g60_kibiyamaさんのクチコミ(17ページ)全6,029件
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投稿日 2024年02月22日
総合評価:4.0
大阪まち歩きのターゲット、寺社・名所旧跡・橋・レトロビル…。当然合間に食事が必要。そこで最後に「商店街」という要素も欲張りました。経路と所要時間を総合して、最後はここ長い長い天神橋筋で一旦締めようと考えました。
ただ例によって途中で迷ったり、欲ばったりで1時間押し。下調べしたお店があったのですが大阪天満宮から二丁目付近のアーケードに入って断念確定。その後の予定を圧縮してようやくミナミで一食確保した次第。次回はこの長いアーケードを南から北までずずっと進んでみたいです。- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2024年02月20日
総合評価:3.5
江戸時代に堂島米市場、雑喉場魚市場とともに大阪三大市場のひとつとされてきた青果市場がこ付近にあったそうです。いかに淀川の水運が栄えていたかがわかるロケーションですね。
なんと明治時代になっても官許の市場として長く続き、1931年(昭和6年)に大阪市中央卸売市場が設立されて廃止になりました。記念碑はぽつんとあり、ちょっと殺風景な感じでした。- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2024年02月20日
総合評価:3.5
♪ねんねころいち 天満の市よ 大根(だいこ)そろえて 舟に積む~♪
と、かつて天満にあった青物市場や淀川の水運の活況を歌っている子守唄です。1983年(昭和58年)に碑が建てられているので、比較的新しい歌碑のようです。この碑の近くに青物市場の碑も建っていました。- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2024年02月20日
総合評価:3.5
江戸時代、京都(伏見)~大坂(八軒家)間で人や物資を運んでいた三十石船。多いときには三百もの三十石船が淀川を行き交っていたそうです。船頭衆が歌っていたこの船唄には両岸に広がる風景が唄いこまれていて三十石船が姿を消した現代でも、保存会によって歌い継がれているそうです。府の無形民俗文化財にも指定されています。
- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2024年02月17日
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投稿日 2024年02月17日
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投稿日 2024年02月17日
総合評価:3.5
三つの鳥居が組み合わさった不思議なフォルムの三ツ鳥居が迎えてくれる神社です。正式な読み方は「いかすり-じんじゃ」。でも知らないと読めません。一般には「ざま-じんじゃ」と読まれることが多いそうです。摂津国一宮と称していて、神功皇后の創建と伝わる式内社です。付近一帯、渡辺津の守護神です。
- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2024年02月17日
総合評価:3.5
大阪市のほぼ中央を東西に通る幹線道路「中央大通」の建設により、その道路に占有される町区の移転先として1970年(昭和45年)にオープン、いわゆる高架下に細長く連なる建物です。1号館から10号館まであります。エリアは大きく分けて堺筋の東側(1~3号館)、堺筋・御堂筋の間(4~9号館)、御堂筋以西(10号館)の3つのエリアに分かれています。平成後期に外壁が改修されているので、築50年超のレトロな感じはまったくありませんでした。
- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- お買い得度:
- 3.5
- サービス:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
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投稿日 2024年02月17日
総合評価:3.5
行年や 薬に見たき 梅の花
最晩年の句で梅の名所でもある大阪天満宮にちなんで詠まれたようです。碑は境内を入って左手の小高い段の上にあります。江戸末期に建てられた石碑で当時から芭蕉の人気ぶりがうかがえます。
芭蕉句碑は天満宮境内にもう一か所あり、そちらは明治入ってからの建立だそうです。- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2024年02月13日
総合評価:3.5
南御堂は最初、エントランスがわかりませんでした。閉門?かと思いました。御堂筋側にはホテルが建っているのですが、そこをくぐり抜けていくと境内になっています。本堂に向かって左手が園地になっていて、芭蕉関連のモニュメントがたくさん並んでいました。生前最後の句とされる「旅に病でゆめは枯れ野をかけ廻る」の句碑は年月が経っていてすぐには見つけられませんでした。
- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2024年02月13日
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投稿日 2024年02月11日
総合評価:3.0
大阪硝子製品協同組合の設立30周年を記念とあり、業界関係者と(大阪)天満宮との信仰的な結びつきなのかと思ってました。調べてみると江戸中期の1751年(宝暦元年)、長崎からやってきたガラス職人、播磨屋清兵衛がこの地にガラス工場を作ったのだそうです。以来270年! ガラス製造の歴史って案外古いのですね。
- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2024年02月11日
総合評価:3.0
へえ【そうしょうこう-ひ】と読むわけか。1861年(文久元年)に開かれ、尊皇攘夷を鼓吹した漢学塾がここにあったのだそうです。塾を開いたのは江戸・昌平黌の同門、松林飯山・松本奎堂・岡鹿門の3名で、彼らの名を1字ずつとって塾名にしたのだそうです。(松)(松)(岡)…松がふたつで雙松ですね。ただ危険思想と見なされ、わずか半年で閉鎖。松林飯山・松本奎堂の2名は若くして命を落とし、明治の世を見ることができませんでしたが、岡鹿門は大正時代まで生きた人物です。
- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2024年02月11日
総合評価:3.5
「ほたるまち」の一角、多目的ホールとギャラリー・カフェ・高級賃貸マンションからなる複合施設が堂島リバー・フォーラムです。オープンしたのは2008年とのこと。発想としては高層住宅に付随する交流スペースということのようですね。
- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2024年02月11日
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投稿日 2024年02月11日
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投稿日 2024年02月08日
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投稿日 2024年02月08日
総合評価:3.5
初代桂文治が上方落語中興の祖とされています。18世紀末に坐摩神社境内において、寄席を建て人気となりました。江戸時代後期、大阪でも庶民文化の華が咲いた時代ですね。境内左手奥に御影石でできた立派な碑が置かれていました。
- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2024年02月08日
総合評価:3.0
水道が完備した現代では考えられませんが井戸が名所だったそうです。二つ並んだ井戸だったので二ツ井戸。江戸時代からあり、18世紀末には「名所図会」にも載っています。その後、三度も移転して親しまれてきたとのこと。井戸が移転って、掘り直しでしょ? 織田作之助の「夫婦善哉」にも登場するなど有名な井戸なので、2012年(平成24年)ここに復元モニュメントが置かれました。コンクリートの枠なのがなんとも。
- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2024年02月08日























