2016/10/14 - 2016/10/28
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jijidarumaさん
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2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間
<デュッセルドルフから赤髭王(バルバロッサ)のビューディンゲンの森へ>
第2日:10月15日(土)・・294km、朝小雨、晴れ間も出たが曇天の日、10.5~17℃*
Burg Greifensteinnグライフェンシュタイン城=>L? 10km(Herbornヘルボルン)=>A45 72km(Altenstadtアルテンシュタット)=>B521・457 13km Buedingen・古城ホテル ビューディンゲン城
写真はビューディンゲン城の色付き(日本も含んだ各国の国旗で色付けた)の蛙が壁に張り付いた城門
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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A45を72km走るとAltenstadtアルテンシュタットの出口になり、ビューディンゲンに向かう国道はB521・457、2013年の記憶も残るビューディンゲン城への道は分かりやすかった。最初の日はほぼ予定に近い294kmを走った。
写真はBuedingenビューディンゲンの紋章Hotel Schloss Büdingen ホテル
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15:00丁度にビューディンゲン城の色付き(日本も含んだ各国の国旗で色付けた)の蛙が壁に張り付いた城門をくぐった。
待っていたレセプションの女性は2013年の方ではなかったが、チェックインの手続きをする。
Vorburg一の丸ともいえる城郭の一部にホテル棟を設けているが、案内されたのはその2階の白雪姫の部屋=5号室(2013年と同じ)でした。
相変わらずホテル客は少なそうで、今夜も私共だけが宿泊客だった。
写真はビューディンゲン城 -
写真はビューディンゲン城の縄張り図
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写真はビューディンゲン城のパンフレットをスキャンしたもの
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≪Schloss Buedingenビューディンゲン城:Kernburgケルンブルク・本丸内博物館見学②≫
16:40~17:40 ガイド付き見学料Euro30(3,508円)・・・事前の交渉ではEuro35だったが、何故かEuro 30になった。
(14~17時開館:月は休み。2016年の城庭園祭りは9月08日~11日)
この古城ホテルは2013年にメルヘン街道を走った際に宿泊した。
この時は月曜日の到着で、翌日も次の目的地に向かう為、博物館を見るチャンスが無かったのですが、頂いたパンフレットを見てみると、本丸には伝説の門番の石像、魅力的な張り出し窓、階段塔、天守閣があり、宮廷内には幾つものフレスコ絵画の間、台所、曲線状の広間(城内図書館)、城内礼拝堂、暖炉の間、食事の間、武器の間等が見られ、今回は是非見学したいと思ったのです。
写真はビューディンゲン城の入口(2013年) -
写真はビューディンゲン城の入口
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イチオシ
ビューディンゲン城は13世紀半ばに作られた25.8m高さ、幅16.6m(上部塔のみは高さ9m、幅5.5m)を持つ2段階の珍しい天守閣を中心にした城郭で、かつての水城を思わせる水掘が周囲に見られ、城の後方にはKuechenbachキュッヘンバッハという小川が流れ、Schlossteich池が点在し、その跡を示している。
城郭の後背には広大な庭園が広がり、緑の中に中世のロマネスクからバロック様式の城が立っている。
写真はビューディンゲン城の魅力的な張り出し窓傍に、色付き(日本も含んだ各国の国旗で色付けた)の蛙が壁に張り付いている。一の丸に入る門。 -
写真はビューディンゲン城:Vorburg一の丸ともいえる城郭の一部・・・ホテル棟とカフェなどが有る
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写真はビューディンゲン城
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写真はビューディンゲン城:2段階の珍しい天守閣は改装中・・・レンタカーとガイドのエリザベート夫人の車が見える
改修中の天守閣が見えるが、「改修費用を誰が出すのかしら!」と皮肉交じりにエリザベートさんがぼやく。城主・経営者のヴォルフガング・エルンスト・イーゼンブルク・ビューディンゲン侯爵は2011年に侯爵家の私有会社と、エルンスト侯爵自身も破産したからである。 -
写真はビューディンゲン城の裏手
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写真はビューディンゲン城:秋の庭園と小川
かつての水城を思わせる水掘が周囲に見られ、城の後方にはKuechenbachキュッヘンバッハという小川が流れ、Schlossteich池が点在し、その跡を示している。 -
写真はビューディンゲン城:天守閣が庭園側から見える
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写真はビューディンゲン城:城主の住居は黄色のビラ
城主・経営者のヴォルフガング・エルンスト・イーゼンブルク・ビューディンゲン侯爵は写真中央右の“黄色のヴィラ”と呼ばれる邸宅に住んでいる。 -
写真は古城ホテル ビューディンゲン城:2階の白雪姫の部屋=5号室(2013年と同じ)でした。
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写真は古城ホテル ビューディンゲン城:2階の白雪姫の部屋=5号室
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写真は古城ホテル ビューディンゲン城:2階の白雪姫の部屋=5号室には中間の部屋があり、自炊もできる設備がある。
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写真は古城ホテル ビューディンゲン城:2階の白雪姫の部屋=5号室の浴室
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前回2013年の訪問で、ビューディンゲン城に残る伝説を三つ見つけた。
伝説①:皇帝と炭焼き人
伝説②:真夜中に城門の左右の石像が入れ替わる
伝説③:若き伯爵夫人エリザベート妃とビューディンゲンの蛙(蛙戦争)
写真はビューディンゲン城:Kernburgケルンブルク・本丸内博物館見学
本丸前に立つ石像 -
写真はビューディンゲン城:Kernburgケルンブルク・本丸内博物館見学
本丸前に立つ石像
『ビューディンゲン城に残る伝説②:真夜中に城門の左右の石像が入れ替わる』
城の城門の左右に2つの石像が棍棒を持って、門番のように張り番をしている。
この石像が毎晩、真夜中になると、左右入れ替わると云う。
これを目撃した人は吃驚して、町の住民に漏らしたが、彼は町の住民たちに“嘘つき者”と呼ばれてしまった。
その後、これを目撃する人も口に出すことを避けた為、真実は分からぬままに伝説だけが残った。
・・・・・ -
今回はKernburg本丸特別参観(5人以上がガイドの条件で、この為5人分の30ユーロを払った)を申し入れ、16時に予約をしました。
なかなか前の組が終了せず、レセプションのルーマニア女性(ドイツ人と結婚しているそうで)も夫のことが気になったのか、早く帰りたい様子を見せはじめ、私共も立って待つのも疲れてきました。
30分ほど前の組のガイドが長くなり、私共は16時40分に漸く始まりました。
ガイド役のFrau Elisabeth Goemmernエリザベート・ゲンメルン夫人は78歳の高齢だが、大変元気で声も足腰もしっかりし、この歳まで長くガイドをされてきた由、たいへん丁寧に私共二人だけにも手抜きのないガイドをしてくれました。
写真はビューディンゲン城:Kernburgケルンブルク・本丸内博物館見学
天井に紋章が見える -
魅力的な、美しいErkerエルカー(張り出し窓)、Treppentuerme階段塔、蔦を丸めた2つのオブジェ、そして金色の王冠を頭に載せ、顔と手が緑色、胴体が赤色の大きな蛙の王様が迎えてくれる中庭で、ビューディンゲン城の歴史的概略から彼女の説明が始まった。
写真はビューディンゲン城:本丸内博物館見学:エルカー(張り出し窓)、中庭のオブジェ、蛙の王様 -
誰かにもらったのだろう1本のワインを階段に置きっぱなしにして、鍵をガチャガチャさせながら重い扉を開け、私共を城内の2階に案内しました。
エリザベートさんは「城はたいへん寒く、暖炉やオーブンの暖房程度ではとても寒くて我慢が出来ないものですよ。居住には向いていないのです。この為、近代の城主たち家族は城内に住むことはせず、別に住居を持った」と言う。
今も城主のヴォルフガング・エルンスト・イーゼンブルク・ビューディンゲン侯爵は裏手の広大な庭園の少し高台にある洒落た“黄色のヴィラ”と呼ばれる邸宅に住んでいる。
改修中の天守閣が見えるが、「改修費用を誰が出すのかしら!」と皮肉交じりにエリザベートさんがぼやく。城主・経営者のヴォルフガング・エルンスト・イーゼンブルク・ビューディンゲン侯爵は2011年に侯爵家の私有会社と、エルンスト侯爵自身も破産したからである。
写真はビューディンゲン城:本丸内博物館見学:紋章が彫られている。 -
イチオシ
Palas宮廷内には幾つものフレスコ絵画の間がある。最初に見た円天井の間は“絵画の間”と言う。
くすぶった色合いで暗い光の中ではよく見えないが、イーゼンブルクとハーナウ両家の紋章が壁に描かれ、円天井の中心にも紋章が付く。
そしてここのフレスコ画は天井に沿った壁に黒い墨絵のように聖人なのか不明だが、Lucasルーカスといった名前が書かれた裸身の人物たちの群像が描かれていて、迫力のあるものだった。古めかしい銭函、槍、陶器、立派な家具、そして13世紀から今日まで続くイーゼンブルク侯爵家の家系図が見て取れる。
2階に上がった時は気付かなかったが、真っ白なシュロスガイスト(お城の幽霊)の入った輿が入口傍にあった。エリザベートさんに聞いてみると、「ある時の催しに使ったもので、主催者が置いていったものですよ」と笑って答えてくれた。
この部屋はフレスコ画が壁一面に描かれた“ヘラクレスの間”と言い、ギリシア神話の英雄・巨人のHerculesヘラクレスが太いこん棒で、多頭の大きな蛇(レルネーのヒュドラー:9つとも100とも言われる頭を持った水蛇、退治されたヒュドラーは天のウミヘビ座となる)と戦う図である。
写真はビューディンゲン城:本丸内博物館見学 -
写真はビューディンゲン城:本丸内博物館見学
“絵画の間”のパンフレットをスキャンしたもの -
写真はビューディンゲン城:本丸内博物館見学
“絵画の間”の真っ白なシュロスガイスト(お城の幽霊)の入った輿。 -
写真はビューディンゲン城:本丸内博物館見学
“絵画の間”にはイーゼンブルクとハーナウ両家の紋章が壁に描かれ、円天井の中心にも紋章が付く。 -
そして次の間に進むと“民衆が音楽を楽しんでいる図(1546年)”がある。
フレスコ画はこの城の14世紀ルネサンスの重要な文化財ながら、ある王女様はこの絵を嫌って消そうとしたと云われている。
暗くなった部屋でこれらの絵を見れば、王女様の気持ちに納得がいくだろう。
写真はビューディンゲン城:本丸内博物館見学・“民衆が音楽を楽しんでいる図(1546年)” -
“武器の間”には初代ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世から寄贈された甲冑一体や、イーゼンブルク・ビューディンゲン侯爵が携行したサーベル一振りがガラス戸の中に納められ、甲冑、長槍の様々な武器が展示されている。
写真はビューディンゲン城:本丸内博物館見学 -
小さな鉄砲、何十ものナイフを一つにした武器も珍品である。
写真はビューディンゲン城:本丸内博物館見学 -
“錬金術師の台所”と今日称している場所は18世紀の薬品工房のようなもの、“Krummer Saalクルマーザール(曲線状の広間:旧図書館があった)”は礼拝堂と居住棟の台所との間にあり、ここも歩いたが、かつての図書館の蔵書(4万5千冊を数える)を移したのか、その様子は見ることが出来ず残念だった。
写真はビューディンゲン城:本丸内博物館見学 -
写真はビューディンゲン城:本丸内博物館のパンフレットをスキャンしたもの。
かつての図書館の蔵書(4万5千冊を数える)の様子が見えるが、今期のガイドではその様子は見ることが出来ず残念だった。
蔵書を移したのか、差し押さえられたのか? -
見事な彫刻を施した聖歌隊の席とゴシック様式の“Schlosskapelle城内礼拝堂”は15世紀末に新たにGraf LudwigⅡルートヴィヒ2世伯により作られたもので、たいへん見ごたえのあるものです。現在も侯爵家の結婚式には利用されていると云う。
写真はビューディンゲン城:本丸内博物館・“Schlosskapelle城内礼拝堂”の聖歌隊席 -
写真はビューディンゲン城:本丸内博物館・“Schlosskapelle城内礼拝堂”の聖歌隊席
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イチオシ
ここでの圧巻はエリザベートさんが城内礼拝堂内で歌った讃美歌でした。
礼拝堂内の音響効果は良く、歌う本人もきっと気分が良いことでしょう。彼女の素晴らしい歌声に驚き、二人で拍手をおくりました。
前の組(20名程のドイツ人の団体でしたから、きっとアンコールに答えたことでしょう)が30分も遅れた理由も、サービス精神いっぱいの彼女の様子から分かりました。
歌に驚き、聖歌隊席の防火の神様St.Florian聖フロリアンの彫刻などを見忘れた。
写真はビューディンゲン城:礼拝堂でエリザベートさんが熱唱する。 -
写真はビューディンゲン城:本丸内博物館見学
パンフレットをスキャンしたゴシック様式の“Schlosskapelle城内礼拝堂” -
本丸内の案内は左のPalasから右のHofstubeにいたるまでである。ソロソロ終了になる。
次の円天井の部屋は“ゴシック様式のSaalbaus集会堂”で大きな広間である。中に踏み入ることが出来ないのは今もサロンとして使用しているからだろう。
右にSauhatzイノシシ狩りのフレスコ画(1553年)があり、大きなイノシシを狩る様子が見える。
写真はビューディンゲン城:Sauhatzイノシシ狩りのフレスコ画(1553年) -
左に立派なKamin暖炉(1610年頃)があり、大きな熊の毛皮が敷かれ、多くの人が座るソファーや机、椅子が用意されている。
写真はビューディンゲン城:円天井の部屋は“ゴシック様式のSaalbaus集会堂” -
写真はビューディンゲン城:本丸内博物館見学
パンフレットをスキャンした円天井の部屋は“ゴシック様式のSaalbaus集会堂”という大きな広間・・・上の二枚の写真がここの上下に見られる。 -
中央に誰が集めたのか、Puppenhausおもちゃの家もあった。
写真はビューディンゲン城:本丸内博物館見学 -
最後の大きな“Hofstube宮廷の間”には、白のテーブルクロスを敷き詰めた食卓に燭台、グラス、皿やナイフ・フォーク・スプーンなどがきれいに整えられていた。
食卓の周りにもきれいなワインレッドの立派な椅子が置かれ、部屋の周囲はゴブラン織りの壁掛けが飾られており、何時でもそれなりの会食ができるようになっていた。
現在、ここは食事の間として利用されているそうだ。
写真はビューディンゲン城:本丸内博物館見学
パンフレットをスキャンした“Hofstube宮廷の間” -
写真はビューディンゲン城:“Hofstube宮廷の間”の食卓の装い
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ロマネスク様式の古い教会が1階にあった由で、そこにも案内されて「伝説の“蛙戦争”で蛙どもを投げ入れたというSeemenbachゼーメンバッハが洪水をおこし、古い教会は2.5mの洪水で浸水されダメになってしまったのよ。
今は古い瓦や掘り出した古物、ガラクタなどの収容庫になってしまった」と、エリザベートさんが残念そうに嘆いた。
病気がちな夫は82歳なのだそうだが、本丸の戸締りを完全にして急いで帰えらねばと、ワイン一本も忘れずに持ち、赤い上着のエリザベートさんは赤い車に乗り、「良い旅を!」と言って帰っていった。
写真は要塞都市ビューディンゲンの縄張り図・・・右の赤い丸が城、黒い丸と線は城壁や塔、市城門 -
私共は車を見送って、ちょっと旧市街の散策に出た。
城門側の建物に張り付く大きな蛙は工夫のような格好している。洪水を起こしたと云うゼーメンバッハ川まで歩き、マルクト広場の噴水まで行く。街の雰囲気も良いがもう暗くなり、お腹が空きだしたようだ。
写真は要塞都市ビューディンゲン見学:シュロス広場から宿泊棟を見る。 -
写真は要塞都市ビューディンゲン:シュロス広場
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写真は要塞都市ビューディンゲン:城門側の建物に張り付く大きな蛙
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写真は要塞都市ビューディンゲン見学
かつては洪水をおこし、「伝説の“蛙戦争”で蛙どもを投げ入れた」というSeemenbachゼーメンバッハですが、この日は穏やかな小川の姿を見せている。 -
写真は要塞都市ビューディンゲン:旧市街のマルクト広場の噴水
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写真は要塞都市ビューディンゲン
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写真は要塞都市ビューディンゲン:旧市街の木組みの家並みに蛙を見た
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≪夕食:Hotel Schlossstubenシュロス・シュトゥーベン・Wintergarten冬の園にて≫
D-63654 Buedingen 、Schlossgasse 14
http://www.hotel-schlossstuben.de/
18:00~19:20 Euro38.7(4,988円)
3星・全16室のホテル。
ビューディンゲン城はHotel Garni朝食のみのホテルであるので、街中を散策した際に夕食はここと決めた。
昼が早かったので、空腹状態でした。レストランは観光客、地元客でとても繁盛していた。味も美味く、フェーダーヴァイサーとピルツで少々酔い、体も温まって、満足しながらもう誰もいない真っ暗になった古城ホテルに帰った。
写真は夕食:Hotel Schlossstubenシュロス・シュトゥーベン・Wintergarten冬の園にて -
飲み物は大手BitburgビットブルクのPilsピルツ0.3l=Euro2.5、FederweisserフェーダーヴァイサーX2=Euro5.6、
写真は夕食:Hotel Schlossstubenシュロス・シュトゥーベン・Wintergarten冬の園にて -
食事はオニオンスープ=Euro5.8、コンソメスープ=Euro4.8、
写真は夕食:Hotel Schlossstubenシュロス・シュトゥーベン・Wintergarten冬の園にて -
シュヴァーベン風豚のメダリオン、野菜とポンフリッツ付き=Euro19、チップEuro1、合計Euro38.7(4,988円)でした。
写真は夕食:Hotel Schlossstubenシュロス・シュトゥーベン・Wintergarten冬の園にて -
写真はHotel Schlossstubenシュロス・シュトゥーベンの夜はこんな感じ
この旅一番となる距離294kmを走り、早朝から動き出した長い一日も漸く終わる。さすがに長い走行、歩行で足腰も痛む。昨夜寝違えて首が回らず、サイドミラーが見にくかった。
夜中は2013年同様に私共二人の宿泊客だけになった古城ホテルも悪くはないが、ある意味で何かが起こったら怖いし、心配ではあった。
19:30から1時間整理し、眠くなって20:30~23:00まで寝てしまった。
目覚めたのでお風呂に入ろうとしたら、なんと水だけしか出ない。
夜間は止めてしまうのか、慌てたが、以前何処かの古城ホテルでもこんな事があったのを思い出した。
ともあれ、一晩我慢して、翌朝、朝食前に熱い湯に入った。 -
写真はイーゼンブルク伯家の紋章
『ビューディンゲン城に残る伝説①:皇帝と炭焼き人』
ビューディンゲン城は皇帝の封土(ほうど; Lehenレーエン)として、直接にビューディンゲンの騎士に与えられていた。
当地の伝説では神聖ローマ皇帝バルバロッサ(フリードリヒ1世の呼び名、赤髭王と称されて、ドイツ人に人気の高い皇帝。)が皇帝を救助した事に感謝して、ビューディンゲンの地を一人のKoehler炭焼き人に与えたのだと云う。
或る冬の日に、皇帝バルバロッサはビューディンゲンの森に狩猟に出かけたそうです。
狩猟に熱中してしまって、皇帝はお付きの従者たちとはぐれてしまいました。
迷いながら進むと、森の中で皇帝は一人の炭焼き人に出会ったのでした。
皇帝が彼に道を尋ねると、炭焼き人は身分の高そうな方に話しかける勇気も無く、その代わりに木炭の煤で真っ黒くなった2本の指で、雪の上に進むべき道を描いて見せた。
この伝説が元になって、ビューディンゲンの騎士の紋章は
銀色(雪のように白い)の盾に2つの黒い線が描かれているそうです。
・・・・・ -
②10月15日(土)~16日(日):1泊
Hotel Schloss Buedingen古城ホテル ビューディンゲン城*
D-63654 Buedingen 、Schlossplatz 1
Tel:+49 (0) 6042 - 9647- 0 、Fax: - 9647-10
http://www.schloss-buedingen.de/index.php?q=startseite.html
3星・全16室。DZ(ツイン)・Euro125(14,619円、朝食込み:Garni朝食のみのホテル)。水は0.25Lのガス入り2本のサービスのみ。
2階の白雪姫の部屋=5号室も室料も2013年10月14日に1泊した時と同じだった。
全ての部屋には名前が付いている。それらは“いばら姫、ラプンツェル、カエルの王様、青いランプ、雪白とバラの赤”と言った名前が見られたから、メルヘン街道に因んだ遊び心のようだ。但し、“Das blaue Licht青いランプ、Schneeweisschen und Rosenrot雪白とバラの赤”の童話は知らない。
ヘッセン州Wetterauヴェッテラウ地区、中世の趣ある城塞都市に、この古城ホテルHotel Schloss Buedingenビューディンゲン城がある。
ビューディンゲンの町はA45のAltenstadtアルテンシュタットの出口から東に13kmの距離、フランクフルトより北東に凡そ60kmの距離にあり、交通の便は良いのだ。
週末のレセプションは14~17時。
写真は要塞都市ビューディンゲンの蛙伝説・友好都市 -
ビューディンゲン城の歴史:
1131年に城の起源は遡り、Hohenstaufenホーエンシュタウフェン朝の神聖ローマ皇帝バルバロッサ(フリードリヒ1世の呼び名、赤髭王と称されて、ドイツ人に人気の高い皇帝)治下のビューディンゲンの騎士の水城であった。
元来はビューディンゲンの森にあった赤髭王の狩猟地の防衛拠点として、水城は築城されたそうで、1219年には古い歴史資料に登場している。
驚く事に13世紀から今日まで、Grafschaft Isenburgイーゼンブルク伯家の居城であった。
イーゼンブルク伯家はイーゼンブルク城(現在のラインラント・プファルツ州のノイヴィート郡イーゼンブルクを発祥の地として)を名字にしたらしい。18世紀には、伯爵領は現在のヘッセン州カッセルおよびダルムシュタット地域に広がっていた。
21代を数えるIsenburg-Buedingenイーゼンブルク・ビューディンゲン家は現在、"Fuerst zu Isenburg"イーゼンブルク侯爵家の称号を名乗っている。現城主はWolfgang- Ernst zu Ysenburg(=Isenburg) und Buedingenヴォルフガング・エルンスト・イーゼンブルク・ビューディンゲン侯爵と言う。侯爵殿は広大な庭園の少し高台に、レセプションの小母さんの言う“黄色のヴィラ”と呼ばれる邸宅に住んでいるとのことだが、2011年には侯爵家の私有会社と、ヴォルフガング・エルンスト社長自身も破産したと云う。
2013年5月9日のBildビルト紙!によると、香港の貸主某氏から侯爵殿は借りた金100万ユーロの金利、凡そ6万ユーロの支払いを求められて裁判沙汰になっているとあり、侯爵家の没落(Der Niedergang)・・・イーゼンブルク侯爵家の頭上に漂う黒い雲・・・という記事が散見されている。
イーゼンブルク侯爵家は今日まで、ヘッセン州最大の広大な私有地(8,500ha=約3,000坪X8,500なので25.5百万坪)であったビューディンゲンの森を売り、2001年に1578年以来の侯爵家のビール醸造会社を手放し、更に2005年には175年の歴史を持ったWaechtersbacher Keramikベヒテルバッハー陶磁器工場も売却しており、今後の侯爵家とビューディンゲン城の行方が気になる所だ。
XXX
写真は要塞都市ビューディンゲンの蛙伝説・サッカーチーム -
イーゼンブルク侯爵家一族の居城は
ビューディンゲン城(侯爵家の居城)、
Burg Ronneburgロンネブルク城(今は城址・・・ここは明日訪問の予定)、
Schloss Birsteinビルシュタイン城(侯爵家の居城)、
Burg Limburgリンブルク城(今は町の行政部門が使用)、
Isenburger Schloss in Offenbachイーゼンブルク城(オッフェンバッハ芸術造形大学が所有)、
Schloss Meerholzメーアホルツ城(現在、養護施設)、
Schloss Waechtersbachヴェヒタースバッハ城(個人所有)、
*Schloss Philippseichフィリップスアイヒ城(Dreieich・Goetzenhain個人所有)、
Stammburg Isenburgイーゼンブルク城(城址・一族の発祥の地)、
Niederburg Kobernコーベルン城(城址)、
Burg Grenzauグレンツァウ城(城址)、
Schloss Arenfelsアーレンフェルス城(19世紀に大改装したままが現存)
と11の古城がある。
尚、*Schloss Philippseichフィリップスアイヒ城はイーゼンブルク・オッフェンバッハ伯Johann Philippヨハン・フィリップにより、1715年頃にDreieich・Goetzenhainゲッツェンハインに築城されたものだ。
フランクフルトの南にNeu-Isenburgノイ・イーゼンブルクという町がある。レンタカー返却前に最後の給油をしばしば行う町なのだが、この町の歴史は17世紀末にフランスのユグノー教徒を受け入れて作られた町(亡命地)だと云う。
従って、”ユグノー教徒の町“と呼ばれているとの事です。
(フランスの新教徒でフランスでは迫害された。これを“ユグノー戦争”と云い、1562~98年までフランスの新旧キリスト教徒間で起きた。)
彼らの新しい領主となったイーゼンブルク・オッフェンバッハ伯Johann Philippヨハン・フィリップはユグノー教徒を保護し、フランス語の使用や信仰の自由を認めた。伯は亡命者達に、Offenbachオッフェンバッハの南、Dreieichドライアイヒの森の中にある中世に建設された巡礼地である聖十字架礼拝堂付近を開墾して定住することを許した。
伯への感謝を表すために、この町は彼に因んで「ノイ・イーゼンブルク」と命名されたとWikにあります。
ついでながら、イーゼンブルク・オッフェンバッハ伯はイーゼンブルク侯爵家とは分枝した親族同士で、1628年から1631年にかけてビューディンゲン系統とオッフェンバッハ系統に分かれたのだそうです。
因みにイーゼンブルク・オッフェンバッハ伯の居城イーゼンブルク城(オッフェンバッハ)は現在、オッフェンバッハ芸術造形大学が所有している。
XXX
写真は要塞都市ビューディンゲンの蛙伝説・蛙まつり -
尚、ビューディンゲン城に残る伝説③:若き伯爵夫人エリザベート妃とビューディンゲンの蛙(蛙戦争)についてはこちらをご参照ください。
≪若き花嫁・伯爵夫人エリザベート妃とビューディンゲンの蛙カエル戦争≫
http://4travel.jp/travelogue/10897481
写真は童話カエルの王様:ドイツの切手
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ドイツの秋:⑮10年前の旅でも訪れたアールヴァィラーは相変わらず美しい
2016/10/14~
その他の観光地
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ドイツの秋:⑰独米両軍の激戦地・黒々としたレマーゲンの鉄橋跡、美しいアポリナリス教会
2016/10/14~
ライン川流域周辺
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ドイツの秋:⑲三十年戦争の講和条約締結地のミュンスターを一日観光(その①)
2016/10/14~
ミュンスター
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ドイツの秋:⑳三十年戦争の講和条約締結地のミュンスターを一日観光(その②)
2016/10/14~
ミュンスター
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ドイツの秋:21ミュンスターラントの古城(水城)を巡る
2016/10/14~
ノルトライン・ヴェストファーレン州
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ドイツの秋:23Xantenクサンテンという珍しい名の町は「聖者たちの場所」である。
2016/10/14~
ノルトライン・ヴェストファーレン州
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ドイツの秋:24Xantenクサンテンの町はかつて古代ローマ軍団の都市であった。
2016/10/14~
ノルトライン・ヴェストファーレン州
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ドイツの秋:25デュッセルドルフ・またまた訪れたKoeケーのカフェ・ハイネマン
2016/10/14~
デュッセルドルフ
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ドイツの秋:26旧市街の縁起物二つ:“金貨をひり出す男”の像と仕立屋シュナイダーの像
2016/10/14~
デュッセルドルフ
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ドイツの秋:27最終日は訪れたことがないヘッチェンス(陶磁器)博物館を見学した。
2016/10/14~
デュッセルドルフ
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旅行記グループ 2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
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