2016/10/14 - 2016/10/28
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jijidarumaさん
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2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間
第11日:196km
ヴィルキングヘーゲ城を出発し、今日はミュンスターラントの古城(水城)を巡る事とする。
Haus Rueschhausリュッシュハウス、Schloss Burgsteinfurtブルクシュタインフルト水城、Wasserburg Haus Welbergenハウス・ヴェルベルゲン水城、Burg Bentheimベントハイム城、
宿泊は何十年ぶりとなるIsselburg-Anholtイッセルブルク・アンホルトの古城ホテル アンホルト城に2泊する。
写真はBurg Bentheimベントハイム城・俯瞰
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
<Munsterlander Wasserburgenミュンスターラントの水城(古城)を巡る>
http://www.muensterland-tourismus.de/5116/100_Schloesser_Route
ノルトライン・ヴェストファーレン州は大きく分けると、西部がノルトライン地方、東部がヴェストファーレン地方であるが、ヴェストファーレンに属するミュンスター地方の中心がMuensterミュンスターで、Duesseldorfデュッセルドルフから北東へ120km、Dortmundドルトムントから北へ60kmほど離れている。
ミュンスターの町の半径70km周辺は美しい緑豊かな平野が広がり、この一帯をミュンスターラントと呼んでいる。概略、その南はライン川の支流Lippeリッペ川(全長 220 km)が流れ、北はドイツ北西部のオランダとの国境付近を流れる川であるEmsエムス川(全長371km)一帯のエムスラント、東は遠い昔の紀元9年、ローマ軍団とドイツ人の祖ゲルマンの部族が三日間にわたり、壮絶な戦いをした場所で、ローマ軍団がゲルマンの英雄ヘルマンに殲滅された“Teutoburger Waldトイトブルクの森”がある。西にはオランダとの国境の地域で、水濠に囲まれた典型的な水城が点在している事が知られている。
写真はMuensterland karteミュンスターラント地方図・・・中央上にバート・ベントハイムの町、中央右にミュンスター、中央左にこの日の宿泊先Isselburg-Anholt・古城ホテル アンホルト城
オランダ国境沿いの町々であるのがよく分かります。 -
起伏のない平地が広がるこの田園地帯に、壕をめぐらす古城が無数に点在し、ミュンスターの観光協会から157の水城が観光用に選定されている。それらはSchlossシュロス(ここでは宮殿風な城)、Burgブルク(城砦)、あるいはHausハウス(城館)といった名前で登場し、大小様々な水城を見る事が出来る。
中世、この地に水城が発達した理由は、ミュンスターラントが全くの平地で、ライン川の両岸のように城砦を作るのにふさわしい自然的地形に恵まれなかった為である。防衛面から2重3重の堀を作って川から水を引き、その中に城門や城が建てられた。
それが今日、水に映る美しい城として観光的な価値を高めているのである。
水城の起源は12世紀ころで、財産と領地を守ろうとする騎士領主間の絶え間のない抗争が背景にあり、防衛のために壕をめぐらす城が作られていった。
16世紀に入ると、鉄砲の発明によって水壕による防御は役に立たなくなり、次第により複雑堅固な設備に移り変わっていった。
壕に囲まれて2つの島の上に防備の固い城塞を築き、2島間を橋でつなぐという形を取ることが多くなった。手前にVorburgフォアブルク(一の丸)と称した食糧庫や別館があり、Hauptburgハウプトブルク(本丸)には城主たちの居住用建物が配置されていた。
1600年代は争いもなくなり、特に新旧キリスト教徒の宗教戦争であった30年戦争以後は、美しい庭園に囲まれた宮殿や城館が主流となっていった。
写真はトイトブルクの戦いの場 -
第11日:10月24日(月) 196km、曇り、夕方小雨、7.0~9.0℃*
古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城=>B54 5km (Nienbergeニーエンベルゲ)=>L529・K1 1km Haus Rueschhausリュッシュハウス=> ミュンスターラントの水城=>K1・L529 1km(Nienbergeニーエンベルゲ)=>B54 34km Steinfurtシュタインフェルト水城=>B54・L? 15km Wasserburg Haus Welbergenハウス・ヴェルベルゲン水城=>L? 14km(Ochtrup?Nordオッホトルップ北)=>B403 16km Bad Bentheim ・Burg Bentheimベントハイム城=>B403・A31・B58・A3・B67・L467・468・605・459 110km Isselburg-Anholt・古城ホテル アンホルト城
*起床7:15、朝食は8:15~8:45、ホテル本館の円天井レストラン ケラーで食べた。
9:50にヴィルキングヘーゲ城を出発し、今日はミュンスターラントの古城(水城)を巡る事とする。Haus Rueschhausリュッシュハウス、Schloss Burgsteinfurtブルクシュタインフルト水城、Wasserburg Haus Welbergenハウス・ヴェルベルゲン水城、Burg Bentheimベントハイム城と進み、宿泊は何十年ぶりとなるIsselburg-Anholtイッセルブルク・アンホルトの古城ホテル アンホルト城に2泊することになっている。
写真はヴィルキングヘーゲ城・ケラーでの朝食 -
<2013年に訪れたミュンスターラントの古城(水城)群>
Burg Vischeringヴィッシェリンク城
D-59348 Luedinghausen 、Berenbrock 1
Schloss Nordkirchenノルトキルヒェン宮殿
D-59394 Nordkirchen 、Schloss 1 a
<Havikbeckハヴィックベックの三つの水城>
その1 Burg Huelshoffヒュルスホフ城
D-48329 Havixbeck 、Schonebeck 6
その2 Wasserburg Haus Stapelハウス シュタペル水城
D-48329 Havikbeck 、Gennerich 18
その3 Haus Havixbeck ハウス ハヴィックベック
D-48329 Havixbeck 、Josef-Heydt-Strasse 2
Schloss Lembeck古城ホテル レンベック城
D-46286 Dorsten-Lembeck 、Schloss 1
Sport Schloss Velen古城ホテル フェーレン城
D - 46342 Velen 、Schlossplatz 1
Burg Gemenゲーメン城
D-46325 Borken-Gemen 、Schlossplatz 1
Restaurant Schloss Raesfeldラエスフェルト城
D-46348 Raesfeld 、Freiheit 27 (Schlosshof)
Parkhotel Wasserburg Anholt古城ホテル アンホルト城
D-46419 Isselburg-Anholt 、Klever Strasse
など。
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写真はRueschhausリュッシュハウスの俯瞰 -
1)Haus Rueschhausリュッシュハウス ⑬
D-48161 Muenster 、Am Rueschhaus 81 http://haus-rueschhaus.de/
10:00~10:30
リュッシュハウスはミュンスターから6kmと近い。1745年から1748年にバロック様式の建築家であったJohann Conrad Schlaun J.C.シュラウンが家族の別荘として建設したもので、かつては伯爵の館であった。
写真はRueschhausリュッシュハウス:駐車場・・・私の一台だけ、観光シーズンを外すと、こんなものでしょうか。 -
後にドイツの女流作家・詩人Annette von Droste zu Huelshoffアネッテ・フォン・ドロステ・ヒュルスホフ女史の住居として有名になった。
ヒュルスホフ女史は母が住むリュッシュハウスの荘園に移り、執筆と読書を中心とした閑雅な生活を過ごし、生涯独身であった。
写真はRueschhausリュッシュハウス:別棟 -
こちらの住居は農家風の建物で、水堀のあるバロック風庭園は昔の図面に従って再建されたものだそうだ。
この時期は正午以降の開館で、周囲を1周しただけだが、丁度ハウスの対面した場所に聖母像?が立っていて、このハウスの雰囲気がよく分かった。
写真はRueschhausリュッシュハウス:水堀で周囲は囲まれています。 -
写真はRueschhausリュッシュハウス:水堀に囲まれた荘園と母屋
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イチオシ
写真はRueschhausリュッシュハウス:母屋の庭園側から
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写真はRueschhausリュッシュハウス:周辺の道を歩くと、母屋に向かって聖母像?が立っていました。
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写真はRueschhausリュッシュハウス:斜めからみた母屋
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写真はDichterin Annette von Droste-Huelshoff女流作家・詩人アネッテ・ドロステ・ヒュルスホフの生まれたヒュルスホフ城
<Burg Huelshoffヒュルスホフ城とドイツを代表する女流作家・詩人ヒュルスホフ女史>
かつて1979年2月26日に訪問し、2013年に再訪したBurg Huelshoffヒュルスホフ城はリュッシュハウスにも近かったのだが、その時はそっちには足をのばさなかった。
ヒュルスホフ城はミュンスターから北西に10kmの町、Havixbeckハヴィックスベックの郊外にある。ハヴィックベックから東、Roxelロクセル方面に向かった所にある。
ミュンスター地方の典型的な水城であり、11世紀に湖沼や運河、30ヘクタールの広大な庭園に囲まれた小島に築城されたもので、Freiherr Droste zu Huelshoff ドロステ・ヒュルスホフ男爵家の夏の宮殿の一つである。2つの小島の上に一の丸Vorburgフォーアブルク(手前の城)と、領主の館のあるHauptburgハウプトプルク(本丸、1545年)が建設されたものである。それらは橋で連結し、一の丸に食糧庫と正方形の角櫓があり、本丸は切り石を使った煉瓦建築で、屋根から浮き出た切妻と小さな明かり取り塔がある。本丸の右手に新ゴシック様式の礼拝堂が、1870年に増築された。
1797年、この城でドイツを代表する女流作家・詩人*Annette von Droste Hulshoffアネッテ・ドロステ・ヒュルスホフ(1797~1848年)が城主の娘として生まれ、ここで30年程を過ごしている。この偉大な女流人の生涯と作品を回想する小さな博物舘がある。
カフェ・レストラン、庭園が併設されている。 -
ヒュルスホフ女史は女流作家・詩人として世に出ると、19世紀の文豪ゲーテや哲学者ショーペンハウエル、グリム童話のグリム兄弟とも親交があったと云う。
作家・詩人としてのドイツでの評価は高く、旧ドイツマルクの20DM紙幣の図柄に美人であった女史が採用されている。また、1961年発行のドイツ郵便切手でも、1DM切手の図柄になっている。
ボーデン湖のMeersburgメーアスブルク(海の城)近くに彼女の記念館であるドロステの館がある。ドロステ女史はメーアスブルク城の城主と妹が結婚していた事で、この地に1841年に来訪し、詩作に勤しんだと云う。
1848年5月、滞在した旧城の一間で、ひどい肺炎に罹り、51歳の生涯を閉じた。
主な作品にリュッシュハウス時代に書かれた「荒野風景詩」、宗教的な苦悩を書き表した「宗教の一年」、中編小説「ユダヤ人のぶなの木」など。
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写真のBurg_Huelshoffヒュルスホフ城も見事な水城である。 -
2)Schloss Burgsteinfurtブルクシュタインフルト水城 ⑭
http://www.steinfurt-touristik.de/de/sehenswertes/historisches-steinfurt/schloss.php
11:00~11:10
通り道だったシュタインフルトの街中を行くと、Schloss城の表示があった。それで表示に従って行ってみることにした。
50haの城庭園に囲まれたSchloss Burgsteinfurt(= Schloss Steinfurt)ブルクシュタインフルト水城が現れた。残念だが、観光客もいない様子であり、駐車場が近くにないこともあって写真を写すだけで、次の目的に向かった。
写真はSchloss_Burgsteinfurtシュタインフェルト水城:俯瞰 -
イチオシ
帰国して調べてみると、城はまだFuersten zu Bentheim und Steinfurtベントハイム・シュタインフルト侯爵家の個人所有であり、いまだにファミリーが居住すると云う。
従って、城内は見学不可であり、城外だけが道路側から見ることが出来るとあった。
1129年にRudolf II. von Stenvordeシュテンフォルデのルドルフ2世が築城した、ヴェストファーレンでも最も古い水城で、水堀に囲まれた島の上に城郭が建てられている。本丸・一の丸が橋を隔てて立ち、それに城所有の水車小屋の3つが複合した城郭である。
時に改築も行われたが、丘の上に正方形の居住塔と2mという厚い城壁らが常にあったと云う。
写真はシュタインフェルト水城:島の上の城を水堀越えに写す。 -
写真はシュタインフェルト水城:道路際から写したシュタインフルト水城の本丸が弧の形で立っている。
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写真はシュタインフェルト水城:城門棟
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3)Wasserburg Haus Welbergenハウス・ヴェルベルゲン水城 ⑮
D-48607 Ochtrup 、Boekerhook 4
http://www.vwo-ochtrup.de/sehenswuerdigkeiten/wasserburg-haus-welbergen.html
11:24~11:47
7℃と寒い日が続く。
ヴェルベルゲン水城はミュンスターラントの北西部に位置する。
Ochtrupオッホトルップの中心から凡そ5km南東、Steinfurtシュタインフルトの町からは北西に凡そ8kmの距離にある。
写真はWasserburg Haus Welbergenハウス・ヴェルベルゲン水城:駐車場から少し歩きます。 -
少し離れた駐車場から、並木道や水堀沿いに歩き城内に入った。
旗が掲揚され、庭園もきれいにされていたが、建物内に人気が無く、12時前で休館にしたようだった。
写真はヴェルベルゲン水城:水堀沿いに行きます。 -
写真はヴェルベルゲン水城:道端に立っている像
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写真はヴェルベルゲン水城:周辺を城壁と水堀が守ります。
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ヴェルベルゲン水城の歴史:
ヴェルベルゲン水城は中世のミュンスターラントにおける中以上の騎士階級が所有していた典型的な領主の居城である。
その水城の起源は13世紀に遡り、1282年にHerren von Welbergenヴェルベルゲンの騎士と呼ばれる支配者が現れ、築城したのが始まりである。
ヴェルベルゲン家は1339年まで所有し、その後はHerren von Blomeブローメ家が城主となった。1505年、結婚によりMorbeck von Oldenhuisモルベック・オルデンハウスが所有した。
その後も所有者は度々変わり、最終的にFamilie Buchholtzブッフホルツ家の持ち物になっている。本館がその時に大改装され、現在に至っている。
休館火・土・日曜日、無料、月、水~金9時から12時まで
写真はWasserburg Haus Welbergenハウス・ヴェルベルゲン水城:入口 -
写真はヴェルベルゲン水城:本館
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イチオシ
写真はヴェルベルゲン水城:本館と庭園
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写真はヴェルベルゲン水城:俯瞰するとこんな形です。
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写真はヴェルベルゲン水城:本館裏手の様子
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写真はWappen_Bad_Bentheimバート・ベントハイムの紋章
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4)Burg Bentheimベントハイム城 ⑯
D-48455 Bad Bentheim 、Schloss
http://www.burg-bentheim.de/
http://www.muensterland-tourismus.de/12246/burg-bentheim-bad-bentheim
(1360kmと走行距離が表示された、ミュンスターから86km)
2013年にミュンスターラントの古城群を訪れた際に、北西ドイツ地域で最大と云われるHoehenburg平山城ベントハイム城を一度は候補に入れていたが、その時に2泊したSchloss Lembeckレンベック城の北東85kmと少し北に離れた位置にあるので断念した経緯がある。
写真はBurg Bentheimベントハイム城・俯瞰 -
当時、写真で見た時、古城好きとしては是非訪れてみたい城だと思った。
今回でその希望が達せられたことになる。
ベントハイム城はオランダ国境に10kmの距離にあるので、街中の家々もヴェストファーレン風というのか、オランダの色合いにも見える。
写真はBurg Bentheimベントハイム城:Jacob_van_Ruisdael作 -
12:27、町に着いて、インフォーメーションに行く。
まずはトイレの借用である。それから情報の蒐集で、ベントハイム城の小冊子・絵葉書(Euro3.5)を購入した。
この町は2時間駐車無料だという事で、久しぶりに駐車時間を示す時計の様な器具を使って、駐車開始時間を示し、それをレンタカーの窓辺に見えるように表示してから城見物に出かけた。幸い雲間から少し晴れ間も見える。
写真はBurg Bentheimベントハイム城:右に城門、左に天守閣のパノラマ -
<Burg Bentheimベントハイム城の見学>
13:00~14:00
ベントハイム城はFuersten zu Bentheim und Steinfurtベントハイム・シュタインフルト侯爵家の居城として、先のブルクシュタインフルト水城と同じように現在も私有されているが、1993年より城館の一部を博物館としている。
開館;毎日10~18時、自由見学可。
Cafe - Restaurant im Schloss(この時期はお休み)
http://www.youtube.com/watch?v=xAYo_MdT8KE
写真はBurg Bentheimベントハイム城:天守閣をバックに -
石畳の道を歩み、堅固な城壁に連なるVorburg一の丸の城門(上部に侯爵家の紋章がある)をくぐると、右手に広々としたPrinzessinnengartenプリンセスの庭園がある。
写真はBurg Bentheimベントハイム城:城門前 -
写真はBurg Bentheimベントハイム城:城門内から
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左手には休館中のカフェ・レストランも見られ、更にやや左に曲がる登り坂を上がると、Kernburg本丸の城門となる。
13:00、チケット(5X2=Euro10)を購入し入場する。まずは順路に従って見て回る。
写真はBurg Bentheimベントハイム城:更に城内門に向かう -
イチオシ
武者走り、銃眼を備えた城壁で囲まれた中世の趣もたっぷりのベントハイム城本丸は侯爵家の居住地域である。
左周りに見ると、中世以来のPulverturm=Bergfried天守閣・Wachturm監視塔、18世紀までMarstall厩として利用された棟、居住塔に連結するGalerieギャラリー、Batterieturm居住塔と地下牢獄、本丸の中心であるKronenburg中世以来の宮廷棟、
Ausfalltor緊急避難口・・・岩壁に階段を作ってある、23mの深さがあるBurgbrunnen城内井戸、
そして右の終点ともいえる場所にチケット売り場のある事務所棟、Katharinenkirche聖カタリナ教会がある。
写真はベントハイム城:天守閣から中央に宮殿棟を望む。左にMarstall厩として利用された棟、右に入って来た事務所棟=チケット売り場がある。 -
Katharinenkirche聖カタリナ(後述)教会:
12世紀、ロマネスク様式の聖カタリナ教会内に入ると、いきなり聖母マリアの像が空中に浮かんでいる(天井からロープで吊り下げられて)のに対面した。
大変珍しいシーンと思う。樫木で彫刻された聖母マリアは実に柔和なお顔をされていて、後期ゴシックのマイスター職人の手による作品、時代は1530年製とある。説明書にはdoppelgesichtigen Madonnaとあり、多分裏表がある聖母マリア像であったのだろう。確認していないのは残念!
ロマネスクの円天井の聖壇中央に“Herrgott von Bentheimベントハイムのキリスト十字架像”と、民間伝承で長く称されてきた石の十字架が立っている。1000年頃のもので中欧における初期キリスト教の状況を示すものとされている。
実にシンプルな聖壇と十字架周辺を守るように古びた紋章が彫られていた。説明書には天守閣の階段傍に立っていると写真入りで書かれていたが、やはり保存上も、又場所的にも教会内が相応しいと判断したのだろう。
写真はベントハイム城:Katharinenkirche聖カタリナ教会 -
写真はベントハイム城:かつては天守閣傍に立っていたHerrgottベントハイムのキリスト十字架像
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写真はベントハイム城:紋章他
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写真はベントハイム城:紋章図
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写真はベントハイム城:城門と同じ侯爵家の紋章
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イチオシ
多分、礼拝は身分に応じた二重の構成になっていて、教会内には二階がある。
そこから見る聖母、ベントハイムのキリスト十字架像は誠に印象深いものがあった。
写真はベントハイム城:聖母、ベントハイムのキリスト十字架像
*聖カタリナはアレクサンドリアのカタリナ(287~305年)とも云われ、初期キリスト教の殉教者で聖人。ローマ・カトリックでは伝統的に『十四救難聖人』の一人とされている。
ジャンヌ・ダルクと話したとされる聖人の一人。車輪作りの職人(陶工と紡績業者を含む)、教育者、研ぎ職人、弁護士、少女、機械工、製粉業者、看護婦、図書司書、学者など多くの分野の守護聖人になっている。
・・・・・ -
Kernburg本丸のKronenburg宮廷棟:
18世紀に戦争で被災し、居住できなくなった本丸を19世紀初め、40年間牢獄として使用していたが、1883年AlexisⅡアレクシス2世侯爵がかつての中世風のKronenburg本丸を再建させた。
1階:18、19世紀の馬車の展示場
宮廷棟の右手に中世時代の台所があるが、今はかつて侯爵家で使用した18、19世紀の馬車、橇、大きな輪の自転車といったものの展示場となっている。
2007年に侯爵家のプリンスが結婚式を挙げた際にも馬車が使用されたそうだ。
写真はベントハイム城宮殿棟内:馬車の展示場 -
写真はベントハイム城:Jacob_Van_Ruisdael作、1653年
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1階:Rittersaal騎士の広間
宮廷には付き物の騎士の広間がある。
13世紀、14世紀のロマネスク様式の騎士の広間は1913年、侯爵アレクシス2世の意向で、中世風の宴会用広間に改装された。
高い天井、ごっつい梁、シャンデリア、暖炉、旗、槍、馬が武具を付けた壁の装飾は中世風にアクセントをつけ、騎士の宴に似せた宴会の席も展示されている。
写真はベントハイム城宮殿棟内:騎士の広間 -
写真はベントハイム城宮殿棟内:狩りの間?
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写真はベントハイム城宮殿棟内:天井装飾も美しい
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イチオシ
2階:Schlafgemach寝室・・賓客用
他の部屋は中世風という事もあり、ネオゴシック、ネオロマネスク様式で整われていたが、夏の離宮風に1901年、ネオロココ様式の客室に改装された。
とりわけ、天蓋、ベッド、椅子、戸棚、鏡等々の家具は見事な雰囲気がある。
ここでの最高位のお客はオランダ王家のEmmaエンマ王妃でした。王妃は死ぬ1934年まで、度々この地で夏を過ごしたと云う。
侯爵家とオランダ王家がたいへん親しい関係であったのは次の理由によるものだった。
エンマ王妃はEmma von Waldeck-Pyrmontエンマ・ヴァルデック・ピルモントといい、ドイツのヴァルデック侯国の王女でした。姉Paulineパウリーネがベントハイム・シュタインフルト侯爵アレクシス2世と結婚していたのです。
写真はベントハイム城宮殿棟内:Schlafgemach寝室・・賓客用 -
2階:Bibliothek図書室、書庫、書斎
エルンスト・アウグストのサロンの前室は見事な木彫りの書架が並ぶ部屋である。ここにはウィーン会議後、死ぬ少し前の1817年にプロイセン王ヴィルヘルム3世により侯爵位を叙任されたFuerst Ludwigルートウィヒ侯爵の肖像画が架けられていた。
写真はベントハイム城宮殿棟内:Bibliothek図書室 -
写真はベントハイム城宮殿棟内:甲冑もある
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イチオシ
2階:Ernst August Salonエルンスト・アウグストのサロン
1900年、客人の居間は中世1500年の頃を思わせるネオゴシック風に改装されている。
ルネサンス風天井は木張りのもの、木彫り細工の壁、机、立派なカミン(暖房)など、更に1600年代にベントハイム伯領を拡大したGraf ArnoldⅡアーノルト2世伯、その左右にベントハイム城再建に功のあったアレクシス2世、パウリーネ侯爵夫妻の肖像画などが見られる。
サロンは現在、町の結婚宣誓所として利用されているとの事だった。
写真はベントハイム城宮殿棟内:エルンスト・アウグストのサロン -
写真はベントハイム城宮殿棟内:客人の居間
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写真はベントハイム城宮殿棟内:見事な天井
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写真はベントハイム城宮殿棟内:ステンドグラス
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写真はベントハイム城宮殿棟内:樫らしきステンドグラス
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写真はベントハイム城宮殿棟内:樫とどんぐりの実らしきステンドグラス
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2階:Remter食堂・・交差円天井の大広間
食堂の名を持つ交差円天井の大きな広間はネオゴシック風のサロンである。
ここにはベントハイム伯の美しい甲冑、プロイセン時代の軍服などの展示や、紋章画、樫とどんぐりの実や女神らしきステンドグラスが目を引いた。
写真はベントハイム城宮殿棟内:Remter食堂 -
写真はベントハイム城宮殿棟内:町を見下す
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写真はベントハイム城宮殿棟内:女神らしきステンドグラス
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写真はベントハイム城宮殿棟内:女神らしきステンドグラス
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Batterieturm(砲台塔)居住塔と地下牢獄
この円形の塔は15世紀に造られたもので、2層の建物は5mの厚い壁を持ち、重砲を装備できるものだった。現在、上階は17世紀以来、侯爵のファミリーが居住している。
その下層は重砲が置かれていたが、その後は馬匹による粉ひき場となり、今はかつての錬金術師の化学ラボを再現した展示になっている。最下層は地下蔵でかつては弾薬庫だったのだろう、その後は牢獄に転用したと云う。
写真はベントハイム城居住塔・牢獄内:錬金術師の化学ラボ -
写真はベントハイム城居住塔・牢獄内:錬金術師の化学ラボ
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写真はベントハイム城居住塔・牢獄内:最下層の地下蔵は牢獄
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Marstall厩棟:
18世紀までMarstall厩として利用された。この建物は古いコインなどの博物館、芸術作品の展示場となっている。
写真はベントハイム城博物館内:金貨 -
<ベントハイム城の歴史>
1050年にAbtei Werdenヴェルデン僧院の記録にベントハイムの名が出てくる。
1116年、 Kaiser Lothar III皇帝ロタール3世がこの地を取得し、Otto von Salm-Rhieneck義兄弟のザレム・リーネック家のオットーに与えた。
1146年、ユトレヒト司教領主との戦いで敗れ、ベントハイム城はオランダ出身のGraf Dietrich VIディートリヒ6世伯のものになった。その後、1160年頃、城壁、天守閣、火薬庫などが備えられて強固なものになって行く。
16~18世紀にかけて、30年戦争の被害も被ったが、バロック風宮殿に改築されていった。
1817年、ベントハイム伯は侯爵に叙任した。
写真はベントハイム城:俯瞰・・・手前が城門 -
Pulverturm=Bergfried天守閣・Wachturm監視塔:
中世以来の天守閣は四角の塔で、四層の高さは30mである。
中庭から階段を上がると平場があり、そこに塔の入口がある。入った2層目の塔内の中央に、金網がかけてある深い穴があった。覗いてみると穴の下には御賽銭のようにコインが溜まっていた。
下部の穴に降りる場所で“Angstloch恐怖の穴”と説明書にある。つまり、地上階と云うべき1層目にあたり、かつては守備兵が籠城して最後まで抵抗したとされる塔の穴は時代の変遷と共にその後、Verlies地下牢として使用されたそうだ。それ故、異名が付いたのだろう。
写真はベントハイム城天守閣内:金網の下にはコインが溜まっていた -
普段はあまり高い所に登らないのだが、ここは頑丈で上りやすい階段がある。
上った展望台から見る城内、プリンセスの庭園、ベントハイムの町、周辺の景観はすこぶる良い。
写真はベントハイム城天守閣:城門前広場を見下ろす -
写真はベントハイム城天守閣:町の眺望
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イチオシ
Prinzessinnengartenプリンセスの庭園:
この庭園は中世以来の菜園(台所用)があり、又侯爵ファミリーの私的な庭園となっていると云う。
写真はベントハイム城天守閣からの庭園ビュー、広々としたPrinzessinnengartenプリンセスの庭園、右に城門棟が見える。
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60分と十分時間をかけて、見て回ったので満足感がある。
が、さすがにお腹が空いた。
<お茶:Burg Bentheimベントハイム城下のカフェで>
14:15~14:45
御茶代Euro10.5+お土産40=Euro50.5(6,510円)
人口15千人の町、月曜日にしては人通りも少なく、お城のすぐ下にあった小さなカフェはワッフルを食べさせるらしい。
店に入ると子供たち用のお菓子・チョコレート・グミなども売っていた店だった。ココアにワッフルで温まり、お腹もおさまった。
写真はベントハイム城前にあったカフェ内: -
写真はベントハイム城前にあったカフェ内:ココアにワッフル
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私共に釣られたように二組のお客が入り、満席!
私共はついでにお土産も購入したから、お店の親父さんにとっては、思ってもみなかった良い客だったろう。
お土産内容はレープクーヘンEuro2.5、チョコレート入り袋3つEuro37.5合計Euro40。
14:50、バート・ベントハイムを出発。
写真はベントハイム城前にあったカフェ内:ココアにワッフル
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