2016/10/14 - 2016/10/28
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jijidarumaさん
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2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間
<デュッセルドルフ旧市街観光をもう一度>
≪行程概略≫
第14日:23km (前半計1003km+後半計737km(総計1,740km )
今日はいよいよ帰国の日である。夕方の便まで時間もあるから、その日の調子・様子で決める事としていたが、遠出や街中を走り回るのは最終日とあって遠慮した。
それで昨日同様に旧市街の観光をすることにした。レストラン“Zum Schiffchenツム・シッフェン” で久しぶりに当地名物のAltbierアルトビールとライン風ムッシェルン料理(ムール貝に白ワイン、玉葱、塩味)で昼食を食べ、まだ見たことが無い陶磁器博物館をじっくり見ることとした。ANA便にて帰国。
写真は旧市街の仕立て屋横丁:仕掛け時計
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
<デュッセルドルフ旧市街観光をもう一度>
第14日:10月27日(木) 23km、今日もすっきりしない曇り、11.5~13.0℃*
(前半計977km+後半計693km(総計1,740km)
カイザースヴェルト・ホテル ムッターハウス=>B1・L? 10km デュッセルドルフ・旧市街観光その② =>L? 13km デュッセルドルフ国際空港
写真はカイザースヴェルト・ホテル ムッターハウス:1903創立、正面Hotel Mutterhaus Düsseldorf ホテル
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*起床7:00、朝食8:15~8:45、朝食の場所は1階、左手にあり、意外に泊り客が多く、ホテルを見直した。
写真はホテル ムッターハウス:朝食 -
ホテル内をちょっと散策し、最終荷造りも完了し、使用したスリッパや旅行資料の廃棄分は捨て、小銭を枕銭として置き、チェックアウトは10:00でした。
写真はホテル ムッターハウス:ホテルの玄関ロビーは独特 -
写真はホテル ムッターハウス:かつての集まりの場
*<母の家>は教会組織の一部と言える。未婚で生涯独身のキリスト者
女性が各種施設や教会で社会的奉仕に献身する。
奉仕女(=独語はDiakonissen、救恤看護婦きゅうじゅつかんごふ
・・・困っている人々を救い、見舞いの金品など与えた活動をなした)
はそれぞれ〈母の家(ムッターハウス)〉に属し、そこで訓練を受け、
国内外に派遣され、各地に施設を置き、奉仕活動をした。
奉仕活動後、再び〈母の家〉に戻った。衣食住は保証されていた。 -
写真はホテル ムッターハウス:押し花でしょうか?
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写真はホテル ムッターハウス:奉仕女たち
-
写真はホテル ムッターハウス:奉仕女たち
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今日はいよいよ帰国の日である。宿泊ホテルのあるカイザースヴェルトを散策するか、デュッセルドルフの旧住居がどう変わったのかまた見たいし、あるいは昨日同様に旧市街などの観光をするか?夕方の便まで時間もあるから、ネアンデルタール人の博物館まで行ってみるか?
その日の調子・様子で決める事としていたが、結局、遠出や街中を走り回るのは最終日とあって遠慮した。
写真はホテル ムッターハウス:ホテル前の落葉の掃除は近代兵器で -
それで昨日同様に旧市街の観光をすることにした。
Duesseldorfデュッセルドルフ:
デュッセルドルフ観光その② 10:30~16:10
<Altstadt旧市街(500m四方の狭い町)散策>
写真はデュッセルドルフ旧市街:旧市街アルトシュタット 旧市街・古い町並み
-
イチオシ
①旧市街の縁起物二つ:
Kunsthalleアートホール地下の駐車場(10:30~16:10、5時間半=Euro9.5)に入り、旧市街に出かける。
まずは縁起物という事で、旧市街名物の“金貨をひり出す男”の像が銀行の店の壁に彫られています。縁起物ということで、しっかり金貨?!を手で触って、運が付くように祈り、写真を撮った(10:40)
ドイツでも”運が付く”ことを誰もが望むようで、“金貨”はしっかり輝いている。
が、面白いことにそこにはこんな文字がある。意訳すれば、
こんな感じだろうか。ともあれ、銀行らしい言葉である。
Dies Maerchen wird wohl niemals wahr.
(このメルヘン(物語)は、おそらくきっと叶わない)
Das Leben lehrt sei klug und spar.
(人生には、知恵と倹約(貯蓄)が必須と教えている)
そういえば、北ドイツのGoslarゴスラーでもHotel-Kaiserworth古城ホテル・カイザーヴォールト(築511年、昔はギルド会館であった)の左手の角の壁面に“金貨をひり出す男”の像があった。
XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
写真はデュッセルドルフ旧市街:旧市街名物の“金貨をひり出す男”の像 -
Schneider-Wibbel-Gasse仕立屋横丁というメルヘンチックな小道に行く。
写真はデュッセルドルフ旧市街:仕立屋横丁 -
イチオシ
時計のある建物に仕立屋シュナイダーさんの銅像が鎮座し、通り過ぎる人たちは皆、体の各所を触っていく。
髪の毛、眉、鼻、手や腕、膝の箇所が地の銅色に変わっている。丁度、小学生たちがいて、彼らはワイワイ言いながら、触っている。
私共が立っているのに気づいた男の子が、仲間に「ホラ観光客が見たがっているから、場所を開けなよ!」と言ってくれた。嬉しいね!
私共記憶の中にはこの銅像はないから、90年代になってから置かれたかもしれない。ここでも運が付くようにしっかり触らせてもらった。
写真はデュッセルドルフ旧市街:仕立屋横丁・仕立屋シュナイダーさんの銅像 -
ついでに「ここに小さなネズミが隠れているよ!」と男の子が教えてくれた。
見ると、像の前掛けの襞にネズミが一匹いた(10:45)。
写真はデュッセルドルフ旧市街:仕立屋シュナイダーさんの銅像の襞に隠れている小さなネズミ一匹 -
仕掛時計は11、13、15、18、21と一日5回も時計の下の扉が開き、針と糸を持ったシュナイダーさんの人形が出てくる。
ハイネの作詞の誰も知っている“ローレライの曲”が流れる。
このような仕掛時計もあって楽しい横丁だが、何故かスペイン横丁と呼んでも可笑しくないほど、スペイン料理屋が並び、駐在時ひいきにしていた“El Amigoエル・アミーゴ”の店も健在だった。
El Amigoエル・アミーゴ:
D-40213 Duesseldorf 、Schneider-Wibbel-Gasse 9
http://www.restaurante-elamigo.de/
スペイン料理。駐在中はよく利用した。
昼は12時~14時半、夜は18時~23時。
写真はデュッセルドルフ旧市街:仕立屋シュナイダーさんの仕掛け時計 -
イチオシ
写真はデュッセルドルフ旧市街:仕立屋シュナイダーさんの仕掛け時計・・・
11時、針と糸を持ったシュナイダーさんの人形が出てきた -
11:15に近くのお土産屋Foto Soehnで娘たちの家の土産にDuesseldorfのT-シャツを二つと側転のグミを購入した。(Euro15.09X2+1.9=Euro32.08・4,135円)
写真はデュッセルドルフ旧市街: -
ハイネの家、昨日も歩いた地ビール・アルトビールのレストランUerigeウエリゲ、魚料理のレストランFischhausフィッシュハウスなど通りをウロウロ。
写真はデュッセルドルフ旧市街:魚料理のレストランFischhausフィッシュハウスフィッシュハウス シーフード
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写真はデュッセルドルフ旧市街:地ビール・アルトビールのレストランUerigeウエリゲ
12時前にレストラン“ツム・シッフェン”寄って、店前に掲示されたメニューを見ると、昔はここでよく食べた、名物のライン風ムッシェルン料理が出ていない。
中に入ってスタッフに理由を聞いてもその事には答えず、彼はシェフの居る厨房にライン風ムッシェルン料理ができるか聞いている。
厨房の答えはOKで、それなら12時になったらまた来ると。ツム ユーリゲ 地元の料理
-
②Heimatbrunnen郷土の泉(1982年):
角を曲がると、Maxplatzマックス広場になる。
黄色く色づいた銀杏の木の下に市庁舎建築のレリーフHeimatbrunnen郷土の泉(1982年)が立っている。
デュッセルドルフにとって、重要な歴史的な場面を、即ちナポレオンの入城など、5場面が刻まれている彫像を見る。
①1288年Graf Adolfアドルフ伯により都市の権利を得たこと、
②1710年 Kurfuerst Jan Wellemヤン・ヴェレン選帝侯が都市計画の拡大を図った、
③1811 年NapoleonナポレオンがBerger Torベルガー門前に立つ、
④1848 年Lorenz Cantadorローレンツ・カンタドールが民兵組織を設立
⑤1945~82年第二次大戦後、新しいデュッセルドルフを創生。
写真はデュッセルドルフ旧市街のMaxplatzマックス広場:中央にWilhelm Marxヴィルヘルム・マルクス(裁判官・政治家、ヴァイマール共和政の首相)、右に④1848 年Lorenz Cantadorローレンツ・カンタドールが民兵組織を設立、左に③1811 年NapoleonナポレオンがBerger Torベルガー門前に立つ、 -
写真はWilhelm Marxヴィルヘルム・マルクス(裁判官・政治家、ヴァイマール共和政の首相)
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デュッセルドルフの有名な市民の5肖像画(銅板)を5場面の間に掲げている。
5人はHeinrich Heineハインリヒ・ハイネ(ドイツ有数の詩人)、Fritz Henkelフリッツ・ヘンケル(ヘンケル財閥の創業:洗剤)、Wilhelm Marxヴィルヘルム・マルクス(裁判官・政治家、ヴァイマール共和政の首相)、Arthur Schlossmannアーサー・シュロスマン(小児科医と社会衛生士)、Louise Dumontルイーズ・デュモント(女優・劇場ディレクター)である。
写真はデュッセルドルフ旧市街:中央にLouise Dumontルイーズ・デュモント(女優・劇場ディレクター)、右に①1288年Graf Adolfアドルフ伯により都市の権利を得たこと、左に⑤1945~82年第二次大戦後、新しいデュッセルドルフを創生、 -
写真はLouise Dumontルイーズ・デュモント(女優・劇場ディレクター)
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写真はデュッセルドルフ旧市街:中央にHeinrich Heineハインリヒ・ハイネ(ドイツ有数の詩人)、右に②1710年 Kurfuerst Jan Wellemヤン・ヴェレン選帝侯が都市計画の拡大を図った、左に①1288年Graf Adolfアドルフ伯により都市の権利を得たこと、
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写真はHeinrich Heineハインリヒ・ハイネ(ドイツ有数の詩人)、
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写真はデュッセルドルフ旧市街:中央にFritz Henkelフリッツ・ヘンケル(ヘンケル財閥の創業:洗剤)、右に③1811 年NapoleonナポレオンがBerger Torベルガー門前に立つ、左に②1710年 Kurfuerst Jan Wellemヤン・ヴェレン選帝侯が都市計画の拡大を図った、
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写真はFritz Henkelフリッツ・ヘンケル1876(ヘンケル財閥の創業:洗剤)
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イチオシ
写真はデュッセルドルフ旧市街:中央に③1811 年NapoleonナポレオンがBerger Torベルガー門前に立つ、右にWilhelm Marxヴィルヘルム・マルクス(裁判官・政治家、ヴァイマール共和政の首相)、左にFritz Henkelフリッツ・ヘンケル(ヘンケル財閥の創業:洗剤)、
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写真はナポレオン皇帝:近衛猟騎兵大佐の制服を好んで着用した
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写真はデュッセルドルフ旧市街:中央にArthur Schlossmannアーサー・シュロスマン(小児科医と社会衛生士)、右に⑤1945~82年第二次大戦後、新しいデュッセルドルフを創生、左に④1848 年Lorenz Cantadorローレンツ・カンタドールが民兵組織を設立、
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写真はArthur Schlossmannアーサー・シュロスマン(小児科医と社会衛生士)
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再びライン川畔にと、アンナ小母さんのレストランWeinhaus Tante Annaワインハウス・タンテ・アンナの店の横丁を通り、ライン川畔プロムナードに。
写真はデュッセルドルフ旧市街:ライン川畔プロムナードライン河畔プロムナード 散歩・街歩き
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写真はデュッセルドルフ旧市街:ライン川畔、対岸のオーバーカッセル地区
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写真はデュッセルドルフ旧市街:ライン川畔、ラインタワー
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写真はデュッセルドルフ旧市街:1628年創業の“Zum Schiffchenツム・シッフェン”の黄金の船
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写真はデュッセルドルフ旧市街:“Zum Schiffchenツム・シッフェン”前で
ツム シフヒェン 地元の料理
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<昼食:“Zum Schiffchenツム・シッフェン”で>
D-40213 Duesseldorf 、Hafenstrasse 5
http://www.brauerei-zum-schiffchen.de/
12:00~13:00 Euro32(4,125円)
飲み物は当地名物のSchloesser Altシュレッサーアルトビール0.25L 2.6X2=Euro5.2、Muscheln klassisch ‐rheinische Artライン風クラシックムッシェルン料理(Muschelnムール貝に白ワイン、玉葱が入っていて、塩味をきかせた味が美味い)Euro14.5、Zucchini Tomaten Risottoズッキーニ、トマトのリソットEuro9.5を二人で食べた。
写真は“Zum Schiffchenツム・シッフェン”:店内 -
写真は“Zum Schiffchenツム・シッフェン”:店内に飾られた有名人の来訪
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写真は“Zum Schiffchenツム・シッフェン”:店内に入ると
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イチオシ
ライン風ムッシェルン料理はかつて郊外にも近くの町のレストランでもいろいろあり、月日が経つうちに流行りもあるようです。
最後の日の昼食にレストラン“ツム・シッフェン”を訪れ、ライン風ムッシェルン料理にとても満足しました。
早かった所為か、レストランの特等席というべき皇帝ナポレオンのコーナーに座りましたが、時間が経ってもこのあたりには人が来ません。ひょっとしてナポレオンの事も知らないのではと思ったほどです。
昔は何度も通いましたけど、この特等席に座れなかったのです。
写真は“Zum Schiffchenツム・シッフェン”:皇帝ナポレオンのコーナー -
写真は“Zum Schiffchenツム・シッフェン”:店内
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写真は“Zum Schiffchenツム・シッフェン”:本日のメニュー
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飲み物は当地名物のSchloesser Altシュレッサーアルトビール0.25L
写真は“Zum Schiffchenツム・シッフェン”:名物アルトビアー -
写真は“Zum Schiffchenツム・シッフェン”:店内
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ナポレオンも食事したという創業1628年の老舗レストランは11時半~0時開業です。
*1811年、ナポレオンの絶頂期に将軍たちと共にこのレストラン“ツム・シッフェン”を訪れ、ビールをガブ飲みしたのだとか。
そんな皇帝陛下が座った場所は今もNapoleon-Eckeナポレオンコーナーとして残っている。フランス国旗の下がるこの場で食事をしたと伝えられ、特徴的なナポレオン帽の胸像がある。
ドイツの郷土料理を味わってもらう為、日本からのお客さんを必ず一度はご案内した店だ。
写真は“Zum Schiffchenツム・シッフェン”:店内は未だ閑散としてます -
こんな事があった。2013年秋、ドイツ・ベネルックスの旅でデュッセルドルフに立ち寄り、ここの店の前でメニューを見ていたら、ドイツ人ご夫婦がお店に入ろうとして、私共に気付いて、声をかけてくれた。
曰く“この店の料理はとても美味しいですよ!何しろ、かのナポレオンがここで食事を取ったそうですからね!”と。
“以前この町に住んでおりまして、旅の途中、懐かしくてちょっと覗いていたのですよ。時間があれば、食べたいのですが、これから次の町に行かねばならず、次回にはきっと食べます”と話したことを思い出した。
写真は“Zum Schiffchenツム・シッフェン”:店内の帆船 -
*(注)1810年、ロシア帝国はナポレオンの大陸封鎖令を破りイギリスと通商を再開する。1811年はナポレオン皇帝に嫡男が生まれた年。ナポレオン1世は法令を破ったロシアを罰しようとロシア遠征(1812年6月~12月)を企て、モスクワに迫るもロシア側の焦土作戦などで大敗を喫し、没落を招く結果となった。
写真は“Zum Schiffchenツム・シッフェン”:店内の帆船の拡大 -
写真は“Zum Schiffchenツム・シッフェン”:店内
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Muscheln klassisch ‐rheinische Artライン風クラシックムッシェルン料理(Muschelnムール貝に白ワイン、玉葱が入っていて、塩味をきかせた味が美味い)
写真は“Zum Schiffchenツム・シッフェン”:ライン風クラシックムッシェルン料理 -
写真は“Zum Schiffchenツム・シッフェン”:店内
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イチオシ
ムッシェルン料理はベルギーのブリュッセルが有名だが、オランダもドイツ・ライン地方も良い味のムッシェルン料理がある。
ムッシェルンを白ワインとセロリで煮込んだ料理が定番だが、ライン風デュッセルドルフのムッシェルン料理は、より塩味が強くセロリではなく玉葱が入っている。
写真は“Zum Schiffchenツム・シッフェン”:ライン風クラシックムッシェルン料理とズッキーニ、トマトのリソット -
ムッシェルンは空いた貝殻を利用して次の貝の身を引き出す。
写真は“Zum Schiffchenツム・シッフェン”:ムッシェルン料理はこのように食べる -
写真は“Zum Schiffchenツム・シッフェン”:ムッシェルン料理は完食した。
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写真は“Zum Schiffchenツム・シッフェン”:皇帝ナポレオンのコーナーには日本の皇族の高円宮妃殿下もナポレオン皇帝と共に写真が掲げられていた。
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Altbierアルトビールとは:アルトビールの“alt”(英語で“old”)はドイツ語で「古い」という意味だが、これは「ビールが古い」という意味ではない。
アルトビールは18~19世紀になってから造られた上面発酵のビールで、醸造方法の歴史が下面発酵よりも古いことに由来する。温度管理が困難な時代、15度から20度(ドイツの夏場の気温に近い)で発酵するこの種のビールが主流でした。冷却技術が発展した後の時代のビール(ノイまたはニュー)に対してアルトと呼ばれる。
デュッセルドルフを中心に北西はオランダ国境、南はケルン近郊までの地域で生産されている地ビールで、今なお伝統的製法で造られている。
アルトビールの原麦汁エキス濃度は平均11.5%、アルコール度は約4.8%で、色は銘柄によって若干異なるが濃い琥珀色。
飲み頃は8℃~10℃。数種類の麦芽とホップを使用しており、一般的にホップの利いた、まろやかで苦みのあるビール。
アルトビールは円柱形のシンプルな0.2リットル用のグラスで飲むのが一般的だ。
私の一番の好みのアルトはSchloesser Altシュレッサーアルト(1873年創立)である。
・・・・・
写真は好みのシュレッサーアルト
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この旅行記へのコメント (2)
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- M-koku1さん 2022/01/09 07:04:49
- 新しい建物と旧市街問題
- jijidarumaさん
新しいタワーなどが建てられ、旧市街が一体感を失っていくのは、どこの街にもある「必然」的変化なのですよね。
それを悲しいと思う人間がいる一方で、新しくその景色に馴染み楽しむ人々もいるわけで、都市の新陳代謝に関しては複雑な気持ちになります。
デュッセルドルフはメッセと旧市街をちらっと回っただけなので、タワーがあったかどうかも覚えていませんが、東京でもスカイツリーによって、町並みがどんどん変わってきました。最初は東京タワーが圧倒的に良いと思っていた私でしたが、今ではすっかり馴染んでしまい、隅田川とスカイツリーの織り成す新しい風景が大好きになっています。
ロンドンなんてもっとどんどん変わっているし、かつての統一感のある美しい街並みを知っている身には、違和感が強いのの、それも時間が解決していくんでしょうね。
ナポレオンが食事をしたというレストラン、いつか行ってみたいものです。
Mより
- jijidarumaさん からの返信 2022/01/09 19:24:57
- RE: 新しい建物と旧市街問題
- M-koku1さん、
今晩は。いつもありがとうございます。
こちらの方にコメントを頂戴してしまいましたね。
口コミにもコメント欄があるのは少々煩わしいかもしれませんけど。
Mさんの御趣旨は勿論反論すべき点はありません。
経済中心に進化すると時に突飛なものが出来てしまいます。
ドイツの古城を我が千葉に作っても違和感だらけですが、幸いまだありません。
東京ドイツ村と称する所も、東京ディズニーランドも私には摩訶不思議ですが、
孫たちも含めて、若い人は楽しんでいますね。
ラインタワーは1979年から1982年にかけて建てられたので、
もう40年の歴史があるわけですからdarumaが体験したドイツ時代を
とっくにはるかに過ぎてしまいました。
ただ、ドイツの片田舎巡りを好む老兵が、かつて其の30代、40代を家族と
共に馴染んだデュッセルドルフの旧市街の景観は愛おしいもので、訪れる
度に変わって行くのが、それもまた異質感たっぷりなのです。
ドイツは古さを尊び、伝統を大事にしてきた国、戦災で破壊された町や村
の歴史的な建物、市民の家並みも再び同じように再建したドイツという国、
この国はどうなって行くのかと、残念に思うのです。
その気持ちを一寸嘆いてみたのですよ。
多分、それは三田の街、東京タワーが立つ景観を好んだ人にも共通する
ものでしょう。
東京は巨大化しすぎて、更に何かを失っていくように思います。
jijidaruma
P/S:
ナポレオンが食事をしたというレストランなどは、ドイツ的な雰囲気が残る
レストランです。是非、ナポレオンのコーナーでドイツのアルトビール
などお楽しみアレ!
ナポレオンはこの町にとって征服者、破壊者なのですが、英雄というものは
好まれますね。この町はナポレオンを大事にしています。
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