mikuwankoさんのクチコミ(48ページ)全1,741件
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投稿日 2020年03月08日
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投稿日 2020年03月08日
総合評価:4.0
東京メトロ南北線市ヶ谷駅改札階(地下3階)の改札内コンコースにあります。1989年から1995年にかけて南北線建設に伴う発掘調査で発見された江戸城の遺構を紹介するコーナーです。発掘時の写真や図面、古地図などがパネル展示されています。とりわけ目を惹くのは、九段南の雉子橋から発掘された石垣の一部を組み直した実物展示です。しかし、この展示石垣にはわからないことがありました。出土地とされる雉子橋は南北線沿線にはなく、けっこう離れた場所にあります。ですから、南北線の工事で出土したものなのかわかりませんでした。さらにもっと離れた佃公園にも雉子橋御門付近の石垣が展示されていますが、こちらは1985年の日本橋川右岸改修工事で撤去された際に運ばれてきたものです。ひょっとしたら市ヶ谷駅に展示されているものもこれと同じものかもしれません。困ったことに市ヶ谷駅の展示石垣の説明板にはいつ出土したものなのか詳しくは書かれていなかったため、謎が深まるばかりでした。
- 旅行時期
- 2018年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 3.0
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投稿日 2020年03月08日
総合評価:4.0
東京国立博物館に2つあるレストランの1つで、東洋館の隣にあります。店名は、東博本館前にある大きなユリノキに由来しています。ホテルオークラが運営しています。ちなみに法隆寺宝物館内にあるもう1つのレストランもオークラです。東博は友の会のパスや年間パスポートを持っていないと再入場できないので外に食事に気軽に行けないことや、2つのレストラン以外にはなじみが薄いというかマニアックな外国の民族料理のキッチンカー(しかも高くて美味しくない)を利用するか弁当持参でやってく来るかしか選択肢がないため、昼時には大変込みます。少し早めに昼食を摂るようにするか予約するかをお勧めします。また、低価格帯の料理は昼ピークを過ぎているとで品切れになっていることが多いです。昨年5月に鰻重がメニューから消えましたが、最近また復活したので、今回は奮発して食べました。申し分ない美味しさでしたが割り箸が廃止され、プラスチック箸に代わってしまったため、水気の多いご飯粒がつまみにくかっつたです。なお、東博の友の会のパスや年間パスポートを持っていると、飲食代が10%引きになるので、お得感を感じます。
- 旅行時期
- 2019年06月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 一人当たり予算
- 5,000円未満
- アクセス:
- 2.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- サービス:
- 3.0
- 雰囲気:
- 3.0
- 料理・味:
- 4.0
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投稿日 2020年03月08日
総合評価:3.0
呉服橋交差点近くの新呉服橋ビルディングの前にある石碑です。港屋は、竹久夢二が自分でデザインした商品を売っていた店で、1914年からわずか2年間だけ営業していたそうです。実際の店舗は石碑から少し離れた場所にあったとのことです。黒御影石と白御影石、赤御影石を組み合わせたもので、洒落たデザインのものでした。
- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年03月08日
総合評価:3.0
北町奉行所跡の大部分は現在、丸の内トラストシティの敷地になっています。そのため奉行所そのものの遺構は残っていません。N館の近くには、当時の下水溝の一部が復元展示ざれていました。丸の内トラストシティ造成時に発掘された埋蔵文化財を展示する施設がトラストシティ内にあればいいのになと思いました。
- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年03月08日
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投稿日 2020年03月07日
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投稿日 2020年03月07日
総合評価:5.0
大島城は、現在は公園化されていますが、比較的よく遺構が保存されています。暴れ川・天竜川に面した右岸の河岸段丘上にあり、三方を蛇行した天竜川に守られているまさに天険の要害でした。天竜川の左岸側から見ると、その様がよくわかりました。
- 旅行時期
- 2018年01月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 1.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2020年03月07日
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投稿日 2020年03月07日
総合評価:3.0
善福寺川沿いにある公園です。信号や標識のついたコースで自転車や足踏み式のゴーカートを走らせながら交通ルールを学ぶことができる場所です。生態保存されているD51も見どころです。小さなお子さんを連れていくにはよい場所かと思います。
- 旅行時期
- 2019年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年03月07日
総合評価:3.0
大宮八幡宮を赤門から出た旧境内地にある遺跡です。弥生末期の三基の方形周溝墓が検出され、土器、軟玉製の勾玉、ガラス玉などが出土したそうです。残念ながら周溝墓は埋設保存されているため、見ることができませんでした。なお、出土品は大宮八幡宮の清涼殿内に展示されています。
- 旅行時期
- 2019年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 2.0
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投稿日 2020年03月07日
総合評価:3.0
武蔵野台地辺縁部の樹状突起のようになっている舌状台地上にある遺跡です。松ノ木中学校の敷地の南側にあります。復元した竪穴住居が一棟ありますが、コンクリで造られており、中野区の平和の森公園にあるものと似ています。中野のものと違うのは、ガラス張りの断面があり、中がのぞけるようになっていました。しかし、なぜかこの復元住居は松ノ木遺跡のものではなく、方南峰遺跡のものなので、松ノ木遺跡とは名ばかりで、この遺跡のものは何一つありませんでした。解説音声のボタンを押すと5分ほどの解説が流れました。
- 旅行時期
- 2019年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年03月08日
総合評価:3.0
現寛永寺の葬儀会場である輪王殿の門のようになってしまいもったいなく感じますが、もともとは現在、東京国立博物館の敷地となっている寛永寺の本坊にありました。東博の前身である「文部省博物館」が開館する際に正門として使われた歴史もあります。黒漆塗りの大きな薬医門で、大変風格があります。その黒漆の上には、弁柄で朱に染まった肉厚の菊紋と菊飾が映えていました。寛永寺のかつての隆盛が伝わってくる門でした。また、寛永寺は上野戦争で主戦場となったため、門扉には小さな弾痕や砲弾の大きな貫通痕が残っています。南千住の圓通寺に残る上野の黒門ほど弾痕の数は多くはありませんが、この門前で戦闘が行われていたことを改めて実感できます。左右にある潜門は、普段正面から向かって左側だけ開いていますが、たまに右側も空いていることがあります。
- 旅行時期
- 2018年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年03月08日
総合評価:4.0
『荒城の月』の作詞者で知られる土井晩翠が東北帝国大学在学中に夭逝した長男の英一の遺言を受け、帝国図書館(現・国際子ども図書館)の前庭に建立した記念碑です。土井英一は、学生ながらハンセン病患者を救済する目的で寄付金付き切手の導入を広く提唱していた人物です。英一は小泉八雲を敬慕しており、また晩翠自身も小泉八雲に東大で学んだ経歴があるとのことです。記念碑は帝展審査員の彫刻家 小倉右一郎の作で、台座部分には小泉八雲のレリーフが、 台座の上には7体の天使が壺を取り囲むように集まった彫刻作品『蜜』があります。『蜜』はヨーロッパの広場の噴水にありそうなデザインでした。素晴らしい作品だと思いますが、なぜ小泉八雲とこの取り合わせなんだろうと不思議に思いました。
- 旅行時期
- 2018年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年03月08日
総合評価:3.0
上野動物園の表門近くにあるポストです。白地に黒のパンダ模様が入っています。たれ目になっており、愛くるしいさまをしているので写真を撮る人が後を絶ちません。正面から写真を撮って終わる方が大半ですが、裏側には、尻尾もついています。ぜひお確かめください。
- 旅行時期
- 2018年05月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年03月08日
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投稿日 2020年03月07日
総合評価:3.0
盛岡藩二代藩主 南部利直が1609年に盛岡城の東に流れる中津川に上の橋を架橋させました。その際に欄干に取り付けた擬宝珠が1945年に重要美術品に指定され、現在も上の橋に残っています。木製の欄干に取り付けられていますが、欄干の木材は後世のもので当時のものではありません。擬宝珠には文字が刻まれており、竣工した時期の「慶長十四 己酉年 十月吉日」に続いて「中津川上之橋」とありました。注目したいのは最後に刻まれている銘で「源朝臣 利直」とありました。南部氏は甲斐・武田氏と同様に清和源氏の新羅三郎義光を先祖に持つので、源姓で刻みたかったのでしょうね。ちなみに、擬宝珠を一個一個よく見ていくと「慶長十六 辛亥年 六月 中津川中之橋 源朝臣 利直」と刻まれた中の橋の擬宝珠も混じって取り付けられています。
- 旅行時期
- 2019年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年03月07日
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投稿日 2020年03月07日
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投稿日 2020年03月07日























