2024/03/16 - 2024/03/16
1714位(同エリア3579件中)
Bachさん
平安京南北通の2回目は「室町通」です。平安京では「室町小路」という小路でしたが、足利三代将軍義満が豪奢な「花の御所」を造営し、幕府の政務をとったことから室町幕府の政治文化の中心地として賑わいました。
現在の「室町通」は、北は北山通から南は久世橋通まで8.1㎞ありますが、途中東本願寺と京都駅で分断されているので、今回は「鞍馬口通」から「東本願寺」までの約6.0kmを歩くことにします。
室町時代といえば、金閣寺・銀閣寺の北山文化・東山文化の有名どころはあるものの、中心地のこの通りは目立った史跡も観光地もなく、地味な印象しかありませんが、それでもわずかに残る足利将軍邸の痕跡や、江戸時代を通して続く創業何百年という老舗店が軒を連ね、四条室町の「鉾見の辻」を中心に祇園祭の山鉾が建並ぶなど、流石に今でも歴史満載の通りで、前回の秀吉の匂いのする「寺町通」に対し、足利の匂いのする「室町通」という、平安京以降の京都の流れを見ることの出来た「京町散歩」でした。
*表紙写真は偶然の産物「三井越後屋京本店記念庭園」
-
平安京の室町小路にあたり、北は北山通から南は久世橋通まで、途中東本願寺と京都駅で 分断されており、全長約8.1㎞の道で、途中には足利義満の花の御所があり、「室町通」に 面していることから「室町幕府」や「室町時代」の名前の由来となった
-
(散歩ルート)10:00地下鉄鞍馬口駅~0.1km小松帯刀寓居跡・近衛家別邸御花畑御屋敷跡・薩長同盟所縁之地の碑~0.2km生谷家住宅~0.7km室町殿石敷遺構~0.1km大聖寺門跡~0.2km花の御所室町殿庭園景石~0.3km福長神社~9,2km本田味噌本店~0.1km富岡鉄斎邸~0.5km(2.4km)11:00山田松香木店 京都本店~0.1km旧二条城跡~0.1km斯波氏武衛陣・足利義輝邸跡~0.7km三井越後屋京本店記念庭園~0.1km森寛斎宅蹟~0.4km役行者町(役行者山)~0.1km五色の辻~0.1km烏帽子屋町(黒主山)~0.1km鯉山町~0.1km(4.3km)12:00山伏山町~0.1km京都芸術センター・旧明倫小学校~0,1km菊水鉾町~菊水井跡・大黒庵跡~鉾見の辻~0.2km鶏鉾町~12:30(ランチ)~0.1km松本宗悟邸址~白楽天町(白楽天山)~0.2km繁昌神社~0.1km軟式野球発祥の地~0.8km東本願寺15:00~(カフェ)~0.3km(6.1km)地下鉄四条駅
-
地下鉄「鞍馬駅」スタートし、鞍馬口通を西へ100m歩くと室町通に入る
-
「近衛家別邸御花畑御屋敷跡・小松帯刀寓居跡」
「御花畑屋敷」(おはなばたけやしき)は、五摂家の筆頭である「近衛家別邸」の跡地で、南北55m、東西140m、約1800坪 という広大な敷地に、40室もある大邸宅と鴨川から引き込んだ水をお花畑の泉水・流水に使い、茶室などもあったという大屋敷であった、これを室町・南北朝時代から親交があり、親戚関係でもあった島津家が近衛家から借り受け、幕末当時の薩摩藩の家老「小松帯刀」(こまつたてわき)の住まいとして、また島津家当主上洛の際にも使われた、現在は「フランジパニ」という喫茶店の店先にあるが、ここが「御花畑屋敷」であると判明したのはつい最近2016年のこと *近衛家は鎌倉時代中期からの藤原氏嫡流で公家の家格の頂点に立った「五摂家」(ごせっけ)である近衛家・一条家・九条家・鷹司家・二条家(序列順)の最上格で、島津家が遠く九州にいながら天下の情報を得て戦国時代を乗り切り、江戸時代になっても、徳川幕府と友好的に対峙出来たのは近衛家と親しく親戚関係にあったからといわれる -
「薩長同盟所縁之地」
ここが歴史上重要なポイントとして注目されるのは、この小松帯刀(こまつたてわき)邸で西郷隆盛や坂本龍馬、木戸孝允などが政治活動を行っていて、中でも1866年の薩長同盟では、仲の悪かった薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通らと長州藩の木戸貫孝允らが坂本竜馬を介してこの屋敷に集まり締結したという *「小松帯刀」(1835-1870)は、明治維新後わずか3年(享年35歳)で病死したので、薩摩藩士の大久保・西郷隆盛ほどの名声はないが、島津久光の側近として、27歳にして薩摩藩を背負って立ち、大久保利通らの藩内下級武士を多く要職につかせ、討幕派公卿・諸藩の間を奔走し大政奉還に尽力し幕末から明治維新にかけて薩摩藩の躍進を支えた(大久保は5歳年上、西郷は7歳年上) -
「薩長同盟」
尊王攘夷の長州と、公武合体の薩摩藩で対立し、1864年禁門の変と第一次長州征討では完全に関係悪化していたが、薩摩藩の援助によって設立した亀山社中率いる坂本龍馬は、亀山社中の船を使って長州藩が望んでいた武器を薩摩藩名義で購入して長州に引渡し、長州藩からは薩摩藩に不足していた米を運ぶという策をたてて、両者を説得しこの御花畑屋敷での会合にまでこぎつけ、長州からは木戸孝允(桂小五郎)一行がここに宿泊し、その後坂本龍馬も合流し、小松や西郷らも集まって、龍馬の日本を想う熱き心と行動力が両藩の心を揺り動かし、幕府による長州征伐への対応についての合意がなされ、これにより薩摩藩は第二次長州征討を拒否し薩長の連携関係は深まり、明治時代の扉が開かれるきっかけとなった -
室町小学校内にある石碑「是より洛中荷馬口付もの乗へからす」
近衛家別邸御花畑御屋敷は、洛中の北端とされ室町通の一番上(北)にあたるため「室町頭」(むろまちがしら)と呼ばれ、「是より洛中、荷馬口付のもの乗るべからず」と刻んだ標石が建てられた、(馬があばれると危険なので)洛中へ入る際には、馬の手綱を引いて歩いて入ること、という意味で、現在は室町小学校内に移築されている、同じ標石が当時30カ所に設置された内の10本余りが残っているという -
「生谷家住宅主屋」(いくたにけじゅうたくおもや)
生谷家は御家人であった室町時代、賀茂川の築堤を任され、のち「万や」の屋号で青物問屋を営んだ西陣の旧家 -
青物問屋の後は乾物屋を営み、廃業後は住居とし明治10年(1877)頃に建て替えられ、築約140年で国・登録有形文化財
-
「室町通」
室町幕府の時代には南北のメイ ンストリートで、花道、茶道、香道、能など日本文化の祖になるような文化が花開き、モノづくりや商店が集まって賑やかな通りだったが、秀吉の都市改造から徳川の時代を経て次第に商業の中心が、河原町通など新たなエリアに移動し、室町通は次第に衰退していって、当時の繁栄をうかがうことのできる建物もあるが、建物の老朽化も進みこれを建物を保存していくのは簡単ではないと想像できる -
「中村邸」(旧中村万治郎邸)明治元年(1868)築、1911/1933改修
「国・登録有形文化財」:緩やかな規制により建造物を活用しながら保存を図るため文化財制度で登録された建物で、築後50年を経過しており、国土の歴史的景観に寄与しているもの、造形の規範となっているもの、再現することが容易でないもの
「景観重要建造物」:地域の自然、歴史、文化等からみて建造物の外観が景観上の特徴を有し、地域の景観形成に重要なもので、指定を受けた建造物には、所有者等の適正な管理義務のほか、増築や改築、外観等の変更には市長の許可が必要となるが、相続税に係る適正評価や、建造物の外観の修理・修景に係る補助制度が活用できる
「歴史的意匠建造物」:歴史的な意匠を有し、地域の景観のシンボル的な役割を果たしている建築物 -
「無学寺」(むがくじ)
鎌倉時代の1279年、無学祖元(むがくそげん)創建、無学祖元は鎌倉中期に来日した宋の禅僧で、鎌倉建長寺にはいり、後に円覚寺を開山、禅と武士との密接な結びつきを確立したという -
「近衛家別邸御花畑御屋敷」があった地点にあった「是より洛中、荷馬口付のもの乗るべからず」の標石が、現在は500m離れた室町小学校に移築されている
-
京菓子司「俵屋吉富・本店」
1755年創業、大正13年に継承後、昭和8年に「花の御所」のあった室町の現在の地に移転し、禁裏菓子御用司としてつとめる、相国寺が所蔵する「雲龍図」を表現した銘菓「雲龍」が有名 -
「俵屋吉富・烏丸店」
昭和53年、京都の表通りである烏丸通りに新設し、同敷地内に平成13年「龍宝館」、茶室「祥雲軒」、多目的ホール「菓仙堂」、「京菓子資料館」を設ける -
「俵屋吉富・京菓子資料館」
奈良時代に伝来した唐菓子や京菓子づくりの道具などを多数展示し、和菓子の歩みを知ることができ、菓子つくり体験や、お茶席でお抹茶と季節の京菓子をいただくことができる -
同志社大学「寒梅館」(かんばいかん)
2004年に竣工した新しい同志社の大学会館「寒梅館」を建て替え工事中に、室町時代の遺構が発見された、「花の御所」の遺構は現在殆ど残っておらず、庭園の池跡や景石、堀跡などが、「寒梅館」と近くのマンションから発掘されているのみだが、その結果「洛中洛外図」や古文書などに「室町小路に接する西端に正門が建ち、敷地の東南の区画に池があった」と記されているのが証明された *同志社の京都市内キャンパスは、ココ室町キャンパスと、北大路に烏丸キャンパス、新町通に新町キャンパス、相国寺周辺の今出川キャンパスがあり、約2万人の学生がいる -
「室町殿・石敷遺構」(むろまちどの)
「寒梅館」工事中に石敷遺構が発見され、第12代将軍足利義晴(あしかがよしはる)が再築した「室町殿」と推定される「上杉本洛中洛外図屏風」と一致したことで、この石敷きは「室町殿」の北東隅の社とその南の築地基礎と推定され、一部発掘したままの状態で見れるようになっている -
「室町殿」は室町幕府足利将軍の邸宅だが、もともと室町幕府2代将軍「足利義詮」(あしかがよしあきら)が、公家「室町季顕」(むろまちすえあき)の邸宅を買い上げて別邸としたのが始まりで、その後3代将軍義満が21歳になった1378~1381年に敷地を拡げて、すぐ南に位置した天皇の御所と比べ2倍の規模を誇る御殿を新たに造営し、正門が室町通りに面していたため「室町殿」、また鴨川の水を引き庭園には全国大名から献上された花木が見事な花を咲かせたため「花の御所」とも呼ばれ、その後も歴代将軍の住居や幕府の政務の中心地として使われたため室町幕府の名前の由来ともなった
-
ほかの庭園跡では見られない大きな石や、池の一部が見つかり、将軍家の絶大な権力を示しているといわれる
-
「大聖寺」(だいしょうじ)
「花の御所」跡地の一部を占める寺院で「花の御所・石碑」があり、足利義満が1368年正室の叔母にあたる無相定円(日野宣子)に「花の御所」内の岡松殿を与えて住まわせ、没後寺に改めたのに始まる格式高い尼門跡寺院で、歴代24代の内親王が住持を務め「御寺御所」と呼ばれる天皇家ゆかりの尼門跡寺院 -
「大聖寺・玄関」
1467年応仁の乱の際には「後花園上皇」(ごはなぞのじょうこう)と「後土御門天皇」(ごつちみかどてんのう)が、戦火を避けて花の御所へ避難し、天皇と室町将軍が同じ屋根の下で暮らすという事態になったこともあったという、特別公開時には華麗な障壁画で飾られた本堂や優美な枯山水庭園が見れるからぜひ見てみたい -
「花の御所・石碑」
室町幕府は3代将軍足利義満の時代が最盛期で、隠居して北山第(きたやまてい)現鹿苑寺(ろくおんじ)に移ってからもその権威は絶大だったが、応仁の乱(1467-77)後は焼失し、1559年室町幕府13代将軍「足利義輝」(あしかがよしてる)から花の御所は廃止され、当時の建物は残っていない、跡地の一部に門跡である「大聖寺」(だいしょうじ)が建立され、境内に「花の御所」の石碑が見られる -
「花の御所・庭園景石」
マンション「グラン・ドムール御所北」建設の際に発掘され、そのままエントランスに保存されているという、京都ではマンションを建てるのも大変! *「景石」(けいせき)は、庭内の主要な箇所あるいは最も重量感を必要とするポイントに、表現力豊かな石を選び設置する観賞用の庭石 -
「従是東北足利将軍室町第址」石碑
ここが室町幕府の花の御所の西南の角に当たることを示している -
「福長神社」(ふくながじんじゃ)
かつて宮中に祀られていた神社で、宮中の井戸を守護する神福井神(さくいのかみ)、綱長井神(つながいのかみ)を祭神として、井戸の神様として祀られていたが、秀吉の時代に御所近くから移転し、現在は稲荷神も合祀して「福長稲荷」と呼ばれる -
「装束司」(しょうぞくし)
この通りでも何軒か見られる「装束司」は、朝廷の儀式や天皇の行幸の際に、その衣装や調度、その他の準備すべき物資や馬・人夫などの設営を担当する役人のことで、行幸に際して任命される官職の中で最も重要な役割 -
「本田味噌本店」(ほんだみそほんてん)
江戸時代1830年から続く伝統の味を今に伝える味噌の老舗、西京白味噌や柚みそなど、様々な料理にあわせて使える味噌の種類が豊富で料亭や家庭でも使われている -
「室町一条:札の辻」
「室町一条」一角には、室町時代から御所の御用を勤めてきた「虎屋」「本田味噌」や日本の古典芸能を今も継承している「金剛流能楽堂」があり、室町時代から「一条札の辻」と呼ばれ、高札場(こうさつば)と呼ばれた施設(幕府が決めた法度や掟書などを書いた木の板札を掲げておく場所)でもあった -
「富岡鉄斎邸」(とみおかてっさい)
富岡鉄斎(1837-1924)は江戸後期から明治初期に活躍した文人・画家で、国学や絵を学び、石上神宮・大鳥神社・車折神社の神職も勤め、明治14年(1881)47歳で京都に帰り大正13年(1924)まで居住した、邸宅は築100年以上で、京都府が買い取って、平成24年(2012)まで府会議員公舎として活用されたが、2022年京都府への文化庁移転に伴い、京都商工会議所が文化・産業の交流拠点として2024.2リニューアルされたばかりで、石標もなく分らなかった -
後日調べて(2024.2.5記事)を発見!
京都商工会議所は5日、文化庁京都移転支援事業と京商創立140周年記念事業の一環として整備を進めてきた「文化と産業の交流拠点(仮称)」(京都市)の竣工記念式典を開催した。同拠点は明治・大正期の文人画家、富岡鉄斎の旧邸で、戦後は京都府議会議員公舎として利用されていた施設を再整備した。京都御苑の西側に位置し、平屋建ての本館と別館があり、会議室のほか、茶室、画室、和室を備える。 *京都府は京商に貸し出し、伝統工芸や文化活動を体験する空間とし、文化交流サロン、アートと産業界の連携、情報発信などにも取り組み、京都観光文化検定試験の講習会や、経済団体の展示会場などに利用、文化庁長官の公舎も庭園内に造るという、全380坪 -
ちょうど不動産屋の営業さんがいたので立ち話、35坪で1.2億円也、絶好な場所だが、個人住宅としても、集合住宅としても中途半端ですネ
-
「此辺清和院土御門内裏址」(せいわいんつちみかどだいりあと)(清和キリスト教会敷地内)
「土御門内裏」は、平安京大内裏を模して造営された最初の御殿で、1117年、第74代・鳥羽天皇(1103-1156)の里内裏として新造され、その後第75代・崇徳天皇、第76代・近衛天皇と3代にわたり里内裏(天皇の居所である内裏のほかに設けられた仮の皇居)になるが焼失した -
「山田松香木店」(やまだまつこうぼくてん)
江戸中期の1772年創業の香木店の老舗で、平安時代から続く日本の香り文化を伝承し、天然香料にこだわった薫香製品を寺院や仏具店・小売店・百貨店などに提供する -
「旧二条城跡」 (きゅうにじょうじょうあと)
徳川氏の二条城と区別して、織田信長が室町幕府15代将軍・足利義昭(1537~97)の居城として造営した建物を「旧二条城」又は「二条古城」と呼び、現在の平安女学院の敷地の中に「旧二条城跡」石碑が建てられている、当時は「武家御所」「武家御城」「公方様の御城」「二条武衛陣の御構」などと呼ばれ、現在はこの場所に平安女学院が建っている -
1565年室町幕府の第13代将軍・足利義輝が暗殺されたため、出家していた弟の足利義昭が室町幕府の再興を目指して織田信長を頼ったため、信長は義昭の後見を努め上洛し、自らの地位を固める策のひとつとして1569年に室町幕府15代将軍・足利義昭の将軍座所(居城)として、室町幕府の三管領(さんかんれい)筆頭・斯波(しば)氏の邸宅(武衛陣)の跡地に「二条城」を造営した、その規模は、現在の石碑を中心に東西は烏丸通から京都御苑に入ったあたりから新町通まで、南北は出水通から丸太町通までの敷地で、70日間の突貫工事で二重の掘や三重の天主を備えた堅固なものだったという
-
「斯波氏武衛陣・足利義輝邸跡」(しばしぶえいじん・あしかがよしてるていあと)
第13代将軍「足利義輝」の邸宅は、「斯波氏武衛陣」(邸宅)の跡地に「二条城」として建てられた *「足利氏」は平安時代に河内源氏3代目の源義家(八幡太郎義家)の子孫が「足利」に住んだことにはじまり、代々北条氏一門の女性を正室に迎え幕府を支えてきたが、鎌倉中期に足利家4代目当主・泰氏(やすうじ)の長男家氏(いえうじ)が陸奥国斯波郡(岩手県)を領し「斯波氏」(しばし)として宗家から分かれ、幕府の重鎮としての地位を確保し、8代目当主・尊氏(たかうじ)が室町幕府将軍となると、将軍に直接仕える鎌倉殿御家人として認められ、三管領筆頭の家柄として重んじられた -
「平安女学院大学」
「旧二条城跡」は現在「平安女学院大学」になっており、名門同志社と同様、歴史的な建物が建ち並ぶ、石碑のあるエリアは「室町館」、室町通を挟んで「昭和館」(国登録有形文化財)「明治館」(国登録有形文化財)、烏丸通側には聖アグネス教会(市指定有形文化財)と、植治小川冶兵衞氏作庭の庭園がある有栖川宮邸の有栖館(国登録有形文化財) -
「室町教会」(プロテスタント教会)
教会のシンボルとなる独特の形のヒマラヤスギが立派で、クリスマスシーズンにはひときわ輝くクリスマスツリーになる -
「室町丸太町」
左手は岡崎・平安神宮方面、右手は太秦・嵐山方面 -
「此辺書家望月玉泉居住地」(もちづきぎょくせん)
望月玉泉(1834-1913)は,江戸時代後期から明治期の日本画家で、京都府画学校の創設に参加し京都画壇の復興に努めた、四条派と岸派の画法を折衷し写生を基調とする温和な画風を形成した、明治天皇の即位に際し「山茶梅(花カ)戯犬の図」と共に「岩藤熊萩野猪図屏風」の絵を奉じている -
丸太町通から二条通までは京都ならではの店舗が続く
「古美術オークション会場」古美術品・書画・骨董の売買を毎月3回:7日、17日、27日に開催 -
「ぶつだん館・夢伽藍」仏壇・佛具のギャラリー販売
-
「尺八制作・北原精華堂」明治41年から四代続く制作工房、尺八教室
-
「創作きもの・染めの亀善」(有限会社鴻皇)京友禅の着物制作
-
「三井越後屋京本店(ほんだな)記念庭園」
この室町通二条の地には、昭和58年まで「三越デパート京都支店」があり950坪の広さだったが、現在は三井不動産が購入し、内68坪だけを庭園として三井京都創業の地として保存している、三越は江戸日本橋のイメージが強いが、江戸で呉服店を成功させたのは京都に西陣織などの仕入れ拠点をおいたからで、創業者の三井高利は京都と江戸それぞれの店を息子たちに任せ京都のこの地で指揮をとり三井の発展させたという、近くの二条城前には三井家邸宅の梶井宮門(かじいみやもん)を入口にし邸宅を再現した部屋もある5つ星ホテル「ミツイキョウト」がある -
(2023.04.20撮影)
昨年の二条通散歩で訪問した際は門が閉まったままで中を見れなかったが、今回の室町通散歩の一番の収穫は、いつもは非公開の「三井越後屋京都本店記念庭園」を偶然にも庭の手入れをしているところに出会って中を見せてもらったことで、年間2回しか剪定に来ないというところに出会うとは、庭園好きには超貴重な体験となった! -
昭和58年以後の1985年に作庭されたので、最近の新しい枯山水庭園だが、超貴重な写真!
-
馬酔木(あせび)の花が際立っている
「春を待ち 庭石に垂るる 花馬酔木」(詠み人知らず) -
創業時からあったという三井越後呉服店の守護神、屋敷稲荷神として祀られた「三国稲荷大明神」
-
室町・二条通交差点
-
行列の出来る人気店らしい「然花抄院」(ぜんかしょういん)
2009年オープンの新しい店舗で、伝統的京菓子でなく、カステラ系の洋菓子を、築300年の町家を利用して、いかにも京都らしい古風で雅な感覚で提供する新しい形態のショップで、庭園を見ながらの茶寮もある -
「森寛斎宅蹟 」(もりかんさいたくあと)
森寛斎 (1814-94)は、長州藩出身の画家で京都で円山派の画法を学ぶ一方で、討
幕運動にも積極的に参加し、長州藩の尊攘志士と交わり長州藩密偵になり長州、京都を往復した、維新後は京都画壇の研究団体如雲社の経営に努め画壇の復興に寄与しこの地で没した、「明治の応挙」と評され、作品に「蓬莱山水図」「松間瀑布図」などがある -
京菓子「亀廣保」(かめひろやす)
大正4年(1915)創業、現在4代目の干菓子専門店で、四季折々の季節の干菓子を「座売り」と呼ばれる対面販売していて、入るのは敷居が高そう -
ショーウインドウはこれのみ、(HPより)干菓子の種類は、「有平糖」(あるへいとう):砂糖・水飴を煮詰め冷やして細工したもので南蛮菓子として渡来した砂糖菓子、「生砂糖」(きざとう):砂糖に寒梅粉を混ぜた生地を伸ばして細工したもの、「打物」(うちもの):砂糖・寒梅粉を混ぜ合わせ木型に入れて固め打ち出したもの、「片栗」(かたくり):山芋をすりおろし砂糖と混ぜた生地を型抜きしたもの、「種合わせ」(たねあわせ):砂糖・寒梅粉を混ぜた生地を色紙種で合わしたもの などある
-
「肉家 桜真」(にくや おうしん)
とても焼肉レストランとは思われない町家を利用した玄関素敵なエントランス、口コミでないと絶対分からない精肉卸直営の隠れ家レストラン、17:00~23:00、コース6,800円~ 〆はラーメンかカレーというメニューで、全てがお洒落で一度は行ってみたい店! -
「服部織物」
江戸時代1788年創業の西陣織製造メーカーで、職人の帯作り見学や着物のコーディネート教室など、老舗ながらも事業革新を続けている -
「御池通」(おいけどおり)
平安京の「三条坊門小路」という小路だったが、戦後疎開で50m道幅に拡幅され、京都市内の中央部を横断し最も通りの幅が広い幹線道路として、沿道には高層建築が建ち並び、平成9年には地下鉄東西線が開通し御池地下駐車場、御池地下街も開業した、「御池」の名前は、江戸時代から神泉苑(しんせんえん)の池に通じていた道であることから呼ばれたらしい -
「室町通」は、足利義満がこの通り沿いに「花の御所」(室町幕府)を造営したことからの命名で、多数の裕福な商人が軒を並べていた
「御池通」は、川端通から太秦の三条通との交差点(三条御池)までだが、途中JR二条駅前で行き止まりとなり北に一筋ずれる -
行列の出来る店があったので調べると、パンとカフェランチ「Annee」、皆んな良く知っている!
-
「役行者山」(えんのぎょうじゃやま)会所
日本に古くからある修験道を主題にした山で、 宵山の7月23日の昼過ぎ、修験道の大本山聖護院から約50名の僧侶を招き、会所前で護摩木が執り行われる -
(2023.7撮影)「役行者山」(後祭)会所内に展示スペースがある
ご神体は、中央が役行者(えんのぎょうじゃ)、右が山の女神の葛城神(かつらぎしん)、左が鬼の姿の一言主神(ひとことぬしのかみ)の3体で、修験道の役行者が刈りをした時に、一言主神が現れて葛城と大峯の間に橋をかけたという山岳信仰がテーマの話 -
築120年以上の町家をリノベーションしたホテル「HIRAMATSU」
フランス料理ミシュランシェフの平松博利が今ではレストランだけでなくホテルやウエディングなど幅広く展開しているらしい -
「細辻伊兵衛美術館」(ほそつじいへえ)
江戸初期1615年創業の京都の老舗手ぬぐい・風呂敷専門店の「永楽屋」の手ぬぐいに特化した美術館で、江戸~現在までに残したデザインや染織技術など歴史的な資料を展示していて面白そう -
「五色の辻」 (三条室町交差点)
江戸時代1725年創業の呉服商「千切屋」(ちきりや)が大繁盛して、三条室町の辺りは千切屋百軒といって、千切屋一門の家々が並び、その壁が東南は赤、南西は黄、東北は青、西北は黒と白であったため「五色の辻」と呼ばれ、この情景を歌った吉井勇の歌碑が建っている 「洛中の 五色の辻に 家居して み祖の業を いまにつたふる」 -
「誉田屋源兵衛」(こんだや げんべえ)
ひと際目立つ町家は、江戸中期の創業から280年を超える、西陣帯の老舗「帯匠・誉田屋源兵衛」で、現在の10代目がユナイテッドアローズやコシノヒロコさん、建築家の隈研吾さんなどとコラボするなど、伝統を守りながら革新的な取組をし、例年「KYOTOGRAPHIE京都国際写真祭」の会場になっているという、奥座敷には苔むした美しい京町家の庭があるというので、是非見てみたい -
「黒主山の桜」(くろぬしやま)(後祭)
昔、黒主山の町家が建っていたと言われるこの場所に桜の木があり毎年花を咲かす、「黒主山」は六歌仙の一人「大伴黒主」(おおとものくろぬし)が、謡曲の中で桜の花を仰ぎ眺めている姿を主題にしている -
(2016.7撮影)祇園祭・後祭の「黒主山」
-
(2022.7撮影)「大伴黒主」は白髪の髷(まげ)を結い顔を上に向けて桜を眺める姿がリアルだが、生前の姿ではなく志賀明神の霊として現れたときの姿だという(寛政元年1789年作)
-
「登竜門・鯉山」(こいやま)の会所
山鉾の中で唯一人物でなく魚をテーマにしており、大きな鯉が立身出世の神として祀られ、 -
(2022.7撮影)会所では歴史を絶やさないよう、厳重に保管されている
-
(2022.7撮影)御神体は、鯉=素戔鳴尊で、鯉が滝を登り龍になるという「登竜門」の故事を表現している、鯉は左甚五郎作で、手前の鳥居と祠は素戔嗚尊を祀っており、、重要文化財に指定されたタペストリーは、16世紀にベルギーのブリュッセルで製作されたもので、ギリシャの叙事詩「イーリアス」のトロイア戦争の一場面を描いている
-
「永楽屋」(えいらくや)
1911年創業佃煮・和菓子を販売する京都の老舗 *手ぬぐい・風呂敷専門店の「永楽屋」とは関係ない -
「山伏山」(やまぶしやま)(前祭)
平安時代の僧・浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)が山伏の姿をして、地震で倒壊しようとする法観寺の塔「八坂の塔」を念力で戻した様子を主題とする、宵山には聖護院から山伏がやってきて会所前で祈祷を行い、自由に茅の輪潜りで厄払いをすることも出来る -
「山伏山」会所は、「㈱ふじや富宏商事・京都支店」となっており、調べると、会社は、安土桃山時代に近江商人の「冨田六右衛門」が会津から山形へ渡り、薬種商「冨士屋」として創業、その後山形と上方の間で薬種、紅花、米、織物、糸等の交易で商いを広げ、江戸時代に山形に冨士屋呉服店を開き現在に至るという、そしてたまたま京都支店が、「山伏山」保存会の建物内にあることから毎年協力している、というから凄いなと思う
-
「京都芸術センター」(明倫小学校跡)
平成5年(1993)明倫小学校が閉校になった後、京都市における芸術の総合的な振興を目指して、跡地と校舎を利用し、2000年4月に開設 -
「明倫小学校」(めいりんしょうがっこう)は、明治2年に開校し、江戸からの石門心学の道場「明倫舎」を校舎にあてたことから命名された、この学区は祇園祭の山鉾町が多いので建物の正面は祇園祭の山鉾を形どり、講堂、大広間、和室や階段の手すり、外壁の装飾、丸窓など多くの見所があり、2008年に西館・南館・北館・正門及び塀が国の登録有形文化財に登録された
-
改修はその姿をほぼそのまま残すようにされ、制作室、和室、ギャラリー、フリースペース、図書室、情報コーナーなどそのままの形で利用されている
-
運動場はテニスコートに
-
前田珈琲明倫店としてカフェもある
-
「大黒庵武野紹鷗邸跡」
武野紹鴎(1502~55)は,大黒庵・一閑と号した室町後期の茶人で、村田宗珠(1422~1502)から茶の湯を学び、四畳半の侘び茶をさらに簡素化した小座敷などを創作し、千利休(1522~91)の師として橋渡し役をはたした、この地は「菊水之井」と呼ばれた名水のあった地であり、紹鴎もそれを求めて24歳から36歳までこの地に住んだ -
「菊水鉾」(きくすいほこ)
室町時代の町内に古くからあった武野紹鷗の大黒庵邸内の井戸「菊水の井戸」に因んで名づけられ、菊水の井戸が茶人に使われたことから会所ではお茶席が開催される -
(2023.7撮影)山鉾の中では唯一の唐破風の豪華な屋根で、鉾頭には金色の菊の花、真木の中央「天王座」には老子と並ぶ長寿者として有名な彭祖像(ほうそぞう)を祀る、稚児人形は菊の露を飲んで長寿を保ったという枕慈童(まくらじどう)の能装束の舞姿、幕末に焼失して88年間休み鉾になり1952年に再建された比較的新しい鉾のため、友禅に絵画的手法を応用した染彩で知られる昭和の染色家・皆川月華が寄進した「孔雀草花図」が目を惹く、
-
「鉾の辻」(ほこのつじ)
室町通と交わる室町四条付近は室町時代から繁栄し、この地区を中心とする町ごとに趣向を凝らした山鉾を作るようになり、山鉾巡行の通りとなる四条室町は「鉾の辻」と呼ばれ、北側に菊水鉾、南側に鶏鉾、東側に函谷鉾と長刀鉾、西側に月鉾と5つの大きな鉾が見渡せる唯一の場所である -
四条通を渡ると「池坊短期大学」の先に「八橋検校道場の跡」石碑
「八橋検校」(やつはしけんぎょう1614~85)は、江戸初期の盲人の箏曲家で、「六段」の作曲家、49歳で京都のこの地に居をかまえ箏曲を教授した -
「鶏鉾」(にわとりほこ)の会所は「鶏鉾ビル」の中
「鶏鉾」は中国古代の伝説「諫鼓」(かんこ)、あるいは天の岩戸の長鳴鳥の故事にちなむとも伝わる、「諫鼓」とは中国神話上の皇帝「堯」(ぎょう)の時代に、宮廷の外に太鼓をすえ政治に不満があれば叩かせたが、平和過ぎて誰も不満がなく太鼓は苔が生えて鶏が巣を作ったという故事に因む -
(2023.7撮影)「鶏鉾」の鉾頭は紅白の三角枠の諌鼓(太鼓)の中に、銅の円板の鶏卵が挟まれており、真木の中央「天王座」には航海の神といわれる住吉明神を祀る、見送り(鉾の後ろ側)に用いられているのは、ホメロスの叙事詩「イリアス」トロイア戦争の場面「トロイア王子ヘクトールと妻子の別れ」を描いた16世紀にベルギーで作られたタペストリーで、日本現存最古のもので重要文化財に指定されている *江戸初期に輸入されて分割された一部で、他の部分は、錦小路通の「霰天神山」(あられてんじんやま)と滋賀県・長浜曳山祭「鳳凰」に分割されている、また「トロイの木馬」を描いたベルギー製タペストリーは、徳川時代オランダから日本に入り徳川家から三井本店を通じて3分割され祇園祭の「白楽天山」と大津祭の「月宮殿山」「龍門滝山」に使われている、というから歴史は深い!
-
ランチは「都野菜・賀茂」(綾小路通から烏丸通へ)
東洞院通まで少しズレたが、一度行ってみたかったので寄り道、10:00までのモーニングメニュー550円がお得だが、ランチもバイキングスタイルで950円 -
京都産の有機、無農薬の都野菜で、壬生菜、黒大根、黄人参、蕪、冬大根、水菜などを使ったおばんざい料理をバイキングスタイルで
-
スープも豊岡産蟹のビスクスープ、白菜とベーコンの和風スープ、鹿ケ谷特製ハヤシカレーなどメニュー豊富
-
今回は特別に、和牛ロースと野菜を詰め込んだ「和牛こぼれすき焼き」900円が美味しそうだったので追加注文で、食べ過ぎ!
-
「松本宗悟邸址」 (まつもとそうごていあと)
戦国時代1532~1555年に活躍した茶人で、村田珠光の門人で武野紹鷗の師匠とされ、歌人としても知られ、その邸宅跡を示す -
「白楽天山」(はくらくてんやま)
唐の詩人「白楽天」が道林禅師に仏法の大意を問いかけているシーンを表し、道林禅師は帽子(もうす)をかぶり手に数珠と払子(ほっす)を持ち松の枝の上に座し、白楽天は唐冠をかぶり笏(しゃく)を持って立っている -
「白楽天」から仏法の大意を問われた「道林禅師」か?「悪いこををせす?良いことをすること」と答えると、白楽天は「そんなことは子供て?も知っている」と言う、道林禅師は「その通りて?ある、しかし八十歳の翁て?も行い難いことて?はないか」と説かれ、白楽天は感服する、白楽天の求道心と悟りにあやかり、学問成就の御利益か?あるとされる
-
「繁昌神社」(はんじょうじんじゃ)
平安時代に藤原繁成の邸宅の功徳池(くどくいけ)に、安芸の宮島から市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)・田心姫命(たごりひめのみこと)・湍津姫命(たぎつひめのみこと)の宗像三女神をお祀りしたのが始まりで、江戸時代には功徳院と呼ばれていたが、神仏分離の際に班女神社(はんにょじんじゃ)と呼ばれていたが、いつしか訛って繁昌神社となったとされ、この周辺は「繁昌町」と呼ばれるようになった -
安芸の宮島、京都の神泉苑に祀られている弁財天と同体とされ、悪縁消滅、商売繁盛、良縁成就の御利益がある、商売繁昌も商売繁盛も意味は同じで、元々商売「繁昌」だったものが当用漢字への変更を機に「繁盛」になったという、ちなみに、大阪の上方落語寄席「天満天神繁昌亭」も「繁昌」が正しい
-
「旧成徳中学校」
「繫昌神社」の高辻通向かい側にあるのは、「旧成徳中学校」で、明治2年(1869)開校の下京第九番組小学校に始まり、昭和6年に旧成徳尋常小学校の校舎として建てられ、昭和23年から「成徳中学校」になり平成19年まで使用されたが、廃校となり現在は中学校が体育館とグランドを使用している、また早咲きの桜が人気で、これは入学式でなく卒業式を桜で送り出したいという気持ちからカンヒザクラとシナミザクラを交配して、3月に咲くように改良された「春めき」という品種だという -
旧館部分は「まちづくり大学」や「文化協会」などの団体が入居している
-
「軟式野球発祥の地」
正面には「成徳中学校跡地」「成徳小学校跡地」「栄養給食の先駆けの地」と「軟式野球発祥の地」の石碑が立っている、軟式野球は、大正8年(1919)にこの学校のグランドで軟式野球大会が初めて開催されたために建立された -
「五条室町」
「たかまつまんごじょう、、、」と唄われる、高辻通から松原通、万寿寺通、五条通までは一方通行の細い通りが続く -
「せったちゃらちゃら うおのたなろくじょう、、、」と唄われる、雪駄屋町通(せったやまち:楊梅通)、鍵屋町通(鍵の音:的場通)、銭屋町(銭の音)、魚の棚通(六条通)を過ぎると、花を売る店が多かったという「花屋町通」(はなやちょうどおり)の「東本願寺」に突き当たり、今回はここで終了
-
四条まで引き返す途中にあったカフェ「THE TERMINAL KYOTO」で休憩
-
カフェラテと麹入ケーキで1,020円
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
月一平安京散歩
-
前の旅行記
月一京町散歩(2月)平安京南北散歩「寺町通」
2024/02/24~
今出川・北大路・北野
-
次の旅行記
月一京町散歩(4月)平安京南北散歩「大宮通」
2024/04/12~
今出川・北大路・北野
-
月一京町散歩(1月)~岡崎神社(うさぎ神社)と琵琶湖疎水
2023/01/19~
下鴨・宝ヶ池・平安神宮
-
月一京町散歩(2月)~知恩院から円山公園
2023/02/16~
二条・烏丸・河原町
-
月一京町散歩(3月)平安京散歩「一条大路」
2023/03/09~
今出川・北大路・北野
-
月一京町散歩(4月)平安京散歩「二条大路」
2023/04/20~
二条・烏丸・河原町
-
月一京町散歩(5月)平安京散歩「三条大路」
2023/05/18~
東山・祇園・北白川
-
月一京都散歩(6月)旬の甘茶と沙羅双樹を特別公開「霊源院」~「東林院」
2023/06/15~
東山・祇園・北白川
-
月一京町散歩(7月)平安京散歩「四条大路」
2023/07/12~
東山・祇園・北白川
-
月一京町散歩(8月)平安京散歩「五条大路」
2023/08/17~
東山・祇園・北白川
-
月一京町散歩(9月)平安京散歩「六条大路」
2023/09/13~
東山・祇園・北白川
-
月一京都散歩(9月)ウェスティン都ホテル「葵殿庭園・佳水園庭園」~東寺「弘法市」
2023/09/21~
下鴨・宝ヶ池・平安神宮
-
月一京町散歩(10月)平安京散歩「七条大路」
2023/10/19~
東山・祇園・北白川
-
月一京町散歩(11月)平安京散歩「八条大路」
2023/11/05~
京都駅周辺
-
月一京町散歩(12月)平安京散歩「九条大路」
2023/12/02~
京都駅周辺
-
月一京町散歩(1月)は龍年初詣で開運アップ・東大路通「瀧尾神社」
2024/01/18~
東山・祇園・北白川
-
月一京町散歩(2月)平安京南北散歩「寺町通」
2024/02/24~
今出川・北大路・北野
-
月一京町散歩(3月)平安京南北散歩「室町通」
2024/03/16~
今出川・北大路・北野
-
月一京町散歩(4月)平安京南北散歩「大宮通」
2024/04/12~
今出川・北大路・北野
-
月一京町散歩(5月)平安京南北散歩「千本通」前半
2024/05/04~
今出川・北大路・北野
-
月一京町散歩(6月)平安京南北散歩「千本通」後半・鳥羽街道
2024/06/05~
伏見
-
月一京町散歩(7月)平安京南北散歩「新町通」
2024/07/03~
二条・烏丸・河原町
-
夏の京都「川床料理」と「みたらし祭」で暑気払い
2024/07/26~
二条・烏丸・河原町
-
月一京町散歩(8月)平安京南北散歩「麩屋町通」
2024/08/24~
二条・烏丸・河原町
-
月一京町散歩(9月)平安京南北散歩「高倉小路」
2024/09/12~
二条・烏丸・河原町
-
月一京町散歩(9月)京の夏の終わり旅「祇園閣」と「長楽館」
2024/09/19~
東山・祇園・北白川
-
月一京町散歩(10月)平安京南北散歩「油小路」(油小路通)
2024/10/11~
今出川・北大路・北野
-
月一京町散歩(11月)平安京南北散歩「小川通」と「天使突抜通」(東中筋通)
2024/11/03~
二条・烏丸・河原町
-
月一京町散歩(11月)紅葉の嵐山を人力車散歩
2024/11/20~
嵐山・嵯峨野・太秦・桂
-
月一京町散歩(12月~1月)平安京南北散歩「御前通」で紅葉と初詣
2024/12/05~
今出川・北大路・北野
-
新年蛇年の京都「初詣」と初庭園「對龍山荘」に初喰いの「わらじや」
2025/01/16~
東山・祇園・北白川
-
「京の冬の旅」特別公開・「西来院」と「祇園甲部歌舞練場」の庭園
2025/02/13~
東山・祇園・北白川
旅行記グループをもっと見る
この旅行記へのコメント (2)
-
- ElliEさん 2024/04/05 05:47:09
- 京都の隅々まで歩く気分
- Bachさん、はじめまして。
京都は好きで時々行きます。
散歩しているだけで、次々と歴史のスポットが現れて、楽しいですね。
以前Voicy で、「京都の通りを歩くシリーズ」をずっと聞いていました。
これはラジオみたいなものでそれなりに楽しんではいましたが、やっぱり写真があると もっとわかりやすいですね。
Bachさんは、ずっと京都に住んでいらっしゃるのでしょうか。
とてもお詳しいですね。
これからもこのシリーズ見せていただきたいので、フォローさせていただきますね。
よろしくお願いします。
ElliEでした
- Bachさん からの返信 2024/04/05 13:58:39
- RE: 京都の隅々まで歩く気分
- ElliEさん、ありがとうございます。
行ってみたいけど未だ行ってない憧れのバンクーバーからコメントを頂くとはビックリです。コロナから海外へ行くこともなくなったので、羨ましい限りです。
私は京都生まれではないですが、50年以上京都に住んでいるものの、奥が深すぎてあまりにも京都を知らなかったので、定年後の余暇に任せて健康も兼ねて歩き周ることにしており、歴史好き、写真好き、庭園好きにとっては絶好の場所に住んでいると思っています。
ところが、ElliEさんの旅行記で「コーヒーショップKurasu」を見て、マークはしていたが未だ行ってないことに気づいて、まだまだ先は長いなと思う次第です。今月「大宮通」を歩く予定なので、この通り沿いにある「Kurasu西陣」に立ち寄ってみます。また鞍馬通りにある「さらさ西陣」はたまたま入ったら番台があったので店員さんに確認したらロケ地にもなったと聞いて知った所で、こういうところを御存知なのは流石京都好きだと感心しました。
逆に教えて欲しいくらいですが、またご来訪の折に奥深い京都の情報が必要な時は御一報ください。
> Bachさん、はじめまして。>
> 京都は好きで時々行きます。
> 散歩しているだけで、次々と歴史のスポットが現れて、楽しいですね。>
> 以前Voicy で、「京都の通りを歩くシリーズ」をずっと聞いていました。
> これはラジオみたいなものでそれなりに楽しんではいましたが、やっぱり写真があると もっとわかりやすいですね。
> Bachさんは、ずっと京都に住んでいらっしゃるのでしょうか。
> とてもお詳しいですね。>
> これからもこのシリーズ見せていただきたいので、フォローさせていただきますね。
> よろしくお願いします。>
> ElliEでした
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
今出川・北大路・北野(京都) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 月一平安京散歩
2
103