琉球熱さんのクチコミ(34ページ)全3,993件
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投稿日 2021年12月15日
総合評価:4.5
今の元町公園周辺は以前から水質がよく、フランス人アルフレッド・ジェラールが横浜港に停泊している船まで運んで商売を始めました。これが日本で最初の船舶給水業の始まりでした。
給水業のための施設のことを人々は「水屋敷」と呼んだのだそうです。
水屋敷の貯水槽は元町公園を出たところ、住宅の中に突然現れます。とてもきれいに整備されていて、現在も水が湧き出ています(飲めません)。
またジェラールは給水業だけでなく、西洋瓦やレンガ工場、軍用日用品供給業、肉屋と居留地で手広く商売を始めていったそうです。
元町公園の周辺にはかつての洋館(及びその遺構)が数多くあり、水屋敷の遺構と合わせて見学することができます。- 旅行時期
- 2021年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2021年12月15日
総合評価:4.0
関内ホールの前に、2本のガス灯と「日本で最初のガス灯」という碑が設置されています。
1870年にドイツの会社がガス灯の建設を出願。しかし、同年設立された高島嘉右衛門の「日本社中」も負けじと出願。
結果、勝ったのは日本社中。なんとしても国産でという気概が勝ったのでしょう。
そして1872年9月、大江橋より馬車道、本町通りにかけて日本初のガス灯がともりました。
なお 東京(京橋)で最初にガス灯が供されたのは、横浜からおくれること2年の1874年でした。
馬車道通りには街灯として約60基のガス灯が設置されていますが、これらは「ガス灯風の電気灯」ではなく、実際にガスを燃やす正真正銘の「ガス灯」だそうです。
ガス事業及びガス灯点灯については、実は大阪や鹿児島で横浜よりも早く成功していますが、実験で終わったり、官庁内の利用で終わったりと、広く民間で利用されるまでには至らなかったようです。
このことから、早期に民間での実用に漕ぎ着けた横浜が「発祥」とうたっているわけですが、「民間の都市ガス事業として初めてのガス灯」とした方が正確かもしれません。- 旅行時期
- 2021年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2021年12月15日
総合評価:3.5
官庁が並ぶ日本大通りにあります。(横浜地裁の向かい)
このビルは、1911年に竣工されたもので、日本で最初に建てられたコンクリートビルであり、昔の建築ならではの重厚な雰囲気を漂わせています。
ただ、この界隈に多い明治・大正時代のビルとの違いは、正直なところよくわかりません。(以前はルネサンス調が多く、三井ビルはモダン・・・だそうですが)
1945年に起きた関東大震災にも耐えたとされるこのビルが、日本人の手による設計だったという点は覚えておくべき点ではないでしょうか?- 旅行時期
- 2021年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2021年12月15日
総合評価:4.0
開港広場に記念碑があります。
この条約が締結されたのは1854年。そこで函館年と下田の開港が決まり、日本の開国がスタートしたわけですが、その締結の地となった横浜も、これを契機に文明開化の先端を行く街に生まれ変わっていきます。
この開港広場には他にも遺構があり、さらに開港資料館もありますので、セットで見学をお勧めします。- 旅行時期
- 2021年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2021年12月15日
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投稿日 2021年12月15日
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投稿日 2021年12月12日
総合評価:4.0
横浜情報文化センターの駐車場に隣接しています。
「旧居留地消防隊地下貯水槽」の遺構とともに、「消防救急発祥之地」の碑が建てられています。
ここは1994年まで日本初の消防署、中消防署日本大通り消防出張所があった場所で、建物は移転しましたが、貯水池跡が残されています。
この貯水槽は湧き水、平時は冷蔵庫の代わりとしても用いられていたそうです。
1866年に「豚屋火事」と呼ばれる大火によって、多くの外国人居留地と日本人街の家屋が焼失しました。これを契機に防火対策、消防隊が強化され、防火対策として建物と建物が隣接しないように区画整理されました。この一環で誕生したのが日本大通りです。
貯水槽はガラス越しに見えるようになっていますが、曇っていてはっきりとは見えません。- 旅行時期
- 2021年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2021年12月12日
総合評価:3.5
横浜開港資料館の中庭にある樹木です。種類としては「タブノキ」ですが、通称「たまくす」と呼ばれています。
この木は、江戸時代からこの地にあり、1854年のペリー来航時にもこの地にあったことが、ペリーに随行してきた画家ハイネの「横浜上陸」に描かれていることからもわかっています。
和親条約の締結、大火、関東大震災、空襲と激動の時代を生き延び、歴史の生き証人とも言われています。
決して大きくない中庭でちょっと窮屈そうですが、この木のおかげで静かで落ち着いた印象となっています。- 旅行時期
- 2021年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 景観:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
-
投稿日 2021年12月10日
総合評価:3.0
横浜に郵便制度が創始されたのは1871年3月1日のことです。
その当時の名称は、「横浜郵便取扱所」と呼ばれていました。
当時は、海外との郵便物は各国の領事館などがとりまとめて送受するという形がとられていました。
その後、まずアメリカとの間で郵便交換条約が締結され直接郵便が可能となったのです。
その業務にあたったのが、当時の横浜郵便局で現在の横浜港郵便局です。
その事をあらわすプレートが壁に埋め込んであります。
こちらを普段使いしている人はかえって気づかないかもしれません。2Fに上がるエスカレーターの乗り口に掲示されています。- 旅行時期
- 2021年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 2.5
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投稿日 2021年12月10日
総合評価:4.0
横浜が発祥というと真っ先に思い浮かぶのが「鉄道」ではないでしょうか?
「汽笛一声 新橋を はや我汽車は離れたり♪」の歌いだしで有名な『鉄道唱歌』、ここで謳われているように、1872年10月14日、横浜―新橋間で鉄道が開通、これが日本初の鉄道となりました。(『鉄道唱歌』は1900年なのですが(笑))
ここでいう「新橋」「横浜」はそれぞれ現在の汐留、桜木町であることも広く知られています。
ところが、横浜側の「発祥の地」碑は隅っこに追いやられて少しかわいそう。
駅舎の裏手(市役所側)の高架下にひっそりと建っています。
見に来る人も写真を撮る人も多くありません。
よく見ると、碑の台座は鉄道の車輪を、碑の柱にはレールをイメージさせる凝った作りであることがわかります。- 旅行時期
- 2021年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.5
-
投稿日 2021年12月10日
総合評価:3.5
ゲーテ座は、わが国初の本格的演劇場です。
こちらも居留外国人を対象に使われていたそうですが、やがて日本人の観客も徐々に増えていき、滝廉太郎や坪内逍遥、芥川龍之介、大仏次郎など文化人が足繁く通ったそうです。
その後関東大震災で建物が崩壊しまいしたが、岩崎学園によって復元され今日に至っています。
港の見える丘公園入口にあり、目立ちます。建物のそばに説明板が設えられています。
なお、「ゲーテ座」の「ゲーテ」は、詩人のゲーテではなく、英語の「陽気・愉快・快活」という言葉が由来となっています。- 旅行時期
- 2021年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 3.0
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投稿日 2021年12月10日
総合評価:3.5
イギリス人ヘンリー・スペンサー・パーマーが神奈川県の依頼を受けて、道志川を水源として野毛山貯水池までの工事を1887年に完成させたのが、近代水道の始まりです。
その記念碑や遺構は野毛山公園にありますが、開港資料館中庭に展示されているのは『獅子頭共用栓』と『ブラフ溝』です。
この共用栓は、日本最初の近代水道となった横浜水道創設時市内各所に配置されていたものです。当時家庭内に蛇口を引く例は少なく、路頭の共用栓から水の供給を受けるのが一般的だったそうです。
開港資料館の雰囲気ともよく合っていて、元からここにあったような印象を受けます。- 旅行時期
- 2021年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2021年12月10日
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投稿日 2021年12月09日
総合評価:3.5
1863年、英国人ピアソン夫人が横浜居留地97番地に「サムエル・ クリフト支店」という洋服の仕立て屋を開店したのが、我が国の洋裁業の始まりだとか。
間近に元町・中華街駅の出入口がありますが、その壁面がちょっと凝った造り。よくよく見ると、これも「ビンセンド商会」という婦人服裁縫所の建物外観をイメージしたもの、という解説のパネルがはめ込まれています。
現在はマンションとなっている(以前はホテル)敷地に記念碑が立っています。
しかし自転車置き場と化しており、気にかける人もほとんどおらず、大変残念な状態です。- 旅行時期
- 2021年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2021年12月04日
総合評価:4.5
この山手資料館は、お隣の山手十番館、向かいの外人墓地、1ブロック先の丘公園と併せて、異国情緒・文明開化のイメージを体現するような絶好のロケーションに建っています。
資料館のコンテンツよりむしろ、その外観と庭の風景こそがこの建物の魅力のような気がします。
1909年に建造された、横浜市内に残る唯一の「和洋併設型住宅」木造西洋館という蘊蓄はさておき、どこから見ても絵になる外観なので、歩道から眺めるだけでなく、是非敷地内に入って庭に配置されたガス燈や乳母車(!)・獅子頭共用栓等も見てみるべきでしょう。- 旅行時期
- 2021年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 3.5
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投稿日 2021年12月10日
総合評価:4.0
かつては旧外国人居留地と日本人街を区分する街路で、現在は官庁街、銀杏並木が有名です。
1866年に「豚屋火事」とばれる大火のあと、防火帯を兼ねて計画・整備されたもので、これが日本における近代街路の発祥地となりました。
設計者プラントンは、横浜公園や旧居留地地下水道など横浜の都市基盤整備に大きく貢献したイギリス人技術者です。
ただし、通りには「近代街路の発祥地」を示す記念碑らしきものはなく、「マカダム式舗装」という工法で造られたことに関する記述があるのみです。- 旅行時期
- 2021年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2021年12月10日
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投稿日 2021年12月10日
総合評価:3.5
『ザンギリ頭をたたいてみれば文明開化の音がする』
誰でも知ってるこのフレーズ、しかし今の理髪業が横浜発ということを知っている人は多くはないのでは?ましてその記念碑が山下公園にあると・・・
山下公園には数えきれないほど足を運んでいますが、そんな記念碑があるとは最近まで知らず。
場所は岸壁側ではなく、車道側。いつも港を見ながら氷川丸の前を通っていたのでは、遭遇するはずもありません。
記念「碑」というより「像」、モアイ像のような石像です。目の部分に「ZANGIRI」、口の部分に「YOKOHAMA」と、実に斬新な(笑)デザインです。
1869年わが国初の日本人経営による「西洋理髪店」が横浜で開業されたことを記念して、神奈川県理容環境衛生同業組合が1989年に寄贈したものです。- 旅行時期
- 2021年11月
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2021年12月09日
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投稿日 2021年12月09日
総合評価:3.5
1870年に日本ではじめてのガス会社が、高島嘉右衛門によって設立されました。これを記念してガス灯とガス事業発祥の碑が建てられましたが、現在はなんと、小学校の敷地内です。(横浜市立本町小学校)
1872年、日本で最初のガス灯が馬車道で灯ったときのガスは、ここで作られたもの。そしてそのガス会社は、1875年に町内会に譲渡され「横浜市瓦斯局」となり、現在の東京ガスの前身となりました。
道路沿いに建ち、外からも見えるとはいえ、小学校の敷地内なので通用門をくぐって中に入る人はほとんどいませんが、立入禁止ではありません。(私は何も言われませんでした)- 旅行時期
- 2021年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5



















































