はまちゃんさんのクチコミ(386ページ)全8,702件
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投稿日 2013年04月14日
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投稿日 2013年04月14日
総合評価:3.5
「真玉橋」は、沖縄県の那覇市と豊見城市の間を流れる国場川にかかる橋です。最初の橋は、1522年に首里と島尻地方を結ぶ交通の要として築かれました。その橋は木橋の五連橋で、その後1837年に大改修されて六連の石橋になりました。琉球王国消滅後も存在していたが、1945年沖縄戦の際退却する日本軍によって破壊され、戦後米軍によって鉄橋が、さらに1963年には琉球政府によってコンクリート橋が架けられていたが、2002年に再びアーチ橋として架橋されました。この架橋工事の際に旧アーチ橋の遺構が発見され、現在、国場川の両岸に石造の見事な橋の一部が保存されています。
- 旅行時期
- 2013年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2013年04月14日
総合評価:4.0
「ステーキハウス88」は、県道43号線(上之蔵大通り)の久米南の信号から二筋南の道を西に100mほど入ったところにあります。お店のすぐ傍に無料駐車場があります。お店のの始まりは1955年、ステーキハウス88のルーツは本土復帰前の米国統治時代にさかのぼる老舗ということもあって、店内はアメリカンな雰囲気で、ボックス席なのでゆっくり食事ができます。ステーキはリーズナブルなものから沖縄県産和牛の極上までステーキだけで20種類もあります。この日は、ランチに“サウザントステーキ(ランチのみ1000円)”を頂きましたが、ジューシーでコストパフォーマンスは充分でした。ステーキメニューの他にも、ゴーヤーちゃんぷるー、牛汁、てびちなど沖縄郷土料理やピザ、カレー、揚げ物などのサイドメニューも充実しているのもお奨めです。国際通りには支店もあります。
- 旅行時期
- 2013年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人当たり予算
- 1,000円未満
- アクセス:
- 3.5
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- サービス:
- 3.0
- 雰囲気:
- 4.0
- 料理・味:
- 4.0
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投稿日 2013年04月14日
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投稿日 2013年04月14日
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投稿日 2013年04月14日
総合評価:4.0
「西部プラザ公園展望台」は、糸満市の東、県道134号線の“小城入口”のバス停のそばにあります。公園内にある、高さ15mの展望台からは、天気の良い日は慶良間諸島を見渡すことができるそうですが、訪問したときはそこまで見えませんでしたが、“豊見城”の里を一望できました。公園内には駐車場やトイレ、水飲み場、東屋などが整備されています。
- 旅行時期
- 2013年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2013年04月14日
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投稿日 2013年04月14日
総合評価:4.0
「大度浜海岸」は、国道331号線の“米須”の信号から南東方向に1?ほど行ったところにあります。途中は標識も、目印になるようなものも無く、畑や原野の中を通るので判りにくいです。観光客は殆ど来ません、地元の人が、潮が引いているときに漁をしているのを見たり、まれにサーファーが居るのを見る程度で静かな海岸です。のんびりするのには良い海岸です。
- 旅行時期
- 2013年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 2.0
- 景観:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
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投稿日 2013年04月14日
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投稿日 2013年04月14日
総合評価:3.0
「米須貝塚」は、国道331号線の“米須”信号から南方に800mほど行った海岸近くにあります。途中は標識も、目印になるようなものも無く、畑や原野の中を通るので判りにくいです。沖縄貝塚時代後期の遺跡で、1954(昭和29)年に琉球大学による発掘調査が行われ、その調査結果から県指定史跡となりました。出土遺物は土器、石器、貝製品(貝匙、貝錘)などが出土しているそうです。現地には、添付した写真の看板があるだけで、特に見るべきものはありません。
- 旅行時期
- 2013年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 2.0
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投稿日 2013年04月13日
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投稿日 2013年04月13日
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投稿日 2013年04月13日
総合評価:4.0
「琉球ガラス村」は、那覇市内から国道331号線を“ひめゆりの塔”の方向へ、車で走ることおよそ30分のところにあります。大きな施設で、国道沿いにあるので比較的分かりやすいです。琉球ガラス製品の販売はもちろんのこと、コップやアクセサリーなどの手作り体験工房やレストランもあります。“琉球ガラス美術館”には、琉球ガラスの名工である大城孝栄氏などの素晴らしい作品が展示・販売されていました。ガラス好きの方には美術館への入館をお奨めします。
- 旅行時期
- 2013年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2013年04月13日
総合評価:4.0
「喜屋武岬」は、沖縄本島の最南端に位置する岬で、那覇からだと車で30分程度で行くことが出来ます。琉球では喜屋武を「きゃん」と発音し、これは「極み、突端」の意味であり、最南端の岬ということで喜屋武岬とつけられたそうです。慰霊の碑(平和之塔)と展望台の東屋とトイレしかありません。きれいな海と絶壁、景色は素晴らしいですが、ここは、太平洋戦争末期に、アメリカ軍に追いつめられ、行き場を失った人々が極まって身を投げた悲劇の岬で、その悲しい歴史を考えると、胸に来るものがあり、素直に景色を楽しむことが出来ません。
- 旅行時期
- 2013年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
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投稿日 2013年04月13日
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投稿日 2013年04月12日
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投稿日 2013年04月12日
総合評価:4.0
「轟の壕」は、糸満市中心から国道331号線を車で走ること数分、伊敷郷にあるガマと呼ばれる自然洞窟で、戦時中避難壕として利用されていました。ほぼ当時の状況のまま残されています。この壕は、沖縄戦を語る上で重要な場所にも関わらず、どこにも案内表示や説明板などは全くありません。公式に公開をしている訳でもなく、全長約100mの自然洞穴内部には照明設備等はありませんので、入り口を少し進むと真っ暗で、足元も大変悪いです。もし内部を見学される場合は、懐中電灯などを用意のうえ、ご自分の責任において実施して下さい。
- 旅行時期
- 2013年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2013年04月12日
総合評価:3.0
「バクナー中将慰霊碑」は、糸満市の南、国道331号線の“真栄里入口”から東に1kmあまり行ったところにあります。米第十軍指令官バックナー中将は、昭和20年6月18日、戦闘指揮中、この地で死亡した。昭和27年、米軍の手により記念碑が設立されたが、昭和49年に米軍より、キャンプフォレスターに移設されたため、昭和50年6月に沖縄慰霊奉賛会により現在の碑が設立されたものです。直ぐそばに、イーズリー准将の慰霊碑もありました。バクナー中将は、太平洋戦争で戦死した米軍の司令官としては、この中将が最高位にあたるそうですが、周囲の慰霊塔が多数の民間人・軍人を対象に慰霊しているのに、何故、個人として慰霊されているのか疑問が残りました。
- 旅行時期
- 2013年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 2.0
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投稿日 2013年04月12日
総合評価:3.5
「栄里之塔」は、糸満市の南、国道331号線の“真栄里入口”から東に1kmあまり行ったところにあります。沖縄戦で戦火に散った歩兵第22連隊と住民を含め12000余柱をお祀りする慰霊塔です。
近くにあった、石文には次のとおり記されていました。
【石文より】
歩兵第二二連隊は第三二軍の左第一線部隊として真栄里付近に布陣し、南進を続ける優勢なる米軍に村し熾烈なる砲火をあびせ遂に米軍司令官バーグナー中将もこの地に戦死す
住民とともに勇戦奮闘せる我が軍は物量を誇る米軍の攻撃に抗しきれず善戦空しく昭和二十年六月十七目玉砕し悠久の大義に生く
終戦後真栄里部落民は本戦斗に協力せし住民並びに将兵の遺骨一二,〇〇〇を収集し栄里之塔を建立せしもこのたび南方同胞援護会の助成を得てあらたにこの地を画し塔を改修し永くその遺烈を伝え英魂を弔う
昭和四三年三月 財団法人 沖縄遺族連合会
所在地:沖縄県糸満市字真栄里- 旅行時期
- 2013年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2013年04月12日
総合評価:4.0
「白梅の塔」は、糸満市内から県道54号線を車で数分走った国吉郷にあります。学徒動員で、沖縄県立第二高等女学校の四年生たちによって編成された女学生たち(白梅学徒隊)が看護で従軍し、戦火に散った白梅学徒看護隊を慰霊している場所です。南部戦跡というと“ひめゆりの塔”が有名で観光名所化して賑わっているのに対し、ここは場所も奥まっているせいか、観光客も来ておらず、ひっそりとしていました。当時、10代半ばの少女達がどのような思いで従軍し、最期を迎えたのかを考えると胸に詰まるものがありました。
- 旅行時期
- 2013年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0








































