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坪内逍遥旧居跡

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坪内逍遥旧居跡 クチコミ・アクセス・周辺情報

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クチコミ・評判

1~20件(全23件中)

  • 坪内逍遥旧居跡

    • 3.5
    • 旅行時期:2023/05(約3年前)
    • 0

    本郷にある坪内逍遥旧居跡。
    駅からは少し歩き道沿いにある。小説家として有名な坪内逍遥だ。
    家事態は残ってはいないので看...  続きを読む板だけになる。
    この場所で 小説神髄 を書いたとの事だ。
    周りには樋口一葉等の著名人など住んでいた。  閉じる

    投稿日:2023/05/30

  • 文京区本郷4丁目にあります。

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/11(約5年前)
    • 0

    この坪内逍遥旧居跡は地下鉄都営大江戸線春日駅から北東のエリアにあります。炭団坂の上にあります。駅からは10分強です。逍遥は...  続きを読む明治の17年から居住し小説神随を発表しました。当時の文学に大きな影響を与えたのです。彼が別の場所に移転した後は常磐会館として寄宿舎になり正岡子規も寄宿したのです。今は説明板があるだけです。  閉じる

    投稿日:2021/01/01

  • 炭団坂をのぼったところ

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/12(約6年前)
    • 0

    本郷三丁目駅から北西にのびる菊坂周辺は,かつてたくさんの文豪たちが暮らしていた町として有名と聞き,散策に訪れました。坪内逍...  続きを読む遥旧居跡は,菊坂から南に進み,階段のある炭狙坂を上ったところにあります。今は説明板だけが残っています。  閉じる

    投稿日:2019/12/27

  • 文京区の本郷三丁目から東京大学の西の一角に、何人かの文豪が嘗て住んでいたとのこと。そうした文学者の一人が坪内逍遥で、炭団坂...  続きを読むの坂上の台地に3年間住み、「小説神髄」を記すなど、写実主義をもって近代文学の礎を築いたとのこと。今はマンションの一角に金属製の説明板があるだけです。この説明板も、炭団坂から細い路地をすすんで、漸く見つけることが出来ました。ここ一帯が文学者ゆかりの地であることを示す地図なども、炭団坂そばに設置されていて興味を引かれました。  閉じる

    投稿日:2019/12/21

  • ステンレス製のプレートが残るのみ

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/04(約7年前)
    • 0

    文京区は幕末から明治、大正、昭和初期にかけての文化が深く残るエアリアですが、「坪内逍遥旧居・常磐会跡」と記すステンレス製の...  続きを読む案内板が、炭団坂と名の付く階段を登ったところ、マンション前に設置されています。閑静な住宅街ですが、かつての「坂」も手すり付きの階段に変わっており、往時の面影を感じさせるものはありませんでした。  閉じる

    投稿日:2020/05/16

  • 文京ふるさと歴史館近く

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/04(約7年前)
    • 3

    都バスIC1日券を使って、文京区文学散歩。
    文京ふるさと歴史館の先、炭団坂の付近にある。

    写実主義で有名な坪内逍遥...  続きを読むが住んでいた場所。
    文京区には文豪が多く住まわれていた。
    ここで『小説神髄』を執筆した。
    小説家のイメージだけれど教育者でもあったらしい。
      閉じる

    投稿日:2020/01/23

  • 東京大学近くに集まった文豪たち

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/02(約7年前)
    • 0

    文京区本郷にはたくさんの文豪が住んでいましたが、そのうちの一人に坪内逍遥がいます。彼は炭団坂の坂上に明治17年から3年間住...  続きを読むんで、「小説神髄」を記すなど近代文学の礎を築きました。今は説明板があるだけですが、東京大学の近くに集まった文豪たちの姿が目に浮かびました。  閉じる

    投稿日:2019/12/09

  • 路地裏の旧居跡

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/01(約7年前)
    • 0

    本郷周辺には沢山の文豪達の足跡のような、旧居跡などの案内板があります。
    こちらの路地裏の坂道にある案内板もその一つで、明...  続きを読む治時代の写実主義で有名な坪内逍遥の旧居跡の案内板があります。
    確かに閑静な住宅街なので、文人が好みそうです。  閉じる

    投稿日:2019/04/19

  • 炭団坂の前に

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/05(約8年前)
    • 0

    炭団坂の脇の本郷台地の高台の上に説明板が建っていました。現在は、坪内逍遥の旧宅は解体されてしまい、跡地にマンションが建って...  続きを読むいます。逍遥の住んでいた当時とはすっかりと街並みは変わっていますが、本郷台地の縁の部分に位置するため、低地帯を見下ろすことができます。逍遥もここからの眺めを楽しんでいたんだろうなと想像を膨らませながら見学しました。  閉じる

    投稿日:2020/03/07

  • 狭い通路沿いに説明板が立ててあります

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/11(約8年前)
    • 0

     文京区本郷4丁目と5丁目の境界を通る菊坂界隈には文学関連のものが多く、その一つがここ坪内逍遥旧居跡です。
     坪内逍遥 ...  続きを読む(1859~1935) は、小説家、評論家、教育家で、明治17年 (1884) この地に住み、「小説神随」を発表して勧善懲悪主義を排し写実主義を提唱、文学は芸術であると主張した。
     その理論書「当世書生気質」は、それを具体化したものである。
     と説明板にあるものの、恥ずかしながら文学に疎いためか、提唱したことなど分かりませんでした。
     場所は、菊坂の西側にある炭団坂の階段を上がった右手の狭い通路沿いです。
     訪ねる場合は、南側の春日通りの真砂坂上の信号を北側に入って行くと突き当りが炭団坂の階段の上で、左手前方の狭い通路沿いに説明板が見えるので、このルートの方が分かり易いと思います。  閉じる

    投稿日:2017/12/07

  • 本郷にある

    • 2.5
    • 旅行時期:2017/08(約8年前)
    • 0

    本郷周辺の文学者の史跡を歩いていました。明治時代の写実主義を訴えた坪内逍遥もここで住んで執筆したのですね(3年間だそうです...  続きを読むが)。「小説神髄」や「当世書生気質」の2作品が有名です。旧跡には案内板がありますが、観光客はおらず静かでした。  閉じる

    投稿日:2017/10/13

  • 今は、碑以外は何もない。

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/07(約8年前)
    • 0

    文京区の菊坂と並行して走る細い路地から、長い階段(炭団坂)を登り切った右手に、この案内板が立っていました。すでに周囲は、...  続きを読む普通の住宅街へと変わっており、当時をうかがい知るようなものは何もありませんでした。この周辺には多くの文人のゆかりの地があり、当時の文人たちが互いにどの様な関係であったのか、とても興味がわいてきました。
      閉じる

    投稿日:2018/07/30

  • 今は説明プレートのみ

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/06(約10年前)
    • 0

    菊坂の途中から炭団坂の階段を上りきった右手に坪内逍遥旧居跡の説明プレートが立っています。本郷界隈は文人たちのゆかりの地が集...  続きを読む積していますので合わせて巡られるといいと思われます。宮沢賢治旧居跡、樋口一葉旧居跡はすぐ近くにあります。  閉じる

    投稿日:2016/06/12

  • 説明板のみが立っています

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/02(約10年前)
    • 0

    炭団坂と名付けられた急な坂道と階段を上り切った右側に説明板のみが立っています。それによると1884年この地に住み、小説神髄...  続きを読むを発表したそうです。逍遥が転居後は“常盤会”という寄宿舎になり、正岡子規や河東碧梧桐なども住んでいたとのことです。50mほど離れた所には文京ふるさと歴史館もあります。  閉じる

    投稿日:2016/02/19

  • 炭団坂の上の方

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/09(約10年前)
    • 0

    炭団坂の一番上の脇に、坪内逍遥旧居・常磐会跡の説明板が立っています。
    ちょっとわかりにくいかもしれません。
    事前知識が...  続きを読むなければ気づきもしないかも。

    小説神髄って有名なんですかね?
    ここで書いたそうです。

    小説なんてホント興味ないけど、一応史跡だから見ておきました。  閉じる

    投稿日:2016/12/21

  • 炭団坂の坂上

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/06(約11年前)
    • 0

    炭団坂の坂上に説明板のみがあります。逍遥は明治17年にこの地で小説神随を発表し、勧善懲悪主義を排し写実主義を提唱しました。...  続きを読む逍遙の移転後、旧伊予藩主久松氏の育英事業として「常盤会」という寄宿舎になり、正岡子規、河東碧梧桐らが寄宿したそうです。  閉じる

    投稿日:2015/07/28

  • 小説神髄

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/04(約11年前)
    • 0

    文京区ふるさと歴史館や真砂中央図書館のある通りを進んでいき、炭段坂を下りる手前の所にあります。坪内逍遥はここで明治17年か...  続きを読むら3年間住み、代表作の「小説神髄」を書きあげ、写実主義を唱えていったということです。  閉じる

    投稿日:2015/04/22

  • 炭団坂の上に案内板が残るのみです

    • 2.5
    • 旅行時期:2015/03(約11年前)
    • 0

    坪内逍遥って誰?という人も多いかも知れませんが、明治時代に日本の近代文学の礎を築いた小説家です。
    本郷4丁目にある炭団坂...  続きを読むの上に住んでいた頃に『小説神髄』を書いたそうです。
    今は炭団坂の上に案内板が残るのみです。女優でタレントの坪内ミキ子は坪内逍遥と親戚らしいです。   閉じる

    投稿日:2015/03/20

  • 炭団坂の下り口の横に説明板が立っている

    • 3.5
    • 旅行時期:2014/11(約11年前)
    • 0

    地下鉄本郷三丁目駅の北西、本郷通りから文京ふるさと歴史館のある路地を入り、炭団坂の下り口の手前左側に、こちらの説明板がある...  続きを読む。週末午後だったが、急な炭団坂の階段を使わず、説明板の前の細い道を通行する人のほうが5、6人いたが、こちらの説明板に目を留める人はいなく、静かであった。説明板のみなので観光要素は少ないが、小説家、坪内逍遥が、明治17年この地に住み、小説神髄を発表し勧善懲悪主義を排し写実主義を提唱したものであり、特に近代文学やこの界隈に関心や知識がある方には、訪問することをお勧めする。  閉じる

    投稿日:2014/12/07

  • 近代文学の礎

    • 2.5
    • 旅行時期:2014/09(約11年前)
    • 0

    著名な小説家、評論家、劇作家、英文学者、教育者として幅広く活躍した坪内逍遥の旧居跡です。
    小説神髄をここで著し、文壇に写実...  続きを読む主義を主張しました。
    ここには、明治17年から3年間住み、近代文学の礎を築いた地と言えるでしょう。  閉じる

    投稿日:2015/02/22

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基本情報(地図・住所)

施設名
坪内逍遥旧居跡
住所
  • 文京区本郷4-10-1
休業日
なし
公式ページ
詳細情報
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
giani さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

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