1991/08/30 - 1991/11/03
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kojikojiさん
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1年間の広告代理店への出向が終わりを迎え、計算すると1年間で18日しか休んでいませんでした。会社に戻る際に休日出勤の申請をしたら3か月休めることになりました。ところが会社から日曜と祭日だけしか認めないと言われ、予定を変更して約2か月の1人旅を敢行することにしました。ルートとしては当時一番安かった大韓航空で金浦空港経由でウィーンに入り、8月末にウィーン南駅を出発して、イタリアを1か月周遊して、2週間スイスを周り、10月下旬にウィーン西駅に戻ってくるというコースにしました。イタリア縦断とスイス周遊52日間の旅は夜行列車でヴェネツィアへ入るところから始まりました。クシェットの同室はイタリア人の女の子2人と池袋の西口にある大学の卒業旅行の女子学生3人連れでした。2週間ほどヨーロッパを周ってきたという3人のうちの1人は寝言で「だから私が聞いているでしょ!」とうなされていました。多分その子がホテルの交渉やらレストランの注文とか切符を買ったりとか任されていたのでしょう。それがストレスになっての寝言だったのではと思いました。駅で彼女たちと別れて表に出るとすぐにホテルの客引きのおじさんに声を掛けられました。この日は9月の第1日曜日でヴェネツィアのカナル・グランデのレガッタ・ストリーカの開催日です。これを目指しての計画でしたが宿の心配がありました。値段を聞いて部屋を見せてもらいましたが、当時のレートで35,000リラと3,000円ほどでした。駅前の通りを少し左に歩いた「ホテル・アドア」は家族経営の小さな宿で、3,000円程の宿泊費は魅力だったので荷をほどきました。
早速昼から始まるレガッタを何処で観るか歩き回って、魚市場の観覧席に落ち着きました。観覧席にしたのは正解で目の前を中世の船に中世の衣装を着た人が行き交う姿には感動しました。特に観客から歓声と拍手が上がるとそれに応えてオールを立てる姿は誇らしげでした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 タクシー ヒッチハイク 徒歩
- 航空会社
- 大韓航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ウィーン南駅を深夜に出発して翌朝にヴェネツィアに到着しました。メストレ駅を出て最後の鉄橋を朝日の中に渡るというのが目的でした。この後の旅では飛行機で美しい町並みを空から眺めながら到着するのが好きになりましたが、この時は鉄橋からの眺めに感激しました。
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朝日が海面に反射して町がシルエットに浮かび、それはそれは綺麗でした。
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ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅です。このとき以降何度ここに到着して何度ここから旅立ったでしょうか。思い出深い駅の1つです。9月の第1日曜にはレガッタ・ストリーカのお祭りの日ですが、午前9時過ぎでまだ混み合ってはいません。
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駅前の橋には「レガッタ・ストーリカ(Regata Storica)」の横断幕がかかっています。駅前で声を掛けられた「ホテル・アドア」の主人について部屋を確保してから町歩きに出ました。祭りの日に部屋が獲れるかが心配だったので一安心です。
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市場の傍に瀟洒なレストランがありました。橋を渡って店に入るシュチュエーションも素敵です。この時は1人旅で入りませんでしたが、その後の3回の旅行では必ず訪れています。入って左側の暖炉のある小さな部屋がお気に入りです。
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この後の昼からお祭りだというのに市場ではこれから船の飾り付けが始まるようです。普段は混み合っている市場もガラガラです。
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この人たちは八百屋のおじさんたちです。市場には観覧席が設けてあったのでチケットを買っておきました。席は自由席でしたが運河沿いのよい場所は早い時間から押さえられているか観覧席が組み立てられていました。
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時間があるのでリアルト橋を経由してサンマルコ広場に行ってみます。これはリアルト橋の上から大運河を眺めた所です。この橋も何度渡った事でしょう。
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途中には小さな迷路のような道を通りますが、「PER SAN MARCO」と矢印の看板が出ているので迷うことはありません。
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サンマルコ広場に到着です。ここは凄い人でしたが、いつでもそうですね。
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サンマルコ寺院は一部修復中でした。内陣の黄金のモザイクは圧巻でした。往時のヴェネツィアの隆盛を感じない訳にはいきません。
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大運河を出て視界が広がったこの辺りの風景が好きです。
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本当にどこを切り取ってもヴェネツィアは絵になります。
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そろそろ市場に戻りましょう。運河の良い場所には足場を組んだ立派な観覧席が設けてあります。ここは特に立派なので市長とか偉いさんの席のようでした。
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最初に子供のゴンドラが何艘か行き交います。サンマルコに沖合いに船が集結して駅のあるローマ広場まで遡って、また下ってくるルートのようです。午後2時にお祭りが始まるとヴァポレット(水上バス)も運行を停止します。
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それだけでも美しいヴェネツィアの運河を中世の衣装を着た手漕ぎの船が通過していくのです。
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この船が一番格式の高い船のようです。船首にはヴェネツィアを表す黄金のサン・マルコの姿の真紅の旗が掲げられ、ラッパを吹きながら進んでいきます。
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周囲から歓声が上がり拍手があると漕手は全員でオールをまっすぐ上に掲げてそれに応えます。
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この船のパレードは歴史行列(コルテオ・ストーリコcorteo storico)といい、1489年にキプロス王に嫁いだカテリーナ・コルナーロの帰還の歓迎パレードを再現しているものです。おかげで3度目のヴェネツィアの旅ではフェリーを乗り継いでキプロス島まで行きました。
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午前中の市場のおじさんたちもやってきました。何とか飾り付けは間にあったようです。必ず往復するのでシャッターチャンスは2回あります。
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この後も何度もヴェネツィアには来ていますが、この時ほどの印象はありません。逆にこの時の思い出が強いので何度も訪れているのかもしれません。
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有名な高級ホテルが協賛しているのか運営しているのか分かりませんが、そんな船もたくさんあります。
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華やかな船のパレードとして大変に見応えがあるものです。15世紀当時の衣装を身にまとった貴族に扮した人々が、その当時の船に乗ってサンマルコ湾からカナル・グランデを行列します。
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現在もゴンドラを作っているヴェネツィアなので、中世の船の造りも本格的です。16世紀の初めころからは船首のバウスプリットの根元の下部に船名に関係ある像を取り付ける習慣がフランスあたりから始まります。
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この年のお祭りの女王でしょうか?観客に手を振りながら進んでいきます。
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これはホテル・ダニエリの船だったと思います。宿泊していないので分かりませんがホテル従業員の制服のようにも見えます。
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これだけの船を維持管理するのも大変なことだと思います。ヴェネツィアというとカーニバルが有名ですが、この当時日本ではほとんど知られていない祭りだったと思います。
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周囲から拍手が沸き起こると漕ぎ手はオールを立てて応えます。その場にいると感動します。
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こんな長いオールをうまく操るものだと感心します。
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パレードが終わると一時静かになります。そのうちにスピーカーから放送が流れます。「ウーノ!ビアンコ!セコンダ!マルーン!」「ロッソ!ブルー!」何だろうと思っているとレガッタレースでした。8色のボートが大運河を往復して順位を競います。
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目の前を過ぎてゆくので、スピードの出ない手漕ぎでも迫力は感じました。
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レースは少年の部と若者の部、女性の部とカオルリーナ(caorlina)という6人乗りのボートの部、ゴンドリーノ(gondolino)というゴンドラを改良したボートの部などに分かれています。
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そして一夜明けるといつものような月曜日がやってきます。あれだけいた観光客の姿も激減しています。中国の人がまだ海外旅行に出ていない頃にヨーロッパを旅で来てよかったと思う事があります。
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サンマルコ広場の鐘楼に登ってみました。ここの塔にはエレベーターがあったのが間違えで、他の都市の塔にもエレベーターがあると思い込んでいました。これ以降ボローニャやシエナなど幾つもの塔で苦しい目に逢いました。
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ここからの景色は本当に美しいと思います。遠くにリド島が霞んでいます。3回目以降はヴェネツィア本島に泊まる事は無くなり、リドのお屋敷ホテルに滞在しています。値段が全然違う上にロケーションも静かで落ち着きます。ヴァポレット乗り場も近いのでサンマルコまで15分、リアルト橋までも30分ほどで出られます。
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溜息橋です。左のドゥカーレ宮殿の尋問室と右手の古い牢獄を結んでいる橋は囚人が投獄される前に見るヴェネツィアの最後の景色だったそうです。
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サン・マルコ広場からヴァポレットでムラーノ島にも行きました。船の中で大阪の女性と知り合い一緒に観光してお昼も食べました。5年か6年経ってから手紙をいただき、銀座で写真の個展を開くというので会いに行きました。イエメンで撮り溜めた作品でしたが、凄いバイタリティのある方でした。
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ムラーノ島でヴァポレットを降りるとおじさんがいて、さぁさぁどうぞと案内されて着いて行くとガラス工房でした。実演で馬を造るところを見せてもらうとギャラリーでセールスでした。我々2人はお金を持っていなさそうだったのか勧められませんでした。この当時のガイドブックには高い物を買わされたとか送ってこないなどの苦情がたくさん載っていましたがこれでは被害に遭いようもありません。
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ムラーノ島はのんびりした所でした。運河沿いの店のテラスで一緒に食事をしてヴァポレットで本島に戻り、サンマルコ広場でお別れして駅まで戻ります。
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夕食の後はすることも無く夜景の写真を撮りに行きました。と言いながら三脚も無いのでほとんど手振れ状態です。
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夜景の写真はデジタルになって簡単に撮れるようになりましたが、この当時は素人が撮るには大変でした。
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サンマルコ広場までは毎晩のように何度も歩いたものです。
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通過するゴンドラなんてこの有様ですが、個人的には揺らいでいるのも好きです。
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市場のレストランの「ポステ・ヴェッキオ(古い郵便局)」の名前の由来は分かりませんが、ここでの食事は次に来る4年後までお預けです。
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