mikuwankoさんのクチコミ(44ページ)全1,741件
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投稿日 2020年03月04日
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投稿日 2020年03月13日
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投稿日 2020年03月14日
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投稿日 2020年03月04日
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投稿日 2020年03月04日
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投稿日 2020年03月15日
総合評価:2.0
関ヶ原の戦いの後、上杉景勝に代わって越後に入った堀秀治によって築城された平城です。直江津港の近くにあり、1607年に完成しましたが、度重なる洪水被害によってわずか7年後の1614年に廃城となった短命の城です。城跡は工場、住宅、学校の敷地となってしまい、すっかり姿を変えてしまっています。古城小学校の敷地内に城跡を示す石碑と説明板が立っています。場所が場所だけにカメラを持った男がうろついていると通報されそうなので、課業日を避けて子どものいない夏季休業中に訪れました。以前訪れた際になかった高田城のガイダンスビデオに出てくる福島城のCG画像を用いた説明板が新たに設置されていました。その代わりに、石碑の近くにあった「福島城資料館」と表示がついていた工事現場でよく見かけるスーパーハウスがなくなっていました。「小学校東側に移転しましたのでそのまま徒歩でお進みください」と看板が立っていましたが、地図もなくどこにあるのかわからない始末でした。学校敷地内をウロウロするのが嫌で、資料館の見学はあきらめました。もう少し丁寧な案内ができないものかと残念に感じました。
- 旅行時期
- 2018年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 2.0
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投稿日 2020年03月15日
総合評価:3.0
上杉謙信が1562年に当時荒廃しきっていた国分寺を現在地に移転して再興したのが始まりだそうです。しかし、天平期に造られたもともとの国分寺の場所は、どこにあったのか現在はわからなくなってしまったとのことです。また、武士の居館跡に建てられたようで、土塁跡が残っており、誰の居館跡か興味を持ちました。越後国国分寺ではなく、五智国分寺というので不思議に思っていましたが、本尊が五智如来のためこう呼ばれるとのことです。何度も火災にあっていて謙信の時代の建物が全く残っていないのが残念でした。それでも、十二支の彫刻が施されている三重塔は良かったです。
- 旅行時期
- 2018年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2020年03月15日
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投稿日 2020年03月15日
総合評価:4.0
NTTドコモ墨田ビルの1階にある施設です。携帯電話、PHS、自動車電話、ポケットベルといった移動通信機器が多数展示されています。移動通信機器の歴史や電電公社からNTTを経て分社したNTTドコモの歴史を学ぶことができる施設です。年代によって懐かしく感じるものは違うかと思いますが、大人であれば何かしら懐かしく感じる展示品が間違いなくあるかと思います。私は、ドラえもんと、どこでもドアがデザインされたPHSの「ドラえホン」を見て懐かしく感じました。ショルダーフォンを担いで記念写真を撮れるコーナーや触れることのできる展示品もあるので、見ていて飽きませんでした。施設の方も親切で、展示についての解説をしてくださいました。撮影不可のコーナーには、現在開発中の機器があり、体験することができました。現在も日進月歩で科学技術が進歩していることを実感しました。
- 旅行時期
- 2019年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.0
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投稿日 2020年03月15日
総合評価:3.0
国技館、江戸東京博物館、両国中学校などが建ち並ぶ場所にかつて江戸幕府の本所御蔵がありました。御蔵に物資を搬出入するために隅田川から入堀が造られました。入堀があった場所は国技館と旧安田庭園の間の道路と両脇の建物が建っている場所です。御蔵橋はこの入堀の隅田川口に架かっていた橋です。以前、御蔵橋跡の説明板が「両国子育てひろば保育室」の建物横に立っていましたが、現在は周辺工事の影響で撤去されています。ですから、余程興味が無ければ、訪れても得られるものはないかと思います。
- 旅行時期
- 2019年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 2.0
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投稿日 2020年03月15日
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投稿日 2020年03月15日
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投稿日 2020年03月15日
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投稿日 2020年03月15日
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投稿日 2020年03月15日
総合評価:3.0
中野区内の氷川神社は、太田道灌が江戸城築城時に鎮護にと創建したものが多いですが、この東中野氷川神社はそれよりも長い歴史を持っており、創建は1030年です。河内源氏の祖 源頼信が平忠常の乱平定に赴く道中で当地に立ち寄った際に、武蔵国一宮の大宮氷川神社から勧請して祠を祀ったことに端を発するとのことです。山手通りと大久保通りの交差点からほど近い場所柄、日中も多くの人が参拝に訪れていました。社名標は、二・二六事件で叛乱軍を擁護し、関東軍司令官時代に満州事変の暴走を許した本庄繁による揮毫です。
- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年03月15日
総合評価:3.0
休憩と食事で訪れました。レストランは、ハンバーガーの店で、若い人向けの感じ。お年寄りには向かないかなと思います。ほかには特筆すべき施設はありませんでしたが、公園内にあるので、のんびり過ごすにはよさそうでした。
- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年03月14日
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投稿日 2020年03月14日
総合評価:4.0
平安後期の寛治年間(1087年~1094年)に創建された古刹です。もともとは阿佐ヶ谷にあり、現在地には室町前期末から中期初頭にかけての1429年に移って来たそうです。また、節分会の僧兵行列でも知られるお寺です。広い境内には、石臼塚や明治期に置かれた中野町役場跡の石碑もあります。お寺巡りをしながら史跡を楽しむこともできる場所です。現在の三重塔は1992年に再建されたもので、江戸六塔に数えられた三重塔は太平洋戦争の空襲で焼失しています。その焼失した三重塔は、山手通りを挟んで反対側の現在第十中学校の敷地となっている場所に建っていました。その場所には、今も当時の三重塔の礎石が残っているので、興味がある方は併せて見学されると良いでしょう。
- 旅行時期
- 2019年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2020年03月12日
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投稿日 2020年03月14日























