみられませんか。あのコンドミニアムの不動産会社担当のチャイニーズ女性は、引き払いは帰国日当日、時間通りにやってきて、「あなたがもし再びこの国にくるようなことがあったら、私に必ず電話してください。」と言って、手渡してくれた名刺は、いつでも取り出せるように保存しています。
私は、KLの町よりマレーの国より、あの家から去るのがつらく、滞在当時も、この家はいくらぐらいだろうかとよく考えていました。
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