横浜臨海公園さんへのコメント一覧(116ページ)全1,510件
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イカの肝
こんばんは、横浜臨海公園さま(^^
8年ぶりの函館旅行記拝見させていただきました。
函館いったことないので、行ってみたいですね。
お寿司のネタも新鮮でさぞ美味しいのだろうと想像しながら
今日はもわっと暑かったので、只今赤ワインを開けております(^^;
イカの肝、日本酒はあまり飲まない私ですが、美味しそ〜うです。
お酒なしでも珍味は大好きなもので、、、
ん〜〜まるでオヤジ発言ですね。
まりりん
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はじめましてです。
横浜臨海公園さん、はじめましてです。
ちゅんちゅんの訪問履歴にお名前があったので、お邪魔してしまいました。
ちゅんちゅんの旅行記のほうに遊びに来てくださってありがとうございます。
伊勢参りの参拝順のことは知らなかったので、とても勉強になりました♪
まだ伊勢神宮には行ったことが無いので、訪れた際は猿田彦神社にも足を運びたいと思います。
そして、普段は入ることのできない皇大神宮本殿…さぞかし神聖なピリピリとした雰囲気があったんだろうなぁ〜と想像します。
素敵なブログを拝見できてよかったです♪
ではでは、またちょくちょくお邪魔してしまうかもしれませんが、許してくださいね。
横浜臨海公園さんもぜひぜひ、またちゅんちゅんの旅行記の方に遊びに来てくださいね。お待ちしていま〜す。拝復
ちゅんちゅんさま、こんばんは。
メッセージを賜りまして誠に有難うございました。
> 伊勢参りの参拝順のことは知らなかったので、とても勉強になりました♪
> まだ伊勢神宮には行ったことが無いので、訪れた際は猿田彦神社にも足を運びたいと思います。
→猿田神社は伊勢参りの際に何故か欠落されている方が多い様ですが、是非とも参拝される事をお奨めします。
>
> そして、普段は入ることのできない皇大神宮本殿…さぞかし神聖なピリピリとした雰囲気があったんだろうなぁ〜と想像します。
→神職の方に先導されながら参進するのですが、背後から「あの者はナニモノゾ」と多数の視線を浴びながら進む為に、緊張に緊張を輪に掛ける事になり、手と足がひきつる想いでした。
> 素敵なブログを拝見できてよかったです♪
→感謝深謝でございます。
> ではでは、またちょくちょくお邪魔してしまうかもしれませんが、許してくださいね。
> 横浜臨海公園さんもぜひぜひ、またちゅんちゅんの旅行記の方に遊びに来てくださいね。お待ちしていま〜す。
→小生こそ何卒宜敷くお願い申します。
横浜臨海公園2010年05月28日03時45分 返信する -
今晩は!
丁寧なご挨拶ありがとうございます!
素人写真を褒めていただいて申し訳ありません!
皆さんの京都旅行の参考にでもなればと思っています。
これからも旬の京都をアップして参ります。
こちらこそ今後ともよろしくお願いいたします!2010年05月24日20時54分返信する -
横浜臨海公園さま こんばんは
初めまして、minmin1000と申します。
私のプログにご訪問、お気ずかいありがとうございました。
プログアクセス数すごいですね〜!!!
20万アクセスおめでとうございます♪
お写真も本当に素敵ですね桜が見事ですね〜
これからもいろいろと拝見させていただきたいのでよろしくお願い致します。
☆みん -
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旧國府津駅の写真について
横浜臨海公園様
こんにちは。
今回の旧國府津駅の写真またまた驚きました。
大正中期に撮影された絵葉書、また旧小田原電気軌道のご説明。
貴重な写真と共に感銘受けました。
>熱海線國府津-小田原間開通に伴い國府津-小田原間が廃止され
>小田原-箱根湯本間で箱根登山鉄道小田原市内線として戦後に至る。
それと箱根登山鉄道小田原市内線ついて初めて知りました。
ひとつご質問ですが、現在の国府津駅と小田原駅の中間にJR東海道線の車両基地がございます。これについて何か因果関係はあるのでしょうか?
たんなる戦後の車両基地として使用されているのか、もしご存知なら
教えて貰えるとありがたいです。
宜しくお願い致します。
Medina
拝復
Medinaさま、こんばんは。
早速メッセージを賜りまして誠に有難うございます。
現在の箱根登山鉄道線は大正期まで箱根湯本駅が起点で、国府津駅から湯本までは市内電車で結んでおりましたが、熱海線の延伸で国府津-小田原間が廃止となり最後は小田原駅前から箱根湯本駅間を結んでおりました。
横須賀線横須賀-久里浜間の旅行記で説明文を挿入するつもりでしたが、昭和18年当時、大東急が存在し、現在の東急電鉄以外に京浜急行、小田急、京王電鉄は全部、大東急となり小生の旅行記の説明で東急湘南線というのは合併後のもので現在の京急本線の一部を言います。
また、昭和18年当時に久里浜付近に所在した帝國海軍諸施設への通勤輸送の為に現在の衣笠駅から武山まで急遽鉄道線を敷設する事になり、東急が請負い、東急品川営業事務所が担当する事になり、旧京急系では1067ミリで建設が進められ、車両は東急小田原市内線の物が活用される予定でしたが、建設途中で終戦となり、工事は中止され、計画も白紙に戻されました。
それから、ご質問の国府津-小田原駅間の車両基地とは旧西湘貨物駅の事でしょうか?
それとも、新幹線鴨宮車両基地のことでしょうか?
因みに、現在の平塚-大磯駅間の湘南貨物駅は、元来は大正13年(1924年)に東京-国府津-熱海間っと横須賀線電化完成と共に電車運転を行うべく、まず京浜線(現在の京浜東北線)に2ドアセミクロスシートのデハ43100型を配置し使用する計画で現在の湘南貨物駅に電車区を建設氏し配置予定でしたが、関東大震災発生と復旧優先で電化計画は画餅になり、電車運転計画どころではなくなり取得地はそのままになり戦後を迎えます。
横浜臨海公園2010年05月23日17時44分 返信するご丁寧なご返事深謝申し上げます
横浜臨海公園様
こんばんは。
質問について失礼いたしました。
JR東海道線、在来線の車両基地でございます。
小田原駅から東京方面へ上りますと、第一三共の工場を過ぎて左側の車両基地です。(小田原厚木道路から見える基地です。)
> それから、ご質問の国府津-小田原駅間の車両基地とは旧西湘貨物駅の事でしょうか?
> それとも、新幹線鴨宮車両基地のことでしょうか?
>
> 因みに、現在の平塚-大磯駅間の湘南貨物駅は、元来は大正13年(1924年)に東京-国府津-熱海間っと横須賀線電化完成と共に電車運転を行うべく、まず京浜線(現在の京浜東北線)に2ドアセミクロスシートのデハ43100型を配置し使用する計画で現在の湘南貨物駅に電車区を建設氏し配置予定でしたが、関東大震災発生と復旧優先で電化計画は画餅になり、電車運転計画どころではなくなり取得地はそのままになり戦後を迎えます。
詳しいご説明深謝しありがとうございました。
Medina
2010年05月23日18時26分 返信する再拝復
Medinaさま、こんばんは。
ご質問の一件、篤と了解しました。
件の車両基地はJR東日本国府津車両センターです。
元来は昭和49年(1974年)に当時の国府津機関区の電車部門の基地として建設され、昭和55年(1980年)10月1日に東海道線と横須賀線が分離運転されたのを機会に国府津電車区に独立格上げされたものです。
横浜臨海公園
追伸
別の会員の方からデハ43100型に就いて質問を頂きました。
件の車両は性能面では英ビッカース社のカム軸制御器を初搭載し、それまでの手動進段だった扱いが全面的に自動進段が可能になったものです。
「MC1」と言う省形式を得て、また車体は関東大震災後に利用者激増から3扉に改造され、昭和3年(1928年)の鉄道省の車両記号改正後はモハ10型に集約されます。
また純木造車体であった事から老朽化が進み、車体だけ鋼体化工事を受け改造後はモハ50型になります。
更に、戦災被害を受けなかったグループは戦後改番され、最終的にはクモハ11型400番代に集約され昭和48年(1973年)まで鶴見線などで走っておりました。2010年05月24日01時06分 返信する -
はじめまして!
ご訪問ありがとうございました!
青森市も良い場所多いですね♪
青函連絡船、興味深く拝見しました。
丁寧にお写真撮られていて、すごく参考になるとともに楽しめました♪
これからもお伺いさせていただきます!
ありがとうございました。 -
B6形の貴重な写真を拝見致しました。
こんばんは。Medinaでございます。
旅から戻り仕事に追われ写真編集もままならず、皆様の旅行記も満足に拝見出来ない日々が続いております。
私はSLが好きで今回も乗車して来ました。後日旅行記掲載いたしますが、この横浜様の貴重なB6形の写真を見て驚きました。大変珍しいです。
B6形の由来は旧国鉄時代の2100形蒸気機関車で、国鉄の前身である官設鉄道が、1890年(明治23年)からイギリスより輸入したタンク式蒸気機関車で、作業局時代の形式称号により、同系の3形式(2120形・2400形・2500形)と共ににB6形と通称されております。
また2323形は広軌化試験改造車で、1917年8(大正6年)に当時議論さた広軌(標準軌)化構想に基づき、機関車を広軌化改造する際に、どれほどの材料、工数、費用がかかるかを調べるため、試験車両として本形式1両 2323形が浜松工場で広軌化されました。同機は、同年5月23日から8月5日まで、横浜線原町田 - 橋本間で6輪ボギー車、4輪ボギー車、4輪単車、貨車3両と共に試験運転されました。
その結果、広軌化による不都合はなく動揺は広軌のほうが少ないこと、また、狭軌からの改造車であっても十分実用に耐えるばかりか、性能が向上して、石炭の使用量も減少することも確認されましたが、広軌化構想は1919年(大正8年)に頓挫し、広軌化改造されていた2323形もしばらく大井工場に保管されておりましたが、間もなく廃車されたとの事です。
日本の鉄道の機軸幅が4種類あるのも不思議な話で、標準軌1435mmの新幹線から1372mmの京王電鉄、都電荒川線、1067mmのJR線、多くの私鉄で採用、762mm最小軌の八王子線、近鉄内部線など。。。
スペインでタルゴと言う車両がありますが、日本はなく軌軸を統一できれば
線路1本で日本全国つながると思いますが。。。。
ヨーロッパの新幹線、TGV、ICE,ユーロスター、ESスターこれらの列車は線路幅が統一されている為に、国境を超えて乗り入れが出来るのですが日本は。。。
貴重な写真を拝見させて貰いありがとうございました。
次回を楽しみにしております。
Medina
拝復
Medinaさま、おはようございます。
メッセージを賜りながら返事を差し上げるのが遅くなりまして誠に申し訳ございませんでいた。
仰せのとおり2120型蒸気機関車は日清間の国交情勢に緊迫の度合いが高くなった結果、導入された機種です。
旅行記に添付した写真は大正時代に鉄道院から配布された資料から転載したもので著作権が時効により消失したもの使用しております。
横浜線に於ける広軌化試験は本来であれば当時の旅客用大型蒸気機関車たるC51型を使用すれば効果が思われますが、C51型は当時の新鋭機であり、試験に廻す余裕が無かった事と予算上の問題がネックとなっていたものと推定されます。
若し、此の段階でC51型を使用しておれば世論に対する効果は莫大なものだったと悔やまれます。
横浜臨海公園2010年05月23日09時08分 返信する



