bluejaysさんのクチコミ(43ページ)全1,027件
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投稿日 2015年03月02日
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投稿日 2015年02月20日
総合評価:3.5
「スターリング・ブリッジの戦い」でウィリアム・ウォレスが陣を置いたアビー・クレイグの丘に、ジョン・トーマス・ロシェッド設計による高さ67mの砂岩の塔が、1869年に建てられた。内部はウィリアム・ウォレスに関する展示や、スコットランドの偉人に関する展示がある。塔からはスターリングの街が一望できる。
- 旅行時期
- 2012年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 2.0
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最悪の反日航空会社
投稿日 2015年02月12日
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投稿日 2015年02月17日
総合評価:4.5
高さ54メートル、幅51メートルあり、36メートルの棍棒を持っている。作成年代は不明で、最初の記述は1751年に歴史家ジョン・ハッチンズが、17世紀半ばに作られたものだろうというものである。
有力な説として、この巨人はヘラクレス像だというものがある。ヘラクレスはしばしば棍棒と動物の毛皮とともに表示されるからである。巨人像ももともと左手に動物の毛皮を持っていたのではないかという推測がある。
大きく上向いたペニスが描かれていることから、子宝に恵まれると信じられている。
Dorchester South駅またはSherborne駅からバスが1日9本出ている。- 旅行時期
- 2012年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.5
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 4.5
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投稿日 2015年02月17日
総合評価:5.0
1503年にミシェル・ド・ノートルダムが生まれたとされる家だが、当時からある家には見えない。
彼は「百詩篇」において未来を予言したとされ、日本では五島勉著「ノストラダムスの大予言」がベストセラーとなったが、フランスではあまり知られていない。
有名な「アンゴルモアの大王」とは、アングレーム出身のフランソワ一世を諷刺した詩と考えられる。- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- アルルかアヴィニョンからバスで
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- ツアー客がいた
- 展示内容:
- 5.0
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投稿日 2015年02月17日
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投稿日 2015年02月17日
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投稿日 2015年02月17日
総合評価:5.0
1848年、この界隈にコレラが流行した。ジョン・スノーは、患者の家を地図上に点で示し、発生源はその中心にあると推測した。そして自宅近くの井戸が原因だと突き止め、ポンプの取っ手を外し使えないようにした。
近くの汚水溜めからコレラ患者の糞便が混入したのが原因とわかり、この井戸は埋め立てられたが、その上に設置された「疫学発祥の地」のモニュメントは、取っ手のないポンプの形をしている。
パブ「ジョン・スノー」は、スノー邸の跡である。- 旅行時期
- 2012年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
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投稿日 2015年02月17日
総合評価:5.0
フォルカークの戦いに敗れたウォレスは、国中を逃げ回るがついに捕らえられ、ロンドンのこの地で処刑された。それは首を吊り、意識があるうちに腹を裂き、目の前で内臓を取り出して焼き、その後首を刎ね、遺体を馬で四つ裂きにするという凄惨なものだった。彼の生首はロンドン橋の上に晒され、四等分された死体はニューキャッスル・アバディーン・ベリック・パースの4個所にそれぞれ晒された。現在は聖バーソロミュー病院となっており、その壁に記念碑が掲げられている。
- 旅行時期
- 2012年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 5.0
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投稿日 2015年02月17日
総合評価:5.0
ウースターの戦いに敗れたチャールズ二世は、王党派のボスコーベルハウスに匿われた。現在彼のベッドや、彼が隠れた2階の下の隠し部屋が展示されている。ロイヤルオークは、イングランド議会派がこの地を捜索に来たとき、チャールズ二世が隠れた樫の大木だが、旅行者が記念に切り取り持ち去ったため、現在のものはその子孫と考えられている。
公共交通手段はないので、Wolverhamptonからタクシーの利用を勧める。- 旅行時期
- 2012年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 1.0
- 公共交通手段なし
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 展示内容:
- 5.0
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投稿日 2015年02月17日
総合評価:5.0
王位を失い亡命したスチュアート家のボニー・チャーリーが、イギリスに上陸し挙兵した「ジャコバイトの乱」最後の戦い。火力に劣るジャコバイト軍は、大砲を使えない森の中などでゲリラ戦を挑み、連戦連勝を続けロンドンまであと200キロの地点まで迫ったが、その後はずるずると後退し、ついにスコットランド北部のカローデンに追い詰められ、見通しのよい平原での決戦を強いられた。ジャコバイト軍は圧倒的な火力の前に粉砕され、チャーリーは女中に変装して逃亡した。乱に加わったスコットランド人は土地を追われ、新大陸への移住を強いられた。
- 旅行時期
- 2012年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 5.0
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投稿日 2015年02月17日
総合評価:5.0
騎兵の多寡が優劣を決めるとされた時代に、スコットランド軍が、歩兵に長槍を持たせ密集隊形を組むことで、イングランド騎兵隊を破ったバノックバーンの戦いを記念した博物館。ロバート・ザ・ブルースの像は、彼がド=ボーアンと一騎討ちをしたという地に建てられている。
- 旅行時期
- 2012年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 展示内容:
- 5.0
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投稿日 2015年02月17日
総合評価:4.0
ゴッホが「夜のカフェテラス」のモデルにした店。フォルム広場に面しており、黄色い建物なのですぐわかる。戦災で焼失したのを、当時に似せて再建した。味はよくないと言われているので、写真を撮るだけにしておいた。
- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
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投稿日 2015年02月17日
総合評価:4.5
富士川の戦いに勝利した源頼朝は、東国を固めることを決意し、黄瀬川に戻って陣を張った。そこへ弟の義経が奥州平泉から駆けつけ、この地で対面した。頼朝は「かつて曽祖父八幡太郎義家が後三年の役で苦戦したとき、弟の新羅三郎義光が駆けつけて敵を滅ぼした吉例と同じだ」と喜んだという。
- 旅行時期
- 2012年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.5
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投稿日 2015年02月17日
総合評価:5.0
上原館は鎌倉時代から戦国時代まで、豊後守護として君臨した大友氏の居館が置かれていたところである。館跡は東西約130メートル、南北約150メートルの長方形からなり、北西に主郭の出入口を固めるための枡形を設け、南と西側には10~25メートルほどの幅をもつ土塁を盛り上げ、この基底部に沿って空堀を掘り出していた。また、東側と北側にある自然の崖地も巧みに利用して、館内への侵入を防ぐ工夫をしていた。
1550年に大友宗麟が父義鑑を襲った「二階崩れの変」は、ここが現場だったと考えられており、館は二階建てであったと推測されている。
上原館は、1597年に福原直高が府内城を築いた際に廃されたようだ。
館跡は現在住宅地に埋もれているが、土塁・堀跡がわずかに残り、天満社が建てられている。- 旅行時期
- 2014年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年02月16日
総合評価:4.0
イギリスには、石灰質の土壌を利用して、溝を深く掘り石灰層を露出させた地上絵が多く存在する。ウィルミントンのロングマンは、高さ70メートル・幅71メートルと西ヨーロッパ最大級。製作年は定かではないが、16世紀中頃に描かれたと考えられている。1874年に復元された。
ロングマンの足はもともと両側に開いていたが、左足を復元するとき、誤って内向きに描いてしまった。- 旅行時期
- 2012年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1日
- アクセス:
- 1.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 展示内容:
- 4.0
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投稿日 2015年02月16日
総合評価:5.0
世界一長い名前の駅。“Llanfairpwllgwyngyll-gogerychwyrndrobwll-llantysilio-gogogoch”(ランヴァイルプルグウィンギル-ゴゲリフウィルンドロブル-ランティシリオ-ゴゴゴホ)で、「聖テシリオ教会の洞窟の前の渦巻きの出来る浅瀬の近くの白いハシバミの木の近くの窪みにある聖マリア教会」を意味する。あまりに長いので、「ランヴァイル・プル」「スランフェアPG」などと略称する。
リクエスト・ストップなので、この駅で降りるには車掌に申し出る必要がある。- 旅行時期
- 2012年05月
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
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投稿日 2015年02月16日
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投稿日 2015年02月16日
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投稿日 2015年02月16日
総合評価:3.5
守江湾に突き出た台山の上に築かれ、三方を海と川に囲まれた、小さいながらも堅固な城である。杵築城を中心に、南北の高台に武家屋敷群がそびえ、その谷間に商人の町が挟まれている独特の「サンドイッチ型城下町」は、杵築城だけの特徴である。
1393年、木付頼直が築いた。主君の大友義統が文禄の役での失態のため幽閉されると、木付統直は自刃し、木付氏も滅びた。その後は前田玄以、宮部継潤、杉原長房が城主となった。
1599年には細川忠興の飛び地領となり、松井康之を城代として置いた。1632年細川家は移封となり、小笠原忠知が入った。その後1645年に松平英親が入り、明治まで続いた。
旧領回復を目指す大友義統が1600年9月9日、九州の諸大名が大兵力を関が原に送っている間隙を突き、毛利家から借りた兵とともに別府浜に上陸すると、九州各地から大友家の旧家臣たちが馳せ参じて来た。大友軍は別府の立石に陣を張り、吉弘統幸に杵築城を攻撃させた。杵築城は、城代の松井康之の手元にわずかの兵力しかなく、三の丸と二の丸が落ち、12日には本丸での攻防が始まり落城寸前となったが、黒田如水が援軍を送ったため、大友軍は立石に撤退した。- 旅行時期
- 2014年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5



























