mikuwankoさんのクチコミ(49ページ)全1,741件
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投稿日 2020年03月07日
総合評価:3.0
丸ノ内線茗荷谷駅から南へ歩いて10分弱のところにあります。映像新聞社の社屋前に石碑と墓石のようなものが置かれていました。切支丹屋敷とは、江戸幕府の大目付で宗門改役を務めた下総・高岡藩初代藩主の井上政重の下屋敷内に造られた「転びバテレン」の収容施設です。転びバテレンとは、キリスト教の禁教令以降に主に拷問によって棄教させられたバテレン(宣教師)を指す言葉です。説明板のほかに発掘調査で判明した事柄を詳細に記された資料も展示されており、なかなか勉強になりました。映像新聞社の向かいにあるマンションの敷地からは、禁を犯して日本に潜入した最後の宣教師であるイタリア人神父のヨハン・シドッチのものと思われる人骨も発掘されたとのことで興味深く感じました。
- 旅行時期
- 2018年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年03月07日
総合評価:2.0
飯山市との境界近くの国道403号沿いにある道の駅です。もともとはトマトの加工工場だった建物を用いた道の駅です。訪問時は内装工事をしているのか中はがらんどうで、独立した入口の農産物直売所しかまともに営業していませんでした。物足りなさを感じる場所でした。
- 旅行時期
- 2018年08月
- お土産の品数:
- 2.0
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投稿日 2020年03月07日
総合評価:3.0
桜谷古墳群は、国道415号沿いにある古墳群です。これまで13基の古墳が発見されています。そのうち前方後円墳の1号墳と帆立貝式古墳の2号墳が国指定の史跡になっています。2号墳の前に駐車場がありました。2号墳は手入れがされていて墳丘に上がることができました。墳丘からは富山湾を望むことができました。1号墳は雑草が背丈よりも伸びており手入れはされていませんでした。周囲は畑作地になっていて破壊された墳丘もあり、あまり大事にされていない印象を受けました。近くにある国道の高架橋の下にも小さな円墳がひっそりとあります。この高架橋は、円墳を保護するために造られたとのことでした。
- 旅行時期
- 2018年08月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年03月07日
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投稿日 2020年03月07日
総合評価:3.0
飛鳥時代の須恵器や瓦の工人集落跡が発見された小杉丸山遺跡のガイダンス施設です。小杉丸山遺跡で出土した須恵器や土師器、平瓦、軒瓦、軒丸瓦などが展示されていました。ほかにもにも、太閤山ランドで見つかった竪穴製鉄炉跡の剥ぎ取り展示もあり、興味深かったです。展示が少なく物足りなく感じましたが、博物館の休館日が多いに月曜日に開館している点が良かったです
- 旅行時期
- 2018年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 3.0
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投稿日 2020年03月07日
総合評価:5.0
大島城は、大島氏が築城した城で、後に武田信玄の支配下になった際に拡張されています。大きな堀切や三日月堀、土塁で目隠しされている井戸など見どころいっぱいです。天竜川に三方を守られ、まさに天険の要害という感じでした。
- 旅行時期
- 2018年01月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 1.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2020年03月06日
総合評価:4.0
前年に利用した「ますや」に再訪する目的で高遠に訪れましたが、定休日だったため、こちらの店を利用しました。正直なところ全く期待していませんでしたが、「お好みでどうぞ」と出されたくるみだれがそばに合いおいしく食べることができました。くるみだれは味噌だれの味をも消すぐらい強いので、両方の味を楽しみたい場合は、先に味噌だれで楽しんでから使うことをお勧めします。
- 旅行時期
- 2018年01月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 一人当たり予算
- 1,500円未満
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- サービス:
- 3.0
- 雰囲気:
- 3.0
- 料理・味:
- 4.0
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投稿日 2020年03月06日
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投稿日 2020年03月05日
総合評価:3.0
仏殿城とも呼ばれる城で、その名の通りもともとは仏教施設があった場所です。南北朝時代から戦国時代まで存在した城で、4度の落城歴を持っています。復元記念碑が立っており、櫓や天守を復元したとされていますが、この城にはもともと天守はありません。せっかくお金かけてこれはもったいないなと思いました。
- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年03月05日
総合評価:3.0
国道11号を通ってホテルへと向かう道すがら、ライトアップされている模擬天守を見つけて訪問しました。仏殿城という別名を持ち、もともとお寺があったそうです。翌日明るい時間帯に再度訪れましたが、それらしき遺構は見当たりませんでした。
- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年03月05日
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投稿日 2020年03月05日
総合評価:4.0
大正村観光案内所の方から大手側からではなく、学校給食センターの近くにある搦手側から散策するのを勧められたので、その通りに散策しました。大手側からは登りの後に少しずつ郭群が姿を現しますが、搦手側からはすぐに本丸を取り巻く郭群が姿を現しました。大小23ある郭跡は後世の改変をほとんど受けずに残っているのが高ポイントです。しかし、小さな郭はほとんど手入れがされていないので、容易に立ち入ることができない場所もあります。小規模ながら畝状阻塞群も見られました。山城好きや縄張りを楽しみたい方にはお勧めいたします。
- 旅行時期
- 2018年01月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2020年03月05日
総合評価:3.0
明智城は、明智光秀が生まれた地と考えられている城の一つで、その中では有力地とされていますが、確固たる証拠は今のところありません。明智光秀の前半生と同様に生誕地もまた謎です。二の丸跡付近に車を停めて散策しました。遊歩道は整備されていましたが、西大手口方面は崩落していました。本丸跡には展望台があり、正面に金山城を望むことができました。本丸跡南側の帯曲輪のようになっている馬場には馬防柵や逆茂木があり、なぜこんなところに復元したのか不思議に思いました。ちなみに、馬防柵は設楽原古戦場にあるものよりもはるかに立派でした。
- 旅行時期
- 2018年01月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年03月05日
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投稿日 2020年03月05日
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投稿日 2020年03月05日
総合評価:4.0
幕府の命により1754年から1755年にかけて薩摩藩が行った木曽三川分流工事(宝暦治水)の際に築かれた堤で長良川と揖斐川の流れを隔てています。名称は、分流堤が完成した時に日向松を約1000本植えたことに由来します。工事の壮絶さを伝える治水神社から散策しましたが、延々と松の並木が続き大変美しい場所でした。木曽三川公園センターの展望タワーからは、全体像を見ることができます。
- 旅行時期
- 2018年01月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2020年03月05日
総合評価:4.0
江戸時代に薩摩藩が幕府から木曽三川治水工事を命じられた時、工事責任者であった家老の平田靱負が祭神の神社です。ただでさえ難工事であるのに幕府による度重なる嫌がらせを受けて工期の遅れが生じ、薩摩藩の財政に大打撃を与えただけでなく、自害51名、病死33名という多大な犠牲を払いました。そのため責任をとって平田靱負は、今も残る油島千本松締切堤の完成後に自害しました。重圧に押しつぶされそうになりながら工事をやり遂げた関係者に敬意の念をもって参拝しました。
- 旅行時期
- 2018年01月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年03月05日
総合評価:5.0
社会科の時間に学んだ輪中を見たくて園内にある展望タワーを利用しました。離合集散していく木曽川、長良川、揖斐川の木曽三川の雄大な流れや水害と闘いながら営まれ続けてきた人々の暮らしを360度の展望で肌に感じることができます。閉館前の30分ほどの滞在でしたが、退館するのが惜しいくらいの素晴らしい眺望で、ずっと見ていて飽きませんでした。
- 旅行時期
- 2018年01月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2020年03月05日
総合評価:5.0
明治期の木曽三川分流によって水面の高さの差が1m(現在は40cm弱)もできてしまった木曽川と長良川とを接続するために造られた閘門です。構造物は建設当時の姿をよくとどめていて、趣がありました。閘門なので通過する船は、水位の変化によって船体が上下に浮き沈みしますが、残念ながらその姿を見ることができませんでした。なんでも、近年は年間にわずか200隻ほどしか通過しないということなので、めったにお目にかかれないようです。それでも日本では珍しい構造物を見ることができて満足でした。
- 旅行時期
- 2018年01月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2020年03月05日
総合評価:5.0
船頭平閘門の周辺を整備して造られた公園です。閘門のすぐ近くまで行くことができます。園内には、木曽三川分流工事や成願寺川治水事業、神田下水の整備などに携わった「防砂の父」ことヨハネス・デ・レーケの像や閘門完成時の1902年から更新時の1993年までの91年間稼働していた閘門の門扉がありました。門扉の外見は、国立西洋博物館の前庭にある「地獄の門」に似た感じの重厚な造りで巨大でした。実際に触れることもでき、海から逆流してきた海水による塩害を受けて劣化している様子や城門の門扉のように木材を挟むように両側から鉄板が取り付けられ、コールタールで防錆処理がされていることがわかりました。
- 旅行時期
- 2018年01月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 1.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
























