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アリヤンさんのトラベラーページ

アリヤンさんのクチコミ(80ページ)全1,972件

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  • 夕方、フアランポーン駅前に店開きする天秤棒飲み屋

    投稿日 2007年07月06日

    バンコク

    総合評価:4.0

    暗くなると、駅前に天秤棒を担いで化粧をした若い女性が次々と現れ、地べたにゴザを敷いて何やら飲食店らしき事を始める。
    これらは庶民の一杯飲み屋。

    見ていると確かに男たちが座って何やらつまみながら酒を飲んでいる。
    以前は警察の取り締まりで禁止されていたらしいが、今は警察がすぐそばに居ても立ち退くことは無い。

    旅行時期
    2007年02月
    アクセス:
    4.0
    ファランポーン駅横
    人混みの少なさ:
    2.0
    人ごみは多い
    施設の充実度:
    1.5
    露天

  • バンコック発着の鉄道時刻表

    投稿日 2007年07月06日

    鉄道 (タイ国鉄) バンコク

    総合評価:4.0

    フアランポーン駅の構内で時刻表を配りながら外人にサービスをしている。

    この時刻表は便利なのでもらっておこう。

    それにサービス係りの女性は親切なので切符購入のヘルプに大いになるので、こちらの方もおおいに利用すれば良い。

    旅行時期
    2007年02月
    利用目的
    中・長遠距離

  • ペー族の村、喜州鎮へのローカルバス@雲南省大理

    投稿日 2007年07月06日

    大理

    総合評価:4.0

    大理古城の西城楼から少し来た寄りにあるバス停にマイクロバスがたむろしている。

    下関、(サンズイ+耳)源、胡蝶泉、などの看板をフロント・ガラスに置いてある。
    その内、胡蝶泉行きのバスが喜州鎮で降ろしてくれる。
    一人4元。

    ガイドブックにはサンズイ+耳源行きのバスで途中下車、と書いてあったのでそのバスに聞いてみたら、胡蝶泉行きのバスに乗れ、と言われた。

    胡蝶泉に行く時もこのバスに乗れば良いわけだ。

    旅行時期
    2007年05月
    利用目的
    市内・近距離
    コストパフォーマンス:
    4.5
    利便性:
    4.0
    大里古城の西城門あたりから出る

  • 大理の新市街、下関での中国ビザ取得について

    投稿日 2007年07月05日

    大理

    総合評価:4.0

    15日間ノービザで中国に入国して、新規に30日ビザを下関の公安局で取得できる。

    場所は大理古城でなく、新市街の下関(シャーカン)にある大理公安局(大理古城、博愛路から8番下関行きバスで世紀中学下車)。

    申請したその日から勘定して30日のビザが取れる。
    パスポートサイズの写真1枚、その場でくれる申請書記入して160元支払えば約20分で作ってくれる。

    旅行時期
    2005年05月

  • 大理古城でお茶を買う時の注意点。

    投稿日 2007年07月05日

    大理

    総合評価:4.0

    大理古城には多くのお茶販売店がある。
    どの店も試飲をさせてくれる。

    ある店でお茶を買った。
    試飲した時見せてくれたお茶葉は非常に良い物で味も素晴らしい。
    買う事を決定したら、店員が目の前のお茶葉の入ったビンを奥に持って行って、奥で客用の缶に小分けする。
    そのとき質の悪い茶葉にすり替えるのだ。
    宿に持って帰って飲んで初めて、試飲した時のお茶より味が悪く、見た目も明らかにグレードの低い茶葉が入っていた。

    こうした手口はどこの土産もの屋でもやっているのだろう。
    皆さん、気をつけましょう。

    なお、ワタクシの場合は緑茶の新茶だったので葉の色でよく分かるが、プーアル茶の場合は分かりにくい。

    旅行時期
    2007年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)

  • トイレ色々あれど有料でどうしてあんなに汚いの?

    投稿日 2007年07月05日

    雲南省

    総合評価:3.0

    バスで移動中、街の中で有料トイレは良く利用した。
    家内も一緒だったので、女子トイレ事情も分かった。

    雲南省では借りるトイレは大抵有料でドアなし。
    2角~1元。

    バス移動中の田舎のトイレは昔の”あふれた野壺”(昭和40年代位まで日本中の田舎の畑にもあった人糞壺で子供が時々はまった)状態。
    前にして絶句するしか、無い。
    ケド、用は足さなければナラナイ。
    どこも同じような状態。

    麗江古城の1元公衆トイレだけはマアマア綺麗。
    ホテル、客桟のトイレは殆ど洋式の水洗トイレが多く清潔。
    タマにシャガミ式あり。

    *写真のは非常にキレイな方。

    旅行時期
    2007年06月

  • 少数民族の赤ちゃんのお尻にも蒙古斑が・・・

    投稿日 2007年07月05日

    雲南省

    総合評価:4.0

    大理古城でペー族の赤ちゃんのおしりをペタペタと触っていて気が付いた。
    日本人と同じく蒙古斑がある。

    ベトナムのモン族にも、麗江の納西族にもあるではないか!
    ひょっとして中国の少数民族に共通している身体的特徴か?
    ひょっとして漢民族に押しやられた民族全てに共通するものでないか?

    もしそうなると、仮説:日本人のルーツは「中国周辺から玉突き現象で日本列島に追いやられた大陸の招集民族」?がなりたつ。
    興味深々となり、拙い中国語を駆使して出来るだけ調べて回った。
    モンゴル族しかり、イ族しかり、チベット族しかり、ミャオ族しかり、韓国人もしかり、、、
    帰国したらよく調べてみよう。

    この仮説が正しければ我々ヤマト民族のルーツの真相に辿りつける事が出来るのではないか!? 

    で、帰国後調べてみた。
    な~んだっ!有色人種全般に見られる身体的特徴、らしい。
    黒人にも見られるらしい。
    1割程度の白人にも起こる現象らしい。

    しかし、このつまらない興味のお陰で現地では少数民族の人たちをつかまえては、「あなた方の赤ちゃんのお尻には青い斑点がありますか?」「あるっ!」「私ら日本人と一緒、一緒!」っという風に変わった会話が楽しめたり、実際に赤ちゃんのお尻を見せてもらったりして異種民族間交流がはかれたことは、楽しかった。

    旅を通して、また一つ賢くなった気分となった。

    旅行時期
    2007年06月

  • 旦那さんがもう少し真面目になってくれれば、安宿トップ?@麗江 東巴(トンバ)客桟

    投稿日 2007年07月04日

    麗江

    総合評価:3.0

    全室Twin Beds. 15元/ベッド。
    2人で泊まれば30元/部屋。
    トイレ、シャワー共同。
    清潔に保たれている。

    窓から情緒豊かな川のある通りが見える。
    ネット無料。
    夫婦で経営。
    奥さん妊娠中、大きなお腹で良く働くが旦那がネット・トレーダーか?で客桟経営を真面目にやらない。
    それで設備に不具合が生じている。

    安い客桟の中では清潔で快適な方。
    トイレがスクワット式なのが難点。

    旅行時期
    2007年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    2,500円 未満
    コストパフォーマンス:
    3.0
    サービス:
    3.0
    バスルーム:
    3.0
    客室:
    3.0

  • 長期滞在を考えるカップル向け客桟@麗江

    投稿日 2007年07月04日

    麗江

    総合評価:5.0

    ツイン、温シャワー、トイレ付で一泊40元。
    中国人の旅行者で賑わう「麗江古城牡丹園客桟敷」

    満州族の李おじさんが管理人、イ族の小沙と小楊が客室係兼料理人。
    希望すれば夕食:中国東北料理が10元/1人。
    かなり美味しい。
    中庭もあり気の良いスタッフに囲まれ中国各地からやってくる観光客との交流も楽しめる。

    中国語が少し必要。
    ネット無料。

    旅行時期
    2007年06月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    2,500円 未満
    コストパフォーマンス:
    5.0
    サービス:
    5.0
    バスルーム:
    4.0
    客室:
    5.0

  • フレンチ・クオーターのモントリオールだけど、英語で通して問題なし

    投稿日 2011年08月05日

    モントリオール

    総合評価:3.0

    モントリオールは元フランスの植民地だった。
    それでモントリオールに行けばフランス語が溢れていると思っていました。

    しかし、空港でも街中でも実際はフランス語より英語の方が通じやすかった。
    ケベックでもそうかも知れないです。

    旅行時期
    2005年06月

  • 入国するツモリもないのになんでアメリカに入国しなきゃナラナイノ?

    投稿日 2007年07月17日

    シカゴ

    総合評価:4.0

    ユナイテッド航空の日本⇔北米大陸⇔欧州航路で帰路カナダ・モントリオールを目指した。
    途中アメリカ合衆国シカゴでUAからAC(カナダ航空)に乗り換えた。
    シカゴに着くと、このシカゴでカナダの入国手続きをさせられた。

    まず、何故アメリカ国内で隣国カナダの入国検査をするのか?
    指紋まで採られる。

    なんで?って思っているところに、入国カードの些細な不備を指摘された。
    「なんで、それを書かねばならないの?」っとちょっと聞いてみた。
    するとアメリカの入国審査官は、
    「ナンデモイイカラ、ワシのイウトオリにシロ!!」(You do whatever I say!)と来た。逆らっては逮捕されかねない勢いなのでその通りにした。

    その時、世界中から「嫌われるアメリカ人」の実態を見た気がした。
    ワタクシのパスポートにはその時、パキスタンのビザの跡が3,4回分あった。
    だからと言って、あんなにエラそうに高圧的にならなくても、と思うのですが。

    元々アメリカは好きではなかったのがこの事件以来もっと好きでなくなってしまった。
    その後行く機会はないが、どこも行くところが無くなったら最後に行ってみようと思う。

    旅行時期
    2005年06月

  • フレンチとイタリアンがコラボしたピザとスパゲティ。

    投稿日 2007年09月06日

    グルノーブル

    総合評価:5.0

    ピザとスパゲティは本場のイタリアでも美味しいものは滅多にお目にかかれない。
    しかし、フランス、グルノーブルのイセール川のほとりにたたずむ、自家用焼き釜を持ったプチ・レストランで食べたモノは、ワタクシの人生の中では最高に「おいしかった!!」

    ドーフィン博物館に行った後に見つけたレストランなので、Qay Perriereあたりだと思う。
    川沿いにポツポツと小さなピザ、スパゲティ屋さんが佇んでいます。

    写真の地図を参考にしてください。
    1986年に現地で購入した地図ですが、ヨーロッパの街は何十年たってもあまり変わらないので役に立つと思います。

    旅行時期
    1986年08月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    一人当たり予算
    2,000円未満
    コストパフォーマンス:
    5.0
    サービス:
    5.0
    雰囲気:
    5.0
    料理・味:
    5.0

  • ペトロパブロフスク・カムチャツキー⇒クラスノ・ヤルスク行きクラスノ航空 ツポレフ154は途中イルクーツクでストップ

    投稿日 2007年08月15日

    ペトロパブロフスクカムチャッカ

    総合評価:4.0

    ペトロパブロフスク・カムチャツキー⇒クラスノ・ヤルスク行きクラスノ航空 ツポレフ154は途中、イルクーツクで1時間ほどワン・ストップする。

    それを知らずに、飛行機がどこかに止まったので、他の乗客が皆降りて行った。
    席から動かずにいたら、乗務員が来て早く降りろ、という。
    後から降りると、向こうにターミナルが見えるのでそっちに向った。
    が、ドアを開けてくれない。
    外は−30度くらい。
    ドンドンとガラスを叩いてやっと中に入れてくれた。

    そこはイルクーツクのトランジットルーム。
    言葉が分からない、事情を知らないことは恐ろしい。

    旅行時期
    2005年03月
    利用目的
    中・長遠距離

  • 冬のペトロパブロフスク・カムチャツキーのブリザードは時間が経てばおさまる。

    投稿日 2007年08月15日

    ペトロパブロフスクカムチャッカ

    総合評価:4.5

    3月の寒さ厳しいとき、ペトロパブロフスク・カムチャツキー⇒クラスノ・ヤルスク行きクラスノ航空 ツポレフ154に乗ろうとしたが、外はブリザードで一寸先はホワイトアウト。

    しかしこれは砂漠の砂嵐に似ており、時間が経てばウソのように収まる。
    この日のフライトを逃せば1週間、ここペトロに閉じ込められる(週1便)。
    無理して外に出たが、スーツケースが風で飛ばされるほど強いブリザード。
    でもあきらめず、空港にタクシー運チャンを励ましてブリザードを強行突破。

    案の上、空港で待っている間にブリザードは収まり、我がフライトは飛んだ。
    −30度近いブリザードとの戦いだったが、アラビアのサンド・ストーム(砂嵐)も極北のブリザードも「時間がたてば通り過ぎる」ということが証明された。

    旅行時期
    2005年03月
    利用目的
    空港-市内間の移動

  • ソビエチックに聳えるホテル・ウクライナ

    投稿日 2007年08月15日

    ラディソン コレクション ホテル モスクワ モスクワ

    総合評価:4.0

    ソビエチックに聳える、スターリン洋式?を味わいたいのなら、このホテル・ウクライナがピカ一。

    値段は一泊200ドル近く、建物同様高い。
    立地は少し不便なところで、周りには何も無い。
    モスクワ川クルーズ乗り場が近いのと、メッセ会場(展覧会会場)が近いのがポイントか。

    街の中心に出るには、ホテル前にタムロしている雲助タクシーに頼るしかない。

    旅行時期
    2005年08月
    利用目的
    ビジネス
    利用した際の同行者
    友人
    1人1泊予算
    30,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    2.0
    サービス:
    3.0
    バスルーム:
    3.5
    ロケーション:
    4.0
    客室:
    3.0

  • 赤の広場の詐欺師たち

    投稿日 2007年08月15日

    モスクワ

    総合評価:4.0

    赤の広場を散策しているとよく出会う。

    歩いていると、目の前の石畳に輪ゴムで巻いたドル札たば(小額と思う)が落とされた。それは通りがかりの若いニイちゃんが落としたもの。
    アレッ!?と思っていると、すぐに違うニイちゃんがそれを拾って何かロシア語で話しかけてくる。
    ガイドブックのどこかに、このタイプの話が書かれてあったのを思い出した。

    こうしたヤカラには、兎に角無視をすること。
    相手にしてはイケナイ。

    それ以来、街のアチコチで何回かこうした手口のアプローチに出会った。
    ひどいときは、札束を拾って話しかけてくるニイちゃんがしつこく付いて来る。
    どうしても離れないので、急に踵を翻して反対方向に向きを変えて歩いた。
    さすが相手も面食らったのか付いて来なかった。
    この手の詐欺に最後まで付き合ったことがないのだが、恐らく「この拾ったお金を山分けしよう。これがあなたの取り分、早く財布に入れろ」とか言って財布をだした所を見計らってその財布を盗る?

    旅行時期
    2005年08月

  • サウジアラビアで活躍する経済人の多くはイエメン人

    投稿日 2007年09月04日

    ジェッダ

    総合評価:4.5

    アルカイダのドン、オーサマ・ビン・ラーデンがサウジアラビアに帰化したイエメン人であることは有名だが、実際には経済界で活躍している多くの一族はイエメン人であることが多い。
    それも南イエメンの「ハドロモート」地方出身者である。
    銀行、建築業、鉱工業、商業とその活躍の範囲は広い。
    かつての腕利き石油相、ヤマニ元石油相もイエメン人オリジナルだ。

    14−5世紀頃からサウジに流れてきたイエメン商人の末裔と考えられる。
    イエメンが北と南(社会主義国)に分かれた際にも、その多くが難民としてサウジアラビアに流れた。
    イラクのクウェート侵攻の際に、イラク支持を当時の北イエメンがした事により、それまでサウジアラビアに出稼ぎに出ていた100万人以上のイエメン人が追い出されたことがあった。
    それほどイエメンとサウジは密接な関係にある。

    サウジアラビアの商人に会えば一度聞いてみると分かると思うが、10人中半分以上はイエメンのハドロモート地方出身者だろう。

    写真はサウジアラビアで活躍するハドローミ(ハドロモート出身者)たちの顔です。

    旅行時期
    2000年08月

  • オマーン人はインド人との混血ではないか?

    投稿日 2007年09月04日

    マスカット

    総合評価:4.0

    オマーン人と会うたびに同じアラビア人でもお隣のドバイやサウジアラビアのアラビア人との違いを思う。
    オマーン人顔姿の特徴はどことなくインド人に似ている。これは全くのワタクシの自説ですけど、「古い時代からオマーン海岸に定住したアラブ人は外来のインド人と交じり合ったのでオマーン人はインド系アラブ人の風貌をしている」と思っています。
    インダス文明とメソポタミア文明はインド洋、アラビア海を経由して交易があったことはバーレンやクウェートのファイラカ島の遺跡発掘で証明されています。さらにインダス文明はエジプト古代文明とも交易があったのではないか?と考えられています。インダス文明人たちは、オマーン沿岸を経由してアフリカ東岸(紅海入り口付近)まで古くから到達していたと言われています。オマーン海岸に中継地を見つけ当然そこにインダス人は居住したでしょう。その時にインド人(ドラビダ系?)とアラビア人の混血が始まった!?のではないか?と思っています。
    ワタクシ、かつてお仕事でアラビア半島と20年以上のお付き合いをし、オマーンに何度も足を運んだ経験から、こうした自説にたどり着いたワケです。
    オマーンに行った際には注意深くオマーン人の風貌を観察してみてください。

    旅行時期
    2000年09月

  • JALが運行していたクウェート⇔バクダード間のバスがあった。

    投稿日 2007年09月04日

    バグダッド

    総合評価:4.5

    1983年当時、イラン・イラク戦争の最中だった。
    当時、JALは南回り航路でクウェートに飛んでいた。

    イラン・イラク戦争の煽りで、クウェート・バグダード間の空路がストップ状態になっていたが、当時クウェートには約2000人もの邦人が居住していた。
    (現在のドバイのような存在だった)
    よって、バグダードには商用でどうしても行かねばならない邦人関係者が多く居たのだ。それで、クウェートのJALはバグダードまで:都合600km、計12時間の日本人専用のビジネス・バスを仕立てていた。
    このバスでワタクシはバグダードに出張してエライ目にあったことがある。
    おかげで、バグダードの街は非常に詳しい一人となった。

    また第1次湾岸戦争時には、クウェートの邦人がバグダードに連行されて、対米軍攻撃の盾にされたりした。

    ワタクシがこのバスでバグダード入りした時、一人の商社マンがフセインの秘密警察のワナに引っかかり投獄されていた。
    (後日「バグダッド憂囚 商社マン・獄中の608日」新潮社 という本で明らかにされた)。
    革命評議会本部に呼び出されたまでは同じだった(そこに行く方法が全く違っていた。彼は拉致されて連れ込まれた。当方はタクシーで自分で出頭した)が、その後の経過はワタクシの場合は全く違ってラッキーにも被害は軽微だった。
    今は昔の話となりイラクに行く一般人はもう居ませんが、独裁イスラム・社会主義国だったフセインさんには多大な迷惑を被った、日本のビジネス・マンが居たわけです。
    ワタクシの事件以来、しばらくしてJALはこのバスの運行を取りやめました。

    旅行時期
    1983年03月
    利用目的
    中・長遠距離

  • 小さな島のスイーツ・ウオーターでる井戸@バーレーン

    投稿日 2007年09月06日

    バーレーン

    総合評価:4.5

    バーレーンはペルシャ湾に浮かぶ小さな島。

    その内陸には、驚く事に真水の湧く大きな泉がある。
    クウェート駐在を終えて、帰国途中に家族で立ち寄った際に、このアダリ・プールと盛り土の小山が一杯広がる古代の遺跡を見て回った。

    仕事では何度も訪問したことがあるが、首都マナーマの街中しか知らなかった。

    実はバーレーンは古代、インダス文明とメソポタミヤ文明の交易の重要な拠点だったのだ。
    実際メソポタミヤの楔型文字に「ディルムン」と称されて海洋交易の拠点であったらしい。
    古代でもこの井戸の果たした役割は大きかったようだ。

    ワレワレが井戸を訪れたとき、近所の子供達が飛び込んだりして水浴びをしていた。
    また盛り土の小山群はお墓のようでもあるが、何であるかはまだよく分かっていないらしい。

    (写真は当時の地図にあったパンフレットより)

    旅行時期
    1988年03月
    利用した際の同行者
    乳幼児連れ家族旅行
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    4.5
    小さい島ですのでタクシーですぐ

アリヤンさん

アリヤンさん 写真

46国・地域渡航

11都道府県訪問

アリヤンさんにとって旅行とは

「安く・楽しく・快適に、ユーラシア大陸を自由自在に行き来すること」

約45年前のロンドンとパリに約4年間住んでいたことがあります。
遊学の終わりに、ヒッピーロードをたどってユーラシア大陸を横断。
ロンドンとパリと大陸横断の青春以来;
「いつかまた、ユーラシア大陸を快適に横断できるルートを見極め、アジア⇔ヨーロッパを自由自在に楽しい旅をしたい!」
と思うようになりました。

遅ればせながら高度経済成長期の日本社会に参加し、約十数年前に日本製品輸出営業戦士から早目にリタイア。
その後、かわいいマゴたちの相手をしながら、忙しい合間をぬって、できるだけ毎年旅をしてきました。
リタイア後は、毎回パートナーと一緒の珍道中でした。

そのうちで最高の旅は「ユーラシア大陸往復横断の旅」でした。
パートナーと合わせて当時約140才の「ユーラシア横断」BPカップルは本邦最高ではなかったかな?
「予定は未定」の格言?通り、ことは予定どおり運ばず「地獄の○○」を味わいながらも、中国・中央アジア・コーカサスのシルクロードをくぐり抜け、ヨーロッパまで到達。
帰りは、トルコ・イラン・ドバイ・コロンボを伝ってアジアに帰着しました。
それでわが人生でユーラシア横断合計3度、達成できた。
すべてバックパック旅行でした。

事情ありここ数年は海外旅行を封印しております。
正直いえば「もう普通の行き方で行きたいところはもうない」状態なのですが。
でもあらたな夢が出てきました。

自転車で「ユーラシア横断」です。
全く新しいルートをバーチャルに体験済みです。
気力はあります!
あとは体力と相応の自転車です。

ボチボチと近所を自転車で回っているこの頃です。

自分を客観的にみた第一印象

自宅浪人時代に読んだ「宮本武蔵」吉川英治にあった「わがことに後悔せず!」との言葉に感銘を受けて以来、常に「わがことに後悔せず!」をモットーとしています。
ロンパリ数年⇒ユーラシア横断旅行⇒大学復帰⇒結婚・子育て・世界の危険地帯専門要員商社員⇒早期退職年金暮らし+ユーラシア夫婦BP旅行⇒子ども支援ボランティア+マゴたちの頼りになるジイジ、に専念。
環境のどんな変化にも「わがことに後悔せず!」で次なる夢をみる「団塊の世代」のヒトリです。

見た目、優しそうで穏やかさん。
一旦火がついたらISも恐れる??
アラブ風「目には目」的激しさがでてしまう、ただの頑固な日本の老人(アラ・セブン)です。

大好きな場所

フランスの田舎
ラオスの山奥
ヨーロッパの田舎
アンコール・ワット遺跡群とシェムリアップ
キルギスタン

大好きな理由

フランスのパリはわが青春のふるさと。
ラオスの山奥=古きよき時代の日本の里山がある。
ヨーロッパ:歴史も人々も、ふところが深い。
アンコール:その遺跡が多すぎて、1回の訪問では終わらない。あまりにも素晴らしい!
キルギスタン=森と泉の大きなシルクロード・オアシスそのものだから。

行ってみたい場所

キルギスタンのアールスラン・ボブ(世界最大のクルミの森がある)とソンコル湖周辺。
フランスの大変な田舎。
モヘンジョ・ダロとハラッパ。
そして、サンチャゴ・デ・コンポステーラの巡礼道。
すべてを自転車で走りたい!
「ユーラシア大陸自由自在」の完結を目指して!

現在46の国と地域に訪問しています

拡大ボタンを押すと地図が
動かせます。

現在11都道府県に訪問しています