琉球熱さんのクチコミ(34ページ)全4,006件
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投稿日 2022年01月08日
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投稿日 2021年12月04日
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投稿日 2021年12月10日
総合評価:4.0
英国人技師ブラントンの技術指導により整備された下水道の遺構は、市内の数ヶ所でみることができます。(山手公園にも「近代下水道記念碑」があります)
開港広場にあるものは、その次の世代、排水能力の増強が必要となり採用された「卵形管」であり、日本人の計画による最初の近代下水道遺構として貴重です。
ただ内部は良く見えません(笑) この「卵形管」そのものは、横浜情報文化センターの中庭に展示されています。- 旅行時期
- 2021年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2021年12月04日
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投稿日 2021年12月04日
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投稿日 2021年12月23日
横浜コミュニティサイクル baybike (ベイバイク) 横浜
総合評価:4.0
横浜市内に展開するシェアサイクルです。
駅周辺だけでなく、主要な観光スポット・施設にもポートがあり便利。一時利用だけでなく通勤に利用する人も多いそうです。
事前にクレジットカード、交通系ICカードの登録が必要ですが、それさえ済ませてしまえば煩わしい手続きなし、キャッシュレスで利用できるのは嬉しいところ。
横浜は横浜駅から桜木町~みなとみらい~馬車道~関内~元町と見どころ満載ですが、これらを周遊するには地下鉄やバスよりも自転車が一番機動的で速いと思います。
電動アシストなので坂道でも安心です(と言っても上記エリアに坂はほとんどありませんが)- 旅行時期
- 2021年12月
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 乗り場へのアクセス:
- 4.0
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投稿日 2021年12月15日
総合評価:3.5
馬車道にあります。
日本における写真業は、幕末の1860年にアメリカ人O.E.フリーマンが横浜に写真館を開いたのが始まりです。
その後、初の日本人写真師とされる下岡蓮杖は、1862年に横浜に写真館を開業しました。
当時の日本人は写真を撮影すると寿命が縮まるとしてこれを嫌い、写真というものに馴染めず、客はいずれも外国人が大半でした。
やがて迷信は消え、彼も苦労の末に弁天通りに再出店します。
この碑は彼の写真館が弁天町にあったことから彼の功績を記念してここに設置されています。- 旅行時期
- 2021年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2021年12月15日
総合評価:3.5
日本大通りの1本隣(山下公園側)、通称「大桟橋通り」に、全面蔦に覆われた古色蒼然としたビルがあります。
これが洋菓子の老舗「横浜かをり」の本店であり、ホテル発祥の地でもあります。
1F店舗入口の脇に「ホテル発祥の地」と書かれたプレートが確認できます。
ペリーの来航から7年後、開港から1年後の1860年2月、オランダ人によって開業された「ヨコハマ・ホテル」は、レストランやビリヤード、バーを備え、ここのバーは日本初の洋式バーであるともいわれており、チェリーブロッサム、ミリオンダラー、バンブー等は、横浜から発信されたスタンダード・カクテルなのだそうです。
横浜かをりは洋菓子の名店として知られていますが、コロナ禍の影響で現在は売店のみの営業となっています。- 旅行時期
- 2021年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2021年12月15日
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投稿日 2021年12月15日
総合評価:4.0
勝烈庵総本店の玄関の右側に建っています。
日本で初めての街灯は、1870年9月に実験的に海岸通りに点火された石油灯で、続いて1872年9月に大江橋~馬車道、本町通りにかけて日本最初のガス灯が灯りました。
「明治23年10月1日、初めて横浜市内700の電灯と街灯が一斉につきました。この街灯は山下公園の門灯でした。同公園に埋もれていたのを、電力の産みの親、横浜共同電灯株式会社跡の常盤町に復活させました。古きよき時代をしのんで頂けたら・・・・・・と存じます。 勝烈庵主 昭和40年6月」
とあるので、個人的に建てられたもののよう。- 旅行時期
- 2021年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2021年12月15日
総合評価:3.0
国内初の日本語日刊紙「横浜毎日新聞」の創刊(1871年1月28日)を顕彰する記念碑です。
横浜市新市庁舎の敷地内にありますが、元々は同紙を発行した横浜活版社があったと言われていた旧横浜生糸検査所の敷地内にありました。
その後の調査で、本来の発祥地が約400メートル西であることが判明し移設、さらに横浜市役所庁舎建設に伴い撤去されましたが、新市庁舎の完成にあわせて庁舎敷地内に再建したものです。新しいビルの前庭に設置され、いつでも自由に見学することができます。- 旅行時期
- 2021年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 2.0
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投稿日 2021年12月15日
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投稿日 2021年12月15日
総合評価:3.5
元町・中華街駅から港の見える丘公園に一番近いゲートから入ると、広場になっていて、その片隅に設置されています。
神奈川県ボウリング場協会など5団体が1995年に設置したものです。
ボウリングそのものの「発祥の碑」ではなく、『横浜での』ボウリング『場』発祥の地という、なんともややこしい記念碑です。
ちなみに日本初は長崎の出島(1861年)で、横浜は2番目(1864年)ということのようです。
レリーフのデザインが愛嬌たっぷりです。- 旅行時期
- 2021年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2021年12月15日
総合評価:4.5
今の元町公園周辺は以前から水質がよく、フランス人アルフレッド・ジェラールが横浜港に停泊している船まで運んで商売を始めました。これが日本で最初の船舶給水業の始まりでした。
給水業のための施設のことを人々は「水屋敷」と呼んだのだそうです。
水屋敷の貯水槽は元町公園を出たところ、住宅の中に突然現れます。とてもきれいに整備されていて、現在も水が湧き出ています(飲めません)。
またジェラールは給水業だけでなく、西洋瓦やレンガ工場、軍用日用品供給業、肉屋と居留地で手広く商売を始めていったそうです。
元町公園の周辺にはかつての洋館(及びその遺構)が数多くあり、水屋敷の遺構と合わせて見学することができます。- 旅行時期
- 2021年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2021年12月15日
総合評価:4.0
関内ホールの前に、2本のガス灯と「日本で最初のガス灯」という碑が設置されています。
1870年にドイツの会社がガス灯の建設を出願。しかし、同年設立された高島嘉右衛門の「日本社中」も負けじと出願。
結果、勝ったのは日本社中。なんとしても国産でという気概が勝ったのでしょう。
そして1872年9月、大江橋より馬車道、本町通りにかけて日本初のガス灯がともりました。
なお 東京(京橋)で最初にガス灯が供されたのは、横浜からおくれること2年の1874年でした。
馬車道通りには街灯として約60基のガス灯が設置されていますが、これらは「ガス灯風の電気灯」ではなく、実際にガスを燃やす正真正銘の「ガス灯」だそうです。
ガス事業及びガス灯点灯については、実は大阪や鹿児島で横浜よりも早く成功していますが、実験で終わったり、官庁内の利用で終わったりと、広く民間で利用されるまでには至らなかったようです。
このことから、早期に民間での実用に漕ぎ着けた横浜が「発祥」とうたっているわけですが、「民間の都市ガス事業として初めてのガス灯」とした方が正確かもしれません。- 旅行時期
- 2021年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2021年12月15日
総合評価:3.5
官庁が並ぶ日本大通りにあります。(横浜地裁の向かい)
このビルは、1911年に竣工されたもので、日本で最初に建てられたコンクリートビルであり、昔の建築ならではの重厚な雰囲気を漂わせています。
ただ、この界隈に多い明治・大正時代のビルとの違いは、正直なところよくわかりません。(以前はルネサンス調が多く、三井ビルはモダン・・・だそうですが)
1945年に起きた関東大震災にも耐えたとされるこのビルが、日本人の手による設計だったという点は覚えておくべき点ではないでしょうか?- 旅行時期
- 2021年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2021年12月15日
総合評価:4.0
開港広場に記念碑があります。
この条約が締結されたのは1854年。そこで函館年と下田の開港が決まり、日本の開国がスタートしたわけですが、その締結の地となった横浜も、これを契機に文明開化の先端を行く街に生まれ変わっていきます。
この開港広場には他にも遺構があり、さらに開港資料館もありますので、セットで見学をお勧めします。- 旅行時期
- 2021年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2021年12月15日
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投稿日 2021年12月15日
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投稿日 2021年12月12日
総合評価:4.0
横浜情報文化センターの駐車場に隣接しています。
「旧居留地消防隊地下貯水槽」の遺構とともに、「消防救急発祥之地」の碑が建てられています。
ここは1994年まで日本初の消防署、中消防署日本大通り消防出張所があった場所で、建物は移転しましたが、貯水池跡が残されています。
この貯水槽は湧き水、平時は冷蔵庫の代わりとしても用いられていたそうです。
1866年に「豚屋火事」と呼ばれる大火によって、多くの外国人居留地と日本人街の家屋が焼失しました。これを契機に防火対策、消防隊が強化され、防火対策として建物と建物が隣接しないように区画整理されました。この一環で誕生したのが日本大通りです。
貯水槽はガラス越しに見えるようになっていますが、曇っていてはっきりとは見えません。- 旅行時期
- 2021年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0




















































