bluejaysさんのクチコミ(8ページ)全1,027件
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投稿日 2015年08月31日
総合評価:5.0
二重橋濠に架かる鉄橋で、正式には「正門鉄橋」と言う。手前に見える二重アーチの正門石橋を「二重橋」と誤認する人が多い。
二重橋は当初は木造で二重構造になっていたが、1964年鉄橋に架け替えられた。
奥に見える櫓は、伏見櫓である。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年08月31日
総合評価:3.5
アメリカ人ホーレス・ウィルソンは、お雇い外国人として来日し、第一番中学(現在の東京大学)で教鞭をとった。彼が1872年、生徒に野球を教えたのが我が国野球の始まりである。
この地は現在は学士会館で、「東京大学発祥の地」碑もある。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2015年08月31日
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投稿日 2015年08月31日
総合評価:3.5
加賀藩主前田斉泰が1827年、将軍徳川家斉の娘溶姫を正室に迎える際に建てた門で、正式には「御守殿門」という。御守殿とは三位以上の大名に嫁いだ将軍家の娘の敬称で、御守殿門は焼失すると再建を許されないのが慣例である。
東京大学の御守殿門は、唯一現存するものである。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2015年08月31日
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投稿日 2015年08月31日
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投稿日 2015年08月30日
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投稿日 2015年08月30日
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投稿日 2015年08月30日
総合評価:3.5
日本における活字の発祥は、16世紀にイエズス会が持ち込んだ活版印刷機に始まる。また豊臣秀吉が朝鮮出兵のおり、金属活字を日本に持ち帰った記録もあるが、日本語での印刷は漢字が多いため、活版印刷に適していないことから、もっぱら木版による整版印刷が普及した。
長崎オランダ通詞の家に生まれた本木昌造は、西洋文明に強い関心を持ち、活版印刷にも興味を抱いていたので、明治になって中国から活字を導入し、長崎に長崎新塾出張活版製作所を創業した。その後継者である平野富二は1873年、会社を築地に移し、東京築地活版製造所と改称した。同社は活字だけでなく活版印刷機械やその付属器具をも制作販売し、印刷業も行ったので、築地には印刷関連会社が今も多い。この碑の建立自体も議論を呼んだが、ともあれこの地が近代活版印刷発祥の地であることにはかわりがない。
石碑の「活字発祥の碑」の文字は、同社を記念して「築地体」で刻まれている。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2015年08月29日
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投稿日 2015年08月29日
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投稿日 2015年08月28日
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投稿日 2015年08月28日
総合評価:5.0
旧乃木邸は、乃木希典が留学中に見たフランス連隊本部を参考に設計されたもので、1902年に改築されている。
明治天皇が崩御し大葬の礼が行われた1912年9月13日、乃木はこの地で静子夫人とともに自刃した。静子夫人は短刀で胸を3度突いたが死にきれず、夫の手助けによってようやく絶命した。乃木はそれから作法にのっとり腹を十文字に割いたが、彼には介錯人はいなかったため、畳の上に立てた短刀の上に倒れ込むことで、ようやく本懐を遂げた。夫妻が自刃した畳表は、血痕が残ったまま保存され、毎年命日に公開されている。
乃木邸は乃木の死後、その遺志にしたがい東京市に寄贈され、乃木公園となった。乃木神社は1920年、復元された旧乃木邸脇に創建された。祭神は乃木希典で、1962年の五十年式年祭を期に静子夫人を合祀した。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年08月28日
総合評価:3.5
平賀源内は1777年、この地にあった深川清住町(現在の清澄1丁目)の自宅でエレキテルを完成させ、我が国で初めて電気実験を行った。
現在は、読売江東ビルの敷地となっている。
彼が製作したエレキテルは現存しており、千代田区のていぱーくに保管されている。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2015年08月28日
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投稿日 2015年08月28日
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投稿日 2015年08月28日
総合評価:3.5
現在はポンプ井戸だが、一葉が暮らした当時はつるべ井戸だった。
路地の入口から見て、井戸の左側に一葉一家が最初に住んだ家があった。それを明治25年になって、井戸右側の家に転居している。一葉の妹が一部屋欲しがり、一部屋多い家に転居したのだという。
父を亡くした一葉と家族は、和服の仕立てや洗い張りで苦しい生活をやり繰りした。近くの伊勢屋質店には足繁く通ったが、土蔵が今も残っている。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2015年08月26日
総合評価:5.0
樋口一葉の父則義は、東京府庁に勤めていた。一葉は、内幸町にあった東京府庁構内の長屋で生まれた。本名は樋口奈津。
父が事業に失敗して死去すると、一家は生活に窮するようになった。
内幸町ホールの植え込みに、看板が立てられている。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年08月26日
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投稿日 2015年08月26日























