gamiさんのクチコミ(7ページ)全160件
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投稿日 2005年09月14日
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投稿日 2005年10月23日
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投稿日 2005年10月23日
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投稿日 2005年10月29日
日本の食糧自給率をご存知ですか??
危険な食品添加物が米国から輸入されているのに、米国本国では使用禁止になっている毒薬が多々あります。
食の仕組み、緑の保全などを考えるとてもイイ機会が、農大の学園祭:収穫祭です・・是非お出かけください。
日本の食糧自給率は凡そ30%とききます。
輸入がストップすると・・日本人の殆どが短期間で飢え死にします。
自分は農大の活動を応援するものです・・失礼しました。- 旅行時期
- 2005年10月
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投稿日 2005年11月05日
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投稿日 2005年11月05日
東京・調布市はJリーグでも名の知れた・味の素スタジアムがあります。おまけに競輪の京王閣もあります。競艇&競馬は隣・府中市にあります。府中市は3億円シロバイ事件の刑務所もあります。イロイロ話題尽きない三多摩地区であります。
- 旅行時期
- 2004年11月
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バンコクでの移動は・・なんと云っても・センセーブ運河のボートが一番。
投稿日 2005年02月25日
センセーブ運河はバンコク市街を東西に走っています。その運河を飛沫をあげて滑走する元気なボートがサイコーの移動手段です。まず、安い:10B前後、速い:タクシーの数倍早く移動可、気持ちイイ:水の上なので、汚い:水が(バンコクらしい)、その飛沫を浴びる:少し気持ちイイ。99%地元タイ人で東京の通勤ラッシュ並混雑ですが、好意を持って乗船客に隙間を空けてくれます。
- 旅行時期
- 2004年08月
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投稿日 2005年04月13日
自分は強度の杉花粉症です。20年間以上も様々な治療を試みましたが・・結果は無同然・・
そこで、この花粉時期・タイに行きますと・・なんと、目の痒みや鼻の異常は何処吹く風・・何の異常もありません。
多少のお金と時間のある・杉花粉症のヒトは、タイへ避難をお薦めします。- 旅行時期
- 2005年03月
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投稿日 2005年04月11日
これは偏見かも知れませんが・・98年に抗州・蘇州・上海等をバスで回りました。休憩時の利用したある公衆便所内は足の踏み場がないほど糞だらけでした・・この4トラベルでも・どなたかの投稿で同様のコトが書かれていました。1960年代・毛沢東権力の斜陽時期・書物に、紅衛兵が学校に寝泊りする文があり、ある兵は人糞だらけの下足のママあたりを歩き廻り・・とあります。基本的に人糞は肥料として用いられ、生活にコト欠かせないものでした・人糞はけっして不潔極まりナイものではなかった。日本でもそんなに昔でない農村では、便所は日当りのヨイ南面に位置し・肥料として用いるために早目に発酵させていました。そういえば、東京の東武線は肥溜め線と云われ・当初は東京の人糞を埼玉所沢方面に運んでいたと聞きます・・・中国田舎ではその影響(現況ではない)が残っているように感じました。・・この文がどなたかに・失礼にあたりましたら・ご一報下さい、早急に削除します。
- 旅行時期
- 1998年03月
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投稿日 2005年04月02日
3月11日から25日までタイ北部を主として廻りました。
ビーマン・バングラディッシュ航空利用。
15日チェンライから・・電話をかける、先方から機械によるアナウンスが流れ、聞き取りできず・・断念。
16日チェンマイから・・昨日多量のコインを電話で使用したので、貸しケータイ店を宿で教えて貰うが、店見つからず・・
チケット購入会社に助っ人を求めるが、10日間の時間切れでメルアドにアクセス出来ず。
20日バンコク・・日曜日のため、空港オフィスにかけろ・・と機械が云う。
1時間以上かけるがずっと通話中。断念。
カオサンGHで宿のヒトが翌日月曜に電話を掛けてくれると云う。・・がここまできたのでナントしても自分でやらねば・・
21日バンコク・・公衆電話から2バーツ入れかける、女性が出る・・リコンファームプリーズ・・すんなりOK・・1バーツ戻る。
今回の情けない事態で、バンコクには3日早く戻った、そのため北部を廻る期間が3日削られた。
リコンファームは早目がよさそう・・ナリ。- 旅行時期
- 2005年03月
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投稿日 2005年03月29日
泰緬鉄道は本数が日に往路3本で、ナムトックへ行ったはイイが、下手すると帰って来れません。また、往路100バーツでしたが帰路は17バーツでした。
カンチャナブリ駅でツーリストチケットとして往復+カフェ+菓子付きで300バーツがあります。旧日本軍の過ち??へのカンパの気持ちで購入してもイイですが、自分は片道づつ購入しました。
乗車時間は片道2時間弱と本にありますが、往路3時間・帰路2時間かかりました。ちなみに、ナムトック駅前には数軒の店がある程度で、近くに山が見え町はありませんでした。・・何かあるのかな??不明です。- 旅行時期
- 2005年03月
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投稿日 2005年04月06日
・・シースルーのエレベーターが新凱旋門の上部・展望階へつれて行ってくれますが(有料で待ち時間長い)・・高所恐怖症のヒトは要注意です。エレーベーターは一気に上昇しますので、その恐怖感は一度に観光の意味を消失させます。乗る前に、高所に対する自問自答をお忘れなく・・。自分は本当にコワイ思いをしました。富士急ハイランドの「フジヤマ」などに乗っても、何とも感じナイ人は大丈夫ですが・・。
- 旅行時期
- 2001年11月
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投稿日 2005年04月06日
バルセロナの観光第一候補・サグラダ・ファミリア・・よく写真で見る塔は・・あれは入口・玄関を象徴する門的な役割で、実は礼拝堂はまだ出来ていないのですね。(堂等が完成するのに数十年かかると云われています。)宗教施設で肝心の祈る場がなく、門・塔だけが・ガウディーの設計というコトもあり関心のマトになっています。何か不思議な感じがします。確かに、道路反対側の池のある公園から見ると「絵」になる建築物ではありますが。期待し過ぎると??
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- 2001年11月
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投稿日 2005年04月02日
クワイ川沿いには多くの屋外型ライブ・レストラン等があり、25時位までドンチャン演ります。その後も26時位まで音楽を流しています。
近接している宿では正直、眠れません。水上の情緒はイイ感じなのですが。、ユックリ休みたいヒトは周囲の環境に十分観察配慮が求めらます。
しかし、大きなベース音は100m位離れても・減衰を期待出来ず、床さえ振動します。
自分は木造のゲストハウスに泊まったのですが、1泊目は訳分からず・ひたすら音楽の終わるのを待ちました。
2泊目は睡眠薬を飲み・早目に何とか眠りを確保しました。- 旅行時期
- 2005年03月
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投稿日 2005年04月02日
ノライヌとの思い出
1・・チェンライで
朝一番のバスに乗るため、ゲストハウスを5時に出ました。
待っていたのは、ナント中型犬4頭・・うなり声上げて向かって来ました。
4頭を睨みつつ・背のザックをユックリ右手に持ち・踏み込みながら攻撃を仕掛けました・先手必勝・敵が少し怯んだので・少しづつ退き下がりました。怖かった。
2・・チェンマイでの早朝
この町でも同様に、朝2頭の中型犬に向かって来られました。・・この時は・2対1・勝てると思ったので、ユックリ歩を進め・無事通過。
3・・メーホンソンでの夜
町で夕食を終え、町はずれのゲストハウスに戻る途中、真っ暗闇の中・真っ黒な大型犬に近づいて来られました。
襲われたら・ヤラレル・と思いました・鳥肌も全身に立ちました。
周囲に棒を探したのですが、暗くて分からず、小さなショルダーバッグを右手に持ち、いつでも攻撃出来るよう、敵の動向を見据えつつ・歩を進めました。
4・・昨年の夏
水上マーケットの街:ダムヌン・サドアクで。
この時は中二の息子と二人で旅しました。下町・裏町・ゴミゴミ・ゴチャゴチャ・・所謂スラム的な所が好きなので、この街も裏側に廻りました。
土の道から・舗装された道に出ると・突然3頭の中型犬がウナリ声とともに10数m位から向かって来ました・追い掛けて来ました・必死で逃げました。多分飼い犬だったので深くは追って来ず・無事を得ました。・・その出来事の前に5頭位たむろしている所を通ったので、チョット安心していたのですが・・。大き目で数頭いる犬は・本当に怖い。- 旅行時期
- 2005年03月
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投稿日 2005年03月31日
何処の国でも、下町が好きで・・ソウルの下町をクネクネ、キムチの壷や練炭が積み上げられている露地を、アッチコッチ彷徨いました。とても、楽しい露地彷徨でしたが、チョット入った駄菓子屋風の店でチョコを買いました。そこに居られた3、4人のオバさんの「目」は明らかに、反日の敵対的・侮蔑的な「目」でした。今、韓流ですが、まだまだ、日本と韓国の間には深い溝があるように感じました。それから8年経ちますが・・?
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- 1996年03月
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投稿日 2005年03月30日
アテネ・アクロポリスの丘・・裏(表は観光用のアプローチがある方)の下町の方に廻ると、ガラの悪い連中がいたり・アル中みたいな男がフラフラしてたり、下町は何処も危ない要因を持っている。ギリシャはキレイなイメージのみ先行しているが、どの国もどの街も・同じように人間の生き様が微笑ましかったり・醜かったり・・蠢いている。
- 旅行時期
- 1997年03月
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投稿日 2005年03月30日
昔、パックツアーの新聞広告で水辺の写真背景に蘇州・抗州・・と、前面に水の都を表現しているモノがあり、巧く乗せられてしまった。実際、蘇州の街には水辺の風景等殆どなく、帰路上海の空港・本屋で見た・・周庄と云う街が水の都と初めて知った。・・誇大広告に要注意。
- 旅行時期
- 1998年03月
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投稿日 2005年03月29日
メーホンソンの町から車で小一時間?小さな村があり、女性にはロングネックの風習がある。図は村の断面で、道に面した家・小屋は全て土産物売り、ロングネックの女性が店番である。観光収入としてのロングネックの感も免れ得ないが、村の平面的構成には山村としての赴きがあった。
- 旅行時期
- 2005年03月
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投稿日 2005年03月29日
村の全ての住まい(家)は、屋根も壁も大きな葉で出来ている。大きな葉を乾燥させ・竹の皮のようなモノで構造材(木)に固定している。日本の古都の甍(瓦屋根)も趣のある風景だが、この村の屋根並もイイ風景だと感じた。
- 旅行時期
- 2005年03月









