2022/06/23 - 2022/06/23
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kojikojiさん
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- フォロワー151人
札幌5日目です。早いもので翌日から4日間は小樽と余市の観光になります。今回の旅を計画していてトリップアドバイザーで偶然見つけたのが「北海道開拓の村」でした。それまでこんな施設があるとは思いもしませんでした。昨年の6月に名古屋から仙台を経由して苫小牧まで太平洋フェリーを利用しましたが、名古屋に戻ってから「明治村」に行きました。大きくがフランク・ロイド・ライトの帝国ホテルの建物が見たかったのですが、明治時代の建築の美しさには哀愁を感じるので旅先では訪ね歩くようにしています。また、アイヌの文化についても改めて学ぶようになり、北海道の開拓使についても興味を持っていました。その全てを兼ね備えたような施設を知らなかった訳です。調べてみると広大な施設に建物が点在しているので1日かけて見学することにしました。よく妻も許してくれたと思います。実際は5時間くらいで切り上げましたが勉強になりました。この日は時々霧雨が降るような天気でしたが、かえって風情が感じられて建物が生き返ったように思えました。平日で天気も良くなかったので訪れる人も少なく明治時代の歴史の中に身を置けた気がしました。これも知らなかったのですが「ゴールデンカムイ」の聖地でもあるようで、若い人の姿もありました。昨年の釧路や摩周湖、ウポポイの旅でアイヌ文化に触れることもあり、「ゴールデンカムイ」は読まなくてはと思っていたのですがそのままになっていました。仕事柄建築的な興味から見学したので、旅行記は3つに分かれてしまいそうです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー ANAグループ JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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札幌の滞在も5日目になりました。朝ご飯は「ノーザンテラスダイナー」が続いています。
ノーザンテラスダイナー グルメ・レストラン
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今日は4階の「環楽」の和定食を1階でいただくことにします。メニューは初日に食べたものと同じですが、いい素材でしっかり作られているのでとても美味しいです。だし醤油で一度漬けたホッケや煮物は絶品です。
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デザートはホテル特製のアップルパイとパウンドケーキです。
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ホテルの地下1階からチカホに出ます。札幌市のメインストリートである札幌駅前通りの真下を通り、地下鉄南北線さっぽろ駅と大通駅の間の約520メートルをつなぐ地下空間です。
大通駅 駅
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地下鉄大通駅から東西線で新さっぽろ駅まで移動します。ほっかいどうのJRもバスも地下鉄もスイカが使えるので東京在住でもストレスなく移動できます。新さっぽろ駅には予定より30分ほど早く着いたので、連絡するバスの待ち時間がもったいないのでタクシーで移動しました。
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長い階段の前でタクシーから降ろされて妻は絶句しています。右手にはスロープがありますが、かなり遠回りになるので頑張って登ってもらいました。
北海道開拓の村 美術館・博物館
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今回の旅行の計画を立てていて初めて存在を知った「北海道開拓の村」です。昭和42年の1967年に北海道百年記念事業の一環として北海道開拓記念建造物を移設しての野外博物館構想が決定され、昭和58年の1983年に開村されています。
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外観を再現した「旧札幌停車場」が開拓の村のエントランスになっています。元々は明治41年の1908年に建てられた建物です。入場料は大人800円でしたが、65歳以上は無料なので1人分助かりました。コインロッカーに荷物を預けて身軽になって見学に移ります。
旧札幌停車場 名所・史跡
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白と緑の組み合わせが美しい「旧浦河支庁庁舎」の前と「旧ソーケシュオマベツ駅逓所」の前を結んでいる「馬車鉄道」が見えました。
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妻は迷いもなく「馬車鉄道」に乗ってしまいます。一番奥まで行って、戻って来ることに決めたようです。妻の入場料は無料でしたが、この「馬車鉄道」は1人250円なので500円を車掌さんにお渡しします。
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馬車を曳く輓馬(ばんば)は「道産子(どさんこ)」と呼ばれる日本在来種のようです。馬体につけられた鈴は馬がどこにいるか知らせるためのものです。開拓時代の名残を感じさせるシャンシャンという爽やかな鈴の音がたまりません。
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スタンバイ出来ました。線路の間は輓馬が歩きやすいように土になっています。冬季間は積雪のために代わりに馬ソリが運行されるそうです。線路の総延長は516メートルあり、途中は一部複線となっています。閑散期は1車両が往復していますが、繁忙期は2台の馬車が入れ違うためのものです。
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軌間はかつての札幌の馬車鉄道と同じ762ミリで軌条(レール)は15kg/mのものを使用しています。客車は昭和57年の1982年に日本車輌製造で製造されたものが2両用意されており、札幌馬車鉄道で使用されていたものを見本として製作されているそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=hhAb29BTB_g -
「旧ソーケシュオマベツ駅逓所」前には特に停留所もありません。ここで輓馬は車両から外されます。
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そして最後尾に回ります。時刻表を見ると1日に9往復しているようです。
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お客の乗っていない車両を牽いて「旧浦河支庁庁舎」へ戻っていきました。平日の午前10時前では広大な敷地にお客は20人もいなかったと思います。
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「旧若狭家たたみ倉」
たたみ倉は主に道南の上ノ国(かみのくに)町周辺においてみられました。倉は長方形の角材を積み上げて外壁を作り、屋根を乗せた校倉造りで、北海道の建物としては特殊な構造だそうです。漁家や農家が家具や調度品、漁具や農具を収納しました。 -
「旧ソーケシュオマベツ駅逓所」
駅逓では人や荷物の運搬や農作業に馬が使われたので、建物として厩舎(馬小屋)が設けられていました。この駅逓では明治44年の1911年頃に50町歩(50ヘクタール)の牧場と8頭の官馬を持っていました。厩舎は大正4年の1915年に建てられました。 -
「旧ソーケシュオマベツ駅逓所(厩舎)」
馬夫休憩所は馬が病気の時などに馬夫が寝泊まりするのに使われました。 -
厩舎の中には通路を挟んで馬房と飼育室と産室が向かい合わせに並んでいます。
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飼料は主に燕麦だったようですが、豆の殻なども食べさせました。馬房の敷き藁は常に取り替えられ、清潔に保たれました。汚れた藁は外に積まれ、堆肥として使われました。馬の種類は当初は土産馬が中心でしたが、馬種の改良が行われて中間種のトロッター種が多く使われるようになります。馬の扱いについては常に注意保護し、苛酷な扱いをしないなど規定が定められていました。
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それぞれの建物にはこのような案内板が設けられているので建物の平面図が確認できます。それ以外にも補佐的なキャプションも置かれてあります。
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明治28年の1895年に国は北海道の開拓を進めるうえで「関雪駅逓所」の制度を定め、物資輸送の継立や宿泊施設を必要とする場所に駅逓を設置し、交通網の整備を始めます。駅逓所で業務を行う取扱人や駅舎や畑地、牧場や馬は国の費用で賄われました。道内に設置された駅逓所は延べ517か所、千島にも41か所に及びましたが、鉄道などの交通機関の発達に伴い、昭和22年の1947年に全廃されます。現在も洞内には20棟ほどの建物が残っているそうです。その多くは倉庫として使われているようです。
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駅逓所の内部は客室と取扱人室と使用人室に分かれています。燈室には各部屋に配るランプが置かれてありました。台所の大きな囲炉裏は草鞋履きのまま入れるようになっていて、人が談笑する場所でもありました。内部には大正末期の駅逓の様子が設えてあります。ここだけ人形が話している声が流れていました。富山から馴染みの薬売るがやってきたようです。
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ソーケシュオマベツ駅逓所の取扱人は水沼菊三郎でしたが、明治44年の1911年に真狩村収入役を勤めた長屋國太郎に引き継がれます。
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「旧田村家北誠館蚕種製造所」
蚕種製造所は絹糸の原料となる蚕の卵(蚕種)をとる建物でした。浦臼村の養蚕伝習所教師であった田村忠誠が当時模範とされていた東京蚕業試験場の蚕室を参考に明治34年の1901年に建築したものです。ここでは蚕種の製造販売を行うかたわら、多くの技術者を養成しました。 -
100年以上前の建物ですが、先を歩く妻の大きさと比べてもとても大きいことに驚かされます。
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昔の小学校くらいの大きさがありそうです。礼文島で見た「北のカナリアたち」のロケで移築された「麗端小学校岬分校」よりはるかに大きいです。
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父の生まれた埼玉の家は大きな農家だったので養蚕も行っていました。その家の蔵の中に置かれてあったのと同じような道具が並んでいます。足踏み座繰機(あしぶみざぐりき) も残っていた記憶があります。父が糸枠だけ残していたことを思い出しました。
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蚕の飼育から産たまごまでの作業は室内温度を一定に保つため1階の各作業室には炉が設けられ、天井には開口部が取り付けてあります。蚕の巣(蔟/まぶし)から繭をかきとる時期は巣を作り始めてから7日目ゴロで、蚕のさなぎはさらに10日目に羽化して蛾になります。それまでに種繭の選別、繭の端切り、雄雌を分けて蚕箱に入れる作業をします。発蛾は毎朝行われ、交配後に台紙を框を置いて産卵させます。蚕紙の上に置かれたブリキ製の枠の数が明治の養蚕の力強さを感じさせます。
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子供の頃に家族で中山道から木曾路を歩き、馬籠宿で島崎藤村の生家に立ち寄りました。その後で養蚕農家で休憩させてもらい、兄弟3人で1匹づつ蚕をいただいたことがあります。家で育てたら繭を作り、しばらくしたら真っ白い蛾になりました。卵も産んだのですが、夏休みも終わりそのままにしてしまいました。
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「旧農商務省滝川種羊場機械庫」
この建物は農商務省の技師が北欧の建築様式を取り入れて設計した農業機械庫で、大正中期に建築された種羊場の代表的な施設です。基礎には自然石を積み、小屋組みは洋風構造のキングポスト・トラス組で、建物の左右には下屋が設けられています。 -
この建物ではメリノー種やサウスダウン種など約750頭の緬羊を試験飼育していました。この機械庫には緬羊の飼料となる牧草の栽培に使用するヘイモーアー、ヘイテッダー、ヘイレーキなどの大型農機具が収納されていました。
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キングポスト・トラス組(真束組)は中央に真束と呼ばれる支柱の立てている形式を呼びます。表から見ると感じませんが、建物の中から見ると日本の建築様式ではないことに気づきます。
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トラクターは農作業の機械やトレーラーを牽引する動力車で、大正4年委最初の営農トラクターがアメリカから輸入されます。当初の機種はホルトやケース、マコ―ミックなどで、各種の作業機とともに種畜場や大農場へ導入されました。昭和20年代には国産のクボタやシバウラなどの耕耘機が開発されます。
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「フォードソンメジャー ディーゼル51.8馬力/アメリカ」
ここのキャプションにはイギリスとありましたが、フォードが設立したフォード & ソン社なのでアメリカの会社です。ボディに手書きされた「北海道立農業大学校」の文字がかっこいいです。
https://www.youtube.com/watch?v=yGhL6U_-rO4 -
「マコ―ミック デーリング スタンダード20馬力/アメリカ」
昭和初期のトラクターです。 -
「マッセイ・ハリス ぺーサーNo,16 13馬力/カナダ」
マッセイ・ハリスの歴史は、1847年にダニエル・マッセイが、カナダのオンタリオ州のニューカッスルで創業したことに始まります。この車体は昭和30年代に清里で使われたものです。 -
「フォードソンF型 23馬力/アメリカ」
https://www.youtube.com/watch?v=Bf4IrllGsr4 -
「マッセイ・ハリス ペイサー/カナダ」
マッセイ・ハリス社は世界における収穫機のリーダーとして第2世紀に入ろうとしている一方で、ハリー・ファーガソン社はたった15年で世界のトラクターをリードしていました。この2社は1953年に合併され、マッセイ・ハリス・ファーガソン社となり、それから5年後にマッセイ・ファーガソン社となります。
https://www.youtube.com/watch?v=9y-4Ryk1JDI -
「クボタディーゼルT15型 15馬力/日本」
昭和30年代に中富良野で使われていたトラクターです。歴史ある美しいトラクターを眺めていたら、スリランカを旅したときに見た1台を思い出しました。 -
スリランカで見たのは「ポルシェ Allgaier Model A111 of 1954 」です。1950年代のトラクターの丸みを帯びたデザインはとても美しいと思います。
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「旧小川家酪農畜舎」
この畜舎は大正末期に札幌農学校出身の小川三策がアメリカから取り寄せた設計図を参考に建築したもので、19世紀のアメリカで発達したバルーンフレーム構造が特徴です。 -
アメリカでは1830年代から釘の大量生産が可能となり、機械で製材した2インチに4インチの規格材を枘(ほぞ)を用いず釘打ちだけで組立ててゆく工法です。開拓の村ではこの建物が純粋に日本らしさを感じない建物でした。
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軟石(溶結凝灰岩)のサイロは昭和8年に同庁で発行された設計書を基に再現されています。
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内部は北海道で酪農業が盛んになった大正末期の牛舎を再現しています。古い時代の輸送用のミルク缶が懐かしさを感じさせます。木製の孤輪車が時代を感じさせます。
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当時の牛の寝床は牛房と呼ばれ、ここでは通路の左に9頭、右奥に3頭を搾乳牛と育成牛につないで分けました。リアルなホルスタインが置かれてありました。以前の旅で宗谷バスのバスガイドさんが「ホルスタインの体の色は白と黒に分かれていますが、必ず白いか所が5か所あります。4本の脚とお腹です。」と教えてもらったことを思い出しました。
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牛飼いは乳牛の腹の下に入り、手しぼりでバケツに搾乳しました。朝夕の2回の搾乳は酪農家の作業の中心でした。乳の脂肪分は搾り進むにつれて濃くなるので、濃厚な乳が残らないように最後の1滴まで搾ることが必要でした。高品質の牛乳を得ることと乳牛の病気を防ぐためにも重要だったそうです。
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右側の手前には仔牛室があり、こちらにもリアルな仔牛がいました。
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手しぼりでバケツに搾乳した生乳は綿布で漉され、輸送缶に詰め直し冷却されました。敷き藁や糞はマニュアフォークで孤輪車に積んで舎外に積みました。
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「旧樋口家農家住宅」
樋口家は富山県から移住した水田農家で、明治26年の1893年に入植し、5年でこの家を建てています。富山出身の棟梁に建築を依頼し、郷里の建築様式であるワクノウチ造りを取り入れています。材料の木材は近くの原生林から切り出しました。 -
農家の前庭にはこのような井戸が再現されていました。
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お客は表玄関から続く広間に案内され、家人はこの土間のある裏玄関から出入りしました。
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土間の奥には台所があり、板の間に囲炉裏が切ってあります。その奥には板の間の流しが続いています。
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台所の右にはダシヤと呼ばれる倉庫があり、味噌や漬物、農具などを収納するのに使われました。また玄関は北側に設けることが多かったそうです。
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ワクノウチとは富山県の伝統的民家にも多く使われた伝統構法で、太い柱とそれを繋ぐ「差し鴨居」と「梁」、さらには「貫(ヌキ)」が何本も横に通された伝統的木組みによって構成されます。15畳の広間にも囲炉裏が切ってあります。
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さらに奥には10畳の仏間と8畳の和室があります。大正時代の水田農家の暮らしが再現されていますが、入植して5年でこの住宅が持てるのであれば本州の農家の次男三男は北海道を目指したのではないでしょうか。
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「旧信濃神社」
札幌市厚別区にあった神社で、旧所在地は長野県の諏訪地方の出身者が多かったそうです。信濃開墾地と呼ばれ、神社を建立するにあたって郷里の諏訪大明神の御分霊をいただき、信濃神社としました。 -
間口が2本の柱で構成される「一間社流造」という様式です。現在は使われていない神社ですが手を合わせました。
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諏訪大社の祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)と八坂刀売神(やさかとめのかみ)ですが、ここには天照大御神と少名彦命の名前がありました。
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「旧川西家米蔵」
この建物も札幌市厚別区にあり、明治16年の1883年に長野県からの移住者によって始められました。水田は付近の低湿地に造られ、明治20年代になると本格的に工作されるようになります。この米蔵は税所の移住者の1人である川西由蔵が建てたものです。 -
「旧山田家養蚕板蔵」
開拓使は屯田兵の授産事業として養蚕を奨励し、琴似兵村ではその成果が実って屯田兵のなかに独自の養蚕施設を持つ人も現れました。この板倉は屯田兵として入植した山田家のもので、草創期の暮らしぶりを伝える数少ない遺構の1つです。 -
「旧納内屯田兵屋」
納内(おさむない)に屯田兵が入地したのは明治28年と29年でした。明治8年の1875年に始まった屯田兵は家族と共に兵村で暮らし、北辺の警備と農業開拓に従事しました。当初は氏族を募集しましたが、明治23年からは主力を平民い移し、空知(そらち)や上川や北見地方の内陸部に屯田兵村が作られます。 -
屯田兵は郷里から様々な生活用具を持参しましたが、開墾や農耕具、台所用具や夜具などが新たに官給されました。学生時代の歴史の授業で屯田兵について学んだ記憶がありますが、3学期の最後に明治時代をほんの一瞬だけ聞いただけでした。60歳になって改めて学んでいる気がします。
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それと共に以前旅した中国の貴州省で「天龍屯堡古鎮」という村に行ったことを思い出しました。屯堡の屯は屯田兵のことで、800年ほど前の明の時代に、漢族の人が南方の蛮族(苗族など)から国土を守るために派遣された村がそのまま残っていました。
天龍屯堡古鎮:https://4travel.jp/travelogue/10354383 -
玄関を兼ねた土間からは板の間に上がることができます。大きな囲炉裏は暖房と台所も兼ねています。後で係員の方に聞いたところでは屯田兵の住宅はこの形状が1つのユニットになって、同じ建物が各地に建てられたそうです。
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土間に並べられた鍬や鋸、臼や杵がリアルに並んでいます。
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土間から続く流しには大きな鍋や風呂くらいの大きさの汲み桶があります。便所は土間の奥から表に出たところにあります。
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板の間の奥には6畳の畳敷きの和室と奥には4畳半の和室が続いています。調度品からも開墾期における屯田兵の家族の生活を知ることが出来ました。銃台付きの被服棚に整頓されて置かれた兵服は北辺の防備を担った屯田兵の一面を感じさせます。
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「旧岩間家農家住宅」
岩間家は旧仙台藩亘理領(宮城県亘理町)の士族移民団の一員として、明治4年の1871年2月に入植した畑作農家です。この建物は明治15年の1882年に郷里の大工によって建築され、構造と間取り共に仙台地方の特徴を受け継いでいます。旧領主が時おり立寄った由緒ある家だそうです。 -
手前の玄関から庭と呼ばれる土間に入り、板の間と茶の間と台所である流しがあり、右半分は田の字型に畳敷きの中座敷と奥座敷があり、裏側には板張りの奥座敷と納戸があります。
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小屋組みは太いヤチダモ材を多く用い、井桁状に交互に5段に組み合わせています。これは建物の内部よりも外部から眺めた方が分かりやすいです。
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柱の間に塗られた土壁も美しいですが、小屋組みの美しさはスイスのツェルマット辺りの建物を思い出させます。積み上げられた薪が生活感をリアルに感じさせます。
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玄関から内部を見学してみます。
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庭と呼ばれる土間の奥には囲炉裏が切ってあります。冬に外から戻って来るとすぐに暖まれたのだと思います。自在鉤はシンプルな竹製のものです。床材の保護のためにパンチカーペットが敷かれてありますが、基本は板の間です。
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茶の間から続く10畳の畳敷きの中座敷と、その奥には同じ10畳の奥座敷があります。当時の照明を再現したランプが雰囲気を出しています。障子の桟などは非常に手の込んだ細工が施されています。これは北海道で造ったのではなく、郷土の仙台から持ち込んだのだろうと思います。
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茶の間の奥には造りつけの収納が2間あって、陶器や漆器が納められています。見事な梁と雨居るになった建具も素晴らしいです。
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流しはまさに台所の設えで、大きな竈が2つも置かれてあります。暗くなりがちな流しの部分は4つの小さな出窓が明り取りになっています。
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北海道へ移住した移民はそれぞれの郷里で使用していた農具を携えてきました。伊達地方にも旧仙台藩亘理(わたり)からの移住者により仙台鍬をはじめ各種の農具がもたらされます。この地方は西洋農機具を他に先駆けて導入した場所でもあり、民間の農機具製造が最初に行われた場所でもあります。
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来た信州では赤ん坊を入れる「ぼぼつぐら」という物がありますが、それを連想させました。特に説明などはありませんでした。
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2面に外廊下の付いた奥座敷には見頃な床の間があります。客間として使われた奥座敷には旧藩主の伊達邦成(くにしげ)が視察のために立ち寄った際に休憩を取った部屋で、普段は使われなかったようです。
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明治3年の1870年に亘理(わたり)伊達家の当主である伊達邦成(だてくにしげ)とその家来たちが集団で北海道に移り住みました。まだ人が住めるような土地ではなかった場所を、皆で力をあわせて畑や道路や家を造ることにより村ができました。
町の名前は伊達家の名前をとって「だて」とつけました。これが伊達市の始まりです。 -
「旧山本消防組番屋」
この建物は水田農村であった山本地区の消防用具の格納庫です。消防組織は大正8年の1919年頃からの地区の自衛団を前身とし、のちに山本消防組となります。昭和45年の1970年まで消防活動を続けた建物を再現しています。火の見櫓を持つ番屋は、道内農漁村の小規模な消防組織に多く見られ、防災や治安の中心でした。 -
火の見櫓を持つ番屋は道内農漁村の小規模な消防組織に多く見られ、防災や治安の中心となりました。このタイプの火の見櫓は初めて見ましたが、縄文時代の古代遺跡のようにも見えてしまいます。
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家の近所にも昭和50年代くらいまでは消防団の建物があり、小さな消防車が収納されていました。その建物の上には鉄製の火の見櫓があり、鐘が吊るされていました。今でも古いゴジラ映画を観るとその火の見櫓を思い出します。
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馬車鉄道がシャンシャン鈴の音を響かせながら通り過ぎていきます。
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「旧札幌拓殖倉庫」
札幌軟石を使用したこの倉庫は五十嵐倉庫合名会社より明治45年創立の札幌拓殖倉庫株式会社に引きつがれます。この建物は札幌駅北側に隣接し、線路に直角に位置していた6棟の内の一番西側の棟です。開拓期の農産物の集散に大きな役割を果たし、地域の発展に貢献します。 -
建設当時の形態をよく保ってたこの倉庫は、砂利を敷いた地中に丸太を打ち込み、その上に軟石の基礎を組み、さらに直方体の軟石を壁石として積み上げています。
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木骨の石造り倉庫は明治期の倉庫を代表する建築物で、耐火性や耐久性、耐寒性にも優れ、建築の工期が短くて済むという利点がありました。
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内部には札幌開拓倉庫の関連資料や産業技術の記念物が展示されています。
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戦後の産業開発と都市化がかつてない勢いで進行するなかで、多くの生活文化財とともに貴重な産業技術記念物や産業遺跡が失われてきました。北海道にも林業や水産業をはじめ鉱業や地場産業の発展を生産の現場で支えてきた古い産業機械や工作機械がまだ各地に残されていると思われます。これらを将来的に収集し、保存することは北海道にとっての重要な課題といえます。
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このタイプの製茶乾燥焙じ機は小学校へ通う通学路にあったお茶屋さんでも見かけました。最後その道を通ったのはいつだったかと思いだしたら30年以上経ってることに気づきました。そのお茶屋さんでは大きな茶箱も数百円で売っていました。昨年に実家を解体した際にその茶箱も失われました。
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愛知県の犬山市にある明治村にもこのような産業機械がたくさん並んでいたことをもい出します。最初は高額で輸入された機械を使っていましたが、これなどは木製なので、後になって日本で造られたのではないかと思われます。
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昭和初期に北見で使われていた薄荷(ハッカ)蒸留装置です。世界一を誇った産地は北海道の東にあるオホーツク海側にありました。最盛期は昭和14年の1939年ごろは作付け面積は2万1000ヘクタール以上で、世界のハッカの生産の7割を占めていました。アメリカ製の「メンソレータム」などの原料として輸出されていました。しかし戦後になるとインドや中国の外国産や化学的な合成ハッカの登場で作付け面積は減少し、今では8ヘクタールほどに落ち込んでいます。
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以前にベトナム中部のフエからダナンに向けて車を走らせていると街道沿いに同じような小屋がたくさん並んでいました。仲良くなったドライバーに「あれは何?」と尋ねると「ユークリプスだよ。」と言われ、何だろうと考えているとユーカリだと気が付きました。近隣からユーカリの葉を収穫して蒸留してユーカリオイルを抽出していたのです。そしてその作業を見学させてもらったことを思い出しました。
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糸車がたくさん並んだコーナーを見ているとグリム童話の「眠れる森の美女」やアンジェリーナ・ジョリーの映画「マレフィセント」を連想させます。
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北海道の農業開拓が組織的かつ計画的に行われるようになるのは、明治期後期のことですが、その初期の段階では鍬や鋤に代表される在来農具によって開墾が行われていました。
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一方で開拓使はアメリカから招聘した開拓使最高顧問であったケプロンの開拓構想に基づいて、欧米の畑作品種や家畜、畜力農機具を導入した欧米農法の定着に取り組み、プラウ、ハローなどさまざまな農機具が輸入します。明治5年の1872年には牧畜や様式農機具などの用法を伝習させるため「農業現術生制度」を創案し、さらに、明治7年には「西洋農機具貸規則」が制定されるなど、洋式農機具の民間への貸付けの道が拓かれていきます。
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このような積極的な様式農機具の定着・普及策がとられる中で、明治30年代から40年代になると、プラウ、ハロー、カルチベータを中心とした様式農具が北海道農業に広く定着します。役目を終えた農機具が並ぶ姿はフランスやイタリアで見る事の出来る地下墓地のカタコンベのようにも思えました。
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「旧本所鉄工場」
明治30年から2代にわたって営業した本庄鉄工場の仕事場として、大正14年の1925年から昭和50年代まで使用されていました。石狩川の河口にひらけた旧市街にあって、漁具や漁船の付属品のほか農具などを作っていました。開拓地に欠かせなかった鍛冶屋の様子がしのばれる建物です。 -
この鉄工所では親方と小学校を出たばかりの弟子が1人と13人の家族が暮らしていたそうです。そこまでの大家族が住んでいたとは思えない平屋の建物です。
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春先には農具を作り、夏から秋にかけては石狩川河口での鮭の刺網漁に使う錨や和船の船釘の製造を家族も手伝いながら行いました。
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火床(ほど)の中で材料を熱し、金敷の上で鍛造作業を繰り返す鍛冶職人の仕事は全てが勘に頼る手仕事でした。
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ここでは鮭の漁期をむかえる時期の鍛冶屋の様子を再現しています。
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鍛冶場の奥には10畳と8畳の畳敷きの和室が田の字に4部屋並んでいます。土間側に面している2部屋には囲炉裏が切ってあります。
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ここまで見学してきた家屋の多くには畳敷きの和室がありました。明治の初期には米の収穫も少なく、ニシン番屋を見学した時に藁が無いので草鞋は高価だったと聞いたことがありました。そう考えると畳も高価だったのではないかと思います。
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「馬橇の台木曲げ」
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この倉庫内では明治後期から昭和30年代にかけて北海道で最も多く使われた柴巻馬橇の台木の鼻曲げ作業を再現しています。
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初めに下ごしらえした太くて堅いミズナラの材を巨大な蒸籠でふかして柔らかくします。蒸籠と言っても巨大な棺桶のような箱が竈の上に吊られています。
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柔らかくなったミズナラの木を曲げ型に固定し、次に轆轤で巻いて先端を曲げます。
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柔らかいと言っても木材なので、巻き上げ機を使って絞っていきます。そして乾燥させることによって形を固定します。
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曲がり具合の似たものを2本選んで1組として橇に仕上げます。この鼻曲げは馬橇の製作過程でも最も高度な技術を必要とする作業でした。
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1軒1軒を丁寧に見学していくと学ぶことが多いのに驚かされます。見学していても誰にも会わないので、明治時代に気持ちもタイムスリップします。ただ、全部見終わるのにどれほど時間がかかるのか心配になってきます。
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2022/06/21~
旭川
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グランドホテル札幌とアンワインド ホテル&バー 小樽に8泊9日北海道の旅(5)旭山動物園を満喫して札幌に戻り...
2022/06/21~
旭川
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グランドホテル札幌とアンワインド ホテル&バー 小樽に8泊9日北海道の旅(6)まるうんトラベルのバスで富良野...
2022/06/22~
富良野
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グランドホテル札幌とアンワインド ホテル&バー 小樽に8泊9日北海道の旅(7)富良野と美瑛をバスで駆巡り、冨...
2022/06/22~
美瑛(びえい)
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グランドホテル札幌とアンワインド ホテル&バー 小樽に8泊9日北海道の旅(8)北海道開拓の村でゴールデンカム...
2022/06/23~
札幌
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グランドホテル札幌とアンワインド ホテル&バー 小樽に8泊9日北海道の旅(9)小樽の鰊御殿へ行く前に開拓村で...
2022/06/23~
札幌
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グランドホテル札幌とアンワインド ホテル&バー 小樽に8泊9日北海道の旅(10)札幌で味噌ラーメンが一番美味...
2022/06/23~
札幌
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グランドホテル札幌とアンワインド ホテル&バー 小樽に8泊9日北海道の旅(11)開拓村でゴールデンカムイを知...
2022/06/23~
札幌
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グランドホテル札幌とアンワインド ホテル&バー 小樽に8泊9日北海道の旅(12)札幌から余市ワイナリーとOc...
2022/06/24~
余市
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グランドホテル札幌とアンワインド ホテル&バー 小樽に8泊9日北海道の旅(13)ニッカウヰスキー 余市蒸溜所...
2022/06/24~
余市
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グランドホテル札幌とアンワインド ホテル&バー 小樽に8泊9日北海道の旅(14)旧越中屋ホテルに泊まり、昭和...
2022/06/24~
小樽
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グランドホテル札幌とアンワインド ホテル&バー 小樽に8泊9日北海道の旅(15)小樽堺町通りでショッピングを...
2022/06/25~
小樽
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グランドホテル札幌とアンワインド ホテル&バー 小樽に8泊9日北海道の旅(16)小樽港からオタモイ岬までの海...
2022/06/25~
小樽
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グランドホテル札幌とアンワインド ホテル&バー 小樽に8泊9日北海道の旅(17)小樽3日目は小樽芸術村の旧三...
2022/06/26~
小樽
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グランドホテル札幌とアンワインド ホテル&バー 小樽に8泊9日北海道の旅(18)似鳥美術館のティファニーのス...
2022/06/26~
小樽
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グランドホテル札幌とアンワインド ホテル&バー 小樽に8泊9日北海道の旅(19)ステンドグラスグラス美術館膨...
2022/06/26~
小樽
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グランドホテル札幌とアンワインド ホテル&バー 小樽に8泊9日北海道の旅(20)西洋美術館のコレクションの膨...
2022/06/26~
小樽
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グランドホテル札幌とアンワインド ホテル&バー 小樽に8泊9日北海道の旅(21)旧青山別邸と鰊御殿を見学して...
2022/06/26~
小樽
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グランドホテル札幌とアンワインド ホテル&バー 小樽に8泊9日北海道の旅(22)海陽亭に在りし日を思い、銀鱗...
2022/06/27~
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札幌と小樽の旅スピンオフ。余市のオチガビ(Occi Gabi)のワインの会で恵比寿のMONNA LISAへ行...
2022/08/07~
恵比寿・代官山
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旅行記グループ 2022札幌・小樽の旅
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