2025/11/02 - 2025/11/04
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ペコちゃんさん
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奈良で法事があったので、その帰りに京都~名古屋へ立ち寄りました。
1日目は奈良に宿泊し、2日目に京都で二条城・三十三間堂を見学して名古屋に向かい、三日目は犬山城を訪れました。
京都は学生時代に住んでいた所で、その後も何回か訪れたので、主要な観光スポットは殆ど行きましたが、改めて二条城と三十三間堂を拝観することとしました。
慶長8年(1603)に、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として徳川家康が築城した二条城・・・本丸御殿・二の丸御殿など見どころの多い二条城ですが、何せ広い!
東西約600m、南北約400mで275千㎡は東京ドーム約6個分の広さ・・・なので今回は二の丸御殿をガイドツアーで回ることにしました。
また、南北に120mもある三十三間堂は、木造建築として世界でも類稀な長さ・・・一時的に関西万博の大屋根リングに抜かれましたが、日本に現存する木造建築としては最長です。
堂内には国宝に指定された1,001体の千手観音立像が整然と並び、その姿は訪れた人に「守られている」という安心感を与えると同時に、歴史を超えてきた信仰の力を感じさせます。
写真は、二条城の「二の丸御殿」。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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<1日目>
品川発9時46分の「のぞみ129号」で京都から奈良に向かいます。
曇り空でしたが、静岡を通過する時に富士山がよく見えました。 -
奈良・大和郡山にある亡兄の自宅で一周忌の法事を済ませ、親族一同で阪奈道路沿いの丘陵地にある「奈良パークホテル」へ向かい、会食後はそのまま宿泊。
ホテルの近くには、近鉄・西大寺駅や平城宮跡・朱雀門などがあります。 -
3連休なので、駐車場も満杯状態。
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ロビーに飾られている壁画は、文化勲章も叙勲した奈良市出身の画家・絹谷幸二(1943~2025)作の『旭日薫風奈良』。
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ロビーの一角にある天然木の飾り。
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よく見ると、まるで生きているような馬が何頭も彫られています。
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チェックインして部屋に入ると、広い部屋にセミダブルのゆったりしたツインベッド・・・窓からは若草山が見えます。
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地下1階にある「宝来温泉」へ・・・奈良市内では数少ない天然温泉です。
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広々とした自家源泉の大浴場。
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露天風呂とサウナもあります。
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<2日目>
部屋から見た奈良市内と若草山の朝景色。
朝食を済ませ、京都・二条城へ向かいます。 -
3代将軍・家光の時に大規模な改修が行われた二条城・・・壮麗な城に天皇を迎えることで、江戸幕府の支配が安定したものであることを世に知らしめました。
約400年の時を経た今も、二の丸御殿・二の丸庭園・唐門など、絢爛たる桃山文化の遺構を見ることができます。
1994年にユネスコ世界遺産に登録された元離宮二条城は、徳川家の栄枯盛衰と日本の長い歴史を見つめてきた貴重な歴史遺産です。 -
これは慶長年間(1596~1615)の二条城復元図・・・慶長11年に完成した天守や本丸御殿・二の丸御殿などが描かれています。
その後、寛延3年(1750)に落雷で5層の天守閣が焼失し、天明8年(1788)の大火で本丸御殿や北側の隅櫓2棟が失われました。
現在の本丸御殿は桂宮家が京都御所の北に建てた御殿の主要部を、明治天皇の意向により移築したものです。 -
京都駅から地下鉄を乗り継いで「二条城前」駅から歩いて行くと、最初に目に飛び込んでくるのは「東南隅櫓」・・・・かつて外堀の内側の四隅には、それぞれ隅櫓が建てられ、見張り台・武器庫として使われました。
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二条城は慶長8年(1603)に徳川家康が築いた城で、3代将軍・家光の時代に後水尾天皇を迎えるために寛永3年(1626)に大規模な拡張をしました。
なお、後水尾天皇は家康の申し入れにより、1620年に2代目将軍・秀忠の娘である徳川和子(まさこ)を皇后に迎えています。 -
慶応3年(1867)に15代将軍・慶喜が「二の丸御殿」の大広間で政権を天皇に返上する「大政奉還」をした後、明治17年(1884)に宮内省所管の「二条離宮」となり皇室の離宮的・迎賓館的な役割を果たす離宮(皇室の別邸)として利用され、昭和14年(1939)からは京都市の管理下となりました。
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二条城には東西南北に4つの門がありますが、入城できるのは堀川通に面して建てられたこの「東大手門」のみ。
場内に入って11時半からのガイドツアーで見学スタート。 -
ガイドツアーの最初は、重厚な門構えの東大手門から。
築城当時は、現在と同じ2階建て(櫓門)でしたが、寛永3年(1626)の後水尾天皇による二条城行幸の際には、天皇を2階から見下ろさないための配慮から一重の門に建て替えられ、寛文2年(1662)に現在の門となりました。 -
繊細な細工が美しい柱下部の「飾金物」・・・ここに隠れ千鳥があることを、皆さん知ってました?
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よく見ると、羽を広げる千鳥が描かれています・・・飾金具師の遊び心でしょうか?
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2階の出格子窓を見上げると、敵が攻めて来た時に石を落とす穴「石落し」があります。
今は、2番目の穴だけ開けています。 -
屋根には鯱。
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城内側から見る東大手門・・・石垣より上の部分が寛永行幸後の増築部分です。
左側の建物は「番所」。 -
平時の二条城は、幕府から派遣された1組50人の武士たちが「二条在番」として2組常駐して宿直・警護し、番所は彼らの詰所でした。
現在の建物は、寛文3年(1663)に建てられたもので、城内には9棟の番所がありましたが、現在残っているのはここだけ。 -
寛永3年(1626)に後水尾天皇が徳川幕府に招かれ、二条城に行幸した「寛永行幸」から来年は400年目・・・雅楽を奏でる付き人らを従えた後水尾天皇が載る鳳輦(ほうれん)や、騎馬や牛車で進む将軍・家光や大名たちの様子を現代に蘇らせ、京都御所から二条城までの約2キロを練り歩く「寛永行幸400年祭」プロジェクトが始動し、来年12月6日には都大路を練り歩いた壮大な光景が再現される計画です。
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寛永3年9月に、5日間に亘って行われた寛永行幸は、戦乱の時代を終わらせた徳川幕府が朝廷との融和をアピールするため、贅を尽くした料理や舞楽、蹴鞠などで盛大に後水尾天皇をもてなしました。
泉屋博古館(京都市)所蔵の「二条城行幸図屏風」には、全国の大名を引き連れた3代将軍・家光が、後水尾天皇を乗せた鳳輦や朝廷方を先導し、二条城へ向かう華やかで威厳のある行列を、大勢の民衆が見物する様子が精緻に描かれています。
総勢約9千人の行幸は、衣装・調度の新調や全国の大名・見物客の移動などで大きな経済効果を生んで、京都や各地ではさまざまな産業や企業が興り、寛永行幸は日本の政治経済や文化面で重要な転機となりました。 -
番所の建物内には、行幸行列の主要場面を再現した約100体のミニチュア人形が展示されています。
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「二の丸御殿」を囲む築地塀の方に進むと、「唐門」が見えてきました。
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寛永行幸にあわせて建てられた唐門。
当初は葵紋で飾られていましたが、二条城が離宮となった明治中期に、葵紋から菊紋への改装が行われました。 -
二の丸御殿の正門である唐門・・・屋根は切妻造の檜皮葺、表と裏には唐破風があり、柱より上の空間はすべて彫刻で埋め尽くされ、龍や虎などの霊獣に加え、鶴亀・蝶・松竹梅など長寿と繁栄を象徴するモチーフが刻まれています。
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鬼瓦の菊御紋。
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欄間の上段に蝶、中段には松竹梅と鶴と亀、下段は虎に龍の彫刻があります。
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唐獅子と牡丹の彫刻・・・唐獅子が牡丹の花と戯れながら、その開花を喜んでいるかのよう!
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門をくぐり、内側(二の丸御殿側)から見た唐門・・・こちら側にも表側と同じく極彩色の彫刻と金工細工が施されています。
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上段には牡丹に蝶、下段には長寿を意味する亀と仙人。
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「唐門」を潜ると、目の前にあるのが国宝「二の丸御殿」・・・右前方が御殿の玄関にあたる「車寄」で、その後ろにあるのが「遠侍」という建物です。
車寄の間口が広いのは、かつてはこの場所に止まった「牛車」のサイズに合わせたからだそうで、現在は観覧の出入口になっています。 -
「車寄」の屋根も「唐門」と同じく唐破風で、見事な装飾が施されています。
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鬼瓦にも菊御紋。
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唐破風の大きな彫刻に彫られているのは、5羽の鸞鳥(らんちょう)・・・鸞鳥とは鳳凰のヒナのことで、君主が折り目正しい時や平和な時代にしか現れなかったとされる鳥であることから、徳川の時代が平和であり、将軍が名君であることを示唆しています。
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車寄せの奥にある遠侍の屋根・・・よく見ると、菊御紋がない!
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全6棟の建物からなる二の丸御殿は、江戸城・大坂城・名古屋城の御殿が失われた今日、国内の城郭に残る唯一の御殿群として国宝に指定されました。
内部は狩野派による約3,600面の障壁画と、多彩な欄間彫刻や飾金具で装飾されており、将軍の御殿にふさわしい豪華絢爛な設えとなっています。
構造は玄関である車寄に続いて遠侍・式台・大広間・蘇鉄の間・黒書院・白書院の6棟が東南から北西にかけて雁行に立ち並んでいます。
(内部は撮影禁止のため、以下の写真はパンフレットより) -
【遠侍・三の間】
遠待は来殿者が控える場所で、一の間・二の間・三の間には「竹林群虎図」が描かれており、獰猛な虎の絵や壮大な空間は徳川家の権力の大きさを実感させたと思われます。
なぜ虎の絵が描かれているかについては「来殿者を威嚇するため」という説もありますが、実際には寛いでいる虎の絵が多いことから「霊獣である虎を手懐けるくらい、この屋敷の主人(=将軍)は徳が高い」という意味だと思われます。 -
【大広間・三の間】
部屋の隅から枝が伸びる巨大な松・・・地面や根を描かず、いきなり枝を描く手法は狩野探幽以降に見られる特長です。
厚さ35cmの巨大なヒノキの板を両面から透かし彫りした欄間彫刻は、表と裏でデザインが異なり、三の間側には五羽の鸞鳥(キジに似た想像上の鳥)と松に牡丹、上部には雲、下部には笹が施されています。 -
【大広間・二の間と一の間】
将軍と大名や公卿衆との公式の対面所で、二の丸御殿の中でもっとも格式の高い部屋で、一の間(上段の間)は48畳、二の間(下段の間)は44畳の広さです。
徳川慶喜による「大政奉還」は、慶応3年(1867)10月にこの大広間で行われました。 -
【黒書院・一の間】
「小広間(こひろま)」とも呼ばれた黒書院は、大広間に次ぐ公式の場で、将軍と徳川家に近しい大名や高位の公家などの対面所として使われました。 -
【大広間・四の間】
「槍の間」とも呼ばれ、将軍の上洛時に武器をおさめた場所で、反対側の三の間との境にある欄間には唐松と椿や薔薇が彫られ、隙間から三の間側の鸞鳥が姿をのぞかせています。 -
障壁画の「松鷹図」・・・桃山時代の様式を取り入れた巨大な松と勇壮な鷹が描かれています。
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【式台・老中の間】
老中が控えていた3部屋からなる部屋で、将軍への用件や献上品の取り次ぎを行う場所でした。
一の間と二の間には春から秋の情景を背景に雁が舞う「田圃落雁図(でんぽらくがんず)」が、三の間には雪化粧した柳に数羽の鶯が宿る「雪中柳鷺図(せっちゅうりゅうろず)」が描かれています。 -
【遠侍・勅使の間】
勅使(朝廷からの使者)を迎えた対面所で2部屋あり、勅使が座る上段の間が一段高くなっており、朝廷への敬意を建物の構造で示しています。
障壁画には、優美な檜やなどが描かれています。 -
数々の部屋の襖絵や欄間の彫刻、部屋の役割などの説明を受けた後は、ガイドツアーでしか入れないエリアへ・・・中庭一面に敷き詰められた、キラキラ光る白い小石がきれいでした。
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二の丸庭園に抜ける所に置かれた「釣鐘」・・・慶応3年(1867)に京都所司代が廃止された後、下屋敷から二条城に移されました。
京都所司代は家康が朝廷の統制と西国大名の監視を行うために、京都へ設置した機関で、二条城の北側に上屋敷・下屋敷・堀川屋敷の3カ所があり、釣鐘は火事などの緊急事態を周辺に知らせるために使われました。 -
二の丸庭園側から見た二の丸御殿:左から大広間・式台・遠侍の建物。
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御殿の大広間西側に面して設けられた「二の丸庭園」・・・寛永行幸のために、作事奉行・小堀遠州のもとで改修されました。
右側の建物は黒書院。 -
この庭園形式は、池の中央に蓬莱島、左右に鶴亀の島を配した、武家の住居と一体になった「書院造庭園」で、池の縁に配された多くの岩が変化に富んだ風景を生み出しています。
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ガイドツアーは二の丸庭園で終了・・・1時間ほどのガイドツアーでしたが、二条城のことがよく分かりました。
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レシーバーを付けたのでガイドさんの声もよく聞こえ、分かりやすい説明は勿論のこと、見どころを押さえながらの案内で、充実した見学が楽しめました。
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二条城を後にして、地下鉄東西線で三条京阪へ・・・久し振りの三条大橋です。
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鴨川の両岸で寛ぐ人々・・・何だかホッとする風景です。
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橋のたもとにある弥次喜多像・・・「東海道中膝栗毛」の弥次さん・喜多さんが伊勢詣での途中、三条大橋に近い宿屋に泊まった際にハシゴを買わされたそうな。
このブロンズ像は、三条小橋商店街が平成6年に建立しました。 -
学生時代によく通った「餃子の珉珉」で昼食。
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昔から安くて美味しい珉珉・・・60年前を思い出します。
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昼食後は京阪電車で三条から七条へ・・・七条通りを東へ進むと三十三間堂があります。
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後白河上皇(1127~1192)が離宮として建てた法住寺殿の一画に建てられたのが三十三間堂で、正式には蓮華王院と言います。
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最初の三十三間堂は、平清盛によって1164年に造進されましたが、1249年に焼失・・・現在の建物は、1266年に後嵯峨上皇によって再建されたものです。
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全長118mの本堂(三十三間堂)・・・本堂の内陣の正面の柱間が33あることから、三十三間堂と呼ばれています。
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本堂横で行われる三十三間堂の新春の風物詩・全国弓道大的大会(おおまとたいかい)・・・江戸時代に各藩の弓術家が本堂の軒下で矢を射った大矢数(おおやかず)に因んだ行事で、新成人が約60m先の大的を射って腕を競います。
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ここが出入り口。
(内部は撮影禁止のため、以下の写真はパンフレットより) -
堂内に入ると、雲座に乗った雷神像・・・背中に背負った8個の太鼓を、バチで叩いて雷鳴を下界へ轟かせています。
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そして、本堂に並んだ1,001体の千手観音立像・・・圧巻です!!
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観音像は平安時代から鎌倉、さらに室町のものまで混在しており、作られた時代によって衣の表現や顔立ちがわずかに違います。
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中央には、運慶の長男・湛慶が1254年に完成させた千手観音坐像・・・像本体の高さは334.8cm、台座や光背を含めた全体の高さは7mを超えます。
この観音像の左右に500体づつ、後ろに1体の千手観音像が並んでます。 -
千体仏の手前には、横一列に並んだ二十八部衆像が28体。
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左端には、風袋を持った風神・・・堂内の左右に安置された二神は、雨風を司り「五穀豊穣」をもたらす神として信仰されました。
風神・雷神像とも鎌倉時代の名品で、国宝に指定されています。 -
境内の一角にある霊泉「夜泣泉」・・・本堂創建の翌年(1165年)お告げによて発見された霊泉です。
冷たく美味しい水で、水が湧き出す音が、夜には人がすすり泣くように聞こえることからこの名がついたそうです。 -
三十三間堂を出て、京都駅行きのバス停に向かう途中、空を見ると綺麗な虹が・・・この日は時折、雨がパラつく天気でしたが、良い思い出になりました。
これから新幹線で名古屋に向かいます。
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