すぶたさんのクチコミ(42ページ)全3,773件
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投稿日 2017年02月21日
総合評価:4.0
「引導」は仏教の言葉では、「誘引開導」が元になっている言葉です。
葬式の時に死者が迷わぬように僧が法語を与えることをいいます。
死者を仏の世界に導き、成仏させるためにお経を読み、
法語を与えて行くべき道を教えます。
この石は四天王寺の四石の一つになっています。
そういう目で見ると、ありがたく感じました。- 旅行時期
- 2017年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2017年02月21日
総合評価:4.0
四天王寺の南大門を入った所に、
四天王寺四石の一つである熊野権現礼拝石があります。
その昔、聖地熊野を目指した人々が、
この礼拝石の上に立って手を合わせたと伝えられています。
彼方に鎮まる熊野権現に向かって手を合わせ、
道中の安全を祈願したといわれています。
今の旅行と違って、当時の旅行は大変だったろうなと思いました。- 旅行時期
- 2017年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2017年02月21日
総合評価:4.0
最近、お遍路さんへ出る人も多いですね。
いつの世も人には迷いが多いのでしょう。
江戸時代は自由な人の移動は禁止されていました。
その辺りは関所があったことからもわかると思います。
しかし、「行者」と呼ばれていた人達は「会所」と呼ばれる寺の組織に入ると、
比較的自由に旅行に出られました。
そこで、一般の人達は「行者」に自分のお願いを託して、
代理で全国のお寺や霊場へ巡礼に行ってもらっていました。
「西国巡礼三十三箇所」とは、近畿の観音菩薩がある寺や霊場を参ることです。
「行者」が無事に達成した暁に、お願いした人達がお礼として、
「満願供養塔」を建てました。- 旅行時期
- 2017年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 石鳥居の近くにあります
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 石鳥居の近くなのでこの周辺は人が多い
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
- 大きい
-
投稿日 2017年02月20日
総合評価:4.0
もともと、四天王寺の西大門の西南外に手水升として使われていました。
石槽はいわゆる石風呂を指します。
身体を清めるためのもので、花崗岩を丁寧に削って造られました。
そのため、外側も内側も自然石の面影はなく、
なめらかになっています。
底の一端には水抜き用の孔(あな)があります。
同じような形のものは、
四条畷市の上田原地区の住吉神社境内にもあり貴重な資料です。- 旅行時期
- 2017年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
- 大きい
-
投稿日 2017年02月20日
総合評価:4.0
「井戸屋形」とは、井戸の周囲に柱を立てて上に屋根を設けたものをいうそうです。
重要建築物とありましたが、それ以上の説明板などはありませんでした。
しかし、じっくりと見てみるとハスやアヤメなどの花々や、
流水模様がカラフルに装飾されて華やかで美しかったです。
その昔は、水道がなかったので井戸は重要なものだったのでしょうね。
周囲に人はいませんでしたが、このような施設もじっくり見てほしいです。- 旅行時期
- 2017年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2017年02月20日
総合評価:5.0
聖徳太子を祀っている聖霊院には、上欄に虎の彫り物がある「寅の門」と、
猫の彫り物がある「猫の門」の2つの門があります。
「寅の門」の虎は、悪いものが入ってこないように番をしています。
また、「猫の門」の猫は聖霊院にある経堂のお経が、
ネズミにかじられないように見張り番をしています。
四天王寺は大坂の陣で焼失しましたが、徳川幕府によって再建されました。
再建された「猫の門」の猫は、名匠・左甚五郎の作であったと伝えられており、
日光東照宮の「眠り猫」と一対となって、大晦日と元旦に鳴きあったといわれています。- 旅行時期
- 2017年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2017年02月20日
総合評価:4.0
推古元年(593)創建されました。
四天王寺が建立される時に、牛が石や材木を運搬しました。
その牛が伽藍が完成した途端に石となったと伝えられています。
石神堂内には牛王尊(ごおうそん)の巨石が安置されています。
後世、牛は草を食べることから転じて、
「子供の顔にできるくさをとってくれる」との信仰を生み、
病気平癒を祈る人々によって、牛の絵馬が数多く奉納されています。
「くさ」の意味は、できもの、ただれなどの総称です。
特に、乳児の頭や顔にできる湿疹を指します。
今のように軟膏など良い薬がなかった時代は、
神様や仏さまにお祈りするのが1番だったのでしょうね。- 旅行時期
- 2017年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2017年02月20日
総合評価:4.0
四天王寺の宝物を展示している博物館です。
四天王寺の境内にあり、綺麗な建物です。
残念なことに、四天王寺は戦災や天災によって歴史の割には宝物は少ないようです。
また、太平洋戦争の末期の昭和20年3月14日の大阪大空襲の時には、
かなりの建物が焼失したそうです。
その時に、重要な文化財なども焼失してしまいました。
それでも国宝は何点かありますし、訪問したらぜひ見学して下さい。- 旅行時期
- 2017年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.0
-
投稿日 2017年02月20日
総合評価:3.5
推古元年創建で、現在の南大門は昭和60年11月に再建されました。
南大門の内側には熊野権現礼拝石が玉垣内に鎮座していています。
往古より熊野詣にはまずこの場所にて熊野を遥拝し、
道中の安全を祈り熊野街道を南へと向かったと伝わっています。
南大門正面より真南に向かう道は庚申街道といわれ、
ここから2、3分の所に庚申信仰発祥地、四天王寺庚申堂があり、
庚申の日とその前日には多くの参詣者で賑わっています。
四天王寺の参拝の後には、四天王寺庚申堂へも参拝してみましょう。- 旅行時期
- 2017年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2017年02月20日
総合評価:5.0
推古元年創建され、昭和37年に松下電産(現パナソニック)などの
創業者の松下幸之助氏の寄贈により再建されました。
西大門は極楽に通ずる門の意味から、通称「極楽門」とよばれています。
仏教では、極楽は西方浄土にあるとされているので、
西への門が極楽への門となるのです。
門の内部には番浦省吾作の釈迦如来十大弟子、
武庫山(ぶこさん)出現の山越阿弥陀如来、
観音製紙菩薩の画像が描かれています。
門柱に転法輪があり、参詣者はこれを回転させ直接法門に触れることにより、
洗心の功徳を積むことができるといわれています。
豪華な極楽門は四天王寺でもはずせないスポットとなっています。- 旅行時期
- 2017年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2017年02月20日
総合評価:5.0
四天王寺の石鳥居は重要文化財の指定を受けています。
お寺なのに石鳥居があるのは不思議に思えますよね。
しかし、古来インドでは鳥居は聖地結界の四門であり、
神社に限ったものではありませんでした。
その石鳥居の中央に掛かっている扁額をじっくり見てみましょう。
通常は神社名が書いてありますが、
四天王寺の石鳥居は達筆で右から左で縦書きで下記のように書かれています。
「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」
これは『 おシャカさんが説法を説く所であり、
ここが極楽の東門の中心である』の意なんだそうです。
また、この額は箕の形をしており、塵取り
のように全ての願いをすくいとって漏らさない阿彌陀如来の本願を現しているそうです。- 旅行時期
- 2017年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- 石鳥居の周辺は人が多い
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.5
-
重要文化財に指定されている石鳥居 お寺である四天王寺なのに鳥居があるのか?
投稿日 2017年02月20日
総合評価:4.5
もとは木造でしたが1294年に現在の石造となりました。
重要文化財手に指定されています。
しかし、「四天王寺」は「お寺」なのに神社の象徴である鳥居があるのでしょうか?
変だと思いますよね!
元来鳥居は聖地結界の四門として古来インドより建てられたものだったそうで、
神社に限ったものではありませんでした。
この石鳥居をくぐって参拝する方が多く、
周辺には門前市のようにお店が多くてにぎやかでした。
参拝の後にこの辺りのお店に入って食事やお茶をするのも良いですね。- 旅行時期
- 2017年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- この鳥居をくぐって参拝する人が多い
- バリアフリー:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 4.0
-
日本三舞台(厳島神社の高舞台・住吉大社の石舞台・四天王寺の石舞台)の一つです
投稿日 2017年02月20日
総合評価:5.0
四天王寺の中心的な建物である六時礼讃堂の前にあります。
両側は亀の池で、上に架かっている石橋に組まれた舞台です。
舞台の側面には、この舞台再建に寄進した大阪の材木問屋の集まりである
「講」の名称である「舞台講」が彫られています。
四天王寺の石舞台は、重要文化財に指定されており、
日本三舞台(厳島神社の高舞台・住吉大社の石舞台・四天王寺の石舞台)の一つです。
毎年4月22日に聖徳太子を偲んで行われる聖霊会舞楽大法要の際には、
古来よりの作法にのっとり舞台上で舞楽が舞われます。- 旅行時期
- 2017年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2017年02月19日
総合評価:4.0
四天王寺の中心的な建物である金堂と五重塔の前にある門です。
2016年4月に聖徳太子1400年御聖忌に向けて行われていた工事が完了しました。
この門をくぐるには、高校生以上は拝観料が必要となっています。
ただ、毎月21日の大師会と22 日の太子会と、
3月の春季彼岸会と9月の秋季彼岸会は中心伽藍を無料で開放しています。- 旅行時期
- 2017年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2017年02月19日
総合評価:5.0
聖徳太子が四天王寺を創建した時に、
六道利救の悲願を込めて、
塔の礎石心柱の中に仏舎利六粒と自らの髻髪六毛(まげのけ6本)を納められたので、
この塔を「六道利救の塔」といいます。
六道とは、六趣または六界ともいい、
人間が善悪の業因(ごういん)によって行きめぐる六つの世界のことです。
六道:地獄・餓鬼地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上
五重塔への入口は南北にありますが、通常開放しているのは北側のみです。
南正面に釈迦三尊の壁画と四天王の木像をお祀りしています。
なお、この中心壁と外壁の各面に描かれた仏画は山下摩起画伯の筆によるものです。- 旅行時期
- 2017年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2017年02月19日
総合評価:4.5
聖徳太子のご本地仏である救世観音をお祀りし、
四方を四天王が守護しています。
四天王は仏法を守護する持国天・増長天・広目天・多聞天の総称で、
帝釈天に仕え、須弥山(しゅみせん)中腹で四方を守っています。
そこから、四天王寺と名付けられました。
毎日11時より舎利出しの法儀が厳修されています。
南無仏のお舎利をもって、
ご先祖のお戒名(霊名)が書かれたお経木にあてられ、
参詣者の頭にあててもらおうと多くの信者さんが参詣されています。
基壇下の青竜池より、白石玉出の清水が湧いています。
この水は、亀井堂に引いていると云われます。
内壁には中村岳陵画伯筆の仏伝図が描かれています。- 旅行時期
- 2017年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2017年02月19日
総合評価:4.0
推古元年(593年)創建され、昭和20年の大阪大空襲で焼失しましたが、
昭和30年再建されました。
近畿36不動尊の第一番霊場となっており、
本尊は水掛け不動尊で左に子育地蔵尊、右に延命地蔵尊を祀っています。
四天王寺に伝わるお話では、聖徳太子が尊いお声に呼び止められ、
亀井の井戸を覗かれると、
仏法の守護神である不動明王の姿が水面に映っていたそうです。
そこで、ここに不動尊を祀られたのが起源とされています。
毎月28日10時30分より不動尊供、
午前11時15分より不動尊護摩供が厳修され、多くの参詣者で賑わっています。
すぐ近くには亀井堂もありますよ。- 旅行時期
- 2017年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2017年02月19日
総合評価:4.0
聖徳太子の功績は、日本に仏教を広められただけではありません。
仏教普及とともに、日本に朝鮮半島の百済国より、
番匠と称される数多の名工を招請されて高度な建築技術を導入されました。
このご事蹟をお慕いして、大工・建築技術の向上や、
工事の無事安全を願う建築に携わる人たちの間でお祀りされるようになりました。
厨子の中には曲尺を手に持った曲尺太子が祀られており、
毎月22日のみご開帳されます。
残念ながら、訪問した日が22日ではなかったので、番匠堂は閉じられていました。- 旅行時期
- 2017年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2017年02月19日
総合評価:4.0
聖徳太子をお祀りしているお堂(天王寺のご廟)で、
正式には「聖霊院(しょうりょういん)」といい、
太子信仰の中心となっています。
前殿には十六歳像・太子二歳像・四天王があり、
奥殿には太子四十九歳像(1月22日のみ公開の秘仏)が祀られています。
毎年2月22日の「太子二歳まいり」ではお太子様の知恵にあやかるべく、
2歳前後のお子たちを連れたご家族で賑わいます。
奥殿基壇内(地下)には、
ご信者さんにより永代奉安された太子観音像があり、
[極楽・水子・施薬・知恵・厄除・子育の六観音]が安置されております。
他に毎月22日の太子忌法要、 六観音法要、
そして毎年10月22日経供養には信者さんより奉納された写経も併せて供養されます。- 旅行時期
- 2017年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2017年02月19日
総合評価:4.0
鯨鐘楼(北鐘堂)と相対峙しており伽藍の両耳をなしています。
もともとは刻を知らせる太鼓を鳴らすお堂でしたが、
再建の際に新たに鯨鐘楼(北鐘堂)と同じ黄鐘調の鐘を設けました。
12月31日の大晦日には、除夜の鐘・招福の鐘が撞かれています。
ご本尊は虚空蔵菩薩で、毎月21日には開堂しご祈祷を受け付けています。- 旅行時期
- 2017年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0












































