寛永寺のかつての隆盛が伝わる門
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- 旅行時期:2018/04(約8年前)
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by mikuwankoさん(男性)
上野・御徒町 クチコミ:37件
現寛永寺の葬儀会場である輪王殿の門のようになってしまいもったいなく感じますが、もともとは現在、東京国立博物館の敷地となっている寛永寺の本坊にありました。東博の前身である「文部省博物館」が開館する際に正門として使われた歴史もあります。黒漆塗りの大きな薬医門で、大変風格があります。その黒漆の上には、弁柄で朱に染まった肉厚の菊紋と菊飾が映えていました。寛永寺のかつての隆盛が伝わってくる門でした。また、寛永寺は上野戦争で主戦場となったため、門扉には小さな弾痕や砲弾の大きな貫通痕が残っています。南千住の圓通寺に残る上野の黒門ほど弾痕の数は多くはありませんが、この門前で戦闘が行われていたことを改めて実感できます。左右にある潜門は、普段正面から向かって左側だけ開いていますが、たまに右側も空いていることがあります。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2020/03/08
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