g60_kibiyamaさんのクチコミ(54ページ)全6,029件
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投稿日 2023年05月01日
総合評価:3.0
「大和古寺風物誌」などで知られる函館出身の昭和期の文芸評論家、亀井勝一郎のかつての自宅です。亀井勝一郎は文学碑とは生誕の地碑がありますが、この大三坂に残るピンクの洋館については所有者が変わってしまったせいか現地に説明が何もないのが残念です。関根要太郎と山中節治の共同設計で大正期に流行していたドイツの様式を用いた2階建て。かつてサスペンスドラマのロケで使われていたのを見て、こんな建物があったのか!と思いましたが、観光客にとっては敷地には入れず、塀の外から眺めるしかできません。重伝建とはいえ誰も住んでいない住宅を維持管理するのは大変そうです。
- 旅行時期
- 2023年04月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2023年05月01日
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投稿日 2023年05月01日
総合評価:3.0
”こころざし得ぬ人人の あつまりて 酒のむ場所がわが家なりしかな”
石川啄木の第一歌集「一握の砂」に収められている一首が刻まれています。「一握の砂」には北海道での生活を回想したものが多く含まれていて、そうした作品のひとつだと言えます。
碑が建てられている場所は護国神社の坂の中腹左手。1986年(昭和61年)に「啄木と節子をたたえる会」が建立しています。この近くでは函館公園の歌碑が有名ですがすでに読みづらくなっているので、護国神社の坂を上ることがあればこの歌碑にも注目したいところです。(住所=函館市青柳町14)- 旅行時期
- 2023年04月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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【湯の川温泉発祥の地碑】松前藩第四代藩主、松前高広。幼名は千勝丸
投稿日 2023年05月01日
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投稿日 2023年05月01日
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投稿日 2023年05月01日
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投稿日 2022年05月18日
総合評価:3.0
西国三十三か所の第三番札所。粉河寺。JR和歌山線粉河駅からまっすぐ北上。この通りに入るとまず粉河寺まで900mという案内が出ています。県道124号線。7、8分歩くと「正面に」寺の中門が見えてきます。え?この県道は粉河寺への参道? その割には立ち寄るべきお店はあまり目立ちません。5月中旬、午後4時をまわっていて、ビルの上では「イソヒヨドリ」が生まれた雛へ餌運びの真っ最中。そこかしこでキョロキョロしているばかり。ほかにあるのは粉河の背景を説明したモニュメントのみ。そういえば粉河寺の建造物も指定文化財の五文字の前に「市」と貼り替えられていましたね。2005年、打田町・貴志川町・粉河町・那賀町・桃山町の合併でできた紀の川市。で、なぜ「とんまか通り」と呼ばれているのでしょうか。全モニュメントをすべてしっかり読めばわかったのでしょうかね。クルマの往来も少なく人にもあまり会いませんでした。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 景観:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
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投稿日 2023年04月19日
総合評価:4.0
山下公園通りを挟んで山下公園の真向かいに位置し、横浜中華街へ通じる横道沿いにあり横浜における主要なランドマークのひとつです。創業は1927年(昭和2年)で、ここのレストラン発祥のナポリタン、ドリアなどは日本の洋食メニューとしてもあまりに有名。1991年(平成3年)には18階建てのタワー棟が完成していますが、路上からの目線では横浜市認定歴史的建造物に指定されたクラシカルな5階建て本館の景観を妨げないので代表的な「絵になるヨコハマ」だと思います。
- 旅行時期
- 2022年04月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 食事・ドリンク:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
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投稿日 2023年04月17日
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【不老門再建記念碑】かつては中津宮の前に大きな門がありました
投稿日 2023年04月15日
総合評価:3.0
かつては中津宮の前に不老門という門があったのだそうです。風雨で壊れたままになっていた門は1861年(文久元年)に再建されたのですが、十年足らず後の明治期の廃仏毀釈で取り除かれたのだそうです。現在はその「再建記念碑」だけが残されています。そういえば…と辺津宮の前にある随神門を思い出しました。似たような感じだったのでしょうか。それにしても神社の社殿の前にある門が仏教色の強いものだとは思えませんが、神社には鳥居しか許されないという頑なな人々の仕業だったのかもしれません。きっと詳細な画像が残されていたなら後世に復元されていたことでしょう。
- 旅行時期
- 2022年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2023年04月13日
総合評価:3.5
境内の東側、宝物館のさらに東側にあります。池の中央に島があり、辯才天を祀るお堂があります。この姿が、池に遊ぶ亀の甲に似ていることからこのように名づけられたものと思われます。四天王寺の境内はかなり広く、建物の種類がとても多いですが、そのなかでこうした水面とお堂のコントラストは特に心安らぐものがあります。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2023年04月13日
総合評価:3.0
社殿の裏手、合祀殿の傍らに小唄塚、小唄作詞塚とふたつの巨石が置かれています。昭和の小唄作曲に大きな功績を残した吉田草紙庵を顕彰するために1956年(昭和31年)に十代目市川團十郎らによって建立されました。「歌舞伎小唄」を創作を創作した縁があるようです。神田明神の境内には震災や戦災の後もこうしたゆかりの碑が続々と置かれていますね。
- 旅行時期
- 2022年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2023年04月13日
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投稿日 2023年04月13日
総合評価:4.0
日比谷公園のシンボル「大噴水」です。噴水池は上中下段の三段構造で、主噴水は12メートルも吹き上がります。この日はイベントで公園がとても混んでいたので、すぐに通り過ぎて、その後上野公園まで行き、竹の台噴水の素晴らしい眺めに感激したのですが、日を改めて日比谷公園を再訪したら、好天に恵まれて負けず劣らずの絶景噴水を楽しめました。
- 旅行時期
- 2022年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2023年04月13日
総合評価:3.0
清水観音堂の東側にあります。碑の建立は1940年(昭和15年)です。王仁博士は5世紀初、日本に「論語」「千字文」を伝えたという百済人で、いわゆる渡来人のひとりとされています。正碑、副碑、青銅刻画碑とそれぞれあり、その存在が目立ちますね。なぜ1500年も経ってからこの場所に碑が建ったのでしょう? 1940年(昭和15年)は紀元2600年の祝賀の年でもあり、当時の日本は韓国併合で朝鮮を統治していたこととも関連性がありそうですね。
- 旅行時期
- 2022年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2023年04月13日
総合評価:3.5
皇居東御苑の二の丸にある茶室です。元々は吹上地区にあったもので、1968年(昭和43年)に現在の場所に移築されました。その名の由来はかつて江戸城にあった諏訪社からとられています。外観のみで内部の見学はできないようですが、周囲が緑の木々と芝生に囲まれているので建物としてなかなか映えています。
- 旅行時期
- 2022年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2023年04月11日
総合評価:3.5
浅草寺本堂の手前、向かって左側に立っている石標です。正面に「南無大慈悲観世音菩薩まよひこのしるべ」と記されており、江戸時代に迷子の情報を交換するために用いられていました。「しらする方」と「たずぬる方」の面があり、それぞれ紙を貼り付けておくのだそうです。
もとは多くの死傷者が出た安政の大地震のときに建てられたもので、現在の宝蔵門の前にありましたが、戦時中に倒壊。戦後あらためてこの場所に再建されています。つまり「迷子探し」ではなくて「たずね人」のために、浅草寺という人が集まる場所を利用したわけですね。- 旅行時期
- 2022年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2020年08月02日
総合評価:3.5
時代としては15~16世紀。室町期にあたる時代の和人の館の遺構です。発掘後に埋め戻されているので、わずかに遺構としての名残を感じるにとどまります。先住のアイヌに対して不平等なふるまいがあったことがきっかけで二回にわたり反乱が起こり、道南にあった十五か所程度存在した和人の館がほとんど陥落してしまった歴史があります。和人対アイヌの確執を語る場所は日本でも珍しいとは思われますが、長い時が流れ、ビジュアル的な期待は無理だと思います。ただ海岸段丘上なので海岸線を見下ろして函館山が望める場所ではあります。
- 旅行時期
- 2020年07月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2023年04月09日
総合評価:3.5
函館の古い建造物を見るときに忘れてはいけないのは街が経てきた大火の歴史です。最大は1934年(昭和9年)の大火ですが、明治・大正期にも数回大きな火事に遭っていて、まずはその建築物がどの位置にあって、どう生き残ってきたか、を知ることがその価値を知る早道でしょう。特に明治前期のものは現存する地理的、構造的理由があります。
さて、元町公園の南西側にあるこの煉瓦造りの書庫は構造が複雑ではないせいか「北海道指定有形文化財」どまりですが、1880年(明治13年)とかなり古い時期のもので、この時代は耐火イコール煉瓦だったことを思い起こさせてくれます。- 旅行時期
- 2023年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2023年04月03日
総合評価:3.5
「おおとよ-じんじゃ」と詠むのですね。哲学の道から山側に少し入ります。社伝によれば当初は東山三十六峰中、十五峰目である椿ケ峰を御神体とした山霊崇拝の社だったそうです。その後9世紀末、宇多天皇の御悩平癒祈願のため勅願社となり、あわせて菅原道真を祀り椿ケ峰山天神とも称せられていました。現在は狛犬ならぬ「狛ねずみの社」として有名です。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5





























