2016/10/14 - 2016/10/28
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jijidarumaさん
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2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間
<懐かしのラインガウ再訪>
第4日:185km
アモールバッハから戻り、フランクフルト・ヴィースバーデンを経由、135kmの距離にあるラインガウのSchloss Johannisbergヨハネスベルグ城を再訪し、テラスレストランからかつて眺めたブドウ畑やラインの秋の景観を楽しみたい。
Bacharachバッハラッハの丘に立つシュターレック城や木組みに家並みの町を見て、1泊する古城ホテル アウフ・シェーンブルグに向かう。2006年の旅で2泊し、いろいろと思い出も尽きないホテルだ。
写真はラインガウのSchloss Johannisbergヨハネスベルグ城:ワインの使者像
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
第4日:10月17日(月)・・・185km、曇り時々晴れ、8~15℃
古城ホテル デアー・シャーフホフ・アモールバッハ=>L? 2km Amorbach=>B47 1km=>B469 30km (Kleinheubach)=>A3 30km(Stockstadt)=>A3 14km(Frankfurt a.M.)=>A46 39km (Wiesbadener Kreuz)=>B42 20km ・K631・3272 14km(計150kmラインガウ:Schloss Johannisbergヨハニスベルグ城=>K3272・631 6km=>B42 6km(Assmannshausen)=>B42 6km(Lorchの手前のAutofaehreフェリーで対岸・Niderheimbach)=>B9 5km Bacharachバッハラッハ =>B9・L? 7km Oberweselオーバーヴェーゼル・古城ホテル アウフ・シェーンブルグ
写真は古城ホテル デアー・シャーフホフ・アモールバッハの朝 -
写真は古城ホテル デアー・シャーフホフ・アモールバッハ:グルメレストランのAbt- und Schaeferstubeアプト・シェーファーシュトゥーベの朝
-
写真は古城ホテル デアー・シャーフホフ・アモールバッハ:グルメレストランのAbt- und Schaeferstubeアプト・シェーファーシュトゥーベの朝の様子
昨夜は中央左の席に座りました。 -
*5:30起床。9:00に朝食を食べずにチェックアウトしたが、朝食を食べたことになっていた請求書にびっくり、訂正をさせてから決済をする。
たまにこうしたことがあるから、支払う前にチェックをする。
朝から霧、シャーフホフ一帯が霞んでいる。
写真は古城ホテル デアー・シャーフホフ・アモールバッハ・“Kaminzimmer暖炉の間”
2015年7月ロビー傍の重厚な感じの“Kaminzimmer暖炉の間”でお茶をした。 -
写真は古城ホテル デアー・シャーフホフ・アモールバッハ・“Kaminzimmer暖炉の間”
レセプションに人がおらず(多分、朝食の間で手伝っているのだろう)、支払いをするため、暫時待つこととなった。 -
写真は古城ホテル デアー・シャーフホフ・アモールバッハ
黄葉にはまだまだの様子だ。 -
駐車場に行くと、昨夜はお客さんが多かったようで車の数は十数台になり、高級車が駐車していた。
9:10、車を駐車場から出して、ホテル棟前で荷物を積み込む。
今日はアモールバッハからライン川流域まで一気に戻ろうと走り出す。
写真は古城ホテル デアー・シャーフホフ・アモールバッハの駐車場 -
<懐かしのラインガウ再訪>
“父なるDer Rheinライン川”(これに対し、母なるドナウ川と言う。)
中ライン川はマインツからローレライ、コブレンツ、ボンと167kmの流れが続く。そしてこの間には、ライン川のハイライトたる【ロマンティシャーライン:2002年世界遺産登録(ビンゲンからコブレンツ間・60km)】があり、三十近くの城塞、美しいブドウ畑、中世の街並みを楽しめる区間でもある。
コブレンツではフランス・ルクセンブルグを流れ、ドイツのトリアー、コッヘムなどローマ時代からの歴史ある町、ワインの産地であるモーゼル一帯を流れてきたモーゼル川と合流する。
写真はライン川流域図 -
<Romantischer Rheinロマンティシャーラインと古城群>
このライン川は中世の800年間を通じて、帝国領域の中央を流れ、ヨーロッパの南北を結びつける重要な交易路だった。川の通行税という利権を狙って、近隣の諸侯・大司教はこぞってライン流域に進出し、ロマンティシャーラインに数々の城を建てている。
ライン地方の城砦は何処も1618~48年の30年戦争(新旧キリスト教の宗教戦争)や、1688~97年プファルツ継承戦争、1792年後のフランス革命軍・ナポレオンの侵入によって、大きな損害を受けた。特に1688年以降のフランスの侵攻による戦いで、多くの城が落城し、破壊され、廃城となってしまったのは残念な事だ。
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写真は2006年5月のアルバムから -
途中のKleinheubachクラインホイバッハからフランクフルトのアウトバーン方向に向かうつもりが、逆のヴュルツブルク方面に間違って走り、15km程走行距離が増えた。
その後、渋滞もなく進み、フランクフルト・ヴィースバーデンを経由、135kmの距離にあるラインガウ・Geisenheim-Johannisbergガイゼンハイム・ヨハニスベルグのSchloss Johannisbergヨハニスベルグ城に11:30に到着した。
写真はラインガウのSchloss Johannisbergヨハネスベルグ城の俯瞰・・・ライン川も見えるSchloss Johannisberg 城・宮殿
-
≪ラインガウ・ヨハニスベルグ城再訪≫ ⑤
Gutsrestaurant Schloss Johannisbergレストラン ヨハニスベルグ城
D-65366 Geisenheim-Johannisberg
http://www.schloss-johannisberg.de/schlossschaenke.htm
11:30~12:10 9.5℃
今日の再訪を楽しみにしていたが、なんとラインガウは霧が深い。
その上、ヨハニスベルグ城のテラスレストランは大改修中で、骨組みだけになっているではないか。
ガッカリ、ビックリしながら、醸造所のワイン蔵やワインの販売所をのぞいたが、まだ旅も始まったばかり、さすがにワインを買っていくわけにもいかない。
写真はWappen_Johannisbergヨハネスベルグの紋章 -
「シュロス・ヨハニスベルク」はFuerst von Metternich-Winnenburgメッテルニヒ・ヴィンネベルク侯爵家の醸造所である。
写真はラインガウのSchloss Johannisbergヨハネスベルグ城:正面・・・右手に醸造所、ワインショップ、レストランがある。 -
写真はメッテルニヒ侯爵家の看板が葡萄畑傍に立つ。
<ラインガウのワイン>(ヘッセン州)
ライン川と平行するTaunusタウナス山系の麓から、ライン川岸まで、栽培面積:3227(ha)のブドウ畑が広がっている。
神聖ローマ帝国のカール大帝の頃より、既に銘酒の産地と知られていて、ナポレオン、ヴィクトリア女王、ビスマルク、ゲーテたちが絶賛し、こよなく愛したエレガントで、フルーティーな白ワインの最高峰ともいえる生産地ラインガウだが、ドイツ全体ではたった3%足らずの生産量という。
この地域で栽培されている、ぶどうの80%がドイツ最高品種と言われるリースリングである。ラインガウで生産されるほとんどは白ワインだが、面白い事にはリューデスハイムの先にある、アスマンスハウゼン村で造られるワインはシュペートブルグンダー種の赤ワインで、ドイツ最高品が出きるといわれる。
リースリングのコクと力強くいきいきとした酸味がラインガウの特徴で、モーゼルワインと対照的といえる。また、ラインガウ地域はワインの格付け基準が最も厳しい地域の一つであり、この基準によりアウスレーゼ以上の産出量が他地域と比べて低くなっている。しかし、ラインガウから誕生するアウスレーゼは、ラベルに記載される等級以上の素晴らしい豊潤な味わいとなっているそうだ。
3大貴腐ワインの祖と言われるヨハニスベルガーはこの地の産です。 -
メッテルニヒ侯爵とはナポレオン戦争後の1815年ウィーン会議議長にしてオーストリア帝国宰相だった歴史上の人物である。
彼はウィーン会議の功績により、このシュロス・ヨハニスベルクを下賜されたのである。
<メッテルニヒとウィーン会議、そしてワイン>
ナポレオン失脚後、ヨーロッパの新秩序確立のために、「ウィーン会議(1814~15年)」が開催される。この会議に15名の王、200名の大公、126名の外交官が参加して行われたものの、「会議は踊る、されど会議は進まず」の名文句が生まるほど、連日駆け引きの饗宴が行われ、最終締結まで2年にも及んだ。
この会議で、主催者側のオーストリアの名宰相メッテルニッヒは指導的役割を果たした。その功に報いて、皇帝(ハプスブルグ家)は、このヨハニスベルグ城と葡萄畑を宰相メッテルニッヒに与えた。
今日までメッテルニッヒ家の所有が続き、その時の約束で、毎年、収穫の10%のワインを皇帝に献納することになっていて、その約束は今日まで履行されていると云われている。
従って、白ワインの王様と言われるシュロス・ヨハニスベルガーの10%のワインは毎年、ハプスブルグ家に贈られていることになる。
XXX
写真はSchloss-Johannisberg:Metternichメッテルニヒ侯爵の自画像(1840年)
Das gibt's nur einmal (Der Kongreß tanzt) " 唯一度だけ ♪" 映画・ 会議は踊るより Lilian Harveyリリアン・ハーヴェイ
https://www.youtube.com/watch?v=0mwFJOaljyo
Marek Weber und sein Orchester
mit Refraingesang
Foxtrot aus "Der Kongress tanzt"
https://www.youtube.com/watch?v=70XO7OaJSc8 -
写真はメッテルニヒ・ヴィンネベルク侯爵家:醸造所のケラー(250メートルの長さの地下蔵=ワインの貯蔵所)への階段が見える。
-
<伝説:ヨハニスベルグ城の“ワインの使者”>
その昔、Fuldaフルダの領主アボット公に葡萄の収穫の許可を求めに、使者が旅立ったものの、使者は旅の途中で病に倒れた。
この使者が葡萄の収穫の許可を得て、ヨハニスベルグ城に帰った時は、ヨハニスベルグの葡萄は収穫の時期を過ぎて、木についたまま乾し葡萄状になっていたそうだ。中にはカビの為、腐ったようにみえるものもあった。
修道士達はこれらの葡萄を収穫し、ワインを造ったところ、これが美しい黄金色のワインに変じ、香りも芳醇で、まろやかな甘みの美酒が出来たと云う。
その後、ワインの製法が一段と飛躍し、現在の最高級酒である、極甘口の貴腐ワインが誕生したと。“Beerenausleseベーレンアウスレーゼ”“Trockenbeerenausleseトロッケンベーレンアウスレーゼ”“Eisweinアイスヴァイン”等の世界三大貴腐ワインの一つを生んだという話である。
・・・・・・・
写真はラインガウのSchloss Johannisbergヨハネスベルグ城:ワインの使者像前で -
写真はラインガウのSchloss Johannisbergヨハネスベルグ城:霧の無い頃のワインの使者像
-
ともかくも“ワインの使者の騎馬像”(前述)を表敬してから、かつて眺めた葡萄畑やラインの秋の景観を楽しみたいと思ったが、テラスレストランから下の葡萄畑の斜面は霧で見えないのだ。
写真:奥に改装中のテラスレストランが見える。 -
このようなことは初めて見るが、十数年ライン川畔(ラインラント・プファルツ側)に住んでおられた方の言葉で、「晩秋の早朝ともなれば、ヘッセン州へ渡る橋はきまって濃霧に包まれており、まるでライン川の表面全体が沸騰しているかのように見えたものです」と、聞いたことがある。
ヨハニスベルグ城のテラスレストランで葡萄畑を見ながら、昼食をしたいという望みは、そんな次第で達成する事が出来ず、駐車場で日本から持参のお煎餅などを食べて小休止。
12:10に丘を下った。
写真は霧で先が見えない葡萄畑と改装中のテラスレストラン -
写真は晴れた日のGutschaenke-schloss-johannisbergヨハニスベルグ城のテラスレストランは素晴らしいのだ。
2006年5月
昼食:Schloss Johannisbergヨハニスベルグ城のテラスレストラン
12:00~13:30 Euro 51
葡萄畑とライン川を見下ろすテラスレストランは最高の場所で、素晴らしいものだ。
20年以上前に、此処で食べた“血のソーセージ”の味が忘れられない。その後、レストランはきれいになり、大きな窓ガラスに四方を囲まれ、日差しも充分に取り入れた明るい、上品なレストランになっていた。
メニューも大きく変っていて、ソーセージのような軽い料理は無く、通常のレストランメニューになっていたのは残念!でした。テラス左手の端に席があり、開かれた窓から入ってくる5月の風がとても心地良い。
さて、定番ながら、“シュパーゲル(白アスパラ)料理、オランダ風ソース、ジャガイモ添え“を頼んだ。
飲み物は” 家内はオレンジ・ジュース。私はSektゼクト(シャンパン)入りオレンジ・ジュース、ヨハニスベルグの辛口・白を0.2Lのグラスワイン“にする。
最後に私はコーヒーで、頭をシャキットさせた。
・・・・・・・・・・・ -
<Schloss Johannisbergヨハニスベルグ城>(ヘッセン州):
ラインガウのリースリング・白ワインの中でも最優良ワインを産出する事で有名である。
内庭にはフルダへの“ワインの使者”の騎馬像があり、ワインの製法にまつわる、謂れを今に伝えている。
ヨハニスベルグ城の歴史:
Johannisbergヨハニスベルグ城は817年、カール大帝がこの地に葡萄の植付け令を発して以来、葡萄畑であるこの丘は1100年頃、当時のマインツ大司教ラバヌス・マウルスによって「ビショフスベルク」と名付けられた。
この丘に1130年に新約聖書に出てくる重要な人物、洗礼者ヨハネにちなんで奉献されたSankt Johannザンクト・ヨハン礼拝堂が建ち、やがてラインガウ最初のベネディクト派修道院が建てられた。
その後、この丘の建物を“ヨハンの城”つまり、ヨハニスベルグと呼ぶようになったと云う。
写真は2006年5月のアルバムから:霧の無い季節 -
1525年に農民一揆の祭に破壊された後、1716年にフルダ修道士・侯爵であるコンスタンティン・ブットラーがその土地を獲得した。彼は地下のワインセラーと教会以外は取り壊し、バロック様式で今日のヨハニスベルク城を建設した。
長い時が経ち、その間ずっと手入れをされていなかった葡萄園は1720年に最初のリースリング種の苗が植えられ、それが新しいラインガウワインの歴史の幕開けとなったのです。
今日、ヨハニスベルク城は地域の枠を超えて、その名が知られている。
ワイン、900年の歴史を持つ建物、そして250メートルの長さの地下蔵だけでなく、ヨハニスベルク城の眼下に広がるライン川と葡萄畑の牧歌的な風景もここならではのものです。
写真は2006年5月のアルバムから:霧の無い季節
館のクリーム色の壁に見事なフジの蔓が延び、薄紫の花をつけ、石楠花の白い花が満開になっていて、美しい。
葡萄畑には太陽の光りの下、小さな葡萄が元気良く育っている。 -
写真:こちらは2016年10月、葡萄の様子
遅摘みの葡萄として採るのか、観光客用に残していたのか? -
写真はSchloss_Johannisberg:秋の景観はこのように美しいはず・・・
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写真はSchloss-Johannisberg:2005年リースリング・ワインのエチケット(ラベル)
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ニーダーヴァルドの丘の下に位置するRuedesheimリューデスハイムのDrosselgasseドロッセルガッセ・ツグミ横丁前を通り過ぎ、少し明るくなりつつある中、Hotel Unter den Lindenホテル ウンター・デン・リンデン(Ruedesheim 、Rheinallee 1)前で車を停め、観光船が行く姿や、
対岸の霧の中に見えてきたBurg Rheinsteinラインシュタイン城(900年頃築城、現在はレストラン・博物館)、Burg Sooneckゾーネック城(1010年頃築城、現在はレストラン・博物館)を撮ってみた(12:40)。
写真は観光船が行く -
写真はHotel Unter den Lindenホテル ウンター・デン・リンデン前で。
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少々ぼんやりした古城の姿もそれなりに良いものだ。
写真は対岸の霧の中に見えてきたBurg Rheinsteinラインシュタイン城(900年頃築城、現在はレストラン・博物館)ラインシュタイン城 城・宮殿
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写真はBurg Sooneckゾーネック城(1010年頃築城、現在はレストラン・博物館)
ゾーンエック城 城・宮殿
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赤ワインの町Assmannshausenアスマンハウゼンの先にRuine Norigノーリッヒ城址のあるLorchロルヒがある。
ここから対岸のNiederheimbachニーダーハイムバッハにAutofaehreフェリーで渡った(13:00、Euro5.6=722円、領収書の内容は車1台と運転手Euro4.3+同乗者1名Euro1.3とあった)。
写真はニーダーハイムバッハからロルヒにフェリーが着いた。 -
この時間になると、まだ風は冷たいが、晴れてきて車ごと乗せてライン川を横切っていくのは面白いし、両岸を結ぶ橋を探して渡るよりも大いに時間の短縮になる。
http://www.mittelrhein-faehre.de/
写真はフェリーの船上。 -
写真はライン川:フェリーで横切っています。
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ライン川の左岸(B9)はラインラント・プファルツ州になる。
ニーダーハイムバッハからバッハラッハは5kmと近い。
13:18にバッハラッハに着いた。川岸に作られた駐車場に車を置く。
(13:23~15:23 2時間Euro1=129円)。
写真はBacharachバッハラッハの俯瞰バッハラッハ駅 (KDライン) 駅
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写真はBacharach-Merian・バッハラッハ メリアン作1645年
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≪Bacharachバッハラッハ(ラインラント・プファルツ州)≫
13:23~14:45
バッハラッハは千年以上の歴史をもつ町で、木材やワインの販売そしてライン川を通る舟からの通行税によって、財政豊かな町であったという。
人口は2000人、バッハラッハの街は木組みの家々が並び、散策するには手ごろなところで、見て楽しい街といえる。
旧市街は市城壁に囲まれ、所々に門と塔が立っている。
Burg Stahleckシュターレック城が丘の中腹に見えるが、今日は天気も今一なのであそこまでは行かない。小雨が降ってきたが、小さな街中を散策した。
駐車場から入出したのはMarktturmマルクト塔、マルクト広場に近いことで、この名が付いたのだろう。
この町で行程の三分の一を走った計算になる(通算距離は585kmになった)。
写真はバッハラッハ・Burg Stahleckシュターレック城:駐車場から遠望する。
参考:Burg Stahleckシュターレック城
バッハラッハの丘の中腹に見えるシュターレック城は2006年の旅で訪ねた。
町から2.5kmの距離にある古城に車で上がり、ラインの眺望を楽しんだ。
たいへん見栄えの良い城ですが、ホーエンシュタウフェン王家の居城で1135年に築城された。30年戦争の時に破壊され、一時は修復されたが、1689年にフランス軍に再び破壊されて、以降、廃墟となってしまう。
現在は修復され、ユースホステルとして利用されている。
テラスから見る、ラインの豊かな流れは一見の価値あるもの。シュターレック城 城・宮殿
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マルクト広場に面し、通りの左手に目に付くホテル・レストランは1902年に再建され、華やかな回廊を持つAltkoelnischer Hofアルトケニッシャー・ホフである。
ホフ前の通りの頭上にKranzクランツ(王冠と花で飾ったリース)が見える。ワイン祭りかの催しがあった名残なのか、クリスマス時期に飾るADVENTS KRANZアドベント・クランツにはまだ早いのだが。
写真はバッハラッハ:アルトケニッシャー・ホフと大きなクランツ -
その先に特に赤茶色や緑で色彩豊かに縁取りされたAltes Hausアルテスハウス・レストラン(1389年築、1600年頃に改築)は素晴らしい。
最初はここで何か食べようと思っていたが、閉まっていた。その横も同じ経営の様子だが、テラスに人も多く座り、遠慮した。
写真はバッハラッハ:Altes Hausアルテスハウス・レストラン -
その向かいにHotel am Marktホテル アム マルクトのカフェ・レストランがあったので、そこにした。
写真はバッハラッハ:Hotel am Marktホテル アム マルクト(夜景)アム マルクト ホテル ホテル
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写真はバッハラッハ:Hotel am Marktホテル アム マルクトのカフェ・レストラン店内・・・左の席に座った
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<お茶:バッハラッハ・Hotel am Marktホテル アム マルクトのカフェで>
D-55422 Bacharach 、Oberstrasse 64+66
13:40~14:10 Euro13=1,676円
リンゴのケーキEuro3、ツヴィーベルクーヘン(タマネギケーキ)Euro3.5、
二人ともココアEuro3X2を注文した。
ケーキの味はまずまず、ココアでとても温まった。
写真はバッハラッハ:ホテル アム マルクトのカフェ・レストラン -
お茶の後もまた散策。カフェの先に見える、真っ赤なゼラニュームが似合う木組みの家はEhemalige kurpfaezische Muenzeミュンツェ(14世紀の中頃、プファルツ選帝侯のかつてのコインの鋳造所)の建物で今はレストランだが、こちらも閉まっていた。
写真はバッハラッハ:選帝侯のかつてのコインの鋳造所、今はレストラン -
写真はバッハラッハ:選帝侯のかつてのコインの鋳造所、今はレストラン
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写真はバッハラッハ::選帝侯のかつてのコインの鋳造所、今はレストラン
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そのミュンツェの名の付く小川Muenzbachミュンツェバッハを行く。
絵描きが好んだ横丁とかで、Rosenstrasseバラの通りの名前が付く。
写真はバッハラッハ:バラの通り、シュターレック城が写真中央に小さく見える。 -
バラの通りには葡萄棚が色づき、Ziehbrunnen釣瓶井戸があり、木組みの家並みの上に葡萄畑やシュターレック城も見える。
小雨も降る景観だったが、確かに好ましいのだ。
写真はバッハラッハ:釣瓶井戸のある広場 -
写真はバッハラッハ:絵描きが好んだ横丁を行くと城に至る。
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その帰途、Bacharachバッハラッハ・小さな土産物屋で来年のカレンダーEuro11.5、絵葉書Euro1.8を購入した。
写真はバッハラッハの中心街 -
写真はバッハラッハ:駐車場から入出したのはこのMarktturmマルクト塔
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バッハラッハの木組みの家並みに別れを告げ、14:45駐車場を出た。
途中のラインの中州に出現するDie Pfalzプファルツ城を写す。
(正式にはBurg Pfalzgrafenstein プファルツ伯城という。
14世紀にプファルツ伯により、ライン川の通行税を徴収する目的で建てられた。
現在は城内に博物館があり、Kaubカウプの町から渡し船の便がある)
丁度航行してきた輸送船と共に撮る。何度この写真を撮ったろうか。
〝Rheingauer-Riesling-Route”ラインガウ・リースリング・ルート:
(ライン右岸城巡り)
B42の道をコブレンツに向かう道、こちらはヘッセン州だ。
Mauseturmねずみの塔、Niederwald:ドイツ統一の記念碑・ゲルマニアの女神、Ehrenfels城址、Assmannshausen赤ワインの町、ノーリッヒ城址(Lorch)、Die Pfalzプファルツ城、Burg Gutenfels、Burg Katzブルグカッツ=猫城、Loreleyfelsenローレライ“妖精の岩”と132mのその山頂、Burg Mausブルクマウス=ネズミ城、白い塔をもつリーベンシュタイン城址とこげ茶色にくすんだシュテレンベルグ城址、リーベンエック城(Spay)などの城、Marksburgマルクスブルグ城、ラーンエック城、Festung Ehrenbreitsteinエーレンブライトシュタイン要塞(“栄誉の砦”) 。
写真はDie Pfalzプファルツ城プファルツ城 城・宮殿
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少し行くと対岸にBurg Gutenfelsグーテンフェルズ城(13世紀に築城され、その後、バイエルン王ルートヴィヒのお気に入りの城となったそうだ)も見えてくる。
〝Rheingoldstrasseラインゴールドの道”:
(ラインの左岸城巡り)
コブレンツからB9に沿って“ライン川を遡る”道、ラインラント・プファルツ州になる。
シュトルツェンフェルズ城、王様の椅子(Rhens)、Kloster Jakobsbergヤコブスベルグ僧院、生まれ故郷の東京都・青梅市と姉妹提携しているBoppardボッパルトの町。
Rheinfelsラインフェルス城(St.Goar)、Oberweselオーバーヴェーゼルのシェーンブルグ城、フェルステンベルグ城址、ハイムブルグ城、ゾーネック城、ライヒェンシュタイン城、ラインシュタイン城、ネズミの塔、Burg Kloppクロップ城と様々な城がある。
写真はBurg Gutenfelsグーテンフェルズ城グーテンフェルス城 城・宮殿
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旅行記グループ 2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
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