g60_kibiyamaさんのクチコミ(20ページ)全6,029件
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投稿日 2024年01月10日
総合評価:3.5
そういえば京都の高瀬川沿いで大村益次郎殉難の碑を見ました。大村益次郎は1869年(明治2年)9月4日に三条木屋町上ルの旅館で会食中、元長州藩士ら8人の刺客に襲われ瀕死の重傷を負い、その後、敗血症を発症、天満八軒浜を経由して大阪の病院に運ばれたのだそうです。当時、手術には勅許が必要だったとかで、スムーズに進まず、襲撃から約2か月後に40代で命を落としました。新政府の軍制を構想した第一人者がこの益次郎でした。
- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2024年01月09日
総合評価:3.5
京都ほどではないにしろ、この付近は古くから大阪の中心地だけあって、江戸時代以前の遺構もいろいろ見つかっているようです。
この法円坂遺跡は古墳時代のもので大倉庫群なのだそう。すぐ近くに7世紀、大化の改新を推し進めた時代の難波宮跡がありますが、いきなりこの場所に遷都されたのではなく、そもそも交通の要衝だったことがうかがえます。高床式倉庫の復元建築があるのはそのせいです。- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2024年01月09日
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投稿日 2024年01月09日
総合評価:4.0
難波橋、天神橋と共に浪華三大橋とされる歴史の古い橋。三つの橋のうち、もっとも東に位置しています。現在の橋梁は1935年(昭和10年)に開通したカンチレバー式プレートガーダー橋で橋長は151メートル。かつてはこの橋を大阪市電が通っていたそうです。
- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2024年01月09日
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投稿日 2024年01月07日
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投稿日 2023年06月03日
総合評価:3.5
2022年の中之島訪問時に入り口のバラを見て、「ハイ、きれいなバラ園ですね」と投稿しようとして踏みとどまった記憶があります。今回はしっかり入場して園内を見渡してみることにしました。それにしてもいざ撮影してみると色とりどりバラは絵になってもバラ園は絵にならないですね。そして高齢者を中心に園内は大賑わい。確かに最盛期ではありますが、そうまでして見たいのか、付近にほかに娯楽はないのか、と思いました。大阪中心部、確かに和める自然は少ないようです。
- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2024年01月04日
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投稿日 2024年01月04日
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皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)が宿泊した明治末期完成の迎賓施設
投稿日 2024年01月04日
総合評価:4.0
鳥取城の扇御殿跡に、片山東熊の設計で建てられた洋風建築。1907年(明治39年)の竣工で、東熊と言えば、現在の赤坂の迎賓館や京都国立博物館も彼の手によるものだそうです。木造2階建てのフレンチルネッサンス様式で、白い壁面がとても美しく、1・2階共にベランダが設けられていてオシャレです。裏手にある宝隆院庭園はそのベランダから一望できるようです。旧鳥取藩主池田仲博侯爵の別邸という名目で着手されましたが、実際は皇族の宿泊を意図していて、皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰行啓時の御宿所として利用されています。
- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2024年01月04日
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投稿日 2024年01月03日
総合評価:4.0
中之島遊歩道は中之島の河川沿いに設けられた歩行者専用道路の総称で、東西は堂島川左岸、土佐堀川右岸と東端は栴檀木橋・鉾流橋、西端は湊橋・上船津橋で構成された四辺の街路です。自分が撮ったのは四辺の東南端、堂島川左岸の中之島遊歩道。画像の位置は中央公会堂の北側です。
- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2024年01月03日
総合評価:3.5
日本におけるビール醸造の歴史は幕末に横浜の外国人居留地でスタートしたものだそうです。でも日本人の手による国産のビールはこの大阪の渋谷庄三郎が始めた「渋谷ビール」だそうです。1872年(明治5年)のこと。商売相手はやはり外国人であまり大きなビジネスにはならなかったようです。
- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2024年01月03日
総合評価:4.0
大阪市交通局(現大阪市高速電気軌道、大阪メトロ)の変電所で、1936年(昭和11年)に建てられた古い建築です。御堂筋線に電力を供給しているそうです。細長く、通りかかって、なんだこれ!と思える威容です。現役で機能しているとは驚きました。
- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 4.0
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本館の竣工は1926年(大正15年)なので昭和レトロ以前ですね。
投稿日 2024年01月03日
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投稿日 2024年01月03日
総合評価:3.0
曽根崎川はかつて堂島川から分かれてここから南よりのところを東西に流れていた川だそうです。別名を蜆川。
昔の大阪はこのあたりずっと湿地帯で、網の目のようにいろいろな川が流れていたのですが、どんどん埋められていきました。
江戸時代前半から付近は「新地」として賑わい、近松門左衛門の戯曲の舞台にもなっています。
そっけない石碑のほかに少し大げさな顕彰碑も建てられているようです。- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- けっこう見つけにくい
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2023年06月03日
総合評価:3.0
大阪歴史博物館の南側、法円坂遺跡の復元建築が置かれた緑地に案内板があります。「竹内街道・横大路」という単語が理解を妨げていると思いました。付近は7世紀に難波宮が置かれた辺りで、推古天皇の頃、大和盆地の飛鳥へ続く幹線道路が築かれたようで、それは日本書紀にある内容のようです。その横大路が南北なんですね。つい幹線道と直交する東西の道かと思ってしまいました。大和朝廷が内陸部にあっても海上交通を必要として「難波津」を利用していた事実は覚えておきたいところですね。
- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 説明のある緑地はアクセスしやすいです
- 見ごたえ:
- 2.5
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投稿日 2024年01月03日
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投稿日 2023年07月01日
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投稿日 2023年06月03日



























