2023/05/18 - 2023/05/18
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Bachさん
5月の月一京町散歩は1200年昔の「平安京」を辿る第3回目「三条通」です。
「三条通」は、平安京時代は東三条殿や朱雀院など貴族の邸宅が並び二条通と共に東西の主軸で、最大は山科の四ノ宮から嵐山の渡月橋まで15km、東海道の起点となる三条大橋から嵐山までは10kmですが、今回は嵐山の手前山之内・猿田彦神社から三条大橋まで5.4kmを歩きます。
「三条通」には歴史を楽しめるポイントがたくさんあり、平安時代には三条町を中心に商工業街として賑わい、鎌倉時代には武家政権の鎌倉と朝廷の京都を結ぶ鎌倉街道として利用され、南北朝時代には祇園会で山鉾巡行が行われるようになり、秀吉は軍馬を通すために石造りの三条大橋を建設、さらに江戸時代には東海道の終点は三条大橋となり、益々三条通は商店や旅館などで賑わい京のメインストリートになり、明治になると嵐山から千本三条に流れる西高瀬川が開通したことで、嵯峨野から筏で薪炭や米、材木を運び千本通付近には船着き問屋ができて材木町として発展、また京都の近代化の中心地として銀行や新聞社、郵便局などの近代建築も並んだが、明治23年琵琶湖疎水、上水道整備と共に道路の拡幅と路面電車の開通で四条通の方が拡幅され、次第にメインストリートは四条に移っていきました。
いつものことながら、京都の通りを歩くと平安時代から現在までの歴史の変遷が詰まっていて、これらを確認しながらゆったり、まったり歩くと、老化防止にもなり、早くも30℃越えになった酷暑も吹っ飛びます。
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「二条通」の次は、♪♪「あね・さん・ろっかく・たこ・にしき」と歌われる、「姉小路」「三条」「六角」「蛸薬師」「錦小路」と並ぶ「三条通」
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「三条通」は、三条大橋から烏丸通までの1.2kmは明治時代のメインストリートで、堀川通から千本通の1.8kmはアーケードになっている三条会商店街、千本通から西大路通まで1.0kmは片道1車線道路、葛野大路三条までの1.4kmは嵐電(京福電鉄嵐山本線)の路面電車が走る片道2車線の大通り、ここから以西は路面電車も走る片道1車線で北西にカーブし旧二条通と合流すると帷子ノ辻(かたびらのつじ)で嵐電と分かれ嵐山・渡月橋まで4.6km。
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散歩ルート:三条大橋~0.2km酢屋~0.2kmみすや針~0.1kmたらたら坂~矢田寺~0.1km1928ビル~<近代建築群>~0.1km弁慶石~0.2km石黒香舗~0.5km文椿ビルチング~0.2km 鷹山保存会~0.1km大西清右衛門美術館~0.4km(2.0km)堀川通~0.1km八坂神社御供社~0.4km武信稲荷神社~0.4km三条商店街~0.1km(3.0km) 京都木材会館、(道路向う側)西高瀬川駒札~0.9km西大路三条駅~1.4km(5.4km)
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まず今日のランチ場所へ、祇園四条から「切り通し」を入る
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「挽肉と米 京都」:「挽きたて、焼きたて、炊きたて」の炭焼きハンバーグと炊きたてご飯を提供する行列のできる人気店で、東京2店舗に次ぐ3号店として昨年10月開店、町家をリノベーションした店舗は看板も小さく外からは分らない
*建物は明治35年ごろからある祇園甲部の芸舞妓さんたちの取り次ぎ所の「検番」で、右横にある黒板は1ヶ月分のお稽古の予定が書き込まれ、今でも使われているので芸舞妓さん達が集まるという -
オープンは11:00からだが、9:00から整理券を発行して時間指定が出来るので、並ぶ必要がなくどうしても食べたい場合は都合のいいシステム
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向かいはこれも行列の人気店、ぎょうざの 「歩兵」(17:00オープン)で真っ直ぐ行くと「巽橋」(たつみばし)
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早朝早くも白川沿いで「前撮り」が何組か集まっている
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「辰巳大明神」から新橋通りでも *御所の辰己(南東)の方角の守護神として祀られた神社だから「辰巳」、「巽橋」は神社名からの命名だが「巽」になったのは何故か分らん
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「検番」の廃材の梁など使っているので昔のイメージをそのまま残し、全て「出来立て」が売りなのでオープンキッチンで客に近い所で調理するシステムになっている
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毎朝国産牛100%のハンバーグを目前で炭火焼きしてくれるのでエンタメ性抜群!
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座席手元の引き出しに薬味の説明書と食器、薬味などある
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薬味は6種類、生醤油、青唐レモン、青唐辛子のオイル漬け、ジャオマー、大蒜ふりかけ、陳皮・青海苔・生姜など8種類の生薬をブレンドした八味唐辛子
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客の食べるのを見ながら焼いてくれる、ハンバーグは焼き立てを楽しんでもらうよう小さめの1個90g
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ご飯は日によってブランドが変わるこだわりの米を羽釜で出来立て
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ご飯とみそ汁と卵のセット1,600円、ハンバーグ90gが3個まで、ご飯おかわり放題、ハンバーグの追加は450円
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一回目はそのまま何もつけずに、肉汁がこぼれないようオン・ザ・ライスで!
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二回目は大根おろしと自家製ポン酢で、合間に白菜の梅酢漬けも有難い!
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三回目は卵をかけてTKGで!何倍でも食べれそう、標準は3杯だが、隣の人は5杯食べていた、私は2杯
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川端通りから鴨川沿いに三条大橋へウォーキング開始!
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三条大橋は工事中だが、室町時代に架けられ、秀吉の聚楽第当時に現在のような擬宝珠(ぎぼし)のある橋になり、現在の橋は昭和25年(1950)に改築され昭和49年に更新されたが、老朽化が進み昨年秋から改修が始まり来年春完成、擬宝珠はそのままで木製欄干は京都産ヒノキを使う
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平安建都1200年(1997)を機に鴨川沿いの三条~七条間に「花の回廊」を整備した記念碑 *1987年京阪電車地下化で歩道が広くなった
「我が心 きよめ流るる 鴨川は 優しき母の まなざしに似て」 -
「駅伝発祥の地」:日本最初の駅伝は大正6年(1917)「東海道駅伝徒歩競争」で三条大橋から上野不忍池の博覧会正面まで、508kmを23区間に分け3日間開催した、全く同じ記念碑が上野にもある。3年後に箱根駅伝が誕生した
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「高山彦九郎像」:吉田松陰など幕末の志士に影響を与えた群馬の尊王思想家(討幕派)で、各地を歴遊し京都に来た時は毎回御所に向かって拝礼(土下座)をしていたと言われる、銅像は昭和天皇即位を記念して建てられ(台座の文字は東郷平八郎の揮毫)たが、戦時中に金属を取られ昭和36年に再建
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「高山彦九郎先生皇居望拝之跡」:戦時中この像が失われた時に「像の跡」を示す石碑が建てられた、揮毫は徳富蘇峰
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「弥次さん喜多さん像と撫で石」:十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の「東海道中膝栗毛」に清水寺に詣でた後に三条大橋付近に宿泊する話が登場する、「撫で石」は鞍馬石で旅の安全にご利益がある、平成6年に三条小橋商店街が建立
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幕末の池田屋事変で出来た刀傷:西から二つ目の南北の擬宝珠
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北側はこれから擬宝珠をつける状態
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「三条大橋」は、戦国時代には東海道の起点として京の玄関となり、秀吉は軍馬を通すため石造りの橋を建設し、江戸時代には幕府の公儀橋として修繕費などは全て幕府から金が出た、この頃から「大路」から「通」に呼び名が変わったという
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「旧三条大橋の石柱」:擬宝珠に秀吉が日本初の石柱橋を架けたと書かれており、その時の石柱が今でも橋脚に使われている
「高札場」(こうさつば):幕府が決めた法度や掟書を木の板に書き掲げる、親兄弟と仲良くし家業に専念せよという「親兄弟の札」や「駄賃の札」「切支丹の札」など残っている -
「御所飴本舗」(ごしょあめほんぽ):大正元年創業の飴屋「京のおあめさん」
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「昭和初期の三条小橋」:この辺りは大橋の際まで旅籠屋が多かった
「高瀬川生洲」(たかせがわいけす):江戸中期から生洲料理店が多く、生洲で鯉や鮒、鰻などの川魚や鴨を飼って新鮮な料理を提供し繁盛した「生洲料理の発祥地」 -
「瑞泉寺」(ずいせんじ):秀吉によって抹殺された秀次とその一族の菩提寺
秀吉は53歳で側室の淀殿との間に鶴松を授かるが2歳で死去、そこで甥の秀次を養子にし関白の職を譲る、しかし秀吉57歳の時第二子・秀頼が誕生、そして秀吉は秀次に謀反の疑いを口実に切腹させ一族郎党「三条河原」で公開処刑し、聚楽第や近江八幡山城もすべて破壊しその遺構は殆ど残っていない。その16年後に京都の豪商・角倉了以(すみのくら りょうい)が「大仏殿方広寺」再建のため資材運搬の水運「高瀬川」を造ることになり、この際「秀次悪逆塚」を発見し深く同情した角倉了以は散乱していた遺骨を集め1611年「瑞泉寺」を建立した -
「角倉翁碑と高瀬川沿革図」:高瀬川は1611年角倉了以により京都二条から伏見までの船運のために造られた運河で高瀬舟が通っていた
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「鞍馬通」:幕末に高瀬川沿いに長州藩、土佐藩などの藩邸が建ち並び、連絡に便利だったので坂本龍馬がこの通りの材木商・酢屋嘉兵衛の店に身を寄せていた
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「創作木工芸酢屋・ギャラリー竜馬」:1721年創業の材木商で、高瀬川の船運で角倉家より材木独占輸送権を得て木屋町に創業し今も千本三条で銘木販売を続けている、1階は「創作木工芸酢屋」、龍馬をかくま った2階は「ギャラリー龍馬」となっている
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「坂本龍馬寓居跡」(さかもとりょうまぐうきょあと):坂本龍馬が「船中八策」発案後京都に来て、2階に海援隊本部を置いた、その後新撰組や見廻り組を警戒して土佐藩邸により近い「近江屋」新助方へ転居した直後暗殺された
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「池田屋騒動の址」:1864年、近藤勇率いる新選組10名が旅籠「池田屋」を襲撃し、約20名の尊王攘夷派を殺傷した、桂小五郎(木戸孝允)は難を逃れたが後に蛤御門の変が勃発、薩長同盟を経て大政奉還と続く
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現在は居酒屋「はなの舞」になっており、内に大階段や新選組グッズがあふれ楽しい
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河原町通から「三条名店街」:河原町通から寺町通間150mほどの短いアーケード商店街だが、新京極商店街、寺町京極商店街とつながっているので錦市場まで雨に濡れずに行けるから便利
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「みすや針」:江戸初期創業、上質でかさばらない針は京土産として人気で現在も多くの種類の針を販売する、本日は休業で残念!
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「大西京扇堂」:天保年間より十代続く扇の老舗として各宗本山のご用達を務めてきた扇子の専門店で、檜扇、能扇、舞扇、茶扇、飾り扇、寺院有職扇、洋扇などあらゆる扇子を販売
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「本家田毎」御蕎麦:信州更科の「月の田毎」より屋号をとり「本家田毎」として明治元年創業の蕎麦屋
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「三条通たらたら坂」:新京極から三条通までの10mほどは坂道になっている、これは秀吉が三条大橋を改修し三条通を寺町通から延長した際に、この辺りは橋より低い河原だったので、ここに新京極通を造った時に高低差が出来たもの
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「JEUGIA」(じゅうじや):京で最初に社交ダンスが行われた
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「寺町通」入り口:寺町通は、四条通から三条通まで「寺町京極商店街」、三条通から御池通まで「寺町専門店街」、御池通から二条通まで「京・寺町会」、二条通から丸太町通まで「寺町会」というらしい、通りは紫明通りまで総長5km
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「甘党茶屋 梅園」:1927年創業の老舗喫茶店
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「すき焼き三嶋亭」:明治6年(1873)創業で日本のすき焼き店の草分け店の一つだが、高い!
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「かに道楽」は昭和35年創業だが存在感がある!
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「矢田寺」(やたじ):平安初期、奈良矢田寺別院として創建、本尊の地蔵菩薩は高さ2mで冥土の地蔵尊を再現し地獄で亡者を救う地蔵として信仰される、梵鐘は六道珍皇寺の「迎え鐘」に対し「送り鐘」と呼ばれ死者の霊を迷わず冥土へ送る、12月23日のかぼちゃ供養は多くの参拝者が集まる
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「富田歯科医院」:この辺から「近代建築群」が始まる、昭和3年築、一見すると普通の町家だが内は洋風、待合室は洋室で暖炉があり、床は寄木、ガラスに一部ステンドグラス
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「三条通・近代建築群」:江戸時代からメインストリートであった河原町から烏丸までの1キロに明治初め近代建築が並び、昭和に入りメインストリートを四条通に譲ったことから建物は壊されず残った
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「1928ビル」毎日新聞京都支局:1928年(昭和3年)築、アールデコ(1910~30年代流行で幾何学図形、原色使いが特徴)京大建築学科を創設し京都市役所も設計した武田吾一設計で毎日新聞社章の星型窓やバルコニーがあり、現在はギャラリー、多目的スペース、ギア専用劇場
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「弁慶石」:武蔵坊弁慶はどこにでもこの石を持って移動し、最期を遂げた平泉に置かれていたが、石が夜な夜な泣いたことから生まれたこの地に運ばれてきた
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「勝屋」:大正5年創業の時計修理専門店、古いレトロな時計が並び、熟練の時計修理職人さんが対応してくれる
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「京都ダマシン」家邉徳時計店(やべとくとけいてん):明治23年(1890)築、三条通最古の建物で当時は時計台がランドマークだったが、現在も修学院離宮の油絵が描かれた金庫やらせん階段など残る、京都で最古の民間の赤レンガ建築で木造2階建ての壁にレンガを貼り正面アーケードの三連アーチが特徴、現在は着物生地をリメイクした若者向けの洋服店、ダマシンは象嵌
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「SACRAビル」不動貯金銀行京都支店:大正5年(1916)築、1階レンガ造り、2・3階木骨レンガ造りのルネサンス様式で現在ファッション関係テナントビル
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「京王京都三条ビル」日本生命京都支店:大正3年(1914)築、角地のトンガリ屋根の塔屋を残し改修し現在はリサイクル着物ショップ、辰野・片岡建築事務所設計で銅板葺きにクールな石張り建築、レンガの上から石を貼り内部には鉄筋が入っている
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「石黒香舗」(いしぐろこうほ):1855年創業で全国唯一の「におい袋」専門店、実演販売も人気
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「分銅屋」:江戸末期1864年創業の足袋専門店で、前職の薬屋の薬を測る分銅を屋号とする
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1足からあつらえの足袋を作れる
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三条室町の道標、左折すると「イノダコーヒ本店」
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「京都文化博物館別館」日本銀行京都支店:明治39年(1906)築レンガに白い縞模様が特徴的なクイーンアン様式(18世紀英国様式でシンプル)の東京駅も設計した辰野金吾設計
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内部は日本銀行の名残が残り、カウンターもそのままある
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「中京郵便局」:明治35年(1902)築、ルネサンス様式建物で昭和53年に日本初のファザード建築として修復され現役の郵便局として活用
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内部は普通の郵便局
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「京都電信100年記念碑」:西日本電信電話株式会社京都支店が、1997年京都電話100周年記念事業の一環として、電話事業を伝えるための品物をタイムカプセルに入れたらしい、この辺り一帯は昔の電電公社の広大な土地になっている、さすが電電公社!
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「新風館」京都中央電話局:大正15年(1926)築、2001年から商業施設としてリニューアルし、NTT都市開発が運営、余計な飾りはなく半円アーチや煉瓦の並びなど細かいところにこだわりがある、現在は青と黄の吹き抜けのモダンな回廊空間が広がったファッションビル
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20店舗のショップやレストランと、映画館やホテルまで入った複合施設
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レトロな外観を活かし、アートや自然と融合した施設
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「みずほ銀行京都中央支店」第一銀行京都支店:明治39年(1906)築、レンガに白い縞模様が特徴的な辰野式建築を2003年復元再建
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「文椿ビルチング」(ふみつばき)西村貿易店:大正9年(1920)築、元々は貿易会社~繊維問屋~米文化施設~内装業者~呉服商社~2004年から久和幸司建築設計事務所により商業施設として再生した
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レストランや雑貨、男性用着物、マッサージ店やコスメショップなど様々なショップが入る
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「大西清右衛門美術館」(おおにしせいえもん):千家十職(塗師、指物師など)の茶釜師、茶の湯釜の展示と研究・発表の場
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「鷹山保存会」(たかやま):祇園祭・後祭の山鉾で、幕末の災害で休み山になったが2022年に196年ぶりに復活、今年2023年には古くなったご神体の装束も新調し披露する(山音株式会社)
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堀川通を超えると「三条商店街」、河原町の方は「三条名店街」
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「三条商店街」:堀川通から千本通まで全長800mに180店が並ぶアーケード街で、大正3年から発足し昭和初期には京都北部・丹波から鉄道や船で物資が集まる集積地で大勢の人で賑わったという
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アーケードができたのは昭和39年で、800mもあるので雨の日には地元マラソンの野口みずきさんが走っていたという *ちなみに日本一は大阪天神橋の2km
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商店街の中に「八坂神社御供社」(やさかじんじゃごくうしゃ)
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「八坂神社御供社」:八坂神社の御旅所で、四条御旅所に対して「又旅社」(またたびしゃ)という、三基の神輿を迎えて神饌(しんせん:召し上がりもの)をお供えすることから「御供社」(ごくうしゃ)と呼ばれ、祇園祭の還幸祭に立ち寄り神輿を下ろす
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もともと神泉苑の中にあり祇園祭起源の祇園御霊会が行われたことから「祇園祭発祥の社」とされており、三条大宮の地は平安時代より祭りの行列を点検する場所を意味する「列見の辻」(れつみのつじ)と呼ばれ、御旅所から祇園社(八坂神社)への還幸祭で大政所御旅所(おおまんどころたびしょ)を出発した2基の神輿(素戔嗚尊と八柱御子神)と少将井御旅所(しょうしょういおたびしょ)を出発した1基の神輿(櫛稲田姫命)が合流する
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この辺の地名は「三条通神泉苑西入下る」
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左に少し入ると「武信稲荷神社」(たけのぶいなりじんじゃ)
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途中にあった「三条台若中会所」:「祇園祭」の神輿御渡に関わっている組織の「会所」で、駒札には「元禄の頃から八坂神社の神輿渡御に奉仕し、三条台村の有志が相集い村の発展と共に「三条台若中」という組織をつくり巡行に携わってきました。民家を会所と定め現在のものは、昭和二年に建て替えられました。神輿渡御については、明治までは中、東、西の三座とも神輿の渡御に携わっていましたが、現在は中御座のみを舁いでおります」とあり、昭和5年に祭りの実行団体の三若組(現在の三若神輿会)と維持運営の祇神会に組織変更され、現在も活動を続けている
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「武信稲荷神社」(たけのぶいなりじんじゃ):平安時代藤原氏が創設し、この地に学問所や療養施設などを創設した藤原武信にちなみ命名された
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平安時代の古図には、三条から南の神社付近一帯の広い地域は「この地、藤原氏延命院の地なり」と記されている、「延命院」とは藤原右大臣が、人々の健康長寿を願って創設した医療施設であり、延命院と勧学院(学問所)の守護神としてお祀りした神社である
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「一寸法師の舞台」になった地で、一寸法師がお椀に乗って京の町にやってきてこの神社の藤原氏屋敷で奉公したことから立身出世に後利益がある
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境内の樹齢850年の榎(えのき)は平重盛が安芸の宮島厳島神社から苗木を移し植えたと伝えられ京都最大最古の霊樹で「えのき」=「縁の木」から又、坂本龍馬とおりょうの逸話から縁結び、恋愛のご神木になっている
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「坂本龍馬とおりょう」:おりょうの父が勤皇の志士を支援した罪で隣の「六角獄舎」に囚われて坂本龍馬とおりょうが榎に登って父の安否を気遣っていたが、後に二人が別れ離れになった時おりょうがこの想い出の地を訪れたら榎に独特の字で「龍」の字が彫っているのを見つけ再会を果たしたということから、愛の伝言、縁結び、夫婦円満、エノキの生命力健康長寿、必勝、開運、諸願成就などのご利益がある
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奇妙な彫り物は、樹齢850年の榎(えのき)の空洞化した枝が平成25年折れて落下したので、これをチェンソーアート世界チャンピオンの城所ケイジ氏という人が龍の姿にしたというもの
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商店街は結構活気がありそう
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アーケード街を通れば何でも用事がすむから百貨店よりも人間味があって楽しい!
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公園もある
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千本通まで続く
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立派な建物は立命館大学朱雀キャンパス
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「京都木材会館」:京都木材協同組合の建物で、全国初の2時間耐火性能を持つ柱を使い京都産の杉・檜を使った京都初の木材4階建てビル、1階はギャラリー、店舗、2階は組合、3、4階はマンション
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西高瀬川の終点・千本三条あたりは丹波からの材木の終着場所で多くの材木屋があったが、山陰線が出来てからは貨物列車で運搬し二条駅で荷下ろしするようになった、近くに坂本龍馬を匿ったという「酢屋」の現千本銘木商会(河原町三条に「創作木工芸酢屋・ギャラリー竜馬」)がある
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「西高瀬川」駒札:江戸初期に角倉了以(すみのくらりょうい)により丹波から嵐山間の水運が出来て、幕末になってこれを市内中心部まで延長するために嵐山から千本三条までの運河を造り、さらに明治に入ってから南下して堀川、鴨川から伏見につないだが、昭和10年の大水害で現在は天神川で分断されてほとんど水は流れていない
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嵐山・渡月橋~角倉了以屋敷跡(公立学校共済組合・花の家)~車折神社(くるまざきじんじゃ)~蛇塚古墳~天塚古墳~三菱自動車工場~千石荘公園~天神川合流地点嵐電162号線踏切~猿田彦神社~旧山之内浄水場(京都先端科学大学)~山王神社~島津製作所~西大路三条~(三條橋、西高瀬川の親柱)~二条駅まで
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「北野天満宮瑞饋祭駐れん所」(ずいきまつり):菅原道真が大宰府で彫られた木像を随行のものが持ち帰ってお祀りし、秋の収穫時に野菜や穀物をお供えして感謝を捧げたことから始った秋の祭の巡行ルートになっている
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川は見えないが、「西高瀬川」と「三條橋」の道標があった!
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「西大路三条」:嵐電は「嵐山」を出発し、帷子ノ辻で北野天満宮方面と分岐し、「西大路三条」から南下して「西院」を経由して「四条大宮」まで
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「島津製作所」:二条大橋の袂に創業の地があったが、広大な本社と三条工場
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「嵐電」(京福電鉄嵐山本線)の路面電車が走る片道2車線の広い通りが続く
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「葛野大路三条」(かどのおおじさんじょう):ここからは路面電車も走る片道1車線で北西にカーブし旧二条通と合流し、帷子ノ辻(かたびらのつじ)で嵐電と分かれ嵐山・渡月橋までが「三条通」になる
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「猿田彦神社」(さるたひこじんじゃ)
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「猿田彦神社」:平安時代に最澄が座禅の霊窟を探していたら猿田彦神が現れてこの地を示したため座禅石の傍らに祀ったもの、境内には見ざる言わざる聞かざるはじめいくつもの猿がいて、猿田彦神は道案内の神、導きの神、交通安全の神
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樹齢700年の楠は三条通の道標や一里塚的役割をした
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「天神川」合流地点嵐電162号線踏切:嵐山から取水した西高瀬川は車折神社(くるまざきじんじゃ)から蛇塚古墳、天塚古墳あたりを経由して山之内一帯を通り千本三条まで行くが、現在は天神川で分断されてほとんど水は流れていない
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最後は三条大橋まで戻り、前から行きたいと思っていた「スタバ三条大橋店」の納涼床へ
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いつも混雑しているが、タイミングよく席を確保!
最初に、制限時間1時間、席の移動禁止、パソコンなどの使用禁止などルールを説明される -
夏の風物詩は現在では5月1日から9月30日まで開いており、二条大橋から五条大橋まで90くらいの店があるという
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比叡山と東山を望む立地は最高!市街通りと3℃は違うという
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高い料理の店には気軽に行けないが、手軽にはいれて席料も要らないスタバは最高!
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三条大橋の改修状況もよく見える!
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やはり昼間より夜の方が風情がある!次は高級料亭の「川床」に行きたい! *鴨川は「かわゆか」、貴船は「かわどこ」
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今出川・北大路・北野
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月一京町散歩(4月)平安京南北散歩「大宮通」
2024/04/12~
今出川・北大路・北野
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月一京町散歩(5月)平安京南北散歩「千本通」前半
2024/05/04~
今出川・北大路・北野
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月一京町散歩(6月)平安京南北散歩「千本通」後半・鳥羽街道
2024/06/05~
伏見
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月一京町散歩(7月)平安京南北散歩「新町通」
2024/07/03~
二条・烏丸・河原町
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夏の京都「川床料理」と「みたらし祭」で暑気払い
2024/07/26~
二条・烏丸・河原町
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月一京町散歩(8月)平安京南北散歩「麩屋町通」
2024/08/24~
二条・烏丸・河原町
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月一京町散歩(9月)平安京南北散歩「高倉小路」
2024/09/12~
二条・烏丸・河原町
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月一京町散歩(9月)京の夏の終わり旅「祇園閣」と「長楽館」
2024/09/19~
東山・祇園・北白川
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月一京町散歩(10月)平安京南北散歩「油小路」(油小路通)
2024/10/11~
今出川・北大路・北野
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月一京町散歩(11月)平安京南北散歩「小川通」と「天使突抜通」(東中筋通)
2024/11/03~
二条・烏丸・河原町
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月一京町散歩(11月)紅葉の嵐山を人力車散歩
2024/11/20~
嵐山・嵯峨野・太秦・桂
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月一京町散歩(12月~1月)平安京南北散歩「御前通」で紅葉と初詣
2024/12/05~
今出川・北大路・北野
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新年蛇年の京都「初詣」と初庭園「對龍山荘」に初喰いの「わらじや」
2025/01/16~
東山・祇園・北白川
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「京の冬の旅」特別公開・「西来院」と「祇園甲部歌舞練場」の庭園
2025/02/13~
東山・祇園・北白川
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