アジア太平洋15年戦争?
スネフェルさま、おはようございます。
何時も旅行記を興味深く拝見させて頂いております。
実を申しますと、小生、親族が戦死した関係で靖國神社の特別奉賛会会員です。
一部サヨクのバ●共は戦死した方々をして連中は犬死だったなどとの発言こそ、戦死者への重大な冒涜侮辱であり、生きてる者こそが戦争の実態と戦死者の御霊を奉る伝量こそが大事なことだと考えております。
鳥巣健之助さまと云う、大東亜戦争最終階級で海軍中佐だった潜水艦作戦専門の方が、生前小生の質問に対し、海軍に於ける特攻を命じたのは世間で言われて居る様な大西中将では無く、黒島亀人と中澤佑両中将で、特に中澤元中将は海軍反省会に出席しても戦死者への責任逃避と転嫁に徹しており、今思い出しても煮えくり返る想いだ、と憤りを隠さず語っておられたのが印象に残っております。
それから私事で恐縮ですが、小生、志願して硫黄島に遺骨収集の為に14回渡島しました。
海上自衛隊輸送機に搭乗して訪れますが、10月とは申せ現地は灼熱の熱帯地で、火山の関係で貸与されるゴム長靴も長時間の作業で靴底が溶けていく様な状態で発掘作業に従事します。
洞窟があったと思われる所をブルドーザーで土を取り除くと、白骨体が無数に、それも酸素不足だったと見え洞窟口に皆うつ伏せ状態で発見されます。
本来はサソリ防止の為に軍手着用で行うのが規則ですが、遺骨を転する際は軍手を外し素手で収集させていただきます。
焼いた遺骨と異なり、自然死の遺骨はガムテープがくっ付く様なベタベタ状態ですが、兎に角、発見した御遺骨は一片たりとも残さず本土に持ち帰る為に黙々と作業に従事しました。
長くなりまして申し訳ございません。
次作旅行記を期待しております。
横浜臨海公園
RE: アジア太平洋15年戦争?
横浜臨海公園様
メールありがとうございます。
また、いつも旅行記をご覧頂き、ありがとうございます。
先の大戦で、親族を亡くされていたのですね・・・
自分の祖父は国鉄に居た関係上、徴兵が最後の最後で、配属先は九十九里で幸いにも生き残った口でしたが、生前、軍隊の話はよく聞きました。
戦死を犬死と断ずることだけに限らず、サヨクの馬鹿どもには、ほんのわずかでも「世界」と「現実」を知る意思を持ってほしいと願ってやみません。
戦後、責任転嫁と逃避に徹した旧将校には私自身、腹立たしい思いを持っています。彼らの存在がサヨクが先の大戦に関わった人々全てを否定するネタにされてしまっているのも腹立たしい。
責任を感じて苦しみを抱えながらひっそりと残りの生を終えた旧将校も多かったのに・・・
硫黄島の遺骨収集に行かれていたのですね。
おっしゃるように過酷な環境を見聞きすると、自分はなかなか行く勇気が出ません。
立派ですし、すごいことだと率直に思います。
そんな過酷な環境で、かつ、本土から遠く離れた孤島で、本土に残る家族のため、亡くなった方々のことを想うと自分は現地で作業にならないかもしれません・・・
「感状より弾をくれ」と返信した逸話を思い出してしまいます。
今後ともご覧いただければ幸いです。
改めて、ありがとうございました。