2016/10/14 - 2016/10/28
9位(同エリア35件中)
jijidarumaさん
- jijidarumaさんTOP
- 旅行記518冊
- クチコミ584件
- Q&A回答105件
- 739,704アクセス
- フォロワー99人
2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間
第10日:9km *
今日は一日Muensterミュンスター観光である。St. Paulus-Dom聖パウロ大聖堂とDomkammer聖堂宝物館、
1540年製の天体時計、St. Lamberti-Kirche聖ランベルティ教会の塔と三つの鉄籠(叛徒の籠)、
Kiepenkerl Denkmalキーペンケアル(行商人)の銅像、Rathaus市庁舎:旧参事官室のFriedenssaal平和の広間
(ヴェストファーレン条約の締結)などを見て回る。
写真は聖ランベルティ教会の塔
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
<三十年戦争の講和条約締結地のミュンスターの町を一日観光>
第10日:10月23日(日)9km、午前は曇天、午後は晴れ、寒い朝3.5~9.5℃*
古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城=>B54・219 4.5km ドーム広場・Muensterミュンスター観光 =>B219・54 4.5km古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城
・・・・・・・・・・・
写真は右に市庁舎、左にラーツケラーのレストランがあるPfefferkorn Muensterペッパーコルン(胡椒の粒)ミュンスター市庁舎(ミュンスター) 現代・近代建築
-
写真はPfefferkorn Muensterペッパーコルン(胡椒の粒)ミュンスター
-
≪昼食:Rathaus市庁舎傍のPfefferkorn Muensterペッパーコルン(胡椒の粒)≫
D-48143 Muenster 、 Prinzipalmarkt 8-10
http://muenster.pfefferkorn-restaurants.de/
13:30~14:30 Euro25(3,223円)
ラーツケラーと思って入ってみたが、ステーキ・ハウスだった。
写真はラーツケラーのレストラン:円天井です。 -
注文したのはドルトムントのBrinkhoffブリンクホフのビール0.3l 2.8X2=Euro5.6、
二人で食べたトマトスープEuro4.9とペッパー・ブルガーの280グラムEuro13.5でした。
二人で十分な量、とても美味しくて満足しました。
写真はラーツケラーのレストラン:まずはビールで -
秋のドイツとビール:
2016年の今年は「ビールは麦芽・ホップ・水・酵母のみを原料とするべし」と定めたドイツのビール純粋令発布500周年(1516年4月23日にバイエルン公ヴィルヘルム4世が制定した法)の年に当たる。
ドイツには約5000の種類と1300もの醸造所があり、どこよりもビールが生活に文化に浸透しているドイツでは、ビールを通してドイツが見えて、観光も楽しくなります。
秋の収穫祭に乾杯!
写真はラーツケラーのレストラン:面白い絵柄のビールのコップ -
写真はラーツケラーのレストラン:トマトスープ
閑話休題:
2009年にドイツのフランケン地方を旅した。
バンベルクの東にFraenkische Schweizフレンキッシェ・シュヴァイツ(フランケンのスイス)と呼ばれる地方がある。低い山の連なる丘陵(標高300mから600mほどの山や丘陵が連なる地域)には時には切り立った断崖をもった岩山や渓谷も多く、起伏に富んだ地形になっているので、スイスに重ね合わせてこう呼んでいる。
Die Burgenstrasse古城街道沿いで、古くから、岩山を利用した要害堅固な城が築かれて、中世にはフレンキッシェ・シュヴァイツ地域においては170を数える、様々な城郭があった。現在でも居住し、あるいは居住が可能である古城は39も残っているそうである。
その内、24の古城は絶壁の上に聳え、しばしば絵画的な、岩山の上に君臨している。それらの城はフレンキッシェ・シュヴァイツの風景の中に、最も大きく、魅力的な”宝石”として、点在しているのだ。
そのフランケン・スイス地方の古城群を巡った際、こんな事があった。
夕食:Muggendorf/WiesenttalヴィーゼンタールのHotel Restaurant Feilerファイラー
グルメレストランを称するだけに、大変美味しい料理でした。
シュパーゲル(白アスパラ)料理も様々なレシピがある。家内の頼んだリソットもなかなかの美味しさで、満足しました。Walkuereワルキューレのブランドのお皿を使用。ドイツのレストランではローゼンタールが圧倒的なシェアーで、使用されていますが、たまたまお皿の裏を返してみたらワルキューレの商標があり、ちょっとびっくりしました。
さて、ここでは最初にお酒を頼むか?考えたのです。食事後、宿泊先の古城ホテルまでまだ24kmを走らねばならないことを思った所為です。
昔と違って、ドイツも飲酒運転には厳しくなったと聞き及んだ所為だ。給仕嬢に聞いてみると、さすがにはっきりは言わない。
(続く) -
写真はラーツケラーのレストラン:ペッパー・ブルガー 280グラム
(続き)
この会話を聞いていた隣席の老夫婦のご主人が笑いながら、
『酔うと二つの眼が広くなる』(つまり、道路が倍の広さになるから心配ないよ!?)と冗談を言われた。
このホテルの常連客で南西部のStuttgartより、毎年、春・秋の二回、この地域に来られるとか。
大学教授のような御主人は74歳で、明るい笑顔の奥さまは私共と同じ65歳だそうだ。
『昨年の春は、ここは大雪で、大変でしたよ』とか、食事の合間に話も弾む。
こちらからも“フランケンのスイス”とか、”バンベルグの小ベネチィア”とかいった言い方はドイツとしては、つまらない言い方ではないか?!”と聞くと、
『そうだが、150年ほど前から、こうした言い方が広まってしまい、今は対外的にその言葉の方が観光的に宣伝効果も高いと考えているのでしょう』
そして、こんな事を知っているかと更に聞く。
『一つの町に教会が2つ、3つのビール会社』・・・つまり、この数はフランケンのスイス地方の様子を言っていて、どんな小さな町でもキリスト教会は新教・旧教の宗派に従って2つある。
更に驚くのはビール会社の数が多いということだ。この辺りを走った一日、その通りの光景に出合った。
世界で最も醸造所密度の高い市町村はギネスブックによれば、フランケンのAufsessアウフゼスである。この村には約1,500人の村民に対して、4つのビール醸造所があると云うからビックリだ!!
御主人が『ドイツ婦人の3大必須事項は何か?』と、またまた私どもに聞く。
『答えは洗濯・掃除・食事を作ること』だそうです。
日本も同じようなもの!だが、ドイツのご婦人たちの徹底した家事のやり方を知っているので、納得です。
話も面白く、もっとあったようだが書き記したのではないので、これ以上は思い出せない。
食事を終え、別れ際に“お二人の写真を旅の記念に御撮りして良いですか?”と聞くと、『Nein不可!』との応えです。
“写真はその撮られた人の精神を吸い取ってしまうと言いますからね!”と申し上げると、ニコッと笑っていました。
今夕は予想もしない、楽しい夕食になりました。旅の醍醐味です。
・・・・・ -
参考:
Hotel Restaurant Feilerホテル レストラン ファイラー
D-91346 Muggendorf/Wiesenttal、Oberer Markt 4
http://www.hotel-feiler.de/
全14室・?星。
Fraenkische Schweizの中央・Wiesenttalヴィーゼンタールの絵のように美しい保養地に位置し、創業100年の歴史を誇る木組み建築の建物は5代にわたってホテル・レストランを経営してきたことを物語っている。
フレンキッシェ・シュヴァイツの郷土料理を得意としたグルメなプチホテルである。山間部の特色を生かしたジビエ料理やフランケンワイン・地ビールを楽しめる。木組み建築の建物はテレジアン・イエローの壁を茶色と緑で枠取りした、美しい外観を持ち、たいへんセンスの良いレストラン内部には感心させられた。
古城ホテルが予約できなかったら、多分ここを選んでいただろう。
写真はホテル レストラン ファイラーの正面 -
*Erste Bayreuther Porzellanfabrik Walkuere Siegmund Paul Meyer GmbH
<Walkuereワルキューレ>
1899年創業。バイロイト一(若しくはバイロイト最初の)の陶磁器メーカーと、会社名に長々と付けているように、その歴史はバイロイトと共にある。
創業者のSiegmund Paul Meyerは1890年、24歳の時に生まれ故郷のニュルンベルグを去って、バイロイトの陶磁器工場の販売員になった。6年後独り立ちし、陶磁器やガラスの店を購入し、更に3年後には100名の従業員をかかえる陶磁器メーカーを創業した。
1906年には従業員200名。Walkuereワルキューレのブランド名で耐火性の台所器具・食器を専門的に生産し、製品の75%を世界中に輸出するまでに発展する。第一次大戦後は“黄金の20年”と言う時代に更に発展するが、第二次大戦で大きく落ち込んでしまう。
戦後はゆっくりとした歩みで、徐々に発展を遂げてきた。“美食用の陶磁器”がモットー。
写真はワルキューレの皿の裏 -
写真はHotel Restaurant Feilerファイラーのレストラン
-
④St. Lamberti-Kirche聖ランベルティ教会の塔と三つの鉄籠(叛徒の籠)
Lambertikirchplatz
http://www.st-lamberti.de/de/
昼食の後、やってきたのは聖ランベルティ教会(開館:9時~19時)です。
聖ランベルティ教会は1375年から1450年の間に建てられた。
この教会の塔にはなんと今でも塔の番人がいて、毎晩角笛を吹いて火事注意を呼びかけると云う。
写真は聖ランベルティ教会の塔:右上に見えるのは三つの鉄籠(叛徒の籠)ラムベルティ教会 寺院・教会
-
イチオシ
ランベルティ教会にはその塔の先に三つの鉄籠が吊られているが、そこには16世紀の半ばに洗礼派扇動者(ミュンスターの反乱)三人の遺体が入れられていたそうだ。
宗教改革の頃、1534年ミュンスターの町を一時新教派の再洗礼派が支配した。これを旧教派のカトリックの軍隊が攻め再洗礼派の首謀者を処刑し、見せしめのためこの檻に入れて教会の塔に吊るし晒した。
写真は聖ランベルティ教会の塔:上中央に見えるのは三つの鉄籠(叛徒の籠) -
鉄籠が何処にあるか分からないので、教会の小母さんに聞いてみると、親切にも売り物の小冊子のページを開き「ここにあるよ」と指さしてくれた。
「この小冊子2冊を貸してあげるから、持って外に出て見てごらん」と言う。
有りがたいことに直ぐ分かった。小冊子を戻しに行くと、嬉しいことに教会の絵葉書1枚を頂戴してしまった。
写真は聖ランベルティ教会の塔:小母さんが貸してくれた三つの鉄籠(叛徒の籠)の説明書 -
(2015年7月、ドイツ黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅をした際に知った無実の罪で処刑された*『宮廷ユダヤ人ズュース・オッペンハイマー』の話も鉄籠で処刑されたのだった。1738年2月シュツットガルトの丘で、オッペンハイマーはKaefig鳥かごの中に入れられて、酷いことに6年の間、見せしめにその様子が人々に公開されていた)
*無実の罪で処刑された『Jud Suessユダヤ人ズュース』
https://4travel.jp/travelogue/11025062
写真は聖ランベルティ教会内 -
尚、聖ランベルティ(=St. Lambertus聖ランベルトゥス、635~705年)は2013年の旅で知ったベルギー・アルデンヌ狩人の守護聖人St.Hubertus聖フベルトゥス(マーストリヒトとリエージュの司教で聖人:655~727年)の前任者であり、精神的師でした。キリスト教の布教に勤め、705年には異教徒の改宗を完了したが、この為に彼はリエージュにおいて殺害され、殉教者となった。
聖ランベルティの遺骸を祭るために、彼の後継者の聖フベルトゥスはリエージュにバシリカを建設したと伝えられる。
写真は聖ランベルティ教会:聖壇画 -
さて、聖ランベルティ教会から大聖堂経由で侯爵家の城に向かうと、途中、こんな建物があった。
写真はユーゲント・シュティール (Jugendstil)建築様式・・・アール-ヌーボー様式 -
イチオシ
⑤Fuerstbischoefliche Schloss侯爵家の城とWestfaelische Wilhelms-Universitaetヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学
豪華な彫像が正面を飾る侯爵家の城は1767~1787年に三つの翼を持つ建築群として建設された。St. Paulus-Dom 大聖堂と同様に典型的なBaumberger Sandsteinバウムベルク(ミュンスターラントのKreis Coesfeldコースフェルト郡)の砂岩で造られている。
1780年創立で、第二次大戦で罹災した城は再建され、1954年よりWestfaelische Wilhelms-Universitaetヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学となった。
4.4万人の学生が在籍する大学は15の学部に130の学科から構成されるドイツでも最も大きな総合大学のひとつになっている。
通称は町の名をとってミュンスター大学と言うが、大学の正式名称ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学であり、ヴィルヘルムとその名を残しているのはミュンスター城をその居城としていたドイツ皇帝ヴィルヘルム2世である。
ミュンスターの人口は31万人、これに占める学生の割合が大変高い都市である。
写真は侯爵家の城の正面・シュロス広場レジデンス (シティ パレス) 建造物
-
写真はゼンド(キルメス):ドイツ自動演奏器
-
<Muenster・Sendミュンスターのゼンド(キルメス)>
侯爵家のシュロス広場では賑やかなキルメスが行われていて驚いた。
中に入ろうとすると、セキュリテイの青年に問いかけられ、リュックザックの中身をチェックされた。何故と聞くと「爆弾!武器の所有チェック中だ」という。「私共は日本人で、老人でもある。テロリストであるわけが無いよ!」と笑いながら、ザックの中身を見せた。
昨今の情勢も分かるが、この白髪の老人夫婦に、日本人観光客とは分からないとはいえ、通り一遍のチェックながら、その対応にちょっと?であった。
写真はゼンド(キルメス) -
<Botanischer Garten大学付属植物園>
侯爵家の城の本館左には見事な木々の並ぶ城庭園へ続く小さな門があり、かつての厩の建物辺りに植物園が19世紀後半に造られた。
プラタナスの大木が目に付いた。
⑥プロムナード
かつて街の城壁が聳えていたところは、旧市街を囲む緑化ゾーンとなり、菩提樹の並木道が続くプロムナードは自動車乗り入れ禁止で、歩行者と自転車の主要な交通路となっている。
写真はプラタナスの大木の前で -
それはともかく、私共が度々見てきた、毎年7月の中旬に約4百万人の訪問者を迎えるドイツ有数のライン・KIRMES(キルメス)はデュッセルドルフのオーバーカッセル側、Duesseldorfer Brueckeデュッセルドルフ橋と、Kniebrueckeクニー橋の間の約165,000㎡のスペースの川沿いで開催される。
ミュンスターのゼンド(キルメス)は年間100 万以上の訪問者と云う。私共にはデュッセルドルフの4分の1の規模はそう大きなものと思えなかったが、天気に恵まれて人出も多く、皆歓声を上げて楽しんでいる。
ゼンド(キルメス)はシュロス広場で春、夏、秋の年3回開催されるミュンスターラント最大の移動遊園地であり、ミュンスターの民俗祭という位置づけである。
メリーゴーランド、射撃や輪投げ、観覧車やジェットコースターなど乗り物やビール・焼きソーセージなど定番の出店があって、賑わっている。金曜日夜には花火大会もあったようだ。
写真はゼンド(キルメス) -
写真はゼンド(キルメス):楽しそうなメリーゴーランド
-
写真はゼンド(キルメス):カレーソーセージなどの売り場
-
写真はゼンド(キルメス)
-
尚、ライン・キルメスに関して追記すれば、「Schuetzenfest(射撃祭り)」は既に700年前からSt. Sebastianus Schuetzenverein聖ゼバスチアヌス射撃協会(会員1.5千人)が彼らの守護聖人St. Apollinaris(聖アポリナリス・・・レマーゲンの項参照)の日(7月23日)を祝ってきたと云う。
キルメスのイベントの一部として、「Historische Festzug歴史的なパレード」が行われ、3千人以上のユニフォーム姿の射手たちが、ブラスバンドの演奏と共に行進し、美しく飾られた馬や馬車(車)も参加する大きなパレードである。
写真は参考のデュッセルドルフ:ライン川畔のキルメス -
写真は参考のデュッセルドルフ:ライン・キルメス「Schuetzenfest(射撃祭り)のパレードは旧市街を行進する
-
イチオシ
⑦Glockenspiel am Haus Nonhoffハウス・ノンホフの仕掛け時計
Rothenburg 13、日に12時、16時、17時、18時に行われる。
城前の賑やかなキルメスの場から離れ、足早に大学通り、ローテンブルク通りを歩いた。
世界時計が16時を指すと同時にハウス前に至り、すると一番上の人形(王と臣下に見えたが)が動き出し、二段目の扉が空き、人形(職人の格好していた)が動き出した。
音楽はなんと“オー!シャンゼリゼ”(1969年のシャンソン、世界的にヒットした)を歌っていた。時間は5分ほどと短い間ですが、市民には見慣れた光景なのでしょうか、見上げるのは私共だけでした!
https://www.youtube.com/watch?v=BgrR2BE-If0
写真はハウス・ノンホフの仕掛け時計 -
写真はハウス・ノンホフの仕掛け時計
-
⑧Stadthausturmシュタットハウス塔
町一番の通り、カーブを描く通りというのも面白い。
市庁舎のあるプリンツィパルマルクト通りを南にいった端に立つ塔です。
1902~7年にかけて建設され、かつてのシュタットハウスの形をよく残していると云う。
ハウス・ノンホフと同じように仕掛け時計が毎日11時、15時、19時に鳴る。
写真はシュタットハウス塔 -
写真はシュタットハウス塔の出窓下
-
写真は市庁舎のあるプリンツィパルマルクト通り
プリンツィパルマルクト 散歩・街歩き
-
写真はMuenster_ Prinzipalmarkt市庁舎のあるプリンツィパルマルクト通り
-
写真は市庁舎のあるプリンツィパルマルクト通りで、アコーデオン弾きと
-
写真は市庁舎のあるプリンツィパルマルクト通りでを観光客を乗せて馬車が行く
-
<お茶:Gasthaus Grosser Kiepenkerlガストハウス・大きなキーペンケアルにて>
D-48143 Muenster 、Spiekerhof 45,
http://grosser-kiepenkerl.de/
16:20~16:55 Euro13(1,676円)
私はコーヒーEuro2.6、家内は紅茶Euro2.95、ケーキはアプフェルシュトゥルーデル(リンゴ)、サクランボのシュトゥルーデルを頂いた。
写真はガストハウス・大きなキーペンケアル前で -
写真はガストハウス・大きなキーペンケアル内
-
写真はガストハウス・大きなキーペンケアルでお茶をする。
-
写真はガストハウス・大きなキーペンケアル:ケーキは右にアプフェルシュトゥルーデル(リンゴ)、左にサクランボのシュトゥルーデル
-
尚、Deckenbrock Kleiner Kiepenkerlデッケンブロークの小キーペンケアル
http://www.kleiner-kiepenkerl.de/
銅像の場を囲んで、この店の左手には小さなキーペンケアルもあります。小キーペンケアルにもレストランがあり、どちらにするか迷った。
写真はガストハウス・大きなキーペンケアルで -
17:15、パークハウスを出て、古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城に帰る。
17:30、気温は9.5℃、天気が良くなったが、気温は上がらず。
部屋で19:00まで休憩。夕食の為に再び外に出る気にならず、TVを見ながら、夕食代わりの果物の洋ナシ・リンゴ・バナナ、お煎餅、チョコレートを頂き、カプチーノなどを飲む。
だらだらと整理・明日の準備をして、TV番組の終了共に1:30就寝。
・・・・・・・・・・
写真は古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城:本館 -
以下は観光できなかった所をご参考に;
<LWL美術・美術史博物館>
特見に価するのは中世初期の絵画と彫像、ステンドガラス、後期ゴシックのウェストファリアの陶磁器です。近代の部分には、ドイツ印象派から国際的なアヴァンギャルトまでの作品が展示されている。
<市立博物館>
デパートを改築して建てられたこの博物館には、ミュンスター市の成立期から現在に至るまでの歴史や文化史が大きく展示されている。
<Erbdrostenhofエルブドロステンホーフ>
バロック建築家J.C.Schlaunシュラウンが1753?57年に建てたこの傑作は、クレメンス教会やドミニコ派教会とともにSalzザルツ通りの「バロックアイランド」を形成した。
写真は古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城:水堀に急ぐ -
<現代建築>
市立劇場・・いくつかの建物が絡み合ったような建築(ダイルマン、フォン・ハウゼン、ラーフェ、ルーナウ)は、1956年に劇場建築の「自由をもたらす雷鳴」として大いに喝采を浴びました。
市立図書館・・1993年完成の独特の二重建築(ボレス+ ウィルソン)と並んで同じく巧妙で見事なアングルと道を織り成す建物が登場しました。
司教区図書館・・2005年完成の三部からなる建物(マックス・ドゥードラー)は、そのシャープな輪郭が印象的なだけではなく、すぐ近くの歴史的なユーバーバッサー教会とも美しく調和しています。
NRW銀行・・ミュンスターの象徴のごとく緊張感と瀟洒の中に新旧が一つになったこの建物(アイスフェル ト・エンゲル)は、2010年に州とNRW建築家協会により州の「模範的建物」に加えられました。
シュトゥーベンガッセ / ハンゼ・カレ-・・中心街に残っていた最後の戦争の瓦礫が新装改築され(フリツェン、ミュラー・ギーベラー、カスパー、ダイルマン、クレージング)、2010年度のドイツ都市建築賞に輝きました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
XXX
写真は古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城:水堀に急ぐ -
写真は古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城:裏手の果実園・庭園
-
写真は古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城:裏手に回って
-
写真は古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城:水堀
-
写真は古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城:本館とスイート棟
-
写真は古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城:スイート棟の玄関
-
写真は古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城:スイート棟の玄関
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
-
前の旅行記
ドイツの秋:⑲三十年戦争の講和条約締結地のミュンスターを一日観光(その①)
2016/10/14~
ミュンスター
-
次の旅行記
ドイツの秋:21ミュンスターラントの古城(水城)を巡る
2016/10/14~
ノルトライン・ヴェストファーレン州
-
ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
2016/10/14~
デュッセルドルフ
-
2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅(帰国のご挨拶)
2016/10/14~
デュッセルドルフ
-
ドイツの秋:①やむを得ず第1日をデュッセルドルフ空港のシェラトンホテルに泊まる
2016/10/14~
デュッセルドルフ
-
ドイツの秋②木組みの家が並ぶフロイデンベルクと双頭の塔が目立つグライフェンシュタイン城
2016/10/14~
ヘッセン州
-
ドイツの秋:③ビューディンゲンの蛙(蛙戦争)で知られた古城ホテル ビューディンゲン城
2016/10/14~
ヘッセン州
-
ドイツの秋:④ビューディンゲン城の姉妹城・ロンネブルク城には孔雀がいた
2016/10/14~
ヘッセン州
-
ドイツの秋:⑥霧に包まれたワインの使者・ヨハネスベルグ城を再訪
2016/10/14~
ライン川流域周辺
-
ドイツの秋:⑧故郷青梅市の姉妹都市ボッパルトを訪ね、ラインの大蛇行を展望台から見下ろした。
2016/10/14~
ライン川流域周辺
-
ドイツの秋:⑨モーゼル川中流の古城ホテル ツェル城のTurmzimmerタワールームに2泊した。
2016/10/14~
その他の観光地
-
ドイツの秋:⑩モーゼルワイン街道巡りにはローマ人のワイン舟や大蛇行やローレライまである。
2016/10/14~
その他の観光地
-
ドイツの秋:⑫小雨降るモーゼル・コッヘムから伝説の地マリア・ラーハ僧院へ
2016/10/14~
コッヘム
-
ドイツの秋:⑬アールワイン街道の町アールヴァイラーはお気に入り
2016/10/14~
その他の観光地
-
ドイツの秋:⑭アール赤ワイン街道を走る。
2016/10/14~
その他の観光地
-
ドイツの秋:⑮10年前の旅でも訪れたアールヴァィラーは相変わらず美しい
2016/10/14~
その他の観光地
-
ドイツの秋:⑰独米両軍の激戦地・黒々としたレマーゲンの鉄橋跡、美しいアポリナリス教会
2016/10/14~
ライン川流域周辺
-
ドイツの秋:⑲三十年戦争の講和条約締結地のミュンスターを一日観光(その①)
2016/10/14~
ミュンスター
-
ドイツの秋:⑳三十年戦争の講和条約締結地のミュンスターを一日観光(その②)
2016/10/14~
ミュンスター
-
ドイツの秋:21ミュンスターラントの古城(水城)を巡る
2016/10/14~
ノルトライン・ヴェストファーレン州
-
ドイツの秋:23Xantenクサンテンという珍しい名の町は「聖者たちの場所」である。
2016/10/14~
ノルトライン・ヴェストファーレン州
-
ドイツの秋:24Xantenクサンテンの町はかつて古代ローマ軍団の都市であった。
2016/10/14~
ノルトライン・ヴェストファーレン州
-
ドイツの秋:25デュッセルドルフ・またまた訪れたKoeケーのカフェ・ハイネマン
2016/10/14~
デュッセルドルフ
-
ドイツの秋:26旧市街の縁起物二つ:“金貨をひり出す男”の像と仕立屋シュナイダーの像
2016/10/14~
デュッセルドルフ
-
ドイツの秋:27最終日は訪れたことがないヘッチェンス(陶磁器)博物館を見学した。
2016/10/14~
デュッセルドルフ
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
ミュンスター(ドイツ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
0
48