二条・烏丸・河原町旅行記(ブログ) 一覧に戻る
京都の7月は例年通り、祇園祭の前祭と後祭の間の21日に梅雨明けになり、一気に蒸し暑さは増し、この日の気温は何と38℃、それでも暑さを吹っ飛ばそうと、久しぶりの友人夫婦と「鴨川の川床」と「下鴨神社みたらし祭」に行ってきました。<br />「川床」は酷暑の外での食事は無理だろうと思いながら、「みたらし祭」はテレビでも放映していたので混雑するだろうと心配しながら出かけましたが、それ以上に満足する内容で、帰りには「三井家下鴨別邸」でキキョウを愛でながらお茶を頂くというオマケもついて、まだまだ続く酷暑を乗り切れそうな楽しい暑気払いになりました。<br />「川床」はテレビドラマでもよく使われる三条木屋町の老舗料亭「梅むら」、「みたらし祭」(御手洗祭)は下鴨神社の平安の貴族から続いている禊祓い(みそぎはらい)、「三井家下鴨別邸」は2回目の訪問ですがキキョウとサルスベリが満開で前回とは全く雰囲気の違う夏庭園で、やはり名所は四季の年4回は見ないと良さは分からないなと、改めて思った訪問でした。

夏の京都「川床料理」と「みたらし祭」で暑気払い

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2024/07/26 - 2024/07/26

1383位(同エリア4353件中)

旅行記グループ 月一平安京散歩

1

83

Bach

Bachさん

京都の7月は例年通り、祇園祭の前祭と後祭の間の21日に梅雨明けになり、一気に蒸し暑さは増し、この日の気温は何と38℃、それでも暑さを吹っ飛ばそうと、久しぶりの友人夫婦と「鴨川の川床」と「下鴨神社みたらし祭」に行ってきました。
「川床」は酷暑の外での食事は無理だろうと思いながら、「みたらし祭」はテレビでも放映していたので混雑するだろうと心配しながら出かけましたが、それ以上に満足する内容で、帰りには「三井家下鴨別邸」でキキョウを愛でながらお茶を頂くというオマケもついて、まだまだ続く酷暑を乗り切れそうな楽しい暑気払いになりました。
「川床」はテレビドラマでもよく使われる三条木屋町の老舗料亭「梅むら」、「みたらし祭」(御手洗祭)は下鴨神社の平安の貴族から続いている禊祓い(みそぎはらい)、「三井家下鴨別邸」は2回目の訪問ですがキキョウとサルスベリが満開で前回とは全く雰囲気の違う夏庭園で、やはり名所は四季の年4回は見ないと良さは分からないなと、改めて思った訪問でした。

  • 高瀬川沿いに木屋町通を歩いて「梅むら」へ<br />本日のコースは、11:30京阪三条駅~木屋町通~400m11:50「梅むら」~14:00(タクシー)4km下鴨神社~300m御手洗社~900m15:00三井家下鴨別邸~300m16:00京阪出町柳駅

    高瀬川沿いに木屋町通を歩いて「梅むら」へ
    本日のコースは、11:30京阪三条駅~木屋町通~400m11:50「梅むら」~14:00(タクシー)4km下鴨神社~300m御手洗社~900m15:00三井家下鴨別邸~300m16:00京阪出町柳駅

  • 三条木屋町の京料理「梅むら」<br />明治の宰相・伊藤博文(1841-1909〉が常宿にしていた料理旅館で、昔から多くの文人や俳優が通い、90近くある「鴨川川床」店の中でも代表的な老舗の京料理店

    三条木屋町の京料理「梅むら」
    明治の宰相・伊藤博文(1841-1909〉が常宿にしていた料理旅館で、昔から多くの文人や俳優が通い、90近くある「鴨川川床」店の中でも代表的な老舗の京料理店

  • まさにウナギの寝床で、一見して歴史のありそうな板戸をくぐり、杉皮塀(すぎかわべい)と水が打たれて涼しげな玉竜(たまりゅう)の緑と石畳が続く細い露地を、奥に進むと玄関の格子戸にたどり着く<br />

    まさにウナギの寝床で、一見して歴史のありそうな板戸をくぐり、杉皮塀(すぎかわべい)と水が打たれて涼しげな玉竜(たまりゅう)の緑と石畳が続く細い露地を、奥に進むと玄関の格子戸にたどり着く

  • 予約時間よりも少し早かったが、快く案内してくれた<br />川床期間は、5月1日~9月30日、営業時間は、11:30~14:00、17:00~22:00、予算は昼7,000円~、夜15,000円~<br />

    予約時間よりも少し早かったが、快く案内してくれた
    川床期間は、5月1日~9月30日、営業時間は、11:30~14:00、17:00~22:00、予算は昼7,000円~、夜15,000円~

  • 明治時代の匂いがする玄関衝立<br />テレビドラマによく使われているので見ることが多く、おみやさん、タクシードライバーの推理日誌(渡瀬恒彦)、科捜研の女(沢口靖)、おかしな刑事(伊東四朗)、ドクター彦次郎(寺島進)、京都殺人案内(藤田まこと)など、過去には東映松竹の撮影が多かったので、森繁、勝新、山田五十鈴、杉村春子などもよく利用されていたらしい

    明治時代の匂いがする玄関衝立
    テレビドラマによく使われているので見ることが多く、おみやさん、タクシードライバーの推理日誌(渡瀬恒彦)、科捜研の女(沢口靖)、おかしな刑事(伊東四朗)、ドクター彦次郎(寺島進)、京都殺人案内(藤田まこと)など、過去には東映松竹の撮影が多かったので、森繁、勝新、山田五十鈴、杉村春子などもよく利用されていたらしい

  • 「中庭」を見ながらさらに奥に進む<br />御主人が元相撲取りで、名物「ちゃんこ鍋」もあり、毎年5月の「床開き」には、お相撲さんも多数訪れるらしい

    「中庭」を見ながらさらに奥に進む
    御主人が元相撲取りで、名物「ちゃんこ鍋」もあり、毎年5月の「床開き」には、お相撲さんも多数訪れるらしい

  • 突き当りの部屋の奥が「川床」桟敷で、案内されたのは左手の部屋、狭そうに見えるが2階もあり、全座席数は60席はあるらしい

    突き当りの部屋の奥が「川床」桟敷で、案内されたのは左手の部屋、狭そうに見えるが2階もあり、全座席数は60席はあるらしい

  • 食事は突然の雨でも対応できるように、部屋と川床の両方用意されているので有難い

    食事は突然の雨でも対応できるように、部屋と川床の両方用意されているので有難い

  • 部屋の前の庭越しに外の「川床」に出てみる<br />

    部屋の前の庭越しに外の「川床」に出てみる

  • 川床に出ると、上空にすだれが設置されて、直射日光は回避するようにしているが、流石に暑すぎてとても食事出来そうにない

    川床に出ると、上空にすだれが設置されて、直射日光は回避するようにしているが、流石に暑すぎてとても食事出来そうにない

  • 「鴨川床」の歴史<br />京都の鴨川で涼を取る習慣は平安時代からあったが、現在の原型は豊臣秀吉が天下統一し、三条や五条橋の架け替えが行われた頃に、鴨川沿いは祇園や先斗町と共に歓楽街になり、裕福な商人が宴席のために河原に床几を置いたのが始まりで、江戸中期には400軒もの茶屋が並び夕涼みスポットとして賑わい、明治になって一時衰退したが戦後また復活し、京の奥座敷とも呼ばれる「貴船」や「高雄」「鷹ヶ峯」でも始まった。ちなみに「鴨川床」は川から高い位置に床があるので「かわゆか」と言い、川のすぐ上に床がある「貴船」などは「かわどこ」と言う

    「鴨川床」の歴史
    京都の鴨川で涼を取る習慣は平安時代からあったが、現在の原型は豊臣秀吉が天下統一し、三条や五条橋の架け替えが行われた頃に、鴨川沿いは祇園や先斗町と共に歓楽街になり、裕福な商人が宴席のために河原に床几を置いたのが始まりで、江戸中期には400軒もの茶屋が並び夕涼みスポットとして賑わい、明治になって一時衰退したが戦後また復活し、京の奥座敷とも呼ばれる「貴船」や「高雄」「鷹ヶ峯」でも始まった。ちなみに「鴨川床」は川から高い位置に床があるので「かわゆか」と言い、川のすぐ上に床がある「貴船」などは「かわどこ」と言う

  • 「川床」の下は「禊川」(みそそぎ川)と遊歩道<br />「川床」の下を流れる「禊川」は、大正時代に川床の営業を行う茶屋からの、鴨川と川床の距離が離れているので川を通して欲しい、との要望により造られたもので、二条大橋から五条大橋までの間に90店ほどの「川床」が並ぶ、「禊川」は、琵琶湖疎水から平安神宮前を流れる夷川(えびすがわ)が鴨川に合流する辺りの西岸から分流し、さらに二条大橋を過ぎた辺りから分流する「高瀬川」と共に、鴨川と並行して流れた後、また五条大橋付近で合流する

    「川床」の下は「禊川」(みそそぎ川)と遊歩道
    「川床」の下を流れる「禊川」は、大正時代に川床の営業を行う茶屋からの、鴨川と川床の距離が離れているので川を通して欲しい、との要望により造られたもので、二条大橋から五条大橋までの間に90店ほどの「川床」が並ぶ、「禊川」は、琵琶湖疎水から平安神宮前を流れる夷川(えびすがわ)が鴨川に合流する辺りの西岸から分流し、さらに二条大橋を過ぎた辺りから分流する「高瀬川」と共に、鴨川と並行して流れた後、また五条大橋付近で合流する

  • 正面に「大文字」<br />鴨川の二条と三条大橋の間に架かる「御池大橋」の向こうは「大文字山」、左手は「比叡山」、8月16日は「五山の送り火」で予約完売という

    正面に「大文字」
    鴨川の二条と三条大橋の間に架かる「御池大橋」の向こうは「大文字山」、左手は「比叡山」、8月16日は「五山の送り火」で予約完売という

  • 予想通り、今回は冷房の効いた部屋での食事に切り替える

    予想通り、今回は冷房の効いた部屋での食事に切り替える

  • 昼の「鴨川御膳」<br />「先付け」に、ヒラメの薄造り、鱧の落とし(湯通し)、中トロ、ハマチ、鯛などの造りと赤こんにゃく

    昼の「鴨川御膳」
    「先付け」に、ヒラメの薄造り、鱧の落とし(湯通し)、中トロ、ハマチ、鯛などの造りと赤こんにゃく

  • 次に「八寸」<br />箱に入った約20種の旬の食材を使った色とりどりの京料理で、賀茂茄子の炊き合わせ、海老やゴボウの天ぷら、湯葉、田楽、鴨ロース等々、説明があったが全部美味しい

    次に「八寸」
    箱に入った約20種の旬の食材を使った色とりどりの京料理で、賀茂茄子の炊き合わせ、海老やゴボウの天ぷら、湯葉、田楽、鴨ロース等々、説明があったが全部美味しい

  • 「鱧」(はも)<br />祇園祭は別名「鱧祭り」とも言われ、夏の京都には欠かせない魚として重宝されており、先月歩いた「鳥羽街道」は「鱧(はも)海道」とも呼ばれ、(若狭からの「鯖(さば)街道」が生命力が弱い鯖を塩漬けして運んだのに対し)生命力の強い鱧を生きたまま四国・和歌山方面から京都まで運び、京都人は淡泊ながらタンパク質が豊富で栄養価の高い鱧料理を楽しんだという *夏バテ防止に効くと言われる「ウナギ」と「ハモ」はよく似ているが、一番の違いはウナギは川の魚に対し、ハモは海の魚で鋭い歯が印象的、顔はいかついが味はサッパリ

    「鱧」(はも)
    祇園祭は別名「鱧祭り」とも言われ、夏の京都には欠かせない魚として重宝されており、先月歩いた「鳥羽街道」は「鱧(はも)海道」とも呼ばれ、(若狭からの「鯖(さば)街道」が生命力が弱い鯖を塩漬けして運んだのに対し)生命力の強い鱧を生きたまま四国・和歌山方面から京都まで運び、京都人は淡泊ながらタンパク質が豊富で栄養価の高い鱧料理を楽しんだという *夏バテ防止に効くと言われる「ウナギ」と「ハモ」はよく似ているが、一番の違いはウナギは川の魚に対し、ハモは海の魚で鋭い歯が印象的、顔はいかついが味はサッパリ

  • 小鍋仕立ての「鱧しゃぶ」

    小鍋仕立ての「鱧しゃぶ」

  • 「鱧しゃぶ」のスープと香の物で「かまど炊き立てご飯」

    「鱧しゃぶ」のスープと香の物で「かまど炊き立てご飯」

  • デザートは、わらび餅とアイスクリーム

    デザートは、わらび餅とアイスクリーム

  • 「下鴨神社」へ移動<br />暑いので、タクシーを呼んでもらって川端通沿いに「下鴨神社」へ

    「下鴨神社」へ移動
    暑いので、タクシーを呼んでもらって川端通沿いに「下鴨神社」へ

  • 「加茂みたらし茶屋」<br />タクシーで降りたところが「みたらし団子」発祥の地と言われる創業1922年の老舗茶屋、「みたらし団子」は「葵祭」や「みたらし祭」のときに神前のお供え物として作られたのが始まりで、これから行く下鴨神社境内の「御手洗池」(みたらしいけ)に吹き上がる水泡をかたどった門前菓子

    「加茂みたらし茶屋」
    タクシーで降りたところが「みたらし団子」発祥の地と言われる創業1922年の老舗茶屋、「みたらし団子」は「葵祭」や「みたらし祭」のときに神前のお供え物として作られたのが始まりで、これから行く下鴨神社境内の「御手洗池」(みたらしいけ)に吹き上がる水泡をかたどった門前菓子

  • 帰りに立ち寄ろうと思っていたが、物凄い行列で、この暑さでは無理!<br />「みたらし団子」は、5つの団子を串に挿しているが、起源は鎌倉時代に後醍醐天皇が行幸の際「御手洗池」(みたらしいけ)で水を掬おうとしたところ大きな泡が1つ出てきて、続いて4つの泡が出てきたという逸話による説と、人間の体に見立てて一番上は頭で残りの4個は4肢にして境内で売ったら名物となったという説があり、また江戸時代には5文で売られたのが、四文銭が出来てから団子の数は4個になり、関東のみたらし団子は4個になったとか、岐阜高山のみたらし団子は「祇園祭」が「高山祭」に伝わったのと同じ頃に伝わったので「醤油味」だが、「甘ダレ味」のみたらし団子は「加茂みたらし茶屋」の店主が大正時代に考案したから、高山とは違うという話もある

    帰りに立ち寄ろうと思っていたが、物凄い行列で、この暑さでは無理!
    「みたらし団子」は、5つの団子を串に挿しているが、起源は鎌倉時代に後醍醐天皇が行幸の際「御手洗池」(みたらしいけ)で水を掬おうとしたところ大きな泡が1つ出てきて、続いて4つの泡が出てきたという逸話による説と、人間の体に見立てて一番上は頭で残りの4個は4肢にして境内で売ったら名物となったという説があり、また江戸時代には5文で売られたのが、四文銭が出来てから団子の数は4個になり、関東のみたらし団子は4個になったとか、岐阜高山のみたらし団子は「祇園祭」が「高山祭」に伝わったのと同じ頃に伝わったので「醤油味」だが、「甘ダレ味」のみたらし団子は「加茂みたらし茶屋」の店主が大正時代に考案したから、高山とは違うという話もある

  • 「みたらしまつり」(御手洗祭)<br />毎年「土用の丑(うし)の日」の前後10日間に行われ、通称「足つけ神事」とも言われる、今年は7月19日(金)~28日(日)の午前9時~午後8時、ちなみに「土用の丑の日」は、立春、立夏、立秋、立冬へ移る季節の変わり目の約18日間の「土用」の期間中の「丑の日」で今夏は7月24日と8月5日の2回あるが、通常は1回だけ

    「みたらしまつり」(御手洗祭)
    毎年「土用の丑(うし)の日」の前後10日間に行われ、通称「足つけ神事」とも言われる、今年は7月19日(金)~28日(日)の午前9時~午後8時、ちなみに「土用の丑の日」は、立春、立夏、立秋、立冬へ移る季節の変わり目の約18日間の「土用」の期間中の「丑の日」で今夏は7月24日と8月5日の2回あるが、通常は1回だけ

  • 「下鴨神社」西参道入り口<br />正式名は「賀茂御祖神社」(かもみおやじんじゃ)、「上賀茂神社」とあわせて総称「賀茂社」で、上賀茂神社の正式名は「賀茂別雷神社」(かもわけいかづちじんじゃ)、「上賀茂」と「下鴨」は「かも」の漢字が違う(ちなみに先程の茶屋は「加茂」みたらし茶屋)が、これは、もともと「賀茂社」は平安遷都前から住み着いていた「賀茂氏」の氏神で、本来は「賀茂」と書かれていたが、何故こうなったかは時期不明、全国にある約1000社の末社も「賀茂」「加茂」「鴨」といろいろ<br />

    「下鴨神社」西参道入り口
    正式名は「賀茂御祖神社」(かもみおやじんじゃ)、「上賀茂神社」とあわせて総称「賀茂社」で、上賀茂神社の正式名は「賀茂別雷神社」(かもわけいかづちじんじゃ)、「上賀茂」と「下鴨」は「かも」の漢字が違う(ちなみに先程の茶屋は「加茂」みたらし茶屋)が、これは、もともと「賀茂社」は平安遷都前から住み着いていた「賀茂氏」の氏神で、本来は「賀茂」と書かれていたが、何故こうなったかは時期不明、全国にある約1000社の末社も「賀茂」「加茂」「鴨」といろいろ

  • 「世界遺産」<br />京都の世界遺産は17、上賀茂神社、下鴨神社、東寺、清水寺、延暦寺、醍醐寺、仁和寺、平等院、宇治上神社、高山寺、天龍寺、龍安寺、本願寺、二条城、金閣寺、銀閣寺、西芳寺(苔寺)*本願寺は西本願寺のみ、東本願寺は殆ど明治時代再建のため入らない<br />

    「世界遺産」
    京都の世界遺産は17、上賀茂神社、下鴨神社、東寺、清水寺、延暦寺、醍醐寺、仁和寺、平等院、宇治上神社、高山寺、天龍寺、龍安寺、本願寺、二条城、金閣寺、銀閣寺、西芳寺(苔寺)*本願寺は西本願寺のみ、東本願寺は殆ど明治時代再建のため入らない

  • 境内末社「愛宕社」(おたぎのやしろ)、「稲荷社」<br />「愛宕社」は古く近くにあった賀茂斎院御所の守護神として、「稲荷社」は賀茂斎院御所内の忌子女庁屋(いんこのめちょうや)の守護神として御所に祀られていたものを相殿として祀る

    境内末社「愛宕社」(おたぎのやしろ)、「稲荷社」
    「愛宕社」は古く近くにあった賀茂斎院御所の守護神として、「稲荷社」は賀茂斎院御所内の忌子女庁屋(いんこのめちょうや)の守護神として御所に祀られていたものを相殿として祀る

  • 境内末社「印納社」(いんのうのやしろ)<br />使わなくなった印鑑を奉納するお社で、毎年10月1日の「印章の日」には全国の印章業界で古い印鑑を納める祈願祭が行われる、本殿脇に印鑑・契約守護の神様を祀る「印璽社」(おしでのやしろ)があり、古くから「印」は宮廷や社寺において貴重な存在として扱われ、次第に神格化されていった

    境内末社「印納社」(いんのうのやしろ)
    使わなくなった印鑑を奉納するお社で、毎年10月1日の「印章の日」には全国の印章業界で古い印鑑を納める祈願祭が行われる、本殿脇に印鑑・契約守護の神様を祀る「印璽社」(おしでのやしろ)があり、古くから「印」は宮廷や社寺において貴重な存在として扱われ、次第に神格化されていった

  • 「御手洗・三本杉」(手水舎)<br />「糺の森」の三本杉から湧き出る神水で、干ばつの際に人々の生活や田畑を潤していたとの逸話を持つ、楼門前の「御手洗・直澄」(ただす)は舟形をしていて「糺」の語源という

    「御手洗・三本杉」(手水舎)
    「糺の森」の三本杉から湧き出る神水で、干ばつの際に人々の生活や田畑を潤していたとの逸話を持つ、楼門前の「御手洗・直澄」(ただす)は舟形をしていて「糺」の語源という

  • 「大炊殿氷室」(おおいどのひむろ)<br />平安時代の貴族にとって氷は贅沢品で特別な存在で、当初奈良の「氷室神社」から運んで朝廷に献上していた氷の貯蔵庫「氷室」を、鷹峯の山奥の「氷室神社」など京都にも何か所か造り、これを管理していたのが「下鴨神社」で、毎年氷を宮中に献上し無病息災を祈願してお祓いをする「氷室神事」が行なわれていて、戦時中は防空壕として使用され長らく放置されていたが、最近2022年になって下鴨神社の古儀の復興の一環として再現された、糺の森の中にある茶店「さるや」で「鴨の氷室の氷」のかき氷が味わえる、ちなみに「夏越祓」(なごしのはらえ)で食べる「水無月」(みなづき)は、氷が庶民の手には届かなかったので白い外郎(ういろう)を氷に見立てて作ったもの

    「大炊殿氷室」(おおいどのひむろ)
    平安時代の貴族にとって氷は贅沢品で特別な存在で、当初奈良の「氷室神社」から運んで朝廷に献上していた氷の貯蔵庫「氷室」を、鷹峯の山奥の「氷室神社」など京都にも何か所か造り、これを管理していたのが「下鴨神社」で、毎年氷を宮中に献上し無病息災を祈願してお祓いをする「氷室神事」が行なわれていて、戦時中は防空壕として使用され長らく放置されていたが、最近2022年になって下鴨神社の古儀の復興の一環として再現された、糺の森の中にある茶店「さるや」で「鴨の氷室の氷」のかき氷が味わえる、ちなみに「夏越祓」(なごしのはらえ)で食べる「水無月」(みなづき)は、氷が庶民の手には届かなかったので白い外郎(ういろう)を氷に見立てて作ったもの

  • 「大炊殿」(おおいどの)<br />神様へのお供えもの「神饌」(しんせん)のうち穀物類を調理していた施設で、応仁の乱で焼失したが江戸時代1629年に再建された、大炊殿の庭には二葉葵が自生し「葵の庭、カリンの庭」と呼ばれ、葵祭で使用される唐車なども展示されているが、ちゃんと見てないので次の機会にしたい

    「大炊殿」(おおいどの)
    神様へのお供えもの「神饌」(しんせん)のうち穀物類を調理していた施設で、応仁の乱で焼失したが江戸時代1629年に再建された、大炊殿の庭には二葉葵が自生し「葵の庭、カリンの庭」と呼ばれ、葵祭で使用される唐車なども展示されているが、ちゃんと見てないので次の機会にしたい

  • 境内末社「相生社」(あいおいのやしろ)<br />「神皇産霊神」(かみむすびのかみ)を祀り、良縁・縁結びの神として信仰を集める、老頭児(ろーとる)としては「相老社」として、老夫婦が仲良く連れ添って長命であることを祈願する

    境内末社「相生社」(あいおいのやしろ)
    「神皇産霊神」(かみむすびのかみ)を祀り、良縁・縁結びの神として信仰を集める、老頭児(ろーとる)としては「相老社」として、老夫婦が仲良く連れ添って長命であることを祈願する

  • 「楼門」(ろうもん)<br />江戸時代1628年、式年遷宮で造替えたもので、高さ13m、東西に廻廊(かいろう)があり、西廻廊の「剣の間」(けんのま)は、「葵祭」(賀茂祭)の際に勅使が剣を解かれる間<br />

    「楼門」(ろうもん)
    江戸時代1628年、式年遷宮で造替えたもので、高さ13m、東西に廻廊(かいろう)があり、西廻廊の「剣の間」(けんのま)は、「葵祭」(賀茂祭)の際に勅使が剣を解かれる間

  • 「式年遷宮」<br />20年に一度の伊勢神宮と同様、賀茂社両社とも21年ごとに「式年遷宮」を行い、社殿を造り替え(修復)、御装束や御神宝を新調して、御祭神を新宮にお遷しする、平安時代の1036年に始まり、最近では2015年、次回は2036年で既に昨年2023年から本殿2棟の屋根葺替えなど45棟の社殿の修理と「糺の森」の整備など十余年がかりの大事業が始まっている

    「式年遷宮」
    20年に一度の伊勢神宮と同様、賀茂社両社とも21年ごとに「式年遷宮」を行い、社殿を造り替え(修復)、御装束や御神宝を新調して、御祭神を新宮にお遷しする、平安時代の1036年に始まり、最近では2015年、次回は2036年で既に昨年2023年から本殿2棟の屋根葺替えなど45棟の社殿の修理と「糺の森」の整備など十余年がかりの大事業が始まっている

  • 「舞殿」(まいどの)<br />楼門をくぐると正面にあり、葵祭の時、勅使が「御祭文」(ごさいもん)を奏上し、舞曲「東遊」(あずまあそび)が奉納される、「御祭文」(天皇の祭事の御文)の用紙は、伊勢神宮が縹(はなだ)色(薄青)、賀茂社は紅(くれない)色、石清水八幡宮は黄色と定められているという

    「舞殿」(まいどの)
    楼門をくぐると正面にあり、葵祭の時、勅使が「御祭文」(ごさいもん)を奏上し、舞曲「東遊」(あずまあそび)が奉納される、「御祭文」(天皇の祭事の御文)の用紙は、伊勢神宮が縹(はなだ)色(薄青)、賀茂社は紅(くれない)色、石清水八幡宮は黄色と定められているという

  • 「中門」(ちゅうもん)<br />左右に雅楽を奏した楽屋(がくのや)があり、葵祭や遷宮の際の宮司、神官の座になる

    「中門」(ちゅうもん)
    左右に雅楽を奏した楽屋(がくのや)があり、葵祭や遷宮の際の宮司、神官の座になる

  • 「本殿」(ほんでん)<br />東本殿に玉依姫命(たまよりひめのみこと)、西本殿に玉依姫命の父・賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が祀られている、玉依姫命は「上賀茂神社」(賀茂別雷神社)(かもわけいかづちじんじゃ)の祭神「賀茂別雷命」(かもわけいかづちのおおかみ)の母、賀茂建角身命は祖父であることから「賀茂御祖神社」(かもみおやじんじゃ)と呼ばれる、平安遷都以前には既に賀茂神の祟(たた)りを鎮める祭りとして「賀茂祭」(葵祭)が始まり、両賀茂に分かれていたが(賀茂氏の強大化を恐れたと言われるが不明)、平安京になっても2つの賀茂神社は王城鎮護の神社として尊崇を受けるようになり、賀茂神社の神事では未婚の皇女が斎王(さいおう)として奉仕することが慣例化され、賀茂祭での斎王の華やかな行列は「源氏物語」でも大勢の見物人で賑わったことが描写されている、ちなみに「賀茂祭」が「葵祭」と呼ばれるようになったのは、江戸時代になってからで、牛車(ぎっしゃ)や勅使(ちょくし)など全ゆるものが葵の葉で飾られたことから、ちなみに過去は上賀茂が親社であったが、現在は下鴨が親社、葵祭は御所を出発して下鴨神社から上賀茂神社のルート

    「本殿」(ほんでん)
    東本殿に玉依姫命(たまよりひめのみこと)、西本殿に玉依姫命の父・賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が祀られている、玉依姫命は「上賀茂神社」(賀茂別雷神社)(かもわけいかづちじんじゃ)の祭神「賀茂別雷命」(かもわけいかづちのおおかみ)の母、賀茂建角身命は祖父であることから「賀茂御祖神社」(かもみおやじんじゃ)と呼ばれる、平安遷都以前には既に賀茂神の祟(たた)りを鎮める祭りとして「賀茂祭」(葵祭)が始まり、両賀茂に分かれていたが(賀茂氏の強大化を恐れたと言われるが不明)、平安京になっても2つの賀茂神社は王城鎮護の神社として尊崇を受けるようになり、賀茂神社の神事では未婚の皇女が斎王(さいおう)として奉仕することが慣例化され、賀茂祭での斎王の華やかな行列は「源氏物語」でも大勢の見物人で賑わったことが描写されている、ちなみに「賀茂祭」が「葵祭」と呼ばれるようになったのは、江戸時代になってからで、牛車(ぎっしゃ)や勅使(ちょくし)など全ゆるものが葵の葉で飾られたことから、ちなみに過去は上賀茂が親社であったが、現在は下鴨が親社、葵祭は御所を出発して下鴨神社から上賀茂神社のルート

  • 「本殿拝所」<br />祭神の「賀茂建角身命」(かもたけつぬみのみこと)は、八咫烏(やたがらす)に化身して、初代天皇・神武天皇が大和(やまと)へ遠征した際に道案内をしたと伝わることから、厄除けや交通安全の御利益があり、娘の「玉依姫命」(たまよりひめのみこと)は、上賀茂神社の祭神・賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)の母であることから、安産や子育ての神様とされる<br />

    「本殿拝所」
    祭神の「賀茂建角身命」(かもたけつぬみのみこと)は、八咫烏(やたがらす)に化身して、初代天皇・神武天皇が大和(やまと)へ遠征した際に道案内をしたと伝わることから、厄除けや交通安全の御利益があり、娘の「玉依姫命」(たまよりひめのみこと)は、上賀茂神社の祭神・賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)の母であることから、安産や子育ての神様とされる

  • 「言社」(ことしゃ)<br />本殿の前にあり、十二支の守り神を祀る7社で、1629年の式年遷宮の際にお祀りされた、すべて大国主命(おおくにぬしのみこと)の異なる呼び名を、干支に対応させており、大物主神(おおものぬしのかみ)、大国主神(おおくにぬしのかみ)、大国魂神(おおくにたまのかみ)、顥國魂神(うつしくにたまのかみ)、志固男神(しこおのかみ)、大己貴神(おおなむちのかみ)、八干矛神(やちほこのかみ)の7神

    「言社」(ことしゃ)
    本殿の前にあり、十二支の守り神を祀る7社で、1629年の式年遷宮の際にお祀りされた、すべて大国主命(おおくにぬしのみこと)の異なる呼び名を、干支に対応させており、大物主神(おおものぬしのかみ)、大国主神(おおくにぬしのかみ)、大国魂神(おおくにたまのかみ)、顥國魂神(うつしくにたまのかみ)、志固男神(しこおのかみ)、大己貴神(おおなむちのかみ)、八干矛神(やちほこのかみ)の7神

  • 「二言社」(にのことしゃ)<br />大物主神(おおものぬしのかみ)丑・亥年生まれの守護、大国主神(おおくにぬしのかみ)子年生まれの守護

    「二言社」(にのことしゃ)
    大物主神(おおものぬしのかみ)丑・亥年生まれの守護、大国主神(おおくにぬしのかみ)子年生まれの守護

  • 「一言社」(いちのことしゃ)<br />大国魂神(おおくにたまのかみ)巳・未年生まれの守護

    「一言社」(いちのことしゃ)
    大国魂神(おおくにたまのかみ)巳・未年生まれの守護

  • 「一言社」(いちのことしゃ)<br />顥國魂神(うつしくにたまのかみ)午年生まれの守護

    「一言社」(いちのことしゃ)
    顥國魂神(うつしくにたまのかみ)午年生まれの守護

  • 「三言社」(さんのことしゃ)<br />志固男神(しこおのかみ)卯・酉年生まれの守護、大己貴神(おおなむちのかみ)虎・戌年生まれの守護、八干矛神(やちほこのかみ)辰・申年生まれの守護

    「三言社」(さんのことしゃ)
    志固男神(しこおのかみ)卯・酉年生まれの守護、大己貴神(おおなむちのかみ)虎・戌年生まれの守護、八干矛神(やちほこのかみ)辰・申年生まれの守護

  • 「みたらし祭」<br />平安時代の貴族文化に始まった「足つけ神事」で、季節の変わり目の「土用の丑の日」には「御手洗池」から清水が湧き出し、この日に池の水に足を浸すと、罪や穢れを祓い、疫病にも効き目がある、といわれていたのが庶民にも伝わり、毎年行われるようになった、北野天満宮でも最近2016年から復興し、8月7日七夕会とともに開催される

    「みたらし祭」
    平安時代の貴族文化に始まった「足つけ神事」で、季節の変わり目の「土用の丑の日」には「御手洗池」から清水が湧き出し、この日に池の水に足を浸すと、罪や穢れを祓い、疫病にも効き目がある、といわれていたのが庶民にも伝わり、毎年行われるようになった、北野天満宮でも最近2016年から復興し、8月7日七夕会とともに開催される

  • 「輪橋」(そりはし)<br />奥の「御手洗社」(みたらししゃ)の真下に井戸があり、その湧水が社前の「御手洗池」(みたらしいけ)となり「御手洗川」(みたらしがわ)となって流れ出す地点に美しい朱塗りの太鼓橋が架かり、その前に鳥居が立ち、人が立ち入れないように常に注連縄(しめなわ)が張られて「神のための橋」であることを示している、しかしこの橋は「渡れないが、くぐることはできる橋」として親しまれ、「みたらし祭」ではこの橋をくぐる

    「輪橋」(そりはし)
    奥の「御手洗社」(みたらししゃ)の真下に井戸があり、その湧水が社前の「御手洗池」(みたらしいけ)となり「御手洗川」(みたらしがわ)となって流れ出す地点に美しい朱塗りの太鼓橋が架かり、その前に鳥居が立ち、人が立ち入れないように常に注連縄(しめなわ)が張られて「神のための橋」であることを示している、しかしこの橋は「渡れないが、くぐることはできる橋」として親しまれ、「みたらし祭」ではこの橋をくぐる

  • 「光琳の梅」(こうりんのうめ)<br />「輪橋」袂にある梅の木は、江戸時代の尾形光琳(1658~1716)が国宝の「紅白梅図屏風」にこの辺りを描いたとされることから「光琳の梅」と呼ばれ、春の到来を告げる梅の名所となっている

    「光琳の梅」(こうりんのうめ)
    「輪橋」袂にある梅の木は、江戸時代の尾形光琳(1658~1716)が国宝の「紅白梅図屏風」にこの辺りを描いたとされることから「光琳の梅」と呼ばれ、春の到来を告げる梅の名所となっている

  • 「みたらし祭」受付<br />「楼門」手前の受付で献灯料として500円を納め「御手洗池」へ進む、去年は300円だったというので、この1年の物価高騰を実感する

    「みたらし祭」受付
    「楼門」手前の受付で献灯料として500円を納め「御手洗池」へ進む、去年は300円だったというので、この1年の物価高騰を実感する

  • 「御手洗祭の流れ」<br />①履物を脱ぎ、ローソクを受け取る>②御手洗池に入り足を浸ける>③ローソクに斎火(いみび;清めた火)を点し、御神前に供え、無病息災を祈る>④池から上がり「御神水」(ごしんすい)を頂き、全身を清める

    「御手洗祭の流れ」
    ①履物を脱ぎ、ローソクを受け取る>②御手洗池に入り足を浸ける>③ローソクに斎火(いみび;清めた火)を点し、御神前に供え、無病息災を祈る>④池から上がり「御神水」(ごしんすい)を頂き、全身を清める

  • 「御手洗川に入る」<br />脱いだ靴をもらったビニール袋に入れて、橋殿あたりからのスロープを下って川に入ると、水温15度ほどくらいで、外気温38度に比べ極端に冷たく気持ち良い!

    「御手洗川に入る」
    脱いだ靴をもらったビニール袋に入れて、橋殿あたりからのスロープを下って川に入ると、水温15度ほどくらいで、外気温38度に比べ極端に冷たく気持ち良い!

  • 「輪橋をくぐる」<br />神様しか渡れないが、くぐることはできる橋から御手洗池へ進む

    「輪橋をくぐる」
    神様しか渡れないが、くぐることはできる橋から御手洗池へ進む

  • 「御手洗池に入る」<br />ひざ下くらいまでの深さ

    「御手洗池に入る」
    ひざ下くらいまでの深さ

  • 「御手洗社」(みたらししゃ)<br />正面の「御手洗社」の真下の井戸からの湧水が「御手洗池」となり「御手洗川」となって流れ出す、「土用の丑の日のころの湧水がもっとも清らか」だという

    「御手洗社」(みたらししゃ)
    正面の「御手洗社」の真下の井戸からの湧水が「御手洗池」となり「御手洗川」となって流れ出す、「土用の丑の日のころの湧水がもっとも清らか」だという

  • 「斎火(いみび)」を点す<br />ローソクに斎火(清めた火)を点し、御神前に供える

    「斎火(いみび)」を点す
    ローソクに斎火(清めた火)を点し、御神前に供える

  • 「池から上がる」<br />池から上がり足を拭いて履物を履く

    「池から上がる」
    池から上がり足を拭いて履物を履く

  • 「御神水」(ごしんすい)を頂く<br />「御手洗社」の下から湧き出る霊験あらたかな「御神水」を頂き、身と心を清める、コロナ禍には紙コップになっていたが、古来からの「鴨のくぼて」という双葉葵の模様の器が復活したというから、この器で頂く *糺の森で出土した神前に供え物を盛る窪手(くぼて)をモチーフにした器

    「御神水」(ごしんすい)を頂く
    「御手洗社」の下から湧き出る霊験あらたかな「御神水」を頂き、身と心を清める、コロナ禍には紙コップになっていたが、古来からの「鴨のくぼて」という双葉葵の模様の器が復活したというから、この器で頂く *糺の森で出土した神前に供え物を盛る窪手(くぼて)をモチーフにした器

  • 「鴨の御神石」(かものごしんせき)<br />神池「みたらし池」で採れる黒い石で、 厄除の神石として、特に子供の「かんむし封じ」に効果があり、この日に限り授与され、毎年取り換え新たにいただくのを風習とされている

    「鴨の御神石」(かものごしんせき)
    神池「みたらし池」で採れる黒い石で、 厄除の神石として、特に子供の「かんむし封じ」に効果があり、この日に限り授与され、毎年取り換え新たにいただくのを風習とされている

  • 正面奥に「楼門」、手前に右手から「橋殿」「輪橋」「鳥居」「細殿」、左方向が「御手洗社」

    正面奥に「楼門」、手前に右手から「橋殿」「輪橋」「鳥居」「細殿」、左方向が「御手洗社」

  • 「御手洗社」(みたらししゃ)<br />井戸の上に祀られることから「井上社」とも言われ、人の罪や穢れを早川の瀬で浄めるとされる神様「瀬織津姫命」(せおりつひめのみこと)を祀る、賀茂斎院の御禊や解斎(げさい;直らい)、関白賀茂詣の解除(げじょ;お祓い)の際に参拝され、社前の御手洗池で「葵祭」に先立つ斎王代の御禊の儀も行われる、土用になると御手洗池から清水が湧き出ると伝わり、池底から自然に湧き上がる水泡をかたどったのが「みたらし団子」の発祥と伝えられている

    「御手洗社」(みたらししゃ)
    井戸の上に祀られることから「井上社」とも言われ、人の罪や穢れを早川の瀬で浄めるとされる神様「瀬織津姫命」(せおりつひめのみこと)を祀る、賀茂斎院の御禊や解斎(げさい;直らい)、関白賀茂詣の解除(げじょ;お祓い)の際に参拝され、社前の御手洗池で「葵祭」に先立つ斎王代の御禊の儀も行われる、土用になると御手洗池から清水が湧き出ると伝わり、池底から自然に湧き上がる水泡をかたどったのが「みたらし団子」の発祥と伝えられている

  • 「水みくじ」<br />神聖な水のパワーで占うおみくじ、京都では貴船神社、北野天満宮にもある

    「水みくじ」
    神聖な水のパワーで占うおみくじ、京都では貴船神社、北野天満宮にもある

  • 「末吉」<br />ゆとりを持てば徐々に良くなる!

    「末吉」
    ゆとりを持てば徐々に良くなる!

  • 「玻璃守」(はりまもり)<br />みたらし祭限定の水につける御守りもある1,000円、式年遷宮があるから商魂逞しい?

    「玻璃守」(はりまもり)
    みたらし祭限定の水につける御守りもある1,000円、式年遷宮があるから商魂逞しい?

  • 境内から出て「表参道」へ出る

    境内から出て「表参道」へ出る

  • 「さざれ石」<br />楼門前から南口鳥居手前にあり、日本国歌にうたわれている、年とともに大きく成長し岩になると信じられている神霊の宿る石で、ご利益のあるパワースポットとなる、「古今和歌集」にも詠まれているのが国歌の原典となっている

    「さざれ石」
    楼門前から南口鳥居手前にあり、日本国歌にうたわれている、年とともに大きく成長し岩になると信じられている神霊の宿る石で、ご利益のあるパワースポットとなる、「古今和歌集」にも詠まれているのが国歌の原典となっている

  • 「糺の森」(ただすのもり)<br />表参道沿いの広大なエリアは、平安時代には鴨川と高野川に挟まれた三角州全域が下鴨神社の境内で、現在は1/40の広さにまでなってしまったが、それでも太古の原生林を残す森林が広がり、樹齢600年を超す巨木も含めケヤキやムクノキなど40種類もの樹木が生い茂り、清水の湧く森として鴨川水源の神の鎮まる地とされてきた、語源にはいくつかの説があり、鴨川と高野川の合流点にあった地名の「只洲」(ただす)、清らかな水が湧き出る「直澄(ただす)」、神が偽りを「糺す」、玉依姫玉のお名前「多多須玉依姫命」、秦氏ゆかりの木嶋神社(蚕の社)から移設した「元糺の森」等々

    「糺の森」(ただすのもり)
    表参道沿いの広大なエリアは、平安時代には鴨川と高野川に挟まれた三角州全域が下鴨神社の境内で、現在は1/40の広さにまでなってしまったが、それでも太古の原生林を残す森林が広がり、樹齢600年を超す巨木も含めケヤキやムクノキなど40種類もの樹木が生い茂り、清水の湧く森として鴨川水源の神の鎮まる地とされてきた、語源にはいくつかの説があり、鴨川と高野川の合流点にあった地名の「只洲」(ただす)、清らかな水が湧き出る「直澄(ただす)」、神が偽りを「糺す」、玉依姫玉のお名前「多多須玉依姫命」、秦氏ゆかりの木嶋神社(蚕の社)から移設した「元糺の森」等々

  • 「奈良の小川」<br />「御手洗川」は南下して隣を流れる泉川の一部と合流し、葵祭の前の神事が行われていたという奈良殿神地(ならどのかみのにわ)があったとされる辺りから「奈良の小川」になり、「奈良殿橋」を過ぎて河合神社に近づいた辺りで「瀬見の小川」となり、表参道沿いに南流して鴨川に合流するが、この近くの方丈に住んだ「鴨長明」は、この清らかな流れを「石川やせみのをがわの清ければ月も流れをたづねてぞすむ」と詠んでいる

    「奈良の小川」
    「御手洗川」は南下して隣を流れる泉川の一部と合流し、葵祭の前の神事が行われていたという奈良殿神地(ならどのかみのにわ)があったとされる辺りから「奈良の小川」になり、「奈良殿橋」を過ぎて河合神社に近づいた辺りで「瀬見の小川」となり、表参道沿いに南流して鴨川に合流するが、この近くの方丈に住んだ「鴨長明」は、この清らかな流れを「石川やせみのをがわの清ければ月も流れをたづねてぞすむ」と詠んでいる

  • 「表参道」<br />二の鳥居(南口)から境内入り口まで約400mの「表参道」には露天が並びお祭り気分が盛り上がる

    「表参道」
    二の鳥居(南口)から境内入り口まで約400mの「表参道」には露天が並びお祭り気分が盛り上がる

  • 定番の金魚すくいやお面屋、かき氷、トルコアイスから

    定番の金魚すくいやお面屋、かき氷、トルコアイスから

  • 京野菜まで

    京野菜まで

  • 境内入り口の「下鴨神社境内案内マップ」

    境内入り口の「下鴨神社境内案内マップ」

  • 表参道から出町柳方面への途中に「三井家下鴨別邸」を発見!<br />以前2022年4月に訪問→4travel.jp/travelogue/11749974

    表参道から出町柳方面への途中に「三井家下鴨別邸」を発見!
    以前2022年4月に訪問→4travel.jp/travelogue/11749974

  • 「旧三井家下鴨別邸」<br />三井家は、近江の武士に始まり江戸初期に伊勢松坂で商人に転身し、江戸で呉服屋を始め豪商として栄え、越後屋(えちごや)から三井越後(みついえちご)、三越(みつこし)と成長していったが、この土地は、明治42年に三井家が購入し、祖霊社である「顕名(あきな)霊社」を太秦にある秦(はた)氏ゆかりの「木嶋神社」(蚕ノ社)から遷し、さらに大正14年祭祀時の休憩所として「下鴨別邸」が建てられ、その後昭和24年戦後の財閥解体で国に譲渡され跡地には京都家庭裁判所が建ち、下鴨別邸は所長宿舎として2007年まで使用されたが、修復工事後2016年から公開された

    「旧三井家下鴨別邸」
    三井家は、近江の武士に始まり江戸初期に伊勢松坂で商人に転身し、江戸で呉服屋を始め豪商として栄え、越後屋(えちごや)から三井越後(みついえちご)、三越(みつこし)と成長していったが、この土地は、明治42年に三井家が購入し、祖霊社である「顕名(あきな)霊社」を太秦にある秦(はた)氏ゆかりの「木嶋神社」(蚕ノ社)から遷し、さらに大正14年祭祀時の休憩所として「下鴨別邸」が建てられ、その後昭和24年戦後の財閥解体で国に譲渡され跡地には京都家庭裁判所が建ち、下鴨別邸は所長宿舎として2007年まで使用されたが、修復工事後2016年から公開された

  • 通常入館料500円とカフェがあるが、前回も行けなかった3階「望楼」に行くには食事が必用(7~9月夏の朝食プラン9:15~10:30で4,000円)

    通常入館料500円とカフェがあるが、前回も行けなかった3階「望楼」に行くには食事が必用(7~9月夏の朝食プラン9:15~10:30で4,000円)

  • とりあえず暑かったので、入り口の洋間の椅子席から、庭園を見ながら、冷たい飲み物を頂く、ガラスは貴重な波打つ大正ガラス

    とりあえず暑かったので、入り口の洋間の椅子席から、庭園を見ながら、冷たい飲み物を頂く、ガラスは貴重な波打つ大正ガラス

  • 抹茶セット700円

    抹茶セット700円

  • コーヒー500円

    コーヒー500円

  • 和室に入ると、座敷は若い人で満席状態!

    和室に入ると、座敷は若い人で満席状態!

  • 前回4月の庭園とは全く違う雰囲気で、「キキョウ」の紫と「百日紅」のピンクと苔庭と周りの樹木の緑とのコントラストが見事な「夏庭園」になっていてビックリ!

    前回4月の庭園とは全く違う雰囲気で、「キキョウ」の紫と「百日紅」のピンクと苔庭と周りの樹木の緑とのコントラストが見事な「夏庭園」になっていてビックリ!

  • 「キキョウ」は廬山寺(ろざんじ)や東福寺・天得院(てんとくいん)で有名だが、「紫式部」ブームで最近画策されたのだろうか、苔庭に見事にマッチして清涼感を醸し出してグッドアイデア!

    「キキョウ」は廬山寺(ろざんじ)や東福寺・天得院(てんとくいん)で有名だが、「紫式部」ブームで最近画策されたのだろうか、苔庭に見事にマッチして清涼感を醸し出してグッドアイデア!

  • 「キキョウ」(桔梗)<br />秋の七草の一つで季語は初秋というイメージだが、園芸では6月から9月ごろまで開花する、調べるとキキョウは宿根草で育て易く、種まき、株分け、挿し芽で割と簡単に増やせるようで、見せ方さえ工夫すれば気品があって清々しい

    「キキョウ」(桔梗)
    秋の七草の一つで季語は初秋というイメージだが、園芸では6月から9月ごろまで開花する、調べるとキキョウは宿根草で育て易く、種まき、株分け、挿し芽で割と簡単に増やせるようで、見せ方さえ工夫すれば気品があって清々しい

  • 「明治・大正の近代和風建築」<br />3階に望楼のある明治時代の「主屋」を中心に、大正時代の「玄関棟」と「茶室」で構成された大規模な屋敷構えの和風建築で、この地にあった三井家の顕名霊社(あきなれいしゃ)参拝の休憩所として、大正14年に、木屋町三条にあった明治13年建築の木屋町別邸を「主屋」として移築し、「玄関棟」と「茶室」が新たに増築された

    「明治・大正の近代和風建築」
    3階に望楼のある明治時代の「主屋」を中心に、大正時代の「玄関棟」と「茶室」で構成された大規模な屋敷構えの和風建築で、この地にあった三井家の顕名霊社(あきなれいしゃ)参拝の休憩所として、大正14年に、木屋町三条にあった明治13年建築の木屋町別邸を「主屋」として移築し、「玄関棟」と「茶室」が新たに増築された

  • 「京都人は風流好み」<br />古から、祇園祭の「鉾見台」(ほこみだい)や、鴨川の「納涼床」など、雅な風流を好む様子が随所に出て来て、望楼から「五山の送り火」を360度パノラマで鑑賞する様は最高の贅沢!

    「京都人は風流好み」
    古から、祇園祭の「鉾見台」(ほこみだい)や、鴨川の「納涼床」など、雅な風流を好む様子が随所に出て来て、望楼から「五山の送り火」を360度パノラマで鑑賞する様は最高の贅沢!

  • 「藪内流庭園」<br />反り橋や岩島もある庭園は見事だが、それもそのはず、両足院庭園も手掛けている茶道藪内流の作庭とされ、その後荒廃して、天龍寺庭園などの御用達をつとめる「曽根造園」が整備したもの

    「藪内流庭園」
    反り橋や岩島もある庭園は見事だが、それもそのはず、両足院庭園も手掛けている茶道藪内流の作庭とされ、その後荒廃して、天龍寺庭園などの御用達をつとめる「曽根造園」が整備したもの

  • 「下鴨神社一の鳥居」<br />「鴨川床」の納涼に始まり、「みたらし祭」の納涼祭から「三井家下鴨別邸」のキキョウで納涼を締め、出町柳駅へ帰る

    「下鴨神社一の鳥居」
    「鴨川床」の納涼に始まり、「みたらし祭」の納涼祭から「三井家下鴨別邸」のキキョウで納涼を締め、出町柳駅へ帰る

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  • たらよろさん 2024/08/11 08:03:58
    京都のドラマ
    こんにちは、Bachさん

    京都のドラマも、以前は色々あったけれど、今は本当にへっちゃいましたねー。
    予算の都合なのかな?
    最近は、関東圏でのドラマ、特に横浜が多い気が…。
    科捜研だけは、いつまでも京都で頑張ってくれてますが。

    ところで、本当に毎日暑くて暑さが酷い。
    このままだと、京都の夏の川床文化も、いつの間にか秋や春のものになってしまうかも。
    夏に川床で…ってもう無理だわ~(笑)

    たらよろ

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